海の小瓶

さくらい

 霜が降りるくらいに寒い冬の日。さりさりとなる砂浜を歩くぼくは、塩気のあるひんやりとした朝の青い空気のなかで、小瓶を拾った。
 高さが五センチほどで、底は丸くすこし首の長い、いたってふつうの小瓶。瓶を通して向こうを見ると、少しだけ風景に青みがかかる。
 ぼうっとそれを眺めていると、さきほど海の向こうからこちらに到着した北風が言った。
「おう、いい小瓶だな。水を入れたらきらきらして、もっときれいになるぜ」
 なるほど、いいアイデアだ。ぼくは屈んで水を手で掬い、小瓶に入れた。
 漏斗を使わずに入れようとしたものだから、水はほとんどこぼれてしまって容量の三分の一くらいしか入らなかった。
 先程昇ったばかりの朝日に水の入った瓶を向けると、北風の言う通りきらきらと輝いた。
 ぼくはうっとりとしてしまって、しばらく硝子越しの太陽を見ていた。
「ねえ、ねえ」
 どのくらい小瓶を見つめていたんだろう。最初ぼくは、また北風が話しかけてきたのだと思ってさっき北風のいた方を向いた。
 北風はとうにルドンの森の方へと流れていってしまったようで、そこには陽の光を反射して白く光る砂浜が広がっているだけだった。
 硝子越しに太陽を眺めていたはずなのに、すでに正面に彼はいなかった。
「無視しないでよ、ねえったら」
 声は上から聞こえる。ぱっと空を見上げると、太陽がすこし不満そうな顔でこちらを見ていた。
 ぼくに話しかけていたのは、太陽だった。さっきまで朝日だったのに、いつのまにか彼は昼の日になっていたようだ。
「なんだい、太陽」
 太陽はやっとか、というような表情で息を吸い、こう言った。
「ねえ、すてきな小瓶をもってるね。僕ね、それをみてて思ったの。砂を入れたらもっとすてき。きっと海みたいにみえるよ」
 言いたいことはそれだけだったようで、太陽はこくりこくりとうたた寝をはじめてしまった。
なんて気ままなやつだろう。しかし、人の言うことはきいてみるものだ。ぼくは小瓶に砂を入れてみた。
 砂はさらさらと瓶の中へ吸い込まれていく。
そこには、海が出来ていた。中をよく覗いてみると、海の表面にきちんと波が起きている。海みたい、ではない。本当の海ができていた。
 ぼくは海が大好きなものだから、とてもとてもうれしくなってしまって、何度も踵の上げ下げを繰り返した。
「海だ。わあい、海だ」
 ぼくはるんるんと海岸を歩いた。足取りは軽く、スキップしてしまいそうなほどだ。
 さくさくと砂を踏む軽快な音とざぶんという昼間の波の音、ひゅうひゅるり、というはるか向こうに行ってしまった北風のわずかな靴音が混ざりあってなんだか愉快だ。
「海のむこうになにがいる
 海の向こうにぼくがいる
 海の向こうになにがある
 海の向こうにおおきな……」
 海の向こうにおおきな何があるのか、ぼくはすっかり忘れてしまった。
 歌を歌いながら浜辺を歩いていたら、いつのまにか辺りはすっかりオレンジ色に染まっていた。小瓶の中の海もすっかり日が沈みかけていて、中の小さな太陽ももうねむい、というような顔をしている。
 小瓶の太陽を観察していると、魚を取り終え、腹のふくれている海鳥が足元へ降り立った。
「あなた、海をもってるのね。わたしね、とってもすてきなものを持ってるの。きっとその海に必要だわ。ひとつだけあげる」
 そう言うと、海鳥は懐から海の藻屑をとりだした。
「ふたっつしかないから、ひとつだけよ。大事だから、決して無くしたらだめ。さあ、小瓶に入れてごらんなさい」
 どうしてそんな大事なものをぼくにくれるのだろう。海鳥はその代わりに、と言いたげな表情でこちらの目を見てぼそっと呟いた。
「わたしも完成した海がみたいなぁ」
「もちろんさ」
 ぼくは海の藻屑を摘んで、瓶の中へと落とした。海の藻屑はどんどん小さな海に広がっていく。ぷつぷつと小さな泡が藻屑からでている。
 そして、海の藻屑から植物が生まれ、魚が生まれ、陸が生まれ、動物が生まれた。海の完成だ。
「きれいな海ね、とってもすてき。海の藻屑、あなたにあげてよかったわ」
 完成した海を見て、彼女は満足したようだ。彼女は家のある赤の灯台へと飛び立っていった。
ぼくは、完成した海を覗き込んだ。中にはたくさんのいきものたちがそれぞれに生きている。
「小瓶 ぼくの小さな海
 小さな瓶に 大きな世界
 海 森 草原 砂漠
 大事な 大事な ぼくの地球」
 あるところでは、ぞうがぱおんと鳴いて、鼻から水を噴き出していた。
 あるところでは、魚が一匹群れからはぐれ、困ったように海面に飛び出た。
 またあるところでは、ちいさな男の子が迷子になって、泣いていた。
 ぼくは小瓶をうちへ持って帰って自分の部屋に飾ることにした。すっかり日は沈んでしまっていて、辺りはもう真っ暗だ。
 だから、足元にある小石にも全く気が付かなかった。ぼくは、道の真ん中で盛大に転んでしまった。
 がしゃん!
 ぼくの持っていた小さな海は粉々に砕け、散り散りになった。
 海も、森も、草原も、砂漠も。ぞうも、魚も、小さな男の子も。
 みんな散り散りになって、ぼくの地球は跡形もなく消え去ってしまった。

海の小瓶

海の小瓶

ぼくは小瓶のなかに小さな海、地球をつくった

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2021-09-10

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