青の微睡み

さくらい

 気がつくと僕は青い部屋にいる。周囲を見回しても、そこに家具なんかは無くて、瑠璃色の鮮やかな壁と床だけが存在する。僕はこの部屋のちょうど真ん中に立っている。暑くもないし、寒くもない。この部屋の気温、湿度は快適だ。辺りの様子がいつもと変わりないことを確認すると、そのまま静かに座り込む。
「やあ、いらっしゃい」
 いつも通り君は、どこからとも無く目の前に姿を現し、声をかけてくる。
 真ん中で分けられ、顔の輪郭に沿って切りそろえられた深い海色の髪。青白い肌に真紅の唇。背は僕より頭一つ分高い。服装はいたってシンプルで、白いコットンのシャツに、焦げ茶色のスキニー。少し垂れがちでな優しそうな目元をしていた。君は口角を上げて、にこっと微笑む。
 耳の温度が上がっていくのを感じた。僕の頰は君を前にするとひどく紅潮してしまう。だって、君があまりにも綺麗だから。
「きみの話を聞かせて」
 部屋の端からこちらに歩いてきた君は、いつも通りのセリフを言った。感情があるようで、無いような不思議な声音。僕は黙って頷くと、床を手でぽんと叩いて、隣に座るように促す。君はゆっくりと、まるで舞台上で演技してるみたいに腰を下ろした。ただ座るという動作なのに、実に優美だ。
 ここで僕は、今日一日に起きたことを君に話す。学校であったことだとか、観た映画の話だとか。でも、不思議なことに、喋った内容は話した先から忘れてしまって何も残らない。ただ、「話した」という事実だけ。でも、不思議と君と話をすることで、僕の心は雛の柔らかな羽毛よりも軽くなる。頭の中の錘が一つずつ外れていく感じ。
 真っ青な部屋の中で僕らは静かな時間を過ごす。まったりとしていて、風のない水面みたいな、そんな時。視界には目に眩しいブルーと君だけ。これは、青の微睡みの時間だ。
 いつも話しているにいるのは僕の方で、君は自分の話をしない。僕は君のことを知りたかった。
「たまには君の話を聞かせてよ」
「私のことは話せないんだ」
 君は僕の質問に対して、これしか答えてはくれない。
「話せることがなにも無いからね」
 話せることが無いって、どういうことだろう。
「名前は?」
 今日は、ちょっとしつこく尋ねてみた。そんな気分だったから。
「ないよ」
 君は目を伏せた。長い睫毛が、わずかに赤みがかった頰に影を落とす。
「歳はいくつ?」
「わからない」
 僕がいくら君に関する質問をしたところで、答えは全部同じ。ない、わからないの二つだけ。
「私は存在しないものだからね」
 君は悲しそうに笑った。
「存在しないって、現に君は僕の目の前にいるじゃないか」
 僕はからかわれているのだろうか。目の前にいる者に、いないと言われる。僕は意地になった。
「目の前にいるのに、いないなんておかしいじゃないか」
「でも、いないものはいないんだ」
 意味がわからない。
「ほら、こうして君に触れられる」
 僕は、君の薄べったい胸に手を伸ばす。しかしその手は、君の体を通り抜け空を切っただけだった。
「私のことじゃなくて、きみのことを話して」
 君は目を閉じた。改めて話を聞こうとするときの表情だ。
 この部屋には、エアコンもなにもないけれど、どうやってこの居心地の良い室温を作り出しているんだろう。
 僕は反抗するでもなく、君に従って僕のことを話し始めた。
「今日、豊と喧嘩したんだ」
 豊というのは、僕の親友。些細なことから、殴り合いの大げんかに発展し、母さんたちが学校に呼ばれた。
「それは大変だったね」
 君はいつもの癖で、髪をくるくると指に巻きつけながら答えた。
「だいたい、あいつが悪いんだ。僕のテストの結果を勝手に見せびらかして……」
 僕は彼に殴られた傷を君に見せた。
「痛そうだ。早く治るといいね」
 はじめはそのときのことを思い出していらいらしていたけれど、君と話しているうちに僕の怒りは収まった。いらいらの棘を、一本ずつピンセットで抜いてもらったみたいだ。
「僕にだって悪いところはあったかもしれない」
 明日僕は豊に、先に手を出したことを謝ることにした。
 しばらく君と二人並んでぼーっとしていると、壁や床が徐々に光を帯びて来た。窓もないのに、どこからか日が差し込んでくる。その光は少し黄味がかっていて、青い壁に映えていた。
「そろそろ終わりだね。じゃあ、また。夜の帳が降りる頃に」
 君は僕の頭に触れようとした。頭に撫でられたような感触があったけれど、実際の君の手は僕の体を通り抜けてしまっていた。
 けたたましいベルの音が、僕を現実へと引き戻す。僕は重たい瞼をこじ開けて、ベッドサイドの目覚まし時計を乱暴に叩き止め、もう一度目を閉じた。
「今日はもう終わりだって言っただろう。はやくお戻り」
 青い部屋で、君は困ったように言った。しばらくその場に突っ立ていると、遠くから声が聞こえた。
「たかし、いつまで寝てるの!」
 意識がだんだん遠のいていく。視界がぼやけて、狭くなる。最後に見えたのは、果てしない青だった。
 気がつくと、目の前には鬼のような形相をした母さんが。思わず体がぶるっと震える。布団をひっぺがされたらしい。僕は手を伸ばし、カーテンを開けた。今日の天気はは憎らしいほどの快晴だ。窓から伝わってくる冷気で、指先が少し冷えてしまった。
 今日も、僕は夢を見ていた気がする。内容が思い出せない。窓の外の海の色を見て、なにかを思い出しかけたけれど、結局「夢を見た」ということ以外なにもわからなかった。

青の微睡み

少し前に書いたものです。

青の微睡み

ぼくは気がつくと、青い部屋にきみといる ここはどこで、きみはだれなのだろう

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2021-09-09

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