九月の永久思考
手首に、だれかの指のあと。かなしいので、みえない枷を、わたしにつけてくださいとうったえた、美術館の少女。ときおり、わたしの血を、あつくさせる、雀。ニアのこいびと。甘くないコーヒーをのみながら、二足歩行の動物たちが、せわしなく行き交う様を観察していた、九月のこと。
幸福とは、果たしてどこか来るのかという疑問と、では不幸とは、どのようにして生まれるのかという問いの、わかりそうでわからない、答えを、雀とニアが、ひとつのベッドのなかで、とりとめもなく思考をめぐらせている、ピーエムと、エーエムのはざま、ほんの一瞬だけ、ふわっと浮く感じ。重力的なもの?わたしは、すこしはなれたところから、椅子にすわって、ふたりをみている。雀と、ニアの、役割分担としては、雀が、種子をつくり、ニアが、ゆりかごとなる。雀が、おとこがわ、ニアが、おんながわ、という性別的例えを、わたしたちは好まない。雀も、ニアも、わたしも、おとこであり、おんなであり、そのまえに、にんげんであるのだから。
きまぐれにつけた、ラジオが、夏のおわりのさみしさを歌ってた。
九月の永久思考