風化
風化
腐りもしない詩人の身体
腐りもしない詩人の命
腐りもしない詩人の像
腐りもしない詩人の愛
腐りもしない詩人の「 」
漂うばかりで動きはしない
溺れてばかりのその姿
失われた意識の呼びかけて
その指先の動きを必死に追う
風化 II
詩人が残した遺品の中に手帳がないことは異常だろうか。詩人ならば、思い付いた先から消えゆきそうな内容や感触を後から見返せるようにその言葉で手帳に書き留めることを普段から心掛けているとでも?いや、言葉による表現である詩の命は同じ文学に括られる短歌と同様、用いる言葉の強さ、フレーズの切れ味にあることは確かに否定できない。詩人が詩のために思い付くこととして、言葉があって当然だろう。しかもその言葉は詩人が詩のことを思い続けた結果として思い付いた言葉だから、単独の言葉として意味不明であり、また脈絡なんて一切見出せないフレーズであったりするわけだ。なら、詩のことを頭の片隅に追いやって、思い付いた言葉やフレーズを極めて合理的に見返そうとするには思い付いたものを客観的かつ機械的に手帳などに記すことは有用だ。さらに、さらにと深い詩的表現を目指そうと志す者なら尚更だ。だから、亡くなった詩人が手帳を愛用していた可能性は高いと結論づけ、かかる詩人の遺した物の中に手帳がないことを異常視することは決して異常でないと「君」は主張する。ただ、携帯端末の手帳機能に残した電子情報でもあり得るとは思うのだが、その、亡くなった詩人が携帯端末を使用したことは?ない?パソコンも?成る程、今どき物珍しいタイプの詩人だったということか。それで君は物である手帳にターゲットを絞って、かの詩人の手帳を掠め取ろうと企てたわけだ。
いいね!否定もしないし、悪びれもしないその態度。
さて、「詩人」。
詩人の定義なんて不毛な議論はしたくもないから結論を出してしまおう。
いいかい、言葉で何かを表現するのが好きな人を詩人と呼ぼう。その詩人が表現を積み重ねていき、そのうちに思うようになるのが詩的に表現しないことの大事さなんだ。「なぜ?」って訊いたりするなよ。いいかい、僕はもう結論付けているんだ。詩の表現をしない又はしないよう心掛けるのが詩人なんだ。だから、詩人ほど詩的表現に気を付ける。表現としての詩を積み重ねれば、必ずそうなる。
体にフィットするシャツを皺くちゃにするぐらいに動いて、動いて、動いて論理を引き伸ばした距離、その間に生まれた世界の余白が詩という表現だと喩えよう。自分以外の他人も好きにイメージを放り込めるこの余白に、詩人は最初に住める。論理の世界から流れ込んできた最初の異人として名乗りを上げる。この異人という身分を見失ったら詩人は詩人らしさを失う。皺くちゃになったシャツを着たままで過ごし続けるだらしなさはご法度なのだよ。われわれ詩人はいつも身に付けるシャツの皺を伸ばす努力を怠ってはいけない。どこまでも論理的になるよう、日々用いる言葉に接するべきなんだ。そうすることで世界の内側に無数の胎動を確保できる。世界と交渉するのさ。意味ありげに捉えて構わないよ。正に「交渉」なのだから。この言葉の意味するところをその身をもって経験しているだろう?「詩人」。
だからいえるのさ。かの詩人が生きていたのなら、その詩人は手帳に言葉を残したりしない。いや、手帳になんて、というべきだろうな。
いいかい、詩人はこうだ。彼らは命綱になる言葉を絶対に手放さない。詩的表現に溺れたりしない。
翻っていえる。かの詩人が詩人として亡くなったというのなら、その詩人は言葉を書き留めた手帳を持っていなかった。あったとしてもその手帳には極めて事務的でかつ個人的な事実ばかりを記していた。論理を尽くして世界を知ろうとした。断言できるよ。詩人だからね。亡くなったというかの人も、僕も。
さて、「詩人」。
掠め取ろうとしたものの価値と恐ろしさの両方を感じ取れたかい?それはある意味で無価値だ。何せ「君」には理解できないものだ、その言葉は「君」の世界に命を与える「君」の脳内で走る言葉ではないのだから。そんなものを掠め取ろうとした「君」の行ったことは、「君」の言葉で命を持つ「君」の世界の全否定に他ならない。「君」は「君」であることをやめようと決意した。そういうことと同義なんだ。だから極めて恐ろしい行為なのだよ、それは。
ああ、そうさ。僕は君を呪おうとしているわけだ。
では、「詩人」。裁定を下そう。
舌も喉も必要ない。空気を震わせる無駄は要らない。「君」が「君」を始めてしまっている以上、「君」が抱いてしまう意味に直接加えるこの色素を存分に味わって見るがいい。君が見るもの、触れるもの全てを彩るこれらの拭えなさ。雁字搦めのぎこちなさに縛られるがいいよ。内側に突き進むベクトルに恐れ慄くがいい。
さて、「詩人」。
これを強く拒む理由を。
その瞬間だけを未来永劫、ずっと待っているのだよ。
風化 Ⅲ
テーブルを挟む
手を着ける
並べられるお皿に視線を落として
口を縫いつけた糸に触れる
椅子から立つ
床から離れる
丸く並んだ導線に行き先を預けて
心を縛った布を振り解く
耳を澄ます
意識を落として
その温もりだけにすべてを捧げる
私という固まりというより
人になる
恋を咲かせて
その厚みになればと惜しまず削り
僕を運べる命になればと
辿り着かれる。
辿り着く。
始まりと終わりの着地が違う
結ばれる知識の接線へと
手を伸ばす。
その意味が異なれども
あいになき
あいにたる。
その顔がそこに無くても
君のように。
果てしなく。
風化