韓国の負の遺産
韓国は負の遺産の何と多い事、思わず絶句してしまう。
しかし当の韓国人はこの負の遺産について知っているのだろうか?。それとも知っていても、自分にとって不都合な案件は無視するという韓国人特有の思考で触れないでいるのだろうか?。
次期大統領選挙一番人気の立候補者も、この負の遺産については全く触れていない。
韓国は負の遺産を無視し続けて良いのだろうか?。それで国際社会に通用するのだろうか?。
韓国という国の中には、人道的な心を持った韓国人は一人も居ないのだろうか?。
私はこのような疑問を抱きながら、これを書きました。なお、この小説はフィクションです。
韓国の負の遺産
除隊後復学していたキムは、大学最後の夏休み、初めて日本に行った。
この時キムは、学校で学んだ日韓史と自分で学んだ日韓史の、どちらが正しいのかを確認したいと思っていた。
韓国の学校での歴史教育、特に日中史は噓だらけで、日本国は韓国を植民地支配し、七奪をし韓国の富を搾取し尽くした。
また日本人は、韓国人に対して非道の限りを尽くし、少女さえも強制連行して慰安婦にした、と教えられていた。
だがキムは、中一の歴史の時間に「日本人が韓国人女性を強制連行していた時、韓国人男性はどうしていたんですか」等の質問をして歴史の先生に嫌われ、それ以後、問題児だと校内で言い広められた。
しかしそのせいで学校教育に違和感を抱いたキムは、自分で歴史を勉強するしかないと思い立ち以来日韓史を独学した。
そんなある日、古本屋で福沢諭吉先生の本を見つけて読み、感動したキムはその後日本人偉人の本を読みふけるようになった。
やがてキムは(日本人の中でも立派な人だったから偉人として本に載せられている訳で、全ての日本人が立派な人だと言う訳ではないだろう。しかも私が学んだ偉人は戦前の人たちが多かった。現在の日本人はどんな人間なのだろうか。学校で教えられているように悪逆非道なのだろうか)と考え、日本に行って直接日本人に会って自分で確かめたいと思うようになった。
それと今回の旅行でキムは、日本の歴史教科書を手に入れたいとも思っていた。
日韓の歴史教育の違いを自分で調べたかったのだ。
だが、この時のキムは日本語が全く話せなかった。まあ、英語がまあまあできたし、関西空港や駅には英語表記に加えハングル表記もあって問題なく予約済みホテルに着くことができた。
ホテルは、通天閣の近くで大阪観光には申し分ない場所だったが、キムは観光などする気はなかった。
部屋で一休みした後、キムは夕食を兼ね繫華街を歩いてみた。
武漢ウイルスが流行する以前の大阪の街は賑やかだった。一軒一軒の店や料理店は活気にあふれていたし、店員たちの表情も威勢が良かった。
キムは夕食にはまだ早いと思いながらも、店先の女性店員の笑顔に惹かれて居酒屋に入ろうとした。だがその時、引き戸横の立て看板が目に入った。
立て看板には下手な手書きハングル文字で「韓国人朝鮮人入店拒否」と書かれていた。
キムは一瞬動きが止まった(韓国人朝鮮人入店拒否だと、、、どういうことだ)
キムの視線先の看板とキムの表情から察したのか、さっきの笑顔の女性店員がまるで別人のような厳しい表情で、下手な韓国語で言った「韓国人はお断りします」
キムは驚きを隠せないまま韓国語で聞いた「どういうことだ」
しかし女性店員は、キムの韓国語が理解できなかったのか逃げるように店内に入っていき、すぐに数人の男性店員が出てきて無言で引き戸の前を塞いだ。
男性店員の表情も厳しく、中には明らかに憎悪が読み取れる者も居た。
その表情に押されてキムはその場を去った。
(なんだ、どうなっているんだ)キムは、薄暗くなってきた繫華街を歩きながらその事を考えた。
しかしいくら考えても分からなかった。分からないままにキムは他の居酒屋を探した。
だが2軒目の居酒屋の入口にも同じような看板が立てかけてあった。
それを見てキムは次第に不愉快になってきた。
(韓国人が日本人を嫌うのは当たり前だし理由があるが、何故ここでは韓国人が日本人に嫌われているんだ、、、)
当時のキムは、まだ日本人の感情を全く理解できていなかったのだ。
キムは、仕方なく入店拒否の看板のない小さな焼き鳥屋に入った。
店内はカウンター沿いに椅子が5脚あるだけで、小さくて狭かった。しかも開けたばかりのようで、まだ焼いていないようだった。
キムが入るべきか迷っていると、おばあさんが焼き場から顔を出して「いらっしゃい、さあどうぞ」と日本語で元気よく言った。
言葉は分からなかったが雰囲気で「入れ」と言ったと理解して、キムは一番奥の椅子に座った。
そしてアサヒビールという日本語は知っていたので日本語で注文し、ケースの中を指差した。
おばあさんがそれを焼いていると、おじいさんが奥から出てきて一緒に焼き始めた。
コップの半分ほどビールを飲んだころ焼き鳥が出てきてた。韓国とは味が違ったが美味かった。
最初に注文した分は瞬く間になくなり更に注文した。
少し経ってから、おじいさんが何か話しかけてきたが全く分からず、迷った末に「私は韓国人です」と英語で言った。
するとおじいさんは一瞬動きを止めてキムを見たが、すぐに下手な英語で「ノープロブレム」と言い焼き鳥を焼き続けた。
その後30分も経たないうちに満席になり、ビール2本と焼き鳥20本くらいを平らげていたキムは店を出た。
腹は膨らんだが何か物足りなさを感じてキムは、コンビニで弁当と缶ビールを買ってからホテルに帰った。
翌朝ホテルで朝食後のコーヒーを飲みながらキムは、「日本人がどんな人間なのか、日本に行って直接日本人に会って自分で確かめたい」という 旅行目的を達成するには(日本語ができなければ不可能だ)ということを痛感し、考えた。
(まあ、通訳を雇えば可能だがそんな予算はない、、、さて、どうするか)
その時キムは、「犬も歩けば棒に当たる」という日本のことわざを思い出した。
(とにかく人混みの中を歩いて見よう)
キムは、大阪の街を歩き回った。そしてタイミングを見て通行人に韓国語で話しかけたが誰もまともに相手をしてくれなかった。
仕方なくキムは、英語で話しかけた。するとほとんどの日本人が話を聞いてくれたが、日常会話程度の内容しか話し合えなかった。
そんな状態が続き、あっという間に旅行日数が過ぎて最終日になった。
(明日の朝は空港へ行く、、、結局なんの成果もなかった)
キムは、気落ちしながらも未練がましく大阪の街を歩いた。そしてその夜、腹立たしい気分で韓国風焼き肉店に入った。
席に座るとキムは、通じないと分かっていながら横柄な口調で韓国語で「アサヒビールをくれ」と言った。するとすぐに「少々お待ちください」と韓国語の返事がきた。
そして1分も経たないうちに、ドキッとするような美人店員がビールを持って来て、テーブルの上で栓を抜きコップに注いでから韓国語で注文を聞いた。
キムは、韓国語が通じる美人店員にドキドキしながらも焼き肉を注文し、その後すかさず「あなたは何故韓国語が話せるのか」と聞いた。
すると店員は恥ずかし気に「私は在日朝鮮人で朝鮮学校で習いました」と言い、付け加えるように「あなたは韓国人ですか」と聞いた。
キムが「そうだ」と答えると、店員は一瞬複雑な表情でキムを見てから店内に入って行った。
キムは韓国語で話せる嬉しさも合わさって、その店員ともっと話がしたかったが、それ以後その店員は出てこなかった。
(くそ、もっと早くこの店に来ていれば、、、明日の今ごろはソウルだ。結局なんの成果もなく帰るのか、、、あ、教科書も、、、何というドジだ)
その時になってキムは教科書の事をやっと思い出したのだった。
その時間ならまだ開いている本屋もあっただろうが、キムは何故か行く気がしなくなっていた。
(くそ、俺は日本とは縁がないんだ、、、所詮、日本なんて戦犯国だ、二度と来るもんか)
キムは腹立ちまぎれに更にビールを1本飲み、かなり酔ってレジに行くと、さっきの美人店員が会計をしていた。
キムは(今さら何もできはしない、それにこんな美人が俺の相手をしてくれるはずもない)と思い、不機嫌そうな顔で会計を済ませて、だがその時やけくそな気持ちで「この近くに本屋はありますか」と聞いた。
美人店員は怪訝そうな顔で「本屋ですか、、、数軒先にありますが、もう閉まってますよ、明日の10時に開きますので明日にすれば」と韓国語で言った。
「明日のその時間は空港です」とキムは憮然と言った。(くそ、何もかもが空回りだ、腹立たしい)
キムの不機嫌そうな顔に気づいてか店員はチラッとキムを見た後「空港にも本屋はあると思いますが、、、何の本が欲しいんですか」と聞いた。
(ふん、それを聞いてどうするんだ)と思ったが言うだけ言ってみた。
「中学高校それに有れば大学の歴史教科書です」
「歴史教科書、、、日本の学校のですか」
「そうです」
「古いのなら、弟のでよろしければありますが、、、」
「えっ、いただけるんですか」
「ちょっと待ってください」
そう言った後、店員は店の奥に入っていき数分後に弟らしい男と出てきた。そして店員が日本語で男に何か言うと、男はチラッとキムを見てから煩わし気に店から出ていった。
「今、弟に2階に取りに行かせましたからそこに座って待っててください」と店員は微笑んで言った。
「えっ、本当ですか」キムは本当に驚いた。(まさか、こんな事になろうとは、、、)
そう思うと同時に、今までこの店員に不機嫌そうな顔ばかり見せていたことを後悔した。
(何とか、取り付くろわなくては、、、)キムは慌てて言った。
「本当に教科書をいただけるんですか、ありがとうございます。何か御礼したいです住所を教えてください」
「御礼なんていいです、それにもうすぐこの店、引っ越しますから住所も、、、」
「じゃ、せめて貴女のメールアドレスを教えてください」
美人店員は店の名刺の裏にメールアドレスを書いてキムに手渡した。それを見てキムは「貴女のお名前は」と聞いた。
「花蓮です」
「花蓮」とキムが訝しげに聞き返すと、花蓮は名刺の裏に漢字とアルファベットで書いてくれた。
キムはその名刺を宝物のように財布に入れると、自分の名刺を取り出そうとしたが、大学のボロボロの名刺しかなく、仕方なく「俺キムイルソンです、必ずメールしますから」と言った。
その時、他の客がレジに来たのでキムは渋々入口横の椅子に座って弟の帰ってくるのを待った。
しかし弟はなかなか帰って来なかった。
他人を待つ事に慣れていないキムはイライラしてきた。だが反面、心の中では(帰って来なくていい、それまでにもっともっと彼女と話がしたい)と思っていた。
だがその彼女は、レジの所で他の若い男と親しげに話し込んでいる。
(くそ、俺だって話したいんだ、さっさと帰りやがれ)とキムは心の中で悪態をついた。
やっとその男が帰ると次の客が会計をし、キムは更にイライラした。だが、その客が帰ると彼女は解放されたのを喜ぶかのように微笑んでキムを見た。
キムがその微笑みに吸い寄せられるようにレジに近づくと弟が帰って来た。
弟は、教科書が入ったビニール袋を無造作にキムに手渡しながら日本語で何か言った。それを彼女が韓国語で通訳した。
「中学1年から大学3年までの教科書です。大学4年は来年の春に卒業したら送ってあげるそうです、、、でも歴史の教科書なんて何に使うんですか」
キムは、下手な日本語で「ありがとうございます」と弟に言い軽く頭を下げてから彼女に言った。
「韓国の教科書の内容と比べてみたいんです、特に日韓史を」
「そう、、、でも日本語できないんでしょう」
「うっ、、、」キムは言葉を失った。(その事まで考えていなかった、、、)
しかし彼女は事もなげに言った「ついでに日本語を勉強すればいいわ」
その時、客がレジに来たのでキムは帰るしかなかった。
ホテルに帰ってからキムは改めて教科書を見た。当然のことながら日本語で、全く読めなかった。
(全く彼女の言う通りだ、教科書があっても読めなけらば何にもならない、、、)
翌日キムは空港の本屋で日韓辞書と日本語独学用の本を買った。
ソウルのアパートに帰ってからキムは、すぐに花蓮にメールした。
アパートに帰り着いた事と、教科書をいただいた事への御礼を書いたが、それ以外の事は何も書けなかった。
頭の中では、独身なのか、彼氏がいるのか、何歳なのか、など書きたかったのだが、初めてのメールでそれを書いて良いか判断がつかず、結局なにも書けなかった。
キムは(初回のメールはこれで良いだろう。返事が来たら色々書こう)と考え、送信をクリックした。
しかし花蓮からのメールは来なかった。
1週間後、キムは再度メールしようか迷ったが、文面が思いつかなかった。更に1週間経つと花蓮の事は諦め、次第に忘れていった。その反面キムは、一生懸命に日本語を学んだ。
日本語と韓国語は似ている言葉も多くて、学んでみると案外簡単に日常会話程度は覚えられた。だが、教科書の文章は理解し辛かった。否、全く理解できないと行った方が正解だろう。
(くそ、なんて事だ、せっかく日本の教科書をもらってきても読めない理解できないじゃ調べようがない)
キムは、教科書をビニール袋に入れたまま部屋の隅に置いて、日本語の勉強だけ続けた。
日本旅行から帰って来て2ヶ月が過ぎた。ソウルは晩秋で朝夕は寒かった。
キムは、震えながら大学から帰って来てすぐ暖房のスイッチを入れ、いつものようにメールを見た。軍隊で一緒だった数人の男性からのメールに混じって、見慣れない日本語の見出しがあった。
そのメールを開くと「日本語は勉強していますか?」で始まる花蓮からの日本語文だった。
そして日本語文の下にグーグル翻訳のハングル文があった。
ハングル文の内容
「私は韓国語は話せてもハングル文字は書けませんので、グーグル翻訳文を載せます。
メールをいただきながら返信メールもしないで、すみませんでした。
店が引っ越した後、色々トラブルが起きて落ち着きませんでした。
やっと今日2ヶ月ぶりにメールを開き、お客様や友人に返信メールを送れるようになりました。
今度の店は以前の店よりも広いですが、その分家賃も高くて、それにまだお客様が少なく、2ヶ月連続で赤字になりそうです。
アハ、貴方に店の愚痴を言ってしまいました、すみません。
また大阪に来ることがありましたら店にも来てくださいね」
その文の下に新しい店の名前と住所等が載っていた。
キムは、自分の事を覚えていてくれた事を喜んだ。
さっそく返信メールを送ろうとしたが、文面がなかなか思い浮かばなかった。
それでも必死で考えて以下の文面のハングル文原文とグーグル日本語翻訳文を送った。
「メールありがとうございます。覚えていてくれたんですね、とても嬉しかったです。
貴女のような美しい方は、当然もう御結婚されているんですよね?。
でももしよろしければ僕のメル友になってください。そして、日本語や日本の事を教えてください。お願いします。それと、いま思い出しましたが、僕が2ヶ月前に大阪に行った時に、どこの居酒屋も韓国人朝鮮人入店拒否の看板がありました。あれは何故ですか」
それから30分ほどして花蓮から返信メールが届いた。
食べかけていたカップラーメンを脇に置いてドキドキしながらメールを開いた。
「返信メールありがとうございます。さて私はまだ独身ですし、恋人もいません。
母と弟と3人で店を経営していかなければなりませんので、恋人を作っている暇はありません。
特に弟が大学を卒業する来春までは無休で働かないと学費を稼げません。
アハ、すみません。また愚痴を書きましたね。
看板の件は詳しいことはわかりませんが、数か月前に韓国人か朝鮮人かが居酒屋で問題を起こし、それ以来看板を出す居酒屋が増えたそうです。
そろそろ開店ですので、店に行きます。メル友の件はOKです」
そのメールを読んでキムは、カップラーメンを食べるのも忘れて考え込んだ。
(母親と弟との3人暮らし、父親は居ないのか、、、しかも食堂の経営は楽ではないようだ、、、
俺は両親と弟の4人家族、父は中堅会社の課長で一般人よりも少し収入が多い。おかげで今までに生活費に困った経験はないし、大学卒業後は父の会社に入るのが決まっているので、卒論さえ出来上がれば、その後はのんびりできる、、、
それより、、、花蓮さんは独身、、、あんなに綺麗な人がまだ独身、、、いま何歳だろう、、、弟が大学4年生という事は一つ違いなら俺より一つ年下、二つ違いなら同い年か、、、もっともっと花蓮さんの事を知りたい、、、メル友OKという事は、、、チャンス有りだな、、、とにかくメール攻勢だ)
その後キムは、メール文を考えた。
(花蓮さんの事をいろいろ知りたい、しかしいきなり根掘り葉掘り聞けない、、、まてまて焦るな、、
1回のメールで一つづつ聞こう。今回は先ず年齢だな、、、だが考えてみると年齢は聞きづらいな、文面が思い浮かばない、、、そうか聞く事ばかり考えているからダメなんだ。最初は自己紹介だ)
キムは、カップラーメンが伸びてしまうまで考え続けた結果、
「花蓮さん、僕は高麗大学4年生ですが途中で2年間軍隊に入っていたため今24歳です。
来春卒業予定で、既にソウルの会社に内定しています。
これで卒論さえなければ楽なのですが、卒論には手こずっています。
僕は歴史教育科で、当然のこと歴史に関係した卒論になるのですが、韓国の歴史は中国や日本との関連を無視しては書けません。ところが日本資料を調べてみると、韓国資料と食い違うところが多くて、どちらが正しいのか迷ってしまいます。まあ、韓国資料が正しいとは思いますが。
花蓮さんは朝鮮学校でどのような歴史を学びましたか。それと朝鮮学校の大学は何歳で卒業しましたか。よろしかったら色々教えてください」という文面のメールを送った。
キムは考え迷った末に、直接年齢を聞かずに大学卒業年齢を聞いて、それから今の年齢を割り出す事にした。しかし、この時のキムは、朝鮮学校の実態がよく分かっていなかったし、花蓮の生い立ちも知らなかった。そして後日そのような事を知ってキムは驚くことになるのだが、、、。
メールを送信した後、キムは伸びたカップラーメンを食べながら日本関連のネットニュースを見た。
キムは、韓国にある資料を使って日本史を独学していたが、自分では親日家とは思っていなかった。だが何故か日本の事が気になり暇な時はネットニュースを見ていた。
その夜キムは、日中韓首脳共同記者発表での安倍総理の演説に対する韓国政府高官の酷評を見聞きして(ふん、毎度毎度の決まり文句『日本は歴史を直視しろ』だが韓国人で本当の歴史を知っている人間が何パーセント居るだろうか。俺が数年韓国の資料だけで調べても、数々の矛盾が見つかっている上に、海外の資料と比べたら真逆の内容さえある。特に日韓史はその傾向が強い、、、はたして日韓のどちらが正しいのか、、、)と考えていた。
翌日の夕方、花蓮からメールが届いた。
「キムさん。私は朝鮮人父の命令で小学校1年から3年まで朝鮮学校に行かされましたが、その年の冬両親が離婚して、春から3年遅れでまた日本の小学校1年に入りましたので、朝鮮学校の事はよくわかりません。韓国語はその3年間に覚えたことと、店のお客様対応の為に独学して今は多少話せるようになったのです。弟は朝鮮学校に行っていませんし、興味がないと言って韓国語を覚えようとしませんから全く話せません。
歴史については私は興味がありませんし、日韓資料の違い等はわかりません。
私は、とにかく今は店の事だけで精いっぱいです。」
メールを読んでからキムは、腕を組んで考えた。
(花蓮さんの父親は朝鮮人だったのか、それで朝鮮学校に、、、日本の朝鮮学校の事はよくわからないが、日本にいる朝鮮人と韓国人は仲が悪いというのは聞いた事がある、、、
しかし花蓮さんは日本人として生きているんだろうな、、、歴史には興味がないか、、、
何にしても、店の仕事が大変で俺の相手をしている暇もないようだ、、、こんな時、俺はどうしたら)
その時キムは、おもしろい事を考えついた。
(それを実行する為には、それまでに先ず卒論を終わらさないといけない)
キムは翌日から卒論に没頭した。
日韓資料の違いには触れず、韓国資料だけを使って卒論を仕上げた。
卒論提出期間前だったが幸いなことに受付てもらえたので翌日からすぐに準備にかかった。
航空券は少し高かったが、帰りが不定なので3ヶ月オープンチケットにした。
出発日が近づくとキムは、キムチをいっぱい買った。
(これだけあれば当分店で使えるだろう)キムは、意気揚々と飛行機に乗った。
午後3時ころ新しい店の前に着いた。
タクシーのトランクからキムチを降ろし終えると、音を聞き付けたのか花蓮が店の横の階段を降りてきた。そして驚いた顔でキムを見て韓国語で言った「キムさん、いったいどうしたんですか」
「話は後で、とにかくこのキムチを店の冷蔵庫に入れてください」
キムチを冷蔵庫に入れ終えるとキムは言った「大学が休みなのでアルバイトに来ました。ここで雇ってください。でもバイト料は要りません、その代わり3食と寝る所を用意してください」
言葉を失い目を丸くしてキムを見ている花蓮の横に母親が来た。
キムは、母親に韓国語で自己紹介し、さっそく今晩泊まれる所はないかと聞いた。
母親も驚いて花蓮と顔を見合わせた。
その時、花蓮が言った「2階は満室ですが店のお座敷でよろしければ、、、」
「充分です、これで話は決まった。荷物を片付けたら働きます、何でも言ってください」
12月に入り1年中で一番忙しい時期で、稼ぎ時ではあるが親子3人では間に合わない、かと言って人を雇う予算のなかった花蓮親子は、棚から牡丹餅のように出現したキムに感謝した。
しかもキムは記憶力が良いのか、雑用だけでなく料理作りもすぐに覚え手伝えるようになった。
そんなキムに対して、花蓮は感謝の気持ちだけでなく、不思議な感情が心の中に芽生えていくのに戸惑っていた。
生粋の日本人の母が朝鮮人の父と離婚した後、母は女手一つで花蓮と弟を育てていたが、その苦労を幼いころから見ていた花蓮は、高校のころからバイトをして母を助けた。
その頃から言い寄ってくる男性は数多かったが、花蓮は全く相手にしなかった。はっきり言って相手にしている暇がなかった。
大学受験が迫った冬の夜、花蓮はバイトの帰り道で、しつこく交際を求めていた男性に襲われた。
幸い通行人が大声で怒鳴って追っ払ってくれたので事なきを終えたが、その事件をきっかけにして親子で飲食店を始めた。
飲食店運営は大変だったが、2階に住めて学校から明るいうちに帰って来れるので安全だった。
だが、相変わらず言い寄ってくる男性が多いのが悩みの種だった。
まあ、気を聞かせて友人知人を引き連れて来店してくれるのはありがたかったのだが、会計時にデイトに誘われるのを断るのが心苦しかった。
中には高額貯金通帳を見せ「金には不自由させないから結婚してくれ」と言い寄る男性もいた。
その通帳の金額を見て(この金額なら母と弟に楽をさせられる)と心が揺れた時、母に怒られた。
「金に目が眩んだお前は朝鮮人か、日本人の娘なら愛情のない結婚をするな」
その母の厳しい言葉を心の中に刻み今日まで頑張ってきたが、生活は全然楽にならなかった。
いつの間にか年齢も27歳になり、ふと(このままで良いのか)と思う時が多くなった。
だが(とにかく弟が大学を卒業するまでは、このまま頑張るしかない)そう思っていた。
そんな花蓮の前に3歳年下のキムが現れた。
花蓮から見るとキムは、どこか頼りなかった。最初は3歳年下のせいだろうと思っていたが、どうもそれだけではないようだった。
ある日、家族の事を聞いて花蓮は、キムが何の苦労もしないで生きてきた事を知った。
裕福な家庭の長男、自分とは境遇が違う世界から来た人、そう思ったが、ではそんな人が何故自分たちを助けてくれるのかが理解できなかった。
キムが来てからあっという間に2ヶ月が過ぎた。この2ヶ月の間には年末年始があったが結局1日も休まなかった。だがキムは何一つ不満も言わず手伝ってくれた。
(裕福な家庭の長男がこれほどまでにしてくれた)いつしか花蓮は、キムに対して心を開いていた。
オープンチケットの期限が近づいた2月の末、母と弟が買い出しに行ってる時に、キムは突然花蓮に一度帰国してすぐまた来ると言った。
花蓮は驚いてキムを見た。キムは恐る恐る花蓮を抱きしめて言った。
「でも、その前に花蓮さんの気持ちを聞きたい、、、花蓮さん僕と結婚してください」
「え、、、でも私は3歳年上の売れ残りですよ、、、ご両親に反対されますよ」
「年齢なんて関係ない、、、この3ヶ月間で僕は良くわかりました。花蓮さんは素晴らしい人です。僕は花蓮さんが好きです。花蓮さんと結婚したいのです。僕と結婚してください」
キムは力いっぱい花蓮を抱きしめて唇を重ねた。花蓮は全く抵抗しなかった。
唇を離してキムはもう一度言った「花蓮さん結婚してください」
花蓮は恥ずかし気に頷いた。キムは再び唇を重ねた。
キムは一時帰国して本当に3日後の夜、また店に来た、両親と弟を伴って。
いくらなんでもこんな初対面は、、、花蓮も母も弟も面食らって言葉を失った。
「イルソンに、ありのままの花蓮さんを見て欲しいと言われましてな、それでこのような事を」と父がお座敷に座ってから韓国語で言った。
花蓮も母もその韓国語は聞き取れたが、あまりにも非常識だ。店を開けている以上、他の客を放っておいてキム家族だけに対応することはできない。
花蓮の気持ちを察したのかキムが花蓮の耳元で言った「心配しないで、忙しくなったら手伝うから」
花蓮は心の中で叫んだ(そんな問題じゃないでしょう)
食事が終わるとキムは「今夜は4人でホテルに泊まって、明日の夕方また来るから」と言って帰っていった。
その後考えたら、客の少ない曜日と時間帯を選んで来た事が分かった。どうも前々からの計画だったらしい。
その事を話すと、母は少し考えてから言った「何か月も無休だったから、明日は久しぶりに休もう」
店を閉めた後、臨時休業の貼り紙をした。
翌日の昼ころキムから「今日は休業できないかな」と電話があった。
花蓮は「既に貼り紙してます」と答えた。
「え、本当に、、、」とキムの驚いた声が聞こえ続けて「じゃあ7時に迎えに行きます。レストランで皆で食事しましょう」と喜びに溢れた声がした。
花蓮も喜んだ。
母は急きょ美容室に行って日本髪にし着物を着た。弟は面接用のスーツを着た。
そして花蓮は滅多に着ない紺色のチャイナドレスを着た。いつもは無造作に後ろで束ねていた髪も頭頂から左右に分けて垂らし、薄化粧をすると別人になった。
タクシーで迎えに来たキムは、花蓮を見て目をみはり言葉を失って立ち尽くした。
(美人なのは分かっていたが、これほどだったとは、、、これなら両親も反対できないだろう)
キムは、思わずガッツポーズをした。
キムが思った通り、レストランの席で待っていた両親と弟の前に花蓮が現れると、両親と弟は言葉を失い呆然と見とれていた。
両親と弟だけでなく、他の客もみな視線を奪われた。
この時の花蓮は本当に綺麗だった。恐らく一生で一番綺麗な時だったのだろう。そして、その時に求婚された花蓮は運が良かったのだろうか、、、。
みんなが席について料理の注文が終わった後、キムの父がおずおずと花蓮の母に言った。
「このような美しい御息女を、焼き肉の煙の中に埋もれさせておく事は人類の損失です。是非とも早急に愚息の嫁にいただきたい。
愚息では不似合いなら、愚妻は離縁するから、吾輩の妻に、痛い」
言葉が途切れたのは愚妻が渾身の力で夫をつねったらしい。しかしその愚妻も、花蓮を見つめる目は暖かかった。
料理が運ばれてきて食事が始まったが、いつどこで身につけたのか花蓮のテーブルマナーは申し分なかった。
高級レストランの雰囲気に気おくれした素振りもなく、まるで自宅でのように自然なしぐさで食事している花蓮を見て、キム家族はみな心を和ませた。
キムと花蓮の結婚に皆賛成であることを悟った父は、食後のデザートを脇にやり身を乗り出すようにして花蓮の母に言った。
「一つ重大な御願いがある、、、是非ともこの席で式の日取りを決めていただきたい」
自分が嫁ぐ時に法外なイエダンを要求された事を思い出していた花蓮の母は、小さなため息をついてから寂しげに言った。
「、、、私も娘もイエダンすら用意できません。娘の結婚はお断りします」
一瞬その場の時が止まったかのように静まり返った。臨席のコーヒーをかき混ぜるスプーンの音さえ消えた。
しかしキムの父は泰然とした姿勢で言った。
「御母堂さまがイエダンの事を御存知だったとは、、、は、そうでした、御母堂さまも御辛苦な過去が、、、しかし御母堂さま、イエダンのことは一切御懸念無用です。イエダンだけではない、今後の全ての御足は我が家が御用立てする」
そこまで言ってからキムの父は、視線を移して花蓮の顔を眩し気に見ながら言った。
「愚息との結婚については全て吾輩が責任を持つ。花蓮さんは御身一つで愚息に嫁いでくだされ。愚息と我が金一族は必ず花蓮さんを幸せにして差し上げる」
キムの父にここまで言われては、花蓮の母に返す言葉はなかった。母は居ずまいを正してから小さく頭を下げ「尊宅に全て御任せ致します」と言った。
キムの父もうやうやしく頭を下げ「感謝の極み」と言ってから、キムに向かって「お前も頭を下げろ」と目配せした。
キムがお辞儀をし終えると「では5月吉日にソウルで挙式、日時は後日改めてご連絡いたします」といってから急にくつろいだ表情になり、花蓮の母に向かって「乾杯をしたいのですが、飲み物は何がよろしですかな」と言った。
「では、アサヒビールを小ジョッキで」
キムと父は大ジョッキ、他の者は小ジョッキで乾杯した。
キム一家は翌日から京都等の観光に行った。
キムの父は、費用は全て出すから花蓮一家も一緒に観光しようと誘ったが「長く休んでは、お客様に申し訳ない」との日本人らしい花蓮の母の言葉を聞いてそれ以上は誘わなかった。
結局、店は1日休んだだけで翌日からはまたいつも通りの生活が始まった。
だが、一ヶ月後には弟が就職し、更に5月に花蓮が結婚して韓国のキムの元へ嫁げば母一人になる。母だけでは店は運営できない。
店は1年契約で8月までは期間がある。3人で相談して花蓮が結婚するまでは、とりあえず今のまま続け、5月から店員二人雇い8月で店を閉じ、その後は母は弟と一緒に暮らす予定にした。
キムも4月から父と同じ会社に就職し、アパートを引き払って自宅から自家用車で父と一緒に通勤する予定で、そうすると結婚した後、花蓮は自宅での専業主婦になるわけだが、キムは花蓮と二人だけの生活を望んでいた。
(会社は今のアパートからでも通勤可能だ、、、花蓮と二人だけの生活がしたい。
なにより古いしきたりが蔓延している自宅に、花蓮を住まわせたくない。たぶん花蓮は昔人間の母とは馬が合わないだろう。恐らく姑と嫁の醜い関係になる。それだけは避けなければ、、、)
日本から1週間ほどで帰国した後、キムはこっそり父に相談した。
韓国のしきたりを重んじる父ではあったが、妻の性格を一番知っているのも父だった。
父は腕を組み宙を睨んで考えた後で言った。
「、、、ワシの苦労を、お前の嫁にまでさせる訳にはいかんだろう、、、しかも嫁は日本人だ、、、
日本人に、あの癇癪持ちと韓国の煩わしいしきたりを押し付けるのは可哀そうだ。
分かった、お前と嫁はアパートで暮らせ。母さんの事は心配するな、ワシが説得する」
キムは飛び上がらんばかりに喜んで言った「ありがとうお父さん」
「だが休日には家に帰って来て母さんの機嫌をとれよ」
「うん、分かった、そうするよ」
ソウルでの結婚式に列席した者はみな花蓮の美しさに驚いた。
口の悪いキムの友人どもは「いつどこでこんな美人を略奪した。現行犯で逮捕してお前を刑務所にぶち込んでやる。だがその後は心配するな、嫁は俺がもらってやるからな」等と羨望と悪態の混じった冷やかしを連発した。
キムも最高に喜んだ。そしてこの喜びが一生続く事を願った。
ソウルのアパートでの新婚生活が始まった。
一緒に暮らすようになって花蓮は、キムが一生懸命に日本の歴史を調べている事を知った。
しかし何故キムは日本の歴史を調べているのだろうか。ある夜、花蓮は聞いた。
「あなた、何故日本の歴史を調べているの」
「、、、僕は本当の事を知りたいんだ。韓国の歴史教育と日本の歴史教育とどちらが正しいのか知りたい。僕は前々から、何人も『噓の歴史を基にして他国や他人を批判してはいけない』と思っていた。では本当の歴史とはどういうものだろう。先ずは本当の歴史を知らないといけない、と思うんだ。それで日本の歴史も調べている、、、でも日本語が難しくて、あ、そうか花蓮が日本語を訳してくれれば良い」
それから二人は、暇さえあれば日韓史を学び直した。
花蓮の弟にもらった学校の教科書が役に立ったが、納得いかない内容があるとネットで調べた。そうして分かった事だが、日韓史を詳しく調べれば調べるほど韓国の歴史教科書の噓が露見してきた。また日本の教科書は、近隣諸国条例のせいでか日本を卑下した内容が多かった。
花蓮は自分が学校で学んだころは気づきもしなかったが、今になって学び直してみると、日本の教科書に違和感を覚えた。それで違和感を覚えた内容についてネットで詳しく調べた。
その結果、花蓮は「自虐史観」という言葉を知り、それについて更に調べていってGHQのプレスコードにたどり着いた。
そしてプレスコードの30項目の対象カテゴリーを読んで、花蓮は愕然とした。
(知らなかった、、、戦後の日本にこのような不条理な事があったなんて、、、
特に禁止事項の8項目目「朝鮮人への批判」 これだわ。これが現在の日韓関係の諸悪の根源だわ。これがあった為に日本は、朝鮮進駐軍に日本国民を殺されようと、日本人女性を犯されようと、李承晩大統領に竹島侵略され漁民を殺されようと、韓国の歴史教科書に噓を載せられようと反抗できなかった、、、また、それを良い事に韓国は、日本に対してやりたい放題の事をした、、、
そして現在もまだ日本はその状態が続いている。だからアメリカの許可なしには竹島さえも取り返せない、、、なんということでしょう、日本は未だにアメリカの支配下なのだわ)
その夜、花蓮は会社から帰って来たキムにプレスコードについて説明した。
30項目の対象カテゴリーのグーグル翻訳を読んで、キムも顔色を変えた。
(戦後の日米間にはこんな隠し事があったのか、、、そして、こんな状態の日本に付け込んで李承晩は竹島を奪った、、、それ以外にも数々の理不尽な要求をした、、、
また、日本が無抵抗なのを良い事に、歴代大統領と韓国政府は歴史を改竄して自国民に噓の日韓史を信じ込ませ「極悪非道で加害者の日本人、善人で被害者の韓国人」のプロパガンダを作り上げ自国民を洗脳したんだ、、、)
この事に気づいたキムは、以後さらに詳しく日韓史を学び直した。そして真実の日韓史を知るに至った。
それから3年、二人は日韓史だけでなく日中史も日米史も学び尽くしていた。
会社から帰って来ての数時間しか学べないキムに比べ、家事をしている時以外の多くの時間があった花蓮の勉強量は膨大だった。
おかげで花蓮は、歴史の勉強だけでなくハングル文字も覚えた。
キムの読みたい日本の資料も、花蓮はかなり正確に韓国語に訳せるようになった。
数か月後のある日の夕方、二人は珍しく外食した。
その時隣の席の若い男女が、興奮した口調で日本製品不買の話をしていた。
「チョッパリの作った物など返品すればいいんだわ」との女性のヒステリックな声に対して男性も「まったくだ、見ただけで不愉快になる。この間のデモの時、俺はアサヒビールを道にぶちまけてやった、せいせいしたぜ」と自慢げに答えて、更に続けた。
「だいたいチョッパリの輸出規制が気に食わん、いやその前の我が国をホワイト国から外した事が許せん。戦犯国のくせに我が国を格下げするとは何様のつもりだ」
聞いていてキムは腹が立ってきた、と同時に急にアサヒビールが飲みたくなった。
キムは店員を呼び大声でアサヒビールを注文した。しかし店員は「置いてない」と言って不愉快そうに去った。一方、隣の男性は醜く顔を歪めキムを睨み、女性も見下したような目で見ていた。
一暴れしたくなっていたキムは二人を睨み返し「文句があるなら相手してやるぜ」という意思表示をした。その時、向かい合って座っていた花蓮がとっさにキムの横に座り唇を重ねた。
男女は呆気に取られて花蓮とキムを見た。
数秒後、唇を離した花蓮が一言キムに言った「ここは私に任せて」
花蓮は男女の横に仁王立ちになり、顔を真っ赤にして言った。
「私は日本人ですが、日本に対して不満があるなら私に言いなさい」
昔から、美しい女性が怒った時の顔は怖いというが、この時の花蓮の顔は本当に怖かった。
キムの睨み返した顔よりもはるかに凄みがあった。男女は思わず視線を逸らせた。
その男女に花蓮は力のこもった声でまくし立てた。
「あなたたちは本当の事を知らないのですか。日本は輸出規制などしていません。それにホワイト国から外したのには正当な理由があります。あなたたちはその理由を知っているのですか。理由も知らないで他国の悪口を言って恥ずかしくないですか」
花蓮の語気に圧倒されたのか男女は一言も発せず、すごすごと席を立って行った。
花蓮はキムの向かいに座るとコップの水を一気に飲み干した。その時にはいつもの顔になっていたが、花蓮の怒った時の顔を見てしまったキムは(花蓮は怒ると怖い)と確信した。
そこからの帰り道、花蓮がキムに言った「韓国の人たちは本当の事を知らないで騒いでいるのね」
「そうだ、、、何も知らないで、ただ感情的に騒いでいる、、、」
「何故そうなるのかしら」
「全ての根源は、噓の歴史教育をして『極悪非道で加害者の日本人、善人で被害者の韓国人』を信じ込まされたせいだ。今回の輸出規制だって、原因は韓国にあるという事など考えもしないで、ただ感情的に極悪非道の日本人がまた韓国に対して酷い事をしている、許せない、日本製品は不買しろ、と、おっと輸出規制じゃなかった、輸出管理の強化が正しい、、、
ようするに韓国人は、日韓関係上なにか不満があると、それは全て日本のせいだ日本が悪い、と結論付ける。自分たちに非があっても、それには触れないで全て日本のせいにする、、、」
「酷い話ね、、、全て日本のせい、なんて、、、」
「それもこれも根本的原因は、噓の歴史教育のせいだ、、、僕だって以前は、日本は戦犯国だ、悪い国だ、と根拠もなく漠然と思っていた、、、
でも花蓮と結婚して、いろいろ学び直して本当の歴史を知ったから、今は韓国の悪い所や韓国人の噓が解る。でも普通の韓国人は、僕たちのように本当の歴史を学んでいない。今も噓の歴史を信じ込んで『全て日本が悪い』と思っている、、、
全ての韓国人が本当の歴史を知れば、日本が悪いという理由などどこにもない、むしろ韓国人は日本に感謝しなければならないという事が解るはずなのだが、、、」
「韓国の人たちが本当の歴史を学んでくれれば良いのに、、、そうすれば日韓関係は良くなるのに、、、そうだ、あなたが本当の歴史を教えて上げれば良いわ。あなたはもう本当の歴史を知っているんだから、あなたが韓国の人たちに本当の歴史を教えて上げればいい」
「、、、僕が本当の歴史を教える、、、どうやって、、、韓国人は、自分の考えが一番正しいと考えているから、他人の言うことなど聞かないよ」
「じゃ、このまま放っておくの、、、せっかく、あなたと私は本当の歴史を知っているのに、、、
それに、あなたは言ったことがあるわ『何人も噓の歴史を基にして他国や他人を批判してはいけない』って。今の韓国の人たちは噓の歴史を基にして日本を批判しているのよ。これを放っておいて良いの」
「、、、」キムは返す言葉が出ず歩き続けた。後を追うように歩いていた花蓮は悲しげに言った。
「日本を、、、日本人を憎んでいる人たちばかりの国で、、、私は、、、子を産みたくない、、、」
花蓮のその言葉を聞いてキムは不意に立ち止まり、花蓮を力いっぱい抱きしめて言った。
「分かった、、、全ての韓国人に本当の歴史を教えよう、生まれてくる二人の子の為に、、、」
その夜から二人は、韓国人に本当の歴史を教える方法を考えた。そして数週間後、ユーチューバーになって本当の歴史を教える決心をした。
折しも日本は平成から令和に変わった年だった。
二人の最初のころの動画内容は、旅行先の出来事や日韓カップルの愛情表現についてなど、当たり障りのない内容を配信していたが、その後は日韓併合前後の歴史的事実や文大統領への批判を、韓国語と日本語字幕で配信しはじめた。
そして回を重ねるにつれ視聴回数も増えたが、反日韓国人による愚劣な脅迫コメント類も増えていった。まあ、脅迫コメント等は予想通りであり、それに怯むようなキムではなかったが、花蓮の身だけが心配だった。
まあ花蓮の事をいくら心配しても、会社に出勤している間は守りようがない。キムは神にでも祈るよりほかなす術がなかった。
だが花蓮は自身の境遇を的確に理解しているようで、食料品等の買い物は昼間の内に、しかも別人のように変装して出かけていた。
その変装ぶりを見てキムが驚いて「変装うまいね」と言うと、花蓮は微笑んで「日本で店をしてたころ何度もストーカーされてたから変装術を身につけたの、、、私の素顔を知っているのは、あなただけで良いもの」と楽しげに言った。
ユーチューバーになって1ヶ月が過ぎたころ、動画制作の為の下調べをしていた花蓮は『李承晩TV』を知り、夕食を作るのも忘れて 李承晩TVの動画を見続けてしまった。
キムが帰って来てから花蓮は慌てて夕食を作りはじめたが、今度はキムが夕食を食べるのを忘れたかのようにその動画を見続けていた。
花蓮が、区切りの良い所で強引にキムを食卓に座らせ遅い夕食を始めた。
食事をしながら花蓮が言った「あの動画主、李0薫さんは韓国の英雄だわ」
「、、、英雄」
「そうよ、英雄よ、、、今の韓国であんな動画を配信したら、反日韓国人にどんな目に合わされるかわからないわ。現に以前リンチされたり慰安婦の前で土下座させられたりしているのよ。それでも李さんは真実の歴史を国民に知らせる為に配信を続けている。
我が身の危険を冒してまでして 韓国国民に真実の歴史を知らせようとしているのよ。正に英雄だわ、勇気のある人だわ。これほどの勇気のある人が韓国人の中に居るかしら」
「、、、」キムには花蓮の言いたいことが良く分かった、しかしキムは何も言えなかった。
(李さんのような勇気が自分にもあるかどうかは分からない、しかし自分も精いっぱい真実の歴史を配信し続けよう)と、キムは決意を新たにした。
動画配信を続ければ続けるほどキムは、韓国人が如何に噓の歴史を教えられ信じ込まされてきたか、如何に噓の歴史認識を身につけているかが良く分かってきた。
それは返信コメントに如実に表れていた。
キムが真実の歴史を動画配信すると多くの韓国人が、間違った内容の反論や、反論できなくてただ感情的に罵声や脅迫コメントを返信してきた。
しかしキムは、寝る間も惜しんで一人でも多くの韓国人に、真実の歴史に基づいて回答した。
そのキムの努力の甲斐あってか真実の歴史に気づき始めた韓国人が現れてきた。
そして、真実の歴史に気づいた韓国人はみなキムに感謝した。
その感謝の気持ちのこもったコメントを読む時がキムにとっては最高の喜びだったし、更に嬉しい事に、真実の歴史を知った韓国人が、まだ噓の歴史を信じ込んでいて脅迫コメントをしているような韓国人に、キムを擁護し真実の歴史を示してくれるようになった。
キムは自分のやっている事に手ごたえを感じ、真実の歴史を知った韓国人が確実に増えているのを実感した。
翌年2月、二人は在日韓国人ユーチューバーと親しくなった。
彼もまた現在の日韓関係を憂いて、真実の日韓史等を動画配信している人だった。
自分と同じように、韓国の事を心配している人に出会えてキムは喜んだ。
「お互い、日韓のより良い未来の為に頑張りましょう」と励ましあった。
その頃から日本にも韓国にも武漢ウイルスが流行り始めた。そして数か月後、日韓ともにパンデミックになり出入国が困難になった。
しかし必要最小限度しか外出しない二人は感染しなかった。
二人は感染しなかったが、武漢ウイルスのパンデミックのせいで韓国経済はさらに悪化した。
特に個人経営の飲食店等は倒産が相次いだ。
多くの韓国人が大統領や政府の対応の不手際を批判した。
しかし大統領は大した対策を打ち出さず、当然のこと大統領の支持率が低下した。
支持率が下がった時の韓国歴代大統領の対策は、反日行為と決まっていた。不思議な事に韓国という国は、大統領が反日行為をすれば確実に支持率が上がった。
文0寅大統領も歴代大統領同様に様々な反日行為を繰り返し、国民の反日感情を煽った。
その上そんな文0寅大統領に忖度したのか数年前の大法院の徴用工に関した判決は原告勝訴、日本企業への賠償金支払いを命じていて、日本企業の資産の現金化の手続きが開始されようとしているが、文0寅大統領は何の対策もせず、国民の反日行為を傍観している上に、福島原発処理水の海洋投棄にまで反対し国民の反日デモ等を煽っている。
このような大統領のやり方は卑怯としか言いようがなく、キムは心底から腹を立てていた。
(これは昔から言われている事だが、統率力のない指導者が国民をまとめるには、共通の敵を作るのが一番手っ取り早い。
韓国国民の大半は、日本に対して敵意や反日感情を持っているから、指導者はその敵意や反日感情を刺激する発言をすれば共感を呼び支持率が上がる。
だから無能な指導者はこれを繰り返す。正に、自身の無能ぶりを公表しているかのようなものだが、韓国国民は反日行為に夢中になり、指導者の無能ぶりに気づかないのか、指導者の操り人形のように扇動されている。韓国国民もまた愚か者としか言いようがない、、、)
このような事を考えているキムは、文0寅大統領に対しても完全に失望していた。
(この大統領が居る間は、韓国は決して良くならないだろう。しかし任期はまだ2年ちかくある。
その上、2年後の次の大統領も無能だったら、、、そして、その次の大統領も無能だったら、韓国はずっと今の状態が続く、、、
いや、今の状態が続けば、韓国は信用を失い世界中から無視されて経済崩壊してしまうだろう。
、、、だが無能な人を大統領にしてきたのは韓国国民だし、有能か無能かを見抜けなかったのも韓国国民だ、、、結局、一番無能なのは韓国国民なのだろう。
だが、韓国国民は何故これほどまでに無能になったのか、、、もともと無能だったのか、昔からずっと無能だったのか、、、
韓国の、否、朝鮮の歴史、学校の教科書に書いてあるのではなく本当の歴史では、朝鮮は500年もの間、中国の属国であり、中国の使者に対してまで朝鮮国王自らが迎恩門まで行き三跪九叩頭の礼をしなければならなかった。
恐らく、使者に対して口答えすることすら許されず、求められた金品や女性までも差し出していたのだろう。朝鮮国王にとっては屈辱の極みだったに違いない。
朝鮮国王は、その屈辱のはけ口を国内の下の者に向けた。下の者に重税を課し搾り取れるだけ搾り取った。国王がその様であるなら国王の下の両班もまた、下の者から搾り取った。
その結果、朝鮮では平民も白丁も乞食同然になった。
平民が何かを作っても上に奪い取られるから、何も作らなくなり、恐らく働く意欲すら失せてしまっていただろう。
働く意欲どころか、状況を良くしょうと考える事すらしなかったのだろう、、、
そんな状態が500年も続いた、、、
何かを考える事すらしなかった状態が続き、その子孫が現代の韓国国民だとしたら、、、
何かを考える事を嫌い、学校では教えられた事を記憶するだけ。
そして記憶した事が多ければ多いほど学校の成績が良く、良い会社に入って良い生活ができると言う韓国の社会。
しかし自ら考える事を嫌う国民は、噓であれ何であれ上からの言うことを聞き従う、、、
上の者や支配者層からすれば、これほど操り易い国民はないだろう。
正に支配者層の操り人形、、、
韓国国民はこれで良いのか、、、噓の歴史を信じ込まされ、支配者層に扇動され、支配者層の意のままに操られて愚かな行為をする、、、韓国国民は、本当にこれで良いのか、、、)
キムはそのような事を考えながらも動画配信を続けていた。
動画配信を始めて1年、日本では東京オリンピックが武漢ウイルス蔓延の為に延期になったと報じられていたころ、反日韓国人から脅迫メールが届いた。
動画のコメントでの脅迫はしょっちゅうだったので慣れていたが、メールでは初めてだった。しかもその内容は「妻が日本人だからといって、日本人同様に歴史の歪曲をするな、チョッパリ妻が不幸になるぞ」というものだった。
キムは「僕の動画内容には妻が日本人だという事は関係ありません。僕は、真実の日韓史を動画配信しているだけですし、歴史の歪曲など全くしていません。
僕は何年も調べて、これが真実の日韓史だと確信したからこそ、まだ真実の日韓史を知らない人たちに教えているのです。動画内容で、もし納得できない所がありましたらコメントをください。御理解いただけるまで説明します」と返信メールを送った。
するとそれ以来メールは来なかった。その代わりに、A4コピー用紙を半折りにした脅迫文が、ドアの郵便受に入っていた。
それには「国内には真実の歴史を広められては困る人間も居る。その人間にとってお前は目ざわりなのだ。このまま続けたら美人妻が行方不明になる」と印刷されていた。
花蓮は、会社から帰って来たキムにそれを見せた。キムは顔色を変えたが、強いて平素を装いながら言った「警察に電話する」
警察に電話すると「これから伺います」と言ったが、その夜も翌日も来なかった。
その次の日、花蓮が買い物して帰って来ると、ドアの前に黒ずくめの出で立ちにサングラスを掛けた背の高い男が立っていた。
そして、機械のような無味乾燥した声で「素顔が美人なのは知っている、相変わらず変装がうまい、、、ご同行願う」と言い、花蓮の利き腕を握った。
花蓮は男の手を払いのけようとしたが、男の力が強くてできなかった。
花蓮は叫び声をあげた。ちょうどその時、数部屋隣の住人二人が帰って来て「誰だ、何をしている」と言って走り寄って来た。男は花蓮の手を放して逃げていった。
花蓮は住人に御礼を言い、部屋に入るとすぐキムに電話した。
キムは「すぐ帰る、絶対部屋から出ないように」と言って、1時間ほどして帰って来た。
キムは部屋に入るなり腹立たし気に言った「帰って来る途中で何度も警察に電話したが、誘拐未遂だと言うのに まともに相手にしてくれなかった。上からの指示かも知れない」
その後キムは、迷った末に父に電話した。
父は動画配信に反対していたから「だから言わんことではない」と怒られるだろうと思っていたが、花蓮が無事だった事を知って怒る気を無くしたのか動画配信については何も言わず「とにかく今すぐ家に来て、しばらく家に住め」と言った。
キムは同意し、急いで花蓮と食事してから必要最小限の荷物をまとめ、部屋を出ようとするとチャイムが鳴った。
キムがドアの覗き窓から見ると見知らぬ男が立っていた。チェーンを掛けたままドアを少し開いて「誰ですか、何用ですか」と聞くと男は「本当の歴史について聞きたくて来ました」と言う。
キムが仕方なくドアを開けると、男と一緒に黒ずくめの出で立ちサングラスの男3人も入って来た。
一瞬の出来事でキムは声を出す間もなかった。
黒ずくめの男の一人がサングラスを外しながら勝ち誇ったように言った。
「敵の人数確認は鉄則だが、軍隊で学ばなかったのか」
「花蓮、寝室から出るな」とキムはとっさに叫び身構えた。
「無駄だ、我々は特殊部隊出身だ、お前を殺すのは容易い、、、
だが安心しろ今回は警告だけだ、、、もう二度と動画配信するな、奥さんまで不幸になる、、、
言っておくが警察は頼りにならん、誰もお前たち二人を守ってくれん、、、分かったな、、、」
そう言うと男たちは帰って行った。
その後キムは急いでドアの鍵をかけると力が抜けたように椅子に座った。
そして、気を静めてから花蓮を呼んだ。
花蓮は寝室から出てきてキムの向かいの椅子に座ってキムの顔を見つめた。
「明日の朝、明るくなってから家に行こう」とキムは言ってから電話でその事を父に伝えた。
それからキムは下を向いて呟いた「なんて事だ、、、この国は、、、真実さえも言えないのか」
翌朝、キムはそこから出勤し、花蓮は持てるだけの荷物を持って両親の家に行った。
家は、義父も出勤していて義母だけが居た。そして義母は毎度の如く言った。
「子はまだですか、もう4年ですよ、、、病院で検査しましたか、、、まさか石女では、、、」
家を飛び出したいのを我慢して花蓮は弱々しく言った。
「検査はしました、、、私は異常ありません、、、」
「、、、」義母は何か言いたげだったが何も言わなかった。
キム、イルソンが花蓮の事を心配して別居していたが、義父も義母もイルソン夫婦と一緒に住む事を望んでいた。だからどんな経緯であれイルソン夫婦が家に帰って来たことを喜んだ。
軍役中でいない弟以外の家族で久しぶりに夕食をした後、父がイルソンに言った。
「動画配信なんて辞めてしまえ」
「、、、」キムは今の状態では口答えもできなかった。
父も反日教育で育っていたが、幼いころ祖父からよく日韓併合時代の話を聞いていたせいか、学校の歴史教育を信じていなかった。だからキムの動画内容に全く反論しなかった。
だが、動画を配信するのには反対していた。
「動画配信して何になる。今の韓国人に本当の歴史を教えても無意味だ、誰も信じまい、、、
反発され売国奴と罵られるのが関の山だ。それどころか、このような目にも遭う。
何もしない方が良い。歴史問題なんぞに関わらず、この国の中でそこそこの収入を得て不自由なく暮らせば良い。
そんな事より、子はまだか、花蓮はもう30歳を過ぎているぞ、早く作った方が良い」
(その、子の為にも韓国国民が真実の歴史を知って、良好な日韓関係を築かなければならないのです)と言いたかったが、キムは言えなかった。
キムは寝室に入ると、机の上のノートパソコンを開き電源を入れ、大きなため息をついた。
今夜は動画配信予定日だが、まだ動画も出来上がっていない。
(この家からでも配信はできるが、、、)
キムは、予定していた日本の偉人の動画を止めて、4人の男がアパートに来て脅迫されたことを動画にした。
それを終えた時、食事の後片付けを終えて花蓮が寝室に入って来たので、二人でチェックしUSBに記憶させ、それを持って数百メートルの所にある喫茶店に行き、そこのPCを使って配信した。
家に帰ってきた二人は疲れ果てていたし、既に夜中だったのですぐに眠りについた。
翌朝、父と一緒に車で出勤するキムを見送ってから花蓮はノートパソコンを開き、昨夜の動画のコメント欄を見た。
いつもよりも3時間も遅く配信したのにコメント数はいつもの倍ちかくになっていた。
そしてコメントは、キムと花蓮の身の安全を心配する内容が多かった。
中には、反日韓国人は凶暴で危険な人間も居るから、二人で日本に住んで、日本から動画配信した方が良いというコメントもあった。
花蓮もそのコメントに全く同感だった。
アパートのドアの前で待ち伏せされ腕をつかまれた時の事を思い出すとゾッとした。
(あの時、隣人が帰って来なかったら私はどこへ連れていかれたか、、、こんな国、もう嫌だ、、、
動画配信するだけなら日本でもできる、、、ファミリービザがあればキムは多分日本で働けるわ。
日本に住んで、日本から動画配信すれば良いわ。ご両親との同居も嫌だし、、、今夜相談しょう)
その夜、花蓮はキムに話した。しかしキムは賛成しなかった。キムは言った。
「二人の為の動画配信ならそれでも良い。でもこの動画は、韓国の多くの人たちの為に配信しているんだ。その中には真実の歴史を全く知らない子どもたちも居る。その子どもたちは噓の歴史を教えられる危機に瀕しているんだ。そんな子どもたちを放っておいて、二人だけ安全な所に居て動画配信するのは恥ずかしい。俺にはそんな事はできない」
キムの気持ちを理解している花蓮はそれ以上何も言えなかった。
実際キムは、動画配信するだけでなく休日等は、公園に居る子どもたちやその親に話しかけて、真実の歴史等を教えていたが、こんな事は日本に住んでいてはできない。慰安婦像撤去デモや歴史歪曲反対デモ等もできない。
(キムの気持ちは解る、しかし、、、)
韓国では、日本の新総理大臣の日韓関係改善への期待が高まっていた。
しかしキムと花蓮は、その事にはあまり関心がなかった。
家に住んで、配信場所を特定されないように毎回違う場所から動画配信するようになって数ヶ月が過ぎた。
配信場所を変えているせいか、黒ずくめの男たちは現れなかったし、脅迫メールも来なかった。
脅迫メールが来ない事にキムは違和感を持ったが(来なければ来ないに越したことはない)と思い、深くは考えなかった。
ある日の夕方、花蓮はいつもと同じように義母と買い物をして家に帰ってきて、義母が先に家に入って声もたてずに倒れ奥に運ばれた。
花蓮も気づかずに中に入って当て身を受け気を失った。
それからどれくらい経ったのか、ふと気がつくと、口にガムテープを貼られ後ろ手に縛られてソファーに寝かされていた。
聞き覚えのある男の話し声が聞こえてきた。
「以前、警告しておいたはずだ、、、我々をなめているのか、奥さんを連れて行く」
「まて、待ってくれ、、、」とキムの絶叫も聞こえた。
すぐに男が携帯電話をポケットに入れながら花蓮に近づいてきた。
花蓮は震えはじめた。目を開けていられなかった。
そんな花蓮を3人の男が抱えて裏口横に止めてあったワゴン車に乗せて走りだした。
晩秋のソウルは暗くなるのが早い。花蓮が薄目を開けて車窓の外を見ると既に暗くなっていた。
「気が付いたか奥さん、、、これから良い所に連れていってやるぜ、、、それにしても綺麗な足だな。美人は足まで綺麗なんだな、、、楽しませてもらうぜ」
そう言って横に座っていた男が花蓮の足に触った。花蓮は身震いして身体を硬直させた。
その時、前例座席に座っていた男が振り向いて怒鳴った。
「馬鹿野郎、変なことをするんじゃねえ、ボスに殺されたいのか」
横に座っていた男は弾かれたように手を引き舌打ちしてそっぽを向いた。
それから1時間ほどして車は、海に面した丘の上に建つ豪邸の駐車場に止まった。
花蓮は車から降ろされ、さっき怒鳴った男に腕を引かれて豪邸の中の、高級ホテルのスイートルームのような部屋に入れられ、口のガムテープを剥がされ、縛っていたロープを解かれた。
それから椅子に座らされ、男に「おとなしくしていろ、危害は加えん」と言われた。
花蓮が恐る恐る後ろを振り向き男を見ると、男は花蓮の後ろで直立不動していた。男のその表情からただならぬ雰囲気を感じとり花蓮も緊張した。
数分後、電動車椅子に乗った老人が入ってくると、男は敬礼し「お連れ致しました」と言った。
「うむ、ご苦労だった」
そう言ってから老人が手を振ると、男は敬礼の手を降ろしきびきびした動作で部屋から出ていった。
老人は車椅子を操作して花蓮に向かい合うと、じろりと花蓮の顔を見て言った。
「美人だのう、雪のように白い肌だ、、、ご尊父は北朝鮮出身だそうだが地名は知っているのか」
「いえ、両親は私が幼いころ離婚しましたし、父は私を嫌って遠ざけていましたから、父の事はよくわかりません」と花蓮は素直に答えた。
「ふむ、そうか、、、韓国語も達者じゃのう、、、
さて本題に入るが、奥さん、奥さんから旦那に動画配信を止めるように説得してもらいたい」
「何故ですか。全ての韓国人が真実の歴史を知るべきです」と花蓮は毅然と言った。
「、、、そうだ、理屈ではその通りだ、、、だが、今のこの国では理屈通りには行かんのだ、、、
韓国国民は、もう数年馬鹿のままで居てもらわねばならんのじゃ」
「もう数年馬鹿のままで、どういう事ですか」
「韓国国民は愚か過ぎた。民主主義などまだ理解し得なかったのじゃ、、、奥さんは国民情緒法については御存知かの」
「聞いた事はありますが詳しい内容は知りません」
「、、、これは韓国最大の悪法じゃ、国民の感情によって法律や刑罰まで変えてしまえる、、、
2015年の慰安婦合意を覚えているかの、、、あれが良い例じゃが、あの時、自称慰安婦の8割ちかくが現金支給を受け取っているが、愚かな韓国大統領はそれを無視しておる、、、
国は国民が多くなればなるほど様々な意見が出てくる。それをひとまとめにする事は不可能なんじゃ。だから多数決で半数以上が賛成した事を国民の総意とみなす、これが民主主義の基本なのじゃ。じゃから8割ちかくが現金支給を受け取った以上、慰安婦合意は韓国国民の総意としなければならんのじゃ、それが民主主義なんじゃ、、、
それを、あの馬鹿大統領は反故にしてしまいおった。あの大統領のやった事は民主主義ではない、国民情緒主義なんじゃ。そして国民情緒主義では国を治める事はできぬ。
全ての国民の感情を一つにする事など誰にもできんのじゃからの。
その事を知ってか知らずにかあの大統領は、韓国国民をバラバラにし国を弱体化させ北朝鮮に売り飛ばそうとしておる。そしてその後、外国に移住して一族だけは優雅な生活を送るつもりなんじゃろう。何と身勝手な人間じゃ、正にクズ人間としか言いようがない奴じゃ、、、
しかしそのクズ人間を大統領にしたのは韓国国民なんじゃ。愚かな愚かな韓国国民なんじゃ、、
ワシはもう韓国国民に愛想がつきた、、、韓国国民に絶望したんじゃよ。
韓国はこのまま進んで、どこの国からも無視され経済破城して滅びた方が良い。そうしなければ韓国国民は、国とはどういうものか、国民とはどうあるべきかが理解できぬ。
韓国は一度滅びた方が良いんじゃ。滅びて生まれ変わった方が良い。
じゃから、韓国国民に真実の歴史を教えたりする必要はない。放っておけば良いんじゃ。
奥さん、分かってくれたかの、、、あんたや旦那が、韓国国民の為にと思ってやってくれるのは嬉しいが、もうこの国は手遅れなんじゃ。放っておいてくれ、、、」
そこまで言われると花蓮には返す言葉もなかった。だが、その時ふとキムが「子どもたちは噓の歴史を教えられる危機に瀕している。そんな子どもたちを放っておけない」と言ったのを思い出した。
「、、、お話しは分かりました。でも夫は、子どもたちが噓の歴史を教えられるのを、とても心配していました。噓の歴史を教えられ信じ込まされた小学校低学年の子たちが数年前、日本に原爆投下する絵や日本人を銃殺する絵を描きました。その事を知って夫は『韓国人はこれで良いのか』と」
花蓮がためらいがちにそこまで言った時、不意に老人が花蓮の言葉を遮って言った。
「子どもも放っておけば良いんじゃよ、、、
その子どもたちが大人になるころにはこの国は滅びておる。そして恐らく最貧国になつて巷には乞食が溢れているじゃろう、日韓併合以前のようにな、、、
じゃが、それこそが愚かな韓国人が選んだこの国の未来なんじゃ。
自分で蒔いた種は自分で刈り取らねばならんのじゃよ。放っておくしか術がないんじゃ。
、、、貴女も、こんな国で子を育てる必要はない、日本で子を産み育てるが良い。
貴女も旦那もこの国に関わらない方が良い、、、動画配信を止めるよう旦那を説得してくれ。
なおも配信を続ければ、旦那を抹殺せよという上からの命令に、ワシとて逆らえなくなる、、、
さて、遅くなれば旦那が心配するじゃろう。部下に送らせる」
そう言った後、老人はさっきの男を呼び部屋から出ていった。
花蓮は男に促され乗用車の助手席に座らされシートベルトを付けるように言われた。
男は運転席に乗り発車させると、チラッと花蓮の腹部を見て言った。
「手荒な真似をして済まなかった、お腹、痛くないか、、、ボスの命令には逆らえないんでな、それに口で言っても来てもらえなかっただろうから、こうするより他になかったんだ」
それを聞いて花蓮は、男に急に親しみを感じた。
花蓮はいたずらぽい声で言った「お腹が痛い、とても痛い」
男は慌てて急ブレーキをかけて道路脇に停車して聞いた「本当に痛いのか」
「ええ、お腹が空き過ぎてとても痛い、どこかで食事させて」
「う、、、」男は目を白黒させて花蓮を見た。サングラスを外している男の目は澄んでいた。
そしてその目は吹き出しそうな笑みをたたえ、しかし口をとがらせ不機嫌そうに言った。
「何が食べたい」
「そうね、、、焼き肉」
数十分後、二人は小さな焼き肉屋でテーブルを挟んで座っていた。
メニューを注文し終えると男がすぐ言った。
「早く帰らなくても良いのか、旦那が心配しているんじゃないのか」
「ええ、たぶん死ぬほど心配していると思うわ、でも良いの、、、私には策があるの、、、
貴方は私のお腹を殴った罪滅ぼしに、私に協力して」
「う、、、」男はまた目を白黒させて花蓮を見た。花蓮は男の顔を見ていたずらぽく微笑んだ。
(なんて美しい笑顔なんだ)その微笑んだ花蓮の顔を見て、男は花蓮の虜になってしまった。
食事が終わって車に乗り込むと花蓮が言った「私は明日の朝帰りたいの、でも貴方はもう帰らないとダメなんでしょう。だからどこかホテルに連れていって」
「う、、、ホ、ホテルだって、、、」
「ええ、ラブホでも良いわ、でもホテル代貸してください、私お金持ってない」
「う、、、ラブホ、、、」男はまた目を白黒させて花蓮を見た。花蓮もまたいたずらぽく微笑んだ。
花蓮のその微笑を見ると男は、花蓮の言いなりになる以外に術がなかった。
ラブホはすぐに見つかった。
車の中でホテル代を借りてから花蓮は言った。
「ありがとう、必ず返しますから、名前と電話番号を教えてください」
男は紙に書き手渡した。花蓮はそれを見て「PEE、SANKIN、、、PEEさんね」と呟いてから内ポケットに入れ、PEEに握手を求めた。
PEEは面食らい、ぎこちない動作で花蓮の手を握った。途端に感電した時のような衝撃がPEEの手に走った。
(なんて柔らかくて温かい手だ)
PEEは花蓮を引き寄せ抱きしめたい衝動にかられたが何とか我慢し手を離した。
花蓮は、一人ラブホに入って行った。
(けっ、女が一人でラブホに入って行った、、、まあ、法律違反ではないが、、、
ここに男が居るのに、もったいない事を、、、それとも俺を男として認めないのか、チクショウ、、、)
PEEは未練がましく花蓮の後ろ姿を見送ってから発車させた。
翌朝5時、一睡もできなかったキムはソファーに呆然と座っていた。突然、携帯電話が鳴った。
キムは飛びつくようにして携帯電話を握り締め、送信電話番号を見たが全く知らない番号だった。
キムの脳裏に身代金要求の声がよぎったが、意外にも、そして幸運にも声の主は花蓮だった。
「あなた00公園に迎えに来て、寒くて死にそう」
「00公園、分かったすぐ行く」キムは父を起こして車を走らせた。
花蓮はラブホで古い毛布を譲り受け、歩いて10分ほどの 00公園に行った。
00公園は、ラブホからは10分ほどだが家からでは30分はかかる。花蓮は、キムたちが来るまでに公園のトイレで服や毛布を汚し、髪をバサバサにした。靴も片方をゴミ箱に捨てた。
そして汚れた毛布を頭から被って、公園入口に立ってキムたちを待った。
数分後、猛スピードの車が公園入口前で急停車し、助手席からキムが飛び出してきた。それを見て花蓮は泣きながら近づき、キムの腕に倒れ込んだ。
「花蓮、、、」
「、、、寒い、早く家に帰りたい、いえ、、、早く日本に帰りたい、、、こんな国に居たくない、、、」
「花蓮、、、とにかく家に」
キムと花蓮が後部座席に座ると車は急発進した。
家に帰ると花蓮はすぐに風呂に入った。
その間に父はキムに言った「この家に帰って来てからも動画配信を続けていたのか」
「、、、」キムは答えられなかった。そんなキムを父は更に責めた。
「その結果がこの有り様だ、、、お前は花蓮にどう詫びるつもりだ」
母が父の隣に座って父の手を引いて言った「あなた、今はやめて、、、」
キムは両親に背を向けて椅子に座ると、シャワーを使っている微かな音が聞こえるバスルームを見続けた。
昨夜、花蓮の身に何があったか、キムは想像さえもしたくなかった。だが、様々な妄想がキムの脳裏をよぎり居たたまれなくなった。バスルームに突入して花蓮を抱きしめ泣き崩れたくなった。
だがキムは辛うじてその気持ちを抑えて座り続けていた。
やがて花蓮がバスタオルを身体に巻いてバスルームから出てきて3人に気づくと、気まずげに顔を伏せ階段を上がって行った。
わずかな時間静まり返っていたが、やがて父は立ち上がって言った。
「俺は会社に行く、お前は花蓮の傍に居てやれ」
「あなた朝食できてますわよ」
「いや、いい、、、じゃ行ってくる」そう言って父は家から出ていった。
母はキムの手を握り締め、元気づけるように言った「花蓮と一緒に食事しなさい」
その時、2階の寝室から花蓮の悲鳴が聞こえた。
キムは階段を走り上がり寝室のドアを開けた。ベッドの横で花蓮がうずくまり震えていた。
「花蓮、どうした」キムは、花蓮の横に膝をつき肩に手を乗せた。
「だ、誰かが覗いている、怖い」そう言って花蓮は窓を指差した。
キムは、窓の所に行き外を見たが誰もいなかった。居るわけがない、ここは2階だ。
「誰もいないよ」そう言ってキムは、窓のカーテンを閉めて花蓮の横に座った。
すると花蓮はキムに抱きついて言った「で、でも誰かの顔が見えたの、、、怖い、、、」
その二人をドアの所で見ていた母は、何も言わず静かにドアを閉めて階下に降りて行った。
その後、花蓮は朝食もせず眠った。
ベッド脇で寝顔を見守っていたキムも、やがて階下に降りて母と一緒に食事した。
食事しながらキムは、これからどうしたら良いのか考えた。
(動画配信、止めたくはないが、しばらく休むべきか、、、休むにしても視聴者に配信しなければ)
食後キムはそぅっと寝室に入った。花蓮は静かな寝息を立てている。
(寝顔はいつもと変わりない、、、)そう思いながらキムはノートパソコンを持って寝室を出た。
昼ころ寝室からまた花蓮の悲鳴が聞こえた。キムはまた階段を走り上がって寝室に飛び込んだ。
花蓮はベッドの上にうずくまり震えていた。
キムがベッドの端に座り花蓮を抱きかかえると、花蓮は窓を指差し「誰か居る、カーテンの隙間から覗いている」と言って怯えていた。
カーテンは真ん中に確かに隙間があった。(さっき閉めていたはずだが、、、花蓮が開けたのか)
キムは念の為カーテンを開けて見た。ガラス窓は閉まっていて鍵も掛かっている。
(花蓮が開けなければカーテンが開くはずがない、、、あ、ノートパソコンを運ぶ時に電源ケーブルがカーテンを引いたのかも知れない、、、でも誰かが覗くはずはない、、、)
「心配いらないよ誰もいない。誰も覗いていない」
「で、でも怖い、、、私を一人にしないで、、、」そう言って花蓮はキムに抱きついた。
それから少し経って花蓮がか細い声で言った。
「私、日本に帰りたい、、、この国に居たくない、、、一緒に日本に行って、、、」
花蓮のその願いは、花蓮の計画通りに数週間後に叶った。
キムは韓国を離れたくなかったが、父は花蓮が精神異常者になるのではないかと心配し、しばらく日本で静養するようにと、半年間ほどの滞在費を渡してキムを同伴させた。好都合な事に部長に昇進していた父は、キムの長期休暇願いを受理する権限も持っていたし、気前も良かった。
また時期的にも幸運だった。日本は、武漢ウイルスがちょうど下火になったころで、政府が「トラベル」を奨励したりもしていて、日本入国も問題なかった。
しかし1ヶ月後には、武漢ウイルスの変異種が日本も韓国も急激に大流行し、韓国入国が困難になろうとは、この時のキムは夢にも思わなかったが。
数年ぶりに帰国した花蓮は、これも計画通りに母名義で借りてもらっていたアパートに、キムと二人で住んだ。
アパートは、母と弟が住んでいるアパートにも歩いて行けるほど近くて便利だった。
弟も就職して数年が経ち、収入もまあまあだったし、母もパートで働いていて、焼き肉屋をやっていたころよりも生活は楽になっていた。
だから花蓮が、キムとしばらく日本で暮らすと言っても、母は全く反対しなかった。
だがキムは、韓国の会社を長期休暇している事を心配していた。
不景気な今の韓国では会社都合の社員解雇が多く、しかも再就職は難しかった。特に若者の失業者が急増し社会問題になっていたが、無能な大統領も政府も、何も対策を打ち出せず、支持率低下が止まらなくなっていた。
そして支持率低下に焦った大統領がやった事は、例のごとく反日扇動。
大統領は新年の演説で、日韓関係改善へ意欲を表明したにもかかわらず、福一原発の処理水海洋投棄に反対して国民を煽っての反日政策を始めた。
日本周辺の海流や処理水濃度を全く無視した大統領と韓国国民の反日行為に、キムは呆れ果て(大統領や国民は何故これほどまでに愚かなのか、こんな事をやっている暇があるなら何故、経済対策に力を入れないのか。ソウルでさえ失業者が溢れているのが分からないのだろうか)と不満を募らせていた。
キムは、早く韓国に帰って会社に復帰したいと考えていたが、武漢ウイルス変異種の大流行で新年早々、韓国入国不可となり帰国さえもできなくなった。
キムは内心焦っていたが、花蓮になだめられ動画配信に没頭することにした。
噓までついて帰国とキムを来日させた花蓮は、日本からの動画配信であれば、キムを抹殺しょうとしている連中も手出しできないだろう、なにより日韓ともに出入国できないのだから、と思っていた。
韓国で会社勤めのかたわら動画配信していたのに比べ、日本での一日中下調べをしての動画配信は、内容がはるかに濃厚になり、視聴者数も更に増えた。
キムは、動画配信にますます没頭した。
そんなある日、二人は以前知り合った在日韓国人ユーチューバーUI氏に会いに行った。
そして情報交換をしているうちに、韓国の未来についての話になった。
「来年は大統領選挙だな。しかし次の大統領も反日だろうな」とUI氏が言った。
「はい、今の韓国では誰が大統領になっても反日政策するでしょう。そうしないと国民をまとめられません」とキムは答えた。
「だがもう日本は、以前のように韓国が反日すれば折れて金を出す日本ではなくなった。韓国が反日すればするほど無視する日本に変わった。それを理解していないと韓国はますます孤立する」
「はい、僕もそう思います。これからの韓国大統領は反日政策以外でも国民をまとめられる力がないと務まらないでしょう。経済政策にしろ外交政策にしろ強いリーダーシップを発揮できる人でないと、歴代大統領と同じになってしまいます」
「しかし、そんな大統領候補者が今の韓国に居るかね」
「来年の候補者の顔ぶれでは居ないようですね」
「では来年以降の韓国も現状維持、いや恐らく経済等は更に悪化するだろうな。暗い未来だ、、、君はいっその事このまま日本に住んだ方が良いんじゃないかね。君なら就職もできると思うよ」
「そうですね、考えてみます、、、」とキムは答えたが、このまま日本に居続けるつもりはなかった。
日本に居ては反日政策反対デモへの参加も子どもたちに本当の歴史を教える事もできない。
そんな事より一日も早く会社に復帰しないと解雇されるのではないかと焦っていた。
二人の韓国語での会話を静かに聞いていた花蓮の方に、一瞬視線を移した後でUI氏は言った。
「それはそうと以前から感じていた事だが、君の歴史認識と韓国の現状の把握は完璧だし、動画内容も本当に素晴らしい。歴史的事実や現状をよく調べているからだろうが、その資料は韓国にある資料なのかね。それとも日本の資料かね」
「両方です。古い新聞の記事等は韓国にもありますし、日本の偉人等の資料は妻がネットで探して訳してくれますので、、、動画作成の材料はいくらでもあります」
「う~ん、なるほど、、、日韓両国の資料を調べているわけか。君が知識豊富なのが良く分かった」
「知識量では妻の方が僕より上です。妻の方が長時間いろいろ調べていますから」
「ほう、奥さんの方が知識量が上」とUI氏は言って花蓮を見た。
花蓮は、はにかみながら小さく手を振って無言で否定した。
「それに動画の構成も妻の方がうまいですね。妻は僕にとって最高のディレクターです」
UI氏は感心したように花蓮を見て言った「、、、なるほど、、、」
UI氏と再会の約束をしてその日はそれで別れた。
日本での武漢ウイルスは、1月2月の大流行が3月に入って下火になり、このまま終息するかに見えたが4月半ばころからまた急増し大流行した。
巷では、春節とゴールデンウイークの旅行客によるウイルス拡散のせいではないかと疑われ、日本政府の武漢ウイルス対策への批判が、野党だけでなく与党からさえも噴出した。
5月半ばの何度目かのピークを過ぎるとやっと下火になったが、それでも一日の新規感染者が2000人前後で、こんな状況でもオリンピックを開催して良いのか、と危惧する国民が多かった。
6月末、花蓮は義父からいただいていた日本滞在費が残り少ない事をキムに話した。
キムは早く帰国する事を考えていたが、武漢ウイルスのせいで韓国入国禁止処置の解除が行われず、いつの間にか半年以上滞在していた。
幸い日本在留資格期間はまだ数ヶ月あるので心配ないが、滞在費が無くなれば生活できない。(父に無心するのも気が引ける、、、UI氏に言われたように日本で働くか、、、)
キムはUI氏に相談した。UI氏はちょっと考えてから言った。
「君は新大韓銀行の丘大真頭取を知っているかね」
「銀行の頭取ですか、いいえ知りません」キムは銀行の頭取と聞いて驚いて答えた。
「丘頭取は君の動画を見ているそうで、いつか会ってみたいと言われていたが、会ってみないかね。君を気に入ってくれたら、働き口くらい紹介してくれると思うよ」
「え、僕の動画を見てくださっている、本当ですか、会います会います。是非お会いしたいです」
「ただ新大韓銀行は韓国の銀行と違って、学歴よりも成果を重んじる成果主義銀行で、頭取自身も高卒で個性が強い方だ。嫌われないように会う前に新大韓銀行や丘頭取の事を下調べをしておいた方が良いと思う」
「わかりました、さっそく調べてみます」
「よし、では頭取へ連絡して日時等が決まれば電話するよ」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
キムは電話の後すぐに調べた。
新大韓銀行は戦後、在日韓国人によって作られた、在日韓国人専用の銀行と言っても過言ではなかった。
在日韓国人の中にはパチンコ店経営等で巨万の富を築いた人たちもいて、その人たちが合法的に利用できる銀行として大いに発展していたが、銀行員たちも賞賛に値いする働きぶりだった。
家庭が貧しく大学に行けなかったが、金融学を独学し窓口業務行員から5代目頭取まで上り詰めた丘大真頭取は、正に努力の人と周りから称えられていた。
そんな丘頭取が自分の動画を見てくれている。その事だけでもキムは嬉しかった。
しかし会って何を話せば良いのか、見当もつかなかった。
その不安を花蓮に話すと、花蓮は素っ気なく言った。
「何も考えなくて良いわ。そんな人なら、あなたが考える事くらい、すぐに見抜いてしまうわ、だから無心で会えば良いのよ。そして聞かれた事にありのままに答えれば良いわ」
数日後UI氏から電話があり、丘頭取と会う事になったが「奥さん同伴で一緒に夕食を」という事で、夜7時に高級寿司屋に行った。丘頭取の名前を告げると奥の座敷に案内された。
場違いな雰囲気の座敷に圧倒され落ち着かないキムは、横の花蓮を見て驚いた。
花蓮は、まるで我が家の部屋にでも居るように寛いだ表情で、熱いお茶に息を吹きかけながら少しずつ飲んでいた。
そのお茶が湯吞みの半分ほどになったころ、丘頭取と中年だが白髪の眼光の鋭い男性が入ってきた。
「お待たせした」韓国語でそう言ってから丘頭取と男性は向かいに座った。
キムが座ったまま一礼して自己紹介を始めようとすると、丘頭取は遮って言った。
「自己紹介はいい、動画を見て知っている、、、奥さんは、動画で見るよりずっと綺麗だ、、、
動画では気づかなかったが、直接見ると肌が雪のように白いね、まるで若いころの女優松原恵子のようだ。そう思って見るとどこか似ているようにも、、、」
今度は丘頭取の言葉を遮るように花蓮が言った。「ありがとうございます。母は松原恵子の姪です」
「なんと、そうだったか、では御母堂の旧姓は松原か」
「はい、そうです」
「う~ん、奇遇だ、、、御母堂にも会いたくなったが、今電話しては、、、」
「この時間ですと、母はもう食事は終わっています」
「そうか、、、残念だが後日にするか、、、お、それより注文を先にしょう」そう言ってから丘頭取は手を叩いて店員を呼んだ。それからキムと花蓮に「飲み物は日本酒で良いか」と聞いた。二人が「はい」と答えると、あまり聞いた事のない銘柄を注文した。
注文が終わると丘頭取はキムに言った。
「君の動画は良い。本当の歴史を言っているし、偉人を韓国人に広めるのは良い事だ。だが大多数の韓国人は動画内容を素直に認めないだろう」
「はい、よくコメントで売国奴と罵られています」
「真実を受け入れられんとは困った者たちじゃ。まあ、在日韓国人の中にもそのようなのが居るが、ネットで調べたら簡単に解るこのご時世に、自分で調べようとせず真実を配信する者を売国奴呼ばわりするとは愚かとしか言いようがない。韓国人はいつまで愚かなままでいるつもりかのう。ワシは同民族として恥ずかしいわい」
その時、日本酒とお通しが3人に配られたが、運転手なのか中年男性には大きな湯吞みだけだった。
キムが丘頭取に酒を注ごうとすると「気を遣わんでいい、みんな独酌してくれ。遠慮せず好きなだけ飲んでくれ。ワシは、韓国の為に一生懸命動画配信している君に飯を奢れて嬉しいんじゃ」と言って、自分で日本酒を注ぎ盃を持って「乾杯しょう」と言った。
3人が乾杯し終えると、丘頭取はまた独酌しお通しの焼きウニを一口食べ酒を飲んでから言った。
「酔っ払う前に聞いておくが、日本で働きたいそうだな」
「はい、本当はソウルに帰って元の会社で働きたいのですが、ウイルスのせいで帰れません。このままでは滞在費が底をつきますので」
「ふむ、そういう事だったのか。UIの話しでは就職口をと言っていたが、韓国に帰るまでの滞在費か、、、帰国はウイルス次第だが、これからオリンピックが始まって外国人が入国した後どうなるかだな。入国した外国人のせいで新たな変異種が流行ったりしなければ良いが、、、」
その時、突然「夫はずっと日本で働いた方が良いと思います。韓国は危険です」と花蓮が言った。
止めるのが間に合わなかったキムは、咎めるような眼差しで花蓮を見た。
その眼差しに気づいたのか丘頭取が怪訝そうな顔で聞いた。
「韓国が危険とは、、、何かあったのかね」
キムは花蓮を制して早口で言った「いえ、何でもありません。僕の動画に対して過剰反応する一部の韓国人に妻が怯えているだけです。僕一人で韓国に帰って働けば問題ないのです。僕一人ならどんな嫌がらせだろうと抗議だろうと耐えられます」
「妻が誘拐されてもですか」と花蓮が強い調子で言った。
キムは困った顔で花蓮に小さい声で言った「その話しはここでしてはいけない」
その時、大皿の寿司と船盛の刺身盛り合わせが運ばれてきて、話しは中断した。
店員が去った後で、丘頭取は何事もなかったかのように言った。
「さあ、遠慮しないで食べてくれ、話しは後だ」
高級寿司は普通の寿司とはネタが違うと見え美味かった。
キムは(高いだけの事はあるな)と思った。だがキムは、寿司の味よりも花蓮のことが気になった。
(花蓮は何故あの時の事をここで言い出したのか、、、もし丘頭取にあの事を聞かれたら何と答えたら良いのか、、、)
しかし丘頭取は何も聞かなかった。
70歳とは思えない旺盛な食欲で、寿司を子どものように夢中になって食べていた。
食べながら酒も飲み、既に徳利3本が空になっている。どうも酒豪のようだ。
中年男性も、お吸い物をお代わりしながら寿司と刺身をどんどん平らげている。
(豪快な食べっぷりだ、凄い)とキムは圧倒された。
やがて寿司や刺身がほぼ無くなると丘頭取は3人を見回して言った。
「どうだ満腹になったか、足りなければ、もっと注文するぞ」
3人が満足しているのを見て取って丘頭取は言った「よし、今夜の食事会はこれまで」
キムと花蓮が丁重に御礼を言うと、丘頭取は「礼なんぞ言わんで良い、おうそうじゃ、仕事口の件は数日後電話する」と言って、すぐにタクシーが2台呼ばれて、先に来た方に乗せられた。
まるで追い立てられるように。
キムと花蓮は、タクシーの中でもアパートに帰って来てからも口をきかなかった。
動画配信日でなかった事もあり、キムは先に風呂に入り、出るとすぐ眠った。
花蓮は髪を乾かしているのか中々寝床に入って来なかったが、キムが寝入った後そっと入ってきて背を向けて眠った。
翌日は何事もなかったように、また日常生活が始まった。
朝食の後キムは動画配信の下調べを始め、花蓮はコインランドリーに行った後スーパーに行き食材を買ってきた。
昼食時もいつもと変わらなかった。二人とも昨夜の続きをする気はなかったのだ。
もし続きを始めても、お互いの言い分は変わらず平行線のままだという事が分かりきっていた。
キムは「一人で韓国に帰って働きながら動画配信を続ける」と言い張り、花蓮は「韓国は危険だから、日本で働いて日本から動画配信をすれば良いじゃないの」と言い張った。
そして最後には「妻が誘拐されても良いの、それとも別居したいの」と花蓮が言って終了。
これが今までに何度も繰り返された諍い。今回も同じ。ただ今回は他人に聞かれてしまった。
(だが丘頭取は関心を示さなかった、、、)キムは内心ホッとしていた。
その丘頭取から3日後に電話があった。韓新ファイナンスに履歴書を持って面接に行けと。
指定日時に面接を受け、即刻採用決定。間違いなく丘頭取の口添えがあったとキムは確信した。
(面接会場を出たらすぐに丘頭取に御礼の電話を)と思い会場を出ると、事務員さんが「社長がお会いしたいそうです、社長室へどうぞ」と言って案内してくれた。
そして室内に入って驚いた。丘頭取と中年男性が居たのだ。
キムは、二人が並んで座っている向かいのソファーに座るように言われたが、立ったまま丘頭取に一礼して言った「御口添え、ありがとうございました」
「なに、御礼はワシではなく社長の黄君に言いなさい」と丘頭取は横の中年男性を示した。
キムは、すぐに黄社長に向かって深々と頭を下げ「採用していただきありがとうございました」と言った。黄社長は無言のまま軽く頷いた。
キムがソファーに座るとすぐ丘頭取が言った。
「君にちょっと聞きたい事があってな、、、
この間の食事会の時、奥さんが誘拐されたとか言っていたが、あれは本当かね。本当なら由々しき事だ、話を聞かせてくれ。奥さんの前では聞けなかったんでな」
キムはちょっと考え迷ったが、花蓮が「ありのままに」と言ったのを思い出し何もかも話すことにした。
「わかりました全てお話しいたします、、、
去年の秋ころ、妻と二人で住んでいたアパートに怪しい男4人が押しかけて来て、動画配信をやめろと警告されましたので、父の勧めもあり実家に住んでそこから動画配信を続けていました。
それから1ヶ月経ったころ、父と会社に居た間に、実家から妻だけが連れ去られ、翌朝ボロボロの姿で解放されました。
以来、妻は他人を怖がりノイローゼのようになったので仕方なく日本に移り住みました。
日本で半年以上経ちましたが、妻は韓国に帰ろうとしないばかりか僕一人が帰国することさえ、韓国は危険だと言って反対しています」
「なに、あの奥さんが誘拐されたのか、、、それで警察には連絡しなかったのか」
「警察には、アパートに4人が押しかけて来た時から何度も連絡しましたが、対応してくれませんでした。男の一人が『警察は頼りにならん』と言ってましたが、上からの圧力で対応しない事になっていた感じで、妻が誘拐された時も家にも来てくれませんでした」
「なにい、女性が誘拐されても警察は家にも来なかった、、、」丘頭取は本当に驚いた表情でそう言い、黄社長の方を見た。黄社長も驚いた表情で言った。
「恐らく韓国の警察を黙らせれるほどの権力者の命令でしょう、、、しかし、それほどの権力者が庶民の一動画配信者に対して、そこまでするのが腑に落ちない、、、何かおかしい、、、」
キムは、この時初めて黄社長の声を聞いたのだが、丘頭取よりもずっと若く見える黄社長の声が、物凄い嗄声なのに驚いた。キムは、黄社長は嗄声のせいで無口なのかもしれないと思った。
「全く黄君の言う通りだ、警察に圧力を掛けてまでして奥さんを誘拐するのはおかしい、、、で、奥さんは何事もなく解放されたのかね。言い辛い事を聞いて悪いが、言える範囲で言ってくれ」
「、、、妻は家に帰ってきても1週間ほどは怯えて部屋から出ようとしませんでした。いくら勧めても病院へも行こうとしませんでした。
仕方なく精神科のカウンセラーに来てもらって診断してもらいました。
カウンセラーは『薬を飲まされたのか気を失っていた時の記憶がない、その間に何をされたのか分からない。気がついたら公園のベンチに毛布に包まれ寝かされていた』という事だけ、やっと聞き出せたと言ってました。
妻はその後もノイローゼ気味で、父が、妻が精神異常者になるのを心配して、日本に一時帰国させました。日本に帰って来た後の妻は全く異常ないように見えますが、僕が韓国へ帰る話をすると途端にヒステリー気味になります。妻はもう韓国では暮らせないかもしれません」
「う~む、そうだったか、、、」そう言って丘頭取は、腕を組んで宙を睨んで考え込んだ。
そして少し経ってから言った。
「そんな状態なら、君は日本に居た方が良い。無理して韓国に帰る必要はない。ここで黄君の下で働き、動画配信も日本からすれば良い」
「いえ、それでも僕は韓国へ帰りたいのです。それはホームシック等ではなく、韓国の子どもたちの為です。韓国の子どもたちは、今なお学校や親たちや周りの人間から噓の歴史を教えられ信じ込まされています。
そして、純粋無垢だったはずの子どもたちが、日本に原爆投下する絵や日本人を銃殺する絵を描くほど、洗脳され反日に狂った人間にされているのです。僕はそれを見過ごす事はできません。
韓国の子どもたちをこれ以上反日に狂った人間にしてはいかないのです。僕は韓国に帰って、一人でも多くの子どもたちに本当の歴史を教えたのです」
「う~む、、、」と呟いた後、丘頭取はまた宙を睨んで考え込んだ。
だが、ふと時計を見て「お、いかん、もうこんな時間だ、、、ワシは出かけねばならん、、、黄君、後は頼む」と言ってせわし気に出ていった。
すると黄社長も「私も用事がある、君も帰りなさい。明後日からの仕事、頑張ってくれ」と言った。
キムは、社長室を出た。
エレベーターで1階に降り、建物から出ると途端に汗が吹き出てきた。外は物凄い暑さだった。
数日後にオリンピック開催という週明け月曜日、キムは初出社した。
キムは、企画宣伝部に配属されたが、社内会話はほぼ韓国語、しかし宣伝用のパンフレット等は日本語で作られていた。
日本語はだいぶ上達したとはいえ、顧客相手の日本語宣伝用語までは覚えておらず、キムは自分に務まるか不安になった。
だが、日本語韓国語両方堪能な社員が多いから心配要らないと言われた。
残業もほとんど無いそうで、毎日6時にはアパートに帰れる。ソウルでの生活と同じように動画配信もできる。しかもソウルの会社よりも給料が多い。花蓮と二人で日本で十分暮らせる。
(こんな好条件の日本での暮らしを捨ててでも、俺は韓国に帰るべきなのか)とキムは、帰りの電車の中で自問自答した。しかし、その答えはこの時も同じだった。
(韓国の子どもたちを放っておけない。これ以上反日に狂った韓国人を増やしてはいけない、、、
韓国の未来の為に、誰かがこれをしなければならない、、、誰もしないなら俺がするしかない、、、)
そう決意を新たにしたキムだったが、武漢ウイルスが蔓延している現状では、いつ韓国へ帰れるのか見当もつかなかった。
(しかし、これで少なくとも滞在費は確保できた、、、焦っても仕方がない。そうだUI氏へも御礼を)
駅を出るとキムはUI氏に電話して、改めて御礼を言い週末の食事に誘った。UI氏は快諾した。
オリンピックが始まりテレビニュースが賑やかになった週末、焼き肉屋でUI氏と3人で食事した。
席に着くとすぐUI氏が言った「二人ともワクチンは打ったかい」
二人ともまだだったのでキムは「まだです」と答えた。
「早く打った方が良い。そうすればマスクなしでの行動範囲を広げられるよ。こんなに暑いのにマスク装着はかなわん」
「はい、僕も調べました。マスクなしでの移動が本当に楽になります。それと、ワクチン接種後二週間経っていたら、契約等の重要案件なら韓国入国も7月1日から可能になっていました。まあ、入社したばかりの僕にはまだ重要案件は任されませんが」
「なるほど、その手があったか、確か韓新ファイナンスはソウルに支店があったな」とUI氏が言うと、花蓮は内心穏やかでなくなった。
(せっかく好条件の会社に入れて日本滞在が確定したのに、ソウル支店なんてとんでもないわ、UIさんお願い、何も言わないで、、、)と花蓮は祈りたい気分になった。
しかし、花蓮の心境など気づきもしないUI氏は「韓国は、一般人はまだまだ入国制限中だったな。
しかし一般人も二週間の隔離さえすれば入国可能じゃなかったかな」と言ってキムを見た。
キムも「いずれにしてもワクチン接種した方が良いですね」と言った。
その時、店員が来たのでキムは真っ先に「アサヒビールを」と言うと店員は「申し訳ございません。当店は酒類提供できません」と言った。
キムは驚き「えっ、本当ですか」と半信半疑で聞き返した。
店員が答える前にUI氏が言った「どうも日本政府の方針らしいが、酒類販売停止との事だ」
キムは仕方なく料理とコーラを注文した後で不満気にUI氏に言った。
「先週、丘頭取に招待された時はお酒ありましたよ」
「そうだったのか、、、しかしもしかしたらその酒、未登録の酒だったかもしれないな。丘頭取はお酒が好きだから、前もって用意させていたのかも知れない」
「そう言えば聞いたことがない名前でした、、、でも美味しかったです」
「まあな、丘頭取は美食家で有名な人だから、お酒も吟味済みだったのだろう」
「UIさんは丘頭取の事をよく知っているみたいですが、どんな御関係なんですか」
「、、、関係と言えるほど親しくはないが、マイホーム購入の時融資をお願いしたのが切っ掛けで、それから雑談していて同じ種類の犬を飼っている事がわかって、一度邸宅に招かれた事があった犬と一緒にね。それと私が動画配信するようになってからは、動画配信にも興味を持ったようだったので君の事も紹介したら、すぐに君の動画の方をよく見るようになったとか言ってたね。まあ、それだけ君の動画の方が良いという事だろう。私も君の動画には一目置いているよ」
「そうだったんですか、紹介していただきありがとうございました。おかげさまで就職もできました。せめてもの御礼に今日は腹いっぱい召し上がってください。酒類がないのが残念ですが」
「分かった、遠慮なくご馳走になるよ、、、ところでこの間の、韓国人男性との結婚を禁止する国が増えたという動画は見たかね、テレビや新聞では全く報じていないから、動画主が現地ニュースを調べて載せたんだと思うが、韓国人男性はいろいろな国で本当に嫌われているようだね、、、」
「僕はその動画はまだ見ていませんが、どんな内容だったのですか」
「韓国の農村男性が嫁不足で仕方なく発展途上国の女性を嫁に向かえたのだが、韓国式の家庭環境に女性が耐えられなかったらしい。
韓国の、特に農村部ではまだまだ男尊女卑の習慣が根強いから、嫁への虐待もあったのではないかと思われる。韓国は暴力をふるう男性が多い事は事実だからね」
「同じ韓国人として恥じ入るばかりです。でも僕は決して暴力はふるいません。大人なら話し合えば解るはずです。妻だからといって腕力で従えさせるのは間違っています」
その時、花蓮がチラッとキムを見た、嬉しそうな目で。
それを見たUI氏は、満足気な顔をして言った「お二方の事は心配していない、、、」
その時、料理が運ばれて来た。すぐに花蓮が手慣れた仕草で肉を焼きはじめた。
UI氏が焼けた肉を食べながら言った。
「パク0ネ元大統領の4大社会悪根絶は、学校内暴力、性暴力、家庭内暴力、不良食品の根絶だったかな。私は良い政策だったと思うが、今の大統領はその政策を止めてしまったのか、韓国の女性家族部による調査では、7割もの外国人妻が家庭内暴力を受けているそうだ。
これでは韓国人男性の評判が落ちて当然だね。外国人妻はたった一人で韓国に来ているわけだし、助けてくれる人も居ない。その辺の事も韓国人男性は考えてやらないと可哀そうだ。
まあ、若いころの私もそうだったのかもしれないが、韓国人男性の多くは思い遣りがないようだ。特に若いころは自分の事しか考えない。
韓国女性政策研究院の調査では、20代男性の半数が敵対的性差別意識を持っているとの結果も出ている。若い男性の女性嫌悪感情だが、結局これも自分の事しか考えないからだろうと思う。
私は55年ほど日本で生きてきて分かったが、このような心の面では韓国人は日本人に到底及ばない。日本人がよく言う思い遣りの心や労わりの心を、韓国人はもっと身につけるべきだと思うな。
まあ、その面では君は、日本人並みの心を持っているようだね。立派な事だ」
キムは褒められて悪い気はしなかったが、日本人並みという言葉に嫉妬心と同時に反感を覚えた。
(日本人はそんなに立派だと言うのか、、、)キムは少しムッとして言った。
「韓国人にも思い遣りのある人はいますし、日本人の中にも悪い人はいます」
「その通りだ、キム君。どこの国でも、良い人もいるし悪い人もいる。問題はその割合なんだよ、、
君も知っていると思うが、韓国は詐欺犯罪率が世界一だ。つまり噓つきの割合、他人を騙す人間の割合が世界一なんだよ、恥ずかしい事にね。
韓国でもし思い遣りのある人の割合が高かったなら、決して詐欺犯罪率世界一にはならなかったはずだ。何故なら、思い遣りのある人は決して他人を騙したりしない、噓をついたりしないのだから。詐欺犯罪率世界一という事実を考えただけで、韓国人の人間性さえも露見してしまううんだ。
では日本人はどうか。日本人は小さいころから『噓をついたらダメだ』と教えられ『他人の嫌がることをしてはいけない。他人の立場に立って考えなさい』と躾られて育った。
それで日本人は正直な人の割合、他人を思い遣る人の割合が高い。だから日本に来た外国人はみな、日本が好きになり、日本人は正直だ、噓をつかないと賞賛する。全く当然の結果だよ」
正にUI氏の言われる通りだった。キムは反論する言葉が見つからなかった。UI氏は更に言った。
「韓国にも思い遣りのある人は居る、君のようにね。また、親日家も居る。しかし現在の韓国では反日人間の方がはるかに多い為に、親日家は親日的発言すらできない状態だ。
または、噓つき人間が多い為に、真実を発言する人間は弾圧されている。特に、歴史的事実を発言する人間は、政府が扇動してまでして糾弾する。この事は君が一番体験しているはずだ。
もし、真実を発言する人間が国民の半数居たら、恐らく韓国はもっと良い国になっていたはずだ。少なくとも、詐欺犯罪率世界一の国にはならなかった。そうではないかね、、、
現状に至った日韓関係も全く同じだ。日本人は全く噓を言っていない。
韓国人が噓を基にして日本を貶め、噓を基にして恥知らずな要求をしているから、日本人が我慢し切れず反発しているのだよ。
慰安婦問題も徴用工問題も、韓国人が自分たちに都合が良いように勝手に作った噓の歴史を基にして日本を糾弾し不当な要求をしている。証拠も提示できないのにね。
日本人からすれば、韓国人によるそんな噓を基にした糾弾や要求の相手をする必要はどこにもないんだよ。日本は悪くない、全て韓国が悪いんだ。この事は君も理解しているだろう」
UI氏の話が途切れた時、すかさず花蓮がキムの脇腹をつつき、焼けた肉をキムの皿に乗せた。
UI氏は話しながらも食べていたが、キムはいつの間にか箸の動きが止まっていたのだ。
キムは慌てて食べはじめた。そして食べながらもUI氏の話した事を考えた。
(全くUI氏の言われる通りだ、日本は悪くない、、、俺はこの事実をもっともっと韓国人に知らせなければならない、特に子どもたちに、、、その為には、韓国に帰るべきだ、、、)
キムは早食いだった。食べ始めるとすぐに花蓮の倍ほど食べた。
3人が焼肉をほぼ食べ終わると、キムはデザートとコーヒーを注文した。
それを待っている間にUI氏が思い出したように言った「明日、動画配信するかね」
「はい、その予定です」
「私もするかな、、、オリンピックの選手村での行為とか、韓国人の目に余る非常識行為について」
(韓国人の非常識行為、、、)キムはすぐに韓国人の色々な行為を思い浮かべた。
選手村での反日的横断幕とか、福島県産食材の拒否とか、サッカー選手の握手拒否とか、そして最も非常識だと思えたのは、昨夜のオリンピック開会式の韓国のテレビ報道だ。
選手入場時にチェルノブイリ原発事故の写真や、大統領暗殺のニュースを映し出したりして世界中から批判を浴びているようだが、製作時に製作者たちは、内容について非常識だとは思わなかったのだろうか。
オリンピック以前でも、福一原発の処理水海洋投棄に反対した女学生を含めた大学生による丸刈り坊主頭行為や、ホームページに記載された竹島に対する、竹島での抗議大会等、韓国人の非常識行為は後を絶たない。
(韓国人は何故こんな非常識行為をするのか、、、)
「韓国人は本当に常識のない人が多いですね、何故このようになったんですかね」
「、、、全ては学校教育のせいだと私は考えているよ。
教育面での三大悪、韓国人選民思想、小中華思想そして、全て日本が悪いと言う反日教育。
この三つのせいで純粋無垢だった子どもたちが、反日に狂った井の中の蛙に変えられてしまっている、、、
歴史をねつ造してまで、韓国人は立派な人間だ、世界一優秀な民族だと教えられ、何事にも自分が一番だと思い込まされている。
だから周りの人はみな自分より劣っているから、周りの人の意見など聞く必要がない。自分は世界一の人間なんだ、と威張る。正に、お山の大将。周りの人から見れば馬鹿にしか見えない。
また、この世界は中国を中心にして成り立っているが、その中国の一番の家来は韓国だ。
日本や他の国は格下だ、と信じ込まされる。
その結果、韓国だけの国格と言う言葉を使ってまでして他国を下に見ようとする。
正に上か下かでしか他人を見れない、友情という言葉すら存在しなくなった韓国人、、、
反日教育については私が説明するまでもないだろう、君自身が体験者だからね、、、
私は毎日いろいろな動画を見ているが、韓国人の愚かな言動が配信されない日がない、毎日何かしらの動画配信がある。そしてその内容は、国際社会から見て非常識な行為ばかりだ。
韓国人は何故このような非常識行為をするのか、それは韓国人自身が非常識だからだ。
本人は気づいていないのだろうが韓国人自身が、国際社会の常識から免脱しているのだよ。
常に、自分が一番、自分の方が上と思い込み、謙虚さを失った人間の典型的な見本だね。嘆かわしい事だが我々は、そのような韓国人を反面教師として見る以外に対応のしようがないね」
そう言った後でUI氏はコーヒーに砂糖を入れ静かにかき回してから飲んだ。
キムもコーヒーを飲みながら、UI氏の話しの内容について考えた。
(全くUI氏の言われる通りだ、、、韓国人自体が非常識なんだ、、、)
その時、花蓮がためらいがちに聞いた。
「そんな非常識な韓国人が多い、韓国という国はこれからどうなるんでしょう」
UI氏はしげしげと花蓮を見てから言った「恐らく数年の内に経済崩壊して滅びる、、、」
花蓮はUI氏の言葉に一瞬ドキッとしたが、その時ふと、連れて行かれて会った老人の「韓国は一度滅びた方が良いんじゃ」という言葉を思い出した。そして「もうこの国は手遅れなんじゃ。放っておいてくれ、、、」という言葉も。
(やっぱり滅びるんだ、だったら放っておけば良いじゃない)花蓮がそう思った時、UI氏が言った。
「これは以前キム君も言ってたことだが、来年の大統領選挙の候補者の顔ぶれを見ても、韓国を建て直せそうな頼り甲斐のある人がいない。つまり来年大統領が代わっても、今と同じか更に悪くなる可能性が高いだろう。経済面や外交は恐らくもっと悪くなる」
「だったら、もう韓国の事は放っておいた方が、、、」と花蓮が言いかけると、キムがムッとして言った。
「韓国人として僕は放っておけないんだ。韓国は僕の祖国だし、僕は韓国人だ。滅びるのが分かっていながら、ただ眺めているなんて僕にはできない」
「、、、では君はどうするのかね、、、嫌味な質問をして申し訳ないが、君には韓国を救う方法があるのかね」
「それは、、、」キムは、悔し気に唇をかみしめ黙った。
「、、、今の韓国を救える人なんて居ないと思うよ、、、
しかし20年後の君なら、あるいは救えるかもしれない」
「えっ、、、」UI氏の言葉に驚いてキムと花蓮は一瞬顔を見合わせた。UI氏は続けて言った。
「君が今から一生懸命勉強して20年後に大統領になれば、恐らく君なら韓国を救えると思う。
君の動画を見ていて私は、君ほど韓国のことを考え心配している韓国人はいないと思った。
君のその、韓国の事を思い心配する心こそ本当の愛国心なのだよ。
他の韓国人は愛国を口にしても、君の十分の一の愛国心もないだろう。特に次回の大統領選挙立候補者の面々はね。
彼らは私腹を肥やす為に大統領になろうとしているだけで、韓国を救おうという気概さえも感じられない。こんな立候補者ではダメだ。こんな立候補者が大統領になっても韓国を救えない。
今のままだと韓国は、どこの国からも相手にされなくなり滅びるしかない。
韓国はね、大改革をしなければならないんだよ。滅びない為には大改革をして、外国から信用される国にならなければならないんだ。その為には、韓国人自身をも改革しなければならない。
改革をして、韓国人自身が噓をつかない人間にならなければいけないんだ。
噓をつかない信用できる人間。そのような韓国人が、日本人と同じくらいの割合にならないと、外国は信用してくれない。
現在の韓国は、立法も司法も行政も無茶苦茶だ、大統領直属の機関のようなものだ。だからこれらを大改革して正さないといけない。
慰安婦問題や徴用工問題の判決にしても、確固たる証拠を基にしていない。こんな馬鹿げた判決を下す裁判所は、恐らく世界中で韓国だけだろう。正に、異常国家としか言いようがない。
韓国は何としてでも、これらを正し正常にしなければならないんだ。
同時に韓国国民を再教育して噓をつかない人間にしないといけない。学校教育も改革して、子どもたちに真実の歴史を教えないといけない。
このような大改革ができるのは真の愛国心を持った大統領だけだ。そして大改革には反対や妨害が付き物だから、不屈の精神を持っていないといけない。
だが、今の韓国にそのような人物は居ない。
ただ御一方、李0薫先生なら、とも思ったが先生は大統領になる気はなさそうだ。来年立候補しなければ、その5年後では年齢的に無理だと思われる、、、
そうなると、、、君しか居ない。君が大統領になるしか、韓国を救う方法はないんだよ。
当然、今の君ではダメだ。これから、大統領になる為にはどうしたら良いのか、何を勉強したら良いのかを調べて一生懸命勉強して、一日も早く大統領になることだ。本当に韓国を救いたいならね。
まあ、それまでに韓国という国が滅びてなければ、の話だが。
いかん、長話が過ぎた。これで失礼する、、、ご馳走になった、ありがとう。また会おう」
そう言ってUI氏はさっさと帰っていった。キムと花蓮も勘定をして店を出た。
焼肉屋からの帰り道、無言で足早に歩くキムにやっと追いついて花蓮が冷やかすように言った。
「20年後の大統領、待って、、、もっとゆっくり歩いてよ、妻への思い遣りはないの」
キムは立ち止まって花蓮を見た。その顔は、口を一文字に結んで何かを一生懸命考えているようだった。普通の女性なら、そのような時は声をかけずそぅっとしておいただろうが、花蓮は違った。
「ねえ、何をそんなに考えているの、まさか本当に大統領になることを考えていたの、、、
でも、あなたが大統領になれば私はファーストレディ。最高だわ。
絶対に大統領になってね。今夜そんな夢を見るからね、、、夢は大きい方が良いわ、韓国史上最高の大統領になってね、、、それう」
その時キムが花蓮の口を手で塞いで言った「うるさい、やめろ、、、俺が大統領になれるわけないだろ、、、そんなことはお前が一番知っているだろ、、、俺のことを一番理解しているお前なら、俺が大統領になれるわけがない事くらい分かりきっているだろ、ふざけるのは止めてくれ」
「そうかしら、あなたは本当に大統領になれないって考えているの、やってもみないで」
「うっ、、、」想像すらしなかった花蓮の言葉にキムは驚いた。そして更に驚く事を聞かされた。
「いつもの、あなたらしくないわ。とにかくやってみるべきよ。調べるだけでも調べてみるべきよ、、、
韓国大統領になるには何をどうしたらいいのか、何を学べば良いのか調べるべきよ、、、
それに、、、私はUIさんが冗談で言ったとは思えないわ、、、
UIさんは頭の良い人よ。色んな事を知っている人よ。そんなUIさんがあんな事を言った、、、
たぶんUIさんは、あなたの中に普通の韓国人とは違う何かを見つけたのよ。だから、あなたにあんな事を言ったのよ、、、
私も同じ、私も初めてあなたに会った時、あなたは普通の人と違うって感じた、、、
あなたは本当に大統領になる人かもしれないわ、、、
それに、あなたは何故動画配信しているの、韓国人に本当の事を知って欲しいからでしょ。でも、その後はどうするの、、、
あなたの本当の目的は何、、、噓が蔓延している韓国の韓国人に本当の事を教えて正しい人間になってもらって、韓国という国を正しい国にしたいんでしょう。
それなら動画配信なんかより、あなた自身が政治家になり、大統領になって先導した方が良いわ」
そう言った時の花蓮の目は真剣そのものだった。怖くなるほどの強い眼差しだった。キムは思わず視線を外して空を見た。そのキムの目にビルの谷間に星空が見えた。大阪の街からでもこんなに星空が見えることにキムは驚いた。だがそれ以上にキムは、花蓮の意志の強さに驚いた。
5年も一緒に暮らしていながら、今初めて知った花蓮の一面だった。
キムは歩き始めた。その時は既に心は決まっていた。(やるだけやってみよう)
キムは大きな一歩を踏み出した。
翌日の日曜日、キムはいろいろな事を調べた。そして自分でも韓国大統領になれる事を知った。
(韓国の大統領選挙は国民投票だ、政治経験のない者でも当選する可能性がある。しかし、、、)
花蓮も家事の合間に調べていた。キムは韓国語だが花蓮は日本語で。
花蓮は既にハングル文字の読み書きができるようになっていたが、ハングル文の内容は理解し辛かった。特に同音異語の多さの為に、どう解釈して良いのか迷う文が多かった。
(今も漢字を使っていれば、もっと理解し易かったでしょうに)と花蓮は思い、日本語で調べられる内容は日本語で調べた。そして二人が調べた内容を話し合った。
「あなたの言う通りだわ、韓国の大統領選挙は国民による直接選挙だから政治経験者でなくても、国民に絶大な人気があれば大統領になれる可能性があるわ。現に次期大統領選挙立候補者のYUN候補は前検察総長で政治経験者ではないわ。
日本の総理大臣なら、国会議員当選回数が多くて、しかも与党の中の派閥トップになり党の総裁にならないと絶対になれないけど、、、」
「でも2500人以上の推薦が要る。それに当然、政治経験はあった方がいい、、、」
「その通りよ、、、先ずは市会議員になった方が良いと思うわ。それから市長、そうやって少しずつ上に行って20年後には大統領、そして私はファーストレディ、嬉しいわ、頑張ってね」
「簡単に言うね、そういうのを捕らぬ狸の皮算用って言うんだよ」
「でも、夢は大きい方が良いわ」
「、、、」
夫婦でどんな会話をしても、現実は決して甘くない。
キムは明日からも韓新ファイナンスで働くしか術はなく、韓国にいつ帰れるのかさえ分からなかった。(花蓮は俺に、こんな状態でどうやって市議会議員になれというのか)
キムは翌朝には議員になる事を諦めて出社した。
だが花蓮は、家事の合間に議員になる為の方法を熱心に調べていた。
福島県産の食材は放射能汚染されていると、根拠のない悪意のこもった嫌がらせ行為を繰り返したり、女性ゴールドメダリストの髪がショートヘアーだと言うだけでフェミニストと糾弾する韓国人男性が現われたり、相手国選手の罵声を提訴したりと、韓国人による下劣な行為が目に余ったが、何とかオリンピックも無事終わり、キムも仕事に慣れ単調な日々を送っていた。
キムは帰宅してから相変わらず動画配信を続けていたし、花蓮も暇さえあれば相変わらず調べ事をしていた。
だがキムは既に議員になる事は諦めていて、その事を思い出すことすらなかった。だから夕食の後、花蓮から「大統領になる為には御金が必要だし、熱烈な支持者も必要ね」と言われた時、一瞬キムは花蓮が何を言おうとしているのか分からなかった。
「ん、大統領になる、、、誰が、、、」
「当然あなたよ」
「俺が大統領になる、、、なれるわけがないだろ、無理だ」
「でも、あなたは韓国を救いたいんでしょう。だったら大統領にならなきゃ」
「とは言っても俺なんて無理だよ、御金はないしコネもない、無理だよ絶対に」
「そうかしら、、、でも、私には策があるわ」
「策、どんな」
「ふふふ、ひみつ、、、でも、私があなたを必ず大統領にするから」
その後キムが何度聞いても花蓮は策について話してくれなかった。そのうちキムも忘れてしまった。
それから数ヶ月が過ぎた。
キムは会社内で、新しい企画や宣伝内容のスポンサーへの売り込みの実績を上げていた。
何年も動画作成の構成を考えてきた事が役立っているのか、それとも持って生まれた素質なのか、キムは物事の説明の仕方や、話の持って行き方がうまかった。
スポンサーは、キムの話を聞いているうちにいつの間にか話に引き込まれ、話が終わるころには何が何でも契約するべきだと言う気持ちにさせられた。
就労日数の割に契約数の多いキムに驚いた黄社長は、キムを昼食に誘って言った。
「企画宣伝部での君の評価は素晴らしい。君の実績なら支店を任せられるが、来月ソウル支店に転勤してくれないか、当然奥さんも一緒に」
キムは喜んだ。しかし反面、花蓮をどう説得するか悩んだ。しかしその悩みは徒労に終わった。
キムは恐る恐る花蓮に話した。すると花蓮は「わかったわ、行きましょ、でもウイルス対策は会社の方でやってくれるんでしょうね」と事もなげに言った。
キムは驚いて聞いた「お前も一緒に行くんだぞ、いいのか」
「ええ、分かっているわ」
(韓国に行くことをあんなに反対していたのに、、、どうなっているんだ)とキムは訝しく思ったが(女心と秋の空、か、、、また気が変わらないうちに、、、)と思い、翌日から早速準備にかかった。
仁川空港に向かう飛行機の中でキムは思った。
(あれから1年か、、、あの忌まわしい出来事、、、花蓮はもう忘れてくれたのか、、、)
だが花蓮は忘れていなかった。
(私は、夫や義理の両親を騙した。でも少しも後悔していない。むしろこれから、もっともっと騙さないといけない、、、でも、それは全て夫の為、そして韓国の為、、、)
晩秋のソウルは大阪よりも寒かったが、会社が手配してくれたマンションは暖かく快適だった。
到着した翌日の夜、キムはほぼ1年ぶりにソウルから動画配信をした。
更に翌日(これでまたあの御老人から、、、)と花蓮は思ったが(それならいっそ私の方から)と考え、キムが出社した後でPEEに電話した。
「PEEさん、お久しぶりです、お元気ですか。花蓮です。お借りしてたラブホの御金をお返ししたいのですが、お会いできませんか」と花蓮は親し気に言った。
すると驚いて腰を抜かしたようなPEEの上ずった声が聞こえた。
「お、か、花蓮だ、だと、、、おま、お前は今どこに居るんだ、ボスがカンカンに怒っているぞ」
「ボスはやっぱり怒っているのね、わかったわ。私、ボスに会って謝りたい」
「な、なにい、ボスに会って謝りたいだとう、、、」
「ええ、だから迎かえに来て」
「う、うう、、、わ、わかった」
1時間後、花蓮はPEEの運転する車の助手席に座っていた。
「はい、これ、あの時の御金、ありがとうございました。それからこれ、日本のお土産、お酒は飲むんでしょう」そう言って花蓮は御金と日本酒を手渡した。
PEEは、不機嫌そうな顔をしてそれを受け取ってから言った。
「こんな事より、お前、どうする気だ、ボスはカンカンだぞ」
「分かっているわ、でも大丈夫、私には策があるわ。
それよりボスの事を教えて、ボスは朝鮮戦争の英雄なの、それともベトナム戦争」
「また、策か、まあ良い、、、ボスは朝鮮戦争の英雄だ。白将軍の下、名参謀として活躍されたそうだ。しかし戦争末期両足を失い戦線離脱。
だがボスの参謀としての頭脳に惹かれ、その後の軍人幹部は事あるごとに教えを請いに来る。
だから老いたとは言えボスは今なお軍に影響力がある。大統領と言えど、ボスをおろそかにできないのだ」
「そうか、やっぱり朝鮮戦争の英雄だったんだ、それじゃ日本語もできるんでしょ」
「できるらしいが、話しているのを俺は聞いたことがない、たぶんもう忘れているんだろう、、、
そんなことより、夫が日本でずっと動画配信してた事、どうするんだ、、、このまま逃げた方が」
「逃げるって、どこへ。貴方たちは警察をも従えているんでしょう。それに、私が逃げられても夫は逃げられないわ」
「お前だけなら俺が逃がしてやる」
そう言うとPEEは道路脇に車を止め、いきなり花蓮の手を引いて肩を抱きしめた。しかし花蓮は抵抗せずPEEのなすがままにしていた。今抵抗すれば、男性は更に理性を失う。
学生のころから様々な男性に言い寄られていた花蓮は、男性の扱いに慣れていたのだ。
「お、お前をラブホに送って以来、俺はお前の事ばかり考えるようになった、、、お前が人妻だと分かっていても、、、俺に妻子がいても、それでも俺はお前の事ばかり考えていた、、、
頼む、このまま俺と逃げてくれ。俺はお前の為ならボスをも裏切る」
「ほほほ、韓国人特有の『自分がやればロマンス、他人がやれば不倫』ね。
それでも嬉しいわ、ありがとう、でもこんなおばあちゃんでも本当にいいの、私はもう33歳よ、それに私は石女なのよ、こんな出来損ない女でも良いの、後悔するわよ、、、
それに今はダメなの、私はどうしてもボスと話がしたいのよ。どうしてもボスにお願いしたい事があるの、、、そうだわ、貴方も私の話を聞いて、、、その後でなら、、、」
PEEはしばらく花蓮の目を見つめた後、眩し気に顔をそむけてから車を発進させた。
1時間後、海辺の豪邸に着いた。1年前は夜だったので良く分からなかったが、いま見ると西洋の城ではないかと勘違いするほどの豪邸だった。主人が如何に富豪であるかが花蓮にも分かった。
花蓮はまたあの部屋に連れて行かれ、PEEはどこかへ行ってすぐ帰って来て言った。
「たぶん俺は同席させてもらえない、だからこれをポケットに入れておいてくれ、盗聴器だ」
花蓮が、大豆ほどの盗聴器をポケットに入れて少しして、ボスが電動車椅子を操作しながら入ってきた。例のごとくPEEは直立不動で「お連れ致しました」と言い、敬礼して出ていった。
ボスは花蓮の目の前に来ると雷のような声で怒鳴った。
「何故ワシの言うことを聞かなかった」
花蓮は怯まず大きな声で答えた。
「私はできる限りの事をしました。夫を日本に連れて行きました。しかし動画配信は止められなかったのです。夫は本当に韓国の子どもたちの未来を心配しているのです。夫は真の愛国者です」
「愛国者だと、それが何になる。この国は、国の為に戦った英雄でさえ親日家だと見なして弾圧する。墓さえも掘り返そうとする気違い国家だ。こんな国に愛国者など不要だ」
「しかし、そんな国でも夫は『韓国は僕の祖国だし、僕は韓国人だ。滅びるのが分かっていながら、ただ眺めているなんて僕にはできない』と言いました。
私も同じです。もし日本が滅びるのが分かったら私だって、負け犬のようにただ眺めてなど居られません。非力でも何とかしょうと思います。日本人は最後の最後まで決して諦めません。
朝鮮戦争の時、元日本軍人だった白将軍は、釜山まで追い詰められても諦めず戦い勝利しました。私も白将軍のように生きたいです」
花蓮はそこまで言ってから大きく息を吸い大声で言った「私も夫も負け犬にはなりたくないです」
「負け犬だとう、、、滅びるのを、ただ眺めているのは負け犬だと言うのか、、、」
そう言ってボスは花蓮の目を睨んだ。花蓮も睨み返した。
どれほど時間が経ったのかボスは、フッと笑みを浮かべ手を叩いて言った「テーブルと茶をくれ」
それから慈愛のこもった眼差しで花蓮を見つめて言った。
「数十年ぶりに大和撫子を見た、、、日本人も年を追うごとに欧米毛頭のように墜ちていると聞いたが、まだまだ貴女のような日本女性もいるのだな、、、
いいだろう、旦那が動画配信するのは見逃そう、だが動画配信したところで無駄だと思うぞ」
「無駄でも良いのです。動画配信は夫の未来の為の布石ですから」
「なに、未来の為の布石だと、、、どういう事だ」
「夫は20年後、この国の大統領になります、動画配信はその為の支持者集めです」
「なに、旦那が大統領になると言うのか、、、あんな若造が」
「はい、確かに今の夫は若造です。しかし歴代の大統領も元は若造でした。夫も今は若造ですが20年後は大統領です」
「、、、20年後か、、、その時までこの国が存続しているとも思えんが、、、」
「この国が滅びたならなおさら、その後を取りまとめる指導者が必要になります。夫はその指導者になります、いえ、私が必ずしてみせます」
「なに、貴女が旦那を大統領にすると言うのか」と言ってボスは、呆れたと言う目で花蓮を見た。
しかし花蓮は自信に満ちた声で言った。
「大統領になる為には、強力な指導力と熱狂的な支持者や御金が必要です。夫には既に指導力は備わっていますが、まだ支持者や御金はありません。だからそれは私が作り上げます。
私はこの国に新しい宗教を広め、教祖になります。そしてその信者100万人を目指します。
信者がそれだけ集まれば、その信者に夫を支持させ寄付をお願いすれば、夫は恐らく大統領になれます」
ボスは更に呆れ果てたと言う表情で言った「貴女が教祖になるというのか、、、」
「はい、私は、観音様の生まれ変わりとして、この国の人びとを教え導いて行きます。
この国は噓が蔓延しています。人びとはその噓を信じ込んで間違った考えを基にして生きています。私は人びとに真実を教え、人びとのその間違いを正し、正しい人間になるよう導きます。中国の法輪功のように」
「、、、」ボスは声を出せなかった。だが、、、
(途方もない事を考える女だ、、、だが、言っている事に可能性がないわけではない、、、
ワシは98歳だ、充分に生きた、もう何の望みもない、、、否、望みはあった、それはこの国を、この国の人間を、世界に通用する国に、世界から受け入れられる人間にする事だった、、、
しかしワシは、この国の人間を見てきて、それが無理だと悟った、、、だがこの女は、宗教でこの国の人間を導くと言う、、、おもしろい、、、おもしろい女だ、、、やりたいようにやらせてみるか、、、)
その時、テーブルと茶が運ばれてきた。茶は日本の緑茶のようだった。
ボスはそれを手ぶりで花蓮に勧めたが、その時二人の手が触れ合った。慌てて引っ込めようとする花蓮の手を、ボスは両手で握り、その感触を確かめるように擦りながら言った。
「柔らかくて、、、暖かくて、、、こういうのを日本では『温もり』と言うのだろうな、、、良い手だ、、、」
花蓮は、ボスのその行為に薄気味悪さを感じたが、なすがままにしていた。
やがてボスは、花蓮の手の感触を堪能したかのように、満ち足りた表情で静かに手を放し茶を一口飲んだ。それから花蓮が飲み、湯飲み茶わんを置くのを見届けてから砕けた調子で聞いた。
「女性に年齢を聞くのは失礼だが、聞かせてくれ」
「もうすぐ33歳になります」
「33歳か、そうか、若いのう、、、
ワシはもう98歳でのう、貴女と旦那が、教祖と大統領になった姿を見れないのが残念じゃ、、、
、、、人生に失敗は付きものじゃが、恐れていては何もできぬ、、、
やってみなさい。ワシはもう止めぬ。貴女の思った通りにやってみなさい」
「ありがとうございます」そう言って花蓮は微笑み一礼した。
ボスは、茶を飲み終えると「困ったことが起きたらいつでも来なさい」と言って出ていった。
そこからの帰りはまたPEEに送られた。
花蓮が助手席に座るとPEEは無言で発車させた。その時のPEEの横顔は実に気難しそうだった。
花蓮は、声をかけるべきか迷ったが「ボスに会った後でなら」と言った以上、知らぬふりはしたくなかった。花蓮は時計を見ながら言った。
「夫は6時には帰って来るの、だから、、、そうね1時間くらいなら良いわよ」
PEEは運転しながらも一瞬怖い目で花蓮を見たが、なおも走り続いた。しかし少し行って広い路肩のある所で車を止め、だが無言で前方を見続けていた。
花蓮は訝し気にPEEの横顔を見つめた。そして話しかけようとした時、不意にPEEが両手でハンドルを叩き怒ったような声で言った。
「くそ、、、お前は何て女だ、チクショウ、、、」それから花蓮の方をみて続けた。
「くそ、、、お前は何て魅力的なんだ、何て気高いんだ、、、俺の心を奪っていながらお前は俺を縛り付けた、、、くそ、、、俺はお前に指一本触れられない、、、」
花蓮が呆気にとられた顔で「え、どういう事なの、、、」と聞くとPEEは、花蓮の目を食い入るように見つめたまま悔し気に言った。
「お前とボスとの話を聞いて俺は、お前が俺とは次元が違う所に居る事を知ったんだ、、、
日本人でありながらお前は、本当に韓国の事を考えている、、、韓国をどうしても救おうと、、、
お前は、韓国の事を一生懸命考えている、、、日本人でありながら、、、
それに比べ、俺は、、、俺は、特殊部隊の人間だった、軍人だったのだ、、、しかし俺は、お前ほど韓国の事を考えたことがなかった、、、俺は、いつも自分の事ばかり考えていたのだ、、、自分の欲求を満たすことばかり自分の欲望を満たす事ばかり考えていたんだ、、、俺は、何とセコイ、何と小さい人間だ、くそ、、、俺は、自分が恥ずかしい、、、」
花蓮が、PEEの目が潤んでいるのに気づいた時、PEEは顔を背け発車させた。
それから数十分後、マンションの前に着くと、PEEはおずおずと手を差し出し握手を求めながら言った「お前が教祖様になったら、俺を信者第一号にしてくれ」
花蓮は嬉し気にPEEの手を握り締め、離した途端に飛びつくようにしてPEEの引き締まった頬に唇を押し付けた。
PEEが驚いて目を白黒させると花蓮は「今までの御礼よ」と言って最高の微笑みを見せた。
花蓮が車のドアを閉め、胸元で小さく手を振ってからマンションの中に消えると、PEEは未練を断ち切るかのように勢い良く車を発進させた。(俺は、花蓮の為なら何でもする)と心に誓いながら。
それから数ヶ月が過ぎた。
韓国ではまだまだウイルス感染者が多かったが、日本でワクチン接種をしていたためか二人は感染もせず、ソウルでの新しい生活は順調に過ぎていった。
クリスマスの夜、マンションのリビングで二人は向かい合って座り、フライドチキンを食べながらキムは1年を振り返った。
思い返せば昨年は、クリスマスも正月も日本のアパートで過ごしていた。
(心配していた花蓮のノイローゼも悪化せず、日本でUI氏や丘頭取といろいろな話ができ、良い会社までお世話してもらった。そして無事ソウルに帰って来れ、こうしてクリスマスの夜を過ごしている、、、花蓮の身にあんな事さえなければ、まあ良い1年だったと言えるのだが、、、
それにしても花蓮はあの時の事をどう思っているのか、、、聞いてみたいが聞いて、せっかく忘れようとしている辛い出来事を思い出させるのも可哀そうだ、、、)
キムがそんな事を考えていると花蓮が突拍子もない事を言い出した。
「私、来年早々にも済州島に引っ越したいの、良いでしょう」
キムは驚き、ひょうきんな声で言った「済州島、、、」
「ええ、私はいろいろ調べたの、そして考えたら済州島が一番適しているのが分かったの。
済州島は昔からの心優しい人たちが多いの。だから私が教団を創り教祖デビューするのには最適な場所なのよ」
キムはまたひょうきんな声で言った「教祖デビュー、、、」
この時のキムは、花蓮が何を考えているのかサッパリ分からず、「と、とにかく、俺に解るように説明しろ」と言うのが精いっぱいだった。
花蓮は、これから先20年間の計画を数時間かけて細かく説明し、最後に「この計画は全て、あなたを大統領にする為のものなのよ」と念を押した。
花蓮の説明を聞き終えるとキムは、腕を組み呆然と宙を見つめて考え込んだ。
(、、、何という壮大な計画だ、、、しかも計画通りに行けば、俺でも大統領になれる可能性があるように思える、、、それにしても花蓮は、、、この計画を一人だけで考えたのか、、、)
そう思った時キムは、今まで気づかなかった花蓮の思考能力の高さに驚嘆と恐怖を感じた。
だがキムは、花蓮が一人で済州島に行く事に反対した。
「危険すぎる。それに計画通りに行くとは限らない、第一お前に教祖になれる素質があるかどうかが分からない。教祖になれなかったらお前は、ただのペテン師になってしまう、俺は反対だ」
「分かったわ、じゃ私に教祖になれる素質がある事を証明できたら良いのね」
「うっ、まあ、そういう事だな」とキムは答え、心の中では(証明できるはずがない)と思っていた。
しかし花蓮は事もなげに言った「じゃ来年証明するね」
いつの間にか夜中を過ぎていて、クリスマスの夜の会話はそれで終わった。
年が明けてまたキムの仕事が始まった。
だが、運の悪い事に厳しい寒波到来で、キムは新年早々の初出社を震えながら過ごした。
夜帰って来たキムは鼻水が出、くしゃみを連発した。しかしそれでもキムは翌日も休まず出社した。だが4回目の朝、体温を計ると38度5分、とにかく会社を休ませて病院に連絡すると武漢ウイルス感染を疑われた。
花蓮が日本でワクチン接種をしている事を伝えたが、病院側からは「検査員を派遣するから、検査をして結果が分かるまで部屋から出ないように」と言われた。
それから1時間も経たないうちに完全防護服姿の検査員が来て、キムの唾液等のサンプルを採取して、帰りがけに検査結果発表は明日の朝だろうと言われた。
花蓮は困った、米以外の食材が残り少ない。それに市販の風邪薬もわずかしかなかった。
何とか近くのスーパーに行きたかったが、もし武漢ウイルス感染で外出したら、後日周りの人たちからどんな目に合わされるか分からない。
花蓮の勘では普通の風邪だと思うが、医者でもない身では断言できない。
花蓮は有り合わせの食材でおじやを作ったが高熱のキムは食べなかった。
花蓮は市販の解熱剤を飲ませ様子を見た。1時間ほど経つと汗が出てきたので、お湯に浸し良く搾った温かいタオルで全身の汗をぬぐい、再び寝かせた後で花蓮はキムの額に手を乗せ、ウイルス感染でない事と早く治る事を祈った。
するとキムは、すぐに心地よさそうに寝息をたてはじめた。
キムは、よく眠った。夕方やっと起きてトイレに行った。そして出てくると花蓮に言った。
「腹が減った、何か食べたい」
花蓮は微笑んで、すぐにおじやを温めて食べさせた。
食後、また全身をタオルでぬぐいパジャマを着替えさせて寝させた。
キムの額に手を乗せると熱は下がっているようだった。花蓮はホッとして手を離そうとするとキムが言った。
「俺が寝入るまで手を乗せていてくれ、、、お前の手は温かくて気持ちが良いんだ、、、」
花蓮が仕方なくそうしていたら、キムはすぐに寝入った。
花蓮はキムの寝顔を見つめ、心の中で(よく寝て、早く良くなってね)と声を掛けてから手を離した。
翌朝、キムは熱もなくすっかり回復していていつもと同じようだった。
しかし出社するには、ウイルス感染かどうかを確認しなければならない。
花蓮が病院に電話すると、ウイルス感染ではないと言われた。花蓮はホッとしキムは元気に出社した。
その日の夜、ベッドの中でキムが言った。
「昨日の朝、汗をぬぐって寝かせてくれた後で、お前は俺の額に手を乗せただろう。
あの時お前の手から何かが俺の頭の中に入ったように感じたが、お前はあの時、何をしたんだ」
花蓮は訝し気に言った「え、、、私は熱が下がったか調べようとして手を乗せただけよ、、、」
「、、、そうだったのか、、、」とキムは納得のいかない顔で呟くように言い花蓮を見つめた。
(、、、花蓮は本当に熱を調べる為に手を乗せただけだろうか、、、
あの時俺は、花蓮の手から何かが俺の頭の中に入ってくるのを確かに感じた。そしてその後すぐ俺は身体が宙に浮かんで揺れているような、とても安らかな気持ちになった、、、
花蓮と一緒に寝て、いつも肌が触れ合っているのに、あんな気持ちになったのは初めてだ、、、)
翌日、キムは昼休みに「手かざし」についてネットで調べてみた。
多くの人たちが手かざしについて色々な感想等を載せてあったが、共通していたのは「手から何かが入ってくるのを感じた」と言うものだった。
「個人差はあるが、かざされた手や触れられた手から何らかのエネルギーが放出されているのは確かだ」と言う意見もあった。
(花蓮の手からも、俺を癒す為の何らかのエネルギーが放出されたに違いない、、、)
キムはそう確信したが、その事を花蓮には言わないことにした。
次の休日、花蓮はキムに、教団のホームページを創りたいから手伝ってと言った。
「教団、、、」
「そう、私は韓真教と言う教団を創ることにしたの、韓国の真実を教える教団と言う意味よ。
そのホームページを創りたいのよ。ねえ、私の写真を撮って載せて、観音様のような写真」
そう言うと花蓮は鏡の前で髪を結い上げ、真っ白い浴衣のような物を着て白いベールを冠った。
観音様のような衣装は前もって用意していたようだった。
キムは言われるままに写真を撮り、ホームページに載せた。ついでに既にできている内容を読んでみた。
*韓真教団*
韓国は噓が蔓延しています。韓国は詐欺犯罪率が世界一です。英国から詐欺共和国と言う不名誉な称号さえもいただいています。
詐欺とは人を騙す事です、噓をつく事です。つまり韓国は世界一の噓つき国家であり、我々韓国国民は世界一の噓つき人間だと国際社会から見られているのです。
噓つき人間は他人から信用されません。信用されないという事は、御金を借りれません。困った時に誰も助けてくれません。
そしてこれは一個の人間だけのことではありません。企業も国も同じです。
現在の韓国は様々な問題を抱えています。
武漢ウイルスの膨大な感染者、不況による失業者の増大、出生率低下による少子高齢化、建築物や道路等の耐用年数後による劣化問題、原子力発電所の老朽化問題等数え切れないほどあります。しかし、これらの諸問題に対して外国からの救援表明があったでしょうか?。
韓国を助けようとしてくれる外国があったでしょうか?。一国もありません。噓つき国家、韓国は世界中から見放されているのです、オオカミ少年の最後のように。
この事を皆さんはどう思いますか?。
韓国には噓が蔓延し、多くの人たちは噓を真実と勘違いして信じ込んでいる方が多いです。
しかし噓は必ずバレます。そして噓がバレた後、噓をついていたその人は信用を失い、その人の人生を狂わせ、他人の生き方を狂わせ、延いては国の進路さえも狂わせてしまいます。
正に、噓は人や国にとっての諸悪の根源なのです。
皆さん、もう噓をつくのをやめませんか。そして真実を学びませんか。
韓真教団は噓をつかない人たちに、韓国の真実を教える団体です。
皆さん、韓真教団に御集まりになり、真実を知りましょう。
韓真教団では噓をつかない人たちを求めています。どうぞ御気軽に韓真教団に御集まりください。
なお韓真教団の信者になる為に御金は要りません。ただ心の中で「今後は決して噓をつかない」と誓ってください。そして、「不幸な人が少しでも幸福になれるように祈れる人間」になってください。
韓真教団の信者になる為の条件は、この二つだけです。
韓真教団や
韓国の真実について御知りになりたい事がありましたら、お気軽にご連絡ください。
韓真教団教祖 松花蓮 連絡先 00
連絡先には、ソウルのマンションの住所と花蓮の携帯電話番号とメールアドレスが載せてあった。
ホームページのこの内容を読んでキムは、花蓮が本気なのを痛感した。
キムは思った(今さら止めても花蓮は聞くまい、、、だが、花蓮の身をどうやって守るか、、、済州島にも悪い男はいっぱい居る。もし一昨年のような事が起きたら、、、)
キムは「一人でどうやって自分を守るのか」と花蓮に言った。すると花蓮は「おばあさんに変装するから大丈夫」と言って、一人で行く事に全く不安を感じていないようだった。
キムは悩んだ(どうすればいいのか、、、そうか、父に話せば良い、父は絶対に反対する)
キムは次の週末実家み行く予定にして、翌朝いつものように出社した。
花蓮はキムを送り出した後、部屋の掃除を始めた。その直後PEEから電話がかかってきた。
「ボスが危篤状態だ、今そちらに向かっている、10分ほどで着くと思う」
「え、ボスが危篤、、、」
「ああ、、、ボスは98歳だ、いつ、こうなってもおかしくない状態だった。寿命だよ」
喪服を着る時間はなかった、花蓮は着の身着のまま車に乗り込んだ。
車が走り出してすぐ花蓮は聞いた「でも、何故私に、、、」
「二代目、ボスの長男だが、二代目が言うには、ボスがまだ元気なころ遺言状を書いていて、その中に『観音様の生まれ変わりが教団を創ったら、その教団に10億ウォンを寄付する事』と書かれていたそうだ。
それで二代目は、観音様の生まれ変わりというのが、本当にお前の事なのか確認したいらしい。
とにかく金額が大きい上に、ボスとお前はたった二度会っただけだし、二代目とは会った事もない。そんなお前にボスが本当に遺言をしたのか、二代目は半信半疑のようなのだ、、、
それで、お前は本当に教団を創る気なのか」
「ええ、もう創りました。ホームページもできてます、、、でも、そんな大金、いただくわけには、、、」
「まあとにかく、ボスの臨終に、、、もう間に合わないかもしれんが、、、」
それから1時間も経たないうちに豪邸に着いた。
車から出ようとする花蓮にPEEが言った「もう呼びかけても無駄だと思うが、呼びかけるなら、ボスでなく『江参謀長』の方が良いだろう。ボスが一番気に入っていた呼ばれかただ」
「江参謀長、分かったわ」
花蓮はPEEに案内されて寝室に入って驚いた。まるで高級病室のようだった。
必要な医療機器は全て設置されているようで、ベッドの周りの大部分をそれらが占めていた。
わずかに上半身右手側のベッド脇が空いていて、そこに椅子があり、一目でボスの息子と分かる顔立ちの初老の男性が座っていた。
その男性にPEEが敬礼すると、男性は無言で立ち上がり、PEEに促されて前面に出た花蓮を蔑んだような目で見てから椅子の後ろに立った。
花蓮は軽く頭を下げてから椅子に座り、ボスの顔を見た。
ボスの顔は半目を開いているが、起きているのか眠っているのか分からなかった。花蓮には、初めて会った時の気難し気な顔に見えた。
花蓮は、毛布から出ているボスの手を両手で握り「江参謀長、花蓮です」と小声で言った。
するとその時、医療機器の表示パネルを見ていた看護師が上ずった声で言った。
「血圧上昇、脳波正常波形回復」
「なに、」そう言って医師が看護師の所へ寄り、表示パネルとボスの顔を代わる代わる見比べた。
ボスの手は冷たかった。花蓮はその時ふと、以前ボスが言った言葉を思い出した。
「柔らかくて、、、暖かくて、、、こういうのを日本では『温もり』と言うのだろうな、、、良い手だ」
花蓮は、ボスの手を自分の温もりで温めるかのようにさすっていたが、やがて静かに立ち上がり、さりげなくボスの額に手を乗せ心の中で「江参謀長、私の温もりを、、」と話しかけた。
途端に男性が「何をしているんだ」と叫んだ。
その時、ボスの口がわずかに開き、かすかな声が聞こえた。男性は驚き、花蓮を押しのけボスの口元に耳を傾けた。
「こ の 手 は、、、か ん の ん さ ま の う ま れ か わ り、、、よ く き た」とボスは途切れ途切れに言い、続けて日本語で「あ り が と う」と言って微笑み息を引き取った。
その後すぐ医師の悲痛な声が聞こえた「ご臨終です」
男性はボスの手を握り泣き崩れた。
花蓮は、ボスの眠っているような安らかな御顔を見て手を合わし、男性の後ろを回ってPEEの所へ行きPEEを突いて寝室の外に出た。
そのまま帰ろうとする所へ医師が慌ててやって来て言った「貴女は御老人に何をしたのですか」
花蓮が驚いた顔で医師を見て言った「額に手を乗せただけですけど、、、」
「う、う~ん、、、信じられない事だが、貴女がそうした時、御老人の脳波が正常になった、、、
三日間も危篤状態だったにもかかわらず、、、不思議だ、理解できない、、、」
医師はそう言うと、花蓮を懐疑的な目で見てから去っていった。
二人が車に乗り込むとPEEが言った「このまま帰って良いのか、、、遺言の件は」
「そんなものは要りません。それにあの男の人、不愉快です」と花蓮が強い調子で言った。
「あの男の人、ああ二代目の事か、、、まあな、、、大きな声では言えんが、あの人は皆に嫌われている、、、ボスの葬式が終われば俺もここを辞めるつもりだ、二代目の下に居たくないんでな」
花蓮が納得したような顔でPEEを見るとPEEは発車させながら更に言った。
「俺はボスを尊敬していたし、ボスも俺を可愛がってくれた。しかもボスは俺にいつも充分な報酬をくれた。おかげで俺はゆとりある生活ができたし、女房も子も何不自由することなく生きてこれた。
だが二代目は、ボスの財産を元手にして金融会社を始めると言う。まあ金融会社でも裏の世界との繋がりがあるから俺を必要だとは言ってくれたが、俺は二代目とは馬が合いそうにないんでな。
ボスの葬式が終わったら去るつもりだ、、、
ところで、お前は教団を創ったんだろ、俺を信者第一号にしてくれよ」
花蓮は吹き出しそうな笑顔でPEEを見て言った。
「いいわよ、でも信者になったら私を教祖様と呼ばないとダメなのよ、お前と呼んだらダメなの、それでも良いの」
「ああ、良いとも、、、だから俺を信者にしてくれ、、、信者になる為には何か儀式があるのか」
「儀式なんてないわ。でも心の中で誓って『今後は二度と噓をつかない』って。それと、不幸な人が幸福になれるように祈って。
韓国人は『溺れている犬は棒で叩け』と言うように、不幸な人を更に苦しめたり、からかったりするでしょう。そんな下劣な人は韓信教団には要りません。
私の教団の信者は、不幸な人が少しでも楽になるように、例えば、病人の為に心の中で早く良くなってください、と祈れる、優しさや思い遣りを持った人になる事を目指すのです。
信者になる為の条件はこの二つだけです」
「なるほど、、、まあ、噓をつかないというのは誓えるが、優しさや思い遣りを持った人っていうのは、俺には難しいなあ。まあ、そうなるように努力する、とは言えるが」
「それで良いのです。いきなり心を変える事はできませんから、努力することを誓うだけでも」
「よし、分かった、、、今その二つを誓った。俺は、これから韓信教団の信者だ、、、
教祖様よろしく御導きください」と、PEEは教祖様以降の言葉を神妙な声で言った。
すると花蓮も、観音様に変身したのかと思うような厳かな声で言った。
「韓信教の信者であることを認めます」
こうして車のなかで、33歳の女性教祖様と最初の信者が誕生した。
その信者が恭しく言った「教祖様の今後の御予定や計画をお教えください」
「数日後には済州島に単身引っ越して布教活動を始めます」
「なんと、単身で済州島に、、、」
「はい、引っ越して、街角で韓信教団のチラシ配りをします。そして休日は公園かどこかで集会をして韓国の真実を教え広めます」
「う、う~む、、、もうそんな計画を、、、」
その時PEEの携帯電話が鳴った。
PEEが受信スイッチを入れると「PEE、今どこにいる、あの女はどうした、すぐに連れて来い」と言う横柄な声が助手席の花蓮にも聞こえた。
「女、、、教祖様の事ですか、教祖様は今、御帰宅中です」
「帰宅中だと、いいから連れて来い」
「、、、教祖様は言われました、教祖様は誰にも命令されたくないと」
「ふざけるな、いいから連れて来い、遺言の金は要らないのかと言え」
その時、花蓮が電話の相手に聞こえるように大声で言った「そんな御金要りません」
「何だと10億ウォンが要らないというのか何」
その時PEEが電源スイッチを切った。そして花蓮に聞いた。
「本当に良いのか10億ウォンだぞ、ボスの遺言だぞ」
「かまわないわ、布教するのに御金なんて要らないから」
「ふぅ、欲のない奴だ、あ、いや、失礼いたしました教祖様、、、」
思わず花蓮は笑った。そしてPEEも、、、
マンションの部屋に帰って来て時計を見るとまだ昼前だった。冷蔵庫を開けて見ると食材も少ない。花蓮はスーパーに行って食材と昼食の弁当を買って来る事にして、ソファーに横になり少し休んだ。目を閉じるとフッとボスの安らかな顔が思い浮かんだ。
(まるで眠っているようだった。でもあの時、確かにご臨終だと言う声が聞こえた、、、
初めて人の死に立ち会った、、、ボスは、江参謀長は、、、亡くなられた、、、)
その後、ボスとの会話が思い出された。いつしか閉じた瞼から涙が流れていた。しかし花蓮はそれに気づかないまま眠っていた。
キムの会社の月に一度の土日連休、土曜日の朝、父が車で迎えに来た。
キムと花蓮が車に乗ると父が言った「ユシンも帰って来る、だから今夜は焼肉だ」
「え、弟も、、、もう軍役終わったの」
「いやまだだ、本来ならまだ半年ある。終了ではなく書類作りの為に帰って来る。上官から特殊部隊に推薦されたそうだ。ユシンはお前と違って体力がありスポーツ万能だったからな」
「特殊部隊に、、、」
その会話を横で聞いていた花蓮は、数えるほどしか会った事がない無口な弟ユシンの顔を思い出した。ユシンは確かに体格が良くスポーツ好きで、大学生の時テコンドーと柔道で大学代表に選ばれている。特殊部隊に推薦されて当然だと花蓮にも思えた。
父の話が続いた「特殊部隊に入るには親の承認が要る、書類に署名がな、それで帰って来る」
「しかし結婚はどうするの、彼女を何年も待たせたら可哀そうだよ」
「それだ、だから特殊部隊に入る前つまり半年後に式を挙げさせようと考えているんだ。だから今夜は、彼女と彼女の両親も招待している。ユシンに内緒でな、驚いたユシンの顔を早く見たいよ」
そう言って父は愉快そうに笑った。まるで自分の策略に酔っているかのように。
しかしキムは憮然として言った「そう言う事は、もっと早く言ってくれれば、、、」
「ん、どうした、何か不満でもあるのか」
「いや、何でもないよ、、、」
花蓮の済州島行きを止めてもらう謀略をしていたキムは(これじゃ話せそうにない)と落胆した。
ユシンは夕方実家に帰ってきた。
しばらく見ない間に一段と逞しくなっているように花蓮には見えた。花蓮は7歳も年下のユシンに好感を抱いていたが、8人分の料理や酒類の準備が忙しく立ち話もできなかった。
6時ころ、花蓮にとっては初対面の彼女とその両親が来た。
驚いているユシンを笑いながら両親同士の簡単な挨拶の後、宴会が始まった。
花蓮は、宴会場にはあまり顔を出さず裏方に徹した。
その夜は彼女とその両親もキム家に泊まって翌朝、朝食後にユシンと一緒に帰っていった。
ユシンは、めったに会えない彼女と少しでも長く一緒に居たかったようだ。まあ当然だろう。
ユシンたちが去った後、キムが花蓮の済州島行きについて話だそうとした時、母がまた子どもの話しを始めた。
「子はまだなのかい」
「ああ、」とキムは憮然と答えた。
「結婚して6年だよ、それに花蓮だってもう33歳だよ」
「分かっているよ、、、今そんな話はしたくない、そんな事より、」
その時、花蓮がお茶を運んできて、顔を曇らせ無言で去った。
花蓮が台所に入ったのを見届けてから父が小声で言った。
「その話は今はやめろ、、、人にはいくら言ってもどうにもならない事もある」
父の言葉で3人とも無口になった。キムは、花蓮の済州島行きの話を切り出せなくなった。
二日酔い気みだったキムは、寝室に入って眠った。
そして結局キムは、その話ができないまま花蓮と一緒にマンションに帰ってきた。
その夜ベッドの中で花蓮が思いつめた顔で言った「私たち別れた方が良いかもしれない」
実家での話を花蓮は聞いていたのだと思ったキムはとっさに言った。
「何を言い出すんだ、そんな話はやめろよ」
「、、、」花蓮はその後も考え込んでいた。
翌朝、いつもと同じようにキムを送り出してから、花蓮は荷造りをし9時ころスーツケースと手提げバッグを持ってマンションを出た。「あなたの未来の為に別れましょう」と言う書置きをして。
夜、会社から帰ってきたキムは驚き、何度も花蓮に電話したが繋がらなかった。
キムは仕方なく父に電話した。父も驚き電話を持ったまま母に向かって怒鳴った。
「お前が子どもの話しなんぞするからだ」
それからキムに「花蓮の行き先に心当たりはないのか」と聞いた。
「行き先、、、もしかして、、、」
「心当たりがあるのか」
「待って、、、調べて、後でまた電話するよ」
そのころ花蓮は、済州島西帰浦市の小さなホテルの部屋でパンをかじっていた。
ネットで予約していた週末から住む予定のアパートは、予想通りまだ入居できなかったので仕方なくこの町で一番安いホテルに入った。
花蓮は手持ちの金で、できるだけ長くこの町に住んで布教活動をするつもりだった。だから出費を抑えて生活しなければならない。無論キムに金銭的負担をかけたくなかった。電話番号もメールアドレスも変え、ホームページのも削除しておいた。当分キムからは連絡できないだろう。
翌日から花蓮の布教活動が始まった。とは言え、今できるのは韓真教のチラシ配布だけだった。
そのチラシには、韓真教団の宣伝文章と観音様のような衣装の花蓮の写真も載っていたが連絡先を削除していたので、花蓮は新しい電話番号とメールアドレスを一枚ずつ手書きした。
衣服や白髪混じりのかつらを使って、おばあさん姿になると花蓮はそのチラシを持って街角に立って通行人に配布した。
週末になりアパートに入居すると、生活に必要な最小限の物を買い揃えた。
韓国最南端の島とは言え2月始めはまだまだ寒い。花蓮は老婆向けの地味なコートも買った。これで少しくらい寒くても我慢できる。花蓮は、決意を新たにチラシ配布に専念した。
1週間ほど経つと、ぽつりぽつりと電話や質問のメールが来るようになった。
その質問に花蓮は誠心誠意対応した。
メールをくれた人の中には「チラシには韓国の真実を教えるとあるが、では今の韓国には噓があると言うのか」と言う嬉しい質問があったので、花蓮は韓国の噓だらけの現状を資料を添えて返信した。すると質問者は、非常に驚いた様子で「他にも韓国の噓があるなら教えてください」と返信をくれた。花蓮は喜んで、韓国の更なる噓を資料を基にして指摘した。
質問者は強烈なショックを受けたようだった。
メールの最後に「あなたはこの韓国の真実をどうやって知ったのか」とあったので花蓮は「私も最初は何も知らなかったが、韓国の真実を動画配信しているユーチューバーに質問したり自分で外国の資料を調べたりして知った」と答えた。すると質問者から「あなたに会ってもっともっと話を聞きたい」と、それで日曜日に公園で会う事になった。
当日、花蓮はチラシの写真と同じ格好をして公園に行った。しかし約束の時間を1時間過ぎても質問者は来なかった。ただ、休日のせいか公園内を歩いている人は多かったが。
花蓮は失望し、スマホでメールした。するとすぐ返信があった「噓つき婆め、約束の時間通りに待合場所に行ったが、綺麗な女性が居ただけでおばあさんはいなかった」
花蓮は笑いをこらえ返信した「その女性が私です、チラシの写真と同じ女性でしょう」
「う、なんと、、、では、これからもう一度行くが2時間ほどかかる、それに用事を済ませてからに、、、では午後2時でも良いですか」
「はいお待ちしています」と話は決まったが、2時までにはまだ3時間以上ある。
花蓮はそれまでに昼食をとることにした。
昼食を終え公園に向かって歩いていると急に雨が降ってきた。花蓮は目の前の病院の軒下に走り込んだ。雨宿りしながらふと病院内を見ると患者さんがいっぱいだった。
通路にもベッドが並び、ウイルス感染者なのか防護服姿の医師たちが忙し気に歩き回っていた。
花蓮は何故かじっとしていられなくなり通路に入った。そして夢遊病者のように一人一人の額に手を乗せて(早く良くなってください)と心の中で祈った。
通路の患者さんを終え病室に入ろうとした時「誰だ、何をしている」と医師に呼び止められた。
花蓮は振り向き「皆さんが早くよくなるように祈ってました」と正直に言い、医師の横を通り抜けてそこを去った。医師は呆然と花蓮の後ろ姿を見つめた(綺麗な人だ、、、まるで観音様のような、、、)
花蓮が軒下に帰って来て少しして雨が上がった。待ち合わせ時間にもちょうど良く、花蓮は公園に行った。すると待ち合わせ場所に中年男性が一人立っていた。
花蓮は近づき「韓真教団教祖の松花蓮です」と名乗った。
男性も「先ほどは失礼しました。二度もお越しいただきありがとうございます。
チョウハイシンと言います。よろしくお願いします」と丁重に挨拶し、その後すぐ「チラシ配布は白髪頭の老婆だったし、まさかこんな綺麗な人だとは思ってもみなかったので見過ごしてしまいました、すみません」と付け加えた。
花蓮は少し微笑んでから言った「ありがとうございます、、、さて何の話から始めましょう」
「その前に、ここでは寒くないですか、良かったら私の車の中にしませんか、軽トラで狭いですが」
「ありがとうございます。でも私は寒くありません。これ、ありますから」そう言って花蓮は手提げバッグの中からコートを取り出し羽織った。
そのコートを見たチョウは「そのコートは老婆の、、、」と言い、コートと花蓮の顔を見比べた。
花蓮はバッグの中から白髪混じりのかつらも取り出して見せ、ちょっと笑って言った。
「チラシ配布の時は、おばあさんに変装しています、この国は性犯罪も多いですから」
「、、、なるほど、そうだったんですか、、、確かに貴女ほどの美人が街角に立っていたら、良からぬ考えを起こす輩も現れかねませんね。待ち合わせ場所を、通行人の多い公園にしたのも、、、」
「私も一応女性ですから、、、では、あそこのベンチに座って話ましょう」花蓮はそう言ってベンチに座った。
チョウも花蓮の横に座って、すぐに話し始めた。
「いろいろ調べているようだが、貴女は韓国の歴史教育をどう思いますか。
私は、小学生の息子が学んでいる歴史に違和感があるのです。特に日韓史に。
日韓史は正に反日教育だと感じるのです、、、
私は数年前、家族と一緒に九州を旅行しましたが、旅行先で接する日本人に感銘を受けました。日本人の方々みな本当に親切で優しいのです。
私が学校で学び、そして今息子が学んでいる『極悪非道の日本人』はどこにも居なかったのです。
それで違和感を抱き、帰って来てから日韓史を調べるようになったのですが、韓国の資料ではやはり極悪非道の日本人として載せられています。そんな折、貴女のチラシを見て興味をひかれたのです。韓国の学校教育は本当に正しいのでしょうか」
チョウの話を聞いて花蓮は即座に言った「韓国の歴史教育は大噓です」
あまりにもキッパリ言い切った花蓮にチョウは驚きを隠せない表情を浮かべた。
「韓国には噓が蔓延しています。歴史教育も大噓だらけです。特に日韓史は酷いです。
そして、日本人は決して極悪非道ではありません。むしろ朝鮮半島を近代化させ、両班以下の平民や白丁が奴隷状態だったのを解放してくれた恩人なのです。
しかし両班出身の初代大統領李承晩や歴代大統領そして韓国政府によって、自分たちに都合良い『日本と戦い独立を勝ち取った』と言う大噓を広める為に、日本人の善行を真逆にして学校で教えているのです。正に日本人に対して恩を仇で返しているのです。
しかも更に卑怯な事に、歴代大統領と韓国政府は、日本人の善行が載っている書物や資料を抹消し、漢字までも禁じてそのような資料を、韓国人が調べられなくしているのです」
「、、、なるほど、、、だから私が調べても極悪非道の日本人としか載っていなかったのですね」
「はい、だから今では、韓国で調べられる書物や資料は信用できません。むしろ日本やアメリカの資料の方が正しい資料が多いのです。
今は外国語が分からなくても、グーグル無料翻訳を使えばある程度の内容は理解できますし、そうやって私も本当の歴史を学び直しました。
噓の歴史を基にして生きるのは愚か者だと私は思います。
全ての韓国人が本当の歴史を知るべきです。そして当然、学校教育も本当の歴史を教えるべきですが、全教組の強い学校では本当の歴史を言うのはまだまだ困難でしょう。
それに子どもたちは、テストで良い点数を取る為には学校で教えられた事を学ぶしかありませんが、せめて両親が本当の歴史を知って、我が子にその歴史を教えるべきです」
「、、、正に貴女の言う通りだ、、、
九州で会った日本人はみな良い人でした。そんな人を極悪非道の日本人と言うのは間違いだ、、、我々は真実を知るべきだ。韓国人は本当の歴史を知るべきだ、、、
、、、今日、貴女に会えて良かった、、、今後ともよろしくお願いします、もっともっと色々な事を教えてください、、、それと貴女は韓真教団の教祖と言われたが、、、」
「はい、私は韓真教団の教祖です。韓国の真実を教える教団の教祖です。
韓国には噓が蔓延していますし、噓つきの人が非常に多いですが、噓は諸悪の根源です。
噓をつく人は誰からも信用されなくなり孤立します。企業や国家も同じです。信用できない企業は受注できませんし、信用のない国家は他国から相手にされません。正に現在の韓国の姿です。
私は、この韓国の真実の姿を多くの人たちに教え、噓をつく事が、如何に愚かな行為であるかを知っていただこうと思って教団を設立したのです。
韓国人に欠けている事は、他にも色々ありますが、先ずは噓をつかない人間になる事が最重要課題だと思います。
一人でも多くの人たちが噓をつかない人間になるように、、、そして同時に、他人に優しい人間に、正にチョウさんが会われた日本人と同じような優しい人間になれるように、非力ですが私も努力していきたいと思います」
「、、、素晴らしい、、、素晴らしい御考えだ、、、私は危うく拍手するところでした、、、
失礼だが、貴女は私よりもかなり年下だと思うが、しかし貴女のその御考え、貴女のその御心は、私なんぞ到底足元にも及ばない、尊い、素晴らしいものだ、、、私は、貴女に賛同し貴女を支持する。そうだ、私を信者の一人に加えていただけまいか、私は貴女の教団の信者になりたい」
花蓮は観音様のような微笑みを浮かべて言った「喜んで信者にお迎えしますわ」
その日、この町での初めての信者が誕生した。
チョウ氏は個人スーパーマーケットの経営者だった。彼は韓真教団のチラシを商品宣伝チラシの横に置いてくれたし、友人知人にも広めてくれた。そのせいか急に質問者が増えた。
それでも花蓮は一日の大半をチラシ配布に使っていた。
それから数週間が過ぎた。大統領選挙が間近になり本土ではそれに関連したニュースで盛り上がっていたが、この町の人たちはあまり関心がないようだった。
そんなある日、いつものようにチラシ配布していた老婆姿の花蓮に、老人がチラシを持って息を切らせながら近づいて来て言った「是非ともチラシのこの写真の女性に会いたい」
花蓮は驚いて老人を見ると、老人は病み上がりなのか元気がなかった。しかし深刻そうな顔をしていた。何か訳がありそうに感じた花蓮は、白髪混じりのかつらを外し、手提げバッグからベールを取り出して冠って老人に見せ「その写真の女性は私ですが何か御用ですか」と聞いた。
すると老人は驚き、じろじろと花蓮を見た後で言った。
「おお、間違いなく貴女だ、、、数週間前、貴女は病院でワシを救ってくれた。今度は是非とも妻を救ってくだされ、お願いじゃ」
花蓮は訳が分からず「一体どういう事ですか、詳しく話してください」と聞いた。
「話す、話すが、できたら今すぐ一緒に病院へ行って欲しい」
「病院へ、かまいませんが、、、」
老人はタクシーを呼び止め二人は病院へ向かった。そのタクシーの中で老人は言った。
「ワシはウイルスに感染して死にそうじゃった。じゃが貴女が病院に来て、ワシの額に手を乗せ何かを入れてくれて急に元気が出た。おかげでワシは病気が治ったが今度は妻が病気になり危篤状態になった。もう医師もダメだと行っている。
ワシは、ワシを治してくれた貴女を思い出し探し回った。
どこを探しても見つからんかったが、落ちていたチラシに貴女の写真があった。そしてやっとチラシ配布している貴女に会えた、、、頼みます、貴女の力で妻を救ってくだされ、この通りじゃ」
二人は病院に入った。どういう訳かタクシー運転手もついてきた。
老人に案内され、病室で酸素マスクや点滴をされている老婆の前に立った花蓮は、無意識に手を伸ばし老婆の額に手を乗せて祈った(早く良くなってください)と、ただそれだけを。
老婆の額に手を乗せてから1時間が過ぎたが、花蓮は微動だにしていなかった。
しかし突然、花蓮は力が抜けたようにその場に倒れた。すぐに医師が花蓮を長椅子に寝かせた。
花蓮は満ち足りたような、そして安らかな寝顔だった。見ようによっては観音様に見えた。
花蓮は10分ほどで元気になり、老人に「おばあさんの手をしっかり握ってあげてください」と言って病院を出た。
その後をタクシー運転手がついてきて言った「お疲れのようだ、家まで送ってあげます」
しかし、あまり御金を使いたくなかった花蓮は、運転手の申し出を断った。すると運転手は「御金は要りません、遠慮しないでください」と言って強引とも思えるような仕草で花蓮をタクシーに乗せた。
何故か疲れを感じていた花蓮は、今日のチラシ配布を取り止め部屋に帰って休む事にしたが、食材が無くなっていたのを思い出し、運転手に言ってスーパーマーケットの前で下してもらった。
タクシー運転手は、花蓮を下した後でタクシーをスーパーの駐車場に止め、花蓮が出てくるのを待つ間に、知人の記者に携帯で電話した。
「PEIか、俺だ、ネタをやるぜ、、、よく聞いてくれ、00病院の00号室に入院している老婆について調べてみろ、、、それとその旦那の老人にについても、、、
その老人はウイルスに感染して死にそうだったが、綺麗な女性が額に手を乗せたら治ったらしい。それで老婆も治して欲しいと言って、その女性を病院に連れていった。
女性は1時間以上も老婆の額に手を乗せた後で倒れたが、もし老婆が助かったら、、、
そうだ、お前が言う通り、その女性は超能力者の可能性がある、、、
そうだ、だから担当医師らにもいろいろ聞いてみろ、、、女性の住まいは俺が調べてやる、、、」
電話を終えた運転手は、タクシーの中で花蓮が出てくるのを待ったが、大きなビニール袋をさげた老婆が一人出て来ただけで花蓮はなかなか出てこなかった。
痺れを切らした運転手はスーパーに入って見たが花蓮はいなかった。
PEI記者は00病院の医師数人に話を聞いていた。
「おばあさんの病状はまだ何とも言えません。一時はもうダメたと思い旦那さんに伝えましたが、今は持ち直しているようにもみえます。え、あの女性が額に手を乗せて良くなった、、、馬鹿らしい、額に手を乗せて病気が治るなら医者は要らない、、、え、旦那は治ったって、、、ああ、あれね、あの日は患者さんが多くて、仕方なく回復に向かっていた患者さんのベッドは通路に出したのです。そしたらその患者さんにあの女性が手を乗せた。みな回復に向かっていた患者さんです、治って当然です」
「いや、そうとも言えない、中には危ない患者さんも居た、特にあの老人は肺炎になりかけていた。あの年齢で肺炎になれば危ない」と年配の医師が担当医師の言葉を遮って言った。
担当医師は黙った。すると他の医師が言った。
「まああの女性は関係ないと思うが、通路に出したベッドの患者さんは、他の患者さんよりもちょつと治りが早かったように感じた。通路で風通しが良く、ウイルスが拡散されたせいかもしれないが」
結局PEI記者は、女性が額に手を乗せて病気を治したと言う確証は得られなかった。
その事をタクシー運転手に伝えると、運転手は残念そうに言った。
「そうだったか、残念だ、、、俺の方も彼女を見失った」
だが、老婆はそれから1週間ほどして退院した。夫の老人は、あの女性が治してくれたと確信した。
そして是非とも御礼をしたいとチラシを持って街角を探したが女性は見つからなかった。
そのころ花蓮はアパートの部屋で、新大統領の演説を聞いて落胆していた。
(真新しい内容が全くない。これでは前大統領の二の舞いだわ、、、やっぱり夫を大統領にするしかないわ、、、でも、信者数はまだ9人、メールをくれる人は多いけど、信者になりたい人は相変わらず少ない、、、済州島で千人の信者を目標にしているけど、いつになるやら、、、
そうだ、花見の季節だし、一度みんなを集めて集会を開こう)
花蓮は、桜の木の多い公園で午後から集会を開く計画を立て、その事をメールで知らせた。また集会用のチラシも作り翌日から配布した。
当日は幸い暖かく正に小春日和だった。
信者のうち7人が来てくれて、敷物を敷いたりいろいろ準備してくれた。スーパーマーケット経営者のチョウさんも、賞味期限切れが近いからもらってくれと言ってジュース等を差し入れしてくれた。
信者以外にも20人ほど来てくれて、花蓮は一人ずつ握手をし初対面の挨拶をした。
それからみんなと一緒に座って、改めて韓真教団の説明をしたり、噓をつく事は諸悪の根源であるということ等を話した。
集まった人たちは、メールで既に話の内容は理解していたが、目の前にいる花蓮から直接聞くと何故か身に染みた。みんな集会に来てよかったと思った。
花蓮の話が一応終わって、みんなからの質問を受け始めた時、公園入口の方から急ブレーキの音が聞こえ、少ししてあの老人が老婆の手を引いて現れた。
花蓮が気づき立ち上がって近づくと、老人が肩で息をしながら言った。
「やっと会えた、、、貴女に御礼を言いたくて探し回っていたが、居場所が分からなかった。さっきチラシを見つけて飛んで来た、、、貴女のおかげで妻も救われた、何と御礼を言って良いやら、、」
「奥さんも良くなられてよかったですね」と花蓮は微笑んで言った。
老婆も深々と頭を下げた。
「ワシは、貴女がワシや妻を救ってくれたと思っている。ワシも妻も、貴女の手から頭の中に何かが入ってくるのを感じたが、もしかして貴女は観音様の生まれ変わりか」
「いいえ、私ははそんな、、、」
その時、信者の一人が咳払いをするのが聞こえた。
花蓮は、みんなを放っておいた事に気がつき慌てて老人に言った。
「すみません、いま集会中ですので、、、よろしければそこにお座りになつて見ていてくださいませんか」
「集会中、、、」
「はい、チラシにも載せてありますが今、韓真教団の集会中です」そう言って花蓮は、老夫婦を敷物の空いている所に導いて座らせた。
花蓮は元居た場所に座って言った「皆さん何か質問はありませんか」
すると信者の一人が聞いた「教祖様は韓真教団を今後どうする御考えですか。何か計画がありますか」
花蓮は即座に答えた「はい、あります。信者さんが千人になれば派遣会社を始めます」
「派遣会社、、、」集まっていた全員が興味を示した。花蓮は説明を始めた。
「残念な事にこの国の、いえ、国民の最大の欠点は噓をつく事です。その為に信用がありません。会社も同じです。そして当然のことながら信用のない会社に仕事の依頼はきませんし、信用できない人は雇いません。
そんな会社や人が多い中で『噓をつかない』事をセールスポイントにした会社や人たちが現われたらどうなりますか。
当然、信用できる会社に仕事を依頼し、信用できる人たちを雇用するでしょう。
韓真教団の信者さんは噓をつきません。その、噓をつかない韓真教団の信者さんだけの会社ができ『あの会社は信用できる』という事が広まれば、仕事の依頼はどんどん増えていくでしょう。
私は、そのような韓真教団の信者さんだけの会社を作りたいのです」
集まっていた人たちからどよめきが起きた。腕を組んで「う~む」とうなる人もいた。
突然、若い男が叫んだ。
「教祖様、俺を信者にしてくれ、俺は韓真教団の信者になりたい。そして働きたい」
すると他の人たちも口々に「信者になる」と言い出し、結局その日集まっていた全員が信者になった。
それを横から見ていた老人が言った。
「ワシら夫婦も信者にしてもらえないか、、、ワシらはもう働けんが、信者になって教祖様の何かの役に立ちたい。おうそうだ、ワシら夫婦を教団の運営委員にしてくれ。
こう見えてもワシは、ここの市長を3期勤めていた。教団の運営はワシに任せてくれ」
「え、この町の市長をされていたのですか」と花蓮は驚いて言った。
「そうだ、身を引いて10年以上になるが間違いなく市長をしていた、、、市議会に知り人も多い。
それと今、思い出したが教祖様、今夜は夕食を奢らせてくだされ、妻との3人で食事しょう。
まだまだ聞きたいこともあるし、今後の教団運営についても話し合いたい」
と老人は、既に運営委員になったかのような口ぶりで言った。
花蓮は苦笑しながらも老人の申し入れを承諾し、集まっていた皆に集会終了を告げた。
公園を出ると道路脇には黒い高級車が止まっていた。老夫婦は無造作に先に乗り込んで花蓮を手招いた。こんな高級車でどこへ連れて行かれるのかと、花蓮はちょっと不安になったが、気を取り直して老夫婦の横に座った。後部座席は3人で座っても余裕のある広さだった。
花蓮が車のドアを閉めると老人が運転手に言った「家に行ってくれ」
「かしこまりました」と運転手は慇懃に答え発進させた。
車が静かに走り出すと老人が言った。
「夕食までには時間がありますので、我が家で御くつろぎくだされ」
家は、この辺り特有の石垣で囲まれた昔ながらの大きな民家だった。
玄関前に車が止まるとすぐに数人の男女が現われて、口々に「お帰りなさいませ」と言って出迎えた。その一人に老人が言った「ユンボルに応接間に来るように言ってくれ」
花蓮は応接間に通され、豪華なソファーに座らされた。向かいに老人が座りながら言った。
「妻は病み上がりで、まだ体調が良くなく少し休みたいそうだ。代わりにこの家の主、ワシの息子を呼びましたので何なりとお申し付けください、、、コーヒーとお茶、どちらがよろしいかな」
花蓮は、お茶とお冷を求めた。そして出されたお冷を一気に飲み干してから、ゆっくりお茶を味わった。その仕草を老人は目を細めて満足そうに見ていた。
数分後、老人の息子ユンボルが応接間に入ってきて、軽く頭を下げてから老人の横に座った。
息子とは言っても既に50歳は過ぎているように花蓮には見えた。つまり花蓮より年上。
年下の相手には横柄な対応をするのが当たり前のこの国だが、ユンボルは花蓮に対して低姿勢で接した。恐らく老人から色々聞かされていたのだろう。
そのユンボルが慇懃に言った。
「この度は両親ともども救っていただき感謝の極み、厚く御礼申し上げます。私は当家の主テイユンボルと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
すぐにテイ老人がユンボルの耳元で何か囁いた。するとユンボルは「教祖様、我が家でどうぞ、ごゆるりと御過ごしください」と言って座ったままだったが丁重に頭を下げた。
花蓮は内心気恥ずかしかったが、努めて平静を装って言った。
「ありがとうございます。お世話になります。私は韓真教団の教祖、松花蓮と申します」
「韓真教団、、、」
「はい、韓真教団です。韓国の真実を教える教団です」
「韓国の真実を教える?」
「はい、韓国の大多数の人びとは、韓国の真実を知りません。そのような人びとに私は、韓国の真実を教えます」この時の花蓮の言葉には気迫と自信が溢れていた。
ユンボルは訝しげに言った「私はこの国で55年生きてきましたし、この国の事はそれなりに知っているつもりだが、私が知っている事が噓だとでも、、、」
「はい、ユンボルさんの知っている事の多くが噓だと私は思います」
花蓮のその言葉を聞いてユンボルの顔の表情が険しくなった。その表情を見て取って花蓮は微笑みを浮かべて言った。
「ユンボルさんは、韓国の真実の歴史をご存知でしょうか。正かユンボルさんも、韓国は日本と戦い勝利して独立したと思っていないでしょうね」
「う、そうではないと言われるか」
「はい、それは全くの出鱈目です、大噓です。韓国は日本と戦った事など一度もありません」
ユンボルの顔が驚きの表情に変わった。花蓮はその後、韓国独立の経緯を詳しく説明し「この国の人びとは幼いころから学校等で噓の歴史を教えられ『学校が噓を教えるはずがない』と考え、噓を信じ込まされているのです。しかし韓国の真実の歴史は全く違うのです。もし私の言う事が信用できないのでしたら、どうぞ御自身で外国の資料等を調べてみてください」と付け加えた。
ユンボルは「う~む」と唸って腕を組んで宙を睨んだ。テイ老人も驚いた顔で言った。
「その話はワシも今初めて聞いた。ワシも、韓国は日本に勝って独立したと思っていたが、、、
そう言えばワシが小さいころワシの父からよく『日本人はこの国の為に良い事をいっぱいしてくれた。日本人への感謝を忘れてはいけない』と言われていたが、学校で学んだ事は『全て日本人が悪い』だった。しかし教祖様の言われる通り『学校が噓を教えるはずがない』と考えた。だからワシも噓を信じ込んでいたのだ、、、
人は一度信じた事は疑わないものだ、それが間違っていてもな、、、
だが、真実を知った以上は、真実を信じることだ、、、お前も教祖様から真実を学び直すが良い。
ところで教祖様、教祖様は苺はお好きかの、嫌いでなければ当家で栽培している取りたてのを摘んでこさせるが」
花蓮は苺と聞いて嬉しそうに言った「苺は大好きです」
テイ老人は手を叩いて使用人を呼び、苺を取りに行かせた。
その後、少しまが開いてからユンボルが言った。
「、、、教祖様、韓真教団について教えてください。韓真教団では何を教えているのですか」
「教団では、噓をつかない事と優しい人間になるよう努力しなさいと言う二つを教えています」
「え、その二つだけですか、他に教理教典とかは、、、」
「ありません、この二つだけです。しかし御考えください。この二つでさえできない人間が教理教典を学んで身につくでしょうか?
日本ではたった一つの教え『お天道様は見ている、だから悪い事はしない』だけを守っている人も居られるのです。ユンボルさんは、この一つの教えだけでも守れますか」
「う、、、『悪い事はしない』、、、簡単にできそうな事だが、、、誰でもできそうな事だが、よく考えると、、、私は55年間、この一つさえもまともにできていなかったようだ、、、」
「世界には信仰心の強い人たちがいっぱい居ますが、中にはその信仰心故に異教徒と戦争をする人たちも居ます『我が身を愛するが如く隣人を愛せよ』と言う教えがあってもです。
しかし、この人たちがたった一つの教え『悪い事はしない』を守ったなら戦争は起きえないのです。この国、韓国の人たちに難しい教えは必要ありません。噓をつかない、と優しい人間になる、この二つだけでも守れば、この国は必ず良くなるのです。私は、それを信じています。
そして私は、その信じている事を皆さんにも広めたいのです。だから教団を作ったのです」
「、、、」ユンボルは声が出なかった。
自分よりもはるかに若い女性の言う事に何一つ反論できなかった。
普通の韓国人なら、こんな年下の女性にここまで言われたら、怒って喚き散らすか火病を起こすだろう。しかし、この島で生まれ育ったユンボルは普通の韓国人とは違っていた。
この島の人たちは昔から、物事を理性的に、そして理論的に考えられる心を持っていたのだ。
そして、その事を知っていたからこそ花蓮は、教祖デビューをこの島にしたのだった。
場が静まったところへ折よく苺が運ばれてきた。テイ老人は誇らしげな顔で言った。
「当家の自慢の苺です。存分に召し上がってください」
「ありがとうございます。遠慮なくいただきます」そう言って花蓮は大きな苺にかじりついた。
苺は春の香りと、わずかに潮の匂いがして、とにかく美味しかった。花蓮は続けざまに3個食べた。
花蓮のその食べっぷりをテイ老人とユンボルは満足気に見つめた。その時ユンボルは(なんて魅力的な唇だろう、、、何と魅力的な人だろう)と感じ、花蓮に魅せられた。
やがてテイ老人とユンボルも一緒に食べ始めたが、老人が1個食べてから思い出したように言った「この後、食事に行くから、腹八分にしてくだされ」
「は、、、そうでした」と言って花蓮は伸ばしていた手を未練がましそうに引っ込め、まるで母に𠮟られてべそをかいている小さな子どものような顔になった。
その花蓮の顔の表情を見て、テイ老人は微笑み、ユンボルは我慢できず吹き出し、テイ老人に目で諌められた。この時ユンボルは心の中で思った。
(まるで少女のような、あどけない顔だ、、、こんな女性がこの世界にまだ居たとは、、、)
テイ老人は、おしぼりと新しい茶を持って来させた。
花蓮はおしぼりで唇を拭ったが、おしぼりに口紅も付かなかった。それを見てユンボルは(口紅さえ塗っていないのか)と驚き、ますます花蓮の虜になった。
(こんな女性が俺ののち添えになってくれたら、、、)数年前に妻を交通事故で亡くしていたユンボルは、この時からのち添えについて考えるようになった。
しばらくしてテイ老人が言った「教祖様は今どこにお住まいですか」
「街中の小さなアパートです」「お一人で」「はい」「女性の一人住まいは危険だ、よろ」
「大丈夫です。部屋に出入りする時はおばあさんの姿に変装していますから」とテイ老人の言葉を遮って花蓮は言った。
テイ老人は、初めて会ったチラシ配布中の老婆姿の花蓮を思い出し、苦笑しながら言った。
「貴女は教祖様です。もうそんな老婆姿になったり、チラシ配布等しない方が良い。
ワシが教祖様に相応しい家を建ててあげよう。それまでの間は我が家に住みなさい。我が家は空き部屋がいっぱいあるから遠慮せず暮らしてくだされ。
チラシ配布等は、信者に任せればいい。貴女は教祖様としての役割だけをすれば良い」
「教祖様としての役割?」
「そう、、、教団を大きくしたいなら、貴女は本や教団月刊誌を書くと良い。そうすれば信者を急激に増やせる。
このようなことは選挙と同じで、先ずは知名度を上げる事だ。知名度を上げるにはテレビに出るのが一番手っ取り早いが、教祖様にはまだ早い。今は出版物を出す方が良い」
花蓮を何とか我が家に住まわせられないかと考えてたユンボルも同調して言った。
「父の言う通りだ、教祖様は我が家で暮らせば良い。今は苺の収穫期で使用人も多いが、それでも空き部屋がある。教祖様はアパートなんかに住まない方が良い」
「ありがとうございます。でも契約期間も残っていますし、もう少し一人で暮らしたいです」
「、、、まあ、突然こんな事を言っても、教祖様の御予定もあるだろうから、、、でも、まあ考えておいてくだされ、、、さて、そろそろ食事に行くとしょう」そう言ってテイ老人は立ち上がった。
その後3人は高級レストランで食事し、花蓮は9時ころアパート入口まで送ってもらった。
素顔の花蓮が、車から降りてアパートへ入っていくのを遠くから見つけ、全速力で走り寄る男が居た事など、花蓮は全く気づいていなかった。
翌朝、老婆姿の花蓮がいつものように6時ころチラシ配布に行こうとアパートを出ると、ユンボルがビニール袋を提げて道路をウロウロしていた。
驚いた花蓮が「ユンボルさん、どうしたんですか」と声を掛けるとユンボルは、声で花蓮だと分かりホッとしたような顔で言った。
「本当に教祖様ですよね、教祖様に苺を持ってきたが部屋が分からなくて、、、何号室ですか。
それとその格好、まさかその格好でチラシ配布を、、、せめて昨日の顔で」
「はい、これからチラシ配布に行きます」そう言って花蓮は仕方なく白髪混じりのかつらを外した。
「おお、間違いなく教祖様、、、立ち話も何ですから、せめて部屋に、、、」
花蓮は、男性を部屋に入れるべきか迷った。するとユンボルは更に言った。
「心配しないでください、部屋の広さを知りたいのです」
花蓮は、仕方なく2階に上がって部屋の鍵を開けた。すぐにユンボルがきてドアを開けて中を覗いて驚いた顔で言った。
「教祖様、こんな狭い部屋に、しかも古ぼけて汚い、、、ダメですよ教祖様、こんな部屋じゃ、、、
今から我が家に引っ越しましょう、チラシ配布なんか止めましょう」
ユンボルはそう言って、ずかずかと部屋に入りすぐに荷物をまとめようとした。
花蓮は慌てて言った「ユンボルさん、待ってください。私はまだ引っ越したくありません」
「しかし、こんな部屋では教祖様が可哀そうです。引っ越しましょう」
「ダメです、今はダメです、、、わかりました、じゃ1週間後に引っ越します、それまで待ってください」と花蓮は思わず言ってしまった。
ユンボルは花蓮の顔を見て念を押すように言った「1週間後ですね、わかりました。1週間後、車でお迎えに来ます、、、それはそうと朝食は済みましたか、まだなら一緒に行きませんか」
「結構です、私はもう終わりました、、、では私は出かけますので、、、」そう言って花蓮はユンボルを押し出すようにして部屋の外へ出た。すると目の前に長身のPEEがサングラスをかけたまま立っていた。
「あ、PEEさん」
PEEは無言のままユンボルに掴みかかり腕をねじ上げた。
「痛てて、な、何をする」ユンボルは悲鳴を上げた。
「PEEさん、止めて、この人は悪い人じゃないの、止めて」
途端にPEEはユンボルの腕を離し、花蓮を見た。花蓮はホッとし、ユンボルに出まかせを言った。
「ユンボルさん、ごめんなさい、この人は私のボディーガードのPEEさんです。貴方を悪い人と誤解したようです。私はこれからPEEさんと話がありますから、今日はこれで帰ってくださいますか」
ユンボルは不愉快そうにPEEを睨みつけてから去っていった。
それを見てから花蓮は大きなため息をついき、PEEに向かって言った。
「突然現われてどうしたんですか、よくここが分かりましたね、、、立ち話も何ですから、行きましょう」
花蓮は部屋のドアに鍵をかけ歩きだした。PEEは無言で後に続いた。
少し歩いて朝から開いている喫茶店に入ると花蓮はコーヒーを二つ頼んでから、窓際の一番端のテーブルに着いた。そしてPEEが向かいに座るとすぐ言った。
「よくアパートが分かったわね、とにかくお久しぶり、お元気でしたか」
「、、、俺の方は変わりねえが、、、お前、あ、いや、教祖様は本当に一人でここに来て、、、
よく旦那が許したな」
以前と変わりないPEEに懐かしさがこみ上げてきた花蓮は、急にキムの事まで思い出した。
この町に来て以来、キムのことは片時も忘れた事はなったが、今は心を鬼にして思い出さないように努めていた。全てはキムの為だと思って。
「夫は当然、反対しましたわ、一人では危険だと言って。だから私、家出したんです、そしてここへ、、、でも、無事に過ごしてますわ。
布教活動も順調に進んでいますよ、信者さんも30人ほどになりました。
その上、さっきの方の御両親のように『教祖様の為に家を建てる』と言ってくださる信者さんもできました。来週はさっきの方の家に引っ越します」
「ぷ、教祖様が家出、、、しかし、教祖様の行動力には驚いた。それに教祖様の為に家を建てるだと、、、半年も経たないうちにもうそんな大口のパトロンができたのか」
「パトロンなんて言わないで、熱烈な信者さんよ。以前はここの市長だった方なの」
「ほう、それは凄い、、、布教活動が順調で何よりだ、、、ところで、、、俺の話も聞いてくれ。
実はな、あのボスの二代目がどうしても教祖様に会いたいそうなんだ。
俺は二代目と手を切るつもりでいたんだが、最後の仕事として教祖様を連れて来てくれと頼まれてしまったんだ」
「え、何なの『頼まれてしまったんだ』なんて変な言い方、それに私はあんな人には会いたくないわ」
「い、いや分かっている、教祖様が会いたくないのも分かっている、、、だが話の続きを聞いてくれ。二代目はな医師に言われたそうなんだ、教祖様は本当に病を治せる力があるかもしれないってな。
覚えているかい、ボスが亡くなる直前に教祖様が手を握ったらボスが意識を取り戻したのを。
あのできごとについて医師は『臨終直前のわずかな時間、意識が回復した例は稀にあるが、相手を認識できたと言うのは聞いた事がない。だからあの時のできごとは、教祖様の何らかの力が作用したのではないか』と言ったそうなんだ。
しかしあの時、二代目は教祖様の邪魔をしてボスの額の手をどけさせた。そのせいか二代目は、ボスが亡くなって以来ずっとボスの夢を見ているそうなんだ。
時にはうなされて夜中に目が覚める事もあると、このままでは頭がおかしくなると不安になり、そもそもの原因は、教祖様の邪魔をした事だから、とにかく教祖様に会って詫びたい。
その上で自分の額にも手を乗せてみてもらいたい、、、と、まあ以前の二代目とは別人のように塩らしくなっているんだ、それで俺も引き受けてしまったってえ訳だ、、、」
「フう~ん、そうだったの、、、でも私は、信者さんが千人になるまではこの島を離れないと決めているのよ。だから会には行けないわ。二代目が来るのはかまわないけど」
「そうか、分かった、、、後で二代目に電話して伝えておく、、、
で、俺は信者第一号だったよな。信者第一号は当然、教祖様の傍に居るべきだろ。それに教祖様は俺をボディーガードと認めてくれた。だからなおさら教祖様の傍に居なきゃならん、そうだろ」
「信者第一号だからって別に傍に居る必要はないわ。さっきはあの人が居たからとっさにああ言っただけなの。何より私は、ボディーガードを雇う御金なんてないわよ」
「金なんて要らねえよ、俺はボランティアで良いから教祖様の傍に居たいんだ」
「でも、そうしたら御家族はどうするの、生活費だって必要でしょう」
「金の心配なんて要らねえ、女房と子どもが一生遊んで暮らせるくらいの貯金がある。それに俺がここへ来た事は、二代目からの仕事ということになっている。だから俺を傍においてくれ」
「わかりました、でも、どこに住むの」
「当然、教祖様の近くだ、ボディーガードは近くに居ないといけないんでな。来週からあの男の家に住むなら俺も一緒に住めるようにしてくれ」
「そう言われても、、、あの老人が聞き入れてくださるかどうか、、、」
「教祖様が、ボディーガードが必要だと言えば、聞き入れてくれるさ」
「、、、わかりました、言うだけ言ってみます、、、で、どうやって私の居場所を知ったの」
「ボスの組織の力を借りたら、この町のホテルに泊まった事まではすぐに分かった。だがその後、教祖様は老婆に変装してアパートに入っただろ。だからなかなかアパートを見つけられなかった。だが偶然昨夜、素顔のままの教祖様があのアパートに入ったのを遠くから見かけ、急いで追いかけて行ったが既に部屋に入っていた。だがアパートが分かったんで入口で待っていたら、朝あの男が現われたって訳さ、、、つまり信心深い俺を神様が、教祖様に会えるように導いてくれたんだ」
PEEが信心深いと言うのを聞いて花蓮は吹き出しそうになったが我慢して言った。
「本当に偶然ね、私はいつも老婆姿で出入りしていたけど、昨夜は食事をごちそうになって送っていただき、たまたま素顔のままだったの」
「教祖様は素顔のままがいい。いつも素顔でいてくれ」
「でも、素顔だと危険だわ、この町でも性犯罪が起きているのよ。だから老婆姿に、老婆なら襲われないから」
「だが、これからは素顔でいてくれ、俺が必ず守るから」そう言ったときのPEEの目は輝いていた。
それ以来PEEは、いつも陰から花蓮を見守っていた。朝アパートの部屋を出るとすぐPEEが近くに来たし、チラシ配布中も街角から見ていた。帰る時もアパートの部屋まで一緒に来てくれた。
最初は煩わしかった花蓮も週末には気にならなくなっていた。
引っ越し前夜である週末、せめてものお礼に花蓮はPEEを食事に誘った。
レストランの席に着くと花蓮は言った「ボディーガード、ありがとう、、、
素顔になってから急にチラシ内容についての問い合わせが増えたわ、どうなっているのかしら」
「当然だ。誰だって老婆よりも綺麗な女の人からもらったチラシの方が興味を持つ。いままでも素顔で配布していれば、信者の数も今の倍になっていただろう」
「ぷ、ありがとう。でも素顔になれたのはPEEさんのおかげね、本当にありがとうございます」
「よせよ、照れるぜ、、、」とPEEはサングラスの下の方を赤らめていた。
翌朝8時にユンボルが車で向かえに来た。
挨拶の後、荷物を運んだが花蓮の荷物はトランクに入ってしまうほど少なかった。それを見てユンボルが言った「よくこんな生活道具だけで暮らしていましたね、可哀そうに、、、でも、これからは」
その時PEEが突然現われて「俺の荷物はもっと少ない、ご主人、よろしく頼むぜ」と言った。
ユンボルは驚き、PEEを見て言った「き、君は、、、」
すかさず花蓮は言った「ボディーガードのPEEさん。私にはボディーガードが必要なの、だからPEEさんも一緒に住まわせて、空き部屋はありますよね」
「う、うう、まあ空き部屋はあるが、、、」
花蓮とPEEはすぐに後部座席に座った。
玄関前に車が止まると家の中から、笑顔のテイ老人と老婆が出て来た。
花蓮はすぐに車からでて老夫婦に言った「お言葉に甘えてまいりました、よろしくお願いします」
「教祖様、よく来られた、さ、さ、中へ」
「ありがとうございます。彼もここに住まわせてください、私のボディーガードのPEEさんです」
花蓮がそう言った時にはPEEはいつの間にか花蓮の後ろに立っていた。
そのPEEが花蓮の前に出て老夫婦に向かって敬礼し、迫力のある声で言った。
「お世話になります。元陸軍特殊部隊潜入班班長PEE YONSAM であります。教祖様の護衛任務を遂行いたします。よろしくお願いいたします」
ユンボル同様、老夫婦もPEEの同居を認めるしかなかった。
テイ老人はその日の夕方、使用人も全て集めて言った。
「これから我が家に住まわれる韓真教団の教祖様と護衛兵だ。ワシの大切なお客様だ、粗相のないようにな。ではこれから歓迎会を始める、野外宴会場に移動してくれ」
野外宴会場に行って花蓮は驚いた。分厚い一枚板の長テーブルに溢れんばかりの料理が乗せられていた。そこで花蓮は、テーブルの上席に座らされ、ユンボルに言われた。
「教祖様は、この宴会のメインゲストです。どうぞ、ごゆるりと御過ごしください」
テイ老人の家での生活が始まった。
1日目はテイ老人に連れられて、みかん農園と教団施設建設予定地を見に行った。
みかん農園は広かった。幅2キロほどの農園が漢山の麓から海岸まで続いていた。
テイ老人は誇らしげに言った。
「ここのみかんのおかげでワシは、島でも有数の金持ちになった。それもこれも日本からみかんの苗木をコッソリ運んでくれた在日韓国人の方々のおかげじゃ。
しかし考え方を変えれば、日本人のおかげじゃ。日本人がこの島でも育つみかんを作ってくれたからじゃ。
だからワシは、日本人に感謝しておるし尊敬もしておる。だが今はその事を公には言えぬ。
言えば、やれ親日だ、売国奴だなどと言われて農園を荒らされかねん。
この国はおかしい国になってしもうた、、、教祖様は、その辺の事はよくご存知だろう、、、
ワシにはもう無理じゃが、誰かにこの国を正しい国に直してもらいたいが、教祖様はできぬかのう」
「はい、私にはできませんが、私の夫なら出来ると思います」
「なに、夫ならできると、、、教祖様は噓は言わぬ御方、、、その話を詳しく聞かせてくだされ」
「夫を20年以内にこの国の大統領にします。そして大統領になった夫は大改革をして、この国から噓を取り除きます。当然、学校でも正しい歴史教育をし真実の歴史認識を身につけさせます。
そうやって、この国から噓をなくし正しい国にします。韓真教団はその為の礎なのです」
「う~む、韓真教団はその為の礎、、、夫を大統領にする為の礎、、、なんと言う壮大な御考え、、、
ワシは教祖様の為なら何でもしょう、先ずは教団施設の建造を急ごう、ついてきてくだされ」そう言ってテイ老人は歩きだした。後に続いたPEEもユンボルも、テイ老人と同じ心境になっていた。
農園は、緩やかな山裾と平野の境にある国道で終わっていたが、テイ老人は国道を横断して平野が見渡せる所で立ち止まって言った。
「ここから海岸までの土地もワシのものじゃが、潮風が強くて農作物は作れんから放っておいた。
だが丈夫な建造物なら造れる。海の見晴らしも良いし教団建造にはうってつけの場所じゃろう」
テイ老人が示した平野は、海岸まで続いていてかなり広かった。
(ここに教団の施設を造る、、、)花蓮は夢でも見ているような気がした。
教団施設建設予定地から帰る途中で苺農園に寄った。日本の石垣イチゴのように急斜面をうまく利用して栽培され、大きな苺が土に付かないようになっていた。
「どれでも採って食べなさい」とテイ老人は微笑みながら言った。
花蓮は、子どものように歓声を上げ食べ始めた。
テイ老人とユンボルは目を細めて眺め、PEEは(教祖様、なんとはしたない事を、、、しかし教祖様にはこんな一面もあったのか、まるで子供だ、、、だが、、、可愛い、、、)と驚いて見つめていたが、自分も一つ食べると目の色が変わり止められなくなった。PEEは、採りたての苺がこんなに美味しい事を今初めて知ったのだった。
それから1週間が経った。
花蓮は、テイ老人の家での生活にも慣れ、毎日できるだけ著書に専念した。
「韓国の現状について」と言うコラム調の書冊と並行して、韓真教団の月刊誌も書き始めた。
もう老婆姿に変装してチラシ配布する事はできなくなった。
チラシ配布は信者が手分けしてやってくれて配布枚数も多くなった分、問い合わせのメールや電話も増え、その対応だけでも一日中かかる日もあった。
信者になりたいという人も増えたが、信者希望者にはテイ老人の家まで来てもらい、直接会って握手してから会話し、教団運営委員のテイ老人立会いのもと名簿用ノートに直筆記入してもらった。
来客は日に日に増え、来客のない日はないくらいになった。
また、来客の時は必ず花蓮とテイ老人の後ろにPEEが目立たないように立ってくれていたので、PEEも忙しくなった。
そんなある日、PEEが花蓮に言い辛そうに言った「明日ここへ二代目が会に来るそうだ、、、」
「え、二代目が、、、いいわよ、ここまで来てくださる人ならどなたにでも会いますわ」
その言葉を聞いてPEEは急に明るくなった。
翌日の午後、タクシー2台で二代目グループが来た。
玄関前にタクシーが止まるとすぐ、黒ずくめサングラス姿の男が助手席から飛び出してきて後部座席のドアを開けると、二代目が悠然と出て来た。するとすぐ2台目のタクシーから飛び出して来た黒ずくめの男たちが二代目を取り囲んで歩調を合わせて歩いて来た。
それを見ていたテイ老人が怒鳴った「ここには危険人物はおらん、二代目一人で入れ」
二代目は一瞬テイ老人を睨んだが、すぐに黒ずくめの男たちに目で合図をしてから一人で家の中に入っていった。
いつも来客と会う居間のソファーに座っていた花蓮は、入って来た二代目に、他の来客と同じように立ち上がってにこやかに出迎えた。
「よくいらっしゃいました、私が韓真教団教祖の松花蓮です」
そう言って出された花蓮の手を、二代目はためらいがちに、と言うよりも恐る恐る握りしめた。
その瞬間、手を通して何かが入ってくるのを感じた二代目は、手を離せなくなった。
すると花蓮は微笑んで「どうぞ自己紹介をしてください」と言って手慣れた仕草で手を抜いた。
「俺、いや、私は江強鳳、江軍集団の二代目だ。どうしてもお前に」
「教祖様と御呼びしろ」と、またテイ老人が怒鳴った。
二代目もまたテイ老人を睨んだが、すぐに花蓮に視線を移して言った「どうしても教祖様に会いたくてここまで来た」その言い方には「俺がわざわざ来たんだぞ」とでも言いたげな傲慢さがにじみ出ていた。それを感じたのかテイ老人が力のこもった声で言った。
「二代目という事は、江参謀長は亡くなられたのか」
うるせえ!お前は引っ込んでいろ、という顔で二代目はテイ老人を睨んだが「ああ、、、あんた親父の事を知っているのか」と聞いた。
「知っているとも、この国の裏社会に馴染んだ者で江参謀長を知らない人間はおるまい、、、
立派な方だった、お悔やみ申す、、、御臨終はいかがであった、安らかであったか」
二代目は突然立ち上がり怒鳴った。
「うるせえ、俺はそんな事を話にここに来たんじゃねえ、外野は引っ込んでろ」
「馬鹿者、良い年齢して目上の人に対する口の利き方も知らんのか」とテイ老人は怒鳴り返した。
数秒間睨み合いが続き、花蓮の後ろに立っていたPEEが仲裁に入ろうとすると花蓮が言った。「江さん、ご用件は何でしょうか」
その声に一瞬ハッとなり二代目は花蓮を見た。花蓮は笑みを浮かべ優しい眼差しで二代目を見つめていた。
(う、何という笑顔だ、、、)そう思った時、二代目の心から荒々しさが消えた。
二代目はソファーに座ると、花蓮だけを見るようにし、口調を改めて言った。
「父が臨終の時、教祖様の邪魔をしてすまなかった。あれ以来、その事が気になっていた、、、」
「それを言う為に、わざわざここまで来てくださったのですか、ありがとうございます」
屈託のない笑顔でそう言って軽く頭を下げた花蓮を見て、二代目は心が和んだ。
何故か、諸々のわだかまりがなくなり、教祖様となら何でも話し合えるような気がしてきた。二代目は素直に自分勝手な事を言った。
「い、いや、それ以外にも教祖様に聞きたい事があってな、、、教祖様が父の額に手を乗せていたが、もしあの時私が邪魔をしなかったら、父は回復してもっと長生きしていたんじゃないかと、、、
その事を思い出すと眠れなくなってな、しかも若いころ父に怒られた夢ばかり見るようになって寝不足で苦しんでいる、、、
それで身勝手な事を言うようでなんだが、父の時のように私の額にも手を乗せてもらえないか」
すると花蓮は即刻言った「いいですわよ、私の手でよろしければいくらでも乗せますわ」
そう言い終わると花蓮は立ち上がって二代目の傍に行き額に手を乗せて目を閉じた。そして心の中で(安らかに眠れますように)と祈った。
二代目も目を閉じ(なんと柔らかくて温かい手だ)と思うと同時に、花蓮の手から何かが入ってくるのを感じた。そして更に(このまま眠ってしまえば、どんなに幸せだろう)とさえ思えた。
66歳の自分の、半分ほどの若い女性の手で心が和んでいる自分に、二代目は不思議な気持ちになった。
やがて花蓮が手を離して、微笑みながら自分を見つめているのに気づいて、二代目は(なんと慈愛に満ちた眼差しだ、、、正に、観音様のようだ、、、)と思い、無意識に手を合わせていた。
そして、そうしている自分自身に驚き、急に居たたまれなくなり立ち上がった。
「お、俺は帰る」そう言って2、3歩行ってから振り返り「教祖様、ありがとう」と言って頭を下げた。そして逃げるように去って行った。
テイ老人とPEEは、呆気に取られていたが、花蓮は何故か心が満たされているのを感じていた。
翌朝、花蓮が朝食を始めようとすると玄関前に車が止まる音がして、すぐ二代目が自分を呼ぶ声が聞こえた。
花蓮は驚いて急いで外に出ると、大きな紙袋をさげた二代目が晴れやかな顔で立っていた。
「江さん、どうしたんですか」
「い、いや、昨日手土産を渡すのを忘れていたんで持ってきた、受け取ってくれ」
そう言うと二代目は強引に花蓮に手渡した。紙袋はずっしりと重かった。
花蓮が「何ですか、これ」と言って中を見ようとすると二代目が慌てて言った。
「な、なに、つまらん物だ、それより昨夜はよく眠れた、全く夢を見なかった。教祖様のおかげだ、改めて礼を言う、ありがとう、、、」
それから、いつの間にか花蓮の後ろに立っていたPEEに気づいて言った。
「お、PEEか、、、教祖様を頼むぞ、俺の恩人だ、しっかり警護してくれ、報酬ははずむ。
俺は急いでソウルに帰らないといけなくなった、、、
教祖様、俺で役に立つ事があったらいつでも言ってくれ。連絡方法はPEEが知っている」
そう言って二代目は恭しく手を差し出した。花蓮は微笑んでその手を握った。
二代目が乗り込んだタクシーが見えなくなるまで見送った後、花蓮とPEEが家に入って紙袋を開けると多量の札束が入っていた。驚いて数えると10億ウォンあった。
PEEがすぐに言った「ボスの遺言の金だろう。二代目は、口で言っても教祖様が受け取らないと思って、わざわざ持ってきたんだ」
「でも、こんな大金、、、」
その時、後ろからテイ老人が言った「遺言の御金ならいただいておきなさい、必ず役に立つ」
テイ老人の家で暮らすようになってから、あっという間に2ヶ月が過ぎた。
信者数は既に400人を超えていた。花蓮は、次の町済州市での布教を考えるようになった。
ある夜、その事をテイ老人に相談した。するとテイ老人は少し考えてから言った。
「その件はワシも考えていたが、いきなり教祖様が行く必要はないと思う。教祖様がこの町で一人で始められた時とは違って、今は信者がいっぱい居る。
先ずは信者の方々に済州市でのチラシ配布をお願いしょう。そして多くの済州市市民が教祖様と韓真教団の事を知った後で、教祖様が済州市に行って集会か講演会を開いて布教すると良い。
だが、その前に、この町でも講演会を開いた方が良い。済州市での予行練習を兼ねて。
講演会場等の準備はワシらでやるから、何について講演するかは教祖様が考えてくだされ」
(講演会、、、以前、公園で行った集会は、親睦会のようなものだった。だが、今後は講演会。
しっかりした主張をしないと信者さんたちを失望させる、、、)
花蓮は講演会で話す内容の下書きをした。何度も書き直し、やっと納得できる内容になった。
花蓮はそれをテイ老人に見せようとしたが断られた。
「韓真教団は教祖様の教団です。講演内容については全て教祖様お一人で考えなされ。他人の意見など聞いてはいけません」
「、、、」花蓮は言葉を失った。
(正に、テイさんの言われる通りだわ、、、私は、教祖様としての自覚が足りなかった、、、)
それからの花蓮は、もう一度下書きを検討し(これしかない)と思える内容にした。そして(教祖が下書きを見ながら話すなんて不甲斐ない事はできないわ)と考えて、その内容を全て暗記した。
当日、家の近くの学校の講堂を借りて講演会が開かれた。演目は「韓国人は、なぜ噓をつくのか」。
司会のユンボルの開催の挨拶から始まり「では本日の主催者、韓真教団、松花蓮教祖の御話を拝聴致しましょう。皆様、教祖様の御来場です」と言う呼び出しの後、拍手が起こった。
初めての講演会で緊張していた花蓮だったが、登壇した時には開き直っていた。
約600人の観衆に向かって、花蓮は静かに話し始めた。
「ご来場の皆様、お越しいただきありがとうございます。 韓真教団教祖の松花蓮です。
さっそく本題に入りますが皆様、韓国人は、なぜ噓をつくのでしょうか、、、
韓国人が噓をつくのようになったのは、噓をつかないと生きていかれない時代があったからです。
これから私は、韓国の、いえ朝鮮半島の悲しい歴史を御話しますが、この歴史は皆様が既に学び信じている歴史とは異なるかもしれません。しかし私は、数年掛けて諸外国の資料を調べ上げた結果、これこそ朝鮮半島の真実の歴史だと確信しているものです。
後で御質問を受けますので講演中は御静粛にお願い致します。
朝鮮半島の歴史、それは悲惨極まりない歴史でした。
朝鮮半島は500年以上も中国の属国でした。属国とは奴隷国家と同じです。中国が欲しがる物は全て献上させられていたのです。
金品や食糧はもとより女性に至るまで献上させられました。その結果、当然のことながら朝鮮半島は貧困国家になりました。
当時の平民や白丁は、その日の食糧を手に入れることさえままならない状態になりました。
しかし、そんな状態であったにもかかわらず、朝鮮半島の国王は平民たちの救済をしなかったのです。そればかりか国王配下の両班は、そんな平民からでさえ金品を取り上げようとしました。
平民や白丁は両班に捕らえられ、金品を持ってくるまで拷問されました。
しかし貧困に喘いでいた平民や白丁に金品等ありません。ないものまで取ろうとする両班に対して、平民や白丁はとにかくその場から逃げるしか生き延びる術がなかったのです。
捕らわれたまま拷問され殺されるよりも、噓をついてでも逃げるしか生き延びれなかったのです。
噓をつくのは悪い事だ、などと道理を言っていられるような余裕はなかったのです。とにかく噓をついて、何とかその場から逃げないと殺されてしまいます。両班に捕まった人びとは必死で噓を考えました。そして、その噓によって何とか生き延びたのです。
国の大多数を占める平民や白丁の、そのような惨めな状況が500年も続いた。
噓をついても何の罪悪感も持たない人びとが現われて当然と言えるような時代だったのです。
しかし現在には両班は居ません。今は噓をつかないと生きていかれない時代ではないのです。
それなのに多くの韓国人は今なお噓をつきます。
韓国は詐欺犯罪率が世界一です。イギリスから詐欺共和国と言う恥ずかしい称号までいただいています。そして、あまりに噓をつく人が多い為に、この国では他人を信用しません。
まあ他人を信用しなくても個人なら生きていけます。しかしこれが会社と会社、国と国だとどうなりますか。信用がなければ商売も貿易もできません。
そのような国は経済が萎縮して滅びてしまいます。正に、現在のこの国の状態です。
現在、新大統領が様々な政策を打ちだして懸命に経済を建て直そうとしていますが、信用のない人や国を誰が助けてくれるでしょうか、どこの国が援助してくれるでしょうか。
諸悪の根源は、噓をつくことなのです。噓をついて信用されなくなった事なのです。
私は、この島の歴史も調べました。
本土が惨めな500年だったころ、この島はタラと言う王国であり、独自の文化を持ち比較的平和でした。それでこの島の人びとは、本土の韓国人よりも噓をつく人の割合が格段に低いそうですね。
素晴らしいことです。
ですが噓をつかない事にもう一つ上を目指しましょう。
皆様、優しい人間になりましょう。困っている人が居たら、可能な限り助けてあげましょう。助けてあげる力のない人は、せめて心の中で「幸せになれますように」と祈ってあげましょう。
あなたのその祈りは叶えられないかもしれません。しかし、そのように祈ることによって、祈った人自身が優しい人間になれるのです。
そして、優しい人間が増えれば増えるほど、その町や地域は住み良くなり、結果的にみんな幸せになれるのです。
噓をつかない事と、優しい人間になる事、この二つが韓真教団の教えです。
今後は決して噓をつかないと自分自身に誓い、優しい人間になろうと努力する人ならどなたでも韓真教団の信者になれるのです。決して難しい事ではありません。
さて、御質問をお受けします。なにか私に聞きたい事はありませんか。
するとすぐ若い男性が立ち上がって言った。
「教祖様は先ほど、朝鮮半島の歴史は悲惨極まりないと言われましたが、では大長今は噓ですか。大長今では、李氏朝鮮時代は豊かでみんな幸福だったです」
花蓮は微笑みを浮かべて言った。
「あなたはテレビドラマが真実だと思っているのですか。噓つきがとても多いこの国で作られたテレビドラマが正しいと、、、
残念な事にあのドラマは全くの作り話です。当時は、あのドラマのような豊かで華やかな国ではなかった。その日の食糧にさえ事欠いていたのです。調べれば分かる事です。
また、大長今と言うのは一人の女性ではなく、王族専属医師の役職名だった可能性があります。
この事は韓国の資料ではなく日本の資料に載っていました。
韓国では不都合な真実は抹消されていますので、むしろ外国の資料を調べた方が良い場合もあります。特に、当時の朝鮮半島に来た欧米人の旅行記や写真は、朝鮮半島の真実を知るための貴重な資料です。一見する価値があります。
あなたも御自身で調べてみてください。あなた自身の為に、、、他に御質問は、、、」
すると貧しそうな老人が立ち上がって言った「ワシゃ、あんたに救われた、あんたは観音様か」
「え、、、どういうことでしょう」
「ワシゃ00病院で死にそうじゃった、そしたらあんたがフっと現われて、ワシの額に手を乗せてワシの病気を治してくれた。
ワシゃ、ずっとあんたを探していて、この間チラシを見て、あんたの事を知り、ここへ来たんじゃ、、、ワシゃ、貧乏人で何のお礼もできんが、せめて礼だけでも言わせてくれ」
そう言って老人は花蓮に向かって手を合わせた。
すると離れた所の主婦らしい人が立ち上がって言った。
「私も同じ話を聞いた事があるわ、その人も00病院に入院していた時に額に、、、あれは教祖様だったのですか。教祖様は病気を治せるのですか」
観衆がざわめきだした。その中の中年男性が立ち上がって言った。
「教祖様、俺は交通事故でむち打ち症になって3年経っても痛みが消えず苦しんでいます。どこの病院に行っても治らないんです。お願いします、治してください、お願いします」
「私も難病で腰が、、、」「ワシは喘息で、、、」「俺は足の痛みが、、、」
などと観衆のざわめきが高くなった。
花蓮は無言のまま観衆に手をかざした。すると途端に観衆は静まった。花蓮は言った。
「私は、噓は言いません、、、私は、病気を治せるのかどうかは分かりません。でも苦しんでいる方を助けてあげたいです。私の手で良いのでしたら何方にでも手を乗せます」
そう言うと花蓮は演壇を降りて観衆の前に立った。そるとすぐ、むち打ち症だと言った中年男性が急ぎ足で花蓮の前に来て跪いた。
花蓮はその男性の額に手を乗せ(むち打ちが早く治りますように)と心の中で祈った。
すぐに男性の後に数十人が並んだ。花蓮は、一人づつ症状を聞いてから手を乗せ、それが早く治るように祈った。
並んでいた人びと全てを終えると、花蓮は満たされた表情で講演会終了を告げた。
講演会終了後、信者が急増した。そればかりかテイ老人の家に、花蓮を訪ねて来る人も増えた。
その人たちの大半は、花蓮に病気等を治してもらうために来ていた。
花蓮はそのような人たちに嫌な顔ひとつ見せず、微笑みをたたえて手を乗せて祈った。
数日後にお礼に来る人も多くなった。その人たちはすぐに信者になった。
ある日、見覚えのある男性と新聞記者が訪ねて来て言った。
「覚えているかい、あの時のタクシー運転手だが、友人が取材したいと言うので連れて来た」
花蓮は運転手を思い出して言った。
「運転手さん、覚えています、あの時はお世話になりました。で、取材とは、、、」
花蓮がそう言うと、記者が運転手の前に出て言った。
「今この町では貴女が、病人の額に手を乗せて病気を治しているという話で持ち切りです。それが本当かどうか確認にきました。本当であれば是非我が社の新聞に載せたいと思います」
「私が病気を治せるかどうかは、私にもわかりません。ただ私は、わざわざ訪ねて来られた方がたの額に手を乗せて、病気が早く治りますようにお祈りしているのです、ただそれだけです」
「う~ん、、、しかし、、、治ってお礼に来る人も居るんですよね」
その時、テイ老人が来て言った。
「毎日何人もお礼に来ている、、、
教祖様は観音様の生まれ変わりだ、病気が治せる。ワシや妻も治してもらった、、、
だが新聞に載せるのは止めてくれ、これ以上来客が増えたら教祖様が過労で倒れてしまう。
それに、こんな非科学的な事を信じれる人は少ないだろう。教祖様をそっとしておいてくれ」
記者は困った顔をしてテイ老人と花蓮をかわるがわる見て、それ以上何も言わず帰って行ったが、翌日の地方新聞には「奇跡を起こす教祖様」の見出しの記事が載っていた。しかも花蓮の写真が載ったままのチラシまでも載っていた。
花蓮とテイ老人は苦笑するしかなかった。
しかし数日後、キムが訪ねて来た。
使用人に案内されて家に入って来たキムに花蓮は飛びついて言った「あなた、会いたかった」
みんなが見ている前で花蓮は、キムに抱きついて涙を流した。
キムは驚いて言った「か、花蓮、みんなが見ているよ」
するとみんなは、すぐに居なくなった。
花蓮はキムを自分の部屋に連れて行き、鍵をかけるとまたキムに抱きついた。
愛の確認行為が終わると花蓮は静かに言った「ごめんなさい、あなた、、、怒っているでしょう」
「、、、何度もこの島に来ていながら、、、済州市には来ていながら、この町には来なかった、、、
済州市を探し回った、、、済州島についての地方新聞をいつも読んでいて良かった、、、それ以上に会えて良かった、、、元気でいてくれて本当に良かった、、、」
そう言ってからキムは花蓮を強く抱きしめた。
その日の夜、テイ老人の計らいで急遽キムの歓迎会が催された。
長テーブルの上座にキムと花蓮が座り、数十人が席に着くと、花蓮の隣のテイ老人が立ち上がって言った「皆の者、よく見ておけ、20年後の大統領夫妻だ。御夫妻を祝して乾杯をしょう」
その夜は和やかな宴会が遅くまで続いた。
翌日、今後のことについてキムと花蓮とテイ老人が話し合った。
「この島で信者が1000人になったらソウルに帰るわ」と花蓮はキムに言った。
「いや、1000人になったら派遣会社を作らねばならんぞ。1ヶ月もすればこの町だけで1000人は越えようが、済州市で講演会を行えばすぐに2000人にもなる。今から派遣会社設立の準備をせねばならん」とテイ老人が言った。
すると計画が分かっていないキムが言った「派遣会社を設立する、、、」
「そう、信者さんだけの派遣会社を作って、働きたい信者さんたちに働いていただくの、噓をつかないという事を売り物にして。
上手くいけば韓真教団の信者は噓をつかないという事が広まり、仕事の依頼が増えるし教団の宣伝にもなるわ」
「なるほど、、、」キムは感心して唸った。花蓮は半年の間にすっかり貫禄がついていた。
「そうなるとソウルに帰れるのはまだ先ね、でも会うことはできるわ」
「そうだ、会う事はできる、しかし教祖様が男性と一緒に居るのは、信者からすると余りいい感じはしない。目立たないようにな、、、
それと済州市やソウルに布教を広めても韓真教団の総本山はこの町だ。今、建設中のあの建物が総本山になる。
この国の最南端の総本山から北へ向けて、教祖様は布教の大号令を発するべきだ」
花蓮とテイ老人の話を聞いていたキムは驚いて聞いた「総本山の建物を建設中なのですか」
「ああ、教祖様の住居と信者の集会場が、来月には完成する。
それ以外はまだ数ヶ月かかるが、住居さえ完成すれば教祖様に住んでいただく予定だ。
布教は信者に任せて、教祖様は講演会の時だけ会場に行けば良い。
それ以外は住居にいて、来客対応に専念しなければならん。来客はまだまだ増え続けるからな」
「でも、そうなる前に私は一度ソウルに帰って、韓国国籍の取得と離婚手続きをしたいわ」
「なに、離婚手続き、、、どういうことだ、、、」
キムは驚かされる事ばかりで、話についていくのがやっとだったが、花蓮は事もなげに言った。
「この国では日本国籍が分かると面倒な事になるから、、、
それに教祖は独身の方が良いの。でも心配しないでね、私の心はいつも、あなたの妻よ」
「おいおい、惚気は二人だけの時にしてくれ、老人には刺激が強すぎる、、、
そうだな、では先にソウルに帰っていろいろ手続きをしておくか。
ちょうど良い、夫と一緒に帰りなさい。だが、済州市での講演会までには帰ってきなさい」
「わかりました、韓真教団運営委員長殿」と花蓮は嬉しそうに言った。
運営委員長も目を細めて、孫のような二人を見つめた。
約半年ぶりにソウルに帰ってきた花蓮は、国籍取得や離婚手続きを終えた後、キムの両親に会に行った。既にキムから話を聞いていた両親は複雑な表情で花蓮を出迎えた。
当然と言えば当然だが、両親は、キムを大統領にするという壮大な計画に半信半疑だった。
しかもその為に、花蓮は離婚して教祖になり、キムの後方支援をすると言う。いや既に教祖になっていて信者が1000人を超えていると言う。この事実に両親は言葉すら発せられなかった。
両親はせめてものお祝いにと焼き肉パーティーをしてくれた。
4人で乾杯の後、無言でビールを飲んでいた父が独り言のように言った。
「キムに強引に日本に連れて行かれ、焼き肉屋で初めて貴女を見た時、ワシは貴女がただ者ではないと感じたが、まさか教祖になってキムを大統領に、、、そのような途方もない事をよくも考えついたものだ、、、貴女はいったい何者だ、、、今のワシは貴女に対して恐怖さえ感じる、、、」
すると花蓮は微笑みを湛えた顔で言った。
「義父さん、私は夫の幸福を願い、夫に尽くすだけのただの妻ですわ。離婚手続きをしても私の夫はイルソンさんただ一人です。イルソンさんの為なら私は、教祖でも何にでもなりますわ」
花蓮の言葉を聞いて父はしばらく何も言えなかったが、やがてキムに向かって言った。
「お前は、、、お前は恐らく世界一の嫁をもらったんだ、、、」
その週末、二人は済州市に居た。
ホテルのレストランの目立たない隅の席で、花蓮は老婆姿でキムと食事しながら話した。
「あなたも忙しいのに、ここまで来て、、、」
「一緒に来て当然だろ、二人だけで過ごせる時間は本当に少ないんだ。それに明日の講演会も観衆に混じって見てみたいしね」
「あなたが見ていると思うと緊張するわ、失敗したらあなたのせいよ」
「いいよ、その時はソウルに連れて帰って再婚手続きをするから」
「分かったわ、そうならないように明日は頑張るわ」
「で、その原稿とかはどうなっているの、明日誰かに持ってきてもらうのかい」
花蓮は小さく首を振って言った「ううん、原稿なんてないわ、全て頭の中に入っているから」
「へえ本当かい、驚いた、全て暗記しているんだ」
「そう、教祖様は壇上で原稿なんて見ていられないの。頭の中にある事を話すしかないわ、、、
それはそうと今、思い出したけど来年6月にソウル市議会議員選挙があるわね。
あなたはこれに立候補して必ず市議会議員になってね。そして次のソウル市長選挙では、あなたが市長になるのよ。だから、あなたはそろそろ選挙の準備を始めないといけないわ。
会社も辞める用意をして、それと大多数の民意を逆なでするような内容の動画配信もしばらくは中止ね、ソウル市長になるまでは、民意に忠実な僕議員を演じるしかないわ、、、
お金が必要な時はいつでも言ってね、10億ウォンあるから大統領選挙資金だって大丈夫よ」
「10億ウォン、、、」とキムは驚いて大声で言い、すぐに口を押えて周りを見回した。
「ええ、老人が遺言していたの、私が教団を作ったら使ってくれって、私は要らないって一度断ったんだけどね、息子さんが持ってきたの、仕方ないから教団名義の通帳を作って預金してあるわ」
「お、お前は、、、」半年の間にこんな大金まで手に入れていた花蓮に、キムは驚き言葉を失った。
「私も、もっともっと頑張って信者を増やすから、あなたも頑張って必ず議員になってね」
花蓮の言葉にキムは(花蓮は既にここまでやってきている。もう後戻りできないんだ、俺は韓国大統領を目指すしかないんだ)と決心せざるを得なかった。
翌日、済州市の公会堂を借りて開催された花蓮の講演会は、事前のチラシ配布や新聞に載った事などが反映されたようで2000人近い観衆が集まった。
その観衆に圧倒されることもなく、花蓮は落ち着いた雰囲気で講演をし終え、演壇を降りて求められるがままにまた人びとの額に手を乗せた。
連なる人びとが多く、全ての人を終えるのに1時間もかかったが、花蓮は終始微笑みを絶やさなかった。
その微笑みに興奮したのか一人の信者が「教祖様は観音様の生まれ変わりだ」と叫んで手を合わせた。すると周りの人びとも「観音様の生まれ変わりだ、ありがたやありがたや」と口々に叫んだ。
会場内は騒然となった。花蓮は仕方なく再び壇上に立ち、手をかざして観衆を鎮めて言った。
「皆様、私は観音様の生まれ変わりではありません。私はただ、皆様の幸福を願い、不幸な人や病気の方が早く治られますように御祈りしているのです。
皆様も他の不幸な方々の為に、どうぞ御祈りください。そして、優しい人になってください。優しい人が増えれば増えるほど、この町は住みやすくなり皆様も幸せに暮らせるようになるのです」
そう言って花蓮は手を合わせた。すると観衆もまた手を合わせた。
数分後、花蓮は涙を流しながら静かに言った。
「いま皆様の優しさが私の心に伝わり、、、溢れました、、、皆様の御心に感謝いたします、、、
ありがとうございました、、、どうぞ皆様、この御心のままお別れさせてくださいませ、、、」
花蓮は静かに壇上から去った。
よほどニュースネタがなかったのか、翌日の地方新聞の一面にこの講演会の模様が載った。
昨夜ソウルに帰ってきて、今朝出社していたキムは帰宅後その新聞をネットで読んだ。
(見出しは『教祖様は間違いなく観音様の生まれ変わりだ』か、すごいな。
記事は「昨日、済州市公会堂で、韓真教団の松花蓮教祖の講演が催され~」最後に観衆の感想が載せられているが、みんな教祖様は観音様の生まれ変わりだと言っていた、、、
花蓮は完璧に教祖様を演じているな、、、俺も、やるしかない)とキムは決意を新たにした。
キムは、その夜から市議会議員選挙に立候補する為の下調べを始めた。その結果、諸条件は難なくクリアできるが100人以上の推薦人を集められるかが問題だった。
(家族や友人知人、会社の人たちだけでは足りないだろう、、、そうだ動画配信で支持してくれている人たちにお願いすれば100人は確保できるな、、、だが立候補はしても当選する為には数万人の票が要る、、、どうすればいいのか、、、)
それからキムは、当選する為にはどうすればいいのかを一生懸命考えた。そして、試してみる価値がありそうな方法を思いついた。しかし、これを実行するには会社を辞めないといけない。
キムは悩んだ末に、日曜日だけその方法をやってみる事にした。
日曜の朝から先ずマンションの前の道路のゴミを拾い掃除した。そこが終わると、そこから繫華街に向かう道路も始めた。用意していたゴミ袋はすぐにいっぱいになった。予想していたよりも、はるかに多いゴミにキムはうんざりした。
キムは自問自答した(これを会社を辞めて、本当に毎日続けるつもりなのか?、、、これはソウル市が雇った清掃員の仕事だろ。清掃員の仕事を奪うことになるし、、、)
キムは自問自答しながらも一日中やり通して、疲れ果ててマンションに帰ってきた。期待していた通行人との会話も全くなかった。一日の無給勤労奉仕に終わった。
翌日の昼休み、キムは清掃行政課に電話してゴミが多い事を知らせた。すると職員は「ゴミ収集日以外の日にゴミが多いと言われてもうちでは対応できません」と言い、電話を切られた。
キムは腕を組み宙を睨んで考え込んだ。
次の日曜日、キムはリヤカーを借りてきて、それにゴミ袋や掃除道具を乗せて繫華街に行った。
すれ違う通行人は皆、キムの背中とリヤカーのたれ看板をジロジロ見て通り過ぎた。
キムの背中とたれ看板には「キムイルソンです。皆さん、僕を助けてください。ゴミが多過ぎて困っています。皆さん、どうかゴミを捨てないでください。日本の町は、ゴミがなく綺麗です。日本人に負けたら恥ずかしいです」と書かれていた。
キムは手ごたえを感じた。毎日続けたら、少なくとも名前は覚えてもらえるだろう。
キムは会社を辞め、毎日毎日リヤカーを引いて行き掃除した。
ある日、893ぽい男がタバコをくわえたままキムに近づいて来て言った。
「おい、偽善者お前いくらもらってんだ、たっぷりもらってるんだろ俺に恵んでくれよ」
「ボランティアだ、金はもらっていない」とキムは汚れた手袋を外しながら言った。
「なんだとボランティアでやっているだと、噓つくな」
「噓じゃない、俺は誰からも金をもらっていない」そう言ってキムはタオルで額の汗を拭った。
男は数秒間、清々しい笑顔のキムを睨んでから言った。
「本当にボランティアでやっているのか、、、何故だ、金にもならん事を何故やってる」
「いつだったか動画で見た。日本人がフランスかどこかで毎日道路を掃除し、地元の人に聞かれて『自分はこの町が好きだが、その好きな町が汚れているのは見ていられない、だから掃除している』と言い、その後地元の人たちも掃除するようになって綺麗な町になったそうだ。
俺はこの町で生まれ育った。気持ちはその日本人と同じだし、日本人に負けたくない。この町を綺麗にしたいんだ」
男はその後じっとキムを見ていたが、無言で去って行った。
しかし翌日、男は3人の若者を連れて来て言った。
「俺は仕事があって手伝えないが、こいつらは暇だ、手伝わせてくれ、夕方また来る」
キムは驚いたが、まあ手伝うと言うのを断る理由もなかったので、一緒に清掃した。若者は893のパシリのようだったが口数少なく良く働いた上に、昼にはいつの間にかコンビニ弁当を買ってきてくれていた。キムが代金を支払おうとすると若者は言った「兄貴の奢りです、要りません」
夕方また男がやって来て言った「終わったら一杯付き合え、話が聞きたい」
「俺は汗びっしょりで汗臭い、シャワーを浴びて来る」
「汗臭いのはお互い様だ、気にするな」そう言って男は近くの屋台の椅子に座った。
キムが向かいの椅子に座ると「ビールでいいか」と聞かれ頷くと、男はビールと焼き鳥を注文した。
その後、男は言った「俺はチョウヨンピン、この辺の裏道ではまあ名が知れてる。で、お前は本当にキムイルソンなのか、北の将軍と同じだが」
「ああ、本名だ、漢字が違うがハングルでは同じだ。小さい頃これでよくイジメられて父に言ったら、父は占いで最高の名前だったからこれにしたそうだ。何が最高なのかは教えてくれなかったが」
「そうか、まあ良い、飲め、奢りだ」そう言ってチョウはビールを注いでくれた。二人は乾杯した。
男はビールを飲みながら言った「あの掃除はいつ頃から始めたんだ」「もう2ヶ月近い」
「ウイルスのせいもあるだろうが、この国は年々悪くなっている、経済だけでなく人間もな、、、
そんな中でお前は良くやってる、、、俺のような人間が言うのも何だが、お前のような人間が増えないとこの国はダメになるような気がする」
「はい、全く同感です」「同感だと、、、若造のお前に分かるのか」
それからはキムの得意分野の話になった。キムは先ず韓国の現状から話し始めた。
「この国は、国民も国も借金だらけです」
「その通りだ、だから俺は儲かっている。とは言っても取り立てる金さえ持ってない奴には手を焼いている。身うちに女でも居たら売り飛ばせるが、女も資産もない奴ではどうしょうもない。若い奴なら今日のように働かさせられるが、ジジイ婆あが借金しているのには頭にくる。殴るに殴れねえし、殺したって金が出ねえ。銀行のバカ職員は、こんな返せねえのが分かっていながら金を貸す」
「はい、それが国民情緒法があるこの国の特徴です。貧乏人に泣きつかれたら銀行員は断れません。断れば貧乏人は国民情緒法違反だと駄々をこねてデモを起こしかねません」
「な、なに、そんな事を言っていたらこの国は借金だらけになってしまうぞ」
「はい、ですから今のこの国は既に借金だらけです。
それでその借金を何とかしょうとして前大統領が考えついたのが日本から金を奪う事でした。
だから慰安婦や徴用工問題をでっち上げ、何としてでも金を奪おうとしましたが失敗しました。
日本人とて馬鹿ではないのです。そんな噓話に付き合ってはくれません。
借金は年々増えていくのに、新大統領は相変わらずの反日扇動と血税バラマキ政策。これでは経済が良くなるはずがありません。しかも、そんなこの国に援助してくれる国もありません。
以前日本はこの国の為に絶大な援助をしてくれましたが、前大統領により二国間の条約や合意を反故にした事などの為に、全く相手にしてくれなくなった、当然の報いです、、、
恐らくこの国は数年後には経済が崩壊して滅びるでしょう」
「う、うう、、、で、そうなったら、どうすればいいんだ、、、」
「既に多くの人がこの国から逃げ出そうとしています。実に70パーセントの国民が海外移住を考えているそうです。金持ちや若者など逃げ出せる人はまだ良いです。
しかし他の人たちはどうすればいいですか。
物価が上がって物が買えなくなり、その日の食糧さえ手に入らなくなったら、国民はどうすればいいですか。このままだと数年後にはそうなる可能性が高いのに、新大統領や政府は対策を立てていますか。俺が見る限りでは無策のように見えますが、これで良いのですか」
「うう、、、だ、だからどうすればいいんだ、、、」
「この国を大改革します、いえ、この国の人びとを改革します」
「なに、この国の人を改革するだと、、、それは、いったい、、、どういうことだ」
「77年前、日本は戦争に負け東京は焼け野原になっていました。しかし今の東京は世界有数の大都市になりました。それは、日本人の不屈の精神の賜物です。
我々が、猿だチョッパリだと馬鹿にしている日本人にできた事が、世界一優秀な我々韓国人にできないはずがない。しかし今の韓国人ではできない。
70パーセントの国民が逃げ出そうとするような韓国人ではできないのです。
奴らは口でやれ愛国心だ、韓国人は世界一優秀だ等と言っても、国の危機を放ったらかして逃げ出そうとする卑怯者です。こんな卑怯者では何もできません。
逃げたかったら逃げればいい。しかしこんな卑怯者は、他の国に行っても迷惑をかけるだけです。やがて嫌われて世界各地で韓国人の評判を落とすのが関の山です。こんな韓国人は要らない。
この国に残って、この国を良くしょう、この国を建て直そうとするなら、先ずその韓国人自ら良くならなければ、韓国人自ら改革しなければいけないのです。
韓国人の最大の汚点は噓をつく事です。その為に信用を無くしている事です。
噓つきは誰も相手にしてくれません。誰も助けてくれません。
今までの行いのせいで韓国人は誰も信用してくれません。当然です。
韓国は詐欺犯罪率が世界一です。イギリスから詐欺共和国という不名誉な称号までもらっています。韓国人が今までに多くの噓をついたから、そんな称号を投げつけられたのです。
多くの外国人は韓国人を信用していません。それも全て韓国人の今までの悪行のせいです。
このまま韓国人が噓つきのままでいたら、この国は世界から見放され滅びるしかないのです。
だから滅びない為には、韓国人は噓をつく事を止め、正直な人間にならなければダメなのです。
韓国人は自らを改革して、信用される人間に変わらなければいけないのです。
そして、そのような韓国人によって経済を立て直し、本当の先進国にならなければいけないのです。
70パーセントの国民が逃げ出そうとするような先進国がどこにありますか。
韓国人は恥じと言う意味すら理解できない愚か者なんですか。
昨年韓国は、前大統領がある機関に頼み込んで先進国になりました。正に、恥じです。先進国とは世界各国から認められて先進国になるのです。頼み込んでなるようなものではないのです。
前大統領は本当にクズ大統領でした。刑務所に入って当然です」
「うう、、、お、お前は、、、お前は、いったい何者なんだ、、、それほど色んな事を知っていながら、町のゴミ拾いをする、、、俺は、今まで色んな奴と喧嘩したが怖いと思った奴は一人もいなかった。しかしお前の話を聞いていて、俺はお前が怖くなった、、、お前はいったい何者なんだ、、、」
「ただのゴミ拾い人間ですよ、しかし20年以内にこの国の大統領になる事を目指している人間です」
「なに、この国の大統領になるだと、、、」チョウは更に驚いてキムを見た。キムの目は真剣だった。
「はい、20年以内に誰か素晴らしい大統領が現われて、この国を立て直してくれれば良いですが、そのような大統領が現われないなら、俺が大統領になるしかないです。
だから俺は今、ゴミ拾いをしながらその準備をしています。
来年6月の市議会議員選挙に立候補する予定です。その時よかったら俺に一票入れてください」
「、、、うう、、、お、お前は、、、お前は、なんてえ奴だ、、、お前のように、この国の事をそこまで考えている人間に会ったのは初めてだ、、、俺が、怖いと思った初めての男だ、、、
よし、いいだろう、お前は大統領になれ。俺は何でも手伝う。お前の為なら、俺は何でもする、、、」
そう言うとチョウは、キムの手を握りしめ「頑張れよ大統領、俺は応援する、、、今夜は飲もう」と言った後、更にビールを注文した。
チョウが手配したのか翌日は7人がきた。どうも皆、借金がありながら返せない人間らしい。
どうせ働くならボランティアでなく賃金をもらえる所で働き、少しづつでも借金を返すべきなのだろうが、不景気でそんな仕事もないらしい。
(全ての原因は不景気のせいだが、その不景気になった原因は、前大統領の失策だ。日本に噓をつき、条約も合意も反故にして反日扇動したせいで、日系企業に見捨てられた結果だ、、、
正に、馬鹿の極み。韓国人はなんと愚かなんだ)とキムは考えながらもゴミ拾いを続けた。
数日後、花蓮からメールが届いた。キムはいつものように寝る前に読んだ。
「済州島では既に8000人もの信者ができ、その信者だけの派遣会社「韓真興業」を設立し、いま済州市役所から請負った仕事で数十人が働いています。
西帰浦市の韓真教団施設も一部完成し、もうすぐ引っ越す予定です。
来月末にはソウル市で講演会を開催するから、その時会いたいわ」と綴られていた。
(花蓮は順調だな、、、それに比べ俺は、、、)キムは少し迷ったが、現状をありのままに返信した。
「ボランティアで2ヶ月ほどソウル市のゴミ拾いをしている。最近10人ほど仲間が増えた。しかしこれで有権者の票をどれだけ集められるか心配している。だが他に良い方法を思いつかないんだ」
花蓮も起きていたのかすぐに返信がきた。
「ゴミ拾いか、考えたわね。選挙まではまだ時間があるけど、今から何らかの形でソウル市に関わっていたら、きっと何かの役に立つわ。
それにソウル市議会でも汚職など不祥事が多くて市民は辟易しているから 、選挙運動の時に『ゴミ拾いのキムイルソンです、私にソウル市議会のゴミ拾いをさせてください』と言って戦えばたぶん当選するわ。
それはそうと、無収入でボランティアして、お金はあるの。なくなったら言ってね送金するから」
(ふう、相変わらずの姉さん女房だ、、、だが、ありがたい、、、
それにしても『私にソウル市議会のゴミ拾いをさせてください』か、悪くない。よくこんなアイデアを思いつくものだ。花蓮はもしかしたら天才かもしれない。選挙直前までゴミ拾いを続けるべきだな)
花蓮からのメールを読んで気が楽になったキムは、その夜よく眠れた。花蓮は文字でも人を癒せるのかもしれない。
それから数週間が経ったある日、いつものように数人でゴミ拾いをしていると、ソウル市清掃行政課の職員が来て言った「お前ら市が雇った清掃員の邪魔するのか、すぐに辞めろ」
「邪魔などしていない。毎日毎日ゴミが溢れている。これだけの人数でやっても翌日にはゴミだらけだ。清掃員の仕事が無くなるはずがない、その清掃員は噓を言っているんじゃないのか」
「なんだと、お前は市の職員の言う事が聞けないのか」
キムは(なんだこの男は、本当に市の職員か)と思ったが、丁重に言い返した。
「そんな事は関係ない、我々はソウルを綺麗にしたいだけだ。君こそ邪魔をしないでくれ」
職員はしばらく無言でキムを睨んでいたが「くそ、覚えていろ」と捨て台詞を吐いて去った。
キムたちは何事もなかったようにゴミ拾いを続けた。
数日後、市議会議員と名乗る男と数人の清掃員がキムの前に現われた。キムは、清掃員に全く見覚えがなかったが、市議会議員は言った。
「清掃員がお前たちに仕事を奪われた、裁判所に訴えたいと言っているが、どうする」
「仕事を奪われた?、こんなにゴミがあるのに、ですか」とキムは、不思議そうに聞いた。
「ゴミは多い方がいいんだ、清掃員を多く雇えるからな。それに、お前らのように無給でやられちゃ清掃員は困るんだよ。そんな事も分からねえのか」と市議会議員はまるで893のような口調で言った。
キムは(市議会議員がこんな言い方をするだろうか、この人は本当に市議会議員だろうか)と思ったが、その事は言わず清掃員に向かって言った。
「分かりました、どうぞ裁判所へ訴えてください。裁判所で話し合いましょう。しかし裁判所からの呼び出しが来るまでは続けますので邪魔をしないでください」
すると市議会議員は急にうろたえて言った「い、いいのか、本当に訴えるぞ」
「どうぞどうぞ、俺の方はかまいませんから、訴えてください」とキムは平然と言った。
すると市議会議員と清掃員たちは、きまり悪そうに去って行った。
その夜キムは、市議会議員をネットで調べたが、昼間の男は議員名簿に載っていなかった。
キムは不思議に思いいろいろ考えてみた。
(市議会議員ではないようだし、この間の職員も怪しいな、、、しかし何故、邪魔をするのだろう、、、昼間の男は「無給でやられたら清掃員が困る」と言っていたが、何故だろう、、、何か裏がありそうだな、、、調べてみるか)キムは興味を持った。
キムは、ソウル市のホームページやら清掃員の雇用状況、清掃員の給料等も細部まで調べた。
その結果、市による清掃員人件費等支出と清掃員の実際の給料等に大きな違いがあるのに気づいた。それだけでなく、書類上の清掃員の人数が異様に多く感じた。
キムは既に3カ月以上もゴミ拾いを続けているが、出会った市の清掃員は数えるほどしかいなかったのだ。
翌日キムは、ゴミ拾いは他の人たちに頼んで、一人で市内の他の繫華街に行った。しかし、そこでも市の清掃員はわずかだった。また別の繫華街も少なかったが、そこで見かけた年配の清掃員にキムは、さり気なく聞いてみた。
「いつもお世話様です。俺、この町に越してきたばかりで良く分からないんですが、生ゴミはこのゴミ箱で良いんですよね」
「ああ、」清掃員はそう言ってからキムを見て「越して来たって、どこから」とつまらなさそうに聞いた。
キムはとっさに思いついた地名を言った「済州市です」
「なに済州市か」
「はい、今向こうは仕事がなくて、それでここに職探しにきました、清掃の仕事は給料よいですか」「給料、、、話にならんほど少ない、じゃから皆すぐ辞めていく。今一緒にやっているのは6人じゃ」
「え、そうなんですか、、、」(調べた資料では数十人が働いている事になっていたが、、、)
キムはその後、市役所に清掃員の面接に行ったりしていろいろ調べた。すると大きな疑惑が見えてきた。キムは考えた(清掃員賃金等の支出は多いのに実際働いている清掃員は少ない、、、)
キムはもっといろいろ調べたかったが、市の職員にでもならない限りそれ以上は調べようがなかった。残念ではあるがキムは調べるのを諦め、以前のようにまたゴミ拾いを続けた。
それから数週間後、ソウル市で花蓮の講演会が開催された。キムは行くかどうか迷った末に(内容は済州市での講演と同じだろう)と考え止めにした。その代わり、夜二人だけで会った。
数ヶ月ぶりに会った花蓮は、少し疲れているようにも見えたが話し声は生き生きしていた。
「済州島での信者は1万人を越えたわ。韓真興業の仕事も順調に増えているし、これからはソウルを拠点にして信者を増やすわ。あなたも来年の市議会議員選挙、頑張ってね」
花蓮の話を聞くと、自分の無力さを改めて感じとりキムは力なく言った。
「ああ分かっている、しかし俺は今もゴミ拾いしかできないでいる、、、推薦入100人は何とかなりそうだが、得票数が心配だ、、、」
「そうね、、、このままでは心配ね、でも大丈夫よ、私には策があるわ」
「策、、、どんな、、、」
「今は言えないけど心配しないで、私が必ず当選させてあげるわ」
その後二人は朝まで共に過ごしたが、花蓮は策の内容は話さなかった。
花蓮が済州島に帰った後も、キムは以前と同じようにゴミ拾いを続けた。花蓮は策があるといったが、あれ以来なにも連絡はない。
(もうすぐ今年も終わる、年が明け4月には立候補登録しなければならないが、こんな状態で立候補したところで当選できるはずがない、、、いっそのこと立候補を止めようか、、、だったらゴミ拾いをもする必要もない、、、)
キムは、迷いながらもゴミ拾いを続けていた。そして、いつの間にか3月になったある日、ソウル市議会議員による不祥事がテレビで放送された。
市議会は当時、前政権与党議員が9割を占めていたが、その与党議員の多くがセクハラ行為等で告発されていた事が発覚したのだ。その中には、数人の女性から告発されていたのを金でもみ消そうとしていた悪辣な議員もいた。
この不祥事を暴露したのは数少ない野党女性議員だったが、彼女は半年以上も前から被害者女性からの相談を受けていて、弁護士と一緒に証拠固めを行い選挙告示が近づいてから一挙に暴露したのだった。その為、十分な証拠を突き付けられた議員は言い逃れできなかった。
このニュースがテレビで数日放送され続けていたが、何故か突然放送されなくなり、代わりに『国の為に勤労奉仕している人たち』という特集番組が放送され始めた。
このニュース放送打ち切りについて巷では、政府による圧力に違いないと、政府に対する不満が更に増した。
そんなある日、いつものようにゴミ拾いをしているキムの所へ、00テレビ局の男が、大きなテレビカメラを担いだ男を連れて来て言った。
「00テレビ局のカンと言います。当テレビ局では現在『国の為に勤労奉仕している人たち』の特集番組を作っています。貴方についてもテレビ放送したいのですがよろしいでしょうか?」
キムが二つ返事で快諾すると、テレビカメラの前でカンにいろいろ質問され、作業状況等を撮影された。1時間ほどで終わるとカンは「1週間後の水曜夜7時半から放送されますので見て下さい」と言って帰っていった。
1週間後、キムはその放送を見たが、30分の中に上手くまとめられているように感じた。
また、番組の終了前にキムが言った「フランスで日本人がゴミ拾いをした事をきっかけにして、地元の人たちもゴミ拾いをするようになり町が綺麗になった。日本人にできた事が、我々韓国人にできないはずはない」の言葉が反響を呼び、多くの人たちがゴミ拾いを始めた。同時にキムの知名度も上がった。
それ以降、キムがゴミ拾いをしていると多くの通行人が挨拶してくれたり、労いの言葉を掛けてくれたり、中には飲み物等の差し入れをしてくれる人まで現われた。
キムはテレビ放送の効果を思い知らされた。
その好条件のままキムは市議会議員選挙に立候補し、花蓮のアドバイス通り『ゴミ拾いのキムイルソンです、私にソウル市議会のゴミ拾いをさせてください』の看板を掲げて選挙運動を開始した。
与党議員の不祥事に激怒していたソウル市民は、8ヶ月も市内のゴミ拾いをしていたキムに好感を持ち、多くの有権者が投票した。
その結果、キムは初めての選挙でありながら見事にソウル市議会議員に当選した。
開票後数時間で当選確実になったキムは、チョウやゴミ拾い仲間と抱き合って喜んだ。
当然、老婆姿の花蓮もお祝いに駆けつけてきた。
二人は貴重な夜を共に過ごしたが、その二人をPEEが見守っている事までは気づかなかった。
ホテルの部屋で素顔の花蓮にキムは聞いた。
「与党議員の不祥事を暴露した女性議員と親しいのか」
花蓮はにっこり微笑んで言った。
「良い推理だわ、相変わらずね、、、ロンさんは新しい信者さんなの、正義感の強い良い人だわ、今後あなたも親密になって指導してもらうと良いわ。
そうだわ、あなたもロンさんと同じ政党に入りなさい。今回の選挙で与党議員はかなり減ってロンさんの政党が増えるから好都合よ」
「そのロンさんにお前が暴露を勧めたのか」
「ううん、私は暴露するタイミングだけ進言したの、何か事を起こす時はタイミングが大事なの。あなたのテレビ放送も同じ」
キムは驚いて言った「なに、テレビ放送もお前が手配したのか」
「私じゃないわ、私を補佐してくださっている信者さんたちなの。
ソウルの信者さんも既に1万人を超えていて、その中にはテレビ放送局に顔の効く人も居るの。
その人にさり気なく相談したら、無給で8ヶ月もゴミ拾いをしていた、あなたの事を知って感動し、その日のうちに撮影スタッフを派遣してくれたわ。全てあなたの地道な努力の成果よ、ゴミ拾いを続けてて良かったでしょう」
(その、ゴミ拾いに賛同してくれたお前は、まさかこうなる事まで予想していたのか、、、もしそうなら、、、)そう思ったキムは、花蓮に対して言い知れぬ怖さを感じた。
ソウル市議会議員としてのキムの生活が始まった。
集合場所の市議会会議室に入ったもののキムは、無所属議員であり知り人が全く居ず、どの椅子に座って良いのかすら分からなかった。
そこへ数人の人たちと一緒に入ってきたロンがキムに声をかけた。
「キムイルソンさんですね、教祖様から御話を伺っておりますわ、我が党に入りたいそうですね」
「はい、そうです、、、ロンさんですか、よろしくお願いいたします」
ロンはすぐに党首に紹介してくれ、その後なにをすれば良いのか等も教えてくれた。それから、端の方にあったキムの卓上用名札を持ってきて自分の隣の卓上に置き、そこの椅子に座らされた。
やがて初会議が始まった。順に自己紹介をし終えると新議長選出が行われた。
今回の選挙で与党議員数十人が落選し、その分新人議員が増えたがそれでもまだ与党議員が過半数を占め、議長副議長は与党議員になった。
初会議が終わり昼食の後、党の初会合が開かれ当然キムも出席した。
党議員着席し、党首が自己紹介の後で力強い声で言った。
「此度の選挙で我が党は23人の新人を得た。誠に喜ばしい事であるが、まだ過半数に達していない。これからの4年間、議員としての職務を全うし、有権者の皆様の信頼を勝ち取り、次期選挙で大躍進できるよう本日ただいまから邁進していただきたい」
党首の後、ここでも38人全議員が自己紹介したが、キムは最初の2年間は目立たないようにと花蓮に言われていたのを思い出して、ありきたりな事だけを言っておいた。
その夜、党による新人議員歓迎会が開かれた。ここでもキムはロン議員の横に座らされた。
23人の新人はまだ緊張が取れていなかったが、先輩議員にアルコールを注がれ次第に口が軽くなっていた。そんな新人議員の一人が言った。
「僕は与党のセクハラ議員をもっと追求するべきだと思う。恐らく余罪があるはずだ」
別の新人議員も言った「同感です、それにテレビ報道が急に打ち切られたのが納得できない」
新人議員はその話で盛り上がってきたが、キムはその場でも何も発言しなかった。2年間は目立たないようにと言う花蓮の言葉に従っていたのだ。
目立たないようにはしていたが、市会議員としての職務はきちんとこなした。議会での審議には必ず出席し、現在の市議会でどんな問題が処理されているのか、市民からどんな苦情が出ているのか等、常に把握していた。
ある面、無我夢中だった事もありあっという間に2年が過ぎた。
キムはすっかり市会議員としての貫禄が身についていた。だが、大統領を目指すキムにとって市会議員は一つのステップでしかなく、早く国会議員になりたかった。
だが花蓮は市議会議員を2期務めるべきだと言った。しかし、その理由は言わなかった。理由を言わない代わりに花蓮は、次期選挙までに与党議員の不正を探せと言った。そうする事が次期選挙再当選の約束手形になると言った。
キムは花蓮の言う通り、秘密裏に与党議員の不正を探した。だが、与党議員が不正をしていると噂がたっても、証拠はなかなか見つからなかった。
そんなある日、キムは市内の清掃員についての疑惑を思い出した。
(あの時は深く調べられなかったが市会議員になった今なら、、、)
キムは、働いている清掃員が少ない割に市の支出が多いという疑惑について調べた。
そして数ヶ月後キムは、清掃員への賃金支払いを水増し請求している事を調べ上げた。
市役所内に二重帳簿が存在し、公にできない裏帳簿は市長が持っているらしい事も分かった。
だが、市長が裏帳簿を持っていると言う確かな証拠はなかった。
キムとしては、その証拠が手に入らない限り、うかつに公表できないのだ。
キムは、花蓮に相談した。すると花蓮はあっさりと言った「私には策があるわ」
花蓮はPEEを通して江軍集団の二代目、江強鳳に相談した。
江強鳳は大喜びで言った「なに、教祖様が俺に相談だと、、、教祖様のいうことなら何でも聞くぜ」
かくして江強鳳配下の者が、市長の裏帳簿奪取に動いた。そして数ヶ月後その裏帳簿は花蓮の元へ届けられた。まさか本当に裏帳簿を手に入れるとは、と花蓮は江軍集団の力に驚いた。
花蓮はそれをキムに送った後、キムとロン議員の3人でテレビ電話で会話した。
キムも驚いて言った「いったいどうやって入手したんだ、市長宅には警備員さえ居なかったのか」
「私の信者さんの中には有能な人材が豊富だと言う事よ。ロンさんもそのお一人ね、、、これで次期市長はロンさんに決まりだわ」
「ありがとうございます、教祖様。でも次期はまだ無理ですね、その次なら恐らく党の議員倍増で市長と新党結成が可能になると思います」
「新党結成?、、、」花蓮とロンの会話が飲み込めないキムはまた驚いて言った。
「あら、ロンさん、キムさんにはまだ今後の予定を話していなかったの」と花蓮は、キムを他人と見立てて言った。キムと花蓮の関係は、まだロンにも知らせられなかったのだ。
「はい、まだ見通しが立たなかったので話していませんでした。しかし、これが手に入り現市長の退陣が確実になりましたので、キムさんには後ほど、新党結成についても含めてお話します」
「わかりました、よろしくお願いします。それとロンさん、活動資金等が必要な時はいつでも言ってくださいね、新党は韓真教団が支持母体となりますので教団が資金提供しますから」
「はい、ありがとうございます。必要になった時はご連絡いたします。で、新党名は韓真党で、、、」
「いえ、当初は、支持母体が教団だと言う事は公にしない方が良いと思いますので、、、そうですね韓正党とでも名付けておいてください」
「わかりました、教祖様の御支持通りにいたします、、、さてこの帳簿ですが、盗まれた事を知った市長は、恐らく証拠隠滅を計ると思いますので、早急に暴露しょうと思います。キムさんが調べ上げた証拠資料と共に次の定例会議時、市長の眼前で公表します」
「そうですね、良いお考えだわ、、、その時キムさんはこっそりビデオ撮影しておいてくださいね」
「ビデオ撮影、、、」と、急に話を向けられ驚いたキムは言った。
花蓮の言葉を補足するようにロンが言った。
「市議会では、市長の属する与党議員が多いので、自分たちに不利な質問等は記録に載せない事もあるのです。記録がないと後日そんな話は知らない、と無視されかねません。そうならないように、携帯電話でも良いですからビデオ撮影しておくのです。
今まで目立った事をしていないキムさんは、まだ与党議員にマークされていないと思いますので適任です。会議時、私が質問を始めたらキムさんは、さり気なく離れて、こっそり私や市長の顔が入っている動画を撮ってください。市長は恐らく慌てふためくでしょうから、そのような市長の表情まで撮れれば最高です」
「う、う~ん、、、」ロンの話を聞いてキムは唸った、そして思った。
(俺に2年間は目立たないようにと花蓮が言ったのはこのような時の為だったのか、、、)
キムは、未来の事まで見通して物事を考えられる花蓮に改めて脱帽した。そして(ロンさんも凄い人だ。議員としての行動力もすごいが洞察力もすごい、、、その事も見抜いた上で花蓮は、ロンさんに着けと俺に言ったわけか、、、)と思った。
三人のテレビ電話での会話が終わると、キムは以前動画配信用に使っていた、小型ビデオカメラを取り出し操作方法を確認した。
定例会議時、議題項目の審議が終わると議長が言った。
「これで本日の審議を終えます。あと何か提案事項等ありませんか」
即座にロン議員が挙手して言った「市長に清掃員給与水増し請求についてお尋ねします」
キムはさり気なくその場を離れ、前もって仕掛けておいた花瓶横のビデオカメラのスイッチを入れ、元の席に帰って座った。
ロン議員の驚くべき質問に気を取られていた他の議員はキムの行動など気にもとめなかった。
ロン議員が職員に手伝ってもらい、資料のコピーを議員全員に配布し終えると席に戻って発言した。
「市長、この資料は今年4月までの市雇用清掃員の給与と市の支出についてのものですが、金額的に明らかな違いがあります。これについての御説明をお願い致します」
途端に市長の顔色が変わり、会場内にどよめきが起きた。
顔面蒼白の市長がしどろもどろに言った「き、君、こ、こ、こんな資料をどこで手に入れた」
「こんな資料なんて役所で簡単に揃えられますわ、それよりもこの帳簿の方が資料としての重要性が高いと思いますが、これのコピーも全員にお配りしますね」
「ぎ、議長、会議を終了しろ」そう言うと市長は会場から逃げるように出て行った。
議長もどもりながら言った「ほ、本日の、か、か、か、会議、し、終了」
この出来事は翌日のトップニュースになった。
キムが撮影した動画も部分的にテレビニュース等で報じられた。
数日後、横領の疑いで市長ほか数人の与党議員が逮捕された。市議会は大混乱になった。与党の信用は失墜し、数ヶ月後の補欠選挙では、与党候補者は一人も当選せず、数ヶ月前から準備していた韓真教団信者の候補者が全員当選した。
1年後の市議会議員選挙では与党は総崩れ、大幅に議員数を減らし、反対にロン議員たちの政党が倍増し与党になった。市長選挙でも補欠選挙で市長になっていた元党首が当選した。
キムも無難に再当選し、市議会議員2期目に入った。
2期目に入ったキムは、目立つ行動が急に増えた。市主催の、観光地清掃勤労奉仕活動にも参加し、テレビカメラの前で国民に美化運動を呼び掛けた。
もともとボランティアでゴミ拾いをしていて市議会議員になったキムの発言には説得力があり、国民から多くの支持賛同があつた。
その支持を高めつつ無難に市会議員を4年勤めた後、キムはソウル特別区から国会議員選挙に立候補し当選した。
同じ年にロン議員はソウル市長選挙に立候補しロン議員も当選した。
ロン議員は当選するとすぐ韓正党を結成し、新人議員に入党を呼び掛けた。
当時ソウル特別区の市会議員には韓真教団信者の無所属議員が既に数十人いて、彼らはみな韓正党に入党した。
また、キムが初当選した国会議員選挙でも韓真教団信者が多くの選挙区から立候補し、当選していた。そしてキムもまた、同期新人議員と一緒に韓正党員になり党首になった。
キムは国会議員になった1期4年間も無難に過ごし、2期目の国会議員選挙を迎えた。
この選挙の時、花蓮は韓真教団の教祖を辞め済州島選挙区から立候補した。
キムは開票後数時間で当選確実になったが、花蓮は開票後すぐに驚くべき得票数で当選確実になった。花蓮の最終的な得票率は国会議員選挙では歴代一位になった。
また、この選挙で新たに当選した韓真教団信者の議員が30名に登り、全て韓正党に入党した。
これで韓正党議員は98名になった。キムは党名を韓正党から韓真党に代えた。
党で開催された祝賀会の後、やっと二人だけになれたキムと花蓮は、抱き合って現状を喜んだ。
「国会議員当選おめでとう」
「ありがとうございます、先輩」
「先輩は花蓮の方だ、俺をここまで導いてくれたのは花蓮だからな、、、それにしても、まさか教祖を辞めて国会議員になるとは思わなかった」
「これも全て、あなたを大統領にする為なのよ。あなたが大統領になる為には韓真党議員が一人でも多い方が良いわ。それに、あなたが大統領になれば私はまた教祖になれるし、、、
でも、ファストレディにもなりたい、、、まあこの事は、あなたが大統領になってから考えるわ。
それより、これからの8年間が本当の戦いになるわ。先ず党の基本方針として、噓をつかない事を表明し実践していかなければならないわ。噓をつかないということは、歴史認識においても言えるので、そうなると歴史認識の面での他党や国民との戦いになるわ。本当に前途多難だわ」
「、、、歴史認識か、、、確かに、、、噓の歴史認識を基にしていたら国は決して発展できない、、、
歴史教育を大改革して一気に国民の歴史認識を変えなければならないが、韓真党党首という立場ではまだできない、、、」
「その通りよ、大改革は、あなたが大統領になってからでないとできないわ。だから歴史認識による他党との対立は今はまだ避けないといけない。でも我が党は噓はついてはいけないわ」
「、、、俺は韓真党党首として責任重大だな、、、」
韓真党は歴史的な事については極力関わらないで、党員増加と経済政策に努めた。そして4年間を無難に過ごし、韓真党として初めての国会議員選挙を迎えた。
この4年間でキムと花蓮の知名度が上がった事と街角での地道な選挙運動の成果か、幸い党員を増やすことができ、大台の100人を越え102人になった。
この時、与党は124人、野党第二党は63人で、もし野党第二党と韓真党が連立すれば政権奪取可能であり、そうなればキムは政権与党党首になれたし、野党第二党からの誘いも強かったがキムは断った。キムとしては自党だけでの過半数を目指していた。
(国会議員の過半数、そして国民の半分以上の支持が得られなければ大改革はできない)とキムは考えていたのだ。
しかし野党第二党の党首は連立して政権を奪おうと、しきりにキムを誘った。一方、2年目に入った大統領は与党出身であり、連立される事に危機感を抱いていて、連立妨害を企てていた。
野党第二党は反日政党であり、その面では大統領も同じだったが、韓真党は、その事についてはっきり表明していなかった。大統領はそこに目を付け、キムを親日家だと言って糾弾した。
キムはこの時、周りの議員が驚くほどの強い口調で言った。
「大統領はこの国の現状を理解していないのか。経済が崩壊寸前の状態で、世界中から見放され資金援助さえ得られない今、私が親日家か反日家か等と言っている場合かどうかさえ判断できないのか。そのような無能な大統領はこの国には不要だ」
キムのこの発言は翌朝の新聞やテレビで放送され、国民を巻き込んだ大論争になった。
「野党第一党党首、大統領批判」「キム党首傲慢発言」「キム党首の発言は正論、今は親日家反日家とか言っている場合でない」「大統領は先ず失業者救済をしろ」「インフレを止めろ」「経済を立て直すと言った公約は噓だったのか。大統領は他人を批判する前に公約を守れ」、、、
キムにとっては幸いな事に世論は大多数が大統領批判になった。
墓穴を掘った大統領は以後キムが親日家かどうかについては触れなくなった。
花蓮が笑いながら言った「うまく処理したわね。これでまたあなたの知名度が上がったわ」
「不幸中の幸いだ、親日家だと追求されたら逃げられなかった。世論に救われた、、、」
「まあ運も良かったかも知れないけど、、、でもこの手は使えるわね、発言して論争を起こさせ、相手を論破するの、当然公開テレビ放送で、恐らく放送局は乗って来ると思うわ」
「なるほど、、、で、論争の内容は何だい」
「当然、歴史認識についてよ。この国では今なお噓の歴史教育をしているわ。これを改めなければこの国は滅びる、と発言して公開討論に引き込み相手を論破するの、、、
歴史認識の大改革は、あなたが大統領になってからの計画だったけど、大統領選挙に備えて前もって論争を起こし、あなたの目標を公開するの。当然、あなたの知名度も更に上がるわ。何よりも国民に、この国の未来について考えさせれる切っ掛けになるわ」
「さすがは花蓮だ、良いアイデアだ。で、いつ発言して、いつ公開討論に持ち込む」
「そうね、あなたが大統領選挙出馬表明する直前が良いと思うわ」
「分かった、それで行こう、、、ではそれに備えて今から布石を打っておこう。先ず現大統領の歴史についての間違った発言を記録しておいて、公開討論時に追求する、、、そうだその前に、公開討論の相手は誰にする」
「大統領が一番良いけど、恐らく応じないでしょ。となると国務総理とか党首になるわね」
「よし、ではその人たちの間違った発言を記録しておこう」
「それと公開討論の時、あなたの助っ人が必要だわ。あなたの歴史認識は正しいけど、それを正しいと認められる人がいない。だから正しい歴史認識を持っている歴史学者が必要よ。
その歴史学者にも参加してもらい、相手側にも歴史学者を連れて来てもらうの。そうすると歴史学者同士の争いになるかもしれないけど、あの歴史学者なら相手を制する事ができるでしょう」
「あの歴史学者、、、李0薫先生か」
「もちろんよ、他に誰が居て、、、先生ご自身も公開討論を呼び掛けたけど、誰も応じなかった。
陰口を言う人は居ても、公開討論で論戦できる歴史学者は一人も居なかったのよ。
先生も心残りのはずだわ。だから先生にとっても最後の晴れ舞台になるかもしれないわね」
「ウ~む、なるほど、、、でも李0薫先生だと分かれば歴史学者は来ないかもしれないよ」
「そうね、、、では公開討論当日まで先生の名前を伏せておいて、相手には歴史学者を来させておくの。公開討論時、李0薫先生だと分かって、もし相手の歴史学者が逃げ出せば、それはそれで批判材料にできるわ」
「良い考えだ、それで行こう、、、
それにしても花蓮、お前は何て頭が良いんだ、、、お前と夫婦だった事を誇りに思うよ」
「何を言ってるのよ、今だって夫婦でしょう、未来永劫、夫婦でしょう。今はただ、あなたを大統領にする為に離れているだけよ」そう言って花蓮はキムに抱きついた。夫婦であることを再確認するかのような長い長い抱擁だった。
大統領選挙前年、キムは「我が国の未来について」と題して公開討論会を呼び掛けた。
予想通り大統領も国務総理も拒否したが、与野党党首は参加した。また各党首が1名の歴史学者を参加させれたが、数人の歴史学者は会場で李0薫先生の顔を見て慌てて帰って行った。
参加者は結局、党首4人と李0薫先生とテレビ局側の司会者だけだった。
その司会者がマイクを片手に党首4人と李0薫先生を紹介し討論が始まった。
司会者は先ず与党党首に「我が国の現状と予想される未来について」発言を求めた。
与党党首は言った「我が国の経済は緩やかだが回復に向かっている、未来は明るい」
次に野党第一党党首のキムが言った。
「我が国の経済は、全く回復していない。20年前の水準にすら達していないのに、与党党首は何を根拠に回復に向かっていると言われているのか、データを基に国民に説明していただきたい」
与党党首は苦々し気にキムを睨んだが、司会者は無視して野党第二党党首に発言を求めた。
「キム党首の言われる通り、我が国の経済は低迷している。未来は暗いとしか言いようようがない。しかし、与党党首としては立場上真実を発言できないのだろう」と野党第二党党首は言った。
次に野党第三党党首は言った「正に、第二党党首の発言通りです。我が国は早急に経済を立て直さなければならない。その為には海外からの融資を積極的に迎え入れる必要がある。与党党首にお聞きしたいが、海外投資家の動向はいかがでしょうか」
与野党党首の発言が一巡して司会者は一瞬李0薫先生を見たが、発言意思なしと判断して、また与党党首に発言を促した。すると与党党首は渋々発言した。
「確かに各党首の言われる通り、経済は低迷しているが、政府は積極的に経済刺激策を推進しております。数年後の景気上昇は確実でしょう」
キムは司会者に促される前に叫んだ。
「根拠のない見通しはやめていただきたい。我が国の経済低迷は20年以上も続いている。あなたがた政府与党がこの20年間に行った政策は何一つ成功しなかったのは明白だ。与党は下野するべきだ」
続いて発言した野党党首二人も同調した。三度目の発言に与党党首は開き直ったように言った。
「ただ批判するだけなら誰でもできるが、では野党側に良い政策があるのか、あるなら聞かせてください」
キムは待ってましたと言わんばかりに堂々と発言した。
「経済低迷の根本的原因は政策うんぬんではないのです。我が国に信用がないという事こそ本当の原因なんです。
信用のない国に融資する外国銀行はありませんし、投資する外国人投資家は居ません。
政府は政策うんぬんを言う前に何故そこを考えないのでしょうか。
また我が国は輸出で発展して来た国です。そんな我が国に、海外からの融資も投資も入って来なければ新しい産業が生まれず、経済が低迷するのは当たり前です。
このような事は経済学者でなくても分かる事です。それなのに政府は根本的原因についての対策を何もしていない。単なるバラマキ政策に終始しているだけです。これでは何年経っても我が国の経済は良くなりません。20年以上も経済低迷しているのは当然の結果です。
我が国は何より先に根本的原因である、国としての信用、韓国人としての信用を作り上げないといけません。その為には噓をついてはいけないのです。
我が国は恥ずかしい事に、詐欺犯罪率が世界一です。イギリスから詐欺共和国という不名誉極まりない称号さえ投げつけられているのです。つまりは、韓国という国は信用できない国だと見なされているのです。そんな我が国に、どこの国が援助してくれますか。誰が投資してくれますか。
我々韓国人が噓をつかない人間になり、韓国という国が信用できる国だと認められない限り、我が国の経済発展は望めないでしょう。
我が国の国民はもうこれ以上、噓をつくのをやめましょう。また子どもたちに噓を教えるのをやめましょう。我が国を噓のない国に変えましょう。それ以外に我が国を建て直せる方法はないのです。
この歴史教科書を見てください。我が国の30年前と現在の教科書です。どちらも噓だらけです。
00ページに『韓国は日本と戦って独立を勝ち取った』とあります。
韓国がいつ日本と戦いましたか。どこで、どんな戦いをしましたか、、、正に、噓だらけです。
我が国は、こんな噓を何十年も変わらず子どもたちに教えているのです。これで良いのですか。我が国は、子どもたちに噓を教え続けていて良いのですか。
噓の歴史を学んだ子どもたちが、噓の歴史認識を持ったまま大人になり、外国人と接したらどうなりますか。世界の一般的な歴史認識と全く違った、我が国独自の噓の歴史認識を持った人間が恥をかくのは歴然としていますが、これで良いのですか、、、
この際だから断言しておきます、独島は日本の領土です。日本で言う竹島を我が国の初代大統領李承晩が数十人の日本人漁民を殺傷し、人質にして日本から略奪した島です。
この事実さえも認められなら、韓国人は永遠に噓つきのままです」
突然「噓をつくな独島は韓国の領土だ」と、第二党党首が怒鳴った。
するとキムは、第二党党首に向かって静かに言った「その証拠を言ってください」
第二党党首は怒り狂っているのか握りしめた手を震わせながら早口でまくし立てた。
「我が国の官選文献に独島が我が国の領土であると明記されている、キム党首はそれさえ知らないのか」
「官選文献の事は知っています、しかし残念な事にあれは証拠になりません」とキムは冷ややかに言ってから、その理由を歴史学者のように細部まで正確に説明した。
反論の余地はなかった。第二党党首は怒りで顔を真っ赤にし、大きな失言をした。
「例えそうであっても我が国の民意は、独島は我が国の領土だ、日本が何と言おうと独島は我が国の領土だ。お前は我が国の民意に背くのか」
この時の為にキムは、わざわざ鏡を見て練習した、人を見下したような表情で言った。
「貴方は愚かな韓国人の代表だ、、、一国の民意が国際法よりも権威があるとお思いか。
貴方は国会議員でありながらその事さえ理解できないのですか、恥ずかしくないですか、国会議員失格ではないですか。20年ほど前、M大統領が国際法を無視して日本との合意を反故にした結果、その後の我が国はどうなりましたか。国際的な恥をかき、どこの国からも見放されました。
第二党党首は国際法を無視して、もう一度M大統領と同じ失敗をしたいのですか」
キムの辛辣な批判に第二党党首は荒々しく立ち上がり会場を出て行った。
その場はしばらく静まっていたが、これ幸いとばかりにキムが更に発言しょうとした時、与党党首が勝ち誇ったように言った。
「この公開討論の場で、テレビ放送されているこの場でキム党首は、独島は日本の領土だと宣言した。君は、我が国の民意を敵に回したのだ。君こそ国会議員の肩書きを失うことになるだろう」
「ハハハ、真実を言っただけで失うような国会議員の肩書きなら、私は要りません。その代わり、真実を言える大統領になります。私は来年の大統領選挙に立候補します」
与党党首は、若造が何を言うかという顔つきで言った「なに、君が大統領選挙に立候補するだと」
「はい、私は来年、必ず大統領になります。そして我が国の噓を無くします。
国民の皆さん、噓を言ってはいけません。独島は日本の領土です。本当の事を言って自国が損をしても、噓を言ってはいけないのです。民意がどうのこうの、それは他国には関係のない事です。民意を持ち出して噓を言っても他国は相手にしてくれません。真実は真実として認めなければなりません。独島が日本の領土だという事」
その時、突然与党党首が怒鳴った。
「売国奴、お前は日本の犬か、日本の工作員か、お前こそ噓つきだ。独島は韓国領土だ」
「いや、それは与党党首が間違っている、独島は日本の領土だ、その証拠は充分にある」と、今まで無言だった李0薫先生が穏やかな口調で言い、少し間をおいて更に言った。
「私は30年も前からその事を言ってきた。しかし誰も聞いてくれなかった。
我が国の国民は、法律で決まっている事でも、感情に反する事は受け入れなかった。
独島が日本の領土だという事を、感情的にどうしても受け入れられなかったのだ。
そして私も韓国人であり、私も感情的にはその真実を受け入れ難い。
しかし国際社会では、、、それでは通用しないのだよ、、、そうではないかね与党党首、、、
我が国の国民が、やれ民意がどうの、やれ国民情緒法がどうのと言って、何十年も国際社会の常識に反する行いをしてきた結果が今のこの国の状態だ。
与党党首は、我が国の今の状態が素晴らしいとでも言うのかね、違うだろう、、、
我が国はいま正に、危機存亡の状態なのだ。そして我が国をこのような状態にしたのは紛れもなく今までの大統領であり政府であり、その大統領を選んだ国民自身なのだ。
つまり大統領も政府も国民もみな間違っていたのだ。
今までやって来たこと全て間違っていたのだよ。
民意がどうの国民情緒法がどうのと言っていたのでは、今の国際社会では国を維持していく事すらできないのだ。
約束事は守る、決められた事は決められた通りに実行する、この最低限度の事だけでも完遂しなければ、国際社会の中で国家としてさえ認めてもらえない、、、これが世界の現実だ、、、
私はキム党首を支持する。キム党首は何も噓を言っていない、、、
残念だが独島は日本の領土だ。噓だと思うなら国際司法裁判所に訴えれば良い、、、
最後に私も一つだけ断言しておこう、、、真実を言う人を、国民が糾弾するような国は必ず滅びる。
何人も噓を基にして他人を批判してはならないのだよ」
李0薫先生が話終えると会場に静寂の時が流れた。
やがて野党第三党党首が意を決したような表情で言った。
「キム党首、我が党は韓真党と連立したい。我が党はキム党首の御考えに賛同する、、、
我が国から噓を取り除こう。そして真実を基にして国を建て直そう。今まで何十年も続いていた噓だらけの政策は、もううんざりだ。噓だらけの政策では国は決して良くならない、、、
キム党首、我が党との連立を御検討願いたい」
「野党第三党レン党首、ありがとうございます。次回の党会議で検討いたしますが、恐らく反対する党員は一人もいないと思います」そう言ってキムはレン党首に向かって軽く頭を下げた。
レン党首も恭しく頭を下げたのを見届けてからキムは司会者に目配せした。司会者は言った。
「さて、大変に盛り上がった討論会でしたが、時間もなくなりました。これにて終了いたします」
会場の明かりが消された。キムは李0薫先生に走り寄り頭を下げてから言った。
「李0薫先生、ありがとうございました」
「キム党首か、、、礼には及ばぬ、、、私は真実を言ったまでだ、、、
私はずっと真実を言い続けてきた、だが聞いてくれる人が居なかったのだ、、、
私の主張に異論があるなら公開討論すれば良いのに今日も逃げ出しおった、卑怯者めらが、、、
君は大統領になると言ったが、大統領になるなら、先ずこの国の国民を変えなくてはならぬ。真実を聞いて、それを理解し受け入れられる人間に変えなければならんぞ。
それができなければ誰が大統領になってもこの国は良くならん、、、君にできるかな」
「必ず、国民を変えてみせます」
「、、、良いだろう、期待しておるぞ」
そう言って立ち去る 李0薫先生の後ろ姿にキムは深々と頭を下げた。
そのキムを見ていた与党党首は、この公開討論会がキムが仕組んだものである事を悟り、キムに対する憎悪を募らせた。
翌朝の大手新聞1面に「キム党首、独島は日本の領土と発言」「売国奴議員キム党首、独島日本領」「キム党首、官選文献の独島韓国領記載を否定」等、独島に関した条項のみ報道。
巷ではキム党首バッシングが広まるかに見えたが、討論会をテレビで見ていた視聴者は、独島日本領発言に至る前のキム党首の発言も聞いており、新聞記事内容が独島発言のみを切り取った偏向報道であると見抜いていて、キム党首バッシングには加わらなかった。
それどころか、キム党首の「噓をなくし、信用される国にならなければ、我が国は決して良くならない」と言う発言に共感する国民が少しずつ増えていった。
国民は、バラマキ政策等、何年経っても代わり映えしない愚策により、経済低迷が続いている事で政府に対して不信感を抱いていた事も相まって、キム党首の斬新な主張に魅かれる人も出てきた。
結局、政府与党が企てた新聞を使ってのキム党首排斥運動は盛り上がらなかった。
一方キムは、翌日から「もう噓はやめようキャンペーン」を展開した。
「噓は国を滅ぼす」「我が国に噓つきは要らない」「みんなで噓のない国にしょう」等の標語の書かれたチラシを、この時、既に100万人を超えていた韓真教団信者や韓真党員が街角や駅前で配布した。また、キム自身も積極的にテレビ出演し、キャンペーン標語を広めた。
やがてこのキャンペーンの効果が現れてきた。半年後の調査で詐欺犯罪率が急減したのだ。
この調査結果は、大統領選挙に立候補したキムの強い追い風になった。
選挙戦が始まるとキムは、街頭演説を繰り返した。
当時のキムの街頭演説。
「皆さん、ちょっと聞いてください。皆さんは愚かな人たちを一つにまとめる方法を知っていますか。他人の意見は聞かず、自分の意見だけを通そうとするような、自分勝手な人たちをまとめるにはどうしたら良いか知っていますか。その答えは簡単です。みんなに共通する敵を作れば良いのです。
そして我が国には格好の敵がいました。それは日本です。
日本を敵にすれば我が国の国民がまとまり、大統領や政府の支持率が上がったのです。
大統領や政府は何もしなくても良い、無能で無策でもよい、国民の反日感情を煽るだけで良いのです。そうすれば支持率が上がり政権維持ができるのです。大統領や政府にとって、こんなに便利なことはない。だから大統領は、自ら進んで反日発言をし、国民の反日感情を煽ったのです。
しかし皆さん御考え下さい。反日行為をして我が国は発展しましたか。大統領や政府に煽られて、日本を敵と認定し、反日感情をむき出しにして日本を罵り見下し貶めて、日本製品不買運動までして、その結果、我が国は成長しましたか、豊かになりましたか。
豊かになるどころか、日本に嫌われて、支援も投資もされなくなり我が国は貧困国になりました。
当たり前です。敵対行為をしていない日本を、我が国が勝手に敵国認定して反日行為を繰り返せば、当然日本が怒って反発する。こんな事はちょっと考えれば誰だって解る事です。
しかし、こんな事さえも我が国の大統領や政府は解らなかった。
何故なら、大統領や政府が愚かで無能だったから。
国民の反日感情を煽らないと国民をまとめられないのは、大統領や政府が無能で愚かだからです。
つまり歴代大統領そして現大統領のように、国民の反日感情を煽らないと政権を維持できないような無能な人間が大統領になっても、我が国は決して良くならないのです。
次期大統領選挙候補者の方々をよく見てください。みんな反日感情を煽っています。
こんな候補者が大統領になっても無駄です。彼らには韓国の為でなく、自分の為に大統領になろうとしているのです。
彼らは、バラマキ政策と反日を吹聴するだけで、韓国を良くする為にはどうしたら良いのかと言う基本的な公約すら発表できない。
だが私は違う。私は韓国を良くする為の公約をここで宣言します。
しかしその前に有権者の皆さん、現在の韓国にとって一番必要なものは何かを考えていただきたいのです。
現在の韓国にとって一番必要なものとは何でしょうか。それは『信用』です。
国際社会から見て現在の韓国で一番足りないものは『信用』なのです。
韓国はこの信用を早急に創り上げなければなりません。
我が国の多くの国民は決して認めようとしませんが、今までの我が国の信用は、日本が肩代わりしてくれていたのです。
銀行の信用状を調べてください。日本の銀行の信用状です。我が国の信用状ではないのです。
日本の銀行のおかげで我が国は貿易ができていたのです。
国際社会から見て韓国は信用がないのです。当たり前です。韓国は詐欺犯罪率が世界一です。
イギリスから『詐欺共和国』と言う不名誉な称号さえもいただいています。
詐欺とは人を騙す事です、噓をつく事です。つまり韓国は世界一の噓つき国家であり、我々韓国国民は世界一の噓つき人間だと国際社会から見られているのです。
この現実を有権者の皆さんはどう思われますか。
国際社会から、世界一の噓つき人間だと見られているこの現実を、有権者の皆さんはどう思われますか。名誉な事ですか、とんでもない、不名誉な事です。こんな不名誉な事はない。
信用は、人と人との交際でも、国家間においても、最も重要不可欠なものなのです。しかし我が国、韓国にはそれが欠けていたのです。
欠けていたものは補わなければなりません。我々韓国国民は信用を創り上げなければならないのです。しかし、信用というものは1日や二日で創り上げられるものではありません。5年10年、いえ、もっとかかるかもしれません。
しかし何年かかろうとも、今やらなければならないのです。今、信用を創り上げなければ韓国は、更に国際社会から爪弾きされ続け、数年後には経済崩壊するでしょう。
韓国は、信用という面では既に崖っぷちに立たされているのです。正に背水の陣の心構えで信用を創り上げなければならないのです。
私はこれから公約を宣言します。
私が大統領になったら、第一に学校教育、特に歴史教育を大改革します。
恥じ入るべき事ですが韓国は、初代大統領李承晩から歴代大統領そして現大統領に至るまで90年以上も捏造された歴史を子供たちに教えてきました。
その結果、韓国国民の歴史認識は、国際社会から全く信用されない状態になりました。
韓国建国についても『独立運動の結果、日本から独立した』と多くの韓国国民は認識していますが、全くの大噓です。韓国は日本から独立したのではありません。
朝鮮分断の際にアメリカによって与えられた独立なのです。韓国国民の努力によって勝ち取った独立ではありません。悲しいですが、これが真実です。
他にも、500年以上も中国の属国だったという歴史的事実など、真実の歴史を知る事は、我々韓国国民にとっては辛い事であり悲しい事ですが、しかし、これからの韓国国民は真実の歴史を知らなければなりません。もう噓の歴史を信じ込んでいるわけにはいかないのです。
真実の歴史を知って、正しい歴史認識を基にして、今後の韓国の信用を創り上げていかなければならないのです。
真実の歴史を知るために、教育部長官として反日種0主義の筆者、李0薫先生に教育改革をお願い致したいと考えております。李長官の元、韓国国民は 正しい歴史認識を基にして『噓をつかない人間』に変わらなければなりません。
せめて日本人と同等の噓をつかない人間になり、国際社会からの信用を得なければ、韓国の未来を切り拓いていく事はできません。
我が国は現在、経済崩壊の危機に瀕しており、国民の負債も国家の負債も高額です。
経済を立て直すには外国から更なる借金をしなければなりませんが、しかし信用のない我が国にどこの国が御金を貸してくれるでしょうか。
御金を借りるにも信用が根底条件になります。経済を立て直すにも信用が不可欠なのです。
私以外の大統領選挙候補者の中で、このような事を考えている候補者が居るでしょうか。
私以外に、韓国を良くできる候補者が居るでしょうか。
私以外に韓国を立て直せる候補者が居るでしょうか。
聡明な韓国国民の皆さん。韓国を立て直す為に、どうぞ私を大統領にさせてください。
韓国のより良い未来の為に私を選んでください。」
キムの街頭演説は有権者の心を掴んだ。
キムが街頭演説を始めると道行く人々が足を止め聞き入った。多くの人々がすぐに集まった。
100人、1000人と集まり人だかりができ、場所によっては交通が遮断された。
その人だかりを街角から忌々し気に睨んでいた他の立候補者の一人は、キムを何としてでも引きずり降ろそうと、ソウルの裏社会の実力者に相談した。
「二代目、江強鳳さん、礼金ははずむ、あの青二才を地獄に突き落としてくれ」
「、、、」
「どうした二代目、あんたにとっちゃあ簡単な仕事だろ、頼むぜ、前金5億でどうだ」
「、、、俺は韓真教団の信者だ、、、身うちには手を出さん、、、失せろ」
相談に失敗した立候補者は帰る他なかった。裏社会の人間に相談したという事実を暴露されるかも知れないという爆弾を抱えて、、、
2042年の韓国大統領選挙は開票後1時間でキムの当選確実となりあっけなく終わった。
結局、大統領になる為に20年も前から計画し努力してきたキムに、太刀打ちできる候補者など居なかったのだ。
新聞テレビ等報道機関は、51歳の若さで大統領になったキムを称えたが、年配者はキムのような若造に韓国の未来を左右されるのに不快感を示す者も居た。
だが、そのような年配者もキムの就任演説を聞いて考えを変えざるをえなかったなかった。
キムの大統領就任演説
「国民の皆さん、前置きも美辞麗句も抜きにして言わせていただきます。
私はこれからの5年間、我が国を世界に通用する国にする為に大改革をします。
その一番に学校の教育、特に歴史教育を改革し、世界に認められた真実の歴史だけを学校で教えさせ、子どもたちに正しい歴史認識を身につけさせます。
二番目は、噓の歴史認識を基にして、他国を批判する事を禁じます。
我が国は今まで、我が国で勝手に作った噓の歴史を基にして日本を糾弾し貶めてきました。
しかしこれは完全な間違いです。何人も噓の歴史を基にして他国を批判してはいけないのです。
その為にも全ての国民が真実の歴史を知らなければいけません。子どもたちだけでなく大人も真実の歴史を学び直しましょう。
三番目には、外国の良いものは、何でも取り入れて活用します。
子どもたちの教育においても、戦前の日本の教育勅語等も取り入れますが、この件について異論のある方は後ほど教育部の担当者と議論してください。
我が国は今後、特定国の物だからダメだ、とか、戦犯国から学ぶものなど何もない等と愚かな事を言う者は無視します。
我が国を立て直し発展させる為には、愚か者の相手をしている暇はないのです。良い物は良い物として、どんどん取り入れ活用しなければならないのです
四番目は、世界中から信用される国にし、我が国の国民は信用できると、世界中の人々に言われるようにします。その為に噓つきを取り締まり、罰則を強化して詐欺犯罪者を撲滅します。
我が国の現状は、世界中からの信用を失い、どこの国からも無視されています。正に、孤立無援の状態です。しかしその原因も全て、我が国が他国を騙し、信用を失ったからなのです。自業自得なのです。失ったものは取り戻さなければなりません。みんなで努力して信用を取り戻しましょう。
次に経済再建です。我が国は現在、巷には失業者が溢れ、職ある人の収入もわずかです。そしてそのような国民を救済しょうにも国にはその財源もありません。
我が国がこのような状態になったのも、今までの愚かな大統領と政府のせいですが、しかしそのような大統領を選んだのは我々国民なのです。突き詰めて考えれば全て我々国民が愚かだったのです。しかし人間は学び賢くなる事ができます。
過去の失敗を充分に理解して二度と同じ失敗をしない、我々はそのような賢い国民になりましょう。
我が国は現在、造船も自動車業界もIT関連企業も低迷し、正に大不況です。
しかし我が国の皆さん、我々は歴史に学びましょう。過去において、我が国の現状よりもはるかに悲惨な状態になった日本が、戦後大復興して世界に名だたる経済大国になったのです。
我が国の皆さん、我々は世界一優秀な大韓民国の国民です。
日本人にできた事が我々にできないはずがないのです。日本人に負けてたまるか、という心構えで我々は我が国の大復興を成し遂げましょう。
具体的な経済発展目標として、我が国はロボット産業大国を目指しましょう。
我が国は世界一出生率が低いのです。
子どもが少ない若い人が少ない、つまり労働者が少ないし、今後増える可能性も低いのです。
しかしそんな状態でも産業を発展させ経済を立て直さなければなりません。その為にはどうしても労働力が必要です。だからその労働力をロボットにさせるのです。
現在、人間がやっている肉体労働を順次ロボットに代えていくのです。
そうすると良く言われるのが、人間の仕事が奪われるという事です。
確かに肉体労働は奪われます。しかしそれで良いのです。
肉体労働を奪われた人間は頭脳労働者になればよいのです。
我が国は、頭脳労働は人間、肉体労働はロボットという社会を目指します。
その為には優秀なロボットを生産しなければなりませんが、我が国には世界一優秀な若者たちがいます。その若者たちに優秀なロボットを作ってもらいましょう。
また、政府もロボット工学専門の大学を創り、優秀な科学者とエンジニアの育成を援助します。
正に官民一体となり、世界一のロボット産業大国を目指しましょう、、、」
キムの演説は更に熱を帯びていき、観衆も益々惹きつけられていった。
演説が終わった時には、熱狂した観衆が大歓声を上げ、キムの名を連呼した。
その声は会場を埋め尽くし、更に数キロ先まで届いた。
キムの政策に対する姿勢も実に行動的で情熱的とも言えた。
その年の国会議員選挙で躍進した韓真党が単独で過半数の議席を獲得すると、キムはすぐに花蓮を国務総理に任命した。
国務総理は、大統領が病気等で動けない時、大統領執事を代行する権限がある為、大統領と行動を共にする時が多い。つまり二人で過ごす時間が多くなったのだ。
とは言え、二人は忙しかった。特にキムは、数々の新政策を直接陣頭指揮した為に睡眠時間さえ削らねばならなかった。
キムが先ず手掛けたのは、 李0薫先生の下で真実の歴史を学んだ歴史学者に新しい歴史教科書を作らせ、学年途中からそれに代えさせた。
また生徒数の少ない大学を統合させ一つの大学とし、空いた大学をロボット工学専門大学として、翌年から生徒を募集した。しかも試験合格者上位100人は学費免除とした。
その結果、失業中の若者が大挙して試験を受けた。
介護ロボット等、既に研究していた企業へは補助金を与え、研究所の増大を促して大学新卒者受け入れ先の準備もさせた。また研究者やエンジニアの優遇政策を推進した。
だが、すぐに補助金等の資金難に直面した。するとキムは数人の職員と一緒に、国内の資産家の家を訪ねて国債購入を頼み込んだ。
国の為に自ら訪問し、頭を下げて国債購入を無心する大統領に、資産家は驚嘆し、感激し、心を動かされ多量の国債を購入した。
年配の資産家は「我が国の為にこれほど真剣に取り組んでいる大統領は初めてだ。ワシはあの大統領の為なら全資産を使い果たしても良い」と言って目頭を押さえた。
大統領就任後数ヶ月でキムの人気は上昇し爆発した。
ナチス党員がヒットラー総統に陶酔したように、アメリカ国民がケネディ大統領に熱狂したように、いま韓国国民がキムに陶酔し熱狂していた。
キムにとってあっという間に1年が過ぎた。
手掛けた政策も軌道に乗り、キム自ら陣頭指揮を取らなくても良くなった。
大統領2年目、キムは花蓮と再婚し、二人三脚で韓国発展と韓国人の人間性向上に務めた。
やがて韓国は少しずつ発展し、韓国人は信用できる人間として世界に認知されるようになった。
韓国大統領2年目、キム大統領は執務室で国務総理の花蓮と話し合っていた。
「さあいよいよ難関に挑むぞ、、、国務総理、最初はどこの国にしたら良いかな」
「、、、日本と言いたいですが、国民感情を考えると反発が強すぎると思います。最初はベトナムがよろしいのでは、と思います」
「、、、ベトナムか、、、心苦しいな、憂鬱になるよ、、、」
「心中お察しいたします、、、それもこれもライダイハンや民間人虐殺を何十年も無視してきた無能な歴代大統領のつけですわ。
考えれば考えるほど今までの無能で、人道的な心の欠片もなかった大統領たちに腹が立ちますが、しかし誰かがこれをやらなければなりません。
世界からの信用を得、我が国を立ち直らせるためには、どうしてもやらなければならない事なのです」
「、、、歴代大統領のつけで私は汚れ役か、、、」
「仕方ありません。我が国にはこのようなつけが、つけと言うよりも負の遺産と言った方が良いと思いますが、負の遺産があるということを知った上で大統領になられた以上は、宿命と思って対処するしかありません。
それとも大統領閣下も歴代大統領と同じように無視しますか」
「無視できるなら無視したいが、歴代大統領のような卑怯者にはなりたくない、、、」
「その通りです、卑怯者になってはいけません。
大統領はその国の最高責任者です。その最高責任者が卑怯者だったために今までの我が国はこのように没落しました。
しかしもうこれ以上、没落を続けてはいけません。卑怯者になってはいけません。
閣下が何が何でも負の遺産を精算しなければいけません。我が国と我が国民の為に」
「糞、嫌な役回りだな、、、しかし『我が国と我が国民の為に』と言われると逃げ出せんな」
そう言うとキム大統領は、室内に他人が居ないことを確認してから国務総理に近づき、両手を引いて立ち上がらせ抱きしめて言った。
「花蓮、お前はいつになっても俺を導いてくれる、、、最高の妻だ」
「いえ、あなたこそ最高ですわ、あなたは大統領なんですもの、、、私はあなたのおかげでファストレディになれたのです、あなたに感謝していますわ」
花蓮はそう言ってキムの胸に顔を押し付けようとした時、ドアノックの音がして二人は弾けるように離れた。
秘書の一人が執務室に入ってきて言った「閣下、来月のスケジュールです、ご確認を」
キム大統領はそれを見てうんざりした。日曜日さえも予定が入っている。だが良く見ると、秘書や大統領補佐官でもできる行事や企画も多い。
昨年は努めて陣頭指揮を執ってきたが、今年に入ってからはできるだけ他の者に任せる事にしていたキム大統領は、スケジュールの半分ほどを補佐官等に任せた。
指示をし終えて秘書が出ていくとキム大統領は「来月ベトナムへ行こう」と言った。
「、、、そうですね、嫌な事は先に終わらせた方が良いですね、、、でもその前に、もっと嫌なことをやらなければなりませんわ」
「なに、ベトナムへ行くよりももっと嫌な事、、、そうか、ベトナムへの手土産か、、、」
「さすが大統領、お察しが早いですね。謝罪に行くのに手ぶらでは行けませんから」
「ベトナム戦争元軍人のDNA鑑定書、、、確かに、これをさせるのは辛い事だな、、、
だが、もう亡くなられている方も多いのでは、、、」
「はい、でもそう言う方はご子息のDNA鑑定書でもかまいません。ライダイハンとの異母兄弟である事が確認できれば良いですので」
「なるほど、、、だが、反対がすごいだろうな」
「はい、でもやらなければいけません。我が国と我が国民の信用の為に」
「、、、」
翌日キム大統領は臨時宣言をした。
「我が国と我が国民は噓をつかないと約束した。これは外国人に対しても守らなければならない。予てからベトナム政府に要求されていたDNA鑑定を実施します。韓国国民として恥ずかしくない行動を願います」
だが予想通り反対する元軍人が多かった。キム大統領は、三日後に大統領令を発令して強制的にDNAを採取した。すると一部の元軍人集団が暴動を起こした。
キム大統領はその現場に乗り込み拡声器を使って怒鳴った。
「貴方たちは、それでも人間か、貴方たちは自らの非さえも認められないのか。そのような人間は我が国に要らない。強制収監する」
暴動は多数の警察官によって鎮圧され、元軍人は刑務所に収容されて少量の血液を採取された後、二度と暴動を起こさないという誓約書にサインさせられてから解放された。
この暴動事件は海外でも報じられ、当然ベトナムでも報じられた。
時をずらす事なくキム大統領はベトナムを公式訪問し、ライダイハンと民間人虐殺について謝罪した。
それから数ヶ月後、ベトナム政府からDNA鑑定結果が報告され、ライダイハン数万人の
親子関係や異母兄弟関係が判明した。
しかし元軍人やその家族はライダイハン受け入れを拒んだ。
キム大統領は、元軍人の人間性を嘆いた(元軍人は、我が子である事が判明しても何の救済措置もしょうとしない、、、人間として恥ずかしくないのだろうか)
元軍人は、救済措置をするどころか「キム大統領のせいで、自分も家族も周りの人びとから白い目で見られて外出もできなくなった。なぜ今さらこんな事をするのか。自国民を不幸にして喜んでいるのか」と言ってキム大統領を恨んだ。
また「あの世に行ってキム大統領を呪ってやる」と遺書を遺して自殺した元軍人も居た。
国民の中には、元軍人に同情してキム大統領を批判する者も居た。
しかし大多数の国民は「元軍人は過去の自身の罪を償うべきだ」と言う考えに立ち「我が子の面倒を見ないのは卑怯だ」と言って元軍人を批判した。
その結果、多くの元軍人やその家族が自殺した。
キム大統領は「苦しく辛い生活を送られてきたライダイハンやその母親を無視して、自身の罪を償わずに自殺するのは卑怯だ。人間として恥ずかしい」という声明を発した。
しかしそれでも自殺者は後を絶たなかった。
キム大統領は「国民の罪を国が償うべきか」国会に審議させた。国会では連日大論争が続いたが、その時一人の国会議員が発言した。
「我が国は以前、慰安婦の為にナヌムの家を作りました。ライダイハンの為にそのような施設を作って救済してはどうか」
だが、その資金を誰が出すのか、という問題でまた論争になり3ヶ月経っても何も決まらなかった。
キム大統領は仕方なく寄付金で施設を作る事にして、自らの収入の半分を寄付すると宣言した。
しかし他の人は「個人の罪の為に寄付などしたくない。しかも彼らは国に恥をかかせた極悪人だ」と言って誰も寄付しなかった。
キム大統領の寄付金だけでは施設建造資金は全く足りなかった。
キム大統領は資金難に頭を悩ませた。
そのキム大統領に追い打ちをかけるように、ラオスダム決壊の損害賠償請求が突き付けられた。
ラオスダムを施工したSK建設は、その時点でも責任を認めて居なかったが、ラオスとその支持国が「韓国は道義的責任をとるべきで、早急に救済資金だけでも支払うべきだ」と数十カ国連名の請求書を送ってきた。
キム大統領はその金額を見て目眩がした。正に天文学的金額だった。
一企業のSK建設が全ての資産を差し出しても全く足りない金額であり、経済が低迷している韓国の税収をかき集めても足りなかった。
キム大統領は頭を抱えた。にっちもさっちも行かない。今更ながら自国の負の遺産を嘆いた。
キム大統領は、歴代大統領が皆この負の遺産を無視してきた理由が解った。
しかし解ったからと言って放っておけれる事はできない。
キム大統領はまた国内の資産家に国債購入をお願いして回った。
ある資産家の前では土下座して購入をお願いした。
その姿を多くの国が報じ、嘲笑したが、同情してくれる国は一国もなかった。
どこの国も、過去の韓国の無責任で非人道的な振舞いを知っており、見放していたのだ。
キム大統領の融資陳情を当然のごとくIMFも国連も門前払いした。
正に韓国は四面楚歌状態だった。
あっという間に1年が過ぎた。
キム大統領は悩みに悩んだ末に、日本訪問を決心した。
(何が何でも日本から金を借りて来なければならない)そう思っていたが、内閣総理大臣に過去の歴代大統領の無礼を詫びた後は言葉が出なかった。
キム大統領は、何の成果もあげられず予定を切り上げ帰ってきた。
帰国直後から国民の批判の嵐に飲み込まれた。
「日本に土下座した無能な大統領」「何の為に日本に行ったのか恥さらし大統領」「歴代最低の大統領」等と国民から罵られた。
見かねた国務総理の花蓮がテレビ出演して言った。
「大統領を批判している国民の皆様、貴方がたは日本に対して土下座する事ができますか?。
土下座する事は本当に屈辱的な事ですが、我が国の為、我が国民の為に貴方がたは土下座できますか。
いつも猿だチョッパリだと見下している日本に対して、貴方がたは土下座できるのですか。
土下座する事は、大統領にとっても甚大な屈辱であり、決してしたくない行為です。
しかし大統領は我が国の為、我が国民の為に土下座されたのです。
しかもその土下座は、キム大統領ご自身の罪の為ではない。過去の国民の愚行、過去の歴代大統領の愚行により生じた信用喪失や、日本に対する数々の下劣な軽蔑で生じた罪のせいなのです。
キム大統領には何の罪もありません。過去の国民や歴代大統領にこそ罪があるのです。それを理解しないでキム大統領を批判するのは大きな間違いです。
我々国民は、我が国民の為に日本で土下座したキム大統領を、むしろ誇りに思うべきです。
そう思いませんか。私は、キム大統領を心から尊敬しています」
このテレビ放送の後、キム大統領への批判はすぐになくなった。
大統領執務室で二人だけになった時、キム大統領は花蓮を抱きしめて言った。
「ありがとう花蓮、お前は本当に最高の妻だ、、、しかし結局、日本から御金を借りれなかった」
「仕方ありませわ、日本に対する我が国の過去の行為が如何に愚かであったか、どれほど日本を怒らせたか、それを理解すればこの結果は、当然の結果と言えるでしょう。あなたのせいではありませんわ」
「国民もその事を理解してくれたら良いのだが、、、しかし困った、ラオスに賠償したくても、その御金がない」
「焦っても仕方がないですわ、とにかく先ず誠意を見せて、賠償金は少しずつでも支払っていきましょう。
日本は日露戦争費用の借金を80年も返済し続けて完済しました。我が国も見習うべきです」
「う~む、、、借金返済80年か、、、いずれにしても先ずSK建設の全資産を没収し、その御金を賠償金に当てると公表して、ラオスに誠意を示そう、、、それにしてもダム崩壊から何年経っているんだ。今までの歴代大統領はいったい何をしていたんだ」
「全くその通りですわ、歴代大統領が如何に無能だったか、如何に卑怯者だったかが、この事でも良く分かりますわ」
人間社会とは不思議なものだ。真面目に努力している人間には手助けしてくれる人間が必ず現れる。キム大統領の場合もそうだった。
日本では土下座しただけで1円も借りれなかったキム大統領に、新大韓銀行の頭取から国際電話があった。
数十年前の事をすっかり忘れていたキム大統領は、新大韓銀行の頭取と聞いても全く思い出せなかった。
「キム大統領、いろいろとお困りのようですな。わずかだが融資させていただくよ」
「ありがとうございます、、、新大韓銀行の、、、」
「頭取の海大洋です、先代の丘大真ご臨終の時、キム大統領困窮時には援助するようにと言われておりましたので、今が正にその時では、と思いましてな」
海頭取の話を聞いて丘頭取を思い出したキム大統領は、懐かしさと同時に後悔の念がこみ上げてきた。当時ウイルス蔓延で日本入国できず丘頭取の臨終に行けなかったのだ。しかもその後、墓前にさえも行っていない。
「丘頭取には多大な御恩がありながら参列もせず、不義理者の私をそこまで御気にされておられたとは、感謝感激の極みです。心から御礼申し上げます」
新大韓銀行が融資してくれた事に刺激されたのか、少しずつ他の銀行も融資してくれるようになった。
ラオスへの賠償金には程遠い額ではあったが、どこの国からも見放されていた韓国にとっては、援助してくれる銀行が現れた事は、金額では表せない喜びだった。
キム大統領は、それらの銀行に直筆の感謝の手紙を送った。
その手紙を読んだ各銀行の頭取は、融資した事に満足した。
だが経済状況は相変わらず最悪だった。キムが大統領に就任してからしばらくの間、上向いていた景気が、ラオスへの賠償をきっかけにして株価が下がり、連動するように景気が悪化していった。
正に負の遺産が韓国経済の足を引っ張っている状態だったが、キム大統領は、負の遺産がありながら景気を上向かせるのは不可能に思えていた。
その事を愚痴るまいと思いながらも、花蓮と二人だけになると何故か口から出てしまった。
「負の遺産さえなければ、我が国の経済はもっと良くなっていただろうに、、、
『今が楽しければ良い、今、金が手に入れば、後がどうなろうと、誰が苦しもうと知ったことではない。負の遺産が子孫を苦しめようと知った事ではない』という過去の国民の自分勝手な考えのせいで、我が国は今こうして多くの国民が苦しんでいる、、、」
「全くその通りですわ。当時の愚かな国民の、愚かな考えによる愚かな行為がこうして未来の国民を苦しめています。これこそ正に負の遺産ですわ。
親の借金を子や孫が返済しなければいけないのと同じで、無責任で非人道的な親のせいで子孫が苦しむのです、哀れな事です。そしてこのもっとも愚かな事が戦争です。
日本は日露戦争に勝ったと言いながらも、その戦費調達のために借金をし、返済の為に80年も支払い続けなければいけませんでした。
しかし日露戦争はまだ良い方で、大東亜戦争で負けた日本は、戦後百年近い現在もアメリカ等に今なお賠償金を奪い取られているのです。
この事は日本国民に知らされていないですが、特別会計の使途不明金の額を調べれば分かります、いえ、以前は分かったのですが、ある国会議員がそれを調べて国会で公表する直前に殺されてからは、新たに法律を作って調べられなくなりました。
そのようにしたのも当然アメリカの圧力によるものだと思いますが、そのような事を考えると、日本はアメリカのATMと言われても、アメリカの経済植民地と言われても仕方がない状態なのです。
しかし、日本をそのような状態にしたのも元をただせば我が国、いえ当時の朝鮮国だったのです。当時の朝鮮国が外圧に対応できるだけの国力さえ持っていれば、日本は膨大な借金をしてまでロシアと戦争しなくて済んだのです。
そう考えると、諸悪の根源は実は我が国の前身である朝鮮国だったのです。朝鮮国こそ最も罪深い国だったのです」
「う~む、、、朝鮮国のせいで日本は、アメリカのATMアメリカの経済植民地になってしまったのか、、、それなのに我が国民は噓の歴史認識を基にして『朝鮮国は日本に植民地支配されて何もかも奪い取られた、残虐行為を被った』等と言って反日行為を繰り返していたのか、、、
私は日本国総理大臣に土下座して当然だった、借金を言い出せなくて幸いだったのだ。もし借金をしていたら、あまりにも身勝手な人でなしになるところだった、、、
それにしても花蓮、お前は本当に物知りだな。本当に最高の大統領補佐官だよ」
キム大統領や政府は、何としてでも経済を上向かせようと、考えつく限りの政策を打ちだしたが、うまくいかなかった。
巷には失業者があふれ、自殺者も後を絶たなかった。しかし不思議な事に治安はあまり悪くならなかった。
その事を政府委託の分析会社が調べてみると、韓真教団信者の増加によるものだと分かった。
韓真教団信者はいつの間にか一千万人を超えていて実に国民の5人に1人が信者になっていたのだ。しかも信者は教団の教えを守り、噓をつかず悪い事もしない人が多かったのだが、それが結果的に治安悪化を防いでいたのだった。
また、キム大統領の支持政党、韓真党員の多くはキム大統領にならって収入の半分を寄付し、その寄付金で貧困者救済に努めた。
休日には国会議員自ら指揮を執り、炊き出しをして浮浪者にふるまった。最初は食べ物を奪い合っていた浮浪者が、回を重ねるうちに譲り合って整然と列を作るようになった。
その光景はまるで被災地の日本人のようだった。
キム大統領はその光景をテレビで放映させ、その中で言った。
「国民の皆さんご覧ください。貧しい方々が整然と列を作られている。
我が国民は人間性の面で日本国民に並んだのです。今後は更に助け合いの輪を広げ、日本国民を超えましょう。そして、日本国民が戦後、貧困の中から立ち上がり世界有数の経済大国になったように、我が国も必ず経済大国になりましょう」
このテレビ放映は多くの国民の心に響いた。
「あんなに貧しい人々でさえ助け合い譲り合っている、我々も助け合おう」そう決心する国民が急増した。
韓国国民は、キムが大統領に就任するまでの国民とは別人のように、人間性の面で成長したのだ。
以前のように、他人を騙してでも金を得ようというような考えの国民は少なくなっていった。
とは言え、自己中心的な考えの人もまだまだ居る。
ある人は、自分の苦しみや不幸の原因は全て他人のせいだと考えていた。
そのような考えの一人の若者が兵役中、軍の保管庫から銃と弾薬を盗み出した。若者には、どうしても殺したい人間がいたのだ。
若者はアパートの一室で銃を見つめながら辛かった数年前を思い出していた。
数年前のある日、若者はいつものように大学から帰ってきて家に入ろうとすると、玄関の前に数人の男が立っていたが、その男たちに向かって家の中の祖父が「帰れ」と怒鳴っていた。
何事かと思い若者が立ち止まっていると、男の一人に「あんた誰だ」と聞かれた。
刑事と勘違いした若者はとっさに「ここの息子です」と答えた。
すると男がニヤリと笑って「では、あの人の孫か」と聞いた。若者は嫌な予感がしたが「そうです」と答えた。
途端に男が若者の髪の毛を鷲づかみして数十本引き抜いて他の男に目配せして帰って行った。
若者は数秒間呆気に取られていたが、やがて家の中に入った。
家の中では祖母と母が険しい表情で椅子に座っていた。若者は「どうしたの」と聞きたかったが、二人の表情を見ると何も聞けなかった。
しかたなく2階の自分の部屋に入って窓から外を見ると裏庭に祖父が立っていたが、その祖父の表情も険しかった。
若者はその時点では何があったのか全く解らなかったが、ただ事ではないことが起きたのを感じた。
しかし数日後には忘れていた。
それから1ヶ月ほど経って政府から祖父宛てに手紙が届いた。
その手紙を祖母が不安気に祖父に手渡すと、祖父は自分たちの寝室に入ってから手紙を読み、醜悪な顔で破ってゴミ箱に投げ捨てた。
その夜、後からベッドに入ってきた祖父に、祖母が「何の手紙でしたの」と聞いた。
祖父は「何でもない」とだけ言って横を向いて寝始めた。祖母はその後ろ姿を、汚れたものでも見るような目で見ていたが、やがて祖父の反対側を向いて眠りについた。
だが祖母は眠れなかった。実は祖母は、ゴミ箱の中の手紙をつなぎ合わせて読んでいたのだ。そしてその手紙は、孫のDNAが3人のライダイハンのDNAと非常によく似ているので、確率を高める為に是非とも祖父のDNAを鑑定したい、という内容だったのだ。
祖父はベトナム戦争で実際に戦った元軍人だった。既に96歳だがまだ持病すらなかった。
戦争が終わってから帰国し10歳年下の祖母と結婚した。
当時としてはかなり裕福な家庭で、祖母は周りの人びとからいつも羨ましがられた。しかし子に恵まれず30歳になってやっと息子が生まれた。
祖父と祖母は息子を溺愛し、その息子に孫が生まれると孫も溺愛した。
祖父は孫がまだ小さいころから、息子の時と同じようにベトナム戦争時の武勇伝を聞かせた。孫はその武勇伝を学校で皆に自慢気に話した。
孫が中学生の時、いつものように武勇伝を話し始めると、武勇伝に辟易していた同級生の一人がライダイハンの話しをし始めた。
孫は真っ赤な顔で怒鳴った「お前の話は噓だ、おじいさんはそんな事はしていない」
それ以後、孫は武勇伝をしなくなったが、逆に同級生がライダイハンの噂話を広めた。
ライダイハンを産ませた軍人の孫だとの噂に居たたまれなくなった孫は、その事は言わず他の理由を作って転校した。
転校先では二度と武勇伝は話さず、また誰もライダイハンの話をしなかったので、孫もいつの間にかライダイハンの事は忘れていた。
だから孫は、男に髪の毛を抜き取られても、それでDNA鑑定されライダイハンとの血縁関係を調べられた事など夢にも知らなかったのだ。
数日後の休日、2人の男がDNA鑑定書と該当するライダイハンの写真を持って家に来た。
祖父は寝室から出てこなかったので、父が応接間で向かい合って座った。
すると男の一人がいきなりライダイハン3人の写真を父に見せて言った。
「この3人を御存知ですよね」
父は、自分よりも年上に見える男性2人と女性1人をしげしげと見たが見覚えがなかった。しかし、どこか自分に似ているのを感じた。
「いえ、知りません、、、会った事もない人だ」
実際会った事もない人だったから父はそう言うしかなかった。
「分かりました、では写真は後にして、このDNA鑑定書を見てください。貴方の息子さんのDNAと98パーセント同じでした。98パーセント同じという事は、親子か兄弟関係と考えてまず間違いありません。つまりこの写真のライダイハンの男女は、貴方の兄や姉という事になります」
そこまで聞いて父は顔色を変えた。だが何も言わなかった、否、何も言えなかった。
男は手慣れているのか、そんな父を無視して話し続けた。
「この男女二人の母は、とても苦労して二人を育てられた後、20年ほど前に病気で亡くなられたそうですが、この男性の母は高齢ながら今もご健在です。しかし、息子さんがライダイハンであるため村人から村八分の扱いを受けて塗炭の苦しみを送っています。
もし、おじいさんや貴方に人間としての良心があるのでしたら、3人とこの母親をお引き取りになり家族として一緒に暮らされるようお勧めします。
資料の中には、3人と母親の住所、連絡方法や現在の生活状況等も載っていますので、どうぞ人間として恥ずかしくない対応をされるように願います。
2ヶ月後に状況確認に参りますのでよろしくお願いします」そう言って男は立ち上がった。
父は動顛し、男を見送る事もできず座り続けていたので、母が玄関まで男を見送りに出ると、一人の男がその玄関に痰を吐きつけて母に言った「あんたのおじいさんはこの国の面汚しだ」
母はその場に立ち尽くした。その時、祖父の部屋から祖母の悲鳴が聞こえた。
隣部屋の孫が祖父の部屋に駆け込むと、ベランダの梁に洗濯物ロープを巻き付けて首をつっている祖父が見えた。
孫は急いでロープを切り、祖父を下したが呼吸をしていなかった。救急車を呼び、その時一番落ち着いていた孫が同乗して病院に行った。
祖父は首を痛めていたが、何とか蘇生した。しかし祖父が声が出るようになって最初に言ったのは「なぜ助けた、ワシに生き恥を晒させるのか」だった。
やがて家族全員が病室に入って来たが、祖父は横を向いて目を開けなかった。
誰が話しかけても一言も声を出さず食事も一切口にしなかった。そしてその夜、8階の階段の踊り場から飛び降りて死んだ。
翌日の新聞に「ライダイハンに関係した老人自殺これで70人目」と小さな見出しが載った。
それ以来、孫は無口になった。
祖父の葬式が終わって1ヶ月も経たないうちに祖母は、生まれ故郷の町に引っ越して行った。
祖母は、余生を送れるくらいの金は持っていたが、高齢だったので父が止めたのだが祖母は聞かなかった。
祖母の引っ越しが、祖父がライダイハンを産ませた事が原因だという事は、父母も孫も分かっていたが誰もその事は口に出さなかった。
更に1ヶ月が過ぎて、家にまたあの男たちが来た。
不愉快この上ない表情の父が、男たちの向かいの椅子に座るとすぐに男が言った。
「貴方は何故ライダイハンを放っておくのか、ライダイハンは貴方の兄弟ですよ。貴方は裕福でこんな立派な家に住んでいる。ライダイハンを救済できないはずがない。
諸事情があってここで一緒に住めないなら、せめて経済的援助でもしたらどうですか。
ライダイハンの兄弟が居る事が分かっていながら放っておくのは、あまりにも非人道的すぎる。人として恥ずかしくないですか」
父は顔を醜く歪め苦々しく言った「ライダイハンを産ませたのは父だ、そして父は責任をとって自殺した。私には関係ない。帰ってくれ」
「馬鹿なことを言わないでください。おじいさんが自殺したって責任をとった事にはならない。ライダイハン救済措置を全くしていないのだから、むしろ無責任極まりない行為だ。
おじいさんは軍人の時、二人のベトナム人女性に性欲処理をさせライダイハンを産ませて逃げたが、その責任を全くとらずに勝手に自殺した。こんな無責任で非人道的な行為があるか。
その上、貴方も全く責任をとらないつもりなのか、人として恥ずかしくないか」
「父がやった事の責任をなぜ私がとらなければならないのか、私の知った事ではない、帰れ」
「どこの国だって親の借金は子や孫が支払うもの。国の借金も同じだ、代や政権が代わったからとと言って借金支払い義務が無くなるわけではない。ライダイハンへの責任も同じだ。
それにライダイハンは貴方の兄弟だ。あんたは兄弟を見捨てるのか」
「ふざけるな、政府は何十年も放っておいて、今になってライダイハンだ兄弟だと言って救済しろと言うのか。なぜ今まで放っていた。今まで放っていたなら未来永劫放っておけば良いだろう。
なぜ今さら言い出した、あのキム馬鹿大統領が言い出したのか。
外国に良い所を見せる為に、人気取りの為に、ライダイハンを持ち出したのか。なら全責任をキム大統領に負わせたら良いだろう。私の知った事ではない、さっさと帰れ」
男は立ち上がって怒鳴った「あんたのようなクズ人間がいるから我が国は世界中から軽蔑されるんだ。ライダイハンを産ませて逃げた、おじいさんがクズ人間なら、息子のあんたもクズ人間だ」
「なんだと、この野郎」そう言って父は男の胸ぐらを掴んだ。横にいた男が二人を引き離した。
そしてもう一人の男がポケットから携帯電話を取り出して父に見せ、勝ち誇ったように言った。
「いままでの会話は全て録音した。その内あんたが如何にクズ人間であるか、近所の人や多くの国民が知る事になるだろう。裕福なくせに施しをする心さえもない、ケチなクズ人間は笑い者になる」
男たちが帰ると父は崩れるように椅子に座り、荒い息を吐き続けた。
隣部屋で全てを聞いていた息子は、どうしてよいか分からなかったが傍にいた方が良いだろうと思い、父の横に座った。少しして母も父の横に座った。
しばらく経って父は独り言のように言った「父の罪を子が償う必要はない、、、」
それから父は息子に向かって言った「おじいさんの事はお前には関係ない、、、良いな」
その後、親子三人での生活は何事もなく続いていた。
父は会社でいつも通りの仕事をしていたし、息子も有名大学最後の1年を過ごしていた。
その息子がある日、自分に対する同期生の言動に違和感をだいた。どこか白々しい。親しかった女性も、何かしら理由をつけて会ってくれようとしなくなった。
数日後に息子は強引に女性を連れて行き訳を聞いた。すると女性は、小さくため息をついてからスマホで動画を見せてくれた。
そして、動画を見終えて驚きの表情の息子に、女性は冷たく言い放った。
「これ、貴方のお父さんでしょう。裕福な暮らししているのに、兄弟のライダイハンを無視するなんて最低な人ね、、、貴方とももう付き合いたくないわ、二度と連絡しないでね」
そう言って去っていく女性を、息子は呆然と眺めていた。
その後、息子は家に帰ってもう一度動画を見た。動画には父の氏名は出ていないが、家の全体像をぼかした写真を背景に、父と男たちの会話が文字起こしされていた。
家の写真もぼかしてあるとはいえ、輪郭がはっきり分かり、写真を撮った場所に来れば一目でどの家かが分かってしまう。しかも文字起こしで分かる、数ヶ月前に自殺した老人の家となれば、近所の人でなくてもすぐに分かるだろう。
その後、庭に糞便が投げ込まれたり、玄関前にゴミが散乱する事が多くなった。大学でもあからさまに軽蔑のまなざしを向ける者が増えていった。
息子は半年ほど残して大学を中退し軍隊に入った。
しかし軍隊でも息子は虐められた。
先輩に「お前の爺さん、ベトナムでいい思いしたんだってなあ。毎日素人女二人とやりまくってたんだろ、で、子が生まれたらトンズラー。男にとっちゃあ、こんな楽しい事はないわな。
だが爺さんのせいで我が国の男どもの信用は丸つぶれだ、ベトナム女と結婚もできねえ。
しかもお前の親父は金持ちのくせに、兄弟のライダイハンに1ウオンすらやらないんだってな。
お前の親父は本当に我が国の人間か、残虐非道なチョッパリじゃあないのか」等と言われ唾を吐きかけられた事もあった。
だが他に行ける所がなかった息子は、どんなに虐められても軍隊を辞めようとはしなかった。
軍隊に入って3ヶ月が経ったころ、父が帰宅途中で暴漢に襲われ、鉄パイプのような物で腰と股間を何度も殴られ、病院に運ばれた。
息子が驚いて休暇を取り見舞いに行くと父は悔し気に言った。
「聞かれて名を名乗ったらいきなり足を殴られた。倒れたら『我が国の恥さらし、強姦魔、クズ野郎』とか言いながら3人に腰と股間を滅多打ちにされた、、、
ライダイハンを産ませた他の軍人の家族も襲われているそうだ、お前も気を付けろ、、、
奴らはライダイハンの事だけじゃない、金持ちに嫉妬しているんだ。今は不景気だから尚さらその気持ちが強い、その上、元軍人はみな金持ちだと思い込んでいる、、、
それもこれも、キム馬鹿大統領のせいだ。国格が下のベトナムの事など放っておけば良いものを 、あの馬鹿大統領は、こんな不景気な時に ライダイハンを持ち出して、、、今さら要らんことをしやがって、、、今さら俺にどうしろと言うんだ、、、
今の家族だけでも生活費が苦しいのに、兄弟だ、なんだといって、今さらライダイハンにどう援助しろと言うのか、、、馬鹿大統領は自国民を不幸にしたいのか、、、
お前、後で家を見に行ってくれ。母さんは実家に帰って居ないから、もしかしたら家を壊されているかもしれない、、、泥棒が入っていなければ良いが、、、」
数時間後、若者は家に行った。玄関前も庭もゴミだらけだった。郵便受けには入りきらないほど、抗議や非難の書き置きがあった。中には汚物をくるんだ物さえ入っていた。
若者は、とにかく家の中に入った。幸い中は荒らされていなかった。(今夜泊まれるな)そう思ってホッとした。若者はそれから外のゴミを片付け周囲を掃除した。
それが終わると若者はシャワーを浴びてから普段着に着替えて冷蔵庫を開けた。中は、父が襲われて入院する前の状態のままだった。
炊飯器のご飯も食べられそうだったので、家にある物だけで食事する事にして自分の部屋でしばらく眠った。ふと目が覚めると外は既に暗くなっていた。若者は台所で食事した。
その時、玄関横の居間の窓ガラスが割れる音がした。若者が居間に行くと2枚目の窓ガラスが割れ、こぶし大の石が飛んできた。
若者が「誰だ」と叫んで窓を開けると「ざまあみろ」と言う声が聞こえ、すぐにバイクが走り去った。
若者は、言い知れぬ怒りがこみ上げてきて、震える手を握り締めながら外を睨んでいたが、しばらくして気を取り直して割れた窓ガラスを片付けた。
それを終えて家の中の全ての明かりを消し、居間のソファーに座り何気なく顔に手をやると目の下が濡れているのに気づいた。そして再び激しい怒りがこみ上げてきた。
(何故だ、何故こんな目に合わなければならないんだ、俺が何をしたと言うのか、俺がどんな悪い事をしたと言うのか、、、数十年前に祖父がした事で何故、父や俺がこんな目に合わなければならないのか、、、糞、、、)
若者はそう思った時、父が『それもこれも、キム馬鹿大統領のせいだ。国格が下のベトナムの事など放っておけば良いものを 、あの馬鹿大統領は、こんな不景気な時に ライダイハンを持ち出して、、、』と言ったのを思い出した。
しばらく考えた後で若者は「あの馬鹿大統領、、、あの馬鹿キム大統領のせいだ、全てあの馬鹿大統領のせいだ」と叫んでいた。
その後も若者は、暗い居間でジッと考え込んでいた。そして、ある決断を下した。
翌日、若者は軍隊に帰ったが体調不良を理由に実習や訓練を休み、計画を実行に移した。
皆が訓練をしている時、若者は誰にも見つからないように武器保管庫に行き、開けたまま金具に引っ掛けてある南京錠の鍵穴にボンドを流し込んだ。そしてその夜中、保管庫に行って笑った。
(鍵が壊れていても、めんどくさがり屋のあの先輩なら上官に報告せず、鍵を掛けたふりをして放っておくだろう)と、若者が予想した通りだったのだ。
若者は苦も無く銃と弾丸を盗み出し、翌朝には軍隊から消えた。
若者はアパートの一室で、銃を見つめながらこれまでの経緯を思い出して、その後、消音器がないのに思い至った。
(消音器がないと音ですぐに気づかれてしまう、、、そうだ自分で作ろう)
若者はネットで消音器の構造等を調べ、空き缶で消音器を作った。しかし一度その消音器を使ってみないと、どれほどの音がするのか分からなかった。
若者は更に考えた(大統領が演説を終えると拍手や、時には花火やクラッカーが鳴らされる、、、その時に、、、念のため俺もクラッカーを持って行こう、、、それと大きな紙袋も)
全ての準備ができると若者は、大統領の演説日まで目立たないように過ごした。
そして演説日当日。先着順に演壇前から並んでいる席に座れる事になっていたので若者は、朝早くから番号札をもらう為に並んだ。しかし徹夜組がいたのか番号札は345番。8列目の真ん中辺りの席だった。若者は、9列目の一番端の人に番号札を替えてもらって席に座って待った。
やがて4周年式典が始まりキム大統領が演壇に立った。
若者は、トイレに行き排水用鉄パイプの裏側に隠しておいた弾丸装填済み銃を取り出し、大きな紙袋に隠して元の席に帰った。
既に演説は始まっていたが若者は、キム大統領が何を言っているのか全く解らなかった。若者の頭の中では、演説が終わった直後の行動だけを繰り返し何度も思い描いていた。
(演説が終わり拍手が始まると紙袋からクラッカーを取り出し「素晴らしい」と言って破裂させる。それから座って紙袋の中から大統領を撃つ、、、この距離なら俺でも確実に頭を撃ち抜ける、、、)
やがてキム大統領の演説が終わり予想通り大拍手が鳴り響いた。若者は、思い描いていた通りの行動をした。そしてその結果、すぐにキム大統領が後ろ向きに倒れ、壇上は大混乱になった。
大統領が倒れた直後には何が起きたか分からなかった群衆も、やがて状況を理解しパニック状態になった。その状態を尻目に若者は、悠然とその場を去った。
式典が始まると花蓮は何故か身体が震えてならなかった。壇上の貴賓席で隣に座っているキム大統領に、何か言わなければと思いながらも何故か声が出なかった。
やがて司会者に演説を請われてキム大統領が立ち上がりろうとした時、花蓮は思わずキムの手を握っていた。
キムは一瞬驚きの表情で花蓮を見たがすぐに花蓮に向かって微笑んでから演壇に立った。
キム大統領の演説が終わるまでも花蓮は震え続けていた。そして演説が終わり、目の前でキム大統領が後ろ向きに倒れても、まるで金縛りになったかのようにすぐには立ち上がれなかった。
その花蓮が他の人より数秒間遅れてキム大統領の傍に行くと、額と頬に穴が開き、うつろになった目で宙を見ているキム大統領の顔が見えた。花蓮は何故か一目でキムの死を悟った。
「あなた、、、」花蓮は絶叫と同時にキム大統領の胸に倒れ意識を失った。
その後一昼夜、花蓮は記憶がなかった。
後日周りの人にその時の事を聞くと、手術室前の長椅子に座ったまま身動きさえせず、誰が話しかけても反応がなかったとの事だった。正に魂の抜けた抜け殻状態だったのだ。
そしてその状態は1週間ほど続いた。その間の花蓮は、まるで重度の認知症患者のように目の焦点が合っていず、正常な会話もできなかった。
キム大統領の国葬の後、花蓮は何とか正常に戻ってきた。
本来ならば国務総理の花蓮が全てを指揮する事になっていたが、花蓮はそんな事ができる状態でなかったので、国会議長が代わりに執り行ってくれていた。
しかし国会議長では立場上指揮を執れない事案があり、正常に戻った国務総理の花蓮はいきなり激務に見舞われた。夫を失った悲しみに浸っている時間などなかったのだ。
葬儀に参列された諸外国の要人等への返礼、大統領執務スケジュールの変更やそれに伴う対応等で、花蓮は寝る時間もないほどだった。
そんな状態だった花蓮は、数週間後に大統領暗殺者が捕まったと知らされて感想を聞かれても「厳正なる処罰を」と言う以外の言葉を思いつかなかったのだ。
だが更にひと月ほど経って時間的にも精神的にも余裕ができてくると、花蓮は暗殺者について知りたくなった。
(大統領そして私の夫を殺した暗殺者、、、)
花蓮は、秘書に言って暗殺者に関する資料を持って来させて読んだ。そして暗殺者の年齢に驚いた。(何と、まだ22歳、、、夫は、大統領はこんな若者に殺されたのか、、、)
暗殺者は、プロの殺し屋でも何でもなかった。また政敵に依頼されての犯行でもなかった。
犯行に至った動機は、ライダイハンを産ませた元軍人とその肉親の特定を指示したキム大統領への個人的な恨みだったのだ。
花蓮は、暗殺者の生い立ちや家庭環境等、資料全てを読み終えると小さなため息をついてから目を閉じて考えた。
(何と短絡的な思考でしょう、若いから仕方がないとも言えますが、、、しかし、あまりにも短絡的すぎるわ。それに一番根本的な事を無視している、、、この若者は、祖父がライダイハンを産ませ、ベトナム人女性やライダイハンに甚大な苦しみを負わせたと言う罪を無視して、自分が被った不愉快な出来事だけを理由として犯行に及んでいる、、、なんと身勝手な、、、ライダイハンの苦しみについては無視して、自分の苦しみだけを理由にして夫を殺した、、、なんと愚かな事、、、)
その後花蓮は、逮捕された息子の事を聞かれた父親の発言を読み返した。
父親は「私の父が、ライダイハンを産ませた元軍人だと分かって以来、我が家は糞便やゴミを投げ込まれ、挙句の果てに私は襲われて障害者にされたが、私は何故こんな目に合わなければならないのか。全てキム大統領が悪いのだ、今さらライダイハンを救済しろ等と言い出したキム大統領が悪いのだ。私は、キム大統領を恨む。我が息子は私のこの恨みを晴らしてくれたのだ。私は『よくやった』と息子を讃える。『息子が大統領を暗殺した事について謝罪しろ』だと、ふざけるな、悪いのはキム大統領だ、あんな大統領は殺されて当然だ。私は絶対に謝罪しない」と息まいていた。
花蓮はそれを読み返してまたため息をついた。
(正にこの父あって、この子あり、だわ、、、これではキム大統領は、私の夫はうかばれない、、、
この国の国民の中には、まだこのような、自分の事しか考えられない人、自分の非を認められない人、人道的な優しさのない人、他人の苦しみを思いやる事ができない人が居る、、、
そしてもし、このような人の割合が高ければ、この国は決して国際社会に通用しないわ、、、
今、ライダイハンを救済しなければ、我が国は国際社会から完全に見捨てられてしまう事が、何故この人には理解できないのだろう。
ラオスのダム決壊もそうだわ。SK建設は今だに責任を認めていないけど、確実な証拠を突き付けられても非を認めないのは企業として人間として失格だわ、、、
ああ、我が国の国民はいつになったら、日本人のように、他人の苦しみを思いやれる人道的に優しい心を持った人たちになれるのか、、、)
花蓮は、人として当たり前に備えていなければならない道徳心や、人道的な面から見て許されない人間性の自国民に心を痛めた。
(国というものは結局、国民の集合体でしかない。
その国民が素晴らしければ、その国は素晴らしくて他国から尊敬される、日本のように。
反対に国民が身勝手で噓つきばかりだったら、その国は嫌われ爪弾きされる、正に現在の我が国のように。
つまり個々の国の評価は、その国の一人一人の国民次第と言うことになるわ、、、
結局、国民一人一人を良い人間にしないと国は決して良くならない、、、
国民一人一人を良い人間にする、、、その為には小さいころからの教育がとても重要だわ。
でも既に大人になっている国民はどうすればいいの、どうやって良い人間に変えていくの、、、
その前に、この暗殺者や父親をどうすれば良い人間にできると言うの、、、
無理だわ、いくら考えてもこの暗殺者や父親を良い人間に変えることはできない、、、
自分の事しか考えない自分勝手な人間は他人の言う事なんて聞かない。言う事さえも聞かないような人は、良い人間に変えようがない、、、結局この国を良くする事は不可能なのだわ、、、
いや違うわ、大人はダメでも子どもたちは正しい教育をすれば変える事ができるはず。そして良い大人になれば、良い国になる、、、何十年もかかるけど、それしか方法がないわ、、、
この国が良い国になるまで、、、悪い大人は容赦なく罰するしかない)
花蓮は秘書に命じた。
「暗殺者に情けは要りません、厳罰を科すように。また父親には『貴方は世界中から注目されています、人道的精神でライダイハン救済をするように』と言って再度促してください」
秘書が出ていった後で花蓮はまた考え、それを書き出してみた。
(それにしても、我が国の負の遺産の何と多い事。
ライダイハン案件、ベトナム人虐殺案件、フィリピンのコピノ案件、ラオスダム決壊案件、UAEのバラカ原発案件、インドでの毒ガス漏れの謝罪と賠償案件、パラオの橋崩壊の謝罪と賠償案件。
国内では、原発や建築物やインフラの老朽化への対策案件。ゴミ海洋投棄の反対運動、労働組合の異常な労働争議案件。
これ以外でも近未来に起こりえる可能性の高いマレーシアのペトロナスツインタワー、シンガポールのマリーナベイサンズの崩壊、、、
これらは全て大金が必要となるが、我が国にはその財源もない。
更に社会問題として、若者の失業率の増加案件、出生率低下案件、高齢者の貧困と自殺と高齢者売春案件、海外在住韓国国籍売春婦の増加案件。
経済面は一向に回復軌道に乗らない上にハイパーインフレ突入の危険性すら高い、、、)
花蓮は、書き出した案件を読み返して目まいを感じた。
(こんな我が国の負の遺産を、どうやって解決すると言うの、、、
おまけに国民は噓つきが多くて諸外国から嫌われ、どこの国も援助してくれない、、、
無理だわ、100年経っても解決できない、、、
韓国人は愚かだわ、百数十年前に韓日併合して、日本の莫大な援助により、何とか日本国と同様になれていたのに、そして1965年以後また多大な援助を受けて先進国になれたのに、韓国は韓国人自身によって、これほど多くの負の遺産を作ってしまった。
そして、この負の遺産のせいで我が国は滅びるしかない、、、この負の遺産を解決できる韓国大統領なんて千年経っても現れるはずがないわ、、、私にだって当然無理、、、
結局、韓国は救われない国、滅びるしかない国だわ。
あなた、ごめんなさい。あなたも私も無駄な努力をしてきたのね、、、虚しいわ、、、この国が滅びるのを見届けたら、あなたの所へ行くわ)
そう考えると花蓮は、大統領代行及び国務総理の辞表を書き、青瓦台官邸を抜け出し、密かに済州島西帰浦市の韓真教団本拠地本家に帰り静かに余生を送った。
韓国という国が滅びるのを、対岸の火事を見るが如く冷ややかな目で眺めながら、、、。
韓国の負の遺産 完
2021/10/10
韓国の負の遺産
あとがき
要らぬお世話かも知れぬが、私は未来の韓国大統領を哀れに思う。
何故なら韓国という国には、負の遺産が余りにも多いからだ。
韓国人は日本という国と日本人に対して大罪を犯した。
韓国人は自分たちに都合の良い噓の歴史をでっち上げ、その噓の歴史を基にして日本と日本人を罵り貶め、その上で謝罪と賠償を求め続けた。
歴史が噓であるなら、韓国人が日本と日本人に対してやってきた事は、全て名誉棄損になり犯罪という事になるのだが、その罪を韓国人は今後どうやって償うのか。
韓国人の今までの数々の反日行為の為に、どれほど多くの日本人が心を痛めたか、どれほど多くの日本人が、そのような反日韓国人を憎むようになったか。
現在の愚かな韓国人はそのような事を全く考えないのだろう。
しかし大統領になった韓国人がもし、そのような事を考えられる人間性や道徳心を持っていたなら、愚かな歴代大統領と政府、そしてそのような人間を大統領にした最も愚かな韓国国民によって作られた、この負の遺産の為に苦しむだろう。
しかも韓国には、日韓間のこの負の遺産だけではない。
ベトナム戦争時の民間人虐殺、ベトナムのライダイハンやフィリピンのコピノ等への犯罪。
パラオの橋崩壊の責任放棄の罪。手抜き工事によるラオスダム決壊の責任放棄の罪。インドで韓国企業による毒ガス漏れの責任放棄の罪。
他にも調べれば色々あるが、このような犯罪等に対する無謝罪と無賠償も大きな負の遺産である。
また国内を見ても、廃炉にする技術が無いのに建造した原発の老朽化問題。技術不足による修理不能なインフラの老朽化問題。日本は修理可能だが日本には頼めない戦闘機修理の問題等、
中でも放射能汚染物質漏洩の危険性が高い原発老朽化問題は深刻だが、それさえも無視して全く問題がない福一原発の処理水を問題視する反日韓国人の気違いぶり。
このような反日韓国人こそ最大の負の遺産かも知れないが、こんなに多くの負の遺産がある韓国の、未来の大統領は同情に値する。
だが、歴代大統領はみな、この負の遺産を無視してきた。しかしその「つけ」は確実に増大し、いつか必ず韓国大統領にのしかかってくるだろう。
その、つけを償うような責任感のある大統領が現れるだろうか。
そんな使命感を持った人が韓国大統領にならない限り、韓国は決して良くならないだろうが、そんな大統領が韓国の未来に本当に現れるだろうか。
独裁政権国家や内戦状態でない国で、7割以上の国民が海外へ逃亡したいと考えているのは世界広しと言えどただ韓国だけだろう。
そんな韓国にとどまり、韓国を良くしょう。韓国を立て直そうと言う強い使命感を持っている人が、はたして現在の韓国に居るだろうか。未来の韓国に現れるだろうか。
居なければ、韓国の未来は下り坂を転げ落ちるだろう。しかしそれは私には関係のない事だが。
私は十数年間、日韓史を学び直してきた。そしてこの小説を書く為に新たに韓国の現状を調べた。
だが、韓国について調べれば調べるほど、私は韓国人が嫌いになってきた。
とりわけオリンピック時の、福島県産食材に対する韓国人の悪意ある行為は許せなかった。
韓国人の行為は「福島県産食材は放射能汚染されている」という事を前提としていたのが明白であり、その噓を世界中に広めようとしていたのだ。
福島県産食材が放射能汚染されていると言うなら、確かな証拠資料を提示する必要があるにもかかわらず、そうしないで、あのような行為をしたという事は、完全な名誉棄損であり犯罪だ。
そしてそれ以前に、農産物を育てた農家の方々や、魚を捕ったり養殖された漁民の方々に対する侮辱以外の何物でもない。
このような行為をした韓国人は、道徳心ある人間とは決していえない。正に下劣極まりないクズ人間としか言いようがない。
私は、このような行為をした韓国人に対して憎悪を通り越して殺意さえも抱く。
さて、それはそれとして、はたして韓国は20年後も存続しているのだろうか。
20年後の韓国経済はどうなっているだろうか。
20年後の韓国人は、道徳心等、人間的な面で成長しているのだろうか。
もし、現在とあまり変わりがないようなら、恐らく世界中から嫌われ孤立していることだろう。
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