肉体のアナキズム(散文詩集)

青津亮

タイトルは、ポール・ヴァレリーの「精神の政治学」からとりました。

  硝子盤


 非情なる現実、或いは、秩序という名の機械の脈打つ虚空、それら、ようよう重なり往き、すれば精緻な装飾の施された、硝子の燦りを帯びはじめる。

 ひらかれた胸に、父なる空を照りかえし、せがれの鷗を硬き光りで撥ねかえす、あらゆる命を産み落す大海、わが母よ、非情の故郷よ。母への片恋、遂に白鳥死すときは、海の面へ墜ちて往き、暗き奈落へまっさかさま、すれば硝子の陰翳に、吸われ、侍らせられるであろう。
 非情な母よ、現実よ、ぞっと肌粟立たせる、真冬の吹雪の風景画に佇んだ、蠱惑豊かで冷酷な美女よ、それゆえの、むっと薫り立つ色香、鋭く徹る氷の視線よ。貴様に拒まれ、冷たき眼をむけられたなら、嘗ては俺、奴隷さながら屈従し、わが自己憐憫の情欲は、どっと焔を上げていたのだ。きみよ、さながら雪女、きみが美こそ名状しがたい。
 ありとあらゆる光りの欠け、ニヒリズムとは身も蓋もない、逆さに振っても落ちるものなし、これよりそいつと、不感の母をモチーフに、重層象徴を生成しよう。

  *

 わが母、非情な現実よ、卑怯俗悪にして周到なせがれ、俺は、ありとある耀きから、蛇さながらすり抜けるように逃避して、貴様をそっくりそのまま、無機物の虚空へ投げいれよう。虚無と御姿重ねよう。破れかぶれな欲望のまま、あらゆる耀き投げ入れて、(硝子よ、それ、不純であるゆえ透きとおる)、空無曳き散らす断末魔の火を放とう。
「すべては滅び、たかが知れる」、叫びとともになべては燃ゆる、弔いの煙昇り往く、やがて母なる御姿は、硬く透徹するであろう。すれば虚無と一致した、わが母の、かの氷の美貌、それ、非道にして壮麗な、硝子盤へと変貌された。
 生命を産み落とす故郷・やがて命の往き着く墓場、即ち、広大無辺なる海、とわにくりかえす波音さえ内包した、内部に有機のひしめき蠢く、されど電子音楽の響きの如く無機的に滴るがらす音、空降らす涙の水音交差して、不感無覚のぞっと氷れる反響上げる。

 すれば俺、漸く貴様を愛せるのだ、なぜといい、わが身と切りはなされた世界、虚無の非情の現実こそが、神経轢くほど美しいから。嘗て神を愛したように、俺はかの美を、甘えきわまる激情のまま、わが美と善の帆影抱き、抱き締めんとし、されどわが身は撥ね返される。冷然と、卑しき躰を眺め遣り──「不幸なる、奴隷化された御姫様」、その自画像こそ突き放せ──、非情を非情であるがゆえ、それに美を見て愛することで、硝子盤、かの神殿へ、そやつの理不尽な燦きへ、遂に反逆の熱情湧くのだ。愛情転じた反発心、甘ったれた不良少年さながらの。

 なぜ愛せるといい、硝子の燦り、そいつは俺のかねてより欲望する、硬く冷たき水晶、「死」のそれに似ている。

  *

 さればわが身はかの神殿と、愛の交合をしえるのだ。わが陰茎、それ、かの象牙の石像さながらの裸体に、むしろ硬く締まるのである。
 俺はその、いとしき硬質な肌、圧しかえすように揉みしだき、あるいは慈しむように撫でまわし、ときに迎合、さっとおのれへ立ちもどる。されば献身、奉仕のうごき、わが肉欲とも一致して。両腕を、征服の欲望のまま拘束し、ともども果てへ投げだされようとし、俺もろとも連れ込もうとして──いわく、物質的構造上不可能──、あたかも抵抗するように、撥ねかえすうごき、それをさらに撥ねかえすように、はらわた蔵す腰、劇しく揺りうごかし、必要に応じて強弱をつけ、そのなによりもいとしい、硬質で冷徹な象牙の肌に、肉体のしたたらせる、花の体液のように匂いのつよい、熱く柔らかい、されど純白にドローイングされた生ける精液を、さながら、祈りのように降りそそぐ。
 せつな、かの象牙の如き硝子盤、忽然とやわらかな乳白色を帯び、とくと波うち、水音散らす音を曳く。



  麻布


 世界、それけっして居場所ではあらず、しっくりと座ることは不能である。
 俺という存在は、世界という多重の麻布にぱっくりと割れた傷口さながら、あたかものっぺりと蝙蝠の翅ひろげられ上から張りついた穴のよう、そいつ、くろぐろとした肉片には、真赤にして吾が│ままな情念がみえかくれし、それ蔽わんとする臆病な傘、外気にぞっとわなないている。
 清潔でざらついた麻の表面に、俺の淋しい悲哀はひっかかり、爪で引掻くようにして除こうとするも、ゆびさきは傷つきささくれだつばかり、すれば昆虫の脚のように無数の毛の生えた無神経きわまる心臓で、その布にいつまでも無為に吊り下がっているのである。
 俺には寛ぎという感情をいまだわかりえない、ただこの世ではない幻の彼方、或いはわが身はや亡きものとなり、あらゆる他者のなかでさえ忘却の向こうへ突き放された処へ意識を漂わせ、わが肉を土と風に睡らせている時間、それらの至高の時を除くのならば。



  シャウト


 ああ。不断の嘘にざらついた喉に、明澄な歌が引っ掛かる、俺はなにを歌っても、澄んだそれなぞ響かせやしない。わが喉、さながら乱雑に塗りたくられたアスファルトなのである、まさか粉薬のように白いわけでもないけれど。

(わたし、生粋のぶりっこのように正直でありたいのです。仮面を脱ぐまえに、「わたしはじぶんに嘘がつけないの」という自己欺瞞を破壊してやりたいのです)

 俺の歌というものは、ただ叫びなのである、ニヒルの洩らす麻薬中毒者めいた呻きの拡声、濁りしわがれたエゴイストのシャウトに過ぎないのである。
 然り。自分じしんでありたい!
 意欲と行為の一致こそ貴族主義的ダンディズムなきダンディズム、それいわく、賤民のダンディズムであるかもしれぬ。
 俺は俺じしんでありたい、されど俺には、はや「わたし」なぞいらないのだった。鶏の血抜きさながら、俺という躰から「わたし」をすっぽりと抜きとって、非人格としてなべてを染みらせるように歌ってみたい。
 すれば彼方に在る風吹き荒れるましろの空間へ、わが身、項垂れるようにして投げだされ、その果ては空無。空無である。



  真紅


 冬の日に、ひめごとのごと、ましろき百合が花ひらく。
 黄昏と黎明は一致する、ほうっと円形の翳かさなり、すれば、上と下へと昇って往く。ひとたび歌えば、花嫁衣装と死装束の重装した真白がたなびいて、しゃんと銀のきぬずれの音を曳きながら、そらたかくへ往って了う。

 こいつ、滅びと始まりの歌である。
 わが精神の内でなされた、あまりにも閉鎖的な、まだ外界へ働きかけうるなにをも持たない、ただ自我への内省による、わが革命(カウンター・カルチャー)。
 奴らの反抗(カウンター)文化(カルチャー)、うら若き乱痴気騒ぎの過ぎたものだ、ヒッピー、バイカー、ロッカー、パンクス、奴らを俺は、竦めるようにして愛し、そしてどれにも与しない。然り。青春はいつや裏切られる。されど嘗て、フランスという国にいたのだった、ポール・ニザンというひと。
 かれ、こんなふうに歌いやがった。
「ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でもっとも美しい時だなんてだれにもいわせない」

  *

 俺は俺という人間から、「わたし」を剥ぎとってやりたい、そしてそれは、「わたし」の純化でもあるようだ。人間のエゴはケモノの本能の名残であるという、うたがわしい。俺にはあらゆる生物が同列だ、然り。されど人間、無意味なほどに可憐で美しい。なぜといい、憧れるのではない、善を欲望するのだから。偽善も自己欺瞞も、それの屈折した表れではないのか。善くありたい。そうだ。
 なべての感情を等価に視る俺をして、この善への欲望に従うことほどに、可憐極まる印象を胸に打たせるものはない。善への欲心、そいつの表面には、「わたし」という煩わしい個性が、どっと蔽い渦巻き、サイケデリックな文様を曳き蜘蛛の巣のごとしっかりと蟠っている、それでもいい。それでもいいが。まずもって俺は、

  神話めくみぶりの影絵と善くうごく、少女が恋するひと模すように

  *

 善への欲心。そいつ、ありとある混合物を濾過させれば、おそらくや真紅である。肉体を切り刻めば刻むほど、魂の堕ちれば堕ちるほどに内奥から湧き立つ哀しき血のような本性、人間がまるっと悪人になり切れぬわけ、せつなき命の意欲の本源。
 真紅。
 血飛沫さながら、劇しき色よ。古風な響きにして新鮮なる薫、グラマラスな華。なるほど君、黒と金との色彩がよく似合う。危き、凶暴な、理性から離れさす不合理な劇薬の色。
 愛、それも真紅だ。なぜといいそいつ、どこか流血想わせる狂暴なる衝動であるから。狂想の操縦が、必要である。美と善の落す翳のかさなる処、その仄青い領域に、この感情を包含するのである。しずかなる沈鬱な菫いろ、アメジストに燦る恋。
 ひとしずくでいい、かの真紅に純化された鮮血を、俺は、この世界にそそいでみたい。とくと溶けあう、ふたつの肉体。自己に正直に、自己以外へ献身するということ。そのとき、わが砂漠のような孤独の肉、ついに癒えるかもしれぬ。判らない。



  アネモネの花畑


 嘗て俺、身折るが如く淋しさ、不連続なわが存在に耐えかねて──然り、俺と世界は切りはなされていた──、可憐なる生活者の一群、ましろのアネモネの花々に、わが頬、埋(うず)めてもみたのだった。「人間は、みな、同じものだ」。かの無頼派の連中の、酒臭い息を胸いっぱいに吸い込んで、義母なる冷たい虚無の海、藁をも縋る想いで抱きすくめ、そうして、これまで俺は生き抜いたのだった。頬を上げたせつな、俺はじぶんが、さらに賤しい悪人の貌をしているのをみいだした、俺はその現象に、ついに耐えようとした。
 爾来俺、手折るが如く降ってくる、空からの巨大な指さきへの欲望を、──「殉う」、いわく自尊心に捧ぐという、この矛盾したイディオム──、ついに、絞め殺しつづけているのだった。嘗ては、俺は俺という無用にして醜悪な自己をにくみ、雲散霧消、擲つことを希み、死者への供物としてのわが死骸を花と化し、たっぷりと不連続な自尊心を満たして、空で星々として先人と連続すること、そいつがわが孤独を霧消させるように想ったのだった。然り。なべてが幻想である。人間は、死んだら終わり。そうである。
 無償の愛。そいつを、湖に映る貌をみつめるナルキッソスの如き心のうごきで欲してはいけない、その善には、おそらくや、それよりも巨きな悪が食み出るのだ、さながら腹から噴き出る、黄いろい脂肪のそれのように。
 果たされなかった約束、そいつが、銀の硬き燃ゆる反映を上げ、ヴェールのような夜空の彼方で、怨めしげなまなざしをして、ちらちらと張りつき、きんと照り燦いている。
 ましろのアネモネの花畑──空の青、海の青とも乖離して。それでいい。
 然り。たとい、幾たび倒れても、俺は、ぜったい手折られぬ。



  肉体の政治学


 肉体。
 俺を閉じ込める柔らかく弾む牢獄、さらにいうならば、わが生の意欲の源泉、迸る熱い体液の貯蔵庫にしてそれそのもの、俺はこやつ、もて余しているのさ。鍛えもせずとも無為に膨れあがった筋肉が、その現象をあたかも象徴しているよう。肉が弾むというのは踊りえるということ、然り、苦痛は、反作用の起動装置だ、俺には苦しみがなくなることこそ怖ろしい。生きねばならぬ。理由はわからぬ、単なる肉体信号、されどそいつに従い、生き切るのだ。生き、切る。
 聖性とは、もし有機にも宿りえるとするならば、善く生き抜こうとする肉のうごきにこそ在るように想われる。有機の勇気。そうである。そこには、無意味にして果敢ない美をも重装させるような風景が在る、なぜといい、生きる意味という名の、花々の舞台装置の背後には、いつも虚無と死との真空が、轟然とひろがっているからだ。
 肉にエゴの責任をなべて負わせること、そいつは余りに酷ではないか? 肉は果たして罪なりや?
「血肉湧きたつ」、このエロティックきわまるイディオムを、「生きる」ということの至上の詩的表現であるとするならば──俺には、この世のものではない青き焔としての幻想音楽の、過激にしてくたびれたビートこそが、その現象に必要であるように想われる、或いはワーグナー、『トリスタンとイゾルテ』。然り。それらの往き着く先、悉く死である。「生の極とは死に在る」、ありふれたイディオム。滅茶苦茶に燃ゆるように生きるということは、死ぬほどのビートで生きるということではないか?
 然り。過剰なる生(エロス)をむっと薫らせるグラマラスにして真紅の花々は、豪奢なる死へ投げ放たれる賛歌をも象徴する。
 されど生き切る、さればそんなにも怖ろしい衝動を有した肉体、そいつを操縦しなければならぬ、肉体はいつも俺から飛び出ようとし、閃き、迸るようにじたばたとのたうつ。精神なぞではない。肉体の政治学。そうである。されどそいつはむしろ、アナキズムのそれに接近するようだ、なぜといい、魂のアナキズムに堕ちる人間は、まずもって自己を善くこねくりまわし、おのが悪を凝視め、自我を凝固・強化し、背骨に銀の液を注ぎ込む、そうして、その魂の落下に耐えうるものをもたねばいけないのだから。夢、それ飛翔。物質的構造上不可能。

  *

 魂。
 虚数としての信仰対象。無いからこそ、信ずるにあたいする。俺よ、亡き城をみすえよ。そしてうごけ。
 嘗て、俺は歌ってもみたのだった。

ふとみると──そとはいちめん雪景色 血そそがん真紅に純化してみて

  *

 わが魂への神経指令はつぎのものだ。美をみすえ、善くうごく。

肉体のアナキズム(散文詩集)

肉体のアナキズム(散文詩集)

  • 自由詩
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-09-05

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