新型コロナウイルス物語
2020年が年を開けた。
今年は、東京でオリンピックが開催されるので、日本国民は、それを、みな、ワクワクと期待していた。
しかし、前年の2019年の12月に、中国の武漢で、今までにない、新種のウイルス、である、新型コロナウイルス、が、発生した。
このウイルスは、肺炎という、死に直結しかねない病を引き起こすので、中国は、顔面蒼白になって、あせった。
中国は、感染が広がらないように、急いで、武漢を都市閉鎖し、外出禁止令を出した。
そして、武漢に、数日で、このウイルスに対する、大規模病院を作った。
民主主義国家は、法治国家なので、法に基づいていない事をしてはならないので、国会を開き、政権与党と野党が、グズグス、ノロノロと時間をかけて議論し、法改正をしたり、新しい法律を作ってから、国内問題に対処しなければ、ならない。
感染は爆発的に広がり、年が明け、2020年1月31日、WHO(世界保健機関)の、テドロス事務局長は、このウイルスの感染拡大(パンデミック)に、PHEIC(国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態)の宣言をした。
このウイルスは、肺炎を起こすこともあるが、一時的な、味覚消失、や、嗅覚消失、で済んだり、あるいは、感染しても、何の症状も起こさない人がいるので、世界各国は、このウイルスの対応に困惑し苦慮した。
このウイルスは、やっかいだった。
というのは、この未知のウイルスは、健康な若者であれば、何の症状も起こさなかったり、風邪と同じように、一時的な発熱で、完治することが多いが、糖尿病などの基礎疾患を持つ、高齢者には、重篤な肺炎を起こし、放置すれば、死ぬこともあることが、わかってきたからである。
日本は、島国であり、感染者、や、感染疑いの人を入国させなければ、大丈夫と、初めの頃は、このウイルスをなめていた。
東京オリンピックも、当然、開催することを、当然のことと、思っていた。
1月28日、旅行で武漢市から帰国した客を乗せた、東京―大阪間を、運転していたバスの運転手が、発熱、咳、関節痛を訴え、病院で検査したところ、新型コロナウイルス感染が確認された。
幸い、バスの運転手は、入院し、経過観察で改善した。
これが、日本での、最初の、感染者である。
2月、大型客船ダイヤモンドプリンセス号で、新型コロナウイルスの、集団感染(クラスター)が、確認された。
そして、お笑いタレントの志村けん、や、女優の岡江久美子、が、新型コロナウイルス肺炎、で死亡した。
感染経路は、特定できなかった。
報道ステーションの、キャスターの富川悠太も、コロナウイルスに感染した。
その後、スポーツ選手、芸能人、のコロナ感染が次々と報道されるようになった。
イギリスでは、ジョンソン首相も感染し、緊急入院し、ICU(集中治療室)に入り、ECMO(体外式膜型人工肺)の装着による治療によって、一命をとりとめた。
韓国では、過去にMARSのつらい経験があり、また文在寅大統領が、優秀な医師を保健省大臣に任命して、早期の、PCR検査による隔離政策が功を奏し、コロナ感染拡大を食い止めることが出来た。
ここに至って、日本も、新型コロナウイルスの恐怖、を実感し出した。
新型コロナウイルスは、飛沫感染であることが、ウイルス研究者によって述べられ、マスク、手洗い、アルコール消毒、および、ソーシャル・ディスタンス、をとり、人との接触を極力、減らす必要があると、述べた。
そのため、みなが、外出時には、マスクを着用するようになり、政府は、企業に、ステイホーム、リモートワークを推奨した。
日本の厚生労働省は、新型コロナウイルス感染症を、「二類感染症相当」(強制入院などの措置を取ることができる指定感染症)、と定義してしまった。
日本は、他国と比べて、PCR検査の数が圧倒的に少なかった。
それは、PCR検査を正しく出来る検査技師が少なく、過去、MERSのような、感染症の危機の経験がなく、感染爆発(パンデミック)に対して、脆弱だった、など、様々な理由がある。
そして、日本では、2020年以前にも、ただでさえ、救急医療は脆弱だった。
そもそも、救急受け入れ病院と称して、平気で、耳鼻科医などが、病院当直しているので、救急医療の、たらい回し、は、当然のことだった。
そこへきて、新型コロナウイルスである。
日本の医療機関は、約8割が、民間病院であり、約2割が、公的病院である。
都道府県知事は、民間病院に対して、コロナ患者を入院させる強制的権限は当然、持っていない。
民間病院としては、未知の感染症の対応に医療従事者も慣れておらず、また、コロナ患者の肺炎に対する、ECMO(体外式膜型人工肺)の数も少なかった。
また、肺炎を起こした、コロナ患者は、ICU(集中治療室)に入れなければならず、そうすると、脳卒中、や、心筋梗塞、などの、救急患者の受け入れが、出来なくなってしまう。
さらに、病院、や、様々な施設で、コロナ患者の集団発生(クラスター)が、増えてきた。
クラスターを起こした、病院は、危ない、と見なされるので、患者が病院に行けなくなり、病院は経営困難になる。
どこの病院でも、コロナ患者、や、コロナ感染疑い患者は、受け入れたくないのである。
なので、発熱患者は、病院に行けなくなってしまった。
厚生省は、発熱患者は、まず、保健所に相談して、対応を決めるように、と通達した。
しかし、保健所の対応は、後手後手で、発熱患者は、行き場がなくなってしまった。
患者は、病院に行くのをおそれ、また、そうなると、日本の医療は、出来高払いなので、病院側としても、経営が苦しくなった。
政府、や、知事、病院長、にとって一番困ったことは、新型コロナウイルスの集団発生(クラスター)であり、コロナ患者の発生による病床数の逼迫であり、本来、受け入れるべき救急患者を受け入れられられなくなる医療崩壊である。
そのため、政府、は、緊急事態宣言、を出した。
飲食店での、営業時間の短縮、酒の販売の禁止、外出制限、人の移動の禁止、テレワーク、リモートワークの推奨、などである。
はじめは、要請、だったが、なかなか、新規感染者が、減らないので、政府は、要請、から、禁止、罰則、へと、移っていった。
これによって、日本経済は、リーマンショック、いや、バブル崩壊、の時、以上に落ち込んだ。
政府も知事も、ともかく、人命第一で、コロナウイルス感染者の増加による、医療崩壊をおそれた。
政府は、営業時間短縮に応じた、店に対して、休業補償金を出す、方針にした。
しかし、わずかな、休業補償金では、とても、店舗の維持は、不可能で、特に、毎月、家主に支払う、テナント料で、赤字は、借金は、どんどん膨らむ一方だった。
なので、廃業する店や、解雇されて、職無しになる人が、後を絶たなかった。
当然、政府が出す、休業補償金は、特例国債なので、このまま、ジャンジャン、お札をタダで、刷り続けて、配給していれば、間違いなく、日本は、ハイパーインフレになって、日本経済が、デフォルトするのは、明らかだった。
ある自民党議員A氏が、某テレビ局のコロナに関する討論会で、
「安楽死法案を考えてみては、どうだろうか?」
「老人が死んでくれれば、医療崩壊はなくなるのだが・・・」
と、発言したところ、ネットで、大バッシングされた。
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ある医師の家である。
石田源三郎は医者で、息子の、達夫も医者である。
ある時、石田源三郎が、食事の後、「うっ」、と胸をおさえて、座り込んだ。
「おやじ。どうしたんだ」
石田達夫は、すぐに、父親の、源三郎を抱きあげ、布団の上に乗せた。
「おじいちゃん。大丈夫?」
中学1年のひ孫の、由美子も、駆け寄って来て聞いた。
「胸が痛いのか?」
達夫が聞いた。
「ほんのちょっとだ」
源三郎が言った。
達夫は、父親の手首に手を当てた。
そして、血圧を計った。
「血圧が低い。脈が速い。間違いなく、心筋梗塞だ。これで、三回目だ。おやじ。すぐ、救急車を呼ぶからな」
そう言って、達夫は、携帯電話を取り出した。
父親の源三郎は、93歳で、ずっと内科医をしていた。
85歳から、心筋梗塞を、起こすようになって、二度、救急車で、運ばれ、かろうじて、命をとりとめた。
「達夫。救急車は、呼ばなくてもいい」
源三郎が言った。
「どうしてだ?」
息子の達夫が聞いた。
「今、救急車で、救急病院に運ばれて、処置を受ければ、かろうじて、命は助かるかもしれん。しかし、助かったとしても、半年くらい、命を延ばせる程度で、半年後には、死ぬのは、わかりきっている。今、わしが、救急病院のICUに入院したら、どうなる?今、日本では、コロナ禍で、医療崩壊が起こっている。わしは、93年間も生きてきた。医者として、60年間、働き、結婚し、お前を産み、お前も、一人前の医者になり、孫、や、ひ孫まで、出来た。わしは、緑内障で、目が、よう見えん。第5腰椎が、圧迫骨折のため、ほとんど、寝たきりで、歩くのもしんどい。半年、生き延びたからから、といって、どうなるのだ?わしは、十分、人生を生きた。幸せな人生だった。しかし、20代や、30代の若い者は、どうなる?結婚もせず、子供も産ます、ライフワークがあっても、達成できないまま、死んでいく、ことになるだろう。若くて、未来があるのに、休業要請、や、失業で、仕事がなくなり、ホームレスになる若者も増えるばかりだ。この世は、前途のある若い者のためにこそある。だから、わしが、病院に入院すれば、前途のある、若い者たちの、未来を奪うことになる。だから、救急車は呼ぶな」
源三郎が言った。
「わ、わかったよ。おやじ」
達夫は、源三郎の手を握りしめた。
達夫の目には、涙が溢れていた。
1時間、経ち、やがて、父親の源三郎、は、息をひきとった。
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それを、こっそり、ひ孫の、中学1年生の、由美子が、スマートフォンで撮影していた。
由美子は、その動画を、You-Tubeにアップした。
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それは、瞬く間に、ネットで広がった。
80代90代の、多くの、老人たちが、それに共鳴した。
ある脳梗塞を患っている90歳の老人は、首を吊って自殺した。
遺書が見つかった。
遺書には、こう書かれてあった。
「わしは、神風特攻隊の、敷島隊の隊員だった。わしは、出撃前日、食あたりして、腹が痛くて、とても、操縦桿は握れない、と言って出撃しなかった。上官は理解してくれた。しかし、あれは、ウソだ。わしは、命が惜しかったのだ。他の隊員は、出撃して、死んでいったというのに。わしは、生き残って、その後、生き残って、戦後の昭和、平成、令和、と、75年も生きた。事業にも成功して、好きな女と結婚して、息子と娘も生まれ、孫も、曾孫もいる。この上、生きても、あと、2、3年の命だろう。わしは、靖国神社で会おうと誓い合った、同期の桜の友を裏切って生きてきた。その負い目に、わしは、ずっと、苦しんでいた。あとの無い、人生を、死ぬことによって、病床数を増やし、コロナによる医療崩壊を、少しでも、少なくすることで、せめてもの、おわび、としたい」
と、書かれてあった。
これに多くの老人が共鳴した。
「そうだ。オレは、十分、生きた。人生で、やるべき事、やりたい事の、ほとんどは、やりつくした。この世は、前途のある、若い者のためにある」
そう言って、脳梗塞、心筋梗塞、などを発症しても、救急車を呼ばない老人が、あっという間に、日本で、増えだした。
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元大阪府知事の、元維新の、橋下徹も、自殺した。
「僕は、燃焼した人生を送った。今、死んでも、後悔しない」
と、橋下徹は、高学歴ニートに、説教したことがあった。
それを有言実行したのである。
それは、日本社会に大きな、インパクトを与えた。
80歳の、じいさん、が自殺した。
遺書には、こう書かれてあった。
「橋下徹は50歳だ。確かに、アイツは、茶髪の弁護士、評論家、大阪府知事、として、燃焼した、人生だったろう。しかし、彼には、3男4女の子供がいる。彼も、もっと、自分の子供たち、が育つのを見たかっただろうし、評論家として、この世を見て、物申したかだろう。わしは、80歳じゃ。橋下徹に恥ずかしい」
こうして、次々と、老人が死んでいった。
おかげで、コロナ禍による医療崩壊は、避けられた。
天皇も、「国民の税金で、我々、皇室の者が、贅沢をしているわけにはいかない」
と言って、天皇家の予算は、生活困窮者に当てられた。
こうして、2021年、夏、日本では、コロナ禍は、なくなり、無事、東京オリンピックが開催された。
それどころか、日本の少子高齢化問題も解決された。
令和3年8月13日(金)擱筆
新型コロナウイルス物語