織田信長

浅野浩二

わたくしがのぶながさまのことをかきたいと思いましたのは、のぶながさまの人生があまりにも一点のにごりもない美しい武士の生きざまだったからでございます。おおくのひとは、のぶながさまをきしょうのはげしい短気なひとだけたと思っているのではないでしょうか。天下をとろうとした多くの武将が、いかにねちっこく人をだまし人をしばり、みじめに生にしがみついた人であったのに対し、のぶながさまは、覚悟と知性をもたれた武士の中の武士でございました。のぶながさまは生死をわける出陣にさいし、人生五十年と敦盛の舞をまわれましたが、いったい戦の前に舞をまえるものがございましょうか。しかものぶながさまは四十九歳でなくなられたのですからまさに敦盛のことば通りの生涯をのぶながさまはおくられたのです。のぶながさまは何かにたよろうとしたことはなく、あのかたのうまれつきそなわった天賦のすぐれたご気質なのでございます。死に対するおそれをまぎらわそうとして舞ったのではなく、敦盛のことば通りのご気質がのぶながさまそのものなのでございます。おおくのひとはのぶなが様を、ころしてしまえほととぎす、などといいおとしめておりますが、はたしてそうでございましょうか。人を殺すということは自分が人殺しとなることでございます。こしぬけさむらいでは、人を殺しては、殺された者のうらみの声にうなされて、ねむれるものではございません。また多くの武将が、ねちねちと弱いものを支配し、くるしまぎれの口実をさがしては自分の敵を殺し、己をあくまでいつわりの正義のたちばにおこうとしたのに対し、あのかたはご自分をいつわらぬ竹をわったようなご気性なのでございます。多くの武将が、人は殺しても己の死をおそれるこしぬけざむらいであったのに対し、のぶなが様は自分の死をおそれぬ剛の方でございました。将軍、足利義昭さまの密勅により、全国の武将を敵にまわし、八方ふさがりになったおりも少しもおくする心がございませんでした。
今川との戦いでは、十倍の敵にいどむ、おそれを知らぬ勇気と知性と決断があったのでございます。そのように己の命を惜しまず、また増長満にもならないおかただったのでございます。のぶながさまはお生まれの時より、りりしい美しいお顔だちであられ、いかなることにも涙せぬ強い気性がございました。十五歳で元服なされた折も、すでに大人の武将に引けをとらぬ気骨がございました。美濃の斎藤道三との同盟関係をつくるためにご結婚なされた道三の娘さまの濃姫さまと、十五の時ご結婚なされましたが濃姫さまはのぶながさまにふさわしい美しくきりりとしたご気性のお方でございました。まさにのぶなが様の奥方になられるのにふさわしいお方で、お二人のおすがたはまさに美しい男女の図でございました。のぶなが様は生まれつきの硬派で、女にでれでれするようなお方ではなく、色事など毛頭もなく、頭にはいくさと天下のことしかございませんでした。そんなご気性に濃姫さまも、芯の強いお方で、男にあまえ、ほれることなどなさらない、プライドの強いお方でございましたから、そういうのぶながさまのごきしょうを言わず好いておられたのでございましょう。お二人は、あまえあい、でれでれしあう間柄ではなく、きびしく強いあいだがらとでもいいましょうか。のぶなが様がご出陣のとき、濃姫様につづみをうたせ、ご自分は敦盛を舞う図は実にうつくしい戦国の武将とその妻の図でございました。
のぶながさまは本能寺で明智光秀どのに討たれましたが濃姫様は光秀さまとは、いとこで、おさななじみであったのでございますので、存命を光秀さまになされば、生きれたでございましょうに、のぶながさまと命をともにしたのでございます。
父君がなくなられた折、のぶながさまが焼香の灰を位牌になげつけたことは有名でございますが、けっしてうつけなどではなく、のぶながさまの人生観とでももうしましょうか、死んでいったものをめそめそかなしもうとする感傷的なふんいきに嫌悪をお感じなされ、過去はふりかえらず、人間というものは、死ぬのはあたりまえのことであり、生きているあいだにせいいっぱい全力をつくして前向きに自分の人生を生きるべきだ、というお考えがそうさせたのでございましょう。父上の死をおかなしみにならないはずはございません。死後まで生にしがみつき、自分の子孫の繁栄を、考える武将のおおいのに対し、のぶながさまは、みれんがましさというものをもたなかったおかたでございます。のぶながさま自身、人々にみまもられ、おしまれ、かなしまれながら死にたいなどとお考えになされる気性では毛頭ございません。親鸞聖人は自分が死んだら、葬式はせず、骨は川に流せ、といいましたが、のぶながさまも同じお考えでございましょう。人間の死というものが何であるかを誰よりも真剣に考えたのはのぶながさまでございます。
多くの武将が自分が天下をとりたいという我執にしがみついているのに対し、のぶながさまは乱世を治め、天下を統一するのが自分がこの世でなすべきこととお考えなされたお方でございます。関所をとりのぞき、楽市をひらき、古いしきたりを廃し、たえず新しいすぐれたものに目を向けておられました。むしろ我にたいする執着がなく、いつわりの善をきらい、自分を特別視せず、死ぬべきときには死ぬ覚悟をもっておられたお方でした。
のぶながさまのため数知れぬ無辜の血がながされたことはまちがいございません。しかし思いますに、ずるがしこく、残酷な人間というものを不信になって、嫌悪していたところがあるように思われます。わたくしがもし殺された人々のひとりでありましたのなら、それによって国がおさまるものならば、いつわりのないない心のかたに殺されるのであれば、さほど惜しい命ではございません。しかし、ひとをいじめ殺すことをたのしみ、ことばたくみに人をだまし、己を義とする、いつわりの心の者に殺されることは、うらみのきもちは死んでもはてることなくつづくでございましょう。ちょうど人がヘビを嫌悪するように、のぶながさまは人の心のヘビをきらっていたともいえましょう。ヘビに生まれたのならば殺されるのが宿命と思いきれます。これはわたくし個人の感じ方でありますので、それをもって人が人をあやめてもいいなどという道理はけっしてありません。同盟関係にあった美濃の斎藤道三が危機におちいいったとき、なんの打算もなく、救おうと兵を出し、人間不信に凝り固まっていた孤独な道三に人の情に涙させたのはのぶなが様ただひとりでございましょう。のぶながさまはなにか人であって人でないような近寄りがたい、澄んだ心のお方でした。あの方は恥知らずなことはしなかったお方でした。多くの人を殺しましたが、自分の命もおしまぬ、のぶながさまの一生は筋がとおっております。男らしく、弱さというものをもたぬ、休むことを知らぬ、いつも前向きに全力で、一瞬、一瞬を生ききった、すい星のように、こつぜんとあらわれ、若いガキ大将のような心のまま、人の生きることのなんたるかをするどくみつめ、語らずその手本となり、敦盛のことば通り、この世を幻の世と見ながら、幻の世を現実にせいいっぱい生き、幻のごとくこの世から去っていった不思議なお方でした。さわやかないちじんの風、つかのまのしずくのしたたりの輝きにふと気づいたときなど、わたくしには戦場でいさましく馬を馳せていたのぶなが様の勇壮なお姿が一瞬ありありと思い起こされるのでございます。のぶなが様の思い出は尽きることがありませんが、今回はこのくらいにして、またの機会にお話いたしましょう。

織田信長

織田信長

  • 小説
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  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-09-01

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