恋した瞬間、世界が終わる -第36話「あなたが欲しかった遺伝子」-

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恋した瞬間、世界が終わる -第36話「あなたが欲しかった遺伝子」-

第5部 来るべき一瞬のために編「第36話 あなたが欲しかった遺伝子」


私は自分の素性をココに話してみようと思った

私は誰で、どこから来たのか
ココには自分の心を割って話してみる“べき”だと

「すこし、
 立ち止まろう」

ココが立ち止まり、白いブラウスの裾がふわりと揺れた
透明な光の粒子が舞い上がった

「ココ、
 私の名前を伝えたい
 私は…」

ココは、唇の前に人差し指を重ねた
「いいの、知らないままで」

私は口に出し損ねて引っ込めた言葉
ーー私の名前ーーが
ココに知られぬまま終わってしまう事に
胸の痛みを覚えた
だけれど、仕方のない事なのだろうかと
それなら…

「私は、エンジニアの仕事を行なっている
 研究員と云った立場でもある」

不意に飛び立った言葉で
車の中で繰り返し流れたチェロの音が
今度は重く、鈍く
痛みのように
急に私の内側で聴こえ始めたーー

ココの表情に暗いものが伺えた

「そう…あなた私の遺伝子を盗みに来たの?」

光の粒子は空気の中で何か張り詰めたものに変わった

空気が揺れたーー

「…遺伝子を? なぜ?」

私は肌で空気を感じながらも
心を割って話したこの機会が
とても重要な展開を招くだろうことを悟った

「そう、知らないのね
 それなら、あなたも私と同じ
 オリジナルを失った人間なのよ」

私は、自分が『降下して来たこと』をふと思った

チェロの音が増幅して私の内部を揺さぶり始めた

「あなた、煙を吸ったの?」
と、ココが私に訊ねた

「煙を?」
私は、思い当たる節があるか考えを巡らせた

最初に浮かんだのは
反発者の男を聴取していた時ーー

彼が吸っていた「タバコ」だった

なぜ、私たちが取り締まっていた「タバコ」が
彼の元にあったのか?
健康を害してまで彼は吸っていたのか?

彼が

「君は知らない、例えば僕が肺がんのステージ4であったとして、
 自分の寿命を縮める一本のタバコを吸うことの価値を。」

と云って、
タバコをタンポポの茎のように
くるくると回して見せたこと
あれは、
本当に“タバコ”だったのか?

私は、チェロの弓がそのまま心臓の弁を捉え奏でるように迫った


「あなた、
 煙によって
 誘(イザナ)われている」

と、ココが空を指差した

ココの麦わら帽子が風に吹かれ
宙返りして見せるように舞っていった

それからココは大地を指し示した


ああ、あの時
裁判の傍聴席で吸った
煙のような湯気ーー

光の粒子が眼に止まった

ーーその時、唇に感触を覚えた

「これは、タンポポだね」
と、小さな身体の頃に教えてくれた
「そうなの、タンポポ大好きなの!」といった女の子
タンポポの綿毛よりも柔らかい表情
唇にキスをされた記憶ーー

ーー気づくと、ココの唇が触れていた

つたい、沿って
舌を絡めて
送られる吐息の熱
熱交換の感触
柔らかく地面に落ちる麦わら帽子の音
感触だけ残してココの身体が離れた
恍惚とした表情をココは浮かべた

不意に私は、“くちぶえ”の音を思い浮かべた

“遠くの景色が視えるように”
私の心を遥かな懐かしさにまで送った
忘れていたこと
忘れていたものの息吹
“祭りの時期”を過ぎてゆく夏の終わりまでーー

そうったことを思い起こさせる“ココの唇”

そういえば、あの娘もそうだった

あの娘の声も

「早川さん」

「!」
 
ココは、意外なものを見る目で驚き弾んだ

「どうして? なぜあなたがアリュールのことを?」

ココは首をかしげて、私は不思議そうな顔を浮かべた

「あなたはあの娘の居場所を知っているの?」

「居場所?」

不思議そうな顔のままの私を見て、ココは肩を落とした

「そう、知らないのね」


ココは、地面に落ちた麦わら帽子を手に取った

「あなたは、この場所を“記憶”するの?」

「記憶?」


透明な光の粒子は、私の眼を横断した

 「そう、記憶
 
  あなたは忘れずに

  この場所を記憶する?」


ココの眼の粒子が、私の眼の粒子に投げかけた

「あの人たちにも誤算があったの
 あのワクチンによって、思わぬ霊性が宿る人が少なからず居たの」

ココの言葉の真意が何かは分からなかった
ただ、伝えるべきことが思い浮かんだ

「私は、ある男に会いに来た
 このノートパソコンには、ある記憶が手がかりとして残っている
 でも、記憶の一部にはフィルターがかけられている」

ココは麦わら帽子を被り直し、私に諭した

「それを解くのは、数字やアルファベットの羅列ではないの
 それは、あるルートで折り返す必要があるの
 ガイドを伴った儀式が必要なの」

麦わら帽子に添えた一輪の花が
私に手渡された

「あなたを護るように」

私はそっと胸ポケットに花を挿し入れた


それから、ノートパソコンを起動させた
男の記憶のフィルターが解除されていた
“詩人”の記録が浮上していた


粒子が覆うように私の視界を包み
そして、開けていった


「あなたは、この道を通って行きなさい」

ココの姿は消えかかっていた

「ココは?」

袖口を掴み損ねた言葉のように

「わたしは、ここまで」と


 チェロの音がいつの間にか止んでいた

 忘れかけていた唄が舞うように
  
 青空は早く
 
 雲(足)は遠のき
 
 また明日が来るように

恋した瞬間、世界が終わる -第36話「あなたが欲しかった遺伝子」-

次回は、9月中にアップロード予定です。
お身体に気をつけて

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  • 小説
  • 掌編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2021-08-29

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