リサのアバター、アバターのリサ
大学の授業のあと図書館でやっつけ気味にレポートを仕上げ、門を出たときには七時を過ぎていた。秋葉原へ行くため、山の手線の田町駅に向かう。
十二月も半ばを過ぎ、雪が降ったっておかしくないほど冷え込むようになった。クリスマスを前に、街は赤や緑の飾りに彩られているが、今年も特に何の予定もない僕には、それがちょっと疎ましく感じられる。
早足で歩きながら、バッグの中のゴーグルを取り出してかけた。つるの部分にある小さなスイッチを手探りでオンにする。ゴーグルと言っても、最近のはだいぶ小型化が進んでいて、僕がかけている新型のやつは普通のメガネと変わらないサイズだ。
田町駅のホームには、サラリーマンやOLに混じって魔法使いや戦隊ヒーローやアニメのキャラクターやらが並んで電車を待っていた。別にコスプレ大会があるわけではなく、僕の頭がおかしいのでもない。彼らはアバターなのだ。
仕掛けは僕がかけているゴーグルにある。こいつはディスプレイになっていて、見ている景色や人物に、CGを合成することができるのだ。
1990年代に登場したオンラインRPGは、携帯電話の飛躍的な機能の発達と、2020年に発売されたゴーグル型ディスプレイにより、新たな進化を遂げた。ゲームソフトは携帯電話にインストールすることが可能となり、携帯との無線通信機能を備えたゴーグルによって、歩きながらゲームがプレイできるようになった。
さらに大手ゲームメーカーが、オンラインゲームに参加中の人間を識別し、アバターの映像を被せることができるソフトを開発した。これによりゲーマーはアバターの映像を着て現実世界を歩けるようなった。最近は街にゴーグルをかけた若者があふれている。
つまり、いま僕の前にはメイド服を着た美少女が立っているが、ゴーグルを外して正体を見れば、ジャージにフリースジャケットの、顔は十人並みな女の子かも知れないし、その類である可能性が高いわけだ。
僕もジーンズに安物のダウンジャケットとさえない格好だが、ゴーグルをかけたお仲間にはダンスゲームのヒップホップダンサーに見えているはずだ。ちなみに、ゴーグルの形状データはサーバーに登録されており、アバターの映像からはきれいに消去されている。
ホームに電車が入る。乗り込むと席はまばらに空いていた。発売された当初は街を歩いてもなかなかゲームの参加者に出会えなかったものだが、最近は同じ車両にアバターが一人もいないなんてことは滅多になくなった。しかもアバターの割合は、秋葉原に近づくにつれ加速度的に多くなる。
東京駅で電車が停まり、アバターとリアルがどっと乗り込んできた。「リアル」ってのは、アバターではない普通の人や、アバターの正体である生身の人間のことだ。
斜め前辺りのシートに女性が座ったのは何となく分かったが、携帯をいじっていた僕は特に気にも留めなかった。携帯をポケットにしまい、顔をあげた僕はドキッとした。彼女があまりにも可愛かったからだ。
彼女もアバターで、歳は十七歳くらいに見える。アニメやゲームのキャラクターではなく、ほとんど実写に近いアバターだった。ディスプレイに表示されるプロフィールウィンドウがなければ、リアルと見間違えるほどだ。もっとも、プロフィールには「リサ」という名前しか情報がなかった。
アバターってのは、要は着ぐるみのような物だから、リアルな自分とかけ離れたデザインを着ることはできない。デブが見栄を張ってスレンダーなアバターを身にまとったりすれば、腹や尻がCGからはみ出たりする。ガタイのでかいやつが小柄なアバターをまとうのも無理だ。
高額なアクセラレータプログラムを追加すれば、はみ出した部分を消すことも可能だが、それでもふとした拍子にリアルな身体の部分が出てしまうことがある。それは「尻尾を出す」と言って、最もカッコ悪い状態なのだ。だから、ほとんどのゲーマーは身の丈にあったアバターを選択する。
リサのアバターは、顔なんかほとんどすっぴんに近い。実際、ルックスに自信があるゲーマーは、首から上だけリアルにするやつもいる。彼女の場合は、リアルな顔の上へ薄化粧程度にアバターを被せるタイプではないかと思う。まばたきにさえCGの動きを合わせる最高級のアバターだ。
明るすぎない金色のふんわりとしたボブヘアや、赤ちゃんのようにきめ細かく白い肌、女の子なら誰もが羨む長いまつげの大きな瞳は、CGにしてはナチュラル過ぎるし、リアルにしては美しすぎる。地顔の良さと、超高性能のアバタープログラムが合わさって成せる技だ。
そういう高価なアバターを使用しているのだろうということは、彼女のファッションからもうかがい知ることができる。
彼女が着ているファーがいっぱい付いた純白のコートには、誰もが知っている高級ブランドのマークが付いている。本物の服ではなくゲーム上のアイテムなのだが、本当にそのブランドのデザイナーがデザインしているので、値段はべらぼうに高い。
黒いフリルのミニスカートや膝上のブーツ、リングやピアスのアクセサリーも、ブランドに詳しくない僕が見たって、ひとつひとつがものすごく高そうな感じがする。布や金属の質感が全然違うのだ。一人で五人分くらいのデータ通信量を使っているに違いない。
僕はゴーグルを外して素顔を見てみたい欲求にかられたが、そうはしなかった。このゲームではリアルを見ないことがマナーとされているのだ。世の常で、不躾にゴーグルを外してリアルを見ようとする輩は絶えないが、そんなやつは誰からも相手にされなくなるか、最悪の場合ネットで吊るし上げにあうのが運命だ。
僕のゴーグルのディスプレイに、他のゲーマーからのアクセスを示すシグナルが表示された。隣に座っている黒い革ジャンを着たアバターの男からだった。アニメのミュージシャンのキャラだ。僕はアクセスを許可した。
「リサっち、すげえ可愛いじゃん。声かけてみろよ、ユウジ君」
男が携帯に小声で話しかけた言葉が、テキストに変換されてディスプレイに表示される。ユウジってのは僕の名前だ。僕も携帯で返事を返す。
「自分で声かけろよ」
「玉砕。アクセスNGされた」
「あそ、わりい。でも、男いるだろ、ありゃ」
「だろうな、絶対みつがせてるぜ。総額いくらだよあのアバター? 車買えね?」
「軽は買える」
「てか、素人じゃないかもね。モデルかアイドル? ユウジ知らね?」
「知んね」
辺りを見渡すと、リサは僕の隣の男だけでなく、車内のアバターたちの注目を一身に集めているようだった。無遠慮な好奇の視線があからさまに注がれているが、本人は柳に風といった感じで平然としている。
携帯をいじるでもなく、ミュージックプレイヤーで音楽を聴くでもなく、これから行くクレープ屋で何を注文しようかと考えているような、のんきな表情だ。
「こんだけ注目されてヘーキって、いい心臓してるな。でも、軽そうな感じしない? スカートめっちゃ短いし。アタックしろよ、ユウジ君。遊んでくれるかもよ」
「軍資金ないよ。相手にしてもらえないね」
秋葉原駅についてドアが開くと、ほとんどのアバターはそこで降りた。リサも電車を降り、しばらく僕の前を歩いているのが見えたが、すぐに人込みにまぎれてしまった。
僕はオンラインゲームのショップ街に向かった。アバター用の服やアイテムを扱っている店が並んでいるところだ。
そこはもう、スターウォーズの異星の街よりも混沌とした状況になっている。道の両側には眩しいほどの電飾がほどこされた店が並び、呼び込みの声や音楽が騒々しく鳴り響いている。
ここに並ぶ店は全てアバターと同様にCGの映像が被せられている。だからネオンも大型ディスプレイも付け放題で、たいがいの店はパチンコ台みたいに派手な装飾を施され、隣に負けじと大音響でスピーカを鳴らす。
通りを歩くのはもちろんアバター達だ。Aラインのアイドルコスチュームがいるかと思えば、向こうから迷彩服にライフル銃を持った男が歩いてくる。ドワーフに柔道着に猫耳少女と何でもあり。年中ハロウィンパーティが開かれているようなものだ。
ここもゴーグルを外せば田舎の商店街のように貧相なのだが、もちろんゴーグルを外す奴はいない。夢から覚めたって面白いことなんかないのだ。
目当てのペットショップに着いた。リアルなペットではなく、アバターのペットだ。昔、アイボって犬型のロボットがいたけれど、それの進化したものにアバターの映像を重ねるのだ。見た目にはリアルの動物と変わらない。ほかにも、映画やゲームに登場する架空の生物などがいる。
僕は猫のアバターペットを探した。ロボットとセットだから結構値が張るのだが、バイト代を貯めて買おうと思っていて、ちょくちょく見に来るのだ。ネットで探すこともできるのだけど、やっぱり実際に手に触れてみるのが一番だ。
僕は店員に頼んで、アメリカンショートヘアーをケースから出してもらい、模様をちょっと明るめの色に変えてもらったりしていた。
ひと通りひやかしてペットショップを出ると、向かいのゲームセンターにリサの姿を見つけた。連れが一緒だ。背の高い軍服風ロングコートの女と、チビデブな遊牧民の女。どちらも格闘ゲームのキャラクターだが、身長差があるので二人そろうとP3COとR2D2みたいだ。
僕はゲームセンターに入り、ゲームの順番待ちの振りをして三人を覗き見ていた。べつにストーカーまがいのことをしようってわけじゃないけど、彼女の普段の様子に興味があった。それに、連れの二人は、リサの友人には相応しくないような気がして、どういう関係なのか知りたいという気持ちもあった。
しばらく見ていても三人はゲームをする様子はなかった。背の高い軍服女とリサがずっと話をしている。声は聞こえないが、段々と語気が荒くなり、しまいに言い争いになった。チビの遊牧民は軍服に加勢している。
リサがきびすを返して立ち去ろうとすると、軍服がその腕をつかんで引き止めた。そのまま手を引いて店の奥の方へ連れていく。様子がおかしい。友達にも見えないし、からまれているんじゃないだろうか。僕は三人の後を追った。
店の隅の、デカイ柱の影にリサ達はいた。相変わらずリサと軍服が言い合いをしている。僕に気付いたリサが助けを求めるような視線をこちらに向け、それで軍服と遊牧民も僕に気付いた。
「何してんだよ。こんなとこで」
僕がそう言うと、軍服がキッと睨みつけた。その隙にリサが二人の横をすり抜け、僕の背中に隠れた。
「何だよ、お前。関係ねえだろ」
思いっきりガラ悪く軍服が言う。
「嫌がってんじゃん。二人がかりで、何してたんだよ」
「この人たちね、あたしに変なの売りつけようとするの」
リサの声を聞くのは初めてだったが、澄んでいるのにどこか甘ったるさを含んだ声で、それは彼女によく似合っていた。背中に押し当てた小さな掌の感触が心地よい。
「人聞きの悪いこと言うんじゃないよ。アクセサリー買わないかって聞いただけじゃないか」
軍服に目をやるとディスプレイにアイテムウィンドウが開いた。派手なデザインのネックレスやピアスが映し出される。
「ちゃんとしたブランドもんだよ。証明書も付いてる」
「そんなの、ガード外して違法コピーした偽物でしょ! 騙されないもん!」
僕の後ろに隠れながらリサが強気で言い返す。なるほど、これでもめていたのか。
「証拠もなしに偽物とか言うなよ。言い掛かりつけた侘びとして買えっての」
「偽物とか本物とかどうでもいいよ。本人が嫌がってんだから、もう失せろよ」
僕と軍服はしばらく言い合っていたが、軍服は言うことがめちゃくちゃで、執拗にその場を去ろうとはしなかった。女だから殴るわけにもいかないし、僕は段々うんざりしてきた。
「……分かった、幾らだよ? 一個だけ買ってやるよ」
根負けして僕はそういった。リサが心配そうな眼を向ける。ちょっと痛いくらいの値段だったが、僕は軍服の言い値をオンラインゲームのクレジット通貨で支払った。
「最初からそうすりゃ、余計な時間つぶさずに済んだんだよ」
軍服が勝ち誇ったように言う。
「今の取引でお前のID分かったからな。このネックレスと一緒に管理局に報告しといてやるよ。二度とオレ達に近づくな」
僕がそういうと、軍服は一瞬しまったという顔をして、「カッコつけたつもりかよ! バカが!」と捨て台詞を残して立ち去った。遊牧民がドタドタと後を追う。
二人がいなくなると、子供のように隠れていたリサがおそるおそる僕の背中から出てきた。二人が戻ってこないのを確認すると、大きく安堵の溜息をつき、僕の方に向き直る。
「ありがとう、助けてくれて」
ホッとした顔でリサがそう言う。間近で見てもかなり強烈に可愛い。
「いや、なんか、からまれてるようだったから……」
「もう、しつこくって、とっても怖かったの。泣きそうになっちゃった。あ、ゴメンね、クレジットまで使わせちゃって。あたし払うよ」
リサは喋るとき表情がよく動き、ジェスチャーも大きい。ディズニーのアニメーションみたいだ。骨が入っているのかと思うほど柔らかく身体を動かすので、なまめかしい感じがする。
「いいよ、ホントに、管理局にも連絡するつもりだし」
たぶんリサにとっては痛くもかゆくもない額なのだろうが、僕は男の見栄で断った。
「……そう? じゃあ、甘えちゃうね。優しいのね、ユウジって」
リサがニコッと笑う。黄色のチューリップみたいに明るく屈託のない笑顔だ。この顔で「甘えちゃうね」とか「優しいのね」とか言われると、ひとこと毎にハート型の矢じりが付いた矢が胸にぷすぷすと射込まれているような気がする。
「ねえ、なんかお礼させてよ。何がいい? キスしたげよっか」
言葉が耳から脳に届いて言語に変換されるまで五秒くらいかかった。僕の短期記憶に間違いがなければ、リサは今「キス」と言ったようだ。
「いや、お礼とか……当然のことをしたまでで……」
「こんなとこいないでさ、どっか行こうよ。来て」
突然の衝撃で脳がフリーズした僕にかまわず、リサは先に歩き出す。僕は慌てて彼女について行った。サイケデリックな電飾がきらめく賑やかな通りを、僕らは縦に並んで歩いた。
リサは後ろも振り向かずに歩いていく。かと思うと、急に振り向いて僕がついてきているのを確認し、例の笑顔でニッと微笑む。思わず微笑み返さずにはいられない、無邪気な笑顔だ。
「ねえ、ユウジ、学生?」
「大学一年だよ」
「一人暮らし? それならユウジんち行こか?」
リサが僕の横に並んで、華奢な指を僕の手に絡めてくる。外は相変わらず冷たい風が吹き渡っているが、リサの手はほんのりと温かかった。僕は実家に近い大学を志望したことを心底後悔した。
「実家から通ってるよ。いきなり女の子連れて行ったら親が確実に腰抜かす」
リサが楽しそうに笑う。女の子と手をつないで街を歩くのなんて初めてだけど、こんなに楽しいものだとは知らなかった。彼女の手の柔らかさとぬくもりを感じているだけで、目に入るもの全てが輝いて見える。
「ねえ、さっきペットショップで猫見てたでしょ」
あれ、見てたんだ、と言おうとしてリサの方を向くと、顔が思い切り近くにあった。思わずドギマギする。リサは「どしたの?」的な顔で見つめている。なんだか、ガードを緩めたリサの対人距離の近さに、僕は戸惑ってしまう。
「リサもいたの?」
「いたよ。ユウジは、猫が好き?」
「うん」
「リアルは興味なし?」
僕はちょっとためらってからアバターを選んだ訳を話した。
「リアル猫飼ってたんだけど、去年死んじゃってね。ちょっとつらかったから、アバターの方がいいかな、って」
「そうなんだ……可愛いかった?」
「うん、家族の一員だったし」
死んだ猫のことを思うとちょっと寂しくなった。リサがふーん、と言って、首をかしげる。
「そう。でも、あたしはリアルの方がいいな。でも、うちマンションだから、飼えないの」
マンションね。さぞかし豪華なマンションに住んでるんだろうな、と僕は思った。
それから他愛もない話をしながら、僕らは通りを歩いた。リサは聴き上手で、僕の下らない話にもクスクスと笑ったり、驚いたりしてくれた。彼女の耳をくすぐるような声が心地よくて、僕はいつもよりおしゃべりになった。
すれ違う人たちがみな僕らをうらやんでいるような気がした。実際、リサはすれ違う人を振り向かせるくらいの華やかさがあった。僕は世界中に彼女を自慢したい気持ちになった。
アイテムショップ街を過ぎてしばらく歩くと、リサが不意に足を止めた。隙間なく家電量販店が並ぶ通りの中で、そこだけビルとビルの間が三メートルほど空いている。スチール製の非常階段があって、彼女はそこに視線をやっている。
リサは「おいで」と言って、僕の手を引いた。従順な犬のように僕は彼女についていった。
非常階段の裏へ回ると、そこは通りから死角になっていた。賑やかな通りの喧騒は遠ざかり、漏れてくる照明の明かりが足元だけを照らす。
ずっとつないでいた手をほどき、リサが僕に向き直る。手を後に組んで、ちょっとはにかんだ表情を見せてから、彼女はこう言った。
「先に、助けてくれたお礼をしなくちゃね。ねえ、キスでいい?」
誘惑するような笑みを浮かべ、上目遣いに僕を見つめる。僕は思わず生唾を飲み込んだ。同意を示すため、小さくうなずく。
「キスが上手だったら、もっといいことしてあげよっかな……」
リサの方から一歩、二歩と僕に近づいてくる。つま先が触れる距離になって、顔をちょっと上に向け、彼女は眼を閉じた。僕は心の中で神様にめいっぱい感謝した。音が聞こえそうなほどに胸が高鳴る。
僕がそっと顔を寄せたとき、小さく、しかしはっきりと猫の鳴き声が聞こえた。路地裏で猫の鳴き声など珍しくもないが、あまりに距離が近いところから聞こえたので僕は動きを止めた。リサの携帯の着信音かと思った。
リサも眼を開き、ごめんと言ってコートのポケットをまさぐる。思わぬじゃまが入ったが、やっぱり携帯だと思った。でも、彼女がポケットから大事な宝物のように取り出したのは、小さな三毛猫だった。
「あたしのアバターペット。可愛いでしょ」
両脇をリサに支えられ、三毛猫が元気よく足をばたつかせる。僕を見てミャーともう一声鳴いた。リアルならやっとミルクを卒業したくらいの、産まれて間もない子猫だ。
「抱いてみる?」
“お礼”のことは忘れたように、リサが猫を差し出す。仕方なく僕は猫を抱いた。彼女のペットだけあって、すごくリアルだ。最新の保温機能までついているらしく、温かく柔らかで、よく動いた。
確かに可愛いが、僕は妙な違和感を感じていた。普通ペットにするならもうちょっと成長した月齢にするのではないだろうか。それに、どこにでもいるような純和風の三毛猫は、リサには似合わない。彼女には、ロシアンブルーやアビシニアンが合っているように思う。
「とってもいい子なのよ。元気だし、欲しくなっちゃうでしょ」
リサがいとおしそうに子猫の頭をつつく。僕はちょっと戸惑いながら、曖昧にそうだね、と言った。子猫がもう一声鳴く。
その時、非常階段のそばから、突然男の声がした。
「……ユウジ? 何してんのお前、こんなとこで」
聞き覚えのある声。通りの逆光の中から現れた、ジーンズにライダーズジャケットを着たそいつには見覚えがあった。中学時代からの友人のナオキだ。一瞬何が起こったのかわからなかった。何でこいつが今ここにいるんだ?
「な……! 何でお前が来んだよ! 空気読めよ!」
猫どころではない邪魔者に、僕は思わず怒鳴った。
「お前こそ、一人で何してんのさ。こんな暗がりで」
「一人って、バカヤロウ! どこに目つけてやがんだ!」
そう言って気がついたのだが、ナオキはゴーグルを額にかけていた。そして、やつの視線は僕にまっすぐ向いていて、リサの方をまるで気にしていなかった。
ハッとして僕は横にいるリサを見た。彼女は少しずつ後ずさっていたらしく、いつの間にか僕との距離は二メートルほど空いていた。
「――ごめんね」
リサがいたずらっぽく、ちょっとだけ舌を出して笑う。僕は虫をはらうような素早さでゴーグルを外した。同時に、リサの姿は画面がワイプするように消え失せた。僕の眼にはくすんだビルの壁しか映らなかった。
もう一度ゴーグルをかけても、リサの姿は戻らない。僕は呆然としながらゴーグルを額に上げ、リサが消えた路地裏をゆっくりと見渡した。
「お前それ、リアル猫じゃねえの? どうしたのそれ」
ナオキの言葉で我に返り、左手を見ると、三毛猫はまだ僕の手の中にいた。ジャケットの袖に爪を立てて上ろうとしている。ふと目をやると、非常階段の下に小さなダンボール箱があり、開いたふたからタオルの端がのぞいていた。
「お前、いい年して猫拾ってんの?」
「いろいろ事情があんだよ! だから、何でお前ここにいんだよ!」
ナオキが舌打ちする。
「アイテムショップですっげえ可愛い子に声かけられてさ、ついて行ったらほんのちょっと眼を離した隙に消えちまって、気がついたらお前がいたんだよ。こっちこそどうなってんのか聞きてえよ」
可愛い子だって?
「その娘、白いコートに黒のミニ?」
「そう、何で知ってんだよ。お前らグルか?」
「違うよ。悪りい、後でゆっくり話す」
ずっと手に握られているのが苦しいのか、猫がミャーミャー鳴く。ナオキが猫を珍しそうにのぞきこむ。
「お前、どうすんの、こいつ?」
僕はもうやけくそになって叫んだ。
「どうもこうもあるかよ! このクソ寒いなか、置いてけねえだろ!」
そういうわけで、僕は三毛猫を連れて家に帰った。家族には「大学生にもなって猫を拾ってくるなんて」と、散々バカにされた。
ゲームセンターで軍服から買ったアクセサリーは、家に帰るといつの間にか無くなっていて、クレジットも戻っていた。てことは、あの凸凹コンビもリサの仕業だったってことだ。
猫を拾ってきた夜は、家族はあきれていたけど、結局みんな猫好きなので、新入りはすんなりと家族になじんだ。ちょうどメスだったから、名前はリサと付けた。だって、他に付けようがないだろ?
あれから一年がすぎて、リサも立派になった。いたずら好きだけど、身体が丈夫ないい子だ。
アバターの方のリサは、正体は分からず仕舞いだ。ナオキと長い時間話し合い、ネットで調べたりもしたけれど、手掛かりはなかった。僕たちが見たのはリサのアバターだったのか、リアルの存在しないアバターそのものだったのか、今となっては、もう、どうでもいいと思う。
彼女を恨む気持ちはない。リサは猫を助けたかっただけなんだろう。あの天使のように愛らしい笑顔を思い出すと、今でも頬がゆるんでしまうんだ。
男って、ほんっとバカだな。我ながらそう思う。
おわり
リサのアバター、アバターのリサ