ロボットゴキブリの逆襲
執筆のきっかけは、ゴキブリ嫌いの友人。様々な策を考案しますが、ことごとく失敗して悲鳴を上げていました。
ロボットゴキブリの逆襲
曹龍文(そうりゅうぶん)博士の世界一嫌いな物はゴキブリであり、最も大切にしている物は中華風の心地良い調度品で統一した部屋で取る良質な睡眠である。その為に曹博士は、14時過ぎのカフェインは摂取しない。夜20時以降はテレビやPC、スマホなどブルーライトを発する電子機器は全て電源を落とす。ストレスになりそうな事柄とは距離を置き、就寝の90分前に入浴する。その後、ホットミルクを飲み、手早く歯磨きを終え、ストレッチをしてまどろむのが常だった。
ある夜、ホットミルクを飲み終えた博士は、歯磨きの為、洗面台の前に立った。すると、歯ブラシのヘッド部に何か黒い物が付いていることに気付いた。目を凝らした博士は固まり、みるみる青ざめた。黒い物がゴキブリで、毛束をしゃぶっていると理解したからだ。曹氏は悲鳴を上げた。おぞましいそれは、洗面所を凄まじいスピードで駆け出て寝室に逃げ込んだ。急いで部屋の明かりを点けて(就寝前、博士はいつも間接照明に切り替えている)探してみたものの、もう行方は杳として知れなかった。ゴキブリと間接キスをしてしまった怒りに燃える博士が、歯ブラシを捨てた後に行ったのは揮毫であった。憎悪と嫌悪に手が震えたものの、何とか書き上げた。
不 共 戴 天
完全なる報復を誓う、気迫に満ちた書だった。あの図々しい下等生物とこれ以上、共に天を戴くことは犯罪行為と同義である。これはもはや天命なのだと博士は再認識した。殺虫剤、冷凍ガス、毒餌、燻煙剤、捕獲用トラップ、怪しげな超音波発生器、果ては駆除業者。あらゆる物を試してきた博士だったが、完全なゴキブリ駆逐には至らず、ちょくちょくゴキブリと遭遇する羽目になっていた。マンションの最上階に位置する自分の部屋を気に入ってはいたが、どうやらゴキブリにも気に入られているらしかった。
しかし博士には、長年温めていたあるアイディアがあった。それは、ロボットゴキブリである。ロボットゴキブリは、外観、フェロモンなどで生体のゴキブリに完全に擬態し、あらゆる場所でゴキブリを一匹ずつ殺していく、云わばゴキブリ社会の連続殺虫鬼。ゴキブリに接近し、化学的な薬品噴射で成虫も幼体も屠っていく、頼もしいハンターだ。
そのアイディアを嬉々として知人達に話したところ、所謂アカデミックな研究者達は引いているようであった。曹氏は心中唾棄した。
『欧米かぶれどもめ。一生ゴキブリと仲良く暮らしてろ』
曹博士は本業であるAI研究の傍ら、昆虫型ロボットや動物型ロボットのプログラムを密かに収集していたのだった(これが当局にバレたら、投獄されるだろう)。蚊やゴキブリ型の高度なスパイロボットは世界中の軍隊が喉から手が出るほど欲しがる。それらしい動きをするだけならば生物を模したロボットはいくらも存在するが、曹氏が求めているのは駆除者だった。その為には、既存ソースコードの精巧な応用と追加、書き換えが必要だ。
改修を始めてから、気付けば半日近くが経過していた。会社に欠勤する旨を伝え、再びプログラミングに没頭する。出前アプリで7回目の食事、タバコ4箱が空になる時分、ようやく試作プログラムは完成した。これほどの達成感は、久しく無かった。ソフトウェアの核となる部分が出来たので、博士はハードウェアの注文をネットで行った。この時になって初めて、ソフト開発に着手する時に注文しておけばよかったと後悔した。
博士はベッドの下や周囲を細心の注意を払って警戒した後、毒餌のキャップと粘着シート式トラップを4つずつベッドの周りに張り巡らせ、床に就いた。置時計を見ると、昼の3時だった。完全に睡眠のリズムを狂わされ、2日も徹夜してしまった。今寝てしまうと夜に眠れなくなることは承知していたが、眠気が限界まで来ていた。布団に入った博士は、すぐに微睡んだ。約3時間後、曹氏は何かが顔の上を這っているのを寝惚けた頭で認識していた。それが何であるかを理解していながら、はっきりとした思考に至るまでには時間がかかった。カサカサと動く黒い影を視認した時、博士は耳をつんざくような轟音を聞いた。その音が自分自身の絶叫だと解るまでは数舜だった。
PCを起動させた博士はECサイトで購入品の配送状況を確認した。当然ながら3時間前に購入したハードウェアは、まだ発送されていない。博士が販売会社に直接電話を掛けると、事務員の女が対応した。会社の住所は深圳(シンセン)だった。商品の在庫はあるものの、運送会社の不備で発送にはまだ4日位はかかるということだった。
「今から直接そちらに伺います。商品を確保しておいてください」
「承知しました。サイトの方の注文は取り消しておきます」
博士は旅行用のチケットサイトを開くと、すぐに深圳行きを調べた。生憎、飛行機にも高速鉄道にも空きが無いようだった。
「車でそちらに向かいます」
「わかりました。受付は20時までは開いてます。どちらからお越しになります?」
「上海です」
事務員の女は陽気に笑った。
「外国の方ですか? 上海から深圳までは1000キロ以上はありますよ」
「明日の朝には着きますよ」
電話を切り時計を見ると、夕方の17時53分だった。博士は片道12時間から13時間、休憩も入れると往復で30時間弱とあたりをつけた。出発前、粘着式トラップを更に追加で5つ設置してから出発した博士は、道中農村の食堂とファーストフードチェーン店で2回食事と短い休憩を取り、12時間40分で深圳に到着した。目的の会社の入ったビル前に車を停め、始業時間を待ち車中で仮眠を取ったが、首と腰と膝が痛み、意識は虚ろだった。深圳は秋葉原やシリコンバレーと同じくらいお気に入りの街なのだが、最低最悪の睡眠のせいで博士の苛立ちは収まらなかった。10時になり、ビル6階の受付が開いた。応対したのは電話越しに話した中年女だった。渡された箱の中身を確認すると、嫌悪感を抱くほどにゴキブリそっくりだった。正常に動作するかどうかは、プログラムを書き込んで起動させてみないことには何とも言えなかった。ロボットを梱包し直し、アリペイで会計を済ませた博士に、
「今から上海に戻るんですか?」
「その通り」
女は曹氏の背中越しにアイヤーと呟いた。
行きと全く同じルートで家に着いた博士は、帰宅後真っ先に粘着トラップの中身を確認したが、成果はゼロだった。ちらと時計を見て、
『11時か。準備が不完全だが、時間は悪くないな』
ベッド周りに毒餌と粘着トラップで隙間なく二重の結界を張り巡らせた後、曹氏はストンと眠りに落ちた。
彼は夢を見ていた。クリエイティブでありながらリラックスした雰囲気の中、それぞれお茶やスナック菓子を口にしながら、斬新で生産性溢れるアイディアを皆次々に提案していた。
『なんだか不思議な食感の菓子だな。それに、うちの会社はこんなにクリエイティブだったかな……いや、クリエイティブ過ぎる』
博士はパチリと覚醒した。静謐の中、じっとりと嫌な予感がとぐろを巻いていた。
半開きの口の中で、何かが動いている。
チクチクする異物を吐き出し、手探りで照明を点けると、この世で最も忌まわしいそれがカサカサと動いていた。ゴキブリの、もげた脚部を一本唇にぶらさげたまま、博士は慟哭した。その怨嗟の声はマンションを遥か超え2㎞先まで届いた。ショックのあまり博士はゲラゲラ笑い出し、ゴロゴロ転がった。床をバンバン叩き、幼児語も交えて考えつく限りの呪詛と罵倒の言葉を吐き続けてようやく少々冷静になったが、叩き起こされた周囲の住人の怒声やざわつきにまでは気が回らなかった。
床に大の字になった博士は天井を見詰めて呼吸を整え、ぽつりと呟いた。
「……皆殺しだ」
時刻は深夜2時過ぎ。博士は壁に張った誓いの書を見て決意を新たに作業を再開した。
ロボットゴキブリの尻にミニUSBを差し込み、コードを書き込んでいく。書き込み完了の合図にロボットの目が赤く光り、博士はギョッとした。成功は成功らしいのだが、ゴキブリは存在そのものが酷く精神を圧迫する。いわんや、ゴキブリらしい存在であるように設計されたゴキブリロボットもまた、甚だしく不愉快だった。曹氏自身、創造者がこれほど創造物を嫌うことになるとは思いもよらなかった。ゴキブリと同じ行動を取るということは、衛生状態もゴキブリと同じになるという論理的帰結は、努めて考えないようにした。一連の動作テストを終えた博士は、実際にロボットを放ってみることにした。
ゴキブリは何種類かいるので、出現する種類によってカスタマイズは必要かもしれないが、とにかくトライアンドエラーを重ね、最適解を見つけるしかない。ロボットゴキブリは、ゴキブリそのものの動きでカサカサと本棚の裏に消えていった。
「うっ……」
博士は不安になった。これは、もしかすると脅威を増大させてしまっただけかもしれない。本物のゴキブリとロボットゴキブリを遠くから見ても恐らく判別は出来まい。目が光るのは充電完了時やコードの書き込みの時だけである。唯一、内部の発信機で位置の把握は可能なので、それが心の拠り所だった。
眠れなくなった博士が、すっかり放置していた共同研究者や大学、共産党からのメールに目を通し、返信をしているうちに1時間程が経過した。曹氏の目の端にゴキブリが飛び込んできた。
「うわっ!」
すぐにゴキブリは痙攣してひっくり返った。続いて出てきたゴキブリは、尻のUSB差し込み口からロボットだと解った。やがて生体の方のゴキブリは、完全に動かなくなった。ターゲットの死を見届けたロボットは、カサカサと本棚の裏へ消えた。曹氏は歓喜し、指をパチンと鳴らした。
「好(ハオ)!」
暗殺者は、僅か一時間で早くも一匹を始末した。この調子で全滅させてくれと願った。
「こいつは1000万人民元にも値するぞ」
博士は新しいビジネスチャンスにも思いを馳せながら、寝床を整えた。ロボットゴキブリにキスしてやりたい気分だった(もちろん絶対にしないが)。安堵と高揚に満たされたまま、博士は就眠した。
翌朝、曹氏は目覚ましにセットした時間の40分前に起床した。コーヒーメーカーのスイッチを入れ、シャワーを浴びる。最高の目覚めだった。これぞ人生、これぞ喜び。
曹博士は、物のついでと溜まっていた有給をまとめて取ることにした。プロジェクトマネージャーの李氏がグチグチ文句を言ってくる以外、特に問題にもなるまい。
曹氏は3日間、パズルをしたり映画を観たり、趣味のアプリ開発などを進め、実に有意義な休日を過ごした。有給最後の日、就寝の準備を全て整えた博士が夢の世界に旅立とうとベッドに入ろうとしたその時。あの呪われし生物が壁を這っているのが見えた。
「ひいっ!」
ゴキブリは触覚をゆらゆらさせたのち、壁の隙間へと逃げていった。すぐに曹氏はリモコン代わりにしているスマホからロボットゴキブリの居場所を確認した。発信機の情報だと、今さっきのゴキブリが隠れたのとほぼ同じ場所にいるようだった。となると、暗殺していても良さそうなものだが……
曹氏は恐る恐る、発信機が示すあたりを拳でコツコツ叩いてみた。すると、ゴキブリが飛び出し、間髪入れずロボットゴキブリも飛び出してきた。
「キャッ!」
ロボットゴキブリは、ゴキブリを追うことも無く、ゴキブリ然とした動きで別の場所に逃げていった。曹氏は直ちに帰投命令を発信したが、ロボットは帰ってこなかった。地団太を踏んだが、どうやら不良品だったらしいと諦めた。勤め先に電話を入れ(李氏がいい加減にしろ、と言ってきたが無視)、前回ハードを購入したのと同じ会社にメールで注文し、チケットサイトを確認するも、またもや交通機関の予約はいっぱいだった。曹氏が深圳に出発するまでは早かった。12時間と40分かけて到着し車内で仮眠を取り、始業時間15分前に受付に向かった。受付前には既に若い男が一人並んでいた。青年は小箱を脇に抱え、説明書の様な物を読んでいた。
『長くなりそうだな』
博士の足元は、眠気でフラついていた。
『いかん、倒れそうだ……』
曹博士は扉の前に掲示されているポスターを眺めるフリをして、そのまま先頭に立った。
「ちょっと。抜かさないでくださいよ」
曹氏は悪びれず、
「そういう形になってしまったかな。しかし、私が君くらいの時分にはもっと敬老精神というものがあった。年長者には喜んで先を譲ったものだったがね」
「そりゃ僕だって、老人に席くらい譲りますよ。でもここはバスや電車じゃないし、あなたは老人には見えませんが」
「君はいくつかね」
「21です」
「ほらね? 私の半分の歳だ(曹博士は39歳である)」
青年は不満そうに博士を睨み続けた。良く見ると彼は、背は高くないものの広い肩幅と厚い胸板の持ち主だった。少々気まずいのもあって、博士は若者と雑談をしてみた。彼は深圳大学の学生で、ロボットのプログラミングが趣味らしかった。深圳大学の教授が知り合いだと告げ(実際は何かの会食の招待者同士だったというだけで、直接話したことは無い)、ディープラーニングについて見解を述べると、若者は興奮した様子だった。老師(せんせい)、老師と慕ってくるので悪い気はしなかった。
ホールのエレベーター扉が開き、杖を突いた老婆がヨロヨロと降りてきた。老婆がつまずきかけたので青年は彼女の歩行を助け、
「一番前へどうぞ」
老女はジロリと若者を一瞥した。
「どうぞ。大人(ターレン)も喜びます」
青年は屈託の無い笑顔を曹氏に向けた。博士は頭が真っ白になりかけながらも、
「もちろんです。お年寄りはこの国の宝ですから」
何とか笑顔を貼り付け、大人と呼ばれた中国人としての面子を死守したのだった。老婆は、特に礼も言わず列の先頭に立った。受付の中年女が到着すると、
「あら大変、こんなにお客さんが。今日はバーゲンだったかしら」
と急いで入口を解錠した。老婆の、
「ほらほら。バーゲンが始まっちまうよ」
との言葉にその場の全員は明るく笑った。老婆は製品について、何度も何度も同じ質問を受け付けの女に繰り返した。やり取りは40分以上に及び、曹博士は気が遠くなるのを紛らわそうと青年と会話を続けた。アメリカの大学に留学していた時の経験談や現在の仕事についての話を、青年は身を乗り出して傾聴した。ようやく自分の番になった曹氏は全種類のゴキブリロボットを購入し、1000キロ以上の道程を全く同じルートで引き返した。12時間と40分かけて帰宅し、プログラムの書き込みと動作確認を終えた曹氏はゴキブリロボットを3体放った。その矢先、キッチンの壁の隅から初代が出てきた。ロボットゴキブリ同士は、信号で仲間だと認識出来るようになっている。曹氏は興味深くその様子を見守った。すると、初代が新型に攻撃を仕掛けたではないか!
曹氏は瞠目した。初代はロボットゴキブリの弱点である回路部に殺虫剤を噴霧した。ここに液体を掛けられると、ロボットゴキブリは故障する。残りの2体も、為す術も無く同様に殺虫剤攻撃を喰らい、動かなくなった。ロボットゴキブリはゴキブリそのものの動きで物陰に消えていった。
何が起こったのか理解できず、曹氏は暫く呆然とした。
『ロボットゴキブリが、ゴキブリにハッキングされた?』
いやいや、そんな馬鹿なと思い直した博士は原因を探るためソースコードを査読し直すことにし、2時間あまりが経過した。そこで彼はある仮説に行き当たった。
ゴキブリロボットのプログラムは、大きく以下の4つに分類される。
・基幹部 (全プログラム共通関数)
・行動部 (ゴキブリ擬態用)
・戦闘部 (ゴキブリ暗殺用)
・機械学習部 (行動部と戦闘部向上用)
この中の行動部と戦闘部が、こちらが想定した優先順位で行われていない。ロボットゴキブリは機械学習でゴキブリとしての行動を洗練させていく。その適応が高度化すればするほど、ゴキブリとしての行動を優先するようになり、肝心の暗殺プログラムが発動しづらくなる。あたかも、深く潜入したスパイが怪しまれないように別のスパイに危害を加えたり、本当に組織の人間だと思い込み始めるような矛盾が生まれ始めている。ハンターは今や人間の配下を離れ、敵側に寝返ってしまったも同じだ。曹氏は頭を抱えた。
『どうやら大幅な改修が必要なようだ。まさか虫(バグ)にバグが発生するとは……』
コンピューターは決して間違えない
間違った命令を正確に実行するのみ
博士は、まだ少年だった頃に日本人のプログラミング老師から教わった格言を自身に何度も言い聞かせ、よろよろと作業を再開した。
ハンターの改修を始めようとした博士は、すぐに認識を訂正した。
『いや、違う。まずはハンターを殺すためのハンターキラーの開発からか……』
かくして曹博士は、12時間と40分かけて再び車で深圳入りし、受付の中年女の不気味がる視線など歯牙にもかけずロボットゴキブリを購入し、12時間と40分かけて帰宅し開発を続けた。
そして数日。再び始まった眠れない日々に来客があった。何度も鳴るチャイムに苛立った博士は入口に向かって怒鳴った。
「入ってくれ! ドアは開いてる!」
何日も食事や買い物を宅配業者に任せきりにしていたので、ドアは開けっ放しにしてあった。来訪者は同僚の李マネージャーだった。李氏は部屋の惨状を見て絶句した。床には食事のゴミやタバコの吸い殻、書きなぐったメモや書類、ケーブルやパーツ、工具が散乱していた。
「なぜ仕事に来ないんだ?」
「しばらく休むと言っただろ」
キーボードから手を、モニターから目を離さない曹博士にマネージャーは呆れた。
「なんて奴だ! プログラミングの仕事をサボってプログラミングしてるのか」
足元に転がったロボットゴキブリに気付き、
「……これはロボットか?」
曹博士は李氏に目もくれず作業を続けた。
李マネージャーはロボットを摘まみ上げ、しげしげと眺めた。
「ふうむ、よく出来てる。実際に動くのかな」
曹氏は夢中になり過ぎて、答えない。
「よくわからんが大変そうだ。手伝おうか?」
曹博士は手を止め、初めて李氏の方に向き直った。
「……いや。かなり独自にソースを組んでしまっているんでね。これ以上統一性が取れなくなるのは避けたい。それに、君には多分何をしてるか理解できない」
博士は、政府にコードの剽窃がバレ、また、マネージャーにコードを盗まれるのを恐れたのだ。それでも、李氏の親切には少々感謝もしていた。
「君が言うのなら、きっとそうなんだろう。では私は帰るよ。君が干からびて死んでいないことを一応確認できたからね」
李氏は親し気に曹氏の背中を叩いた。
「奥様にもよろしく」
「リリースの期限は、適当に理由をつけて伸ばしておくよ。どうせ今からでは間に合わないし。ひと段落ついたら、舌の焼けるような火鍋でもつつこうじゃないか。仕事にはいつ出てくる?」
「安眠出来るようになったら、明日にでも」
マンションを出た李マネージャーは、曹博士の部屋を見上げながら、すぐそばの露店で串揚げを注文した。露店のオヤジは串を揚げながら、
「お客さん、あのマンションの人?」
「いや、同僚を訪ねただけさね」
「へえ。あのマンションは色々ねえ……」
「というと?」
「中華文化と自然の調和、ってんでバーンと売り出したは良いが、良かったのは見てくれだけ。設計ミスや設備不良や虫が出たりやらで、管理会社もトンズラしちまったらしいよ」
「そういう時、君ならどうするね」
店主は肩をすくめた。
「女房に逃げられる前に引っ越しますわな」
「それだよ」
李氏は、串揚げの包みを受け取り、
「同僚は天才だが、天才というのは変人ばかりだ。うなるほど金を持ってるのに、引っ越すということなど考えつきもしないのさ」
他に客も居なかったので、2人は最近の芸能人の不祥事や歌番組の話題で盛り上がった。オヤジの口ずさむ歌は存外美声で、李氏は拍手して喜んだ。氏は串揚げをもう3本食べ、道端に放り捨てた串にはゴキブリが駆け寄ってきた。店主はその度にシッシッ、とゴキブリをサンダルで追い払った。
〈了〉
ロボットゴキブリの逆襲
久々に書いた短編。楽しんで書けたので良かったです。もっと短くできたかもというところが反省点です。