ダマスカスの瞳 Deep eyes of Damascus
第一章
アラブの魅力的な女性とのチャットに
僕は期待に胸を膨らませていた
しかし現実はまったく違っていた。
Hayaからのメッセージの最初はこれだった
「私は今、ダマスカスの難民キャンプで暮らしています」
Hayaが暮らしているのは、内戦で家や家族、最愛を人を失った数百万人の難民が暮らすシリアのキャンプのひとつだった。
「私は戦争で両親を失ったんです、愛するもの全てを戦争は私から奪いました」
そのメッセージを受け取った僕は唖然とした。
あんなに美しい彼女が、それも難民キャンプで暮らしているなんて、嘘だろ、これはフェイクメッセージだろ
「Haya今キャンプでは独りなの?」
「いえ、3家族がひとつのテントで暮らしています」
「エアーコンディションは、シャワールームは
あるの?」
「いえ、何もありません」
これはどう言う事なんだ、僕はシリアを知らない
そして大掴みながらもシリアの情報をネットで検索した。
アラブ共和国シリアの現状
シリアの内戦は独裁政権から脱し民主化を訴える反政府運動を起こしたことがそもそもの始まりです。
シリアではアサド大統領による独裁政権が40年にも渡って続いていて、国民の不満は折から中東に広がっていたアラブ民主化の動きを受け、2011年に端を発した学生や市民による民主化運動はやがて21世紀最大の人道危機とも言われているシリア内戦のきっかけとなった。
アサド政権に弾圧されていたスンニ派の人々が中東全域に広がった民主化の波、いわゆるアラブの春に呼応し、行動を起こしたことがきっかけだが、それが長く続く内戦へと発展した。その根底には反政府運動へと高まりこれを弾圧するアサド政権、この機を狙ったイラクを始めとする国外の軍団やテロ組織のイスラム国が参戦した。これにより国際的テロ組織の壊滅を旗印にした米の軍事力が加わるが、これに対抗してソ連がアサド政権を後押しし、一時は米ソの代理戦争とも化した8年にも及ぶ内戦は、米ソ撤退後も出口の見えない泥沼化の状態がアサドの恐怖政権と共に現在もも続いている。
第二次世界大戦以降最大の人道の危機と言われる
シリアの内戦では多くの難民が生まれた
2017年には国内避難民だけでも660万人にものぼり、また国外に逃亡した人々も多く、最も多く難民を受け入れているトルコでは約350万人とも言われており、2011年以降増加の一途をたどっている。
そして国内は疲弊し経済は低迷、物資がそこをつく中で物価が高騰していく一方となり、さらに戦闘や空爆で家追われたり家族を失った人々は行く当てもなく、また元の生活に戻ることもできないまま、国内避難民となって避難民用のキャンプなどで生活を送っているのがシリアの現状だった。
「I lost everything, my home, my dog, my parents. Since then i have been staying here in the refugee camp. 」
僕の脳裡に赤いミニドレスを着て素敵なリビングで愛犬のレトリバーに頬ずりするHayaのプロフィール写真がよぎった。
独り娘としてダマスカス大学を出てナースとして働き、30迄結婚せず両親に愛されて幸せに暮らしていた彼女の姿が焼きついた。
そしてHaya は続けた
「ここから出る事がただ一つの希望です
その為に毎日祈っているの、私がここで死を迎え無い様に」とHayaが言った
「そちらは今何時?」
Hayaは何故か必ず僕に時間を聞いた
そして言った。
「いつも疲れ果てて、そしていつもハングリーなの、貴方の今夜のディナーは何?」
これを聞かれるのは辛かった。
妻との贅沢では無いが手作りの夕食、そしてコーヒーを呑みながら、好きなTV番組を二人で観る
そんな些細な事だか、Hayaにはとても伝える事は出来なかった。
「貴方には子供は居る?家族は何人、近々に住んでるの?」Hayaはキャンプでは決してし無い会話を懐かしく楽しんでいるのだった。
それも、とても僕には辛かった。悲しかった
さりとて何も彼女には出来ずにいる、自分が情け無かった。
「Haya そこのキャンプにはどれくらい暮らしているの」僕は尋ねた
「良くは覚えて無いけど、2年位になるわ、キャンプの外は危険で、ここからは何処にも出られないわ」
2年間も!
メッセージを見た僕に彼女の言葉が突き刺さった。
そしてHayaが撮った写真が添付されていた。
粗末な難民のテント、輝きの無い虚な目の子供達、
そこには彼女の言葉を裏書きする様な
絶望感だけが漂う光景があった。
翌日正午、再びメッセージを入れた
シリアは朝の6時だ、Hayaはもう起きているのだろうか。しかし返信は無かった。
「What doing matter」再びメッセージを入れた。
「Hello, am sorry for the late replies i have been sick since i woke up in the morning.」Haya からのメッセージが午後2時に入った。
「熱はあるの?薬は?」私は咄嗟に尋ねた。
「I always pray not to die before my time because life here in the camp is getting hard everyday by day. I find it hard to eat sometimes and there is no good medical attention here in the camp.」
「キャンプでの生活は日々厳しくなっているので、私はいつも自分の時間の前に死なないように祈っています。 私は時々食べるのが難しいと感じます、そしてここのキャンプでは良い治療がありません。
「薬を送る方法は無いの」
「キャンプの近所にポストオフィスは無いの」
僕は尋ねた。出来れば今直ぐにでも送りたかった
「キャンプの近くに郵便局なんかはありません、
キャンプの外に出ると危険があります。
ここのキャンプでも安全ではありません。私たちは常にここのキャンプ周辺でアサドグループによって悪戯されたり、殺されたりしているんです。」
とHaya は答えた
アサド大統領政府軍や秘密警察のアムンは反政府分子を探し、捕まえては女性なら狂人になるまでレイブを重ね、男なら言葉では言い難い数々の拷問を繰り返していると言う。集団で狭い部屋に閉じ込め、排斥もその場、食事や水は命をギリギリ繋げられる程度、そして20種類もの拷問の手口を持ち
「ここでお前が死んでも誰にも知られない」が
彼等が使う脅し言葉であるとの情報を私は知ってた。
難民の人々にとってキャンプは正にNo exit
出口無しの世界であった。
そんな環境の中、あの美しさと理知や気品を備えた
Hayaが、食べるモノもろくに無く、変わりゆく姿を僕は想像したくは無かった。あの憂いある目も、美しい巻毛も、戦争と言う残虐さが、Hayaの全てを変えてしまうだろうと思うと、心が締め付けられた。
そして思った、Hayaの心だけは変わらないで欲しいと、そしてその手助けなら出来そうな気がしていた。全てが解放されるその日まで
僕は考えた、Hayaに生きる目的を持って貰う事を
彼女が置かれている劣悪な環境、それを世の中に伝えてはどうかと。先日観たシリアのドキュメンタリー映画の様に。彼女の見ている事、感じた事を
メッセージとして伝える事がHayaの生きる糧になるのではないかと。それを僕がドキュメンタリーノベルとして発表するのだ。勿論Hayaに危険が及ぶかも知れない。だとしらダミーを使ってでも良いのではないかと。
真夜中近く其の事をHayaに送った。
メッセージが帰ってきた。
「You trying to make fun of me, you want to take advantage of me. I thought you are my friend」
あなたは私をからかおうとしている、あなたは私を利用したい。 私はあなたが私の友達だと思ったのに
Hayaに返信した
僕は君をキャンプから助け出す事は不可能だ、でも君の魂を外に解放する事は出来ると思うんだ
その手伝いをしたいんだ。それしか僕には方法が無いんだ。
Hayaが返信して来た
Do not show sympathy on press or whatever if you really feels pity on someone you loved just like you claim earlier you cared about me..... help them not announcing it to the fake and wicked world.
以前に私を気にかけていたと言うなら、又は愛する人に本当に同情を感じるなら、マスコミなどに同情を示さないでください.....彼らの偽の邪悪な世界にそれを発表しないように助けてください。
「Get me out from the refugee camp if you really want to help me please, the long protocol won't change my life. We are living in the world of ignorance.」
あなたが本当に私を助けたいのなら、難民キャンプから私を連れ出してください。長い文章などでは私の人生を変えることは出来ません 私たちは無知の世界に住んでいます。」
絶望的な虚しさが夜の霧の様に僕を包み込んできた
そしてダマスカスのあの瞳が閉じられようとしていた。
ダマスカスの瞳 Deep eyes of Damascus