Aの15
ようやく全ての料理が完成し、調理場のテーブルの上に料理の入った鍋がいくつも並んだ。
「ハチロー。おつかれ」
「お疲れ様です」
クラウゼンさんはかなり疲れたらしく、息を荒げながら調理台にもたれて体を支えている。俺の方はまったく疲れを感じなくて、まだいくらでも料理を作れそうな気分だった。
俺に妙な野心が芽生えた。
( いっそクラウゼンさんの地位を奪って、俺がこの家の正料理人になろうかな…… )
隣で疲れている老人を俺の部下にして日々こき使ってやるシーンを思い浮かべたら笑いがこみ上げてきた。
俺は慌ててクラウゼンさんから顔をそらし別の方向を見た。
( なかなか面白いかもしれない )
しかしその考えは1分も経たずに冷めた。
俺は愉快な気分から一転して、もやもやとした不安を感じ始めた。
( いつになったら海に出られるのかな…… )
大海賊時代という名前のゲームをすでに5時間以上もプレイしているのに俺は今だに海に出られていない。それどころか『海に出よう!』という気持ちすら忘れてきているし、俺のいる場所も海からだいぶ離れている。
( ハンブルクから海に出る予定だったのに…… )
他のプレイヤーたちが今ごろ海に出て貿易をしたり海賊になったりしている様子を想像すると徐々に気分が沈んでくる。
「ほら、ハチロー。おまえの食事だよ」
クラウゼンさんはそう言ってテーブルに料理を並べた。
それはクラウゼンさんと2人で作った料理だった。
「……これは執事と家政婦さんの食事ですよね?」
「私たちも同じものだよ。執事や家政婦は後で料理を取りに来るけど、私たち2人は完成してすぐに食べられる」
クラウゼンさんは嬉しそうに椅子に腰かけて料理を食べ始めた。
( 陽気で明るい人だな…… )
クラウゼンさんには他の人に感じるような〈ドイツ人っぽさ〉があまり無い。もしかすると、昔フランスにいた経験が影響しているのかもしれない。
俺もテーブルに並んだ料理を食べることにした。
簡単に言えば、ハイネマン家の従業員用の食事。要するに〈まかない〉という事になるけど、もはやそんな言い方が出来るような代物じゃない。料理は5品目もあって、主食のパン2種類と、スープ、サラダ、肉料理、パスタ料理で構成されている。
( 美味すぎる…… )
ハイネマン家の〈まかない〉は高級レストランのフルコースとほとんど互角の水準だった。
いくら食べても太るわけが無いので、俺は遠慮せず皿に盛られた料理を次々に完食していった。
特に最高だったのは、クラウゼンさんが作っていたパスタ料理だった。もっちりした食感の短いパスタに濃厚なクリームチーズがたっぷりと覆いかぶさっている。ハンブルクの街からゲームを始めて『フリカデレ』、『マウルタッシェ』といったドイツ名物料理に出会ってきたけど、このパスタ料理は今までの2つを上回っていると感じる。
( ケーゼシュペッツレか…… )
初めて食べるはずなのに、何故か名前を知っている。
料理名が分かるという事は自分も習得している可能性が高い。
「ハチローのスープ、上手いぞ。……まぁ、おまえは両親に感謝せんといかんな。うーん……。おまえに調理スキルを教えた両親に会ってみたいもんだなぁ」
クラウゼンさんはそう言っている。
俺は言うべきか迷った。
「両親は生きているのか分かりません。俺は養子として育てられたので……」
俺は言える事だけを伝えた。
クラウゼンさんは神妙な顔をしていたが、やがて口を開いた。
「私は最初に言ったが、おまえさんの出身地とか家柄は気にしないよ。おまえは調理の腕を持ってる。私にとってはそれで十分だよ」
クラウゼンさんはそう言った。
俺は何も言わなかった。
「ハチローはどこに住んでいる?」
「宿屋を借りています……」
俺がそう言うと、クラウゼンさんはスプーンを皿の上に置いた。
「どこの宿屋だ?」
「ああ……。職業紹介所の近くです」
「ずいぶん離れているな。歩いて30分以上はかかるだろ」
「はい……」
クラウゼンさんは器を持ち上げて、俺の作ったスープをぜんぶ飲み干した。
「ハチロー。食べ終わったら私についてきてくれ」
「あ、はい」
俺とクラウゼンさんが食事をしているあいだ、調理場に4人の執事がやって来て次々に料理の鍋を運び出していく。
( ハイネマン家の食事も始まるのかな )
俺は料理を食べ終わり、クラウゼンさんについて行った。
クラウゼンさんは廊下を進んでいき、やがてドアの前で立ち止まった。
そのドアには〈清掃不要〉と書かれた紙が貼ってある。
「ここは料理人用の部屋なんだが、今は誰も使ってない」
クラウゼンさんはそう言ってドアを開けた。
室内はかなり広くてベッドが2つ、机も2つ置かれている。
( 2人用の部屋ってことか…… )
窓も3つあって日当たりが良かった。しかし見過ごせない問題もある。
俺が一歩動いただけで床のホコリが大きく舞い上がっている。
「この部屋に住めばいいじゃないか。ここを1人で使えばいい」
クラウゼンさんはそう言った。
「家賃はおいくらですか?」
「そんなものは無いよ。ただし、ここを使うとなれば自分で掃除してもらうけどなぁ……」
クラウゼンさんはそう言って笑みを浮かべている。
宿屋の家賃と、この広い部屋の清掃作業を天秤にかけて考えてみた。
「……分かりました。ここに住みます!」
「それが良いよ」
クラウゼンさんも満足そうだった。
「今日はもう仕事は終わりだからね。ゆっくり掃除すると良いよ。後で甘い物でも食べよう。何かデザートを作っておくから、掃除が終わったら調理場に来なさい。ヴェルサイユ式の美味いもん食わせてやろう……」
クラウゼンさんはそう言って部屋を出て行った。
【作者紹介】金城盛一郎、1995年生まれ、那覇市出身
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