Aの13
クラウゼンさんは正面玄関に背を向けて建物から離れていく。
別の場所に調理場があるのかと思えば、そうではなかった。細い路地を抜けて反対側に回ると、古めかしい裏口が見えた。
「ここが調理場の入口だよ。建物に出入りするときは必ずここを使う。ぜったいに正面入口は使っちゃだめだ」
クラウゼンさんはそう言って裏口のドアを開けた。
「まずは調理服だな。こっちに来てくれ」
クラウゼンさんについて行くと倉庫のような部屋にたどり着いた。
「この中からサイズの合う調理服を選ぶといい。私は先に調理場に行っている。着替えたら君も来てくれ」
「はい」
俺は調理服を棚から取り出してすぐに着替えた。
倉庫から出たあと俺は迷いそうになったが、ほのかに香るバターの匂いを頼りにしつつ歩いて行った。すると調理場の入口が見えてきた。
( ……すごい )
調理場はかなり広かった。
クラウゼンさんが俺を見て笑った。
「びっくりしただろ。昔はここで5人の料理人が働いてたよ。でも、経費削減ってやつだな。いつの間にか2人体制に減らされた……」
俺が調理場に見とれているあいだ、クラウゼンさんは4箇所ある焜炉の火を調節して回っている。
「簡単に言えば5人でやってた仕事を2人で行うってわけだ。……まぁ、とりあえず君にはスープとサラダを担当してもらう。それ以外は私がやる。でも覚悟しておけ。慣れてきたら他のパートもやってもらう」
クラウゼンさんは早口でそう言いながら調理場の中を右往左往している。
俺はどうしていいか分からず、その場に立っていた。
クラウゼンさんは俺に無邪気な笑顔を見せた。
「パンと肉料理はキツいぞー。執事と家政婦の食事もこっちで作るからな。合わせて10人分だよ……」
俺は慌てて口を挟んだ。
「あの。クラウゼンさん。俺は何をすればいいですか?」
クラウゼンさんは立ち止まった。
急に唖然とした表情になっている。
「あぁ、そうだった」
クラウゼンさんはテーブルの上のメモ書きを取って俺に渡した。
「今日のスープとサラダの品書きだよ。これを10人分だ。それが終わったら今度はハイネマン家の料理を作ってもらう」
メモ書きは2枚あって、1枚は〈従業員の食事〉、もう1枚は〈ハイネマン家の食事〉と書いてある。それぞれ書かれている料理の内容が違う。
「分かりました」
俺は返事をしてすぐに作業を始めた。
品書きを見れば何をすればいいのか全て分かる。
調理器具と材料の場所をクラウゼンさんに何度も聞きながら、俺は調理を進めていった。
「……そういえば。名前は何と言った?」
「ハチローです」
俺がそう言うとクラウゼンさんは頷いて鍋に材料を流し込んだ。
1時間ほど経過して、俺は従業員の食事とハイネマン家の食事をすべて完成させた。
「ほう。サラダもスープも出来たのか。ずいぶん早いな。君の腕前なら一人で店が出せるよ」
クラウゼンさんはそう言って満足している。
「私はずっとフランス料理が専門でね。ヴェルサイユの宮廷料理人に弟子入りしたよ。でも向こうはすごく競争が厳しくてね。私は嫌になって逃げだした。それから、苦手だった故郷に戻って父に頭を下げたよ。ドイツ料理を1から覚えていった……」
クラウゼンさんはそう言いながら俺にメモ用紙を渡した。
単品料理の名前が3つ書かれている。
「すまないが私の方を手伝ってほしい」
「はい」
必要な材料を取りに行こうとして調理台を離れたとき、調理場の入口に誰か立っているのが見えた。
中学生くらいの体格の少女が一人いて、ニヤニヤしながらこっちを見ている。
【作者紹介】金城盛一郎、1995年生まれ、那覇市出身
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