衒学的対談記

彼と私は学生時代からの付き合いで,これまでも音楽とか建築,数学や文学などの少々気取ったものを題材に対話をすることが幾度もあった.彼との付き合いは長いから,その対談の舞台もこれまで幾度となく変わってきた.学生時代はもっぱら学校の教室や図書館,或いは研究室で対話をしていたし,互いに一人前の研究者となってからしばらくの間は,喫茶店や銭湯,アパートの一室などがその舞台となっていた.それから時を経て,彼も私も何だかんだ言って良き人と結ばれて,またそれなりの功績をあげて小さいながら自宅を構えるに至った.ここからの話は,そんな彼の自宅にある一室を舞台にしたとりとめもない対話の記録である.

第一談第一部・書斎の描写

 彼は何か所用があるとか言って,私をこの部屋に招き入れたまま何処かへ姿を隠してしまった.かれこれ30分は経つだろうか,彼の書斎をこうもじっくりと見渡したのはこれが初めてだ.どうやらこれ以降,このぴしゃりと密閉された空間が私たちの対談の場となるようだ.さて,この書斎を適切に描写するにはどのような言葉を使ったら善いだろうか.何せ



 ―机があって,書棚があって,そこに彼の専門分野の書物だとか娯楽小説だとかが置かれている―



くらいの描写であれば,わざわざ明確に記述せずともこれまでの文面から想像できるだろう.それよりも,私はこの部屋に入ったときに感じた,何とも言えない異質な雰囲気を適切に表現したいのだ.そうだ,例えばその空間の性質を記述してみよう.



 ―秒針によって均一に刻まれた時の流れが,空間に厳粛な秩序をもたらしている.この空間で起こるすべての出来事は,この正確に定められた時刻のみを媒介変数として展開するのである.テレビやラジオ・音楽から野外の鳥の声に至るまで,空間の秩序を乱す要素は,この部屋に対して一切の干渉を許されていない.―



 そう,彼の書斎は外部の時の流れや複雑な秩序を一切受け入れない.この歪むことも侵されることもない空間と,秒針が定めた時間の区切りの上に,私たちの会話は進められていくことになる.

衒学的対談記

衒学的対談記

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-08-17

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted