Aの4
気が付いたとき、俺は白い床の上に立っていた。
何かがおかしいと思ったら、ジャージを身に着けていたはずの俺が違う服装になっている。茶色と白の布で作られた地味な雰囲気の服だった。
目の前に広がる光景は期待していたものとは違う。
( ゲームを間違えたかな…… )
空港の待合室のような場所に俺は立っている。周りには誰もいなかったが、部屋の奥に机があって事務員のような女性が待機している。
近づいてみると、女性は俺に気づいてお辞儀をした。
「ようこそ。大海賊時代オンラインVRの世界へ」
女性はそう言った。
どうやらゲームは間違えていないらしい。
「それでは名前の登録をさせて頂きます。こちらの紙にゲーム内で使用する名前をお書きください。ただし、使える文字はカタカナのみとなっております。ご了承ください」
女性は俺に紙とペンを手渡した。
( 漢字は使えないのか……。世界観のイメージを壊さないのが目的かな )
俺は迷う事もなく、紙に名前を書いて女性に渡した。
「ありがとうございます。それでは登録させていただきます」
女性はそう言って、名前の書かれた用紙をファイルの中に入れた。
「こちらをお受け取り下さい」
女性はそう言って俺にスマホのような物を渡した。
スマホのような物と言うより、ただのスマホだった。
「ゲーム内ではそれを使って必要な情報を集めてください」
俺は少し気持ちが萎えた。
( スマホを持ったまま歩くのか…… )
「それではゲームをお楽しみください。私の後ろにあるドアを開けて先に進めば、ゲーム世界に入る事が出来ます。どうぞ、お進み下さい」
俺は女性に軽くお辞儀をしてドアの方へ歩いて行った。
まるで非常口のような見た目のドアだった。そのドアを開けると、冷たい風が室内に入ってくる。
( 寒いっ…… )
俺は少し怖くなって女性のほうを振り返ってみた。事務員の女性は気にもせず、机の上で作業をしている。
俺はドアを少し開いたまま、戻るための理由をあれこれ考えた。
《 すいません。急用を思い出したので、いったんゲームをやめてもいいですか? 》
女性にそう言おうと思っが、俺はけっきょく言うのをやめた。
あの事務員がどんな目で俺を見るのか。どんな言葉を返してくるのか。そんなくだらない事を考えてしまう。
俺はドアを開けて外に出て行った。
( やっぱり寒い…… )
強い風がドアに当たるので俺はドアから手を離した。すると、ドアはあっという間に消えて無くなった。
そのとき俺は重大なことを思い出した。
( ログアウトする方法を聞いていなかった )
聞かなかった自分も悪いが、あの事務員も恨めしく思う。名前を決めただけでゲームの説明は何も受けていない。
この世界はいま夜だった。
溶けた雪で濡れた道路の上を俺は歩いて行った。
( ログアウトする方法を調べよう…… )
俺はそう思ってスマホの電源を入れてみた。
スマホの画面には【現在地・ハンブルク】と表示されている。
支給されたスマホには時計が無かった。そのかわり、ゲーム開始して〇〇時間と表示される機能があった。現在はゲーム開始して0時間1分と表示されている。
さらに、ネット検索機能も無かった。用意されているアプリはゲームに関係するものとメール機能だけだった。メール機能に関しては、使おうとしても連絡先が何も入っていないので、こちらから誰かにメールを送ることは出来ない。
スマホのゲーム・マニュアルにはログアウトする方法が書かれていた。
《 自宅のベッドで眠れば自然にログアウトする事が可能です 》
マニュアルにはそう書かれている。
俺は気が滅入りそうになった。
もし俺に自宅が無かったら、いつまでもゲームから出られない事になる。ゲーム・マニュアルには他にも重要なことが書かれていた。
《 ゲーム中に死亡したらゲームオーバーとなり強制的にログアウトされ、キャラクターは削除される 》
俺は気持ちを固めた。
( キャラクターを削除されたら意味が無い。とりあえず歩いてみるしかないか…… )
俺が歩いている道の両側には古そうな家屋がいくつも並んでいる。
いかにも中世ヨーロッパという感じの建物だった。
しばらく歩いていると、近くにいたおじさんに声をかけられた。
「おや、ハチローじゃないか」
俺はとりあえず挨拶してみた。
「どうも」
「こんな時間に街なんか歩いて。またオーブリーさんに怒られるんじゃないかい?」
何のことかさっぱり分からない。でもとりあえず返事をしないと不自然に思われる。
「あっ……はい。いま急いで戻るとこなんです」
俺はそう言ってそのまま歩いて行こうとした。しかしおじさんが声をあげた。
「おい。どこ行くんだ? そっちは反対だろう。オーブリーさんの家は逆方向だぞ」
「あっ、うっかりしてました……」
俺はそう言って何事もなかったように反対側に歩いて行く。
( 怪しまれたかな…… )
俺は不安になったが、今はそんな事を気にしている余裕も無い。
よく考えてみたら、オーブリーという人の家がどこにあるのかも分からない。だからといって街の人に「オーブリーさんの家はどこですか?」と聞くわけにもいかない。
( 見つかるかな…… )
俺は絶望的な気持ちになったが、すぐにその気持ちは飛んでいった。すぐ近くの家の門にカタカナで「オーブリー」と書かれている。
俺は門を開けて中に進み、家のドアをノックした。
しばらくして老人が一人出てきた。
「……何してやがった」
老人はむすっとした仏頂面で俺の方をじっと見ている。
何も分からない俺は謝るしかない。
「すいません」
老人は黙ったまま家の中に入っていった。俺はその後も玄関に立っていた。
( もしかして、俺はこの人の奴隷なのか…… )
奴隷なんて絶対に嫌だが、今はとりあえずこの状況を受け入れるしかないと思った。とにかく自分のベッドで眠らないとログアウトする事も出来ない。
部屋のなかで老人は椅子に座って新聞を読んでいた。俺がその様子を見ていると、老人が気付いて俺のほうを見た。
「何してる。ぼーっと立ってないで早くフリカデレを作れ」
老人はそう言って台所のほうを指さした。
俺は慌てて台所のほうに歩いていった。
( はやくベッドに入ってログアウトしたいのに…… )
台所はものすごく綺麗に整理されていた。不思議な感覚だった。毎日ここで料理をしていたような感じがして、どこに何が置いてあるのか全部知っている。
老人に「フリカデレ」を作れと言われたのを思い出すと、自然に手が動く。
木箱の中から次々に材料を取り出して、1つ1つ食材の下準備を始めていく。そこからは自分でも困惑するくらいスピーディーな調理が始まった。
自分で作業をしているのに、料理番組を見ているような気楽さだった。
あっという間に「フリカデレ」という名の肉料理が完成した。その見た目はハンバーグにかなり似ている。でもハンバーグよりさらに厚みがある。
俺はフリカデレとじゃがいもなどの野菜を大皿に盛って、老人のいる部屋に持っていった。
テーブルの上に皿を置くと老人が「ふん」と鼻を鳴らした。
「今日はずいぶん遅いじゃないか……」
俺は何も言わなかった。さすがの俺もイライラしてきた。
老人は新聞を読むのをやめてすぐに食べ始めた。
( いただきますくらい言えよ。このジジイ…… )
俺は何も言わず、耐え忍ぶことにした。ログアウトまで我慢できればそれで良かった。俺も自分のフリカデレを皿に盛って、老人から離れた席に座って食べ始めた。
料理は途方もなく美味しいのに、仏頂面の老人と同じテーブルで食事をしないといけないのは非常に残念だった。
老人は食べるスピードが異常に速く、さっさと食べ終わって椅子から立ち上がった。
どこに行くのかと思えば玄関のほうに歩いて行く。
( どうしたんだろう…… )
老人はそのままドアを開けて家の外に出て行った。
俺は困惑した。
白髪頭で背の低い老人だけど、じっと黙っている姿は迫力があって怖く感じた。
( どんな仕事をしているのかな )
俺の想像は悪い方向に進んでいく。
( 殺し屋か、それとも盗賊のボスか。それとも…… )
せっかくの料理が台無しになるので、俺は想像するのをやめた。やがて料理を食べ終えて椅子から立ち上がった。
( どうせログアウトするし、いちいち皿を洗うのはやめよう )
俺はそう思って今度は家の中を歩き回った。とにかく自分の部屋を探してすぐに眠るつもりだった。
廊下に出て近くのドアを開けてみると大きな本棚のある部屋があった。本棚には膨大な数の本が詰め込まれていて、机の上にも数十冊の本が積み上げられている。窓際にベッドもある。
( 俺の部屋とは思えない )
すぐに部屋から出ていった。
廊下の奥にドアがもう一つあったので俺はそこから別の部屋に入った。部屋の中はかなり貧相で、ベッドと小さな机しか置かれていない。俺はこの部屋だと思った。
部屋は貧相でもベッドは綺麗で清潔感がある。
俺はさっそくベッドの上で横になった。するとベッドの周りが白く光って部屋が見えなくなった。
気付いたとき俺は自分のベッドの上にいた。枕のそばにはGT8が置かれている。現在の時刻は午前11時過ぎだった。
ゲームを始めてほぼ1時間が経過していた。
【作者紹介】金城盛一郎、1995年生まれ、那覇市出身
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