Aの2

 パソコンから離れた俺はキッチンの前に立って夜食の準備を始めた。夕食は簡単な手抜き料理しか食べていないので、すでにお腹が空いていた。

( おにぎりとインスタント味噌汁にするか…… )

 昆布おにぎりと鮭おにぎりの2つを作り、味噌汁も用意した。

 テレビをつけても内容があまり頭に入ってこない。

 ドラマから別のチャンネルに変え、さらにお笑い番組を5分くらい見てチャンネルを変え、ようやくニュース番組に落ち着いた。

 そのニュース番組もやがて終わり、今度はよく分からないドキュメンタリー番組が始まった。

 俺は気持ちを紛らわすつもりで3本の映画を立て続けに観た。数時間後にようやく全て映画を見終わって、ベッドに入る頃には午前2時50分過ぎになっていた。

( 朝は起きられるかな…… )

 不安だったが、俺はいつものように6時半に起きる事が出来た。身体は少しだるい感じがしたが気にする程でもない。

 8時半に市内バスに乗り、9時になる前に大学のキャンパスにたどり着いた。 

 今日は無理をして5つも講義を予約している。たぶん自宅に戻る頃には夕方を過ぎている可能性が高い。

 まず1時限目の「哲学概論」から始まり、2時限目の「⼈類学」を終えて昼食に入った。それから「統計学」「情報処理演習」まで終わる頃にはもうヘトヘトに疲れきってしまった。そして最後は「現代⽇本⽂学」の授業だった。

( 一番疲れる授業を最後に入れてしまった )

 現代日本文学の授業が嫌というより先生が苦手だった。

 最後の授業を終えて建物の外に出ると、サークル活動をしている学生たちの姿が目に入った。

( サークルか…… )

 2年までは映像研究会に所属して、わりと真剣に活動したけどけっきょく途中で辞めてしまった。

 かなり本格的に活動しているサークルで、OBには映画監督をしている人もいる。

 俺も1年の頃から自主映画の製作に参加して楽しんでいたけど、2年になってバイトが忙しくなり時間の余裕がなくなった。そしてサークルを辞める道を選んだ。

( 今日は食料品を買っておきたいな。……となると帰宅する頃には夕方か )

 自宅の近くにも大学の近くにも安いスーパーが無く、買い物をするとなると別の地域に移動する必要があった。電車の駅も近くに存在しないので、基本はバス移動だった。

 自宅に戻る頃には午後6時過ぎになっていた。

( 思ってたより早く帰れたな )

 俺は夕食を作る前に大事なことを思い出した。

 ネット通販で購入した漫画がなかなか届かない。受け取りは近くのコンビニで行う予定だが、目的の商品がまだ到着していない。

 俺はスマホのメール画面を開いてみた。

 通販サイトからのメールは無かったが、別のメールが1件入っている。

《 株式会社トーエイ・ゲームス 企画部より 》
 弊社のゲームをご愛顧いただきありがとうございます。企画部より会員様へのご案内です。この度、新作ゲームのベータ版が完成した事をお知らせいたします。つきましては、ベータ版のテストプレイヤーを募集いたします。興味がありましたら、ぜひともご参加くださいませ。参加する場合は、応募フォームより必要事項を記入し、メールを送信してください。なお、参加希望者が定員枠を超えた場合は抽選を行いたいと思います。ご了承ください。

 俺はそこまでは流すように読んでいた。その文章の下のところで視線が止まった。

〈 ベータ版のゲームタイトル = 大海賊時代オンラインVR 〉

 俺は買い物袋を玄関に置き去りにしてダイニングの椅子に座り、もういちどスマホ画面に目を向けた。

( やるしかない…… )

 迷う事は何もなかった。むしろ天に昇るような気分になってきた。

 俺はさっそく参加申し込みのメールを送信した。

 すっかり気持ちが舞い上がってしまい、重大な事を見落としてしまった。

 メールの補足部分にその事について記載されている。

【注意事項について】
 『大海賊時代オンラインVR』ベータ版のテストプレイには専用のVR機器が必要となります。下記に記載されているメーカーの製品以外のものは対応しておりません。ご注意ください。
〈 対応機種 = ロブマイヤーGT8 〉

 俺は迷い始めた。

( どうしようかな…… )

 ロブマイヤーなんて製品は知らない。

 VR機器を買ったことは無いが、以前から興味があって通販サイトを調べたりしていた。しかし、ロブマイヤーなんて名前は見たことが無い。

 俺は調べてみようと思った。まずは玄関に戻って買い物袋を回収し、袋の中身を冷蔵庫に詰め込んだ。

( 今はゲームが優先だ )

 本当ならもう夕食の準備を始めているはずだった。それに大学の課題レポートも書かないといけない。

 俺はそれらを後回しにした。

 パソコンの検索画面を開いて「ロブマイヤーGT8」と検索すると製品の公式ホームページが出てきた。

 ホームページを開くと言語選択画面が出てきたので、日本語を選択した。

( 外国製品かよ…… )

 ホームページの一番上に製品の画像が表示されている。見た目は黒い小さなボックス型で、手のひらに乗せられる程の大きさだった。そして製品の表面にはRのイニシャルが刻印されている。

《 たどり着いた技術の結晶。視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚、その全てを再現 》

 ホームページにはそう書かれているが、簡単に信じる気にはなれない。ホームページには製品を紹介する動画もあったが、俺は後回しにしようと思った。そして今度は通販サイトを開いた。

( とにかく値段だ。まずは値段を調べないと…… )

 ロブマイヤーGT8はすでに通販サイトでも販売されていた。その価格は12万8000円だった。他の日本製VR機器のほとんどが5、6万の値段なので、その倍以上の価格になっている。

 製品の公式ホームページよりも通販サイトに記載されている情報のほうが分かりやすかった。ハンガリーのVR機器メーカー。ロブマイヤー社のGT8。発売されたのは4か月前だった。まだ購入者が少ないのか、レビュー記事は1件も書かれていない。

 俺は製品の評判が知りたくなって、紹介動画を探すことにした。

《 史上最高のVR? いま海外で話題の製品・ロブマイヤーGT8を使ってみた! 》

 動画のタイトルが気になったのですぐに内容を確認してみた。

 出演者は箱の中からロブマイヤーGT8を取り出し、初期設定の説明を始めた。俺は最初の説明だけ確認して次にスキップした。今度は準備を完了したロブマイヤーGT8をベッドの枕元に設置する様子が見えた。

「はい。それではいよいよVRの世界に入りたいと思います。使用するゲームはドラゴンブーストの最新作で行こうと思います……」

 出演者は顔にアイマスクを装着し、ベッドの上で横になった。ロブマイヤーGT8の表面が赤く光っている。出演者はアイマスクをして眠ったまま何も言わなくなった。

 そこから別の画面に変わった。今度は出演者がアイマスクを外した状態で立っている。

 出演者がゲームについて話し始めた。

「えー、非常に感動的でした。……何と言っていいか。目の前に広がる大草原と……ヨーロッパ式のリアルな建物がすごい迫力で……」

 そう言われても、俺にはいまいちよく分からない。

 友達にVRゲームの実況動画はクソつまらないと言われたことがあったが、この動画を見て納得できる。

 俺は動画をスキップしてみた。

「えー、最後に注意事項があります」

 出演者はそう言って、説明書のようなものを取り出した。

「こちらは箱の中に同封されていた書類になります。ロブマイヤーGT8を使用する上での注意事項と書かれています」

 出演者が書類の内容を読み上げた。

「ロブマイヤーGT8を使用する場合、使用者は睡眠状態となります。使用中の体調変化や災害発生などによって死亡した場合、当社は責任を保証いたしかねます……」

 俺は動画サイトの画面を閉じた。

 すでに空腹が限界に近くて、今から夕食を作る気力も無いので冷凍のチャーハンで済ませることにした。

( 命を危険にしてまでゲームしようとは思わない…… )

 俺には何の迷いもない。今はとにかく大学のレポートに向き合わないといけない。

 さっさとチャーハンを食べて皿を洗い、そのあとパソコンに向き合ってレポートの作成を進めていった。しかしあまり身が入らず作成のスピードが遅かった。

 レポート作成の途中で風呂に入っていないことを思い出し、急いで風呂場に向かった。

 しばらく湯船に浸かったあと、風呂場を出る頃に俺の考えは180度変わってしまった。

 濡れた髪を拭きながら冷蔵庫まで歩いて行って水を飲み、そのあとパソコンの前に座って通販サイトの画面を開いた。そこからの流れは単調だった。

 ロブマイヤーGT8を買い物カゴに入れ、すぐに決済手続きに進んだ。

( 近くのコンビニで受け取ろう…… )

 俺はそのあと体が軽くなったような感じがして、気分が良くなってきた。

 もういちどレポートの作成を始めてみると順調に進んだので、10時を過ぎる頃には全てのレポートを書き終えていた。

( よし。これで安心して寝れる )

 俺はレポート完成後、ろくに読み直し確認もせずベッドに入って眠りについた。


【作者紹介】金城盛一郎、1995年生まれ、那覇市出身 

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  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-08-16

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