自傷カフェ

注射が嫌いな人は共感性が高いらしいです。

最先端技術を駆使したアクティビティがあるらしい

私は今、契約書を書かされている。
こういった体験型のアクティビティは最近、契約書を最初の会計の際に書いて提出するものが増えている気がする。
ベンチャー企業の受付のような白を基調とした場所が入り口になっていて、入店するとまたキッチリとスーツを着て髪型もバッチリと固めている受付が私を迎えてくれて、「予約のお客様ですか?」と確認をされた。
私もこの時間帯に予約した者だと言うことを伝えると予約したプランの確認に移った。
私が予約したのは三十分コースで値段は四千五百円になっている。コースはその上に一時間、二時間、フリータイムと続き値段もその分上がっていく。
「お飲み物は時間内自由に注文できますので、ご注文の際は部屋にある端末で行ってください」
飲み物の一覧を見せてもらうとコーヒーや紅茶はもちろんあるが、その大半はアルコールドリンクで占められていた。ストレス発散系のアクティビティなので飲み物も多種多様に揃っているのかもしれない。
「会計の前にこちらの方にお名前よろしいですか」
そういってバインダーをこちらに渡してくると、書類の下の方にある名前を記入する欄を指し示してこちらにペンを渡してきた。記入する欄の上には長々と誓約のようなものが書かれているが面倒くさくてすぐに名前を記入してバインダーを渡す。
会計を済ませると「お部屋にご案内する前に、ガードの方を装備してもらいます」と言われて倉庫のような部屋に案内される。中にはSF映画に出てくる特殊部隊の人たちが身につけている防具のようなものがずらりと掛けられている。
受付の人の指示に従いながら上半身から胴、肩、腕、手のガードを身につけていく。次に下半身も股関節、太もも、膝下、足まで全身隈なく私はガードに覆われた。最後に目元と口元だけが栗剥かれているヘルメットのようなものを被る。
これでようやく準備が終わったらしい。
「それではお部屋にご案内しますね」
受付の人が先導する形で階段を上がっていくと、カラオケやホテルのように、伸びる通路の左右に扉が複数ついているエリアへと到着した。すると左側、手前から二つ目の扉が開かれて中へ入るように促される。
部屋は八畳ほどの広さがあり生活感を感じさせる壁紙や冷蔵庫、椅子や机が置かれている。しかし様々な点で違和感を感じる機材、壁に立てかけられた傘、金属バット。天井から伸びる、物を吊り下げるためにあるような滑車とロープ。目を凝らせば壁はボコボコと歪んでいることがわかる。そして何よりもその部屋を不気味に仕立て上げているのが私と同じくらいの白いマネキンが部屋中央に立っていた。
「では同期の方を始めますね」
そう言うと彼はマネキンの方へ歩いてポケットから取り出した端末を操作し始める。しばらく操作していると突然、私が身につけているガードから低い駆動音と空気が流れ込んで体全体が押されているような圧迫感を感じた。
「同期の方が完了したので軽く説明させていただきます。こちらのマネキンの触覚はお客様の身につけているガードへと軽減されてフィードバックされます。例えば」
そういってマネキンの左肩をトントンと叩くと、私の肩にも軽くトントンと衝撃が来た。
「このようにマネキンに対して行った行動が自分に軽減されて帰ってきます。しかし、そちらのガードは防具にもなっているのでお客様自身が何か衝撃を受けたとしても痛みなどはそれほどないと思います」
少し失礼しますねと言って私に近づき、私の脛の部分を少し強めに蹴り飛ばす。少しよろけたものの痛みを感じることはない。
「いきなりすみません。まあこんな感じでお客様自身が怪我をすることはありませんのでご安心ください」
説明もいよいよ終わりを迎えるのかと思うと少しだけ緊張してきた。
「あとは軽く注意事項です。飲み物のオーダーは自由です。ただし泥酔状態での施設の利用はご遠慮ください。またこちらの部屋はある程度汚していただいても構いません。時間が終わりましたら私が呼びにきますのでそれまでお楽しみください。あ、シャワーなどのオプションもありますので詳しく知りたければお声がけください。それではお楽しみください」
そう言って部屋の外へ出て扉を閉めるとブザー音が鳴り響いた。おそらく開始の合図なのだろう。
ヘルメットで耳が覆われているせいかいつもよりもずっと世界が静かに感じる。しかし時間は限られているのでどんどんと動こうと思いまずは壁の近くに向かい、壁に手をつくと思いっきり頭を打ちつけた。
強い衝撃が私の脳を揺らす。しかし痛みはない。少し手加減をしていたかもしれないと思い改めてまた頭を打ちつける。二度目の脳への衝撃。それも一回目よりさらに強くなったそれに思わずふらつく。視界が揺れて気持ち悪いがこれはまだ序盤だ。ここでリタイヤは勿体無い。
まずは壁に立てかけられた傘を手に持つと、マネキンの前へと向かう。傘をマネキンの腹に押し付けてゆっくりと力を加えていく。私のお腹にも軽減されているがどんどんと押されている感覚がある。傘を離すとお腹の圧迫感も消えた。
これから私がやろうとしていることに緊張してしまう。しかしやらずにはいられない。滅多にない機会なのだ。
私は深呼吸をして息を吐いたあと、傘の持ち手を握りしめて持ち上げマネキンの左側頭部にチョンと傘の先を目印をつけるようにして触れさせる。頭の左側に触られた感覚がある。ゆっくりと傘を頭から外して野球のフォームのように傘を構える。
さっきの壁への頭突きで少しだけ自分の自制心が壊れている気がする。
そうして私は思いっきりマネキンの頭へと傘をスイングした。ズゴっという鋭く鈍い音が部屋に鳴り響く。それに間を置かずに私の左側頭部に強い衝撃が走る。殴られているわけでもないのに私の頭は右へと吹き飛ぶ。遅いくる鈍痛。
痛い。痛い。すごく痛い。
でも、ざまあみろ。
私はよろけながらまた壁へ進む。傘はよく見てみるとぐにゃりと曲がっていた。これでは使えないしそれに使う気もない。傘を放り投げて立てかけられている金属バッドを手に取る。傘よりもずっと重みがあり手に軽く汗が滲む。
マネキンの前へと向かい今度は右側頭部を狙ってみる。流石に金属バッドで殴るとどうなるか分からないので慣れないフォームでなら全力で殴れるだろう。先程と同じように頭の側面に金属バッドをつける。そしてゆっくりと弓の弦を引くようにしてバッドを構える。もう私に躊躇いはない。勢よく頭へとバッドを振る。今度は右肩に当たり、跳ね返りながら頭を直撃する。ゴッと先ほどよりも鈍い音が手から伝わってくる。振り切れずに頭に触れたまま静止してしまう。
そして私の頭も左へと吹き飛ぶ。金属バッドは手から離れカランと音を立てて落ち、私は床に倒れ込んで手をついてしまう。
やばい、痛みがゆっくりとくる。これは脳が一瞬で処理しきれていない。右肩にはすでに鈍痛が走っている。じんわりと暖かく感じていた右側頭部がどんどんと熱を帯び始めている。
痛い、痛い、痛い!
思わず蹲ってしまう。頭が割れるように痛い。口からは嗚咽のように息が漏れていく。涙が私の意思とは関係なく流れていく。もういいかもしれない。満足かな。そう思い少しだけ眠ろうかと考えたが、まだ頭だけだ。甘えるなと気を奮い立たせる。
落ちた金属バッドを拾い上げると、痛みからか若干フラフラとよろけてしまう。バッドを杖代わりにしてマネキンの間合いへと向かう。
思う存分痛みつけてやる。そのために来たんだ。
バッドを振り上げて力を加えながら重力に任せて左肩を打つ。重い痛みが走り、骨が軋むような音が聞こえる気がする。手を止めずに右から左腕に向かってバッドを打つ。曲げているはずの腕が衝撃のせいで無理やり伸ばされる。マネキンの隣に移動してお腹に向かってバッドを振る。体をくの字に曲げてしまい、思わず胃液が喉元まで出てきてしまう。息を吸っても上手く肺に空気を送り込めない。その勢いでマネキンを倒す。倒れると同時に後頭部に痛みが走る。倒れたマネキンをそのまま引きずって冷蔵庫の隣に持ってくる。冷蔵庫の反対側に回り体を使って冷蔵庫を押す。私の体よりも大きく重く動かないのでバッドの持ち手の部分を冷蔵庫の下に入れて梃子の原理で動かす。ゆっくりと冷蔵庫が傾き出す。そしてバッドから冷蔵庫の重みが消えてマネキンへと倒れ始める。マネキンのせいか倒れた時の音はそんなにしなかった。足に信じられないほどの圧迫感が襲いかかり痛みが走る。足を庇うようにして滑る様に倒れ込む。その後すぐ全身に満遍なく重みを感じる。足の痛みのせいで痺れまともに歩くことができない。這いつくばりながら、冷蔵庫の下にあるマネキンをずりずりと救出する。ようやく足元から圧迫感が消えた。想像以上に体力を持っていかれたが、部屋にかけられた時計を見るとすでに時間は十分と残っていなかった。何かやるなら次が最後だろう。
それならばと思い、机の方へなんとか向かう。机を部屋の中央へと持ってきて、滑車に繋がれたロープに机を固く結びつける。繋がれたロープの反対側にはハンドルがあって回すとロープが引かれるようだ。ハンドルを回して机を私の身長よりも高く持ち上げてロックをかける。机は宙に浮いたままそこにある。マネキンを部屋の中央、浮いた机の下へと連れて横たえる。ハンドルの元へと戻りロック解除のボタンに指を添える。
小刻みに呼吸が震えてしまう。ボタンにかけている手は冷たくなっている。足も同様に冷たくなり、そのせいかガクガクと震えている。頭の中はすでに混濁状態になっている。目からは涙が溢れて止まない。胃液は先ほどから口元まで出てきていて、喉が焼けるように痛い。
もう辞めてもいい?
駄目、私が許さない。
何をやっても駄目な私。
何をやっても迷惑をかける私。
周りのみんなは優しいからそんな私を許してくれる。
だから私は私に罰を与える。
ロックの解除ボタンを押し込む。カラカラカラと滑車とハンドルが開店している音が聞こえる。
痛いは嫌い。でも、痛いからいてもいい。
机は空中で軽く捻りながらその角を下に向ける。
鳩尾に机の角がめり込み、その反動で体が浮く。
胃の中から液体が勢いよく競り上がってくるのを感じながら、私の視界は真っ白になった。


シャワーから上がって、洋服も簡素な下着とシャツを買ってしまった。私みたいに無茶する人が多いんだろうか。シャツには悪趣味なロゴがプリントされて、下地が白なのも相まって最悪だ。
着替えてから待合室のような場所に戻ると受付の彼がこちらに気づき近づいてくる。
「オプション利用ありがとうございます。どうでしたかね当施設は。よろしければ領収書にQRコードが印字されているのでそちらからアンケートにご協力ください」
荷物はこちらにと、手に持っていた袋をこちらに渡してくれた。中には汚してしまった衣料品含めて丁寧にそれぞれがビニールに包まれて入っていた。
「ありがとうございます」
お礼を言って軽く会釈をする。オプション分の会計をしようと財布を袋から取り出していると、受付はニコニコと勧誘を始めた。
「お客様、会員登録はいかがですか?次回利用からお安くなりますよ」
ふと財布を持った手が止まってしまう。しばらく中途半端な場所で財布を留めたあとちょうどの金額をトレイの上に乗せた。
「大丈夫です。次使ったら考えておきます」
そうですかと受付は笑顔のままお金を受け取り領収書を渡してくれた。
一連の流れを終えて、どこか達成感さえ覚える。これがアクティビティで楽しんだゆえに来るいい疲労感なのだろう。
私は少しだけ、足取り軽くここにはもう来ないかなと考えながら外へと向かう。
「ありがとうございました。またのご利用、お待ちしております」
背中越しに言われるそのセリフは、少しだけ重く私の体に乗っかって来た。

自傷カフェ

自傷カフェ

痛いのが好きな女子のお話

  • 小説
  • 短編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-08-16

Copyrighted
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