Walk on the seabed

ワカメ

生きてる人と死んでる人

 「本当に乾くと思ってるのか、その洗濯物」
 磔にされたキリストみたいに、潜水服が洗濯竿にブラブラと吊り下がっている。足や手の端から、雫が垂れて、服の下は水たまりみたいになっていた。

 「風向きが変われば」
 苦し紛れに僕が言うと、叔父さんは呆れたと言わんばかりに、僕を置いて船の方に向かって歩いて行った。
 
 気づいたら僕はここに帰ってきていた。帰ってきたと言うより、漂着した。
 真面目に、僕はもうここに帰ってくるつもりはなかったのだけれど、僕が気がついた時、そこは見慣れた海岸だった。顔の少し脇を、紙の入った空き瓶がコロコロ転がっていくのが見えて、そのはるか先に、金魚鉢みたいなヘルメットが転がっているのが見えた。波に押されたり、引っ張られたり、ヘルメットは、海岸を行ったり来たりしていた。まるで待合室で待ちくたびれている人みたいに。

 案の定、僕の見たことや聞いたことは、全く信じてもらえなかったし、そもそも誰も聞く耳持たなかった。僕が寝ている横で、叔父さん家で飼っている犬のチャッピーが嬉しそうに尻尾を振っていた。嬉しそうに、と言うのも僕の勝手な解釈かもしれないけれど、なんとなく見ていて嬉しそうだったから、僕は何とか起き上がって、チャッピーにこれこれこういうことでと説明したのけれど、話が少ししたところで気怠そうに欠伸をされて、そっぽを向かれてしまった。

 地球温暖化がーとか、海底のゴミがーとか、水の中には酸素はないのだから、とか、そういう次元の話ではなくて、僕は確かにあそこで、自分のヘルメットを、ぱっと外したのだった。そのまま視界が明るくなって、まるで天井と地面が真逆になった気がした。

 僕は何となく、自分のしたことを後悔した。後悔して、多分ここにはもう二度と戻っては来れないんだと何となく理解した。ほとんど重力のない海の底。ここは宇宙だと言われても、何ら反論もできないような、無音の空間だった。

 波に飲まれてジタバタしている時に、僕は確かに、カンガルーを見た。いや、カンガルーに似た、何か別の生き物だったのかもしれない。そもそも生き物じゃなくて、うっすら光る水面が、偶然そう見えたのかもしれない。
 何とか追いつこうと足をバタバタやっても、全然追いつけなかった、し、そもそも洗濯機の中みたいな状態で、追いつこうにも無理だった。

 カンガルーは助走をつけるみたいに小さく2回ジャンプして、3回目はそのまま高く飛んで、暗がりの向こうに消えてしまった。
 走り続けたけど、追いつけなかった。

 
 「カンガルーねぇ」
 叔父さんは、気味悪そうに僕の潜水服を人差し指と親指で摘んで、胸のポケットの蓋をちょっとパカパカさせていたのだけれど、うえぇ、と一言漏らして、自分の服の端に汚れた人差し指と親指を擦り付けていた。
 「酸素欠乏になってそう言うものが見えただけじゃないか」
 「いや、絶対いたよ」
 「海底にカンガルーがいるわけないだろ」
 「いやいた」
 僕は周りくどく、また海底に戻りたいと言った。あそこには僕の借りた家もあるし、会社も困って、はいないか。とにかく、僕の日常は海底にあったのだから、僕はそこに戻るべきだし、ここに未練もないと伝えた。
叔父さんはため息をついて、家の中に入っていった。

 結局、何度海底に行こうが陸の上で生きていようが、いずれこの時間の繰り返しが起きて、僕の時間は、生きている間の僕の時間は、ゆっくりと溶けていく。
 海を途方もなく眺めていると何だか死にたくなってくるけど、叔父さんの後ろ姿を見ていると、まだ生きていようと思う。
 僕はタバコを取り出して火をつけて、すうっと煙を吐き出す。海底にはなかった文化だ。そもそも火なんかつかないし。
 その後ろで、キリストみたいに物干し竿に吊るされた潜水服から雫が垂れる。ピチャピチャと、砂時計の砂みたいに、等間隔に雫が垂れている。

Walk on the seabed

Walk on the seabed

リキッドルームの後日談です。 後で一つに纏めたいと思います。

  • 小説
  • 掌編
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2021-08-15

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