【短編ホラー】祭りの終わり
私が終わらせなければならない。
あれから幾星霜。悠久とも思える修練の日々を私は過ごしてきた。
自身の掌を見ると、深く刻まれた皺と分厚い手の皮がそこある。
十分な修練を積んできたつもりだが、成功を確信するに至る程の自信は遂に得られなかった。
だが、時間がもうあまり残されていない。私は天を仰いで深呼吸をする。
思えば常に妻と二人三脚で歩んできた人生だった。
子にも恵まれ孫にも会えた私は、過ぎた日々を懐かしみつつ、妻と晴耕雨読の余生を送る事を夢を見ていた。
しかし今、私の手元に残っているものは何もない。
「何の因果なのかね…」
しばらく発声していない喉は、たったこれだけの一言を発しただけで咳き込む程に弱っていた。口元を抑えた手には血が付いている。
「時間が、ない」
私は自分に言い聞かせる為、もう一度言葉を宙に刻む。埃まみれの暗室を出て、私は外に出る事を決意した。
数年越しに浴びる陽の光は、まるで私を攻撃するかのように私の眼を灼き、肌を焦がし始める。
夏だ。奇しくも目指した季節に外に出る事が出来たようだ。いや、場合によっては逆に丸一年待つ事になる。現在日時の確認が必要だ。
私は最低限の身支度を整え、友人宅へと向かった。
「はーい」
友人宅を尋ねると、二十代から三十代の女性が出てきた。友人の若い頃によく似ている。娘だろうか?
「もしかして、祖母のお知り合いですか?」
そうか。そういえばそうだったな。自身の時間感覚が狂っている事を強烈に認識させられる。
「はい。少々遠方から参りました。お祖母様はいらっしゃいますか?」
少しだけ咳き込みながら女性に聞くと、心配そうに「大丈夫ですか?」と添えた上で
「祖母は一昨年に亡くなったんです。線香を上げて行かれますか?」
と申し出てくれた。
亡くなった…そうか。ある程度は覚悟はしていたとはいえ、やはり堪える一言だ。
少し迷ったが、私は素直に線香を上げさせて頂くこととした。
こじんまりとした檜の仏壇の中央に、幸せそうな笑顔の写真が飾られている。
…本当に、亡くなったのだな。
だがその笑顔を見て、私は心の底から安堵した。
良い人生を送る事が出来たんだな。私は何となく救われたような気持ちになる。
恐らく妻の事も私の事も思い出す事もなく、心穏やかに過ごす事が出来たのだろう。今はそれがわかればいい。
私は線香を上げ、仏壇前で無心に手を合わせた。
「あの、祖母とはどういったご関係だったのでしょうか?」
彼女の孫が帰り際の私に問う。不審がっているというよりは、興味からの質問だろうと思われる。
「古い知人です。亡くなった妻が、とても親しくさせて頂いておりました」
私は静かに答える。
妻は彼女に私達の子も孫も紹介していた。子も孫も彼女に懐いていた事を思い出し、胸の辺りが鈍く痛む。
「そうですか…。祖母も喜んだ事と思います。有難うございました」
深く頭を下げる彼女の孫に頭を下げ返す。私の孫も本来はこんな風に…いや、今は考えるのはよそう。
「そういえば、明日はこの辺りでお祭りがあるんです。もし明日もいらっしゃるのであれば、是非参加して行って下さい」
現在日時を聞きそびれていた私に、一番聴きたかった情報が手に入る。
「有難うございます。タイミングが合えば参加させて頂きます」
私はそう言って友人宅をあとにした。
家に着いた時、改めて外から家の様子を見直す。
出た時はあまり気にならなかったが、この家は本当に昔のままだな。
表札横にも相変わらず目印のように竹が生えている。
『私、この【竹田】表札に惚れてあんたとの結婚を決意したんだよね』
妻の言葉を思い出して思わず口元が緩んだ。そういえばそうだったな。顔が少し綻んだのはいつ以来だろうか。
第三者の手に渡る事や行政執行による撤去対象にならない為、最低限の保全を手配してある。
正しく整備されている事に感謝しつつ家へと入った。
居間の地下に隠してある暗室に入り、瞑想を始める。明日か…。
麻理、美江、浩人、明美
一度として忘れた事のない名前だ。そして私が忘れると誰も覚えていない名前。
私の記憶が風化してしまう事は絶対に許されない。それぞれの顔を一日一度は思い浮かべ、記憶に刻んでいる。
明日は必ず勝たねばならない。私は睡眠を取ることにした。
『明日、狐狩りに行くよ』
妻が事もなげに言い始める。
これは、あの日の夢だ。もう何回繰り返しているだろうか。
『狐?まさか双狐か?あれは危険だから相手にしないって言ってただろ』
私は驚きつつ返答する。双狐は近所の神社に封じられている神獣だ。
妖退治をしている内に片方の狐が妖になってしまい、死闘の末にもう片方の狐が自身と共に封印したのがあの稲荷像だと言われている。
『ところがそうもいかなくなったんだ。どうも最近良い方の狐が弱ってきているらしいんだよね』
良い方の狐か。妻が言っているのはたまに祭りに参加してる狐の方だろう。
『祭りの時に狐が化けた人間を見つけると、願いを叶えるって噂があったんだけど、どうも事実らしい。人が死んだ事実を消したんだってさ」
妻の言葉に私は目を見張る。
『嘘だろ。実際に人を甦らせるなんて、前例を聞いた事がない。というより不可能じゃないか?』
摂理に反している、という表現では足りない。
長く霊的なものと付き合っていれば分かるが、生き物が死ぬという事は変容を表す。
その変容先が何であれ、元に戻す事は出来ない。茹でた玉子を生卵に戻すよりも難しい事だと思う。
『違う違う。甦らせたわけじゃないんだ。いや、実際よく考えたと思うよ。死んだという事実を消したんだから。履歴の消去だ』
妻の二度目の説明で私はようやく理解した。
なるほど。人を甦らせるよりは説明がつく。だが…
『危険すぎる。それは生きていたという事実も消せるという事だろう』
私は身震いする。もしそんな消され方をしたら、正に死んでも死にきれない。
『そう、危険な力だ。私の勘が正しければもう数人消えている。ぼんやりとしか思い出せない住人がいるんだ。例えば小林さんの奥さんだ』
小林さんには奥方など元々いなかった筈だ。妻が何を言っているのか分からず、少し考え込む。
『……小林さんに奥さんなんていたか?さすがに考えすぎだと思うんだが…』
思い出せないというより、知らない。しかし妻はまだ黙って私を見ている。
もう少し考えろという事だろうと解釈し、何度か思い出す事を試行した私は一つの結論に達した。
『小林さんの奥さんについて思い出そうとすると、思考が少しだけ阻害されているような気がするな。麻理の言う通りかもしれない』
私の出した結論に妻が頷く。
『悟ですらその様子なんだから、誰も覚えてないわけだよ。小林さんの奥さんなら私達と仲が良くなかったわけがない。悪い狐は退治しないとね』
妻は簡単そうに言うが、普通に考えて不可能だ。感覚的には物語の登場人物が書き手に挑むに等しい。
『万が一私がやられたら、恐らく皆に忘れられる。まぁあんた以外の家族は変なショックを受けそうだし、忘れてもらった方が良いかもね』
笑いながら言う妻は、しかしどこか寂しそうだ。妻を止める言葉を私は考えるが、中々出て来ない。
『あんたと加奈子とは長いからね。忘れられても寂しいし、物忘れ防止のアクセサリーをプレゼントしておくよ」
妻は私に指輪を渡す。今までに無かった事だ。死を覚悟しているのだろうか。生憎こちらにはそんな覚悟は出来ていない。
『放っておけば良いじゃないか。私達がどうにか出来る範疇を大きく超えた領分だ』
私は妻を説得する。実際、方法が全く思い付かない。
『そうもいかないんだよ。さっきも言ったけど、人が恐らく消えている。恐らく悪い方の狐の仕業だ』
妻の言う悪い方の狐とは、もう片方の狐に封印されたという狐だろう。確か弟狐の方だ。
『良い狐は人の死を消した事で、祭りに参加出来ないほど弱っているらしい。悪い狐はこれ幸いと祭りに参加して悪い事をしているんだよ』
なるほど、面倒な事になっている。良い狐に願いを叶えてもらいにきた人が、実際は悪い狐に騙されて消されるわけだ。
『良い狐の話を明美に話してから、あの子よく祭りに参加してたでしょ?最近、あの子から狐の気配がするんだよ』
血の気が引く感覚がある。まさか、明美が目を付けられたのか?
『孫のピンチに黙ってたら退魔師の名が泣くよ。大体、紛い物が多すぎて他の奴には任せられん』
妻はそう嘯く。人が存在した事を消してしまうような化け物に、明美が狙われているのか。私は事態をまだ飲み込みきれずにいた。
『まぁ安心しなよ。私は勝って帰るし。…あんたもさ、見えるようになってから色々手伝って貰ったけど、今回は信じて待っててよ』
確かに私が行っても足を引っ張るだけだ。私は妻を信じて待つ事にした。
それが間違いだったと気付く前に、世界は妻が存在した事を忘れた。
妻が消えて以来、私は狐に見つからないよう、地下に篭って修練を重ねた。
妻が自身の修行用に設けた地下室は、籠っている間は存在感を限りなく無に近付けるものだ。家族も私が居ることを徐々に忘れていった。
この状態はまるで狐の仕業みたいだと考え、あまりの皮肉に苦笑いが込み上げる。
浩人は妻がいなくなった事に気付いており、たまに地下室で私と共に修行した。
口酸っぱく狐にはまだ勝てないと繰り返したが、妻が消えた五年後の祭りの日に浩人は消えてしまった。
無謀な事はしない子だった。恐らく私の存在感が薄れていくと共に、私の忠告も頭から消えて行ったのだろう。
私は自身の浅慮により浩人を亡くした事に慟哭した。
その五年後の祭りの前日、美江は妻が最初に霊を退治した木刀を持って家を出て行ったまま帰らなかった。
あの頃には私の気配はほぼ完全に消えていたので、美江には私が必死で止めている声は届かなかったのだと思う。
私は美江を救う事が出来なかった自身を憎悪した。
娘を失って呆然自失としていた私に最後の止めが刺されたのは、その翌日だ。明美は美江の仇を打つためにこの家の結界を持ち出して出て行った。
私は何度も何度も逡巡した。
当然明美を追いかけて助けるべきだ。そもそも明美を助ける為に妻は狐に立ち向かったのだから。
しかし、私の計画は完成していない。今、狐と対峙してしまうと勝つ可能性など一切考えられなかった。
それでも明美と共に死ぬのが人として正解ではないかと自問する。
私は地下室の壁に頭を打ち付けて歯を食い縛り、自分を抑えた。
私には全てを犠牲にして明美を選択する事が出来ない。
私は狂ったように笑い転げていた。いや、実際狂っていたのかもしれない。私は笑い続けていた。
ハッとして目を覚ます。
「夢見が悪いのは相変わらずだな…」
私は怠い身体をゆっくり起こす。後悔は寝ている間も絶えず心を蝕んでいる。
いつの間にか夕方だ。そろそろ支度をせねば。地下室から出た私に突然声がかかる。
「ただいま。随分待たせたね」
そこには妻がいた。突然の事に唖然としている私に、妻が更に声を掛ける。
「鳩が豆鉄砲を食ったような顔をするじゃないか」
妻ではない。妻である筈がない。頭では分かっているのに心が追いつかなかった。
「…霊体……だな…」
私が辛うじて振り絞った声は、事実の確認だ。腰にある刀の柄に手を掛ける。
「そう。霊体だよ。こんなんになっちまったけど、狐に生かして貰ってるんだ。まぁ霊体で生かして貰ってるってのは変か」
妻が苦笑する。言葉遣いも仕草もまるで妻だ。なんという事だ。私はゆっくりと刀を鞘から引き抜く。
「悪霊、だな。妻が死んで久しい。仮に本当の妻であっても通常の霊体でいる事は不可能だ」
妻の形をした悪霊に剣先を向ける。
「…確かに、今の私は悪霊だよ。だけどこうしてあんたの前に立ってる。そんな怖いものはしまって…」
私は悪霊が言い終える前に首を刎ねた。
「…妻はな。もし仮に悪霊になっても『斬れ』と私に言うよ。お前は妻ではない」
地面に落ちた悪霊の首はケタケタと声を上げて笑う。
『ひでぇ奴だなお前!婆さんも娘も孫も、選り取り斬らせてやるからよ!祭りを楽しんでくれよな!』
消えていく悪霊を見送ったあと、私は準備を整えて祭りへと向かった。
祭囃子が遠くから聴こえてくる。
祭りか。加奈子の孫も参加しているのだろうか。私は裏道から神社裏の稲荷像へと向かう。
途中、家族を模した悪霊が何匹か出てきたが全て斬り伏せた。
神社では全ての音が消え、川のせせらぎの音だけが聴こえる。
祭囃子はすぐ階下で行われている筈だが、全く聴こえてこなかった。
「ここか…」
二つの稲荷像がある筈の場所に辿りつく。今では片方の像しかないが、あの像に本体がいる筈だ。
『こんばんは。君は…あの時の女性の血縁だね』
稲荷像が話しかけてくる。
『あの子の事は本当に申し訳ないと思っている。僕があの子に弟を退治するよう依頼しなければ、このような事にはならなかった』
なるほど。この像がもう片方の狐を退治するよう明美に依頼した方か。
「私も何でも使って家族の仇を取りたくてね。孫と同じような結界をたくさん持ってきている。狐に投げれば良いのか?」
私の問いに対してしばらく稲荷は沈黙する。
『…良いのですか?ですがあの狐は…』
稲荷が言い終える直前に私は稲荷像へとランタンを投げつけた。稲荷像はそれをひらりとかわして声を上げる。
『何をするのですか!』
その言葉には怒気が含まれている。少しだけ判断に迷っていたが、その言葉で私は確信を得た。
「私の孫を唆し、兄の狐を攻撃させたのはお前だ。私の妻も、子も、孫も。お前が殺した」
私は刀を構える。しばらく私を睨んだ後、稲荷は突然ゲラゲラと笑い出す。
『凄いじゃないかお前!素直に驚いたぞ。なぜ俺が兄ではないとわかった?』
稲荷は私に問いかける。随分と余裕を見せられているが、あまりにも差があるのが現実だろう。
「妻が常々言っていたんだよ。狐は人を騙す。狐の言う事は信用するなってね」
言い終わりざまにランタンを投げ付けるが、これも簡単に避けられる。
『それは随分性格の良い婆さんだったんだな!もし本当に兄だったらどうするつもりだったんだ?』
稲荷が話している最中にもランタンを投げ付けたが、全てかすりもしない。
「その時は謝ろうと思ったよ。まぁお前と違って許して貰えるだろ」
私は最後のランタンを投げつけたあと、刀で斬り掛かる。
しかし軽くかわされた後、目に見えない速度の何かで吹き飛ばされる。恐らく尻尾だ。
地面に転がりながら体勢を立て直したが、呼吸がままならない。稲荷は咳き込む私を愉快そうに見ている。
『生意気だな。だがお前、気に入ったぞ』
完全に遊ばれている。だがそこにしか勝ち筋がないので有難い。私は無理矢理呼吸を整える。
『お前も俺に何が出来るか気付いているんだろう?その者が存在したという事実を消すという、まさに神の御業ってやつだ』
私は稲荷に斬り掛かるが、それも軽く振り払われる。
『まぁ聴けよ。その逆も出来ると言ったら?死んだという事実を消せるとしたらどうだ?』
私は斬り掛かろうとした手を止める。否が応でも妻から聴いた話を思い出してしまった。そんな私の様子を見て、狐はニヤリと笑う。
『今日は久方ぶりに兄が祭りに参加しているので殺してこい。成功したらお前の家族を甦らせてやる』
麻理、美江、浩人、明美。
私は順番に家族の顔を思い出していく。
「……お前の兄は人間を警戒している。もう私には見えないだろう」
私の言葉を聴いて稲荷は嬉しそうに笑った。
『心配するな。私が見えるようにしてやる。油断している兄に、お前の持つ塩の刀を振り下ろしてやればいい』
やはりバレていたか。
長年清めた塩でこの刀を磨いていた。錆びてこそいるが、この刀が少しでも触れている事が出来れば…。
「……本当に家族を返してくれるのか?」
私の言葉に稲荷は大きく頷く。
『天地神明に誓っても良い。今からお前にも兄が見えるようにしてやる。祭りが終わる前に急げ』
私は稲荷の言葉に頷いて祭りの会場へと向かった。
神社の境内を抜けると、祭囃子が聴こえるようになった。私は早速兄狐を探し始める。
狐の姿で見えるのだろうか。それとも人の姿か?そういえば聴きそびれたなと思っていると、加奈子の孫を見つけた。
加奈子の孫は、自分の子供であろう男の子と一緒に金魚掬いをしている。
確か、浩人と同じくらいの年齢だったな。加奈子の孫は。
浩人や明美は生きていたらどう成長したのだろうか。
いつの間にか流れていた涙を拭って狐を再び探そうとした瞬間、リンゴ飴を舐める見知った姿を見つけて私は固まる。
「明美……」
いや、明美がいる筈がない。だがあまりにも…。私はふらふらと明美に近付く。
「明美、ではないな。…稲荷様ですか?」
丁度祭りのクライマックスである花火が上がり始めるが、私は目の前の明美から目を離せない。
『いかにも。この娘はそなたの親族か。本当に気の毒な事をしたな』
明美の姿をした兄狐は目を伏せる。
『私はこの世に存在しないものの姿になる。だからそなたの親族になっているのであろうな』
存在しないもの、という言葉に打ちのめされそうになった私に頭上から弟狐の声が届く。
『何をしている!早く斬れ!』
私はその声に呼応して刀の柄に手を掛けようとし、だがやめた。
「あなたの弟に存在を消された人が何人もいます。元に戻せますか?」
兄狐は私の問いに対して少し考えたあとに首を横に振った。
『不可能だ』
私は膝をついた。やっぱりそうか…。
『私なら出来る!そいつを斬れ!』
弟狐が喚いている声を聴いて私はやらなければならない事を思い出す。
刀の柄に手をかけ、鞘からゆっくりと引き抜いた。
そしてその刀を兄狐へと差し出す。
「私の代わりに、あなたの弟を成敗して頂けないでしょうか」
私の願いを聴いて兄狐は躊躇っているように見えたが、ゆっくりと刀を受け取った。
『…相分かった。死を乞われる程に堕ちている身内を放っておいた。…私の責を果たすとしよう』
弟狐が何か喚いているが、もうどうでも良かった。
使えるものは何でも使うと言った筈だ。ランタンもお前に投げたのではなく、出られないよう結界を張っただけだよ。
出来れば自身で片を付けたかったが、私は自分一人で復讐すると意気込むには歳を取り過ぎたんだ。
遠くから断末魔のような叫び声が聞こえた。
『待たせたね』
兄狐が戻ってくる。この世に存在しない、明美の姿のままで。
「やっぱり…あの狐が居なくなっても元に戻るわけではないのですね」
夢見てはいけない希望ではあったが、聴かずにはいられなかった。
麻理、お前を守るという約束を果たせなかった私を恨んでくれ。
『私は消えた人は元に戻せないと言った』
兄狐の言葉を項垂れながら聴く。
『だが、弟の所業を無かった事には出来る』
私はそう続けた兄狐の言葉に目を見張った。
『そなたは執念で今を生きている。弟の所業が無かったとしたら、既に死んでいる身だ。結果を見る事は叶わないが、それでも良いか?』
狐は人を騙す。狐の言う事は信じるな、か。妻の言葉を思い出す。
「そうですね。最後に一度、狐に化かされるのも一興かも知れません」
何だか長い夢を見ていた気がするが、思い出せない。
ブーブーうるさいスマホのアラームを止めてゆっくりと寝返りを打つ。
しかそ次の瞬間、今日は朝から祭りの片付けを手伝いに行く日である事を思い出した。慌てて身支度を整える。
「お母さん!慶悟と理奈にご飯あげといて貰って良い?」
ソファでニュースを見ている母に声を掛けると、「ういー」と返事が返ってきた。
「あんたお盆中くらい仏壇に手を合わせておきなよ」
母の言葉を聴いて仏壇に向かう。母がふざけて作った、ヘリと飛行機の精霊馬が飾ってある仏壇に手を合わせた。
「今日、浩人が帰ってくるらしいよ」
母がスマホを見せてくる。兄に会うのは数ヶ月ぶりだ。
「じゃあ悟お祖父ちゃんと麻理お祖母ちゃんも喜ぶね」
私は仏壇の写真を改めて見る。仲が良い夫婦だったが、写真の中でも本当に幸せそうだ。
「やばいやばい。遅刻じゃん!じゃあ行ってくるね!」
私は神社へと走って向かった。
特に何の変哲もない地元の稲荷神社は、祭りの片付けが終わると少し寂しそうに見える。
「片付けお疲れ様〜。どうしたの?」
星野さんが境内の方を見ている私に声をかけてくる。
「いつも祭りが終わると何か寂しそうだなーって思って」
星野さんは「へぇ〜?」と言いながらもあまり興味はなさそうだ。
私はこの神社の静かな所と、温かそうな雰囲気が好きだ。
なにでたまに子供を連れてお参りするようにしている。
「またくるからね」
小さく声をかけて、私が神社をあとにすると、コン!と狐の鳴き声が聴こえた気がした。
ー完ー
【短編ホラー】祭りの終わり