目をさまして

挫折はしたことがありますか?

筆を折るまでの話し

とうとう感想をくれていた最後の一人からも、何の反応がなくなった。
スマートフォンの電源を切り、ゴミ箱に投げ捨てる。どうせ後で拾いに行くのだがそうせずにはいられない。
パソコンがあるから、この行動で私の憂鬱を晴らすことはできない。突き放すくらいなら叩きつければいいものを投げ捨てるところに未練を感じる。
スマホはしばらく触りたくない。触っている瞬間の万能感は素晴らしいものだが、依存している自分に気づき情けなくなってしまう。
仕事の連絡があるかも知れないから、メールフォルダを確認しなくてはいけないのだがパソコンも同様に触る気が起きない。インターネットとは便利なものでいついかなる時も誰かと繋がることのできる代物だ。
しかしそのインターネットが私にとって孤独の証明になっているのが苦痛で仕方がない。私のところに来る通知は、裏アカのフォロー通知とダイレクトメッセージ、そして公式アカウントの宣伝だけだ。ここ半年間は誰からも連絡が来ていないだろう。
忙しそうだからなかなか誘いづらいんだよねと言う話をされたが、はっきりとものを言えばいい。
もともと誘う気なんてないと。
あなたの順位は私の中で1番ではないと。
むしろ2番3番にもなっていないと言ってくれればそれだけで私は救われるのに。
常に孤独なのだからそろそろ慣れてもいいじゃないかと口の中で呟く。すぐに頭の中でそれを否定する。
孤独は毒の一種だ。蓄積すればするほど心を蝕んでいく。免疫はとうの昔に失われ、再獲得は決して叶わない。誰かと関わりを持ってしまった瞬間に失われる免疫など無いに等しい。
小説など趣味でやるものではない。
これほどに現代から見放され、何も生み出さず、そして何も得ることができないものはない。
何のために書くのか。
一体何のために創作物を生み出すのか。
私は未だにその答えを知らない。知ることもない。
いつか誰かの心を動かすほどの何かを生み出せたらいい。誰かの人生観を動かせるものを作り出せたらこれ程の幸せはないだろう。
そしてその誰かは特定の誰かへと移行していく。これがいけない。特定の誰かに対して心を動かしたいだなんて烏滸がましい。そもそも自分が誰かに影響与えたいなんて考え自体が烏滸がましいのかも知れない。
結局はその人どころか誰の心も動かせない。それどころか誰の興味に触れることさえない。
観測されない事象は、無かったことと等しいのだ。
私は透明人間になってしまったのだ。
誰からも気に留められないで、誰の興味を引くこともできなくて、誰かの1番になることすらできない。
寂しがり屋なのに一人になろうとしているわけではない。寂しがり屋なのに一人になってしまったのだ。人間求められれば一人になることはない。誰かと一緒に生きていくのだ。
窓際に置かれている煙草の箱とライターを取り、窓を開けて換気しながら煙草を口に咥え火をつける。深く強く息を吸うと、熱い煙のせいで喉を火傷する。それでも平然とした態度で煙をゆっくりと吐く。
自分に駄目な理由をつける。最悪な保険だがこれのおかげで正気を保てる。これのせいで色々と駄目なのだと言い訳できるからだ。
換気のために開けた窓から空気が入り込み、吐いた煙が全て部屋へと入り込んだ。その煙を目で追うように部屋を見る。散乱した缶とペットボトル。ゴミ袋は大きく口を開けて中から使われなくなった物たちが今にも溢れ出そうになっている。
何をやる気にもならない。やりたいことが見つからない。掃除でさえやろうと思わない。それをやらなくても生きていけるだろうと思ってしまう。
しばらくダラダラしていると手元に熱を感じる。煙草の先端がいつの間にかフィルター近くまで燃えていた。縋るようにフィルターを口につけて軽く煙を吸う。目の前でオレンジ色に光る煙草を見てどこか羨ましく思ってしまう。すぐに煙草を携帯灰皿へ押し込み蓋をすると窓を閉めて、パソコンの置いてある机へ向かい座る。
パソコンの電源をつけるとすぐにメールフォルダを確認する。誰からも連絡はない。
インターネットで時間を潰すために検索エンジンを立ち上げる。ふとトップページのニュースに本屋大賞の記事が上がっていた。自分よりも年下の作家が大賞をとったらしい。ただただ自己肯定感が下がった。かつて私も小説を書くために、表現力を上げるセミナーなどに参加したことがある。
内容はとても基礎で、短い作文を毎回書かされるのだ。グループになってお互いの作品を読み合い、感想を言い合う。とても有意義な時間だったと思う。
しかしそのお互いの作品を読み合う時間が苦痛だった。老若男女が参加していたそのセミナーの様々な人の文章を読んだ。どれも私には同じように思えてしまう。そして平等に全員に嫉妬してしまう。どうしてこんなにまともに文章が書けるのだと。さらに、感想をもらう際に面白いですねと言われる。心にもない声だとすぐにわかる。あなたはさっき他の青年に感想を伝えたとき、興奮気味に伝えていた。きっと心に刺さる表現が青年の文章に少しでもあったのだろう。理性ある感想は、評論だ。
私がやりたかった人の心を動かせる人間がこのセミナーには沢山いる。私以外の人間だ。それなら私がここにいる意味は一体何なのだろうか。
行くたびに心が死んでいくセミナーは、劣等感を生んだだけだった。
ふと、書いた小説に対しての感想がパソコンのメールに届いていた。
「面白かったよ。また書いたら教えて」
久しぶりに届いた友人のメッセージはこれだけだ。
「読んでくれてありがとう。これからも頑張るよ」
読んでくれただけでもありがたい。これ以上何を求めるのか。感謝を伝えて次も頑張ると送る。
小説は金にもならない。何の能力も身に付かない。得られるのは知り合いの感想。
多くを求めずとも、数万字に対する見返りが少なすぎる。そして見返りのことを考えている自分にまた嫌気がさす。
私は屑なので見返りなくして行動ができなくなってしまった。しかし結局、見返りなしで小説を書いてしまった。
パソコンの画面を見ながら涙が溢れてきた。涙を流すと感情が大きくなり一つの感情を増幅させてしまうらしい。常に寂しさ、切なさ、劣等感を感じている人間が泣いたところで有意義な感情は生まれない。ただ泣いている自分がいるだけだ。自分にすら興味がないのかも知れない。
涙に反応すると泣いている事実が本当になってしまいそうで無視する。雫が頬から流れているのを気にせず、先程投げ捨てたスマホをゴミ箱から拾い上げる。ぼやけた視界でロックを解除する。
画面には少しだけヒビが入っていた。
スマートフォンのメモには沢山のネタが書き込まれている。私にとっては面白いだけのネタも他人にはただの他人の妄想だ。透明人間の文章は結局誰にも読まれない。
また辛くなる。
前に鬱病になった人のインタビューを読んだ。
その人は夏でもエアコンをつけずに布団を被り眠ったそうだ。それでも寒くて体が震えてしまうと言う。辛くて辛くて仕方がないと、心が身体に緊急信号を放つのだと。
私はまだそれになっていない。要するにまだ最悪な状態にすらなっていないのだ。
私の体は至って普通に動く。頭痛は誰だってなっているし、喉の痛みは煙草のせい。冷や汗は将来への焦り。
まだ、寒くないし体が震えてすらない。
こんなにも辛いのに、まだ体は私を動かそうとする。
こんなにも辛いのに、私はまだ生きていかねばならないという。
鬱手前であっても鬱ではないのだ。そもそも手前ですらないのかも知れない。それを考えた時に、私は死んだ方がマシだと思ってしまう。
今がこんなに辛いのに、まだ辛さを感じる余地があるのだと。これ以上なにも失うものがないと思っているのに、失う余地はまだあると体は私に伝えてくる。
掌を握りしめ拳を作る。私は自分の力が許す限り自身の耳の前上を強く殴りつける。頬から雫が飛び散る。これが血ならいよいよ自分もおかしくなっているだろうがそんなわけない。
痛みを感じると冷静になれる。どこかようやく落ち着く。こんなこと人には言えない。情けない。自傷行為に走るなんておかしいと思われる。
それでもまだ実際おかしくないっていない。
体はまだ寒さを感じず震えていない。
痛いのは嫌いだ。それでもこれをやらないと動けなくなってしまう。
涙のせいでスマホが濡れたので、ようやく涙を拭き取りスマホ画面も同じく拭き取る。
鼻を啜る音だけが部屋に響く。
携帯に自殺の方法が羅列されたメモが表示されていた。涙を拭き取った際に開かれたのだろう。
カッターで動脈を切る。睡眠薬を規定の数十倍摂取する。部屋を締め切り練炭を燃やす。紐を括りドアノブに引っ掛けて首をつる。
部屋には自殺できる道具が半分以上ある。
机の上の錠剤に目を向ける。これを大量に飲むだけで今感じている苦しみから解放されるのだろうか。これから感じるこれ以上の苦しみから逃れられるのだろうか。
そう思っただけで、私はまたパソコンに向かう。
結局のところ、私は自分の死にすら興味がないのだ。
次を最後の作品にしよう。次は自分が報われ、そうして別れを誰かに告げることのできる作品にしよう。
それまでに私はせめても、自分の死に方で一番良いものを選んでいよう。
ドット抜けしたディスプレイに向かい合い、青白い光を受けながら私はタイルトを打ち込んだ。

目をさまして

目をさまして

筆を折りたいけど、折れない悲しい作家の話

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-08-13

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