フレームアウト

何のために写真を撮りますか?

「やばい、俺の写真が全くない」
「は?」
私が渡された写真を見ている間に、澤村が焦り気味に言ってきた。
ごつい一眼レフのカメラを首から下げて伸びっぱなしになった髪の毛をニットの帽子で纏めているその姿は、立派なジャーナリストのように見える。
丁度今帰国しているから会わないかと誘われたのは昨日のことだった。
集まった喫茶店は昔から澤村と使っていた場所で、なんとなく話すのに程よく静かで二人ともここを好きだった。
今は世界で撮ってきた写真を見せてくれていて、蒼く光る湖畔の写真を私は見ている。
世界中で様々な人々や景色を撮影している彼は、物珍しい写真を撮ってはそれを売って生計を立てている。
そんな男が突然、自分の写真がないと人を呼び立てて騒ぎ始めたのだ。
「本当に全くと言っていいほど見当たらないんだよ俺の写真」
そう言いながら澤村は、でかいリュックの中から小学校の卒業アルバムを取り出してきた。静かな喫茶店の中で、突然分厚く大きい本を取り出す澤村を宥めるようにして本当にないのかと問いかける。
「ほら見てみ、卒業アルバムである写真がこれとこれだけ」
一枚目に指さされた写真はクラスの紹介のようなもので、澤村という名前の上にムッとした顔の少年の写真が載っていた。すぐにページをパラパラとめくりページの七割が過ぎたあたりでようやく手を止め、ある写真の一枚を指さした。その写真はおそらく修学旅行で行ったであろう遊園地の写真だった。だがその写真のどこを見ても澤村少年が見当たらない。
「いや、どこにいるんだよ」
「ここだよ、ここ」
指さされた先をよく見てみると、帽子をかぶっている後ろ姿の少年がカメラを構えて観覧車を撮っている姿が写っていた。
「もしかして、この後ろ姿のやつ?」
「そうだよ。どう見ても俺だろこんなの」
激しく首を縦に振り、齧り付くようにその写真まで顔を近づけて思い出すように語る。
「この頃からカメラに触れてたんだな。学校の授業で色んな場所を撮影しようってフィルムカメラ渡されたのが最初だよ、覚えてる。友達の事を撮ったり、先生を撮ったり、学校の色んな場所を撮ったりしてさ」
ページを遡りながらそれぞれの場所を教えてくれる。
家庭科室は天井にある鏡が先生の手元を照らしてどの場所からでも授業が出来たこと。体育館の後ろには肋木が設置してあって、休み時間には生徒たちが縦横無尽に登っていたこと。図工室には先生の私物が沢山置いてあって、たまにコーヒーを豆から挽いている瞬間はどこか秘密基地のように思えたこと。教室のベランダには朝顔が植えられているプランターがあって、朝早く来た人が水をあげて花弁に水滴がついて綺麗だったこと。
その場所の写真を見るたびに話してくれる情景はとても細かい。
「よくそんなに覚えてるな」
「この生徒主体じゃなくて場所を写してるやつは俺が撮ったやつなんだよ」
写真に目線を落としながら澤村は何気なく言った。卒業アルバムにはそれぞれのページに学校の施設の写真が載っているが、そのほとんどが澤村の撮影した写真らしい。
「へえ、すごいじゃん」
「さっき言ってた授業で撮ったフィルムカメラの写真を現像したらさ、先生にめちゃくちゃ褒められてそのまま卒業アルバムに使っていいかって。すごい嬉しかったよ」
「この頃から写真撮るの本当に好きだったんだな」
そう言った瞬間に澤村はアルバムを捲る手を止めて、ここからが本題だと言わんばかりにこちらを睨み始めた。
「俺はね、写真撮るの嫌いじゃないよ。でもそれ以上に目的があったの」
ふぅと一息ついて澤村は真面目に語り出す。
「俺はね、忘れたり忘れられるのが嫌なのよ。人は忘れられた時に死ぬって言うじゃない?だから忘れないように記録しとけばいいじゃんって思って写真撮ってたのよ」
「それ、小学生の時からずっと思ってたの」
「当たり前だろ。じゃないとこんなに写真撮ってない」
即答されてしまい思わずたじろいでしまう。あくまでも写真は思い出の一部なのだが、澤村にとっては写真が思い出の全てになっているのだろう。
「卒業アルバムに写ってないだけで探せばきっとあるって」
「思い出して欲しいんだけどさ。俺らの子供の時ってカメラって嗜好品だったのよ」
澤村は胸元にある一眼レフカメラの調子を確かめながら喫茶店の虚空を見つめて思い返している。
「んー、どういうこと?」
「今はスマホとかですぐに写真撮れるけど、前はカメラを買わないと写真が手に入らなかったのよ。だから特別な瞬間だけのためにカメラが使われるとかだったの」
そう言われてみると確かに、日常的にカメラを構えて写真を撮ることは携帯電話の普及と共に一般により広まっていった気がする。
机の上に伏せたスマートフォンのカメラを眺めながら澤村を宥めるように言う。
「でも家族も旅行とか出かける時には写真とか撮ってくれるでしょ。出先のお店でフィルムカメラ買ってさ」
それこそ家族旅行は生きている上で特別な瞬間に含まれるのではないか。安くないにしろ、思い出を残すのに千いくらか払うことはできるだろう。
「そうなんだけどさ。本当に特別な時しか買ってなかったからあるのは生まれた瞬間とかの写真しかないんだよ」
「いいじゃん、澤村の原点が写ってるなら」
話を遮るようにして卒業アルバムを閉じると、軽くため息をつきながらぶつくさと文句を言い始めた。
「それは違うんだよ。みんなと繋がりのある思い出じゃないと忘れられちゃうじゃん。出生の瞬間とかもそりゃ大事な思い出だけど、俺が求めているのは何気ない日常の記憶なの」
矢継ぎ早に話していたせいか乾いた口を濡らすようにしてコーヒーを啜る。ただでさえ人相が良くないのに一層と顔は険しく、コーヒーを泥水を飲むように喉を通した。
「俺が生まれたねなんてごく限られた人たちの記憶なのよ。そんなんじゃ俺個人の特定につながらないし、事実俺のことを忘れている奴は沢山いる」
帽子の上から頭を強くがしがしと掻く。話している最後にはどこか辛そうにしていて、認めたくないけど事実だから言わざるを得ないといった澤村の苦悩が見えるような気がした。
「ちょっと大きく言い過ぎなんだよ。死ぬわけじゃないし」
「いや死ぬんだって。これはマジ」
メロンソーダのフロートをストローで突きながら澤村の顔を見ていると、澤村はさらに紙袋を取り出してきた。中には様々な場所と楽しそうにしている学生服の彼彼女達の姿が写されている写真が大量に入っていた。
「これは全部俺が撮った写真だ。小学中学高校、そして今の今までずっと忘れないために撮り続けてきた」
手渡された写真の束を一枚ずつスライドさせながら見ていく。
「俺は俺の思い出を忘れないために、そして忘れられないために写真を撮り続けてさ」
その一枚一枚がとても魅力的で、学生の青春を写しているものもあれば、郷愁を瞬間的に一枚の画に納めたものまで様々なストーリーが見えてくる気がした。
「本当に綺麗に撮れてるよね」
「そこで気がついた。忘れられたくないのに俺の写真が一枚もないと」
「大丈夫だって、この写真見たら撮ってくれた人たちはさ。きっと澤村が撮影している瞬間とか思い出すから」
我ながらいい事を言えたのではないか。これだけたくさんの写真があって、恐らく多くの人にこの写真が思い出として送られている。出来の良い作品はいつだって思い返されるのだから。
そう得意げにメロンソーダをズズッと飲んでいると、澤村は帽子を取りボサボサの髪の毛をかきむしり始めた。
「違うのよ。写真って絵なのよ。絵を見る時に、描き手の姿を想像する瞬間なんてないの。それを想像するのは評論する人だけなのよ」
「だから、別に作品を見せてるわけじゃなくて思い出としてみんな見るでしょ。卒業アルバムにも撮影者の名前が記載されてたしこのアルバムを見るたびにカメラを持つ澤村をみんな思い出すって。思い出の一部にあなたもいるって」
「それなら俺はずっと写真を撮っているやつだな。みんなと馬鹿な話をしたり、くだらないダンスをしたり、笑いあったり泣いてみたり、そんな思い出もあるはずなのに写真を見て思い出すのは写真を撮っている姿だけなんだよ」
「もう、分からず屋だな」
お互いヒートアップしてしまったので熱を覚ますために、私はすかさず冷たい飲み物を頼んだ。私はメロンソーダで澤村はアイスコーヒーを頼んだ。
話を遮るようにして注文したので澤村も言いたい事を一旦飲み込み、髪の毛をまとめて帽子を被り直し机に広げられた写真たちを丁寧に束ね始めた。
「私の言い分って、そんなに納得できないかな」
少し踏み入りながらまた再熱しないように落ち着いた声色で澤村に話しかける。
「わかるさ。全然言っていることは正しいし、俺がおかしいってことくらいわかる」
「いや、おかしいって程でもないと思うけど」
熱を冷ましたとはいえ澤村の気力が明らかに今までよりも下がっている。とはいえ、熱された鉄がすぐに赤みを引かないように未だに沸々と煮えたぎる焦りが澤村を支配している。
「いやおかしいんだよ。こんなこと気にしなければ普通に生きていけるんだよ」
「そんな風に言わないで」
「この前卒業アルバムを見た時に、思い出したことがあったんだ」
俯いてた顔を上げながら澤村は私の言葉を遮り、まるで自分の罪を独白するかのように話し出した。
「俺の後ろ姿が写ってる写真、あったろ?」
私は改めて澤村の卒業アルバムを手にしてその写真が載っているページを開く。修学旅行で行った遊園地の一瞬。
「その時、俺は仲のいいグループで遊んでたんだ」
確かに澤村のカメラを向けている先によく見ると複数の人影が見えた。
「本当に仲が良くていつものグループって先生から言われるくらいにはずっと一緒に遊んでたんだ」
澤村はまた喫茶店の虚空を見つめその先に幼時を追憶している。
「でもそのグループの一人がさ。斎藤って言うんだけど突然親の都合で転校してさ。結構遠くに転校するから簡単には会えなくて凄いみんなで泣いたのを覚えているんだ」
数少ない澤村の写真にたくさんの思い出が込められていてどんどんと澤村の口から語られている。ふと口を閉じて、ゆっくりと今言ったことは嘘だと言い始めた。
「この写真を見るまですっかり忘れてたんだよそいつのこと。マジでたまたま見てようやく思い出して、それで連絡とってみようって思ったの。そしたらそいつさ、高校のうちに死んでてさ」
あれだけ力強く芯のある声で話していたが、いつのまにか声が震えている。どこか許しを乞うように酷く俯き手を帽子の前に組んだ。
「写真見てようやく思い出して、でもそれまではマジで忘れてたのよ。そう思ったらさ、本当に忘れられたら死ぬんだって。肉体的に死んで忘れられたら概念的にも消失するってそんなの怖すぎるって」
澤村は目を酷く瞑り、力を入れすぎて頭に血が上っているはずなのに顔は青白くそれこそ死にゆく人のように見えてしまう。
さっき注文した飲み物を店員が運んできて、コルクのコースターの上に置いた。店員なりに空気を読んだのか小声で注文確認をしてすぐに去った。
澤村は手を組んだままその動きを止めてしまった。
私はこの陰鬱とした空気を口直すために、二杯目のメロンソーダをストローを使わずに勢いよく飲んだ。そして三割ほど飲んだ後に澤村に飲めと突きつけて無理矢理飲ませた。
大人しく差し出されたメロンソーダを飲んでる澤村にゆっくりと話しかける。
「澤村はさ。別に写真撮りにみんなと遊びに行ってるわけじゃないじゃん」
メロンソーダをストローを使ってゆっくり飲みながら澤村はうなずく。
「ならみんなをもうちょっと信用して。澤村と行った楽しい場所の数々をすぐに忘れることはないし、澤村の撮ってくれた写真は本当に記憶を思い出せる。その一枚だけで一日を思い返せるくらいにはね」
澤村がメロンソーダを飲んでいるので私はアイスコーヒーに手をかけて砂糖もミルクも使わずにそのまま唇を湿らす。
「澤村さ。そのカメラちょっとだけ貸してくれる?」
「ん、ああいいけど」
首からストラップを外してカメラを私に渡してくれる。ピントの合わせ方やシャッターの切り方を軽く教えてもらった後に、席を立ち澤村の横に並んだ。
「え」
澤村の肩を抱き寄せながらカメラのレンズをこちらへ向けてじっくりとシャッターを切る。最近のカメラは便利で撮った写真がすぐに確認できて、慣れないカメラでの自撮りだったが写りも悪くなかったので満足げに私は澤村にカメラを返した。
「いつかそれ現像して頂戴ね」
「あ、ああ」
「それと私もこれからさ、もうちょっと写真撮ってみようと思う。やっぱりたくさんの視点から思い出を語れるのも魅力的だなって思った」
言いたい事を言えたので改めてコーヒーに口をつける。
分かっている。澤村の悩みはこのくらいでは吹き飛ばすことはできない。応急処置だと。
だから澤村にはちょっとした目標を目指してもらおうと思う。
「澤村さ。みんなの記憶に残りたいならさ。もう世界中、とまでは行かなくても日本中の人に覚えてもらえるくらいの有名人になりなよ」
「有名人か」
「もう教科書に名前載っちゃうくらいに」
「それは難しいな」
「でも達成できたら絶対に死ぬことはないよ」
「そうさなあ」
「それ目指すなら私も手伝うよ。色んな場所回ってさ。それこそ世界中の忘れちゃいけない風景みたいなの撮って周るんだよ」
澤村はようやくメロンソーダを飲み干してストローから口を離した。その顔は少しだけ青白さを潜めてようやく正気を取り戻してきた。
「それを目指すのもいいか」
私も丁度飲み終えたコーヒーのカップを澤村に返し、メロンソーダのグラスを取り戻した。
澤村も気づいていると思う。これは解決しない問題だ。それこそ気にしないが一番の正解かもしれない。不安を何か別の安心や夢中で塗りつぶす。
私にはこれしかわからない。
フレームのある側面に問題がある。そしたらそこを見ずに違う側面を見る。決してフレームから外れることはない。
コーヒーを飲んだせいか少し喉の奥に引っかかっている気がする。
暫く話していて私も疲れたのかもしれない。
澤村はいつも通り、いやそれ以上に周りを見て綺麗な構図がないか探している。
やっぱり澤村はこの調子が一番らしくていい。
お気に入りの喫茶店にいつもの静かさが戻った。
と思うと、澤村の胸元からけたたましく着信音が鳴り響いた。
澤村は鬱陶しそうに胸ポケットからスマホを取り出すと通話ボタンを押して耳に押し当てた。暫く気怠げに話していたのだが、依頼の話なのだろうか。途中から背筋を伸ばして口調もきちんとしたものになっていた。
どこかいつもと違う様子が面白くて、何気なく私はスマホのカメラを起動して澤村の方に向ける。
ありがとうございます。光栄です。と話を締めくくり電話を切ると、少し呆けた顔をこちらに向けて最初に見せてくれた写真を取り出した。
澤村が撮ってきた湖畔の写真だ。
「この写真さ」
私はもしかすると良い瞬間を撮れるのかもしれないとゆっくりとシャッターを切る。
「教科書に載ることになった」

フレームアウト

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自分が写っている写真が全くないと気づいてしまった男の話

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-08-13

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