【試作】短編ホラー

私の家の近くの神社には、他の受け入れを許さない独特の雰囲気がある。
川のせせらぎだけが聴こえるとても静かな神社なのだが、普段の参拝者はほとんどいないのではないだろうか。
 神様を祀っているのに大変申し訳ない感想ではあるけれど、神々しさとは無縁の不気味としか表現出来ない場所だ。
 まず御神木が柳である事からしておかしい。幽霊に出てきて欲しいと言わんばかりの出立ちだと思う。昼夜を問わず、一人で行くのは最早肝試しと言っても差し支えない。

 そんな神社も八月初旬である今日は祭りの準備で賑わっている。明後日に祭りが開催されるからだ。
 普段は不気味な柳の木も、電線コードが張られて提灯が取り付けられれば、何となく可愛く見えてしまうのが不思議だ。

「おぉ、明美ちゃん。今年は祭りに来れるの?」
 笑顔で私に話しかけてきたのは近所のおじさんだ。まだ準備だというのに『祭』と書かれた紺色のはっぴを着ている。気が早いなと思うが、そういうものなのだろうか。

「小林さん。いつも準備有難うございます。今年も行く予定です」
 笑顔で返事を返した私を見て小林さんは満足そうな表情を浮かべた。
 しかしその表情は、私の背後を見た途端に険しいものへと変わる。

「悪い事は言わないから、この祭りに出るのはやめておきな」
 背後から急に掛けられた言葉に驚いて振り向くと、そこには変わり者と噂されている近所のお婆さんがいた。星野さんだ。

「あんたさ。いつもこのお祭りに水を差すけど、困るんだよね。これはお稲荷様が参加される神聖な祭りなんだから」
 小林さんは苛立ちを隠そうともせずに星野さんに詰め寄る。そんな小林さんを無視して、星野さんは探るような様子で私に声を掛けた。

「マリさんとヒロト君は、どうだい?」
 またか。私は内心ため息をつく。私の親族にマリもヒロトも居ない。だが星野さんは私を誰かと間違えているのか、毎回同じ質問をしてくる。
 もしかすると星野さん自身が家族を亡くした、などの気の毒な事情があるのかと思って聞き込みを行った事があるが、一切そんな事実は無かった。

「ごめんなさい。私、その方々を多分存じ上げないのですよね」
 何故私にだけ同じ質問を何度もしてくるか分からないが、このように返すと「そうかい」と少しがっかりしたような顔をして去っていくのがいつもの流れだ。

「星野の婆ちゃんもどうしちまったんだろうな。昔はあんなんじゃ無かった気がするんだが…」
 小林さんは去って行く星野さんの背中を見ながら呟き、祭りの準備へと戻って行った。

 星野さんは毎年祭りの開催を嫌がっていると聞いた事がある。直接的な妨害をするわけではなく、開催中止を静かに訴えてくるらしい。
 星野さんは何故祭りを嫌がるのか。毎年のように祭りの参加を止められる身としては気にならないわけではないが、実害はないので気にしないようにしている。星野さんの背中を見送った私は、家に帰る事にした。



 【竹田】と表札に書かれた我が家に着く。表札横に竹が生えている為、初めての人でも分かりやすいと評判だ。

「ただいま」
 家に入った私は声を掛ける。恐らく母が居るはずだ。誰が獲ったのかよく分からないトロフィーが飾ってある部屋を横目に居間へと足を運ぶ。

「おかえり。随分遅かったじゃん。アイス溶けちゃったんじゃない?」
 すっかり忘れてたが、コンビニでアイスを買ったんだった。慌てて冷凍庫にアイスを押し込める。

「神社で祭りの準備しててさ。小林さんとほら、例の星野さんに捕まっちゃって」
 私が星野さんに声をかけられる事は母には伝えてある。マリとヒロトについて母が何か知らないかも確認したので相談したのだが、やはり母も知らなかった。

「あー。星野さんね。あんた誰と間違えられてるんだろうね?また祭りも止められたの?あの祭りは私も行かないで欲しいんだけど」
 母は矢継ぎ早に言うついでにさらっと祭りへの参加を止めてくる。理由はいつも『なんとなく』だ。

「今年も行くってば。星野さんもお母さんも、理由がないのに止めるの意味分からないんだけど」
 笑いながら言う私に母は「うーん」とちょっと考え込んだ様子をしたが、結局は溶けかけのアイスを冷凍庫から出して食べ始め、この話題は終わった。

 何の変哲もない地元の小さな祭りではあるが、私が可能な限り参加するようにしているのには理由がある。この祭りに関する伝承だ。

 神社の裏の稲荷にはその昔、多くの妖や大妖を退治したという二匹の狐が祀られている。片方の狐は晩年人と一緒に生きていく生活を選び、人に化けて毎年祭りに参加していたというものだ。

 そこまでだと伝承としては無くもないかな?という程度なのだが、この伝承には続きがある。狐の化けた人間を見つける事が出来た場合、一つの願い事を叶えてくれるというものだ。

 これに関する逸話もあり、数十年程前にある男子学生がこの祭りの伝承を聞きつけて参加し、偶然狐を見つける事が出来たのだとか。
 その際、『自殺した彼女を返して欲しい』とお願いした所、彼女が死んだという事実そのものが消えたという逸話だ。

 『妖怪退治の狐が何で願いを叶えるの?』とか『こんな小さい規模の祭りだし、狐なんか居たらすぐ分かるでしょ』とか突っ込みどころの多い話ではあるが、実は神社自体に少し説得力がある。

 川のせせらぎだけが聴こえる神社というのは静寂の比喩表現ではない。
音が消える。夏であっても蝉の声すら聞こえないのだ。恐らくこれは尋常ではない事だと思う。

 別に叶えて欲しい願いがある訳ではないが、狐が本当に祭りに紛れる事があるのではないかという淡い期待感がある。
 狐に会えたら何をお願いしようかな。何となく今年は会える気がして、私は少し気分良く眠りについた。



 その夜、私は小窓からすきま風が吹き込んでいるような音で目が覚めた。
 あれ?エアコンつけて寝なかったかな?と思った私は身体が動かない事に気付いて青ざめる。金縛りだ。

 隣の部屋で寝ているはずの母を呼ぼうとしたが、言葉が出てこない。目を開ける事しか出来ない私に、人の声のようなものが聴こえてくる。

…み…りには…くな…む
……さい……から

 男性の声と女性の声だ。怖くてガタガタ震えているうちに声は聴こえなくなり、身体が自由になった。私はガバッと身を起こして隣の部屋へと駆け込む。

「お母さん!!」
 母はベッドの上で読書をしながら起きていたようで、驚いて手元の本を置く。私は母に飛び付いて震えた。

「何があったの?」
 そっと枕元のゴキジェットに手を伸ばす母は、ほぼ間違いなく原因を勘違いしている。

「金縛りに遭って。動けない間に男の人と女の人の声が聴こえた」
 震えながらそう訴える私に母は首を傾げた。

「変ねぇ。うちってほら、塩柱がいくつかあるじゃない?あれって効果的な位置にあるから、霊的な現象は絶対にないって言われた事あるんだけどなぁ」
 そう言われて思い出す。家の中にはランタンのようなものに入れられた塩の柱がいくつか置いてあり、動かしてはいけないと言われている。いつからあるかは分からないけれど。

「まぁ疲れてるんでしょ。肉体疲労で金縛りは起きるらしいよ。よくわからない塩柱も効力あるらしいし、多分大丈夫だって!」
 らしいと多分で大分浅く聴こえる主張ではあるが、元気そうな母を見て何となく元気を貰った私は部屋に戻る。

 今日は電気を点けっぱなしで寝てやる。私は少し明るめの音楽も掛けながら眠りに就いた。



 次の日、明かりと音楽のせいで少し眠りが浅かったのか、若干怠い身体を起こして私は居間に向かった。

「おはよー」
 私が声を掛けると、台所で何かをしていた母が手を止めてこちらを見る。

「おはよ。もう七時だからご飯食べちゃいなよ」
 テーブルの上にささっとご飯と味噌汁、鯵の干物と目玉焼きが置かれる。

「いただきます」
 私はニュースを見ながら朝食を食べ始める。祭りの日は晴れそうだ。何となく昨日の金縛りが嘘だったような気がする朝だった。

「食べ終わったら、自販機でメロンクリームソーダを買ってきてくれない?」
 母はあの身体に悪そうな色をしたジュースが大好きで、いつも家の近くにある自販機へ買い出しに行かされる。

「わかったー」
 私は朝食を食べ終えた後、外に出ても恥ずかしくない程度に身支度を整えて自販機へと買い出しに向かった。

 自販機は玄関から歩いて二分くらいの所にある。お金を入れて『めろんくりいむそおだ』とパッケージに書かれた缶ジュースのボタンを押すと、ガタンゴトンと音を立てて商品が取り出し口に落ちてきた。

 手に取ったメロンクリームソーダのパッケージデザインのセンスに改めて呆れていると、
「どうして祭りに行くんだい?」
 突然後ろから声が掛かり商品を落としそうになる。振り向くとそこには星野さんが特に何の感情もないような顔で立っていた。

「…おはようございます」
 反射的に取り敢えず挨拶をすると、星野さんも「おはようございます」と返してくれる。いつもとは何か様子が違う気がした。

 さて理由か。星野さんは目の前で答えを待っている様子だ。
 適当に誤魔化そうかなとも一瞬考えたが、星野さんがいつも祭りの開催に反対している事を思い出す。
 何か理由が分かるかもしれない。私は祭りへの参加理由を正直に話す事にした。

「なるほど。稲荷が願いを叶えるという話があるんだね」
 私の話を聴き終えた星野さんは難しい顔をしている。少し考え込んだ後、星野さんは続けた。

「あたしの知っている話とは大分違うね。誰から聴いたんだい?」
 私はそう問われて答えに詰まる。あれ?誰だったっけ…。全く思い出せる気配がない。答えられない私を見て、星野さんはため息をついた。

「いつかはあんた達と話さなきゃいけないと思ってたんだ。お母さんもいるんだろ?」
 母がいない事ではなく、いる事を確認された事に少し驚きながら頷く。

「今日は暑くなりそうだし、ちょっと上がらせてもらって良いかい?」
 私は星野さんの突然の申し出に驚く。何を話されるんだろう。私の中で詐欺か何かの勧誘を疑う気持ちと、好奇心がせめぎ合う。

「母に聴いてみます」
 母なら適切な判断が出来るかもしれない。私は母に判断を委ねる事にして、星野さんを案内しつつ家の敷地へと入った。

「ただいまー。お母さん、ちょっと相談があるんだけど」
 私は玄関外にいる星野さんを気にしつつ、声を掛ける。

「なにー?遅かったじゃない。メロンクリームソーダは冷えてないと…」
 母は私の後ろにいる星野さんを見て一瞬固まったが、すぐに表情を笑顔に変えて星野さんに声を掛けた。

「あら、星野さん。おはようございます。何か御用でも?」
 全面的に警戒している様子が伝わる挨拶で、私の胃が痛くなりそうだ。
 しかし星野さんの次の言葉が私を驚かせる。

「美江ちゃんと明美ちゃんに謝らなければならない事があってね。話せば長くなるから、ちょっと寄らせてもらったんだ」
 母と私に謝る事。何だろう。いつもの変な声掛けの事だろうか。…いや、それよりも母と私の名前を親しげに呼んでいる事の方が気になる。

「美江ちゃんって…。取り敢えずどんな件か先にお伺いしても?」
 母は怪訝な様子を崩さない。そんな母を真っ直ぐ見て星野さんは答える。

「マリさんとヒロト君の件だよ。あんた達が忘れてるのも仕方のない事だけど、塩柱が何故あるのか。トロフィーが誰のものなのかとか、気になった事はないかい?」
 そう言われてハッとする。それは母も同じようだった。

 塩柱にしてもトロフィーにしても、誰がいつ置いたというのを調べた事がないし、なぜか調べようとも考えなかった。
 そもそもなぜ星野さんはその存在を知っているのだろうか。

「…お上がり下さい」
 母も興味が湧いたようで、取り敢えず星野さんを家に上げる事となった。

星野さんは居間に来るなり「懐かしいね…」と呟く。思わず母を見たが、母はこちらを見て首を横に振る。
 記憶にある限り、星野さんはこの家に来た事が無いはずだ。

「どこから話したものか分からないけど…」
 そう言いながら星野さんは少し俯く。

「消えない後悔が、あたしをずっと蝕んでいるって話になるんだ。懺悔だと思って聞いて欲しい」
 星野さんは母と私を交互に見ながら話し出した。

「まず、この話をしようとしたきっかけは、昨日金縛りにあってね」
 星野さんの言葉に思わず「え?」と声が出る。私と同じだ。星野さんは私をチラッと見た後に続ける。

「その時に言葉が聴こえたんだよ。あまり聞き取れなかったんだけど、多分
片方は『祭りにはいくな。頼む』と言ってたと思う」
 星野さんに言われてハッとする。もしかしたら私に掛けられた言葉もそうだったかもしれない。

「ねえ、あんたが昨日言ってたのって…」
 母がこちらを見ながら言った言葉に私は頷く。

「私の所でも同じ事が起きていたと思います」
 私が星野さんに言うと、星野さんも頷いた。

「恐らくマリさんとヒロト君が警告に来たんだ」
 星野さんの発するマリとヒロトという名前が初めて現実味を帯びて来て、心が冷えていく感覚がある。

「その二人の名前、明美によく言ってるらしいですよね。結局誰なんですか?」
 母はまだ訝しげな様子で星野さんに聴いている。星野さんは悲しそうな様子で言った。

「美江ちゃん、あなたの母親と息子さんの名前だよ。ヒロト君は明美ちゃんにとってはお兄ちゃんだ。思い出せないかい?」
 私はあまりの衝撃に言葉が出ない。そんなわけがあるはずがないと言おうとしたが、祖母の名前も顔も出て来なかった。
 しかも…え、兄??私の頭の中はパニックに覆われている。

「そんな…そんなわけ…。だって、ちょっと待ってください」
 何も思い出せないのは母も同じようで、立ち上がってどこかへと去って行く。戻ってきた時には写真のアルバムをいくつか持ってきていた。

「ちょっと待って下さい。だって…」
 母はページを捲っていくが、祖母も兄もどこにも映っていない。
 母を抱く祖母の姿などどこにもなく、まるで祖父のみが母を産んで育てたようなアルバムだ。

「お祖母ちゃんって、居たっけ…?」
 私の呼びかけに、母は答えない。
 もしかすると母を産んですぐに亡くなったのかもと思ったが、その記憶すら無かった。星野さんは続ける。

「ヒロト君は足が速い子でね。よくトロフィーとかを持ち帰ってたよ。中々の男前で、それに…家族思いの子だった」
 トロフィー。確かにあるけれど…。
家族の話をされているはずなのに、全くもってリアリティを実感出来ないかった。星野さんの話を一切信じない事は容易だが…。

「もしかすると辻褄合わせの為に戸籍謄本くらいには名前くらいはあるかもしれないね。だけどあんた達が仮に謄本を見ても、マリさんもヒロト君の事も気にする事が出来ない」
 何故か真に迫った事を言われている気がする。否定したいが、祖母の記憶が全くないのはさすがに不自然だ。

「…仮にあなたの言う事が全部本当だとして、何で私も明美も全く覚えていないのでしょうか。母を、ましてや自分の息子の事を忘れるなんて…ありえない」
 母は震える。私は頭の中で騙されている可能性を探るが、答えが出なかった。
 近所中で変人呼ばわりされているということは、きっと星野さんだけが他の人と違うものを見ている。

「…なんで星野さんだけが覚えてるのでしょうか。超能力者か何かとでも仰るのですか?」
 私は少し攻撃的になってしまっている言動を抑えられなかった。霊感商法だと信じたかったのだと思う。
 しかし私の言葉に星野さんは首を横に振って答える。

「あたしじゃない。マリさんが有名な霊能力者だった。テレビにも出てたくらいのね。本人は霊能力者ではなく退魔師だといつも訂正していたよ」
 テレビにも出ていた程の霊能力者。話が本当なら映像の一つや二つ残っていそうなものだけど…。この様子だとそれも残っていないのだろう。

「丁度十年程前の祭りの日になる。マリさんがあたしの所に来てこれを渡してきたんだ」
 星野さんが首から下げているネックレスを見せてくれる。変な形をしている容れ物に、塩のようなものが入っている。

「これはこの家にある塩柱と同じ仕組みみたいでね。魔を寄せ付けない効果があるらしいんだ。マリさんが作ったものだよ」
 そういえば、我が家の塩柱にもそういう効果があるらしいのだった。私は近くにある塩柱に少し目を遣る。

「これを渡しながらマリさんが私に言うんだよ。『今から神に近い存在の悪霊を祓いに行くんだけど、ちょっと危ないんだよね。存在履歴ごと消されるかもしれないから持っといて』ってね」
 存在履歴ごと消される。凄く嫌な予感がした。もしかして祖母は…。

「軽く言うからあたしも止める事を忘れちまってね。間抜けにもどんな悪霊なのかを聞いたんだよ。」
 星野さんはバツの悪そうな表情を浮かべながら続ける。

「そしたらさ、『祭りの日限定で現れる悪霊らしいんだわ。しかもうちの地元の祭り。願いを叶えるという名目で人を誘き寄せるらしい。私がやられたら、今後の祭りを止めてくれないか』って言ってたんだ」
 血の気が引いていく感覚がある。私が知っている話を撒き餌とした罠だ。星野さんは更に続ける。

「大体は想像がついたとは思うけど、マリさんは祭りの翌日、みーんなに忘れられちまってた。このネックレスの効果かあたしだけ覚えてたんだけどね」
 塩柱のネックレスを私達に見せながら星野さんは続ける。

「マリさんを覚えてる人を探すあたしは変人扱いをされ…いや、それはどうでもいい」
 星野さんは俯き、震えながら続ける。

「あたしは本当の所、霊障ってやつをあまり信じてなかった。幽霊が生きている人に怪我をさせる事が出来るなら、殺人犯が生きてるわけないってね…。」
 私もそう思う。幽霊が生きている人に手を出せるなら、そういう事件が多いはずだ。

「でも違った。マリさんはまるで、最初からいなかったかのように消えちまった…」
 これが真実なら本当に恐ろしい事だ。家族ですら存在していた事実を忘れてしまうなんて。私はまだ正直、信じられない思いだ。

「けどね、あたしの他に覚えている人が一人だけ居たんだ。それがヒロト君だった。マリさんの何かを受け継いでいたんだろうね」
 顔も名前も覚えていない兄。まるで全く知らない人の話を聴いているような気分だ。

「あの子は『母も妹も祖母の事を覚えていない。まるで最初から居なかったように話す。祖母に何が起こったのかを聴かせてほしい』ってやってきてね…」
 星野さんは目を細める。

「優秀な子だった。どこから引っ張って来たのかマリさんの道具とかを集めてマリさんの真似事をし始めてね。仇打ちならやめておけって言ったんだけど…」
 星野さんは私と母を改めて交互に見る。

「『祖母の霊が神社に囚われている。解放しないと、いつか悪霊になってしまうだろう。それに母も妹も祖母を忘れたままなんて可哀想だ』って言ってね。それが五年前だよ」
 遠くを見るように星野さんは話した。まるで現実味がなくて喪失感などが湧いてこない。それは母も同じようで、困ったような顔をしている。

「あたしは友人と友人の孫をみすみす死なせちまった」
 星野さんの目から涙が溢れる。
 どう受け止めれば良いものか、私の感情は迷子になっている。信じざるを得ない部分と、信じられない部分があまりにも混在している話だ。

「邪魔して悪かったね。このネックレス、明美ちゃんが使っておくれ」
 星野さんはネックレスを外す。あまりデザイン的に好きではないが、私は素直に受け取る事にした。

「今は塩柱に囲まれた家にいるから大丈夫だけど、ネックレスを外した私が外に出てもマリさんの事を覚えている保証はない」
 星野さんの言葉に私は驚く。確かに話を全面的に信じるのであれば、そういう理屈になる。
 他人の装飾品を身に付けるのは少し躊躇われたが、私はネックレスをつけて星野さんを外まで送る事にした。



「お母さんは家で待ってて」
 星野さんの話を信じれば、母は外に出た途端にさっきの話を忘れる。母も私の意図を理解したのか頷いてくれた。
 メロンクリームソーダを買いに行っただけでこんな事になるとは。

「最後に。少なくとも今年の祭りにだけは参加しないでおくれ。嫌な予感しかしないんだ」
 星野さんは玄関に出る前に私に念を押す。すっかり祭りへ行く気を無くした私は頷くしかなかった。

 既に真昼になっている外は日差しが眩しく、アスファルトの上に陽炎が見えている。めまいがする暑さだ。

「それじゃあ」
 敷地の外に出た星野さんは一瞬立ち止まり、歩いていく。
 そういえばこのネックレスはどこまで身から離して良いのだろうか?
 慌てて追いかけると、自販機前で星野さんに追い付いた。

「星野さん!このネックレスなんですけど…」
 私の呼びかけに星野さんは一瞬驚いたような顔をした後、困ったような笑顔になる。

「あら。竹田さんよね?こんにちは。えーと、ユニークで素敵なネックレスじゃないかしら」
 星野さんが愛想笑いでお茶を濁そうとする姿に、私は唖然としてしまう。
 演技だろうか。これでは昨日までとはまるで逆で、私が変な事を言って星野さんを困らせているみたいだ。

「もう行って良いかしら。ごめんなさいね。お盆で孫が帰って来てて」
 そそくさと去っていく星野さんの背に「ありがとうございました…」と声を掛けるのが精一杯だった私は、とぼとぼと家へと帰る。 



「おかえり。星野さんはどうだった?」
 母が私に声をかける。声の調子から、先程までの会話はまだ忘れてなさそうだ。

「ダメだった。演技かどうか私には分からないけど、本当に全部忘れているような感じで別人みたい。私が不審者みたいだったよ」
 私は首を横に振りながら力なく笑う。

「あら。これまでは星野さんが不審者だったような言い草じゃない。失礼よ」
 こんな時まで言葉尻を捉えて軽口を叩ける母を頼もしいと思う。けど、母も敷地外に一歩でも出れば星野さんみたいになってしまうのだろう。

「星野さん、このネックレスをどんな気持ちで私に託したのかな」
 思った事をボソッと呟く。今、私が平常心を保てているのは母が同じ立場にいるからだ。一人だったらどう考えていたか分からない。

「あんたはもうすっかり星野さんの話を信じてるのね。私はまだ半信半疑だけど、それでも星野さんが辛そうにしてたのは本当だと思うな」
 母に言われて初めて、自分が星野さんの言っていた事を信じる方向に傾いていた事に気付く。

 祖母の事、兄の事を全てを忘れた(らしい)星野さんは、普通の幸せそうなお婆さんだった。
『消えない後悔が、あたしをずっと蝕んでいるって話になるんだ。懺悔だと思って聞いて欲しい』
 冒頭の星野さんの言葉を思い出す。ずっと後悔していたのであれば、きっとこのまま忘れてしまった方が幸せなのだろう。そう思った。



「あんた、明日の祭りは行かないよね?」
 母が夕食の時に改めて聴いてくる。

「そうだね。狐を捕まえて殺されたら嫌だしね」
 もし星野さんの言う事が本当なら、私の知っている話は撒き餌のような話だった。
しかし気になる。私はこの話を誰から聴いたのだろうか。

「まぁ命を懸けてまで叶えたい願いなんて、そんなにないものよね」
 母はテレビを見つつ、ミニトマトを頬張りながら言う。その通りだ。今日明日はのんびり家でSwitchでもやってよう。



 その夜、夢をみた。

 夕陽が夜の色と溶け合い、見事な調和を見せている時間。遠くから祭囃子が聴こえる中、私は神社へと向かっていた。

ーあれ?私、今年は祭りに行かないんじゃなかったっけ

 ボーっと考えながら歩いている私の横を、母が駆け抜けていく。
 首にはあの変なネックレスをしており、手には木刀のようなものを持っていた。

ーお母さんが祭りに行くなんて珍しいな。というか、なんで木刀?

 私はゆっくりと祭りの会場に近付いていく。ささやかながら、いくつかの屋台が開かれて賑わいを見せている。

ーりんご飴、食べたかったなぁ

 そう考えながら歩いていると、私と同い年くらいの男の子がりんご飴を食べているのを見つける。

ー見た事がない子だな。外から来た子かな?

 その子は私と目が合うと、親しげに手を振ってきた。なんだろう。私も笑顔で手を振り返す。
 顔が良い。とても良いぞ。けど、どこかで会った事があったような…。

「ヒロト…?」
 お母さんが現れ、信じられないものを見るかのようにその子に声を掛ける。ヒロト?どこかで聞いたような…。
 私が思考を巡らせている間にそれは突然おきた。母がその子に突然、持っていた木刀を振り下ろしたのだ。

ーお母さん…!?

 私の思考はヒロトと呼ばれた子への心配と、母が捕まるのではないかという心配でぐちゃぐちゃになる。

「母を…ヒロトを返して…」
 しかし、予想と違う光景が目の前に広がっていた。母はヒロトと呼ばれた子に片腕で持ち上げられ、苦しそうにしている。

『三代揃って自滅に来るか』
 母の身体が紅に染まった。



 私が声にならない声を上げた所で目が覚めた。
 酷い夢だ。けど母の無事を確かめずにはいられないリアルさがあった。

 外は朝焼けに染まる時間だ。祭りは今日行われるので、さっきのはただの夢だろう。ヒロト…ヒロト?星野さんの言っていた名前だ。
 あれは兄の顔なのだろうか。夢の余韻でまだ怠い身体を起こし、母の部屋へと向かう。ただの夢だ。ただの夢。

 母は部屋には居なかった。しかしこれくらいの時間に居間に居ることも珍しくはないので、居間へと向かう。
 居間にも母は居なかった。正確に言うと、母がそこに昨日まで居た形跡すらなくなっていた。
 母のお気に入りだった包丁も、メロンクリームソーダもない。自分の呼吸が浅く早くなっていることに気付く。私は心の底からパニックに陥ろうとしていた。

ーピンポーン

 パニックになる直前に呼び鈴がなり、私は少し冷静さを取り戻す。母かもしれない。急いで玄関に向かうと、そこには小林さんがいた。

「明美ちゃん、おはよう。朝早くから本当に申し訳ないね」
 いくら田舎とは言え、まだ朝の五時台だ。他人が訪ねてくる時間ではない。

「小林さん。どうしたんですか?」
 私は努めて冷静に質問する。今パニックになると母は永遠に帰って来ない気がした。情報を集めないと。

「稲荷様が一体消えたんだ。今まで無かった事だから、みんな動揺してね。祭りを開催して良いものか考えてるんだよ」
 稲荷が消えた。いや、そんな事より今日祭りが開催されないのは恐らくまずい。

「稲荷様は確か人間に化けて祭りに参加するのですよね?これが人の仕業だったら泥棒かも知れませんが、もしかすると吉兆じゃないでしょうか」
 私は出鱈目を言う。信心深い小林さんの事だ。恐らく前向きに迷ってくれるに違いない。

「なるほど。意外に明美ちゃんも稲荷様について勉強してるんだねぇ」
 小林さんは感心したように頷いている。

「明美ちゃんの言う通りかもしれないな。皆にもそう言って来るよ。ありがとう」
 小林さんの言葉に心底安心する。きっとこの人が頑張れば祭りは開催されるに違いない。

 こういう運命だったんだ。私は祭りへの参加から逃れられないと悟る。
 母を、祖母を、兄を取り戻さなければならない。



 しかしどうやって?私は散々逡巡した上で、伝承を振り返る事に辿りついた。狐は二体居た筈だ。
 一体は人に化けて祭りに参加し、一体はどこかへ消えた。私の家族はどちらに討たれたのだろう?
 祖母は祭りに誘き寄せる狐だと言っていたようだ。そうすると恐らく前者の狐に討たれたと考えるのが妥当だろう。

 では消えたもう一体の狐はどこに行ったのか。今朝の小林さんの言葉を思い出すと、一つしか思いつかなかった。



 祭りの始まる時刻のちょっと前に外を出る事にする。あのネックレスはどこにもないので、塩柱が入ったランタンを二つ持っていく事にした。
「行ってきます」
 誰もいない家に向かって声を掛ける。塩柱を持って行くのは不安だが、背に腹はかえられない。私は家をあとにした。

 夢と同じ、夕方と夜の溶け合う時間だ。遠くから祭囃子が聴こえる中、私は歩みを続ける。
 神社に近付くにつれ、段々と賑やかになってきた。やはり夢と同じく屋台が並んでいる。私は喧騒を避けて神社裏の稲荷へと向かった。

 音が消えている。あんなに賑やかに祭りがやっているのに、やはりせせらぎの音しか聴こえない。
 稲荷はやはり、一体しかなかった。
 私はここに来てどうすれば良いのか分からなくなり途方に暮れる。呼んで出てきてくれるようなら苦労しない。

『何の用だい?普段なら人間なんて放っておくんだけど、君からはただならぬ捻れを感じるね』
 私は驚いてランタンを落としそうになる。

『それを落としてはいけないよ。君はそれだけを頼りに、ここに来たんだろう?』
 稲荷だ。稲荷が話しているのだと私は確信する。

「助けてください。母が…。祖母と兄と母が最初から存在しなかったかのように消えてしまったんです」
 話している途中に泣き出しそうになったが、声を振り絞る。

『存在履歴ごと消されたのか。僕の弟の仕業かもしれないね。さてどうしたものか…』
 稲荷は考え込んでいるようだった。

『君が持っているそれ。その筒には強烈な浄化の作用が入ってそうだね。』
 稲荷が言っているのは塩柱が入ったランタンに違いない。

『生きている人を三人も消したとなれば、弟の所業も見過ごせない。弟を祭りから見つけ出し、それをぶつけてくれないだろうか。そうすれば捻れが解消するかもしれない』
 私はランタンを握りしめる。出来るだろうか。失敗すれば私の存在が消えてしまう。それはとても恐ろしい事だ。けど…

「やります。やらせてください」
 祖母と兄、何より母が存在しない未来をこのまま歩んでいく事は考えられなかった。

『分かった。君にも弟の姿が見えるよう、僕からお呪いを掛けておくよ。きっと君なら誰が弟だか分かるはずだ』
 稲荷が何かを唱えたが、特に身体に変化は感じなかった。

『さあ、お行き。僕が直接やってあげられなくてごめんね』
 稲荷の声はこの言葉を最後に聴こえなくなった。私は稲荷像へ頭を下げると、一目散に祭り会場へと向かう。



 祭りは終盤に近付いており、皆が踊っていた。それを眺める顔の中に見覚えのある顔を見つける。夢でみたヒロトの顔だった。あいつに違いない。

 心臓が大きな音を立てる。落ち着け。上手くやればお母さん達が帰って来るかもしれないんだ。
 一歩一歩、ヒロトの顔をした稲荷に近付く。あと一歩だ。よし投げるぞ。

「君、僕が見えてるみたいだね」
 いざ塩柱を投げようというタイミングで、こちらを一瞥もせずにヒロトが声を掛けてくる。

「恨まれるような事をした覚えはないんだけど、どうしたんだい?」
 ヒロトの顔をした稲荷がこちらを振り向く。微笑みを浮かべた顔には全く悪意が感じられなかった。

『騙されないで!今投げないと君が死ぬよ!』
 頭上から別の稲荷の声が聴こえる。そうだ。こいつはお母さんの仇だった。

「お母さんを返して!」
 私が泣きながらヒロトにランタンを投げ付けると、ヒロトの身体が燃え始めた。

「なるほどね…」
 ヒロトの顔をした稲荷が呟く。
 夢の中でもそうだったが、これだけの事が起きているのに周りの人は無関心だ。見えていないのだろうかと朧げに考える。

「僕は君を許す。巻き込んでしまってすまなかったね…」
 ヒロトの顔をした稲荷はそう言うと、ゆっくりと消えていった。

 何故か無抵抗だったし、謝られた。少し後味が悪い幕引きだったが、反省したという事だろうか?これで全てが元に戻っているかもしれない。
 後で稲荷に御礼に行くとして、まず家の様子を見に行かなければならない。私は息を切らしながら家路を急いだ。



 家の前まで来ると、外目からも電気が灯っているのが見えた。少し疑っていたけど、本当に戻れるんだ。

「ただいま!」
 大声で言った私を迎えたのは、母と知らないお婆さんと…ヒロトだった。

『おかえり』
 しかし三人とも生きているとは思えない姿で転がっている。
 声も出せずにいると、後ろから強烈な衝撃が襲い掛かってきた。
 大きな何かに噛まれている感覚があり声も出せない。

『願いは叶えてやったぜ。ご苦労だったな』
 稲荷の声が聴こえる。嘘吐き…。ひどい…。



 薄れゆく意識の中、金縛りの時に聴いた声を思い出す。
 あの時女性の方の声は…。
「狐には気をつけなさい。きっとあなたを騙すから」
 そうだ。そういえばそう言ってくれていた。折角警告してくれたのに、ごめんね。お祖母ちゃん。
 お願いだから、この狐が必ず、必ず誰かに討たれますように。

 ー了ー

【試作】短編ホラー

【試作】短編ホラー

お盆なので書きました。 「考えることも含めて二日で書けるか」 がコンセプトの、 正直リハビリ的意味合いの作品ですが、 話の構成自体はお気に入りです。

  • 小説
  • 短編
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-08-10

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted