こちょう

「“こちょう”という五文字に、どれ程の知識、歴史が詰め込まれているだろうか」「わかんねえっす」「だよねー」今朝前髪を切りすぎた近藤は言う。真夏の駅のホーム、列車が来るまで40分。「あっつぅ…」容赦なく照り注ぐ光を遮るように下を向く三枝。「マージ熱いんだけど」「あっつ」夏場のコミュニケーションは、暑さをただ嘆けば成り立つ。三枝が、顔を下に向けたまま叫ぶ。「あつ!」すかさず「あーっつー死ぬ死ぬ」「うあーわーー!!あつい」「あつう」「はー…何もかも嫌になってきた」
 飽きた近藤が言う。「暑い暑い言ってるとさ、更に暑く感じちゃうよ。だから…」「はー暑い」「さっむ!!!!」「えーーー」「さむさむ!さっむ!わーーーー!」「うるっさ!普通さ、そういうときは涼しいって言いません?」「そだね。涼しい!涼しい!涼しい!」「頭大丈夫ですか?」「大丈夫だよ。暑くておかしくなるのは当たり前なんだよ」「良かったですー正常で」「涼しいって言って」「え?…涼しい」「もっと言わなきゃ涼しくなんないよっ」「えーめんど。涼し〜〜」「そうそう!」「す、涼しいなー涼しいなー!」「さっきの話の続きをしようか」「涼しーい、じゃなくて聞きたーい」「棒読みすんな!」「涼しーい」「ふざけてんのか!あのね、こちょうって言われて何を思い浮かべる?」「えー、胡蝶?ゴマのゴにちょうちょね」「うん正解さすが」「聞いてね。すごい素敵なんだよ。”こちょう”の響きは」「ほえ」「さっきの胡蝶と同じ意味、すなわち蝶々を指す、蝴蝶」「す、涼しーい」「続いてたんかい。あとね、一匹の蝶を指す、孤蝶、古い調べと書いて古調、植物などが枯れる様を指す枯凋、今で言う町、村長を指す戸長……たーくさんあるんだよ。それが面白くてさあ」「面白いかなあ…」「分かってくれない…?」「いやっ…分かろうとすれば分かる」「分かってくれ」「んむむう」

 「なんか涼しくなった?」
 

こちょう

こちょう

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-08-06

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