きみの下の名前を知らない

岩波あらた

誰か、誰か彼女の下の名前を教えてください

 岩波由佳。みんな、岩波さん、岩波、ゆかちゃーん、ゆーかちゃーん、とかって呼ぶ。先生も、ゆかちゃん、ゆーかさーん、とか。
 彼女とは、まあ、幼馴染だ。よく遊んだなあ。絵が上手かった。彼女が言ってたけど、ノート一冊を数時間で絵で埋め尽くすらしい。「漫画もどきみたいのを、雑にかくだけだよ。1ページ五コマくらいなのをね。最近知ったけど、ネームってのがあって、それレベルの雑さなの。ぺぺっとかくから、数時間もあればすぐにできるの。今は忙しくてやってないけどー。あと、雑に描くのはなんか、その、本気で描くのもいいかなって。だからそれは最近やってない。」ネームとは、漫画の下書きらしい。それも彼女から教わった。彼女は俺みたいなテストの成績ビリに近い存在から見たら、雲の上みたいなレベルな高校に進学した。彼女は、本当は田舎であるここら辺でトップの女子高を目指していたらしいけど、怠けたのが原因で、ナンバー2の女子校へ進学した。これは盗み聞き。俺が偶然彼女の近くにいたら、彼女の友達とその話をしてたから耳に入ってきただけ。


 俺が弱音を吐けば励ますし、困っている人がいたら助けるし、時々理解し難い行動もとるけど、彼女なりの考えがあって。俺がからかうと普通に笑いながら怒るし、俺がからかって嘘をつくと当たり前のように騙されるし、東京に行ったお土産と言って沢山アニメグッズをくれたし、時々喧嘩もしたし、言っちゃいけなかったことを言ってしまった時は、上手くスルーしてくれたし、かなり失礼な行動を取るとかなり怒った。そういえば、彼女は本当に、素直にいい人だったな。


 彼女は、ある日、下向途中、面識のない男に殺された。無差別通り魔だった。
「きょう午後6時半過ぎ、下校途中の女子高生が何者かに殺害される事件がありました。犯人の男はその場で現行犯逮捕されており…」

俺は普通に号泣したし、彼女の友人は皆ひどく悲しんだ。



 あんなに仲良くしていたけど、彼女の下の名前が「ゆか」なのか、「ゆうか」なのか、曖昧だったんだ。幾度となく振り仮名がふられ、呼ばれたであろう彼女の名前。どうして今まで知ろうとしなかったんだ?あああ、聞いときゃよかったな、直接。「『ゆか』なの?それとも『ゆうか』なの?」きみがどんな反応をするかは脳内に映像になって流れてくるよ。
驚き、悲しみ、怒り、歓喜の混ざった口調で、「ひっどー!知らなかったん!?はーーーーーー…」と、彼女は俺が何度も尋ねないと答えないだろう。
「一度しか言わないかんね。『  』だよ」
「そっか!やっと分かったー。次聞いたら絶対怒るよねあなた」「ハア!?決まってんじゃん」「ハハハハ」


 アナウンサーの滑舌の良い報道で、ようやく分かった。
 「殺害されたのは、市内の高校に通う”いわなみゆか”さん15歳……」

きみの下の名前を知らない

きみの下の名前を知らない

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-08-04

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