山椒太夫
山椒太夫は森鴎外という軍医によって書かれたのだが、とてもやさしい語り口調なので私も書いておきたい。昔、といっても国司というのがでているから、源平時代の10世紀のころだろう。安寿と厨子王という姉弟と、その母と姥の四人が海沿いに、どこかへ旅していた。どこへ旅していたのかは忘れてしまった。小説は細かいことをおろそかにしてはいけない。四人は今日の宿をどこにするかで困っていた。波は岩瀬にあたり、すぐこわれる白い帆柱をむなしく繰り返しつくっている。海鳥が夕空を舞う。つかれましたね厨子王、と姉の安寿がいうと、はい、おねえさま、と厨子王が返事するところにこの姉弟の育ちのよさがうかがえる。それは、とりもなおさず作者の鴎外の育ちのよさなのである。するとまもなく四人は、注意書きのしてある立て看板をみつけました。それにはこう書いてあります。気をつけよう。暗い夜道とあまいことば。このへんには人買いがでます。四人は、おそろしいことです、といって、身を震わせた。するとそこに、萎烏帽子に小袴の水干の男がむこうからやってきた。なぜ、この男はこういう服装をしているかというと、今、手持ちに山川の詳細日本史しかなく、少しは、芥川のようにカッコよく難しい単語の形容詞の正確なのをかきたいのだが、ひとえに勉強不足。時代考証必ずしも正確ならず。時代背景も正確ではない。男は四人に、今日のお宿はもうおきまりですか、と聞いた。母親が、いえ、まだきまっていません、というと、男は、それならば、今夜は、うちの宿へとまってはどうですか、このへんは人買いがでます。あぶないところです。私は旅人を人買いから守るために宿をかしている山岡というものです。といった。母親は、それは、ありがたい心のお人です。ちょうど、とまる宿もみえてこなく、このようなところで日が暮れてしまっては、とほうにくれるところでした、と言って、四人はその男について行った。実はこの男こそが人買いなのである。自分が人買いのくせに、人買いに気をつけましょうなどと、ウソ千万をよくもぬけしゃあしゃあと言えたものだと思うが、鴎外は、四人が気づくまで、読者にも知らせないでいるが、感のいい、ほとんどの読者は、この男が現れた時点で、この男は怪しい男では、と疑うだろう。というか、この四人がおめでたすぎるのである。渡る世間に鬼はなし、と思ってるんちゃうか。これだから街頭のキャッチセールスには気をつけたほうがいいのである。さて四人はその晩、人買いの家にとまった。人買いは、内心しめしめと思いながらも、あたかもつかれた旅人をもてなす話術はもっていた。話題がほうふなように、世間話を半分自分の創作も加えて、よーしゃべるのである。今年のセ・リーグはどこが優勝しそうだとか、何だとかである。人買い、といえども夕食はだした。これがまたひどいの何のって、メシとメザシ一匹と、みそ汁いっぱいである。しかしこの四人は、どこまでおめでたいのか、とくに安寿と厨子王は、満面の笑みをうかべて、わあーおいしそー。いただきまーす。といって、ペチャクチャたべはじめるのである。おいしいね、厨子王、と安寿が言うと、厨子王も笑って、はい。おねえさまという。その夜、四人は、スースー寝た。翌日、山岡は、この先には難所が何ヵ所かありますので船で行きなんしょ、などといって男のおしの強さに母親はことわれず、船を舫っている所につく。すると、そこに二人の船頭がいた。山岡が連れてきた四人をみると、二人の船頭は、おーう、今回は上玉だなー、という。山岡は、ざっとこんなもんよ、と、かっかっかっ、と笑って返す。母親はたおれふして、ゆるしてください。私はどうなってもかまいません。ですがこの子達はまだ年端もいかない子供です。というと山岡は、ははは。お前が気づくのがおそすぎたのだ。だました方も悪いがだまされた方も悪い、とは、よくきく標語ではないか。そうさ。おさっしのとおり、このおれ様が人買いさ。まあ宿命だと思ってあきらめな。といって、母親とばあやを一人の船頭の船へ、安寿と厨子王をもう一人の船頭の船にのせた。母親はふところの中から、安寿には守本尊の地蔵様を、厨子王には父親のくれた護刀をわたした。おねえさま、と厨子王は自分の不安を安寿の瞳の中に求めた。安寿は、私達は人買いにだまされてしまったのよ。でもどんなことがあっても、わかれわかれになっても、心の中でなぐさめあい、はげましあってがんばりましょ。それを横で聞いてた船頭は、がっははは。ガキのわりにはしっかりしてるじゃねーか、そらよっ食いなっ。といって握り飯をわたす。二人はパクパクたべた。そだちざかりなのでおなかがへるのである。呉越同舟というよりは現実認識がとぼしい。朝三暮四。場当たり的。船は越中、能登、越前、若狭、の津々浦々をまわったが、なかなか買い手がつかない。むなしく、越中では越中褌、能登では能登アメ、越前では越前ガニ、若狭では若狭塗り、を買うだけに終わった。買い手がなかなかつかなかったのは、二人は、ただでさえ弱々しいのに、わかれわかれになることを思うとつらくなって、しょんぼりしてしまい、これでは労働力にならないと思われたからである。やっと丹後の由良の港で、山椒太夫という、手広く、何でもやってる男が、その二人を買った。二人はそこでこきつかわれた。低賃金どころか賃金そのものがない。労働基準法違反である。ここで安寿と厨子王に与えられたメシもひどいものであった。われたドンブリじゃわんに大盛りのメシとメザシ一匹とナッパを一切れぶっこんだみそ汁とタクワン一切れである。これをひもじく食べる二人を山椒太夫はごーせーな料理で、がっはっはっ、と言って、貧富の差をみせつけるように食べるのである。いわば飯場の生活。カニ工船、である。山椒太夫は安寿に小唄をうたわせたり、芸者のようなことをさせる。やはり、それが山椒太夫が安寿と厨子王を買った理由だろう。原作では、安寿と厨子王が脱走の話をしているところを山椒太夫の息子にきかれ、安寿と厨子王は焼け火箸で額に十文字の烙印をされる、となっているが、これはひどい。と思ったが、原作を読み直してみると、これは二人がそういう夢をみた、ということだった。二人は自由を求めて脱走した。姉の安寿はしっかり者で地理を知っている。脱走というのはスリルがあって面白く、スティーブ・マックィーンの大脱走に限らず、よく映画でつかわれる。ハラハラ、ドキドキものである。だが安寿は女だから、途中で息がきれてしまって、厨子王に、お前一人で逃げておくれ、私はもう走れない。この先をずっと行くと国分寺があるから、そこでかくまってもらいなさい。と言う。国分寺というのは七百四十一年、聖武天皇が仏教の鎮護国家による思想から、国ごとにつくらせた寺で何人も手をだせないセーフティーゾーンなのである。厨子王は涙を流して安寿のいうようにした。山椒太夫の追手の一団が安寿をみつけ捕らえた。やい。アマ。厨子王はどうした。と言うので、知りませんと答えると、どうせこの先の国分寺の住持雲猛律師のところに逃げこんだんだろう。そうなると、ちょっと手が出しにくい。やい、女、はけ、はかんとひどい目にあわすぞ、とおどすが、安寿はキッとニラミ返し、フン、人さらい、資本主義者、オニ、悪魔、変態性欲者、といってガンと口をきかない。山椒太夫の手下達は安寿をつれてかえり、厨子王が寺に逃げ込んだことをしゃべらせるため、さまざまな責め、にかけた。そこのところの細かい描写をかくことは本論ではない。どんな風に責めたかは読者の想像にまかせる。が、安寿も貴重な労働力なので、後遺症がのこるような責めではないだろう。安寿は拷責の最中、たえず、山椒太夫に向かって、オニ、悪魔、変態性欲者、とさけんでいたということである。安寿はその数日後、入水した。厨子王は国分寺のぼうさんによって、無事、国元にかえされた。僧は武芸、修業をよくし、テングのごとく山をかけぬける脚力があった。国元にもどった厨子王は安寿の死の知らせを聞くと、もうこの世の腐敗を正すためには自分この国の権力の上にたって世を治めなくてはならないと思った。もともと頭がいい子だったために、たいへんなつめこみ教育をうけはじめたが苦にはならなかった。四書五経をオボエ、ドイツ語、英語、フランス語を学び、十九才で東大医学部を卒業し、三十一才で陸軍軍医長になったという超人的なスピード出世である。元服した厨子王は正道と名のり、丹後の国守に任ぜられた。正道は人身売買を禁じ、安寿をねんごろに弔い、尼寺をたてた。ということである。
山椒太夫