地獄の話

カンダタは、地獄に落ちました。無理もありません。カンダタは、生きている時、泥棒、強盗、窃盗、強姦、など、さんざん、悪事を働いたからです。
地獄に、落ちたカンダタは、閻魔大王の前に、二匹の地獄の鬼に、両側から、両腕をつかまれて、連れていかれました。

閻魔大王は、閻魔帳を見ながら、おもむろに、
「カンダタよ。お前は、地獄、行きだ」
と裁判官のように、言いました。カンダタは、存外、素直に、
「わかりました」
と言いました。
しかし、カンダタは、口元に、ニヤッと、不敵な、笑いを浮かべました。
カンダタは、地獄の鬼に、連れられて、血の池に、連れていかれました。
右側でカンダタをつかんでいる鬼が、カンダタに聞きました。
「お前は、これから、永遠に地獄の責めに、あうのだぞ。どうして、そんなに、冷静でいられるのだ?」
と聞きました。カンダタは、自信ありげな表情で、
「それは、私は、地獄から、極楽へ、行く自信があるからです」
と言いました。
鬼は、ニヤッと、笑って、
「さあて。そう、上手くいくかな?」
とカンダタに、言いました。
血の池に、着くと、地獄の鬼は、
「さあ。入れ」
と、カンダタに命じました。
カンダタは、鬼に、言われて、素直に、血の池に、入りました。
地獄の血の池は、かなり熱く、カンダタは、
「あちちちちっ」
と、叫び声を上げました。
カンダタは、地獄のはるか上の方を見上げました。
そして、地獄の、はるか上空に向かって、
「おーい。お釈迦様。オレは、生きている時に、蜘蛛を、踏み殺さずに、助けたことがあるぞ。蜘蛛の糸を、垂らしてくれー」
と、大声で、叫びました。
しかし、地獄の上方からは、何の返事も、ありません。
カンダタは、同じ訴えを、何度も、叫びました。
「無駄だ。お前はバカだ」
と、カンダタの、隣りにいた、地獄の亡者が言いました。
「どうしてだ?」
とカンダタが、聞くと、地獄の亡者は、
「お前も、オレと同じ口なのだ」
と、一言、言ったきり、黙ってしまいました。
カンダタは、わけが、わからなくなって、夢中で、何度も、上空に向かって、
「おーい。お釈迦様。オレは、生きている時に、蜘蛛を、踏み殺さずに、助けたことがあるぞー。蜘蛛の糸を、垂らしてくれー」
と、大声で、叫び続けました。
あまり、カンダタが、しつこく、叫ぶので、とうとう、地獄の天上の方から、厳かな声が聞こえてきました。
お釈迦様の声でしょう。
「カンダタよ。お前は、愚か者だ。お前は、芥川龍之介の、蜘蛛の糸、の話を、保険にして、生きている間に、さんざん、悪事を働いても、地獄から、脱出できると、思ったのだろう。あれは、芥川龍之介の、創作だ。私は、たかが、蜘蛛一匹を、助けただけで、お前の犯してきた無数の罪を、帳消しにしてやろう、などとは、毛頭、考えていない。それでも、確かに、本当の慈悲の心から、蜘蛛を助けたのなら、ともかく。それを、逆手にとって、極楽に行こう、などと考える者に、地獄から、極楽へ行けるチャンスを、与える気など、毛頭ない。芥川龍之介の、蜘蛛の糸、の話は、極めて迷惑だ。あんな話を、作ったために、お前と同じように、蜘蛛を一匹、助けておいて、それで、極楽へ、行こうと、思ってしまった者が、あとを絶たない。お前の、回りにいる、亡者どもは、みな、お前と同じ魂胆の者だ。そして、そんな話を、作った、芥川龍之介も、懲らしめのために、地獄に落とした。のだ。しかし、まあ、芥川龍之介は、悪意があって、蜘蛛の糸、の話を書いたわけではないから、一ヶ月後には、極楽に送ってやる予定だ」
と、お釈迦様の声が聞こえてきました。
カンダタは、そうだったのか。しまった、と、嘆き、歯がみしましたが、もう、後の祭りでした。
カンダタが、ふと、視線を変えると、餓鬼道に、芥川龍之介が、紛れもなくいました。
芥川は、素早い動作で、鬼どもの、飯を掠めとっていました。
しかし、芥川は、何か、地獄の責めを楽しんでいる様子です。
無理もありません。
芥川龍之介は、「侏儒の言葉」で、こんなことを書いていましたから。

「・・・人生は地獄よりも地獄的である。地獄の与える苦しみは一定の法則を破ったことはない。たとえば餓鬼道の苦しみは目前の飯を食おうとすれば飯の上に火の燃えるたぐいである。しかし人生の与える苦しみは不幸にもそれほど単純ではない。目前の飯を食おうとすれば、火の燃えることもあると同時に、又存外楽楽と食い得ることもあるのである。のみならず楽楽と食い得た後さえ、腸加太児カタルの起ることもあると同時に、又存外楽楽と消化し得ることもあるのである。こう云う無法則の世界に順応するのは何びとにも容易に出来るものではない。もし地獄に堕おちたとすれば、わたしは必ず咄嗟とっさの間に餓鬼道の飯も掠かすめ得るであろう。況いわんや針の山や血の池などは二三年其処に住み慣れさえすれば格別跋渉の苦しみを感じないようになってしまう筈はずである」

おそらく、芥川は、生前の自分の予想が当たったことを、喜んでいるのでしょう。
カンダタは、さらに、別の方を見ました。
すると、何と、文豪の谷崎潤一郎が、鬼に責められていました。
鬼は、金棒で、グリグリと谷崎の体を責めていました。
カンダタは、どうして、谷崎潤一郎が、地獄に落ちたのか、わかりませんでした。
彼は、現世で、悪い事など、していないはずです。
しかし、もしかすると、世間では、知られていない、何か、悪い事をしたのかもしれないと、カンダタは思いました。
それで、カンダタは、閻魔大王に向かって、聞きました。
「閻魔大王。谷崎潤一郎は、どうして、地獄に落ちたのですか?彼は、現世で、何か悪い事をしたのですか?」
閻魔大王は、眉を寄せて、渋面をつくりながら、言いました。
「カンダタよ。谷崎潤一郎は、悪い事はしていない。極楽行きのはずだった。しかし。わしの前に、引き出された時、彼は、地獄で亡者を責めている鬼には、女は、いるか、と聞いてきたのだ。嘘は、言えんから、わしは、鬼には、女の鬼もいる、と正直に答えた。そうしたら、一目、その女の鬼を見せてくれ、と言ってきたのだ。わしは、彼が何を考えているのか、さっぱり、わからなかった。しかし、ともかく、女の鬼に会わせてやった。すると、彼は、極楽には、行きたくない。あの女の鬼に責められたい、と言ってきたのだ。それで、本人の所望とあれば、仕方がなく、彼を地獄に落としたのだ」
と閻魔大王は、厳かに言いました。
カンダタは、谷崎潤一郎を責めている女の鬼を見ました。
よく見ると、それは、確かに、女、の容貌をしていました。
その女の鬼は、「うる星ヤツラ」のラムに、そっくりの、綺麗で、グラマラスなプロポーションで、虎の皮の、ビキニを着ていました。
谷崎潤一郎は、女の鬼に、責められながら、「痛い。痛い。痛いけれど、幸せだ」と、叫んでいました。
閻魔大王は、渋面で、苦虫を噛み潰すような表情で、
「わしも、迂闊だった。わしは、人間の罪状だけは、閻魔帳で、全部、知っているが、それ以外のことまで、全部、知っているわけではない。彼が、マゾヒストで、女に、責められるのを好む、性癖を持っているとは、知らなんだ。地獄は、悪人を責める所で、ああいう、例外は、迷惑なのだ。地獄が地獄でなくなってしまうからな」
と厳かな口調で言いました。

さらに、カンダタは、別の方向を見ました。
すると、何と、極真カラテの、大山倍達がいました。
カンダタは、閻魔大王に向かって聞きました。
「閻魔大王。彼は、どうして、地獄に落ちたのですか。現世で、何か、悪い事をしたのですか?」
カンダタは、疑問に思って聞きました。
閻魔大王は、また、渋面を作って、渋々、言いました。
「彼にも、地獄に落ちる罪はない。極楽行きのはずだった。しかし、彼は、わしの前に、引き出された時、地獄の鬼は、強いか、と、聞いてきたのだ。わしは、もちろん、強い、と答えた。すると、彼は、そいつと、戦わせろ、と言ってきたのだ。地獄の鬼を、なめている、彼の不遜な、言い方、態度に、わしは、怒り、鬼の中でも、最強の鬼と、彼を戦わせてみたのだ。すると、彼は、最強の鬼に、勝ってしまった。こんなことでは、地獄の威厳が失墜してしまう。それで、わしは、地獄の鬼、100人と、彼を、戦わせた。すると、何と、彼は、鬼との100人組手に勝ってしまったのだ。それを、見ていた、地獄の亡者たちは、地獄の鬼とは、案外、弱いものなのだな、と鬼をなめるように、なってしまった。それで、それ以来、亡者たちは、一揆、だの、打ちこわし、だのと言って、全員で、鬼どもに反乱を起こすようになってしまったのだ。数から言えば、地獄の亡者たち、の方が、地獄の鬼ども、より、圧倒的に多い。亡者たちは、それ以来、まとまって、何度も、反乱を起こすようになってしまったのだ。そこで、仕方なく、地獄の鬼どもを、鍛えるために、大山倍達に頼んで、空手の指導をしてもらうことにしたのだ」
閻魔大王は、そう言って、大山倍達の方を、指差しました。
すると、その方向には、地獄の鬼ども、が、「エイシャ。エイシャ」と掛け声を掛けながら、正拳突きの訓練をしていました。
また、汗を流しながら、腕立て伏せ、を、している、鬼どもも、いました。
大山倍達は、鬼どもに、向かって、「気合いを入れろー」と、怒鳴って、鬼どもに、空手の指導をしていました。
閻魔大王は、
「まあ。幸い。彼の指導のおかげで、鬼どもも、強くなり、亡者たちの、一揆も、鎮圧できるようになった」
と厳かな口調で言いました。

カンダタは、方向を変えて、別の方を見てみました。
すると、何と、一人の、女が、地獄の亡者たちを、介抱していました。
カンダタは、吃驚して、閻魔大王の方を向いて、聞きました。
「閻魔大王。あれは、一体、何なんですか?」
閻魔大王は、眉を寄せて、口を開きました。
「ああ。あれか。あの女は、ナイチンゲールだ。彼女は、極楽に居たのだが、ある時、釈迦の目を盗んで、地獄に、飛び降りて来たのだ。わしは、ここは、お前の来るところではない。極楽に戻れ、と厳しく、言ったのだが、彼女は、「私の使命は、苦しむ者を介抱することです。たとえ、それが、善人であろうと、悪人であろうと、関係ありません。なので、極楽には、戻りません、と言って聞かんのだ。これには、わしも、ほとほと困ってしまった。これでは、地獄が地獄でなくなってしまうからな」
と閻魔大王は言いました。

カンダタは、方向を変えて、別の方を見てみました。
すると、地獄の鬼たちが、野球をしていました。
しかし、一人、投手だけは、鬼では、ありませんでした。
カンダタは、吃驚して、閻魔大王の方を向いて、聞きました。
「閻魔大王。あれは、一体、何なんですか?」
閻魔大王は、眉を寄せて、口を開きました。
「ああ。あれか。見てわかるだろう。野球だ。あの、投手は、沢村栄二だ。彼は、太平洋戦争で、戦死した。彼も極楽行きのはずだった。しかし、彼は、よほど、野球に未練があったのだろう。わしが、極楽行き、を告げると、彼は、極楽で、野球が出来るか、と聞いてきたのだ。わしが、極楽は、ただ、寝るだけの世界だ。と、言うと、彼は、それなら、極楽には、行かん、と言ったのだ。彼は、鬼どもは、いとも、容易そうに金棒を振っているが、オレの投げた球を、ヤツラじゃ打てん。と不遜なことを言ったのだ。それで、わしは、迂闊にも、お前の球を、鬼どもの内、一人でも、打てたら、特例として、地獄に、置いておいて、やる、と言ってしまったのだ。そうして、彼に、投げさせ、鬼どもに、打たせてみたら、彼の剛速球に、一人も掠ることが出来なかったのだ。仕方がないので、鬼がお前の球を打てるようになるまで、地獄に、置いておいてやる、と言ってしまったのだ。鬼どもも、必死に、野球を練習するように、なったのだが、未だに、彼を、打てるようには、ならんのだ。なので、彼はいまだに、地獄にいるのだ。まあ、野球も腕力を鍛えることになるから、空手と、同じように、地獄としては、不本意だが、認めているのだ」
カンダタが、野球をしている鬼どもの方を見ると、沢村栄二は、
「沖のカモメと、さすらい野球の投手はよー。どこで死ぬやら、果てるやらー。オレが死んだら、三途の河原でよー。鬼を集めて、野球する、ダンチョネー♪」
と歌いながら、剛速球を投げていました。



平成27年6月6日(土)擱筆

地獄の話

地獄の話

  • 小説
  • 短編
  • サスペンス
  • ホラー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-07-28

Copyrighted
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