謎のキリカゼ忍法帖!? なんだしっ✚
Ⅰ
「ぷっぷっぷ~♪ ぷーりゅぷっぷ~♪ かーいばがほーしいかそーらやーるぞ~♪」
「それは鳩をうたった歌では……」
脱力しながら。
相変わらずの意味不明な歌に、アリス・クリーヴランドは自然とツッコミを入れてしまう。
「馬がうたわれちゃいけないって言うし?」
ぷりゅ。白馬の白姫(しろひめ)ににらまれたアリスはあわてて、
「そ、そんなこと言ってないですよ!」
「そうなんだし。これでいいんだし」
「これで?」
そして、
「ぷりゅでーいいのだ~♪ ぷりゅでーいいのだ~♪」
「なんですか『ぷりゅでいい』って!」
続けての意味不明な歌に絶叫してしまう。
するとそこに、
「ぷりゅでーいいのだ~♪」
「ええっ!?」
目を見張る。
「セ……セスティじゃないですか!」
「ぷりゅ」
うなずかれる。白姫より小柄な、前たてがみのぴんとそりかえった白馬に。
「なんで、セスティまでうたってるんですか!」
「うたうんだし」
ぷりゅ。白姫が言う。
「セスティはシロヒメの舎妹(しゃまい)だし」
「ぷりゅっ」
その言葉にうなずくセスティ。
「舎妹って」
いまさらながらその言葉にはあぜんとなってしまう。舎弟――その妹版ということらしいのだが。
(普通に『妹』でいいじゃないですか)
いつもそう言いたくなるものの、白姫がセスティをかわいがっているのは確かで、彼女もその呼ばれ方を嫌がっていない。
結局、現状のままということになってしまっている。
(というか)
いまは『そこ』が問題ではなくて、
「なんでうたってるんでしょう……」
「ぷりゅ?」
「だから、その、セスティまで」
「うたうんだし」
何を言ってるんだというようにあらためて鼻を鳴らし、
「セスティはシロヒメをそんけーしてるんだし。アネゴであるシロヒメを」
「は、はあ」
「だからうたうんだし。シロヒメみたいになりたくて」
「白姫みたいに!?」
それは正直なってほしくないというか――
「ぷりゅっ」
元気いっぱいのいななきがあがる。
「アタイ、アネゴみたいな白馬になるんだ」
「セスティ……」
「だから、歌もアネゴみたいにうたえるようになるんだっ」
「ぷりゅー」
いとおしそうに鼻をすり寄せて、
「いい心がけなんだし。さすがシロヒメの舎妹だし」
「ぷりゅっ」
セスティもうれしそうに鼻先をこすり合わせる。
「う……」
何も言えない。仲の良い姉妹そのものの姿に、何かよけいな口をはさむことはとてもできなかった。
(でも……)
やっぱり『舎妹』『アネゴ』はどうかと思ってしまう。
と、そんなアリスの気持ちをよそに、
「はーくばはうたうーよー、いーつまーでも~♪」
「ぷんりゅりゅんりゅりゅーりゅ、ぷんりゅりゅんりゅりゅーりゅ♪」
歌声が重なり響く。
(『いつまでも』はうたわなくていいんじゃないでしょうか……)
早くも三曲目の歌に、脱力しながらそう心の中でつぶやく。
そんな――
人にとっても馬にとっても平穏な時間が流れていた。
このときまでは。
Ⅱ
「ぷりゅ!」
白姫が驚きのいななきをあげる。
「今日も来てないんだし、キリカゼ?」
「ええ」
赤褐色の馬――麓華(ろっか)がかすかに心配そうな表情でうなずく。
「なんでだし!」
「『なんで』と言われても」
一方的な問いかけにむっとなりつつ、
「わかりません。あの子が何も言わずに学校を休むことは幾度かあったでしょう」
「あったんだし」
ぷりゅ。うなずく。
「謎なキリカゼなんだし」
「謎というか……つかみどころのない馬ではあります」
「ぷりゅーっ」
パカーーーン!
「ぷりゅぐふっ」
思わぬ後ろ蹴りにたまらず吹き飛ぶ。
「なんだし、それ。なに、友だちの悪口言ってんだし」
「わ、悪口など言っていません! 『つかみどころがない』と言っただけです!」
「当たり前なんだし」
何をいまさらと、
「キリカゼは忍馬(にんば)なんだし」
確かに、桐風(きりかぜ)――白姫たちの友馬である青鹿毛の彼女は『忍馬』を自称している。しかし、
「そもそも何なのでしょうか、忍馬というのは」
「馬の忍者だし」
「いえ、そのようなもの、桐風以外に聞いたことが」
「忍者の馬じゃないんだし」
「えっ」
「『忍者の馬』だと『忍者を乗せる馬』ということになってしまうし」
「は、はあ」
「それは違うんだし。キリカゼはシロヒメたちと同じ『騎士の馬』なんだし」
「その通りですが」
「だから『馬の忍者』なんだし」
「って、そういうことを話しているのではありません!」
いつの間にか本筋からずれていることに気づいた麓華が声を張る。
「わたしが言いたいのは『忍馬とは何か』ということです!」
「分身するんだし」
「し、しますけど」
「手裏ヒヅメとか投げるんだし」
「手裏ヒヅメ!? 手裏剣のヒヅメ版ということですか!」
「あのー」
そこにおそるおそる、
「いまはそういうことを話しているときじゃない……ですよね」
「ぷりゅ!」
「う……」
白姫がはっとなり、麓華は気まずそうに脇を見て、
「その通りです、マリエッタ」
「ぷりゅ」
白姫と同じ白馬のマリエッタが安堵の微笑を見せる。
「桐風さんが学校を休んでもう一週間です」
「一週間なんだし!」
再び勢いづき、
「長すぎなんだし! いくらキリカゼが忍馬でも!」
「それと欠席の長さは関係ないと」
「あるかもしれないんだし。なんか、秘密の任務とかが長引いてるのかもしれないんだし」
「秘密の任務……ですか」
「そうだし!」
ぷりゅ! いきり立って、
「秘密の任務だから、周りには秘密なんだし!」
「何を当たり前のことを」
麓華があきれる中、
「秘密だから、もちろんキリカゼがいまどうなってるか誰も知らないんだし! ピンチになっててもわからないんだし!」
はっと。麓華とマリエッタが息をのむ。
「そうだ! アネゴの言う通りだ!」
そばで話を聞いていたセスティも鼻息を荒くする。
「アタイにとって桐風のアネゴもアネゴだ! 舎妹として何もしないわけにいかないだろ!」
「お、落ち着いて、セスティ」
マリエッタがあわててなだめる。
「そうと決まったわけじゃ」
「決まってからじゃ遅いんだし!」
「ぷりゅぅっ!」
白姫とセスティが共にいななき、
「セスティ!」
「ぷりゅ!」
「行くんだしーーっ!」
一目散に駆け出していく。
「セ、セスティ」
「なんということ……」
あわてるマリエッタの横で麓華が暗澹となり、
「未来あるセスティが、あの駄馬にますます似てきてしまって」
「い、いまはそんな心配よりも!」
そこに、
「あ、あのぉ」
先ほどのマリエッタよりおどおどとして、
「何かありました?」
「ぷりゅ!」
跳びあがる麓華。たちまちがたがたとふるえ、
「殺(ぷりゅ)さないでください……わたしにはお父様が」
「ろ、麓華さんっ」
あたふたと、
「やめてくださいっ。わたしはただ何があったのか聞きたいと……教師として」
教師――
そう、いま麓華とマリエッタの前にいる眼鏡をかけた女性は〝学園〟で教育者の立場にある栗毛馬のモーリィだった。
サン・ジェラール――それは〝騎士の学園〟のある島。
そこには、当然のように騎士が乗る馬たちも数多くいる。
その学習の場としてこの『騎士の馬の学園』はあった。麓華やマリエッタ、そして走り去っていた白姫たちもその生徒である。
「何があったんですか」
あらためて。
モーリィは麓華たちにそう聞いた。
「ぷりゅーーっ」
パカーン!
「うわっ」
扉を蹴破る勢いで建物の中に入ってきた白姫たちに驚きの声があがる。
「いたんだし!」
驚きの声をあげた――探していたその相手をさっそく見つけ、
「何があったんだし!」
「え……え?」
突然詰め寄られて彼女――鏑木錦(かぶらぎ・にしき)は目を丸くする。
「えーと」
すこし考えるように視線を泳がせ、
「今日は授業がお休みだったからね。それで寮にいたんだけど」
「ニシキのこと聞いてんじゃねんだしーっ!」
ぷりゅーっ! 激しくいななきをあげる。
「じゃあ、なんなの?」
「『なんなの』じゃないんだし!」
ぷりゅしっ! 錦をヒヅメさして、
「キリカゼをどこにやったんだし!」
「えーと……え?」
「なに、とぼけてんだしーっ!」
「うわぁっ」
またもいきり立つ白姫にあわてて、
「き、桐風がどうかしたの?」
「まだとぼけるつもりなんだし」
ぷりゅぷん。頬をふくらませると後ろのセスティを見て、
「ほら、一緒に怒るんだし」
「ぷりゅ!?」
「遠慮しなくていいんだし。どうせニシキだから」
「『どうせ』って」
たまらず苦笑して、
「ぼく、怒られるようなことした?」
「だから、とぼけんじゃねーーしっ!」
「ぷ、ぷりゅーっ!」
白姫にうながされたセスティも一緒に怒ってみせるが、
「かわいいなあ」
「ぷりゅ!」
逆に頭をなでられてしまう。
「って、なに、セスティをろーらくしようとしてんだしーっ!」
ますますいきり立って、
「なんて油断できないニシキなんだし。見た目イケメンだからって」
「ふふっ。ありがとう」
「ほめてねーしーーっ!」
怒り続ける白姫だが、錦は愉快そうに笑うばかりだ。
「キミがセスティちゃんだよね」
「ぷりゅ?」
「桐風から聞いてるよ。白姫ちゃんの、えーと……シャマイだって」
「ぷりゅっ」
そのことに誇りを持っているというようにすぐさまうなずく。
「って、そのキリカゼなんだしーっ!」
すかさず白姫が声を張る。
「なんでだし! なんでずーっと休んでるんだし!」
「ああ」
納得したようにうなずく。
「って、なに落ち着いてるんだしーっ! ニシキは騎士なんだし! 馬のことを気にかけないなんて騎士失格なんだし!」
白姫の言う通り――
錦は騎士たちの主権実体〝現世騎士団〟に所属する〝大騎士(アークナイト)〟であり、桐風はその愛馬だ。一心同体である馬のことを気にかけないというのであれば、確かに失格呼ばわりされても仕方がない。
「ひょっとして」
疑わしげな目つきで、
「キリカゼのこといじめたりしてるんだし? 学校にも来させないような」
すると、
「里帰りなんだ」
「ぷりゅ?」
不意の言葉に目を丸くする。
「ごめんね。桐風、みんなに言ってなかったみたいで」
「………………」
白姫は、
「……さとがえり?」
「うん」
「ぷりゅー」
戸惑うようにしばらく息をもらしたあと、
「って、何なんだし、里帰りってーーーーっ!」
「うわぁっ」
またも不意に激昂され、驚きのけぞる。
「あの、里帰りっていうのは、ふるさとに帰ることで」
「意味聞いてんじゃねーし! なんでこんないきなり里帰りなのかって聞いてんだし!」
「それは」
目が伏せられる。
「帰るよう連絡があったからって。そう言ってた」
「それで? 他には」
「……それだけ」
「ぷりゅー」
不満げな鼻息で、
「なんで、ちゃんと聞かねーんだし」
「それは」
伏せられた瞳がゆれる。
「それが、まあ、ぼくたちのルールっていうか」
「るーる?」
「うん」
なんでもないというように微笑し、
「あんまりお互い干渉しすぎないっていうか。ほら、キリカゼ、そういうベタベタした感じが好きじゃないし」
「かんしょーとかそういう問題じゃないしーっ!」
「うわぁっ」
何度目になるだろう。突然いきり立つ白姫にまたものけぞる。
「おかしいんだし!」
ぷりゅしっ! ヒヅメさし、
「ニシキは騎士で、キリカゼは騎士の馬だし」
「う、うん」
「だったら、もっと仲良くするんだし!」
「仲が良くないわけじゃ」
「あるんだし!」
断言する。
「仲良しだったらベタベタしていいんだし。シロヒメとヨウタローみたいに」
ヨウタロー――白姫の主人である花房葉太郎(はなぶさ・ようたろう)の名前を出され、錦の表情がかすかに曇る。
「葉くんのところは……そうだよね」
「そーだし」
当たり前だ! と胸を張る。
「シロヒメたちのところが騎士と騎士の馬の正しいあり方なんだし」
「うん……」
「キリカゼにも、そこのところちょっときょーいく的しどーしないといけないんだし」
「えっ」
錦が目を丸くし、
「あの、だから、桐風は里帰りで」
「行くんだし」
ためらいなく。言う。
「シロヒメのほうから行くし。キリカゼのところに。キリカゼのふるさとに」
「ええぇっ」
驚きの声があがる。
「ちょっ……遠いんだよ?」
「カンケーないんだし」
言い切る。
「そんななのなんとかなるし。ぷりゅーか、なんとかするんだし。だって、友だちのためなんだから」
「……!」
はっと。胸をつかれたような顔になる。
「友だちのため」
「そーだし。シロヒメとキリカゼは馬同士の友だちなんだし。ウマ友なんだし」
「ぷりゅ! さすがアネゴ!」
尊敬のまなざしを向けるセスティを前に、ますます得意げに鼻先をそらす。
「ぷりゅーわけで行くし!」
「ぷりゅ!」
「あ、ちょっ……えっ、セスティちゃんも!? いやその、突然すぎるんじゃ……ち、ちょっとーーーっ!」
Ⅲ
「ぷりゅー❤」
緑の香りを胸いっぱいに吸いこんだ白姫がごきげんの鳴き声をあげる。
「気持ちいいんだしー」
「ぷりゅ」
隣にいるセスティもうなずく。
「あ、見るんだし」
木々の向こう。見渡す限りに雄大な山々が連なっている。
「セスティ、一緒に山に向かって叫ぶし」
「ぷりゅ?」
「知らないんだし? 山を見たらそこに向かって声をあげるのはじょーしきなんだし」
「ぷりゅー」
感心したという息をもらす。そして、
「ぷりゅっほー」
「ぷ、ぷりゅっほー」
白姫に続いてセスティもいななく、
鳴き声が響き合い、山びことなって返ってくる。
「ぷりゅ! 向こうも『ぷりゅっほー』って言った!」
「そうなんだし。これが山の醍醐味だし」
「ぷりゅー」
ますます尊敬のまなざしになるセスティ。白姫は得意満面で鼻先をそらす。
「さー『ぷりゅっほー』の後はうたうんだし」
「ぷりゅ!」
そして、
「ぷーりゅりゅとーびー、ぷりゅりゅこえ~♪ ぼくらのまちへーやってきた~♪ シロヒメちゃんがーやってきた~♪」
そこへ、
「遊んでいる場合ではないでしょう、あなたたち」
あきれ顔の麓華が割って入る。
白姫はたちまち不機嫌な顔になり、
「ぷりゅふんっ。シロヒメとセスティが仲良しだからって嫉妬してんじゃねーし」
「していません」
「ぷりゅ! じゃあ、セスティと仲良くしたくないって言うんだし? かわいくないって言うんだし?」
「そんなことは言ってないでしょう!」
早くもケンカになりそうな流れに、マリエッタがあわてて、
「や、やめてください! やめ……」
「ぷりゅ!」
「う……」
その目に涙が盛り上がり始めたのを見て、はっと動きを止める白姫と麓華。
「な、泣いちゃだめだし、マリエッタ」
「ごめんなさい……」
「あなたがあやまる必要はありません。悪いのはこの駄馬で」
「誰がダバだしーーっ!」
「うう……」
「!」
本当に泣き出しそうな彼女を前に怒りもたちまちしぼむ。
「どうしたんだし。もうマリエッタは泣き虫じゃないんだし」
「ごめんなさい……」
「あ、あやまらなくていいんだし」
「あなたが責めるようなことを言うから」
「言ってないんだし! 言いがかりだし!」
「桐風さんなら……」
はっと。
「こんなとき、何事もなかったようにケンカを止めてくれます」
「ぷりゅ……」
「それは……」
複雑な表情になる白姫と麓華。確かに、桐風は馬あしらいがうまく、笑顔でケンカの矛先をそらしてしまうようなことがよくあった。いつもそれに乗せられる白姫たちとしては、正直微妙な心境なのだ。
「もし」
あらためてマリエッタの目に涙の粒が光り、
「こんなふうに桐風さんがいないままだったらどうしよう……そう思ってしまって」
「なに言ってんだよ!」
セスティが声をあげる。
「その桐風のアネゴにアタイたちは会いに来たんだろ!」
「ぷりゅ! そ、そうだし!」
白姫もあわてて、
「そのためにシロヒメたちはここまで来たんだし! ただのハイキングじゃないんだし!」
「ハイキング同然に楽しんでいたのはあなたでしょう」
「うっかりミスだし」
「なんて都合のいい……」
いら立ちをにじませるも、
「いいねー」
はっと。錦のつぶやきを耳にして、
「申しわけありません! 騎士様みずから道案内をしてくださっているというのに」
「ううん、いいのいいの」
本当に気にしていないという顔で手をふる。
その目が愛おしそうに細められ、
「いいね」
あらためて言う。
「ホントにいいね、白姫ちゃんたち」
「ぷりゅー、やっぱりー? やっぱり、シロヒメ、かわいいー?」
「そういうことをおっしゃっているのではないでしょう」
自分に都合よく解釈する白姫に、すかさず麓華がクギをさす。
「仲良しだもんね、本当にみんな」
「そうだ!」
うれしそうにいなないたのはセスティで、
「アタイとアネゴたち、すげー仲良しなんだ! いつも一緒なんだ!」
「だよね」
優しく微笑みかけるも、その瞳はゆれ、
「いつも一緒で……言いたいことを言い合えてる」
「ぷりゅっ」
錦の微妙な変化に気づかず、セスティは笑顔でうなずく。
「桐風のためにって、こんな遠くにまで来てくれる。本当にすごいよ」
白姫が錦のところに殴りこみ、もとい蹴りこみをした後。
自分たちだけで突っ走りそうな彼女を放っておけないと、なんと、錦は自ら案内を買って出た。もちろん、主人の葉太郎を始め、周りの者たちは突然のことに困惑したが、最終的にはやはり錦が後押しをした。
友だちを想う気持ちを――尊重してあげてほしいと。
そこに、麓華とマリエッタも加わることになった。
白姫の相手に慣れているということに加え、彼女たちもまた桐風のことを心配していたために。
こうして大所帯で海を渡ってきた一同だが――
「ぷりゅふん」
不機嫌そうに白姫の鼻が鳴る。
「ニシキの道案内で思い出したんだし。どーして人間はニシキだけなんだし。ヨウタローも一緒に来ればよかったのに」
「ぼくが止めたんだよ」
「ぷりゅ!」
思わぬことを聞いたというように眉が逆立つ。
「なんだし、それ! シロヒメたちが仲良くするのを見るのがイヤだったんだし? 嫉妬したんだし!?」
「なんでもかんでも嫉妬に結びつけるのはやめなさい」
脇から麓華がいさめるも、
「ぷりゅーっ」
パカーーーン!
「ぷりゅぐふっ」
「落ち着いて、落ち着いて」
麓華を蹴り飛ばす白姫をあわててなだめる。
「違うんだよ、白姫ちゃん」
「何が違うんだし!」
「それは」
かすかに表情が引き締まり、
「人間は……あまり多くないほうがいいから」
「ぷりゅ?」
そのときだった。
「そこまでだ、くせ者たち!」
響いた。
木々の間にこだまするようにしていななきが。
「!」
はっと身を固くする一同。
「誰だし!」
真っ先に白姫が辺りを見渡し、声を張り上げる。
「変なこと言うなだし! シロヒメ、くさくないんだし! 清潔だし!」
「そういう意味ではありません、『くせ者』というのは!」
麓華がツッコむ中、
「はっはっはー」
返ってきたのは高らかな笑い声。
「どこだし! どこなんだし!」
きょろきょろと。頭をめぐらせるも声の出どころをつきとめることができない。
さらに一同はあることに気づかされる。
「麓華さん……」
「ええ」
わからない。
声だけでなく。
それを放っているもののにおいを感じ取れない。
そして、先ほどまで清々しく感じていた緑の香りがいまは不自然にきつくなっている。何か意図的にばらまかれたものという印象だ。
「ぷりゅー」
攻撃。明確なその意志を察し、白姫たちは身構える。
と、錦が声を張る。
「待って!」
ざわざわと。木立がゆれる。
「この子たちは桐風の友だちなんだ!」
ざわ、ざわり。
「キリ姉(ねえ)の……」
直後、
「ぷりゅぅっ」
ずざざざざざっ!
「ぷりゅ!?」
悲鳴と共に落ちてきた人影――でなく馬影に白姫が驚きいななく。
「ぷりゅりゅりゅりゅ……」
涙目になっている小柄な青鹿毛馬の少女。
と、白姫たちの視線に気づき、
「ひっ、卑怯だぞ!」
あたふたと立ち上がる。
「キリ姉の名前で油断させ……って」
ぷりゅ? 首をひねる。
「なんで、キリ姉のこと……」
「言ったでしょ」
近づく。
「ぷ……!」
緊迫した空気の漂う中、無造作に接近してきた錦に青鹿毛の少女は反応できなかった。
「みんな、桐風の友だちなんだよ」
なでなで。
「ぷ、ぷりゅ……」
戸惑いに瞳をゆらす。
しかし、頭をなでるその手を払おうとはしなかった。
「……本当に?」
おそるおそる。
「本当にキリ姉の友だちなの」
「そーだし」
白姫が前に出る。そして、胸を張り、
「ほら。どう見ても友だちなんだし」
「何を意味のわからないことを言っているのですか」
あきれて麓華がつぶやく。
「………………」
言葉に迷う少女。と、
「そっくりだね」
再び頭をなでられ、
「ぷりゅー」
心地よさそうに目を細める。
「本当にそっくりだよ。昔の桐風と」
「ぷりゅ!」
息を飲み、
「ひょっとして」
「ん?」
「錦様!? キリ姉の……ご、ご主人様の」
そこだけぎこちなく言う。
「そうだよ」
うなずく。
「キミは里の子だよね」
「ぷ、ぷりゅ」
こちらもうなずく。と、すぐにはっとなり、
「あの、里のことは秘密で」
「知ってる」
錦はうなずき、
「だから、ぼくたちだけで来たんだ」
「ぷりゅ……」
それでも不安そうな様子だったが、
「ぼくたちはね」
優しく。ささやきかける。
「桐風に会いたくてここまで来たんだよ」
「………………」
やがて、
「……約束」
「ん?」
「約束……してくれる?」
年相応の愛らしさをにじませた目で、
「キリ姉の力になってくれるって」
「えっ」
錦の表情がかすかに曇る。
と、すかさず、
「早くつれてくんだしーーーーっ!」
「ぷりゅっ!」
白姫に勢いよく迫られ、少女が跳びあがる。
「やっぱり、キリカゼに何かあったんだし! シロヒメの心配が当たったんだし!」
「ぷ……ぷ?」
「ほら、早くするし、チビッ子」
「ぷりゅ!」
少女は肩をいからせ、
「チ、チビッ子じゃない!」
「じゃあ、何だし」
「朱里風(しゅりかぜ)だ!」
力いっぱい口にする。
「シュリカゼ」
「っ……」
真剣な顔で白姫に名前を呼ばれ、思わずはっとなる。
「つれていってほしいんだし」
「ぷ、ぷりゅ……」
「キリカゼのところに。お願いだし」
「………………」
朱里風は、
「お願いのこと、忘れてないよね」
「ぷりゅ」
うなずく。
「約束するまでもないし。何かあったとき力になれないで友だちなんて言えないんだし」
「ぷりゅ……!」
目が見張られ、そしてうらやむように、
「本当に友だちなんだね」
「ぷりゅ」
「あの」
すかさず何か言おうとしたが、その言葉はのみこまれる。
「何だし? 何かあったら言うんだし」
「で、でも」
おどおどと。伺いつつ、
「もし、友だちっていうのが嘘だったら」
「ぷりゅ!」
白姫――でなく、いきり立ったのはセスティだ。
「アネゴは嘘なんかつかない!」
「ぷ……ぷりゅ」
「アネゴは騎士の馬なんだ! 嘘なんてついたりしないんだ!」
「落ち着いて」
それを錦がなだめる。
「きっと悪気はないんだよ。だって」
静かなまなざしで、
「忍馬なんだよね」
ぴくっとなる朱里風。セスティははっとした目で、
「忍馬……桐風のアネゴと同じ」
「ぷりゅ! 桐風の『アネゴ』!?」
「そうだ。アタイにとって桐風のアネゴもアネゴなんだ」
「ぷりゅぅ……」
小さな身体から力が抜ける。
「同じなんだね」
「ぷりゅ?」
「キリ姉のことは、キリ姉だから」
「ぷりゅー」
セスティの表情もやわらぐ。
「同じだな」
「ぷりゅ」
微笑みあう。
「わかった」
笑顔のまま、
「信じる」
朱里風は言った。
「みんなを案内する――」
その表情が再びかすかにこわばり、
「忍馬の里に」
Ⅳ
「よかった」
深い森の中に分け入っていきながら。
錦が言う。
「朱里風に会えて。本当に」
「ぷ、ぷりゅ」
突然ほめられた朱里風の頬が赤くなる。
「だって」
錦はあっけらかんと、
「忍馬の里ってどこにあるかわからなかったからねー」
「ぷりゅ!?」
聞き逃せないその言葉に、
「なんてこと言ってんだし、ニシキ!」
白姫がいななく。
「道案内のくせに行き先がわかってなかったとか、どーゆーことなんだし!」
「まあ、この辺りの山の中にあることはわかってたから」
「大まかすぎなんだし!」
「この辺りの山の中らしいって」
「しかも、『らしい』なんだし!」
怒りの鳴き声がこだまする。
「しーっ」
朱里風がヒヅメを自分の口もとに当てる。
「静かに。あんまり里のみんなを……刺激しないで」
「ぷりゅぅ?」
白姫は首をひねり、
「さっきから何なんだし、それ」
「ぷりゅ?」
「だって」
心から不思議だという顔で、
「けーかいしすぎなんだし。シロヒメたち、悪者じゃないのに」
「そ、それは」
「わからないでしょう、そんなことは向こうに」
あきれて麓華が言う。
しかし、白姫は納得できないと、
「わかるはずなんだし! こんなにかわいいシロヒメなんだから!」
「それと悪者でないことと何の関係が」
「あるに決まってるし。かわいいシロヒメが悪者のわけないんだし。ねー、シュリカゼ」
「ぷりゅ!?」
「やめなさい、朱里風を困らせるのは」
ますますあきれてみせるも、
「困らせてないんだし。シロヒメとシュリカゼはもう仲良しだし。ねー」
「ぷ、ぷ……」
戸惑いの息をもらすばかりの朱里風。
「だから、やめなさい。明らかに困っているでしょう」
「困ってないんだしーっ!」
あくまで主張はゆずらないといななく。
と、朱里風がはっとなり、
「だから、静かに」
「大丈夫だし。シロヒメはかわいいから」
「ぷ、ぷりゅ……」
あまりに自信満々な白姫を前に声をなくしてしまう。
「かわいいシロヒメ、ぷりゅぷりゅ♪ かわいいシロヒメ、ぷりゅぷりゅ♪」
歌まで始まってしまうが、やはり何も言うことができない。
そこに、
「白姫さん」
マリエッタが近づく。
「自信がないんですか?」
「ぷりゅ!」
思わぬ挑発的な言い方に驚き、
「な、なに言ってんだし、マリエッタ。シロヒメ、自信あるんだし。自信たっぷりにかわいいんだし」
「そこではなくて」
マリエッタは冷静に、
「潜入です」
「ぷりゅ?」
「朱里風さんはわたしたちに『静かに』と言いました。つまり、これは潜入ミッションです」
「せんにゅーミッション?」
「はい」
うなずく。
「潜入ミッションには技術と繊細さが求められます。その自信が白姫さんにないのではないかと」
「あるんだし!」
すかさず言う。
「シロヒメ、賢いんだし! それくらいよゆーだし!」
「ですよね」
にっこり。微笑む。
「みんな! 静かにするんだし。これはせんにゅーミッションだし」
「あなたが一番騒いでいたのでしょう」
「そこ、うるせーし! いいから静かにするんだし!」
そして、
「ぷりゅ足、ぷりゅ足、ぷりゅり足~」
「忍び足ということですか、それは」
「いいから後ろについてやるんだし。ほら、セスティとシュリカゼも」
「ぷ、ぷりゅ!」
「でも、先に立たないと道案内が」
「いいから来るし! ぷりゅ足、ぷりゅ足」
「ぷりゅり足~」
打って変わって、慎重にヒヅメを進め始める白姫たち。
そんな姿にマリエッタはほっと息をつく。
「ありがとう」
そこに錦が声をかける。
「い、いえ。アドバイスをいただけたから」
アドバイス――
マリエッタが白姫に言ったことは、すべてこうしたらと錦に教えられたものだった。
「ううん」
なんでもないと笑みを見せ、
「桐風だったら、こうするかなと思ったから」
はっと。
「錦さん……」
「ん?」
「あ、いえ」
桐風の名を口にしたときの微妙な表情のゆれに気づくも、マリエッタはそれ以上は何も言わなかった。
「ほら、ぼくらも行こう」
「あ……は、はい」
歩き出す錦に、マリエッタもあわててついていった。
「まだなんだしー?」
早くも――というには白姫としてはがまんしたほうだ。
ますます深く、そして日の入らなくなっていく森の中を長時間行くことは、他の者たちにとっても忍耐を必要とされることだった。
「ぷりゅーか、本当にこっちであってるんだしー?」
「あ、あってる」
あわてて朱里風が言う。ちょっぴり憤慨した顔で、
「忍馬が里の場所を間違えるわけないっ」
「その『里』が問題なんだし」
「ぷりゅ?」
「さっきも言ったけど、なんでこんなところに隠れるみたいにして住んでるんだし。なにか悪いことでもしてるんだし?」
どきっと。朱里風の身体がこわばる。
「やめなさい」
麓華がたしなめる。
「あなたはどうしてそう無神経なんです。会ったばかりの相手に向かって」
「むしんけーじゃねーし! 気になったから聞いただけなんだし!」
「それが無神経なのです!」
またもケンカが始まりそうなところへ、
「悪くないっ」
不意に。声を張ったのは朱里風だ。
「おい」
セスティが心配そうに寄り添う。朱里風は力なく頭をふり、
「忍馬たちは悪くない。悪いのは」
しぼり出すように、
「人間だよ」
はっと。視線が錦に集中する。
と、朱里風があわてて、
「ち……違う! キリ姉のご主人様が悪いって言ってるわけじゃ」
「大丈夫」
錦は優しく微笑み、
「聞かせて。キミの話を」
「………………」
朱里風は、
「みんなは悪くない」
くり返す。
「忍馬を生んだのは……人間なんだよ」
そして、朱里風は語り出した。
忍馬。
それが生み出されたのは、この国に人間たちの戦いの嵐が吹き荒れていた時だという。
戦うからには勝たなければならない。
勝つためには、使えるものはなんでも使わなければならない。
そして、馬もまた利用されることになった。
「知ってるし!」
白姫が声をあげる。
「戦国時代のぶしょーが馬と一緒に戦ってたんだし。心を一つにして」
「違うよ」
朱里風が首をふる。
「心なんて一つじゃなかった」
「ぷりゅ!」
白姫は驚き、
「そんなことないんだし! 心が一つじゃなくて一緒に戦えたり」
「一緒じゃなかったんだ!」
くり返す。
「忍馬は忍馬だけで戦わされたんだ」
「……!」
朱里風は続ける。
「人間は危ないことをさせるために忍馬を使った。自分たちが傷つかないために」
「ぷ、ぷりゅ……」
「だから、忍馬は人間たちから離れた。自分たぢが……生きるために」
「………………」
白姫は、
「知らなかったんだし」
心から。すまなそうに目を伏せる。
「そんなことをされたら、人間を嫌いになっても仕方ないんだし」
「……うん」
「でも」
白姫は言う。
「人間を嫌いになったらだめなんだし!」
「ぷりゅ!?」
「もったいないんだし!」
声に力をこめて、
「ヨウタローはとっても優しいんだし。シロヒメをかわいがってくれるんだし」
「ぷ、ぷりゅ?」
「だから」
真剣なまなざしで、
「あきらめちゃだめだと思うんだし」
「……!」
「ねっ」
微笑みかける。
「シロヒメは人間が好きなんだし。騎士の馬だから」
「き、騎士の馬も」
あたふたと、
「結局、騎士に利用されてるんだよ」
「利用なんてされてないし」
迷いなく。言う。
「騎士は馬をかわいがってくれるし。馬も騎士の力になってあげたいと思ってるんだし」
「そんなこと」
瞳が泳ぎ、
「わかんないよ」
そのまま目を伏せる。
「忍馬はそうじゃなかった。ひどい命令ばかりされて、それで人間から離れて自分たちの里に隠れ住むようになったんだ」
「そうだったんだし……」
同情するように白姫もうつむく。
「かわいそうなんだし」
「かっ、かわいそうとか言われたくない!」
ムキになって言い返す。
「これからは変わるんだ! きっとキリ姉が」
「キリカゼが?」
はっと。口にヒヅメを当てる。
「どーゆーことだし? ぷりゅーか、キリカゼ、何かしようとしてるんだし?」
「そ、それは」
そのときだった。
「……!」
感じた。
「ぷりゅ!?」
囲まれていた。
「ぷ……!」
ずざざざざっ――
現れた。
風が地を行き、落ちていた無数の木の葉がひるがえったと思った瞬間、そこに白姫たちを取り囲むようにして複数の馬たちが出現していた。
「こ、これは」
麓華も声をなくす。
が、突き刺さるような冷たい敵意に気づき、すかさず応戦の構えを――
「みんな、待って!」
朱里風が飛び出す。
「この馬たちは里の客なんだよ! キリ姉の知り合いなんだよ!」
かすかに。
静かな表情は崩れないながら馬たちにさざ波のように衝撃が広がっていく。
と、そんな空気を裂いて、
「朱里風」
びくっ。小さな身体が跳ねる。
「母上……」
一斉にかしこまる馬たち。その間から進み出てきたのは、朱里風によく似た青鹿毛馬の女性だった。
「報告の通りでしたか」
冷厳な声で言い放つ。
「ぷりゅりゅりゅりゅ……」
小刻みにふるえる朱里風。
と、彼女をかばうように白姫が前に出る。
「いじめはダメなんだし!」
「いじめ?」
見下すような視線が向けられ、
「わけのわからないことを」
「『わけのわからない』ってなんだし!」
ぷりゅぷん! あっさり怒りを爆発させる。
「とにかくシュリカゼはいじめさせないんだし! シロヒメの友だちなんだから!」
「友だち……」
冷たい目のまま。朱里風を責める口調で、
「そうなのですか」
「ぷ……うう……」
「まったく、あなたは」
その顔にいら立ちがにじむ。
「勝手に里を離れただけでなく、不審者までつれてくるとは」
「ふ、不審者じゃなくて」
「黙りなさい!」
「ぷりゅっ」
「だから、やめるんだし!」
あわてて再び声を張る。
「なんで、シュリカゼをいじめるんだし!」
「母として娘をしつけるのは当然のことです」
「いくらママだからって」
と、そこではっとなり、
「えっ、ママ? シュリカゼの?」
「あなたは……」
がくりとなりつつ麓華は、
「朱里風が呼んでいたでしょう。『母上』と」
「『ハハウエ』が『ママ』って気づかなかったんだし。シロヒメ、そういうふうに呼んだことないから。カン違いなんだし」
「何とカン違いをしたのですか」
あらためて脱力してしまう。
すると、
「違います」
青鹿毛馬の女性が首をふる。
「母としてでなく」
その目に強い炎がちらつき、
「忍馬の頭領として、この者を罰します」
「忍馬のとーりょー!」
驚きの声を放つ白姫。と、すぐはっとなり、
「ば、罰するって何する気だし!」
「裁きます」
あくまで冷徹に。言い放つ。
「風馬(ふうま)の掟のもとに。頭領であるこの火里風(かりかぜ)が」
Ⅴ
「ぷりゅぅっ」
母――火里風の宣言に、朱里風から悲鳴が上がった。
「ぷりゅりゅりゅりゅりゅりゅ……」
完全にすくみあがる。
そんな彼女を、白姫はしっかりと後ろにかばい、
「させないし」
「フン」
あざけるように鼻が鳴らされる。
「ただの馬に何ができると」
「シロヒメは騎士の馬なんだし!」
力いっぱい宣言するも、軽侮の色はますます濃くなり、
「だから何だというのです。ただの人間の飼い馬でしょう」
「違うし! シロヒメたちのことを『飼い馬』なんていう騎士は一人もいないんだし!」
言い切る。しかし、
「あななたちの理屈など知りません」
切り捨てられる。
「我らは忍馬。掟こそが忍馬にとって絶対。ゆずれないものなのです」
「ゆずれないというなら」
麓華が横に並ぶ。
「わたしたちにもそれはあります」
ひるむことなく見つめ返し、
「わたしたちは騎士の馬。主人である騎士とその志を同じくします」
「それが何だと」
「我が主人なら」
ためらいなく、
「危地にある者を決して見捨てたりはしません」
はっと。朱里風が顔をあげる。
が、母から立ち昇る怒りに気づき、すぐさままた目を伏せる。
「生意気な……」
つぶやく。憎々しさをにじませて。
「ぷりゅーか、おかしいんだし!」
再び白姫が声を張る。
「キリカゼだって騎士の馬なんだし!」
ざわり――
忍馬たちに広がる動揺。
火里風の表情も引きつりを見せる。
白姫は勢いこみ、
「キリカゼも忍馬だけど、騎士の馬でもあるんだし! だったら、弱い者イジメしたりしないんだし!」
「そ、そのようなこと」
威厳を保とうとしてか声の上ずりを抑えつつ、
「あの者が勝手にしていること。風馬一族とは関係がないことです」
「カンケーないってことないんだし! シュリカゼだって『キリ姉』って呼んでんだし! お姉ちゃんなんだし!」
「違います! あの子は」
一瞬言葉につまり、
「あの子は……」
そこに何か重いものが混じる。
――と、
「無駄話はここまでです」
表情が消える。意識して感情を隠しているとわかる冷たさで、
「散りなさい」
火里風の言葉に反応し、すかさず白姫たちを包囲するように忍馬たちが展開する。
「ぷりゅぅ……」
白姫からもれる悔しそうないななき。どうしてもこちらの言うことを聞いてくれない。聞こうともしてくれない。その悔しさだ。
「なんでなんだし……」
思いが声となってこぼれる。しかし相手は反応を変えようとはしない。
「やるしかありません」
麓華のつぶやきに、
「ぷりゅ……」
白姫はしかしためらいをにじませる。
「朱里風がどうなってもいいというのですか」
「そ、そんなこと言ってないし。でも」
そこに明るい声が響く。
「だめだよ、みんな」
錦だった。
「馬同士でケンカしたりしたらだめだって」
忍馬たちは、
「ぷ……」
場の状況にあまりにそぐわない無防備なふるまいにさすがに戸惑いを見せる。
それは白姫たちも同じで、
「何してんだし! さっきのシュリカゼのときとは違うんだし!」
「同じだよ」
穏やかなまなざしで。言う。
「ねっ、朱里風」
「ぷ、ぷりゅ」
同意を求められ、こちらもまた瞳をゆらすしかない。
「同じだよ」
くり返す。朱里風、そして自分に言い聞かせるように。
「馬はみんな優しいんだ」
すこし大き目ながらも女性らしくしなやかな手が、優しく、そしてしっかりと朱里風のたてがみをなでる。
「大丈夫」
言う。
「ちゃんとあやまれば。ねっ」
「ぷ、ぷりゅ……」
そんな甘くはない。いなききにその思いをにじませるも、
「さあ」
錦がうながす。
「ぼくも一緒にあやまるから」
「ぷりゅ……」
視線が集中し、泣きそうになる。
「大丈夫」
くり返す。
そのあたたかな言葉に勇気をもらったかのように、朱里風は懸命な表情で、
「ぷ、ぷりゅんなさいっ」
錦も隣で、
「ごめんなさい」
深々と。頭をさげる。
「………………」
あぜんと。
いっそう困惑した空気が流れる。
「ふふふっ」
そこに、
「いいなあ、錦ちゃん」
かろやかな笑い声が届く。
「ぷりゅ!」
一番最初に気づいたのは白姫だ。
「キリカゼだし!」
「えっ!」
驚いた麓華が辺りを見渡す。
「どこに……」
「どこかはわかんないんだし」
がくっ! 膝が折れる。
「何をあなたは!」
「けど、いるのは間違いないんだし! さっきの笑い声はキリカゼなんだし!」
「確かに」
「あっ、正確には『笑いいななき』だし」
「どうでもいいです、そんなこと!」
「どうでもよくないし! 馬なんだからちゃんといななきって」
するとまた、
「ふふっ」
届く。
「白姫ちゃんと麓華ちゃんもいいよね」
「――!」
「き、桐風さんっ」
声をあげたのはマリエッタだ。
「あ……」
一同が注目したそこに。
あった。
桐風の姿が。
いつの間にそこにいたのか、驚いた顔の忍馬たちを始め、その場の誰もがわからなかったようだった。
「ぷるぅ……」
忍馬たちからいななきがこぼれる。それは「さすが」と言いたげな感嘆の息だった。
「っ」
すかさず反応したのは火里風だ。
「何をしているのです!」
厳しい、しかしそこに動揺のふるえを隠せない声が放たれる。
「あなたには謹慎しているよう言いつけたはずです!」
答えない。
「桐風!」
すると――
「なぁに?」
にっこりと。彼女を見て言う。
「頭領様」
「……!」
屈辱のわななきが広がっていく。そして、
「行きます!」
するどい声を放つと同時に背を向ける。
忍馬たちはそれに従い、次々と森の奥へ去っていった。
「ア、アネゴ」
緊張のためか一言も口をきけないでいたセスティが、ようやくというように肩の力を抜く。
「す……すごかったよ、アネゴ! あんな大勢を相手に朱里風を守ろうとして!」
「ぷ、ぷりゅっ」
朱里風も我に返り、あたふたと頭を下げる。
しかし、白姫は冷静に、
「すごくないんだし」
言って、錦を見る。
それに微笑みが返される。
そして、視線は桐風にも向けられる。
「キリカゼ……」
白姫は、
「ずっと……ずっと……」
彼女に向かって、
「ぷっりゅーーーーーーっ!」
パカーーーン!
「ぷりゅ!?」
一同が目を見開く中――
白い馬影をひるがえしての後ろ蹴りがあざやかに炸裂した。
Ⅵ
「ぷりゅふんっ」
荒々しく鼻息がふき出される。
「シロヒメ、まだ怒ってるんだし」
「そ、そんな」
おろおろするマリエッタ。
しかし、白姫はますます鼻息荒く、
「キリカゼが悪いんだし! ずっとシロヒメたちに心配させて! 連絡とかぜんぜんくれなくて!」
「できなかったのではありませんか」
冷静に。麓華が言う。
そして静かに視線を周囲にめぐらせる。
「いまも監視されているようですし」
「ぷりゅ!」
あわてて辺りを見回す。
忍馬――風馬の里。
その一隅に白姫たちはつれてこられていた。
人里のようにはいかないが、そこは雨風をさけられるひさしなどが自然を利用して作られており、馬にとって最低限快適な環境が調えられていた。
「ぷりゅー」
鼻息にこもる怒気が強くなる。
「まだシロヒメたちを疑ってるんだし? キリカゼの友だちってことははっきりしたんだし」
「だからこそ、ではありませんか」
「ぷりゅ?」
首をひねられる中、麓華はさらなる言葉をためらう。
すると、白姫はあっさり、
「どーゆーことだし、シュリカゼ」
「ちょっ……」
麓華は驚き、
「あなたは、また無神経に!」
「誰が無しんけーだし!」
再び怒りを爆発させる。
「キ、キリ姉は!」
朱里風があわてて口を開き、注目が集まる。
「キリ姉は……」
うつむきながら言う。
「みんなに……歓迎されてるわけじゃない」
「ぷりゅ!」
「………………」
それ以上はやはり口が重くなってしまうようだった。
白姫はじれったそうに、
「あーもー! だったら直接キリカゼに聞くし!」
「ぷりゅぅ!?」
朱里風が驚きうろたえる中、
「お待たせー」
はっとなる一同。
と、白姫がいち早く、
「ちょうどよかったし、キリカゼ!」
「あっ!」
朱里風が止めるより早く近づき、
「話を――」
すると、
「朱里風ー。白姫ちゃんたちにかわいがってもらってたー?」
「ぷ、ぷりゅっ!?」
白姫をスルーしてこちらに話しかけてきた桐風に、朱里風は目を見張る。
「あ、ひょっとしていじめられてた? もー、大人げないなー、白姫ちゃんは」
「って、なに勝手にシロヒメを悪い子にしようとしてるしーっ!」
ぷりゅーっ! 激しくいきり立つ。
「キリカゼ!」
「なーに」
「『なーに』じゃないんだし!」
鼻息荒く、
「せつめーするし! 何がどーしてこーなってるのか!」
「難しいなー」
にこにこしながら言われ、怒りをますますあおられる。
「んー、だってねー」
朱里風に鼻をすり寄せ、
「あのまま向こうにあずけられなかったでしょ」
「ぷりゅ?」
「だから、朱里風のこと」
にこにこ顔のまま、
「かわいい姪っ子だしねー。お仕置きされそうなのをほっとくわけには」
「って、そーゆーこと聞いてんじゃねーしーっ!」
爆発する。
「いいかげん、ごまかすんじゃねーし!」
「ごまかす?」
不思議そうに首をかしげ、
「じゃあ、朱里風のこと、あのままにしておいたほうがよかった?」
「それとこれとは別だし!」
再会の後――
取り残されたかたちの朱里風を伴い、一同は桐風の案内で風馬の里へとやってきた。気配は感じるものの住人――住馬と会うことは一度もなく、日のあまり刺さないいかにも隠れ里といった集落の中を行き、こうして桐風の暮らす一角へと導かれていた。
「シュリカゼはほっとけるわけないんだし! もうイジめられないってちゃんとわかるまでシロヒメが守るんだし!」
「ぷりゅ……」
力強い宣言に、朱里風の目にかすかな涙が光る。
「よかったねー」
再び鼻先をすりつけ、
「さっそく白姫ちゃんにかわいがってもらってるみたいで」
「それは……キリ姉の、と、友だちって聞いたから」
大丈夫かというように表情をうかがう朱里風。『友だち』という言葉を口にするときだけかすかに緊張が走る。
桐風は笑顔のまま、
「うれしいよ。友だちと姪が仲良くしてくれて」
ほっと。朱里風から力が抜ける。
そこに、
「お姉様なのですね、あの方が」
麓華が口を開く。
「うん、そうだよ」
あっさりとうなずく。
「そうだし、あのママだし!」
ぷりゅぷん! またも白姫は肩を怒らせ、
「とにかく、ママが娘をいじめたりしたらダメなんだし。シロヒメ、ちゃんと話し合いするんだし。きっとわかってくれるし、ママなんだから」
「ぷ……!」
またも朱里風の目が驚きに見張られる。
「よかったねー」
すりすり。
「ぷ、ぷ……」
でもいいの? という目が向けられる中、笑顔は崩れない。
「そんな簡単なことじゃないでしょ」
そこへやってきたのは、珍しく硬い表情をした錦だ。
「ぷりゅ!」
白姫は眉を逆立て、
「どーゆーことだし! シロヒメじゃ、せっとくできないって言ってんだし!」
「あ、ごめん、白姫ちゃん」
あわてて優しい笑みを見せ、
「向こうで桐風から事情を聞いてね。それで難しそうだなって」
「そのこともだし!」
ぷりゅしっ! ヒヅメを錦につきつけ、
「なに、キリカゼとこっそり話とかしてるんだし! あやしーんだし!」
白姫の指摘した通り、この場所に案内された後、桐風は「錦ちゃんに話がある」と言って共に姿を消していた。
「それは」
わずかに口ごもるも心を決めたという顔で、
「すこし……大変なことになってるみたいなんだ」
「『すこし』じゃないし! シロヒメたち、すでに大変なことになってるし!」
「ぼくたちのことじゃなくて」
言う。
「この風馬の里がだよ」
「ぷりゅ?」
首をひねる。
「どーゆーことだし」
「うん……」
錦は語り出す。
「桐風に聞いたんだ」
風馬の里――
風馬と呼ばれる忍馬の一族が力を合わせて作り、そして長い年月を重ねてきたこの集落はいま問題の渦中と言える状態にあるらしい。
「かちゅーって……何が?」
「『渦中』の意味もわからないのですか。大変なことのただ中にあるという……」
「意味聞いてんじゃねーし! シロヒメをアホあつかいすんなだしーっ!」
言葉をはさむ麓華にすかさず言い返す。
「続けてもいいかな」
苦笑しつつ、錦は話を再開する。
ひと月ほど前、里に大きな事件が起きた。
頭領と呼ばれる里の長が亡くなったのだ。
そして、次の頭領を決めるべく、忍馬たちの間で話し合いが持たれた。
その候補として名乗りをあげたのが火里風――朱里風の母だ。
名前に『風』の字を持つ忍馬。
それは、すぐれた忍の血統と素質を受け継ぐ証であった。
「ぷりゅ!」
白姫がはっとなる。
「キリカゼにも『風』って入ってんだし。キリ『風』だし」
「そーだよー」
相変わらず飄々と。うなずく。
「キ、キリ姉はすごいんだ!」
興奮した口調で朱里風が言う。
「里の中でも数十年ぶりって言われるくらい才能があって! みんながキリ姉のこと、すごいすごいって言ってて!」
「所詮は」
桐風の声が冷める。
「里の中のハナシだよね」
「けど、キリ姉はその里を飛び出した!」
声がますます熱を帯びる。
「里から出る馬なんてもうずーっといなかった! それだけでもキリ姉はすごいんだ!」
「そんなことないよ」
「そんなことある! 掟を怖がらずに外の世界に」
「朱里風」
にっこりと。
「いまはキミが話す番じゃないよね」
「……!」
我に返ったように錦を見て、そして恥ずかしそうに目を伏せる。
気にしないで。そんな微笑を向けつつ、錦はまたも腰を折られるかたちになった自分の話を続ける。
「朱里風も言ったように、桐風はこの里で一目置かれていてね。それで」
声のトーンが落ちる。
「ちょっと困ったことになってるんだって」
「そーなの?」
不思議そうに桐風を見る。
「キリカゼ、すごいんでしょ? 認められてるんでしょ? 困ることなんてないんだし」
「単純だなー、白姫ちゃん」
「単純じゃないし!」
ぷりゅぷんっ。
「ぷりゅーか、そーゆーことをなんでシロヒメに直接言わないんだし! 友だちなのに!」
「それはね」
錦が割って入る。
「ちゃんと、白姫ちゃんたちのことを考えてなんだよ」
「ぷりゅ?」
「ほら」
愛おしいものを見る眼差しで、
「白姫ちゃん、桐風と仲良しでしょ」
「仲良しだし。もちろんだし」
「だからね」
言う。
「怒るでしょ? 桐風に何かあったって聞いたら」
「怒るんだし!」
ぷりゅぷん! さっそく怒りをみなぎらせるところに、
「し、白姫さん」
事を見守っていたマリエッタが口を開く。
「あの……良くないと思います」
「ぷりゅ!」
白姫は驚き、
「何が良くないんだし! シロヒメ、ずっといい子で」
「いい子な白姫さんだから」
かすかに声に力をこめ、
「怒るのは……わかります」
「そうなんだし。今回、怒ることばっかりなんだし」
「はい」
理解できる。そううなずく。
「けど怒ってばかりいる白姫さんは……素敵ではありません」
「ぷりゅぅ!」
いななきがショックにふるえる。
「素敵じゃない!? シロヒメ、かわいくない?」
「はい」
「ぷりゅりゅぅっ!」
断言され、さらなるいななきがこだまする。
「ぷりゅっくり」
がっくり。力なくひざをつく。
「そんな……シロヒメがかわいくなくなってたなんて。かわいいシロヒメが」
「大丈夫です」
マリエッタが、
「白姫さんはかわいいですから」
「ぷりゅぅ?」
「だから」
言う。
「笑顔でいましょう。怒っている白姫さんじゃなくて」
「わかったし!」
元気はつらつと。声をあげる。
「シロヒメ、笑顔でいるし! かわいいシロヒメでいるし!」
「はい」
こちらも笑顔でうなずく。
「ぷりゅーっ」
たちまちごきげんのいななきがあがる。
「た、単純な」
あぜんと麓華がつぶやく。
「やるねー、マリエッタちゃん」
「い、いえ」
桐風の言葉にあわあわと恐縮し、
「わたしは本当にそう思って」
「いいから、いいから」
わかっているという顔でうなずいてみせる。
「シロヒメ、笑顔でがんばるし! 笑顔でニッコリ解決するんだしーっ!」
里の陰鬱な空気を払うように明るいいななきがこだました。
「朱里風」
夜――
「眠れないのか」
「………………」
答えは、ない。
「眠れないよな」
そっと。そばに寄り添う。
「ぷりゅぅ……」
弱々しいいななきがもれる。
そんな彼女をあたためるように、セスティは身体をすり寄せた。
「いいんだぜ」
「………………」
「弱音とか吐いてもさ。つらかったらつらいって言っても」
「……けど」
ためらいがちに、
「忍馬がそんなこと言ったら」
「だめなのか」
「ぷりゅ」
「なら言わなくていい」
あっさり提案を取り下げる。
そして、
「アネゴたちってさ、すげえだろ」
こくり。うなずきが返る。
暗闇の向こうに横たわる影へ共に視線を向ける。
「ぷりゅすー。ぷりゅすー」
おだやかな寝息。鼻ちょうちんまで出し、この状況でのんきすぎるとも思える白姫のその寝息を聞きながら、
「すげえだろ」
あらためて。言う。
「ほら、麓華のアネゴたちも」
白姫ほど無警戒という感じではなかったが、麓華とマリエッタも静かに眠りについている。
「すげえんだよ」
自分にも言い聞かせるようにしてくり返す。
「昔、アネゴのご主人様がさらわれたことがあったんだって」
「ぷりゅ!」
突然の話にたまらず驚きの鳴き声がもれる。
「そのときも」
再び白姫のほうを見て、
「アネゴ、こうしてちゃんと眠ってたんだって」
「ぷ、ぷりゅ……」
「ほらさ」
セスティは誇らしげに、
「睡眠不足だったりしたら、いざというときすぐ飛び出して助けに行けないだろ」
「ぷりゅぅ……」
それはそうだけど――という思いを朱里風がにじませる中、
「だから、すげえんだ」
確信をこめて。セスティは言う。
「そんなアネゴだから、みんな安心できるんだ」
はっと息を飲む。
セスティは微笑みかけ、
「大丈夫だよ」
「………………」
しばらくして、
「……みたい」
「ぷりゅ?」
「セスティが……」
すこし照れくさそうにはにかんで、
「セスティがお姉ちゃんみたい」
「お、おい」
今度はセスティのほうが照れ、
「アタイなんて、そんな、ぜんぜんだろ」
「ううん」
確かな笑みで、
「うらやましい」
「え……?」
「セスティには尊敬できるお姉ちゃんがいて」
「お、おまえにだって、桐風のアネゴがいるだろ」
「うん……」
うつむく。
「でも、キリ姉はこっちを見てくれない」
「そんなこと」
一瞬言葉につまるも、
「そんなことないだろ。桐風のアネゴは」
「アネゴは?」
「白姫のアネゴの友だちだ」
声に力が戻る。
「友だち……」
逆に、朱里風は声を沈め、
「ちょっと、信じられない」
「えっ」
驚いたセスティはむきになったように、
「どういうことだよ! アネゴたちは友だちじゃないっていうのか!」
「しー」
口にヒヅメを当てる。
はっとなったセスティは、あわてて白姫たちがまだ眠っていることを確かめる。
そして、声をひそめ、
「なんでそんなこと言うんだよ。『信じられない』なんて」
「ないから」
「ぷりゅ?」
「ないんだよ……忍馬に『友だち』って言葉は」
息を飲む。
「そ、そうなのかよ」
「ぷりゅ」
うなずく。
「……だったら」
セスティは言った。
「アタイ、友だちな」
「ぷりゅ?」
「だから」
照れくさそうに、
「友だちになってやるよ……朱里風の」
「!」
目が見張られる。
「あ……イ、イヤだったか」
不安げに聞く。
「………………」
朱里風は、
「……うれしい」
「そうか! じゃあ――」
「けど、だめだよ」
「えっ」
「忍馬だもん」
「そんなの関係ないだろ。じゃあ、桐風のアネゴはどうなるんだよ」
「………………」
わずかに沈黙した後、
「母上がきっと許さない」
「っ……そうか」
セスティは、
「わかった」
「……!」
あっさり言われ、朱里風の瞳がゆれる。
「だったら、予約な」
「えっ」
「予約。友だちになるっていう」
「………………」
朱里風は、
「ふふっ」
笑った。
「ありがとう」
「いいよ、友だちだろ。……あ、予約か」
夜の空気を再び静かな笑い声がふるわせる。
そのまま、小さな白馬と青鹿毛馬は眠りに落ちていった。
互いに寄り添ったまま。
「仲良しだねー」
微笑ましげなその言葉と裏腹に、闇を通してセスティたちを見る桐風の目は冷え冷えとしていた。
「錦ちゃんも早く寝たら?」
「………………」
錦は、
「桐風」
呼ぶ。愛馬の名を。
「なぁに」
さらりと応じられる。
「………………」
錦は、
「ううん、なんでもない」
それだけ言うのが精いっぱいというように、ぎこちない笑みを返した。
Ⅶ
「ぷりゅり~ん❤」
きらきらと。光る目を向けられ、
「う……」
絶句する麓華。
「な……何なのですか」
「『何なのですか』ってなんだし!」
ぷりゅぷん!
「し、白姫さんっ」
「あっ」
マリエッタの制止に我に返り、再び、
「ぷりゅり~ん❤」
「う……」
やはり絶句するしかない。
そこに、
「何してるの、白姫ちゃん」
「見ればわかるんだし」
ぷりゅり~ん。今度は桐風に笑顔を向け、
「スマイルだしっ」
「スマイルはわかるけどー」
「だったら、わかるんだし」
通じているようないないような会話は続き、
「スマイルは大事なんだし。ねー、マリエッタ」
「は、はい……」
「シロヒメはかわいいんだし。スマイルもとってもかわいいんだし」
ぷりゅり~ん。あらためて微笑み、
「このスマイルでキリカゼのお姉ちゃんを説得するんだしっ」
「説得?」
「そーだし」
笑顔のまま。得意げに胸を張り、
「キリカゼを島に帰してくれるようにって。ちゃんと説得するんだし」
不意に――
「ぷりゅ?」
はっとなる白姫。
と、桐風は何事もなかったように、
「どうしたの」
「あ、ううん……なんでもないし」
「そうかー。白姫ちゃん、それでがんばってるのかー」
さらりと言う。
白姫も笑顔を取り戻し、
「だから安心するし、キリカゼ。シロヒメがちゃーんとキリカゼの気持ちを伝えるし。とーりょーになんかなりたくないって」
「………………」
桐風は、
「ありがと」
微笑んで、言った。
昨夜――
里の状況について桐風から教えられたことを語った錦。
白姫が暴走するかもしれないからとまず主人である彼女にだけ話されたのだが、結局、包み隠さずそれは一同に打ち明けられた。どこかで情報を耳にする可能性は低くなかったし、何より騎士として錦が隠し事を嫌がったためだ。
そこでわかったのが、里の後継者問題。
そして、桐風もその次期頭領の候補として期待され、里に留められていたのだ。
「大丈夫だし」
あらためて。白姫が言う。
昨夜のマリエッタの指摘もあり、彼女は怒って訴えるのでなく、笑顔でなごやかに話し合うことを決めていた。
「キリカゼのおねーちゃーーん! シロヒメ、話があるんだしーーーっ!」
集落の中心と言うべき広場。
朝早いさわやかな木漏れ日が差しこみ陰鬱な里の印象をやわらげているそこで、白姫は声を張り上げた。
「出てくるんだしーっ! おねーちゃーーーん!」
沈黙が続く。
「……出てこないんだし」
こちらをうかがうような複数の気配は感じる。しかし、誰も動こうとはせず、ただ見つめられ続けるばかりだ。
「ぷりゅり~ん❤」
スマイル。
「………………」
沈黙。
「……ぷりゅっくり」
がっくりと。膝をつく。
「そんな……シロヒメの笑顔が届かないなんて」
「し、白姫さん」
「マリエッタ」
すがるような目で、
「やっぱり、シロヒメ、かわいくなくなってしまったんだし?」
「それは」
「やっぱり? やっぱりそうなんだし?」
「あ、あの」
「違うんだし! 昨日までの怒りっぽいシロヒメはほんらいのシロヒメじゃないんだし! 仮のシロヒメなんだし!」
「なんですか『仮の』とは」
麓華があきれて言う中、
「違いますっ!」
マリエッタが声を張る。
「違うの? シロヒメが違うって言ってることが違うの?」
「そういうことではなくて」
あたふたと、
「白姫さんは……か、かわいいですっ」
とたんに、
「ぷりゅりり~ん❤」
元気を取り戻し、その場でくるくると回転する。
と、直後、
「ぷりゅ!」
目が見開かれる。
「これだし……」
「えっ」
「これなんだし、マリエッタ!」
興奮に頬を染め、
「回るんだし!」
「え……え?」
「正確には、踊るんだし!」
力をこめて。言う。
「かわいいシロヒメが! かわいらしく踊るんだし!」
ぷりゅぷりゅぷりゅり~~~ん♪
「ほら!」
「は、はあ」
あまりに唐突に同意を求められ困惑するしかない。
白姫はじれったそうに、
「もー、ほら、あるんだし。洞窟に引きこもっちゃった神様を踊って外におびき出したって」
「そういえば、そんな神話が」
「あるんだし! だからシロヒメもやるんだし!」
つまり――
踊って、忍馬の里の者たちを引き寄せようということなのだろうか。
「さー、やるし! ほら、マリエッタも!」
「ええっ!?」
またも突然にふられて、あたふたと、
「む、無理です、わたしなんて」
「そんなことないし。マリエッタはちゃんとかわいいんだし」
「そういうことよりも、いきなりすぎて」
「確かにそーだし」
わかってくれたのか――と思ったのもつかの間、
「練習だし」
「え?」
「だから」
ぷりゅぷりゅぷりゅり~ん♪ 再び回り、
「ミュージカルの練習だし!」
「ミュージカル!?」
またもいきなりすぎる発言に、たまらず跳びはねてしまう。
「ミュージカルとは」
「ミュージカルはミュージカルだし。歌って踊ってドラマチックだし」
わかっているのかいないのかわからない説明を口にし、
「さー、さっそく練習するしー」
「あ、あの、だから突然すぎて」
「突然にならないように練習するんだし」
「いえ、その、ミュージカルの練習ということ自体がもう突然すぎて」
「シロヒメの魅力はかわいさだけじゃないんだし。シロヒメといえば歌なんだし。ミュージカルなら全部見せられていっせきにちょーだし」
「はあ」
全部で『一石二鳥』と言われても。
「練習したくないんだし、マリエッタ?」
「あ、いえ、その」
なんと答えればいいのかという顔をしていると、
「ダメだし、マリエッタ」
「えっ」
「確かに練習って地味だけど、そーゆー地道なことが明日につながるんだし」
「は、はあ」
間違ってはいない――のかもしれないが。
「なにが地道ですか。地道という言葉の使いどころを間違えています」
その場の意見を代表するように麓華が指摘する。
さらに、
「アネゴ!」
「ぷりゅ! セスティまで?」
白姫が驚く中、
「『友だちの良さ』ってダメかな」
「ぷ?」
首をひねる白姫に、
「だから、ミュージカルのテーマ。友だちの良さを伝えるみたいな」
「セ、セスティ、何を!」
麓華があわてる一方、
「セスティーっ!」
すりすりすりっ! 高速で白姫の鼻先がすり寄せられる。
「さすが、シロヒメの舎妹なんだし! 大好きなんだしっ!」
「ア、アネゴ」
照れつつもセスティは、
「どうかな?」
「ばっちりだし! ナイスアイデアだし!」
満点の賛辞に、セスティの顔がほころぶ。
「じゃあ」
「もちろんだし! それでいくし!」
「ち、ちょっと待ちなさい」
我に返った麓華が止めるも、
「なんだし? セスティのアイデアが気に入らないって言うし」
「そういうことでは」
「じゃあ、セスティが嫌いなんだし。生意気だと思って、若い目を摘もうとしてるんだし」
「麓華のアネゴ……」
「そんなことは思っていません! セスティもそんな目で見ないでください!」
「じゃあ、決定なんだし~❤」
一転、明るく。またもくるくるくるくると回る。
「ほら、セスティも」
「ぷ、ぷりゅっ」
くるくるくる。白姫と一緒にその場で回ってみせる。
「や、やめなさい、あなたたち!」
「やめないんだし。練習だし」
「こんな場所で恥をさらすような」
「ぷりゅ! それはそのとーりだし。練習してるところを見せるなんて恥ずかしいし。完璧に仕上げたのを本番で見てもらうし」
「なんですか、本番とは!」
麓華が絶叫するも、白姫たちの回転は止まらない。
そんな光景に、
「セスティ……」
朱里風の表情がほころぶ。
そこに、
「よかったねー」
「……!」
にこにこと。相変わらずの笑みを見せている桐風にはっとなり、
「ぷ、ぷりゅ……」
ためらうように目を伏せるも、それでも内心を隠しきれないというように小さくうなずく。
「ふーん」
視線が冷えていく。
「桐風」
ぴくっと。
「なーに、錦ちゃん」
「………………」
変わらない笑顔でふり向いた彼女に、
「……ううん」
錦もまた微笑して頭をふった。
「ぷりゅーわけで、練習だし!」
宣言される。
広場を去ったあと戻ってきた桐風の寝所近くで。
「ま……待ちなさい!」
かなりいまさらながら、それでも麓華は声を張り上げる。
「いいかげんにしなさい!」
「そっちこそいいかげんにするし。なに、みんなのやる気をそごーとしてるし」
「そもそも、最初からやる気などありません! ですよね?」
同意を求めるが、
「あの……」
マリエッタがおずおずと、
「いま思うと、白姫さんのやり方もありなのかなと」
「ぷりゅ!」
信じられないといういななきが放たれる。
「で、でも、ケンカのようなことになるよりはずっといいと」
「ぷ……」
それはその通りだ。麓華も反論できない。
「だからといって、ミュージカルなど」
「ぷりゅははーん」
わかった。そう言いたそうな見下す目で、
「自信がないんだし」
「ぷ……!?」
「やっぱりそうなんだしー」
ますます馬鹿にする調子で、
「自分がダメダメなところを見られたくないから反対してるんだしー。自分勝手な理由でー」
「そ、そんなことは」
「ないんだし?」
「あ……ありませんっ」
声をうわずらせながらも断言する。
「じゃー、テストだし」
「ぷりゅぅ!?」
「歌うし」
「ぷ……」
「歌うんだし。ミュージカルに歌は必須だし」
「ぷ……ぷ……」
「ほーら、みんなの前で歌うんだしー」
追いつめられたように顔をひきつらせた麓華は、
「ぷりゅーーーっ!」
いななきを残し、全速力で駆け出していった。
「あっ、なに逃げてんだしーっ! 待つしーっ!」
「し、白姫さんっ」
そこへマリエッタが、
「その、無理強いは」
「それもそーだし」
ぷりゅ。あっさりうなずき、
「あんな子はほっとくんだし」
「ええ……え?」
「ぷりゅーか、いらないんだしー」
平然とした顔で、
「あの子、音痴なんだし。ミュージカル的に使えないんだし」
「そ、そういう言い方は」
「事実だし」
「うう……」
「ぷりゅーわけで、あの子は仲間外れにして残ったみんなでやるんだしー」
ぷりゅー♪ 明るくみんなに向かって言う。
「お、おう!」
初体験のことに緊張しながら、それでも自分が提案したのだという責任感をみなぎらせるセスティ。
「シュリカゼもよろしくだし」
「ぷりゅ!」
驚きに目が見張られる。
「『よろしく』って……ええっ!?」
「なに驚いてんだし」
心から不思議だというように首をかしげ、
「ミュージカルのテーマは『友だちの良さ』。つまり『友情のすばらしさ』なんだし」
「ぷ、ぷりゅ」
「だったら、シュリカゼが参加しないでどーすんだし。友だちなんだから」
「……!」
頬が赤くなる。
が、すぐにおろおろと視線を落とし、
「でもこんな……母上が」
「ママだってよろこぶんだし」
「ぷ!」
はっと顔をあげる。
白姫は自信たっぷりに胸をそらし、
「シロヒメのママだったら絶対によろこぶんだし。娘がすばらしーミュージカルを成功させるところを見たら」
「成功前提なんだねー」
そこに。桐風が笑顔で言う。
「もちろんだし。シロヒメがやって成功しないわけないんだしー」
「そうなんだー」
笑顔は崩れない。
「決めた」
「ぷりゅ?」
「朱里風」
視線を向け、
「一緒にやるよ」
「ぷりゅ!」
「なーに、驚いてるの」
あっけらかんと、
「白姫ちゃんがやるって言ってるんだから」
「もちろんだし。ぷりゅーか、キリカゼもすでに参加けってー済みなんだし」
「決定済みだったんだー」
やはり笑う。
「朱里風」
「ぷ、ぷりゅ」
「こういう白姫ちゃんだから」
「ぷりゅ……」
どう反応していいかわからないというようにうなずく。
「だから」
かすかに。真剣みを帯び、
「やるよ」
「ぷ……」
目を見張る朱里風に、
「やる」
くり返す。
そして、何も言えないでいる彼女に、
「情けないよ」
「……!」
「『風』の名を持つ子でしょ」
言う。
「だったら」
軽く。空を見るように顔を上げ、
「風として生きないと」
「………………」
朱里風は、
「や……やる」
「ぷりゅーっ!」
飛びついたのはセスティだ。
「ぷりゅー。仲良しなんだしー」
そんな様子を眺め、目を細める白姫。
桐風は、
「仲良し……か」
つぶやいた。
「まったく、な、何がミュージカルですか」
息を切らせて。
夢中で駆けてきた麓華がつぶやく。
「……ぷりゅ!」
はっとなる。
「ぷ、ぷ……」
どこだろう。いま自分がいるこの場所は。
「ぷ……う……」
わからない。
そもそも緑に覆われた忍馬の里の中にいるのだ。見晴らしの良さとはほど遠く、土地勘もまったくない。
そこを何の考えもなく駆けぬけてきてしまった自分は、
「ぷりゅ!」
ザッ、ザッ、ザッ!
不意に。
木立から跳び下りるようにして現れた影たちが麓華を取り囲む。
「――!」
ただちに戦う馬の目になる。
そして、敵意を向けてくる相手に突進しようと、
「待ちなさい!」
止められる。
「ぷ……!?」
止まる。
昨日も見た青鹿毛馬の女性。
その意味合いが、いまと昨日とでは違う。
この風馬の里の頭領。
正確には、頭領『候補』。
しかし、それ以上に麓華にとっては――
「なぜですか」
冷静に。問いかける。
「………………」
無言のまま、厳しい表情を崩さない火里風。
麓華はひるむことなく、
「朱里風のことはどう思っているのです」
「っ」
かすかに表情がゆらぐも、
「いまは関係ありません」
「ぷ……!」
「いまは」
重ねてつぶやく。自分にも言い聞かせるように。
「わかりました」
麓華もまた、
「でしたら――」
再び。その身に戦意をみなぎらせ、
「ぷりゅうっ!」
駆けた。
Ⅷ
「今日はここまでだしー」
ぷりゅー。疲労を思わせるいななきが馬たちからこぼれる。
「みんな、とってもよくがんばったんだし」
ぷりゅぷりゅ。うれしそうにうなずく白姫。
「この調子でカンペキに仕上げるんだし。かわいい馬たちのプリュージカルを」
「プ……!?」
へたっていたマリエッタが驚いて身体を起こし、
「な、なんですか、プリュージカルって」
「プリュージカルはプリュージカルだし。馬のミュージカルだから、当然そーなるんだし」
「当然そうなるんですか……」
もはや何も言えない。
「ほら、そこのマネージャー。疲れてるシロヒメたちをマッサージするし。ちゃんとマネージングするんだし」
「し、白姫さんっ」
こればかりは黙っていられないと声をあげる。
「なんてことを! 騎士様に!」
「あー、いいのいいの、マリエッタちゃん」
心からそう思っているという顔で錦が手をふる。そして、さっそく白姫をマッサージし始める。
「ぷりゅー」
心地よさそうに鼻が鳴らされる。
「気持ちいいしー」
「そう? よかった」
「ニシキ、なかなかやるんだし」
「ふふっ」
素直な賛辞に、こちらもそのままうれしそうに目を細める。
「ぼくの実家、温泉だからね」
手を動かしながら、しみじみとつぶやく。
「ほら、お客さんにマッサージするとことかよく見てたから。教えてもらったり、自分でやったりもしたしね」
「ぷりゅふーん」
「ここからそんなに遠くないところだよ。よかったら帰りにでも」
「………………」
やがて、
「ぷりゅすー。ぷりゅすー」
「ふふっ」
笑う。
かすかな寝息を立て始めた白姫からそっと離れる。
「桐風」
愛馬の名を呼ぶ。
「桐風もマッサージ……」
「大丈夫だよ、錦ちゃん」
さらり笑って。言う。
「疲れてないしね。他の子たちにしてあげてよ」
「うん……」
すこしさびしそうにうなずく。
「じゃあ、マリエッタちゃんかなー」
「ぷりゅ!」
あたふたと、
「け、結構です。そんな、騎士様に」
「いいんだし。やってもらうし」
まだ眠りが浅かったのか、とろんとした目の白姫が言う。
「ニシキ、他にすることないんだから」
「そ、そんなことは」
「あるんだし。シロヒメたちがやるのはプリュージカルなんだし。馬の友情がテーマの物語なんだし。ニシキ、出番ないんだし。いらないんだし」
「白姫さんっ」
さすがに暴言を止めようとする。
「ぷりゅっ!」
もまれた。
「はーい、リラックスしてー」
「ぷ、ぷりゅ」
突然のことにうろたえるマリエッタだったが、
「ぷりゅ~……」
間もなく心地よさそうないななきがもれ、そのまま完全に錦の手に身をゆだねてしまう。
「こってるねー、マリエッタちゃん」
「ぷりゅりゅ~❤」
「あっという間に極楽気分なんだし。さすが温泉の子なんだし」
「まーねー」
「なら、ついでにここ掘って温泉とか出すし」
「それはさすがに無理かなー」
苦笑する。そんな錦に、
「………………」
静かな視線が注がれる。
「キリ姉」
「っ」
はっとなるも、すぐ笑顔が向けられる。
朱里風は頬を上気させ、
「すごいね、キリ姉のご主人様」
「………………」
かすかに言葉につまる。それに気づかず、
「本当に優しいもんね。ああいう人間なら一緒にいてもいいな」
「……だね」
「キリ姉の気持ち、わかるよ」
はっきりと。笑顔がこわばる。
「気持ち……ね」
そこに、
「ほーら、朱里風ちゃんも!」
「ぷりゅっ!?」
またも奇襲的にもまれ、
「ぷりゅぅ~❤」
同じくとろけたいななきがこぼれる。
「ふふっ。かわいいなあ」
錦の顔もほころぶ。
が、そこへすかさず、
「昔の桐風とそっくり……ってやめてよね」
「えっ」
「あはっ。なんでもなーい」
さらりと。
笑顔を残し、桐風はどこへともなく去っていった。
その名の通り風のように。
「………………」
「ぷりゅぅ?」
手が止まったことにけげんそうな息がこぼれる。
「あ、ごめん。途中だったよね」
そこへ、
「ぷりゅっ。ぷりゅっ」
「はいはい、次はセスティちゃんもね」
「ぷりゅー❤」
無邪気な彼女たちの姿に、再び錦の口もとがほころぶ。しかし、その目に宿ったかすかなさびしさは消えないままだった。
数日が経った。
「行くし!」
突然の宣言に、
「ぷりゅ!?」
マリエッタを始めとして一同が目を見張る。
「い、行くって」
「決まってるし。本番だし」
「本番!?」
驚きのいななきが放たれる。
「いえ、あの、でも」
「大丈夫だし」
あわてるマリエッタに向かってうなずいてみせ、
「完璧なんだし」
「そうでしょうか!?」
まったく自信が持てないという彼女に、
「もー、マリエッタはしんぱいしょーなんだしー」
「い、いえ」
いきなり本番と言われたら誰でも戸惑うのでは――と言いたそうな顔を見せる中、
「大丈夫だし」
言い切る。
「シロヒメたち、完璧なプリュージカルを見せるんだしっ❤」
こうなるともう止まらないことは思い知っていた。
「セスティ。シュリカゼ」
「「ぷりゅっ」」
いななきが重なる。
「もうすっかり仲良しなんだしー」
ぷりゅぷりゅ。うれしそうに双方へ頬ずりする。白姫の言う通り、年の近いセスティたちは練習を通じていっそう打ち解けられていた。
「ぷりゅー、アネゴ❤」
「ぷ、ぷりゅっ」
セスティがうれしそうに頬ずりを返し、朱里風もぎこちないながら応える。
「ダメだし」
「ぷりゅ?」
「シュリカゼ」
不意に。厳しい目を向けられて息をのむ。
「ア、アネゴ」
とっさにかばおうとするセスティ。
しかし、白姫は構わず、
「シュリカゼの『シュリ』は、手裏剣の『シュリ』なんだし」
「――!」
突然の言葉に、
「ぷ……ぷりゅ?」
首がひねられる。
「そーゆーことだし」
ぷりゅぷりゅ。自分だけで納得したようにうなずく。
「ぷ……」
わからない。そんな顔で固まる朱里風。
「カッコイイんだし」
「ぷ?」
「シロヒメ、誇らしいんだし」
にっこりと。笑顔で、
「シュリカゼみたいな舎妹がいて、シロヒメ、みんなに自慢できるんだし」
「ぷ……!」
瞳が大きく見開かれる。
「ぷりゅ! ぷりゅぷりゅっ!」
「あーもー、落ち着くし。セスティももちろん舎妹だし」
「ぷりゅっ」
「シュリカゼも舎妹なんだし。姉妹なんだし」
「「ぷりゅっ!?」」
またもいななきが重なる。
「ぷりゅ……」
戸惑い、視線を向ける朱里風に、
「ぷりゅっ」
セスティが笑顔を返す。
「仲良しだしー」
満足そうにうなずく。
「シロヒメとも遠慮なく仲良くするんだし。舎妹なんだから」
「ぷりゅっ……!」
ようやく『ダメ』と言われたことの理由がわかり、ほっとした表情を見せる。
と同時に、あらためてそこに喜びの色が広がる。
「ほらっ」
すりすりすりすりっ。
「ぷ……ぷりゅっ」
再びの頬ずりに、今度はためらいなくこちらも頬ずりを返す。
そして、
「シロ姉……」
「ぷりゅっ!」
「って、呼んでいい?」
返事は、
「もちろんだしー❤」
すりすりすりすりすりすりすりっ!
「ぷ、ぷりゅっ……」
さらなる高速頬ずりにさすがに戸惑いの息がもれる。それでも、うれしそうな表情は変わらないままだった。
「あっ、でも違うから」
「ぷりゅ?」
「朱里風の『シュリ』は、手裏剣の『シュリ』じゃないから。字が違うから」
「えっ、そーなの」
思わず間の抜けた反応をする白姫に、
「ぷっ……」
笑った。
「ぷっりゅっりゅっりゅっ」
セスティも笑う。
「もー、なに笑ってるしー」
そう言いながら白姫もまた笑っていた。
「姉妹、仲良しだしー」
笑いながら。言う。
「もちろん、マリエッタとも仲良しだし」
「えっ……あ、はい!」
「キリカゼも仲良しだしー。みんな仲良しなんだしー」
心から。うれしそうに言う白姫に、
「そうだねー」
にこにこと桐風はうなずき、
「やめた」
「ぷりゅ?」
「あっ、聞こえなかった? じゃあ、ちゃんと言うね」
笑いながら、
「やめるから。プリュージカル」
「………………」
白姫は、
「……えーと」
ぷりゅ? 首をかしげ、
「何をやめるんだし?」
「にぶいなー」
笑みを絶やさないまま、
「プリュージカルに出るのをやめるの」
「……誰が?」
「ふふっ」
軽やかな笑い声を残し、
「ぷ……!?」
消えた。
「キ、キリカゼ!? どこ行ったんだし!」
木立を風が吹き過ぎたと思った瞬間、何の前ぶれもなく消えてしまった彼女に、
「キリカゼーーーーーーっ!!!」
白姫の絶叫がこだました。
「あ」
からりと。
白姫たちの前から姿を消したばかりの桐風は、目の前に現れた影に笑みを向けた。
「久しぶりだねー、麓華ちゃん」
「久しぶりです」
硬い表情で応える。
「んふふー」
にこにこと。やはり笑みは消えない。
と、不意に、
「お姉ちゃんのところにいたんでしょ」
「……!」
表情がこわばる。
「やっぱりねー。頭領ぶって厳しそうにしてるけど基本優しいからー」
「あなたは」
軽く桐風をにらみ、
「なぜ、その優しい姉と話し合おうとしないのですか」
「んふふー」
笑顔は崩れない。
「なんでだと思う?」
「わたしがそれを聞いているのです」
「そうだよねー」
飄々と。あくまでそれを保ったまま、
「なんでだと思う」
くり返す。
「……馬鹿にしているのですか」
「そう思う?」
「………………」
麓華は、
「わかりました」
つぶやく。
「わかってくれたんだー」
「ええ」
静かに、
「お……!」
踏みこんだ。
「つれていきます」
「へえ……」
「あなたを。お姉様のところに」
「ぷりゅぷんっ!」
頬をパンパンにして怒りをみなぎらせている白姫に、
「あ、あの」
マリエッタはおそるおそる、
「桐風さんのことは」
「そうだし! そのキリカゼだし!」
ぷりゅぷんっ! とたんに爆発し、
「どーゆーつもりだし、いまさらやめるって! 気まぐれすぎるんだし!」
「あの」
「マリエッタがなんて言ってもさすがに今回は止まらないんだし! 久しぶりに大爆発なんだし!」
「う……」
「みんなだってきっと怒ってるんだし! ほら――」
と、そこで息をのむ。
「シュリカゼ……」
セスティに寄り添われて。
うつむいた朱里風は、小さな身体をはかなくふるわせていた。
「ど、どうしたんだし」
あわてて近づく。
「シュリカゼもやっぱり怒ってるんだし? 怒りすぎて、その、逆に悲しくなっちゃったみたいな」
「違うよ、アネゴ」
代わってセスティが答える。
「朱里風……自分のせいじゃないかって思ってるんだ」
「えっ!」
「桐風のアネゴがいなくなったこと、自分のせいかもって」
「なに言ってんだし!」
あらためて興奮し、
「シュリカゼはいい子なんだし! 問題ないんだし!」
「うん……」
セスティは複雑そうにうなずき、
「ほら、朱里風がアネゴのこと『シロ姉』って言っただろ」
「言ったし」
「あれで怒らせちゃったんじゃないかって」
「なんでそーなるし!」
納得いかないと、
「キリカゼのこともお姉ちゃんで、シロヒメのこともお姉ちゃんなんだし! やっぱりなんの問題もないんだし!」
「でも……」
いまにも泣きそうな顔をあげる。
「問題ないんだし」
力強く。目を見て言う。
「キリカゼはそんな器のちっちゃい馬じゃないんだし。シロヒメの友だちで、シュリカゼのお姉ちゃんなんだから」
「ぷ、ぷりゅ」
そこに、
「ぼくも」
錦が口を開く。
「桐風はそんな馬じゃないとおもうよ」
「ぷりゅーか、なに落ち着き払ってんだしーっ!」
怒りの矛先が錦に向かう。
「騎士としてのかんとく責任はどーなってんだし! わがまま放題にさせて!」
「えぇ……?」
あぜんとなるマリエッタ。
「白姫さんから『わがまま』という言葉が出るなんて」
「ぷりゅ?」
「あ、いえ、なんでも」
「とにかく!」
ぷりゅしっ! 錦をヒヅメさし、
「どう責任とるんだし!」
「とるよ」
ためらいなく、
「ぼくが」
言う。
「桐風の代わりに出演するから」
Ⅸ
すかさず、
「アホだしー」
「ア、アホかなあ」
容赦のない言葉にさすがに顔を引きつらせる。
「けど、やるよ」
言う。
「ぼくが桐風の代わりを」
「アホなんだし!」
断言される。
「シロヒメたちがやるのはプリュージカルなんだし」
「わかってる」
「求められてるのはプリュマドンナなんだし」
「プリュマドンナ?」
「あの、それはバレエでは」
「プリュリーナだし」
「バレリーナのことかな」
「だから、それではバレエだと」
「とにかく!」
錦とマリエッタの言葉を強引に跳ねのけ、
「ニシキは無理なんだし! 馬じゃないんだから!」
「……わかった」
真剣な顔のまま。うなずき、
「馬になる」
「ぷりゅ!?」
「馬になる! なりきってみせる!」
華麗に手をふり、ポーズを作りながら宣言する。
「………………」
あぜんと。
白姫ですら声をなくす。
「あ……」
我に返るとあわてて、
「甘くないんだしっ、馬になるのは!」
「わかってる」
「さっきから『わかってる』多すぎなんだし! わかってないんだし!」
「わかってるよ……」
自分の胸に手を当て、
「桐風のことを一番わかってるのは……ぼくだ」
かすかにためらいがにじむも、言い切る。
「でしょ?」
「ぷりゅぅ……」
難しい顔で、
「確かにニシキはキリカゼのご主人様なんだし」
「うん」
「キリカゼのことをよく見てるんだし」
「プリュージカルの練習もちゃんと見てたよ」
「ぷりゅりゅぅ……」
さらに険しい顔になって考えこむ。
「……本当にできるんだし?」
「やってみせる」
「『みせる』じゃだめなんだし!」
ぷりゅぷん!
「馬だ! 馬になるんだし!」
「ええっ!?」
「シロヒメたちがやるのはプリュージカルだし! 完全に馬になるということが絶対じょーけんなんだし!」
「完全に……」
かすかに不安そうな顔を見せるも、すぐに、
「わかった」
「違うし」
「えっ」
白姫は高らかに、
「ぷりゅ!」
いななきが静かな森にこだましていく。
「こーなんだし」
「あ……」
はっとなる。そしてすぐに、
「ぷ、ぷりゅ」
「違うし!」
厳しい叱責に続き、
「ぷりゅ! こうなんだし」
「ぷ、ぷりゅ!」
「ぜんぜん違うし! なに聞いてんだし!」
「ぷ、ぷりゅーっ!」
「だから違うって言ってんだしーっ!」
パカーン! ついにはヒヅメが出る。
「ぷりゅりゅりゅ……」
その光景を前にいななきをふるわせるマリエッタ。大丈夫だろうか――当然のその心配を口にする間もなく、
「真面目にぷりゅぷりゅするしーーっ!」
パカーーーン!
さらなるヒヅメの音が響き渡った。
「あーらら」
顔をあげて。桐風がつぶやく。
「なんだか錦ちゃんがいじめられちゃってる気がするなー」
「それは……」
苦しげな息の下、
「あなたのせいでしょう」
「だよねー」
悪びれることもなくうなずいてみせる。
「あなたという馬は……」
麓華の声がふるえ、
「それでも騎士の馬なのですか!」
「どう思う?」
「……!」
見つめられる。
これまでのふざけていた調子のないまっすぐな目で。
「どう思う? ねえ、麓華ちゃん」
「わたしは」
声がふるえるのを抑えられず、
「わかりません……あなたのことが」
「なーんだ」
あっさりと背を向ける。
「じゃあ、他の子に聞くしかないかな」
「く……」
とっさに止めようとヒヅメを伸ばす。
そこまでが限界だった。
暗転。
麓華の意識は闇に沈んだ。
「またかよ」
夜――
ぴくっ、と小さな影がふるえた。
「おい」
不機嫌さむき出しの声で、
「まだアタイたちのこと信用できねーのか」
「………………」
何も言わず。しかし、小さく首をふる。
「だったら」
「ごめん」
その言葉に、いっそうカッとした調子で、
「あやまってんなよ! アタイたちはそんな間柄じゃないだろ!」
「だって」
泣きそうなふるえ声で、
「キリ姉がいなくなっちゃったのは」
「それは、朱里風のせいじゃないってアネゴも言ってただろ!」
「けど」
「『けど』じゃないっ!」
強引に言い切る。
「……わかったよ」
「えっ」
「そうしなきゃ気が済まないっていうなら、アタイも付き合う」
「ぷりゅ!」
目を見張り、
「だ、だめだよ、セスティまで」
「付いてきてほしくないのかよ、アタイに」
「そうじゃないけど……けど」
「『けど』じゃない」
くり返す。
「友だちだ」
「……!」
「予約とかもうそういうの関係ない。アタイたちは友だちだ」
「セスティ……」
「だから」
有無を言わさない。そんな鼻息で、
「アタイも行くぞ」
それをこばむ言葉はなかった。
「で、どこ行くんだよ」
「わかってなかったの!?」
驚きのいななき。直後、ぷっと吹き出す。
「わ、笑うなよっ」
「だって笑うよ」
からっと。出かける前の暗さが嘘のように明るい笑みを見せる。
「笑うなって」
照れ隠しにこちらも笑みをこぼす。
いつの間にか。
語らないでもわかり合えるほど彼女たちは親しくなっていた。
「プリュージカルのため」
「プリュージカルのため、だな」
それがはっきりしていれば。
後はまかせるという顔で、再びセスティは朱里風の後について歩き出した。
「……あれ?」
おかしい。そう言いたそうに首をひねる。
「どうしたよ」
「うん……」
確証が持てないという顔ながら、
「そろそろのはずなんだ」
「『はず』って」
あきれた目で、
「おまえ、ここに住んでるんだろ」
「住んでるよ。生まれたときから」
「だったら」
「忍馬の里なんだ」
言う。
「決まった場所とか位置とか、そういうのがぜんぜんないところなんだ」
「そうなのかよ!」
「あそこも一応キリ姉の寝床ってことになってるけど、今度のことが終わったらたぶんぜんぜん関係ない何かになる」
「『何か』って」
言葉をなくす。
「すげーのな、忍馬って」
「すごいのかな」
はかなげに。目を落とす。
「確かなものがないって、なんだか哀しい」
「………………」
言葉をなくすセスティだったが、
「ほら!」
言葉はいらない。それを示すように身体をすり寄せた。
「あったかい」
宵闇の中、確かな息づかいが少女たちをつなぐ。
そのときだった。
「……!」
囲まれていた。
「またかよ……」
つぶやく。
「最初のときも思ったけどぜんぜん気づかせねーのな。アタイに忍馬の素質はねーや」
強がりのような言葉。
しかし、いまはそれだけではない。
味方がいる。彼らと同じ忍馬であり、そして自分の友でもある少女が。
「母上は?」
頼もしい足取りで朱里風が前に出る。
答えは、ない。
「母上と話をさせて。ううん、もっと早くこうしなくちゃいけなかったんだ。もうシロ姉たちのことを」
言葉が止まった。
「朱里風?」
気づく。
彼女の見つめる先に、
「ぷりゅ!」
いた。
「桐風のアネゴ!」
悠然と。
枝葉の間から差しこむ月明かりを受け、彼女は立っていた。
とたんにはっとなる。
「アネゴ、アタイたちを助けに」
「ぷりゅっ!」
朱里風の身体が跳ね、
「だ、だめ! キリ姉が里のみんなと戦ったり」
「戦わないよ」
あっさりと言う。
「そういう段階って、もう終わっちゃったから」
「ぷりゅ?」
「お……終わった?」
「そう。終わったんだよ」
うっすらと。瞳が冷たい光を宿し始める。
「セスティ」
「ぷりゅっ」
「朱里風」
「ぷ、ぷりゅ……」
にっこりと笑い、
「何しに来たの? キミたちだけで」
「キリ姉!」
朱里風が身を乗り出す。
「帰ってきてよ、キリ姉!」
「………………」
桐風は、
「どこに?」
「どこにって」
絶句するも、
「みんなのところだよ。シロ姉たちのところに」
「シロ姉かー」
朱里風の身体がこわばる。
「ご、ごめん。キリ姉以外の相手にこんな呼び方」
「そこはどうでもいいんだけどねー」
言う。
「そっち側なんだね」
「ぷりゅ?」
「だーかーら」
にこにこと。相変わらず笑顔はそのまま、
「姉上とそっくりってこと」
「………………」
完全に言葉を失う。
わからない。そんな思いを表情に張りつかせて。
「さてと」
さっと。首をふった瞬間、
「!」
囲まれた。
音もなく忍馬たちが一斉に動いた。
「な、なんで!?」
朱里風が驚きの声をあげ、直後、その目が桐風に向けられる。
「キリ姉が……やらせてるの?」
「そうだよ」
「キリ姉……」
「あー、ちょっと違うなあ」
「えっ」
「呼ぶときはそうじゃなくて」
言う。
「頭領」
「!」
「示しがつかないから。そう呼んでくれないと」
ふるえる。
「え……え?」
わからない。ふるえ続けることしかできない。
「ア、アネゴ!」
その隣にセスティが並び、
「なに言ってんだよ! アネゴは一緒に島に」
「うるさい」
「!」
目が見開かれる。
「いま……なんて」
「うるさいって言ったんだよ」
いつも浮かべている笑みが一転。瞳そのままの冷徹な顔で、
「黙らせて」
「――!」
忍馬たちが――動いた。
Ⅹ
「どういうことなんだしーっ!」
朝から絶叫のいななきがこだまする。
「なんでだし! なんでチビッ子組までいなくなっちゃってるし!」
「ご、ごめんなさい」
マリエッタが頭を下げる。
「昨夜は、その、ぐっすり寝てしまって」
「シロヒメもぐっすり寝てたし」
ぷりゅ、とうなずき、
「どこかの生徒の出来が悪いからー」
「ごめん……」
「ほら、もうそこが違ってんだしーっ!」
パカーーン!
「うわぁっ」
情けない悲鳴と共に吹き飛ばされる。
「馬なんだから『ごめん』じゃなくて『ぷりゅ』だし!」
「ぷ、ぷりゅ」
「それか『ぷりゅんなさい』だし」
「いえ、そういう風に言うのは主に白姫さんだけなんですけど」
「……あの」
錦が手をあげる。
すかさず白姫ににらまれてはっとなり、
「ぷ、ぷりゅ。ぷりゅぷりゅぷりゅ。ぷりゅ」
「ぷりゅ? ぷりゅぷりゅ」
「ぷりゅぷりゅっ。ぷりゅっ」
「って、なに言ってんだかわかんねーんだしーっ!」
パカーーン!
「うわぁっ」
「理不尽すぎますよ、白姫さん!」
「そんなことないし。ニシキの『ぷりゅ』には魂がこもってないんだし」
「魂って」
「ぷりゅんなさい」
あやまる錦。
「難しいね、馬語って」
「難しいんだし。馬は賢いから」
「そうだね」
「ぷりゅったく」
やれやれと。肩をすくめて、
「しょーがないニシキなんだし。いまは好きなようにしゃべっていいんだし」
「ぷりゅがとう」
笑って。言うと、
「本当に桐風のことでみんなには迷惑をかけちゃって」
「何をいまさらなんだし。キリカゼはシロヒメの友だちなんだし。ニシキだけのキリカゼじゃないんだし」
「うん……」
表情がかげり、
「難しいね」
「そうだし。馬語は……」
「じゃなくて」
微笑と共にさえぎり、
「桐風のこと」
「ぷりゅ?」
「ううん、違う」
頭をふり、
「難しいと感じてしまう……そんなぼくが問題なんだ」
「そのとーりだし」
容赦なく。錦の言葉にうなずく。
「情けない騎士だよね」
「情けないし」
またもうなずく。
「ニシキはご主人様なんだし。どーんと受け止めるんだし」
「どーんと……」
「そーだし。ヨウタローなら、シロヒメがどんなにわがまま言っても絶対に聞いてくれるんだし」
「それはそうだよね」
苦笑する。
「まあ『どーん』ってカンジじゃないけど」
「それは認めるし」
ぷりゅ。うなずく。
「そういうところはヨウタローも情けないんだし。けど、シロヒメにはヨウタロー以外のご主人様なんてあり得ないんだし。キリカゼだってきっとそうなんだし」
はっと。
「そうか……」
つぶやく。
「葉くんみたいに……ぼくも」
そのとき、
「きゃっ!」
マリエッタが悲鳴まじりのいななきをあげる。
「し、朱里風さん!」
「!」
驚きそちらを見る白姫と錦。
「ぷ……」
白姫が絶句し、
「シュリカゼーーっ!」
駆ける。
「どうしたんだし! しっかりするし!」
木々の間からよろよろと姿を現した朱里風は、そのまま倒れこむように白姫に身体をあずけた。
「シロ姉……」
うつろな目が向けられる。明らかに憔悴しているとわかる顔で、
「ごめんね……」
「!」
白姫はあたふたと、
「何をあやまるんだし。ぷりゅーか、何があったんだし」
「セスティが……」
顔色が変わる。
「セ、セスティがどうしたんだし」
「………………」
「シュリカゼ!」
「ぷ……うう……」
涙がこぼれる。
泣きむせぶ彼女は、それ以上何も口にすることができなかった。
「ウマヂチ!?」
馬質――馬の人質なその言葉に、白姫の顔が青ざめる。
「ホントなんだし? キリカゼがそんな」
「ぷりゅ」
泣き顔の朱里風がうなずく。
「そんな……」
言葉を失う。
朱里風が語ったこと――
桐風が忍馬たちを率いていた、自分が里の頭領だと宣言したなどすべてが白姫たちにとって信じられないことばかりだったが、一際ショックだったのは、
「なんでだし! なんでセスティが馬質にならないといけないんだし!」
「そんなの」
わからない。あふれる涙がその言葉を止める。
「ぷりゅっ……ぷりゅっ……」
「……大声出しちゃって、ごめんだし」
わずかに落ち着きを取り戻し、泣きじゃくる朱里風に寄り添う。
「ぷりゅったく。本当にわけのわかんないキリカゼなんだし」
「ごめん……」
「なにあやまってんだし」
錦に。言う。
「これはもうニシキだけの問題じゃないんだし」
「白姫ちゃん……」
「マリエッタ」
涙してふるえ続ける小さな身体をそっと押しやり、
「シュリカゼのこと、お願いね」
「白姫さん……」
「行くし」
言い切る。
「シロヒメ、セスティを助けてくるし」
「ぼくも――」
「だめだし」
すかさず止められる錦。
「キリカゼは、シロヒメだけで来いって言ってるんだし」
「でも」
「『でも』じゃないし」
言い切る。
「じゃあ、行ってくるし」
「あ……」
「ニシキ」
足を止める。
「セスティだけじゃないし」
「えっ」
「キリカゼも」
にこっ。ふり向いた白姫は笑い、
「ちゃんとニシキのところにつれてくるし」
「………………」
悲壮さを感じさせないおだやかな足取りで。
白姫は去っていった。
無言のまま、それを見送った錦は、
「……情けない」
つぶやいていた。
「来たしーっ!」
長々と伸びた樹木によって、はるか頭上で日光がさえぎられた空間。
そこに白姫の勇ましいいななきが響き渡った。
「言われた通りシロヒメだけなんだしーっ! 早くセスティを返すしーっ!」
高く高く声がこだましていく。
返事は――ない。
「ぷりゅぅ……」
顔をしかめる。
すぅっ。大きく息を吸いこみ、
「出てくるしーーーっ! キリカゼーーーーーーっ!」
ざわざわと。
叫び声が風を呼んだかのように枝葉がゆれる。
「ぷりゅっ!?」
はっと。白い身体がこわばる。
巻きあがる木の葉と共に、次々と馬影が現れる。
「キリカゼはどこだし! シロヒメ、キリカゼに会いに――」
ヒュン、ヒュン、ヒュンッ!
「ぷりゅっ!」
カッ、カッ、カッ!
とっさに避けたそこに、するどく研がれた蹄鉄が突き立った。
「ぷりゅぅぅ……」
白姫の表情が険しくなる。
「やるつもりなんだし?」
答えはない。その代わりに、
「ぷりゅりゅっ!」
音もなく迫り来る忍馬たち。その突撃を避け、
「ぷりゅーっ!」
パカーン、パカーン!
カウンターで放たれたヒヅメが相手を蹴り抜き――
「!?」
ない。
まったく手ごたえ――蹴りごたえが。
「ぷりゅっ!?」
いない。
代わりにそこにあったのは、宙に舞う青鹿毛色の布。
「変わり身の術なんだし!」
驚いたものの、しかし反応は早かった。
動く。
「――!」
かすかに動揺する気配が伝わる。
隙をついて襲うはずであった忍馬たちのヒヅメが空を切る。
わかっていた。
白姫には。
いや、理解するより早く本能が身体を動かしていた。
人間相手なら確実に虚を突けるであろう技も、しかし、人間以上の感覚を持つ馬に対して十全な効果は発揮できなかった。
何より白姫自身の素質もあった。
敏捷さ。そして、思考するより早く動くことへのためらいのなさ。
それが不意打ちを回避させたのだ。
「ぷりゅーっ」
パカーーン! 今度こそヒヅメが敵を捕らえる。
「そっちが悪いんだし。これ以上パカーンされたくなかったらキリカゼを」
言葉が止まる。
「ぷりゅぅぅ……」
次々と。
あらたな忍馬たちが姿を現す。
「どうしてもキリカゼを出さないつもりなんだし?」
答えは、ない。
「わかったし」
ザッ! 大地を強く踏みしめる。
「まとめてかかってくるし! シロヒメ、負けないし!」
凛々しく言い放った。
「あ、あの、錦さん」
はっと。錦の顔があがる。
「その……ぷ、ぷりゅんなさいっ」
「何をあやまってるの」
優しい笑みが向けられる。
「いえ、その」
何か言いたそうにするが、寄り添う朱里風を気にして言葉を飲みこむ。
しかし、口にせずとも思いは伝わる。
心配なのだ。白姫のことが。
「……ごめんね」
言う。心から。
「ぼくがなんとかしなくちゃいけないことなんだよね」
「そ、そんなこと」
いななきに力がこもり、
「白姫さんも言っていました。これはもう誰かだけの問題ではないと」
「……うん」
うなずく。
「だから、錦さんがあやまるようなことは」
「あるんだ」
言う。
「ぼくは桐風のご主人様だから」
「っ……」
「ご主人様……って言っていいのかもうわからないけど」
「そんな」
マリエッタはあわてて、
「錦さんは桐風さんのご主人様です。だって、いつも」
そこで言葉が途切れる。
「いつも?」
「………………」
「ごめんね」
口ごもるマリエッタを前に、錦のほうが頭を下げる。
「気をつかわせちゃったね」
「そ、そんな!」
「いいよ」
視線がはかなく沈む。
「自分でよくわかってるから」
「………………」
「そうだよね」
弱々しく。笑う。
「どう思ってるのかな」
「えっ」
「桐風……ぼくのこと」
言葉が途切れる。
そして小さく。つぶやく。
「どう思ってるのかな……」
「ハァ……ハァ……」
どさり。新たな馬影が沈む。
「まだいるんだし……?」
いた。
無限にわいて出てくるかのように、白姫を囲む忍馬たちはその数を減らさない。
「なんでだし……」
つぶやく。
「馬同士で戦ったって……悲しいだけなんだし」
涙がにじむ。
忍馬たちはゆらがない。
「なんでなんだし……」
それでも口にせずにはいられない。そんな悲しみを吹き払うように、
「キリカゼーーーーーっ!」
いななく。
「出てくるんだしーっ! 何度も言わせんじゃねーしーっ! どういうつもりなんだしーーーーっ!」
返事は――
「やれやれ」
あった。
「……! キリカゼ」
「使えない配下たちだねえ。本気で忍馬やるつもりあるのかな」
「キリカゼ!」
険しいいななきで、
「なんてこと言ってんだし! みんな、いっしょうけんめーやってたんだし!」
「けど、白姫ちゃん相手にどうにもならない」
冷たいさげすみを瞳にたたえ、
「使えないってことだよね」
「キリカゼ!」
「おっと」
やわらかく。笑顔を向け、
「こんな話をするために来たわけじゃないでしょ」
「そうだし」
真剣な表情のまま、
「返すし。セスティを」
「いいよー」
思わず身を乗り出す。と、それを制するように、
「あわてないで」
言う。
そして、
「!」
白姫は目を見張った。
「セスティ!」
叫び声に、
「ぷ……」
かすかに。身じろぎする。
「アネ……ゴ……」
ヒヅメを伸ばしてくる。と、その背中を、
「ぷりゅっ!」
踏まれる。
「何するし!」
たまらず怒りの声を放つ。
「何ってねえ」
笑顔のまま、
「ぷりゅぅっ!」
強く踏みにじられ、苦痛のいななきがあがる。
「やめるし! いいかげんにするし!」
激昂する。
「なんで、セスティいじめてんだし! シロヒメの、ううん、みんなの舎妹だし!」
「知らないよ」
冷たく言い捨てる。
「知ったことじゃない」
ぐぐぐっ。
「ぷりゅぅっ!」
さらなる悲鳴。
「やめるんだしーーーっ!」
突進する。
「やめて!」
止まる。
「セスティ……」
どうして? そんな目で見る白姫に、
「アタイ、平気だから」
笑顔を作る。
「だから……」
涙がにじむ。
「ケンカしちゃだめだよ……アネゴたちが」
言葉を失う。
「セス……ティ……」
白姫の目にも涙がにじみ、
「なんて……なんて優しい子なんだし……」
ずんっ!
「ぷりゅっ!」
容赦なく。小さな身体にヒヅメが踏みこまれる。
「!」
瞬間、
「ごめんね」
「ぷ、ぷりゅぅ……」
やめて。変わらずそんな目で見つめてくる『舎妹』に、
「シロヒメ、本気で怒ってしまったんだし」
そして、
「――!」
猛々しいいななきが木々をふるわせた。
Ⅺ
「わっ」
少女――錦は思わず驚きの声をあげた。
「びっくりしたー」
言葉にも出す。
「ねえ、キミ、どこの子?」
話しかけられた青鹿毛色の毛並みの子馬は軽く首をかしげた。「なんなんだ、この人間は」と言いたそうに。
それが妙に人間くさく見えて、
「ははっ。おもしろいね」
ますます首をひねられる。
「ぼくは錦。キミは?」
子馬は――
「ぷりゅっ」
一声鳴くと、
「あっ」
跳ねた。
まるでウサギのように軽やかに身をおどらせ、決して足元がいいとは言えない山の尾根道を走り出す。
「ま……待ってよ」
あわてて追いかける。
追いかけずにはいられなかった。
偶然、いや奇蹟と言ってよかった。
一人になりたくてやってきたこの場所で――
いままさに『騎士』のことで悩んでいた自分の前に、馬が現れるなんて。
「待ってよーっ! おーい!」
「ふぅーう」
あごまで滴り落ちてきた汗をぬぐう。
気づけば、空が夕焼け色に染まる時間になっていた。
「気分そーかい!」
大きな声で、
「あー、楽しかったー」
心から。言う。
「すごいね、キミ」
「ぷりゅりゅー」
すこしあきれたようないななき。まるで「そっちのほうがすごい」と言っているようだ。
確かに。
およそ半日も山の中を馬と追いかけっこできる人間はそうはいない。
身体的なことについて言えば、
「ぼく、山育ちだから」
錦の家は温泉旅館だ。人里離れた山奥深くにあるいわゆる秘湯と呼ばれる宿。
遊ぶ場所も、当然山が中心だった。
男の子に負けないくらい夢中で大自然の中を駆けめぐった。それが見た目の『男っぽさ』にもきっと影響しているのだろう。
そんな自分に……『彼』は――
「も、もうっ。なに思い出させてるのっ」
「ぷりゅ?」
突然、照れもだえ始めた錦に目を丸くする。
「あ」
さすがに自分の醜態――というか恥態に気づき、
「な、なんでもないよっ。なんでもないからっ」
「ぷりゅー」
なんでもはあるだろう。またもそんなあきれた息。
「えへへ……」
確かになんでもはある。
そもそも、身体的に可能でも、こんな時間になるまで出会ったばかりの見知らぬ馬を追いかける女の子が普通はいるはずがない。
(普通は……)
普通――ではないのだろう。
「ねえ」
言う。
「ぼくの馬にならない?」
「――!」
はっきりと。
「あっ、ごめんごめん」
表情の変化を見て取りあたふたと、
「いきなりだもんね。驚いちゃうよね」
返事は、ない。
「ごめんね。……でも」
にこっ。笑みを向け、
「キミがぼくの馬になってくれたら、うれしいな」
「………………」
固まられる。
「ご……ごめん」
言う。またも。
「びっくりしちゃったよね」
くり返す。
「まずはちゃんとお話ししないと」
座りこむ。とたん、
「う……」
ぐぅぅぅぅ~。
「あははは」
笑ってごまかす。とてもごまかしきれないが。
「それはへるよねー、おなか。だって、ずっと追いかけっこしてたから」
うなずくとも何とも言えない相づちが返ってくる。
「けど『へる』っておかしいよねー。おなかそのものは別に減ってないから。なくなっちゃうわけじゃないから」
「………………」
「あー、けど、ずっと食べなかったら結果的に減っちゃうわけかー。なるほどねー」
青鹿毛の馬は、
「……ぷっ」
「ん?」
「ぷっ……ぷりゅっ……ぷっりゅっりゅ」
「えーと」
肩を小刻みにふるわせるその姿に、
「笑って……るの?」
ふるえ続ける。
「ははっ」
錦からも力がぬける。
「キミっておもしろいなぁ」
「ぷりゅりゅっ」
そっちのほうがおもしろい。そう言いたそうにいななく。
「そうかなあ」
「ぷりゅっ」
うなずかれる。
「ははっ」
笑って。
自然にたてがみをなでた。
子馬は、もう逃げようとはしなかった。
「変な子だったよー、錦ちゃん」
なつかしそうに語る。
その足下で――
「しっかりして、アネゴ! 白姫のアネゴぉ!」
忍馬たちに抑えこまれたセスティが涙を散らす勢いで叫ぶ。
「ぷ……ぅ……」
わずかにヒヅメを動かす。
それが限界だった。
「もー、弱いなー、白姫ちゃん」
変わらぬ明るい声で。桐風が言う。
「早く回復してよー。これじゃぜんぜん楽しめないって」
「なんで……だし……」
「んー?」
「なんで……」
悔しそうに顔をあげ、
「こんなことをするキリカゼじゃないはずなんだし……」
「する桐風なんだよ」
ぐぐっ。
「ぷりゅっ!」
うめき声をもらす白姫。
「やめて、桐風のアネゴぉ! やめてぇっ!」
「うるさいよ」
首をふる。すかさず、
「ぷりゅぅっ!」
セスティを押さえこむ力が強くなる。
白姫ははっとなり、
「やめるし! セスティ、いじめんじゃねーし!」
「あれー。まだそういうこと言えるんだー」
顔を近づける。
「さすがだね、白姫ちゃん」
「ぷりゅぅぅ……」
「けどね」
ふっ。鼻で笑い、
「これが騎士の馬の限界だよ」
「……!」
聞き逃せない! そんな目で桐風を見る。
「限界なんだ」
目をそらすことなく、
「騎士の馬はあくまで『騎士が使うための馬』なんだ」
「違うし!」
「違わないよ」
冷静な目のまま。言う。
「じゃあ」
白姫は悔しさに涙をにじませ、
「キリカゼもそう思ってたの?」
「えっ」
「ニシキに〝使われてた〟って……そう思ってたの?」
「………………」
桐風は、
「ぷりゅっ!」
不意に蹴りを見舞われ、地面の上を転がる白姫。
「ふー」
やれやれと。自分の熱を冷ますように息を吐き、
「やめようよ」
「ぷ……ぷりゅ?」
「人間の話をするのは。いまは馬同士で話をしてるんだ」
「ぷりゅぅ……」
勝手な! そっちが騎士の話をふってたきのに! そんな抗議の視線に、しかし、桐風は冷笑で答え、
「ほら。そろそろ回復した?」
「ぷ……!」
ふるえる脚で。白姫は立ち上がる。
「言われるまでもねーんだし」
「あー、よかった。待ち切れなくて思わず蹴ったりしちゃったから」
「ぷりゅぅっ!」
馬鹿にするな! そんないななきと共に脚に力をこめて一気に飛びかかる。
「だーかーらー」
ふわり。
「!」
かわす。当然という顔で。
「考えがなさすぎだよ、白姫ちゃん」
「ぷりゅぅ!?」
「仕方ないんだけどね」
わかっている。そう言いたそうに、
「白姫ちゃんは賢いよ」
「!」
「けどその賢さは意味ある形で発揮されない」
「ぷ、ぷりゅりゅ!?」
「だって」
ふわりと。
「騎士の馬だから」
反応する間もなく。思いがけない懐への侵入に、白姫は身構えることもできずに蹴りを受けた。
「ぷりゅぐふっ!」
吹き飛ぶ。
決して力まかせの攻撃ではない。
なのに、白姫の馬体は踏みとどまることができない。
「ぷ……っ」
特別素早いわけではない。
だが捕らえられない。
確実にこちらの意識の隙をついてくる。
「ぷ……ぷりゅぅぅ……」
屈辱の息がもれる。
完全にヒヅメの上で踊らされている。その自覚のためだ。
「運転手のいない車なんだ」
「……!?」
「白姫ちゃんたちだよ」
唐突な言葉に瞳をゆらす。
「白姫ちゃんたちは」
言う。
「騎士に操縦される車。操縦しやすいよう、従順であるように育てられたそういう存在なんだよ」
「ぷりゅぅっ!」
とっさにいななくも、続く言葉が出てこない。
「無理に否定しようとしなくていいよ。仕方ないんだから」
微笑んで。言う。
「そういう風に育てられちゃったんだ。自分だけじゃ何もできないようにって」
「そんなこと」
「素質をゆがめられちゃったんだ」
言い切る。
「何十、何百年も世代を重ねてね。白姫ちゃん、いつも言ってるでしょ。ママもおばあちゃんもそのまたおばあちゃんも騎士の馬だって」
「ぷ、ぷりゅ」
「そうやって時間をかけて、騎士は馬を都合のいいように」
「違うし!」
どうしようもなく。鳴き声をあげる。
「都合のいいようって……ヨウタローたちはそんなふうにシロヒメたちのことを……シロヒメのことを……」
「見てるんだよ」
言い切る。
「ねえ、白姫ちゃん」
優しく。語りかける。
「やめちゃいなよ」
「!」
「騎士の馬なんて」
「ぷ……」
驚きあわてて、
「で、できるわけないし! それに、シロヒメは騎士の馬であることを誇りに」
「それがゆがみなんだよ」
言い切る。またも。
「だから」
優しいまなざしのまま、
「やめれば見えてくることもあるんじゃない」
「み、見えてくること?」
「何が本当で、何が嘘か。そういうこと」
白姫は息をのむ。
ひそやかに。桐風が笑みをこぼす。
「どうかな?」
「………………」
「ねえ、一緒にここで暮らさない? この忍馬の里で」
ぴくっ。反応する。
「ここならそのままの馬でいられる。自由でいられる」
「自由で……」
「自然もいっぱいだしね。悪くないでしょ」
その提案に――
「………………」
白姫は、
「ここじゃないんだし」
「ん?」
「シロヒメの帰るところは」
言う。
「ヨウタローの……みんなのところなんだし」
「………………」
桐風は、
「……それでいいの」
「ぷりゅ?」
「だから」
かすかにいら立ちをにじませ、
「使われる立場のままでいいのかって聞いてるの」
「っ」
ちょっぴりためらいを見せた後、
「いいんだし」
「……!」
「けど『使われる』って言い方は違うんだし」
そう口にすると胸を張って、
「シロヒメは騎士の馬だし」
「だから!」
口調が険しくなり、
「『騎士の馬』っていうことは、そのままの馬じゃないってことでしょ! 騎士がいないと成り立たないってことでしょ!」
「その通りなんだし」
ゆらがない。
「とっても幸せなことなんだし」
「っっ……」
引きつる。
「……意味がわからないよ」
「そんなことないし」
いっそう胸を張って、
「ほら。シロヒメを見ればよくわかるはずだし」
「それは」
否定の言葉が出てこない。
「けど、騎士がいないとだめな幸せでしょ。自由じゃないでしょ?」
「自由……」
「そうだよ」
「……シロヒメは」
ためらいなく、
「一緒にいたいから……だからヨウタローと一緒にいるんだし」
「っ……っっ」
引きつりを抑えきれない。
「わからないよ」
あくまでもその主張を続ける。
「じゃあ、わかるように言うし」
そして、
「ぷりゅ~ん❤」
「!?」
あぜんと。
「ぷりゅぷりゅ❤」
「………………」
絶句。
会話はしていたものの戦いの最中であったというのに――
なのに、白姫は、
「ぷりゅりゅ~ん❤」
無防備に。
というか完全にゆるみきった顔で草むらの上にごろごろし始めた。
「……えーと」
なんとか自分を取り戻し、
「何してるの」
「見てわからないんだし?」
「わからないし。あと何も『言って』ないんだけど」
「言ってるんだし。『ぷりゅりゅ~ん』って鳴いて甘えてるんだし」
「甘えて……?」
「そうだし」
立ち上がると当然だというように、
「ヨウタローがいなかったら、誰がシロヒメを甘やかしてくれるんだし」
「あ……」
そういうことか――
そう言いたそうな顔になった桐風に、白姫は続けて、
「そういうことなんだし」
「っ」
「わかってくれたんだし?」
にこっと。
笑う白姫にあわてて、
「あ、甘やかすとかってそんなに大事?」
すかさず、
「大事に決まってんだしーっ!」
「ぷりゅっ!?」
猛烈な勢いでいななかれ、たまらず驚きのけぞる。
「大事に決まってんだし」
くり返す。
「キリカゼだって、ニシキにかわいがられてんだし」
「!」
ふるえる。
「だから……錦ちゃんのことは」
「なんでだし」
「えっ」
「キリカゼは」
目を見つめ、
「ニシキのことが大好きなんだし」
「……!」
「当たり前だし。ニシキの馬なんだから」
迷いなく。言い切る。
「ねっ」
にっこり。
「………………」
桐風は、
「なんでかなぁ」
「ぷりゅ?」
「だから、なんで……」
それは白姫が初めて見る――
「!」
真に怒った――桐風の目。
「白姫ちゃんはぁ……いつもそうやってぇぇ!」
迫る。
「ぷ……!?」
思いがけない激昂に、冷静だったとき以上に反応ができない。
いままでの攻撃がまったくの手抜きに感じられる蹴撃が白姫に向かって――
「そこまでだよ!」
響き渡る。頭上から。
「っ」
はっと。
大げさに思えるくらい身体をふるわせて桐風の動きが止まる。
「……ヒーローだねぇ」
動揺を押し隠すように。
つぶやく。
「けど、約束違反だよ」
さらりとした笑みを取り戻し。言う。
「ここには白姫ちゃんだけで来るようにって伝えさせたはずなんだけど。いいのかなあ、騎士が約束を破るなんて」
答えは――
「否」
「だよねえ」
ますます楽しそうな調子で、
「騎士が約束を破るなんて、それは『否』だよねえ。どんな理由があったって、それをやっちゃたら騎士として」
「否!」
「……っ」
かすかに口もとが引きつる。
「へえ」
しかし、余裕の冷笑を崩すことなく、
「約束なんてしてない……そういう意味の『否』? けどそれって言いわけだよ。ここに白姫ちゃんだけで来た時点で約束は成立――」
「否!」
くり返される。
「ぷぅ……」
さすがにいらっとした顔で、
「何が言いたいの。さっきから何が『否』なの」
「約束は破っていない」
「それは違うよね! 現にここに」
すかさず言い切る。
「騎士と馬は一体!」
「――!」
「人馬一体。それが騎士の自然。ゆえにここにあるのは当然!」
「……屁理屈だね」
「真実だ!」
声を強め、さらに、
「騎士であると共に――私は!」
舞い降りる。
枝葉をゆらし馬たちの前に着地したその影は、
「!」
桐風も驚きを隠しきれなかった。
何度も聞いた声。
目にした姿。
しかし、その顔には、
「仮面!?」
「その通り」
早春の若緑を思わせる――
木の葉と枝で即席に作られた仮面をつけたその人物は名乗った。
「私はヒーロー! ユウガランサーだ!」
Ⅻ
「行くべきです」
「う……」
マリエッタの思わぬ強い言葉に、
「………………」
懐けなく。何も言えないまま目をそらしてしまう。
「行くべきです!」
再び。強く。
「桐風さんは錦さんの馬なんです!」
「うん……」
「なんでそんなに自信がないんですか!」
はっと。
顔を上げたのは朱里風だ。
「………………」
「う……」
じーっと。「どうして?」という目で見られ、ますます長身を縮こまらせる。
「錦さん」
「………………」
「何度でも言います」
うらやましい。そう思えるほどまっすぐな目で、
「行くべきです」
「………………」
やはり答えられない。
「行ってあげてください」
声が切々としたものになってくる。
「桐風さんはきっと錦さんを待っています」
「そんなこと……」
思わず否定する言葉が出かけ、それを認めたくないというように唇を引き結ぶ。
「待っています」
言い切る。
「待っているんです。桐風さんは」
「………………」
錦は、
「……でも」
やはり踏み切れない。
そこに、
「錦さんはどうなんですか」
「! ぼくは」
とっさに口を開いてしまい、それは止められなくなる。
「ぼくは桐風のことが大好きだ!」
「はい」
「桐風がいなかったらぼくは……ぼくは騎士になってなかった」
「はい」
うれしそうに。目を細めてうなずく。
「だから」
言う。
「行かないと」
言っていた。
「桐風は! ぼくの馬なんだから!」
「けどねー」
あきれたように。
いや、実際あきれた息を桐風はもらし、
「仮面ってどういうこと?」
「仮面は」
「仮面は?」
「仮面は――」
凛々しく。言う。
「仮面だ」
がくっ。
「そういうこと聞いてるわけじゃなくてねー」
ますますあきれ顔で、
「あと『ユウガランサー』って」
「優雅に参上!」
びしっ! ポーズを決め、
「ユウガランサー!」
「決めゼリフとかどうでもよくて」
「行けば湯が湧くユウガランサー!」
「どういうコンセプトのヒーローなの、それ」
あきれが脱力になっていく。
「……まあ、いいや」
すっと。再び眼差しが冷え、
「そのユウガランサーさんが何の用?」
「決まっている」
「決まってるんだ」
人差し指が桐風をさし、
「勝負だ」
「………………」
桐風は、
「……ふーん」
肩をすくめる。
「ちょっと、意外」
「………………」
「あの優しい錦ちゃんがねえ。優しすぎてここに来てからも自分の馬に何も言えなかった錦ちゃんが」
「………………」
「ああ、いまはユウガランサーか。だったら、戦えるのかな」
にっこりと。笑みを返し、
「やろうよ」
「………………」
「あー、そっち的には『勝負』っていうより『お仕置き』のつもりなのかな」
「私は」
くり返す。
「勝負と言った」
「ふーん」
向かい合う。
静かに。
両者の間に気が張り詰めていく。
「――っ」
動いたのは、仮面の騎士。
飛びかかっていく。
猛然と。
「ふふっ」
わかっていた。
そんな余裕の表情で突進をかわす。
「はああっ!」
止まらない。あきらめない。
ぐっと強く地を踏みしめると、方向を転換して再び馬影を追う。
「らしいねえ」
楽しそうに。
微笑みながら余裕でかわし続ける。
「ホント、会ったときからしつこかったよね」
「はっ! たあぁっ!」
「けど、あのときと決定的に違うのは」
眼差しが冷える。
「こっちは子馬のままじゃないってこと」
踏みとどまる。
「!」
カウンターの突進がまともにユウガランサーをとらえる。
人体と馬体。
その質量の差は明らかだった。
「っ……!」
飛ばされない。
同じ馬の白姫を退かせたするどい突撃を受けて踏みとどまる。
「ふっ」
かすかな気合の吐息。
そして、左右から首すじがはさまれる。
「つかまえた」
直後、
「――!?」
ひるがえる。大きな前方宙返りにひねりを加え、
「はっ!」
飛び乗った
「ぷ……ぷ?」
何が起こったかとっさにわからないというように目が泳ぐ。
そこに、
「はぁっ!」
横腹を足で叩かれる。それはつまり、
「――!」
一声。いななく。
ユウガランサーを背に乗せたまま、反射的に桐風は駆け出した。
「どういうつもりなの!」
走り出してからしばらくして、
「勝負してたわけじゃなかったの!?」
「勝負だ!」
言う。
「これはキミと私との勝負だ!」
「……!」
はっとなる。
「なるほどね」
うなずく。
「とばすよ」
ユウガランサーもうなずく。
「知らないからね」
知らない――
そう、どうなっても。
全力で走る馬の背からふり落とされたどうなるか。
言うまでもない。
しかも、ここは木々の生い茂った山奥深くだ。
地面の複雑な隆起もさることながら、生い茂った木々の枝が縦横無尽にのびている。そしてそれらは人体を弾き飛ばすのに十分な強度を持っている。
下手なロデオなど比べものにならない。
「知らないから」
念を押すように。つぶやいて、
「!」
いななき。
駆けた。
「どーなってんだし!」
ぷりゅぷん!
取り残されたかたちの白姫は、またも怒りを爆発させていた。
「なに自分たちだけの世界に浸ってんだし! ニシキもキリカゼも!」
「ア、アネゴ」
おろおろとなりつつ、セスティが近づく。
彼女はすでに自由を取り戻していた。桐風たちがいなくなったあと、どうすべきかを見失った忍馬たちにはただうろたえることしかできなかったためだ。
「でも、おかげでアタイたち助かって」
「なに情けないこと言ってるし!」
ぷりゅ! いななく。
「セスティも怒っていいんだし。キリカゼにいじめられたんだから」
「で、でも」
ぷりゅ。弱々しくうつむき、
「アタイ……桐風のアネゴのこと、嫌いになりたくない」
「ぷ……!」
「だって」
うるむ瞳で。白姫を見上げ、
「アネゴたちの仲良くしてるところが、やっぱり好きだから」
「セスティ……」
すりすり。
これ以上はない親愛の想いをこめて頬をすり寄せる。
「本当に優しい子なんだし。さすがシロヒメの舎妹だし」
「ぷりゅ」
「こんな優しい子を」
ぎろっ。忍馬たちがふるえる。
「キリカゼと一緒になっていじめるなんて。大人の馬なら子どもをいじめたらだめだってわかってるはずなんだし」
「ぷ、ぷる」
申しわけなさそうに。初めて感情を見せて忍馬たちが目を伏せる。
しかし、白姫は止まらず、
「甘やかしたらだめなんだし! キリカゼがとーりょーだからって!」
「ア、アネゴ!」
ぷりゅ! セスティがいななく。
「そもそも、なんで桐風のアネゴが頭領に」
「ぷりゅ! そーなんだし、そこ気になるんだし」
再び忍馬たちをにらみ、
「せつめーするし。キリカゼは島に帰るんだし。それがなんでとーりょーになっちゃったりするんだし」
目を見合わせる忍馬たち。ためらいの気持ちが伝わってくる。
「言わない気なんだし……」
「アネゴっ」
またケンカになりそうな気配にあわてて、
「ほ、ほら、アタイはこうして無事だし」
「無事じゃないんだし。いじめられたのは事実だし」
「ぷりゅ……」
「シュリカゼだって泣いてたんだし! モーリィ組の若頭としてきっちりケジメを」
そのときだった。
「ワレぃ」
「!」
一瞬で、
「ぷ、ぷりゅぅっ」
ふるえあがる。
セスティもまた目を見開き、
「先生……」
「違うんだし!」
あわてて、
「くみちょーだし! 組長を先生なんて言ったら」
直後、
「じゃかあしいやぁ!」
響き渡る怒声に、
「ぷっりゅーーっ!」
ジョバァァァーーーーッ! 盛大に失禁の飛沫が放たれる。
「ぷりゅりゅりゅりゅりゅりゅ……」
怒声と共に現れた――サングラス着用で怒りのオーラ全開のモーリィを前に完全にふるえあがる。
「お、おつとめごくろーさまです、くみちょー」
びくつきながら、それでもなんとか最低限の礼義を見せる。
「おい、シロ公」
ぎろり。
「は、はい」
「ワレぃ……」
ほとばしる怒号。
「何の便りも寄こさんまま長期の無断欠席たぁ、ええ根性しとるなぁぁーーーーーっ!」
「ぷっりゅーーっ!」
ジョバァァァーーーーッ!
「ぷりゅんなさい……ぷりゅんなさい……」
涙目でただひたすらあやまることしかできない。
「ぷりゅしてください……セスティのことはシロヒメが若頭としてちゃんとしどーしますので」
「ぷりゅぅ!?」
自分のせいにされそうな気配に悲鳴が上がる。
「ア、アネゴ……カッコ悪い」
そんな生徒たちの姿に、
「チッ」
仕方ないというように舌打ちし、木々に囲まれた周りを見渡す。
「しかし、相変わらずシケたとこじゃのう」
「ぷりゅ!」
そのつぶやきにセスティが反応する。
「ここのこと知ってるの?」
「……まあな」
苦々しい顔になり、
「ヤンチャしてたころにちっとばかしのう」
「ヤンチャ……」
「くみちょー、いまでも十分ヤンチャで」
「ああン!?」
「な、なんでもないんだしっ」
あわててまた縮こまる。
「あっ、それより大変なんです、くみちょー!」
白姫はあたふたと、
「キリカゼがとーりょーで、セスティがいじめられて、あとプリュージカルも」
「それじゃわかりませんよ、白姫さん」
モーリィの後ろからマリエッタが現れる。そばには朱里風の姿もあった。
「ぷりゅ? どーして」
「案内してきたんです。先生をここまで」
「ぷりゅ!?」
「だいたいのこともお話ししました」
説明されたところによると――
錦を送り出した後、何の前触れもなくモーリィが姿を現したらしい。
そして、事情を聞くと、自分が話をつけると言ってここまで案内させたのだという。
「でも『話をつける』ってどーやって」
「おい」
モーリィが忍馬たちをにらむ。
「うちのかわいい生徒らがずいぶん世話になったらしいのう」
ふるえあがる。
感情をまったく見せなかった忍馬たちに、明らかな恐怖の色が浮かぶ。
「チッ」
苦々しそうに舌打ちし、
「まあ、桐風もワシの生徒じゃがのう」
「あ、あのー」
白姫がおそるおそる、
「なんで、忍馬たちがくみちょーのこと知ってんだし? ううん、知ってなくてもくみちょー怖いけど」
「ああン?」
「ぷりゅっ!」
ひとにらみされ、たちまちまたふるえあがる。
と、気づく。
「ぷりゅ?」
ふるえていた。朱里風も同じように。
「だ、だいじょーぶなんだし」
おびえながらも白姫は、
「くみちょーは怖いけど大丈夫なんだし。正義の任侠なんだし」
「ぷりゅりゅりゅ……」
しかし、ふるえは止まらない。
「夜叉馬(やしゃうま)……」
「ぷりゅ!?」
「聞いてる……」
朱里風が言う。
「昔、風馬の里を壊滅させかけた栗毛の狂馬……それが夜叉馬だって」
「ぷりゅ!」
白姫もあらためてふるえあがり、
「お、恐ろしいくみちょーなんだし。いろんなとこで伝説もってんだし」
「ハン」
どうでもいいというように鼻を鳴らし、
「たまたま現場でカチ合ってのう。そんとき、ちっともんでやっただけじゃ」
「きっと『ちょっと』じゃ済んでないんだし、くみちょーの場合」
ふるえながら白姫が言う。
「で、おまんら。桐風のガキぁ、どこにおるんじゃ」
「それは……」
「はぁっ!」
叱咤の気合。
しかし、それに構わず桐風は走る。
「はははっ」
笑う。
(知らないって、言ったから)
そう、知らない。
何を命じられようと、乗り手がどうなろうと。
(知らない)
笑顔が消える。
(知らない……)
知らない。
(知らないんだよ……)
知り合って、それなりに長い月日が経った。
それでも――言えない。
自分は、主人のことを本当に知っていると。
わかっていると。
言えない。
(騎士の馬、失格だよね)
笑みにすらならない自嘲。それは重く胸の奥に沈んでいく。
「はぁっ!」
再びの叱咤。
かすかにいら立ちがこみあげる。
「勝負って言ったよね」
口に出す。
「どう走ろうとこっちの勝手だよ。指図されるつもりは」
「はぁっ!」
「――!」
はっとなる。
(……そうか)
そうなのだ。
自分の思うままに走らせようとしていたわけではない。
注意をうながしていた。
緑の深い山道を全力疾走しているのだ。気を抜けば大惨事になることは目に見えている。
なのに、自分は他のことに意識を奪われていた。
そのことをするどく察したのだ。
「ハハッ」
今度は自嘲が笑いとなってこぼれる。
あきらめの思いもにじませて。
(だめだなあ)
いら立ちが苦さに変わる。
(そうだよ……いままで一度だってなかった)
なかった。
そうだ、なかった。
いままで一度だって無理強いをしたり、無茶をさせるようなことは。
いつも気をつかってくれた。
いつでも――愛してくれていた。
(だめだなあ)
くり返す。
自分が。
ずっと感じていた。
自分は――騎士の馬として致命的に何かが足りていないのではないかと。
白姫と会って、それは確信に変わった。
何のためらいもなく。
騎士を信じる。
騎士の馬としての自分を信じる。
それが、まぶしかった。
一対一なら負けはしない。それは実際に証明された。
しかし、騎士と共に戦ったときはどうなるのだろう。
何度も見ている。
島における騎士の乗馬訓練で。
活き活きとしていた。
白姫と葉太郎は。
それに比べて自分たちは――
「はぁぁっ!」
「!」
さらなる叱咤にぴんと首すじを伸ばす。
直後、
(……!)
迫っていた。
眼前に。
とっさに首を寝かそうとしてはっとなる。
直撃――
ここで自分が枝にぶつかるのを回避すれば、それは当然背中の乗り手へと向かう。
「っ……」
判断が――下せなかった。
「レディ!」
我に返る。
レディ――確かに自分は騎士にそう呼ばれる存在だ。
そして、騎士はレディのためなら――
「だめっ!」
反射的に。
全力疾走のまま、地面に身を投げ出していた。
ⅩⅢ
「ラチがあかんのう」
びくぅっ! 白姫はたちまちふるえあがり、
「で、でも、シロヒメ、起こったそのまんまを言って」
「だからラチがあかんのじゃあーっ!」
「ぷっりゅーっ!」
ジョバァァァーーーーッ!
「アネゴ……カッコ悪い」
あぜんとセスティに言われても、
「しょーがないんだし……怖いんだし……」
ぷりゅりゅりゅ……。やはりふるえることしかできない。
「結局何がしたいんじゃ、桐風のガキは」
「わ、わかりません……」
「わからんで済むと思っとんのかーーーっ!」
「ぷっりゅーっ!」
またも跳びあがる。
「だ、だって、わかんないんだし。最初からぜんぜんわかんないんだし」
「しゃあないのう」
ぎろり。再びするどい視線が忍馬たちに向けられる。
「おまんら」
びくっ! 白姫に負けないくらいふるえあがる。
「さっきは邪魔が入ったが、今度こそ全部吐いてもらうけぇの」
「……!」
それでも忍馬としての意地があるのだろう。
「ほう」
かすかに感心の息がこぼれる。
「よけいなことをしゃべる気はないっちゅうことか」
沈黙が応える。
「何にそこまで義理立てしとるかは知らんがのう。せめて、昔、ワシがヤキ入れてやったあのアマの居所だけでも」
「や、やめて!」
とっさに飛び出したのは朱里風だ。
「もう……やめて」
「ほう」
またも感心した目で、
「ええ度胸してるのう。チビのくせに」
「チビだって……忍馬だ」
「よう言うた」
好ましいものを見る目でうなずく。
「娘か」
「えっ」
「火里風の。そうじゃろう」
「ぷ、ぷりゅ」
「しかし、あのアマぁ」
またも険しい表情になり、
「里のモンもまとめられんで何が頭領の娘じゃ。……あ、いや、オヤジさんは亡くなっとるんじゃったのう」
「お、お爺上のことも知ってるの?」
「なかなか漢気あふれる馬じゃった。あのころの血の気の多いワシを身体を張って止めようとしたからのう」
「くみちょーを? す、すごいんだし、シュリカゼのおじいちゃん」
「ぷ、ぷりゅ」
照れ入るように目を伏せる。
「あの、くみちょー」
「ああン?」
「シロヒメ、そんなすごいおじいちゃんのいるシュリカゼのアネゴなんだし」
「だったら、アネゴらしくもっとしっかりせんかぁーーーっ!」
「ぷっりゅーーっ!」
結局、怒声をぶつけられてしまう。
「どちらにしろ話はつけんとのう」
「ぷ、ぷる」
忍馬たちがあたふたとそれを止めようとする。
「なんじゃ、おまえら。やっぱりワシの邪魔するつもりかい」
おびえていた目が、確かな決意によって力を取り戻していく。
「ハン、桐風のガキに言い含められとるか。上に立つ者の命令には絶対……まあ、それは騎士の馬も変わらんがな」
「そ、そうです。シロヒメ、モーリィ組の若頭としてくみちょーの命令には絶対……」
「ワレはただ情けないんじゃーーーっ!」
「ぷっりゅーーっ!」
ジョバァァァァーーーッ!
「先生」
そのときだった。
「おう」
おもしろそうなものを見る目で、
「そういえば、ずっとおまえはおらんかったのう」
見つめる先――
緊張の面持ちでそこにいたのは麓華だった。
「行かせません」
言う。
「ああン?」
けげんな顔で、
「おまえはなんか知っとるっぽいの」
「っ……」
ひるみ、半歩後ろに下がる。
そこに、
「くみちょー、聞いてなんだしーーーっ!」
ここぞとばかりに白姫が割って入り、
「この子、すっごい悪い子なんだし! ずーーっと無断でどこかに行ってたんだし! くみちょーからきょーいく的しどーを」
「教育的指導が必要なのはおまえじゃーーっ!」
「ぷっりゅーーっ!」
「アネゴ、カッコ悪い……」
「シロ姉、カッコ悪い……」
「ったく」
あらためて麓華を見て、
「わざわざ教育的指導をされに来たわけじゃなかろう、ああン」
「ぷりゅっ」
びくびくびくっ!
にらまれてふるえるも、なんとか踏みとどまり、
「行かせられない理由があります」
「ほーう」
「それは……」
口ごもる。
「おい」
明らかにイラつきを増し、
「ワレまでだんまりかい」
「………………」
「あー、そうかい」
パカッ、パカッ。
人間が指を鳴らすように、威圧感たっぷりにヒヅメが鳴らされる。
ますます青ざめる麓華だったが、
「約束……ですから」
「ほう」
「偉大なるわが父・麓王(ろくおう)の娘として……そして騎士の馬として!」
ぐっ! モーリィの目を見つめ返す。
「ふーむ」
にんまりと。
「こりゃあ、学級委員長はこいつに任せたほうがええかもしれんのう」
「ぷりゅ! なんでだし! シロヒメのほうがいいんちょーにふさわしいんだし! 若頭なんだし!」
あわてて言うが完全に無視され、
「おまんらがそこまでする理由があるっちゅうことか」
「………………」
「しかし、わからんのう。下の忍馬どもは上の言うことには理由など知らんでも従う。けどワレは違うじゃろう」
答えない。懸命の勇気をにじませたその顔でモーリィを見つめ続ける。
「いまが一番大事……いまだけは……」
そのときだった。
「!」
はっと。
その場にいた全員が顔をあげる。
「泣き声だし」
鳴き声でなく――〝泣き〟声。
静かな森の中を伝わってくるそれは、遠くからのかすかなものではあったが間違いなく泣き声であった。
しかも、
「そういうことかい」
にやりと。納得の笑みがこぼれる。
「よかったな」
「ぷ、ぷりゅ?」
わけがわからないと目を丸くする朱里風。
「よかった……」
麓華もつぶやく。と、
「ぷりゅーーーっ!」
「あ……ま、待ちなさい!」
とっさに止めようとするも、白姫はすでにいななきと共に走り出していた。
「はははっ」
先に笑い始めたのはどっちだっただろう。
木々の向こうに広がる青空を見上げ。
笑っていた。
桐風は。
仮面の騎士は。
「馬鹿だなあ」
錦ちゃんは――と続けそうになり口を閉じる。
いまの彼女は、ユウガランサー。
ヒーローを名前以外で呼ぶ無粋を桐風はしたくなかった。
特別そんな気分だった。
「大丈夫?」
いまさらながらにそんなことを聞く。
大丈夫なわけがない。
全速力で走っていたその馬上から投げ出されたのだ。
投げ出された――と言うのは正確には違う。
ぎりぎりで。
張り出された太い木の根に直撃寸前だった桐風を身を挺して守ろうとしたユウガランサー。
しかし、それにわずか先んじて、桐風は身体を地面にすべりこませた。
無茶苦茶だった。
そしていまは共にこうして空を見上げているというわけだ。
「私は――」
「ち、ちょっと!」
立ち上がろうとする気配を感じ、あわてて、
「そこまでヒーローしなくていいから! 寝てていいから!」
「そういうわけには」
ザッ!
「行くまい」
凛々しくポーズを取る。が、すぐにふらつく。
「ぷりゅっ」
あわてて身を乗り出し、その身体を支える。
「ははっ」
情けない笑い声がこぼれる。
「難しいね、ヒーローは」
ぷりゅふー。ため息が出てしまう。
「向いてると思うよ」
思わず言ってしまう。
「そうかな」
満更でもなく。うれしそうに仮面の下の唇がほころぶ。
「もー」
あきれる。と共に笑ってしまう。
「目が離せないんだから」
目が離せない。
そう。
出会ったときからそういう人間だった。
「ありがとう」
言っていた。
仮面の騎士が微笑む。
何に?
微笑みに微笑みで答えながら自問する。
何に自分は「ありがとう」と言ったのか。
(……そうか)
すべてだ。
「ありがとう」
くり返した。
「ぷりゅ!」
目を見張る。
「………………」
無言のまま。
するどい視線がこちらに向けられていた。
周囲から隠れるように簡素な木材で覆われた寝所。その寝藁の上に身体を横たえていた火里風は、突き刺さるような敵意に満ちた目でこちらを見ていた。
「えーと……」
さすがの白姫もどう声をかけていいか戸惑いを見せる。
「その……いまちょっと大変なんだし」
「………………」
「くみちょーが来ちゃってて」
「組長?」
けげんな顔になる。
「モーリィ先生だし。シロヒメたちの先生だし」
「モーリィ……」
つぶやいた直後、はっと身体をこわばらせる。
「まさか! 夜叉馬モリガン……」
「昔はそーだったんだし。いまは組長で先生なんだし」
「ぷ……」
ふるえ始める。が、すぐに、
「……くっ」
無理やりに。押さえこむようにしてふるえを止める。そして、いままで以上に険しい目を向けてくる。
「やらせない……」
「ぷりゅ?」
「この……。……だけは」
そこに、
「やっぱりそれが本音か」
「!」
こらえようのない大きなふるえが走る。
「あっ、くみちょー」
ふるえが激しくなっていく。
「そんなにビビるんじゃないわい。こっちはケンカ売りに来たわけじゃないけえの」
と、不敵に笑い、
「まあ、組のモンに何かあればその限りじゃなかったがな」
「ぷ……ぷぷ……」
「先生!」
一緒に来ていた麓華があわてて、
「やめてください! 乱暴なことはしないと約束したはずです!」
「あー、わかったわかった。ワシだってのう……」
かすかに。複雑な想いをはらんで瞳が落ち、
「そうなったことはないが……気持ちはわかるつもりじゃ」
「ぷりゅ?」
その言葉に、白姫は首をひねる。
「なんだし? どーゆーことだし?」
「能天気じゃのう。さっきの泣き声を聞いて気づかんか」
「あっ、そーだし!」
再び火里風のほうを見て、
「なんなんだし、さっきの泣き声!」
ビシッ! ヒヅメさして、
「ひっょとして、誰かいじめてんじゃねーんだし!?」
ガクッ。モーリィと麓華が共によろめく。
「それで急いで来たと」
「そーだし」
「はぁ~……」
「無駄じゃ。このガキにまともさを期待するのは」
「ぷりゅ? どーゆーことだし、くみちょー」
「いいから黙っとれ」
「ぷりゅっ!」
ひとにらみで沈黙させられる。
「さてと」
あらためて。
「強がるのもええかげんにせい」
「っ……あなたに何が」
「じゃかあしいや!」
びくりっ! 大きなふるえが走るのを見た瞬間、はっと気まずい顔になり、
「……すまんな」
「………………」
沈黙し、こちらも目をそらす。
「ぷりゅ?」
白姫の首がかしげられ、
「なんだか、くみちょー、いつもの勢いがないんだし。おかしーんだし」
そこに、
「ぷりゅ!」
またも。
聞こえた――かすかな泣き声。
「やっぱりなんだし! 誰かいるんだし!」
その言葉に火里風はあたふたとなり、とっさに身体を広げるようにして背後の『何か』を隠そうとする。
それに目ざとく気づき、
「そこだし! 隠してるんだし!」
「……っ」
「何を隠してるんだし! やっぱり誰かいじめて」
「おい、いいかげんに」
ぷりゅー。ぷりゅー。
「!」
ようやく。
白姫はその『気づき』に息を飲む。
「もしかして」
おそるおそる。後ろをのぞきこもうとするが、
「ぷりゅっ!」
するどい目でにらみつけられ、思わず驚きのいななきをあげてしまう。
「だ、大丈夫だし。何もしないんだし」
一転しておろおろとなり、
「いじめたりとかしないんだし。あ、いや、最初はいじめられてるのかと思ったんだけど」
ぷりゅー。ぷりゅー。
「ぷりゅりゅっ」
ますますあわてて、
「ホントに何もしないんだし! ただ心配で」
――がくっ。
「ぷりゅ!」
限界だったのだろう。力が尽きたかのように火里風の頭が落ちる。
「母上!」
そこに朱里風がセスティやマリエッタたちと共に現れる。
憔悴した母の姿に顔色を変え、
「どうしたの! しっかりして、母上!」
「シ、シロヒメ、悪くないんだし」
ぷりゅー。ぷりゅー。
「あ!」
はっとなり、あわてて、
「!」
いた。
火里風の陰に隠れるようにして――
よく似た毛並みの、生まれたばかりと思える赤ん坊馬が。
「ぷりゅりゅりゅりゅ……」
ぷりゅー。ぷりゅー。
弱々しく泣き続ける赤ん坊を前に、白姫は完全に当惑してしまう。
「ひょっとして……シュリカゼの新しい家族なんだし?」
ぷりゅー。ぷりゅー。
答えるのは泣き声だけだ。
「く、くみちょー」
どうしよう。そんな顔でふり返ると、
「ぷりゅ!?」
なんと、モーリィも同じく戸惑いに瞳をゆらしていた。
「ちょっ……くみちょーまでそんなんじゃ困るんだし! くみちょーなのに!」
「じ、じゃかあしぃや」
ドスをきかせるはずの声にも力がない。
「仕方なかろう……ワシだってこういうのは初めてなんじゃ」
「もー! だったら」
だったら――誰がいる?
「わ、私は」
視線を向けられた麓華はあわてて、
「確かにずっとそばにはいましたが、その、どうすればいいかというようなことは」
「使えねーし!」
自分のことは棚に上げて声を張る。
「あとは」
マリエッタ、セスティ、朱里風――
マリエッタもセスティも共に「無理だ」というように頭をふり、朱里風は母親のほうに完全に意識を奪われている。
「とにかく、何とかしないといけないんだし……」
この里に来てから初めてと言えるくらいの追いつめられた顔で言う。
「……けど」
弱々しく視線が沈み、
「こんなの……無理なんだし。シロヒメたちだけで」
――と、
「そんなことはない!」
響き渡った。
「……!」
はっと。まだ記憶に新しいその登場の仕方に顔を上げると、
「ぷりゅ!?」
来た。
落ち葉に覆われた大地をヒヅメが踏む音と共に。
馬上にある若緑色の仮面の騎士。
その名は――
「ユウガランサー!」
直後、
「はあぁっ!」
宙に舞う。愛馬を駆って。
「無理などない! ありはしない!」
身をひるがえす。馬の背からも高々と跳び、
「はぁぁぁぁぁぁっ!」
手にひらめく騎士槍。
その先端が真下へと向けられる。
「ランスぅ……」
落下する。
「チャーーーーーーーーーージ!」
突撃――
「!」
ズドォォォォォォォォォォォォォォォォォン!!!
大地に突きたてられた槍が激震を起こし、森全体をもふるわせる。
「な……」
何をやっているんだ!? あぜんとなる白姫たちの前で、
「突けば――」
くり返す。初めて登場したときと同じ決めゼリフを。
いや、それは微妙に異なっていて、
「突けば湯が湧くユウガランサー!」
直後、
「ぷ……!?」
ゴゴゴゴゴゴゴ――
ふるえる。
足もとから伝わってくる震動は徐々にに大きくなっていき、
「ぷっりゅーーーーっ!」
ドバァァァァァァァァァァァァッ!
地を割って。
噴き出す。
もうもうたる白い湯気と共に。
「お……」
いなないた。
「温泉なんだしーーっ!」
噴出する湯と共に鳴き声が天高く昇っていった。
ⅩⅣ
「ぷりゅー❤」
ごきげんにいななく。
「ぷりゅんりゅりゅんりゅんりゅん♪ はー、ぷりゅぷりゅ♪」
「あなたという馬は」
あきれたように、というか完全にあきれきった目で、
「よくそのようにのんきに楽しめますね」
「だって温泉なんだし」
そっちこそ何をという顔で、
「温泉なんだし」
「何度も言われずともわかっています」
「温泉というのは楽しむところなんだし」
堂々と胸を張り、
「だから楽しんでんだしー」
「はぁ……」
これ以上なにを言っても無駄だ。ため息がこぼれる。
そんな麓華の視線が湯船の外に向けられる。
「じっとしていてね。いい子だから」
「ぷりゅー」
弱々しいながら、それでもはっきりと心地よさを感じさせる。マリエッタに声をかけられた赤ん坊馬は、言われるままにおとなしく『産湯』を使った。
そんな〝娘〟の姿を、そばに座った火里風が限りない慈しみの眼差しで見つめていた。
「へへっ。おまえにそっくりだな」
「そ、そうかな」
同じようにそばにいた朱里風が、セスティの言葉に照れくさそうに目を伏せる。
「けど、おまえ、ホントに知らなかったのかよ」
「だ、だって」
そう言ったきり口ごもる。
「娘にも気づかせんとはなあ。見栄っ張りなところは変わらんのう」
白姫と同じく湯につかりながら、モーリィがやれやれと言う。この『性格』のときのポリシーなのかサングラスはつけたままだ。
「ですが、先生。微妙な時期だったのです」
かばうように麓華が口を開く。
「頭領の座を決めようというときに、子どものことに気を取られるのは」
「じゃかあしい!」
とたんに湯を跳ね上げて怒声が飛ぶ。
「そんな地位と生まれてくる子どもとどっちが大事かわからんのかぁ!」
「ぷりゅっ!」
怒声を直接受けた麓華が跳びあがり、火里風も横たえた身体をふるわせる。
「……まあ」
短気を反省するように声の調子を落とし、
「母親になったことのないワシが言うことじゃないがのう」
「せ、先生」
ふるえながらまたも、
「違うのです……」
「ああン?」
麓華は朱里風、そして赤ん坊馬を見て、
「子どもたちに恥ずかしくない親でありたい」
「……!」
「そのためにも里の者に毅然とした姿を見せていたい。それで」
「あー、言うな言うな」
モーリィが頭をふる。
「かなわんのう」
つぶやく。優しい笑みがこぼれ、
「今回はワシの負けじゃ」
「ぷりゅ!」
驚きのいななきがあがる。
「すごいんだし、シュリカゼのママ! くみちょーに勝っちゃったんだし!」
「ぷ、ぷる……」
湯から飛び出た白姫に迫られ、戸惑いの息をもらす。
「やめなさい。まだ絶対安静なのですよ」
麓華にたしなめられると、
「はっ! そうだったんだし」
我に返った顔で、
「ぷりゅーわけで、シロヒメも赤ちゃんの面倒見るんだしー」
「ええっ!?」
「ぷりゅ? なに驚いてんだし、マリエッタ」
「いえ、その、この子はまだ生まれたばかりで」
「だから面倒見るんだし。お世話するんだし」
「それはそうですけど……わたしたちがいますから」
「なに水くさいこと言ってんだし。ぷりゅーか、お湯くさいんだし。温泉くさいんだし」
「は、はあ」
「何をわけのわからないことを」
「いーから、シロヒメにもかわいがらせるし!」
「か、かわいがるという問題では」
「あなたのようにいいかげんな馬にはまかせられないと言っているのです!」
「誰がいいかげんだし! なんか言ってやるし、セスティ!」
「ぷりゅ!?」
「シュリカゼも! シロヒメの舎妹なんだから、この子も同じ舎妹なんだって」
「ぷ、ぷりゅ……」
「なに『困ったな』みたいな顔してんだしーーーっ!」
ぷりゅどーーーーん! 爆発する。
「あなたという馬は……最後の最後まで迷惑をかけて」
「迷惑なんてかけてねーしっ!」
パカーーン!
「ぷりゅぐふっ」
「きゃっ。し、白姫さん、赤ちゃんがいるんですから」
「ハッ、そうだったし。まったく、どこかの誰かのせいで無駄な暴力をふるってしまったし」
ぷりゅふんっ。あくまで自分は悪くないという態度のまま、
「とにかく、シロヒメにまかせるし」
「う……」
どうしよう。そんな表情でためらい続けるマリエッタに、
「あーもー、いいんだし! くみちょー!」
「ぷりゅ!?」
「みんなに言ってあげてだし! シロヒメにまかせれば大丈夫だって! くみちょーの認めたゆーしゅーなシロヒメだからって!」
視線が集まる中――モーリィは、
「お……おう」
「ぷりゅ?」
「じゃかあしいや……」
意味不明な悪態をもらすと、
「ワレにまかせられるかい。何かあったらどうするんじゃ」
「ぷりゅ!」
ガーン。ショックをあらわにし、
「なんでだし! なんで、くみちょーにまでそんなこと言われるし!」
「何かあってからじゃ遅いじゃろうが」
「何かあったりしないんだし! シロヒメ、危なくないし! くみちょーのほうがずっと危ないんだし!」
「ぷる!」
モーリィの顔色が変わる。それに気づかず、
「だって、モーリィ組のくみちょーなんだし。バイオレンスなんだし」
「ぷるるるる……」
「赤ちゃんに何かあったりしちゃうのはくみちょーのほうなんだし。なんか、あくえーきょーとか与えちゃったり」
「じゃかあしい!」
今度はモーリィのほうが爆発する。
「ワシは教師じゃ! それが子どもに」
「けど、みしゅーがくじなんだし」
「ぷ……」
言葉につまるも、
「そ、それとこれとは関係ないわ!」
「じゃあ、どれとカンケーあるんだし」
「ぷ……」
またも言葉につまり、そして、
「……危ないじゃろう」
「ぷりゅ?」
「ワシが」
認めたくないという思いをにじませながらも、
「生まれたばかりのそんなヤワい子を……手にかけたりしたら」
「手にかける!?」
「あ、ち、違うわ!」
ますますあわてふためき、
「いまのは、その、言葉のたとえっちゅうか」
「確かに、言葉のたとえなんだし」
ぷりゅりゅりゅりゅ……ふるえて、
「おそろしいくみちょーなんだし。生まれたばかりの子どもの命を」
「だから、そういう意味で言ったんと違うわ!」
威厳も何も吹き飛んで必死に声をあげる。
「ワ、ワシは、ただ、そんなちまっこいのにワシみたいなガサツもんがふれてケガでもさせたらと」
「ぷりゅー?」
首をひねって、直後はっとなり、
「わかったし。くみちょー、ビビってんだし」
「! ビ、ビビっとらんわ」
「そーだし、ビビらなくていいし。ちょっと、くみちょーもお世話してみるし」
「ぷるぅ!?」
驚くモーリィが何か言い返す間もなく、
「ぷりゅ」
「きゃっ!」
白姫に軽く首すじをくわえこまれた赤ん坊馬が、小猫のように宙づりにされる。
「し、白姫さんっ」
驚いたマリエッタが取り返そうとするより先に、
「ぷーりゅ」
置かれる。
「……!」
固まる。
目の前にちょこんと座らされた赤ん坊馬から視線を外せなくなる。
「さー、くみちょー」
「!」
「お世話するんだし」
「ぷ……」
「かわいがるんだし」
「む、無理だと言っとるじゃろーが」
「やっぱ、ビビってんだし」
「ぷる!」
わなわなと。
怒りにふるえながら目をつり上げ、
「ワレぇ……よくもワシにそんな口がきけたのう」
「こっ、こわくないんだし。ビビってるくみちょーなんてぜんぜんこわくないし」
「誰がビビっとるっちゅうんじゃーーーっ!」
吼えると、
「……っ」
赤ん坊馬に向かって、
「ぷ……く……」
ゆっくりと――ヒヅメを、
「って、やっぱり無理じゃーーーーーっ!」
ポーーーン!
「ああっ!」
反射的に。
伸ばしかけたヒヅメをそのままに顔をそむけてしまったモーリィ。
そして、意図しないまま、赤ん坊馬の身体は――
「危ないしーーっ!」
高々と。小さな身体が宙に舞い上がる。
「くみちょー、キャッチだし!」
「ぷる!?」
「早く! 早くだし!」
「む……無理……」
ドサッ!
「おー」
感嘆、そして安堵の息。
「ぷ……ぷ……」
誰よりも本馬が驚いていたというのは、そのゆれる瞳が語っていた。
「ナイスキャッチだしー」
「お、おう」
うなずくもまだ緊張はとけない。
その視線が、とっさに投げ出した自分の身体の上に乗っている小さな命へと注がれる。
「こいつ……」
ふっと。そこでようやく笑みが浮かぶ。
「ええ度胸しとるのう」
言う通り。赤ん坊馬は何事もなかったかのように平静とした顔のままだった。
「さすがはシロヒメの舎妹の妹だし」
「じゃかあしや」
そう言うも、おだやかな笑みは消えなかった。
「似とるのう」
「ぷりゅ?」
「似とるじゃろうが。このふてぶてしさ」
言う。
「桐風のガキによう」
「にーしきちゃん」
明るいいななきで呼びかける。
「で、いいんだよね」
「うん」
にっこりと。こちらも笑顔で返す。
「すごいよねえ、温泉を掘り当てちゃうなんて」
「それはユウガランサーでしょ」
「そこはこだわるんだ」
「こだわるよう」
言う。
「仮面のヒーローだもん」
「はははー」
笑う。
「あはははー」
錦も。
と――笑いが止まる。
「どうするの」
「ぷりゅ?」
「桐風」
静かな。感情を抑えているとわかる目で、
「ここに残るの」
「………………」
桐風は、
「ふふっ」
笑う。
「錦ちゃんはどうしてほしい」
「ぼくは」
目が泳ぐ。
そこへ、
「どうしてほしいの」
くり返す。
「………………」
「言えばいいのに」
そして、言う。
「ご主人様なんだから」
「……やめてよ」
桐風は、
「やめない」
「っ」
「やめないよ」
くり返す。
「……っ」
はっと息をのみ、
「あ、あの、それって」
「ぷーりゅ」
落ち着かせるように。一声いななき、
「はい」
肩から力が抜けたところを見計らって、
「話して」
「……うん」
すこし恥じ入るような顔をしながら、
「どっちかな」
「ぷりゅ?」
「だから」
またも力が入りそうになるところをなんとかこらえ、
「やめない……って言ったこと」
「ぷりゅぅ?」
「だ、だからー」
じれったそうに、
「それって、その、騎士の馬をやめないってことで」
「………………」
答えない。
ますますあせり、
「そ、それとも、頭領になるのをやめないってこと?」
答えない。
「どっち!?」
もう耐えられないという声があがり、
「ぷっりゅっりゅー」
笑う。
「もう!」
ぶんぶんと。拳を子どものように上下させる。
桐風はますますおかしそうに、
「錦ちゃんは変な子だねー」
「変じゃないよ! 桐風がいじわるなの!」
「いじわるかなー」
「いじわるだよ!」
見つめ合う。
「いじわるだよ」
くり返す。
「いじわる……なんだから」
そこに、
「……!」
はっと。共に顔をあげる。
「これって」
「白姫ちゃんだねー」
たのしそうに言う。そして、
「行こっか」
「うん」
うなずいて。
足並みをそろえ、錦と桐風は歩き出した。
「ぷりゅにちわー、あかちゃん♪ シロヒメーのーえーがーお~♪」
白く湯気ただよう温泉のそば。のんびりとした雰囲気の中、のんきな歌がさらにその空気を濃いものにしていた。
「ぷりゅにちわー、あかちゃん♪ シロヒメーがーマーマーよ~♪」
「あなたがお母様ではないでしょう」
なかば義務のように。麓華がツッコミを入れる。
「いいんだし、子守歌だから」
「何がいいのですか……」
「じゃー、歌う代わりにお世話を」
「そ、それはやめなさい!」
あわてて止める。
そこへ、
「ごきげんだねー」
「あっ、キリカゼ」
「錦様とのお話はもういいのですか」
「うん」
笑顔で。うなずく。
「そういうのもう関係ないから」
「ぷりゅ?」
「でしょ」
同意を求められた錦もうなずく。
「ぷりゅりゅー? よくわかんないキリカゼなんだしー」
「そうだよ」
笑顔のまま。うなずく。
「わからないでしょー」
「なに得意そうにしてんだし。忍馬だからって」
ぷりゅぷん。不機嫌になる白姫に、
「忍馬だからねー」
その通りだというようにうなずき、
「忍馬で、騎士の馬で、錦ちゃんの馬だから」
「ぷりゅぅ?」
「だーかーら」
にこっ。愛らしく微笑んでみせ、
「謎の桐風なの」
「ぷりゅ!」
ふるえが走る。
「か……」
言う。
「かわいいんだしー」
「なぜそういう感想になるのですか!」
またも反射的にツッコミが入る。
「だってかわいいんだし。シロヒメもやるし」
「は?」
ぷりゅり~ん❤ くるりと回って、
「『ひみつのシロヒメちゃん』なんだしっ❤」
「………………」
あぜんとなるしかない。
「な、何が『ひみつ』なのですか」
「それは秘密だし」
「じゃあもう何もわからないでしょう、それでは!」
「だったら」
そこに桐風が口をはさみ、
「こっちの秘密を話しちゃおっかなー」
「キリカゼの? なんだし?」
「んふふー。実はね」
とっておきの内緒話を打ち明けるように、
「実は『桐風』って本名じゃないんだ」
「ぷりゅ!」
驚きをあらわにする。
「そうだったんだし!? 世を忍ぶ仮の名前だったんだし! キリカゼがキリカゼじゃなかったら、なんて呼べばいいんだし!」
「まーまー、落ち着いて。『キリカゼ』は『キリカゼ』だから」
「ぷりゅぅー?」
よくわからないと首をひねる。
「でも『キリカゼ』じゃないんでしょ」
「『キリカゼ』ではあるんだよ」
「ぷりゅりゅー?」
ますます首をひねる。
「謎なんだしー」
「謎ってほどじゃないよ」
軽く。笑い、
「字が違うの」
「じ?」
「そー、字」
教えさとすようにヒヅメをふり、
「『桐』に『風』って書いて『桐風』でしょ」
「そーだし」
「違うんだよねー」
もったいぶるように。そしてそんな自分を楽しむ顔で、
「本当は『鬼』と『里』で『鬼里風』なの」
「ぷりゅ! オニの里!?」
「そっ」
「おそろしい名前なんだしー」
「そうかなー」
「そうなんだし。かわいいキリカゼに似合わないんだし」
「……そうかな」
ちょっぴりはにかむ。
「だから『桐』風になったの!」
そこへ錦が割りこみ、
「ぼくが言ったんだ。そっちのほうがかわいいって」
「なら、もっとかわいくするんだし。『桐』だとなんかシブいってカンジなんだし」
「そうかなー」
「白姫ちゃんだったらどうするの」
「決まってるし。『斬』って書いて『斬風』なんだし。カッコイイしー。忍馬っぽいんだしー」
「かわいくするのではなかったのですか!」
「あっ、名前っていえば」
桐風の目が、いまもモーリィの上にいる赤ん坊馬に向けられる。
「この子の名前はどうなったの」
「マリカゼだし!」
すかさず白姫が言う。
「マリカゼ?」
「ぷりゅ。なんか偉い神様の名前からとって『摩理風』なんだし。カッコイんだしー」
地面にその字を書いてみせる。
「摩利支天のこと? だったら、ちょっと字が違うね」
「ぷりゅ? そーなの?」
「あれ……」
と、そこで気づく。
「『里』の字じゃ……ないね」
そう。
火里風も朱里風も名前に使われているのは『里』という字だ。
「この子のは『理』だ」
「それはですね」
麓華が口を開く。
「『里』――つまり里(さと)よりも理(り)を重んじてほしいということからだそうです」
「……ふーん」
関心なさそうな。そんな息をもらしつつ、しかしそこには確かに何か感じたと思わせるようなものがこめられていた。
「摩理風……か」
つぶやく。
そして、あらためて自分と同じ毛並みの色をした赤ん坊馬を見る。
「そっくりなんだし!」
「えっ」
「キリカゼとマリカゼ。やっぱり似てるんだし」
「ふーん」
またも関心なさそうな息をもらしつつ、
「どこが?」
「なんとなくだし」
「なんとなくねー」
やれやれと。やはり白姫らしいと言いたそうに肩をすくめる。
「まー、確かに先生の上に平然と座ってるとこなんて大物だけどねー」
「じ、じゃかあしや」
目をそらしてモーリィが言う。
小さな摩理風のことを気にして身動きが取れないでいるらしい。
「さすが、先生だねー」
「じゃかあしや……」
「そっくりかー」
同じ高さで目を合わせて、
「じゃあ、キミ、頭領やってみる?」
「ぷりゅ!」
唐突の発言に、白姫を始めその場の一同が目を見開く。
唯一の例外と言えたのが、
「………………」
何一ついななくでなく、桐風の目を静かに見つめ返している当の摩理風だけだ。
「んー、やっぱり素質あるねー」
満足そうにうなずく。
「キ、キリ姉!」
そこへ朱里風があわてて、
「なに言ってるの! 摩理風は生まれたばっかりなんだよ!」
「ずっと『生まれたまま』ってわけじゃないでしょ」
「それはそうだけど」
「だったら」
笑顔で。しかし有無を言わせず、
「頭領になってもいいわけだ」
「無茶苦茶だよ……」
つぶやきつつ、視線を外す。
その目がかすかに母のほうをとらえる。
「………………」
火里風は、
「本気ですか」
「本気って言ったら?」
「……そうですか」
「母上!?」
あっさりと承諾しそうな気配に驚きのいななきがあがる。
「頭領としてふさわしくない」
「!」
「今回のことで……思い知りました」
「それって」
自分のことを言っているのだと気づき、
「そんなことない! みんなは母上のことを」
「こばめなかった」
「……!?」
「こばむことが……できなかった」
ふるえるその瞳が桐風に向けられる。
「だってねー」
相変わらずの飄々とした顔で、
「わかったもん」
「っ……」
「無理してるって」
さらりと、
「だったら思うでしょ。奪ってあげなくちゃって」
「『奪う』とはならないんだし!」
思わず白姫がツッコむ。
「まったく。どういうキリカゼなんだし」
「白姫ちゃんに言われるとはねー」
「とにかく!」
有無を言わさず。お決まりの強引さで、
「だめなんだし! 家族同士でケンカしてたら!」
「ケンカしてるつもりはないんだけどねー」
「そーゆー空気なんだし!」
強引に。言い切る。
「ここでシロヒメから提案があるんだし」
提案? 一同が首をひねる中、
「シロヒメ――」
宣言する。
「忍馬のとーりょーになるんだし!」
「ぷりゅーっ!?」
驚愕のいななきがこだまする。
「なっ、何を考えているのですか、あなたは!」
「とーりょーになることを考えているんだし」
「考える必要のないことです!」
「ぷりゅぅー?」
不服そうに頬を張り、
「必要のあることなんだし。ちゃんと誰かって決めないと、しゅーしゅーつかないんだし」
「それは……その通りですが」
「あの、それでも白姫さんがなるというのは無理があると」
マリエッタもさすがに口をはさむ。
「無理はないんだし」
「けど」
「無理じゃないし! ねー、ニシキー」
「えっ」
突然話をふられて目を丸くする。
「無理じゃないんだし」
「あ……う、うん?」
「だって、そうだし。ニシキ、温泉出したんだし」
「あっ」
そのことを言っているのか。納得した顔になったあと、すぐにやわらかい笑みで、
「違うよ」
「ぷりゅ?」
「温泉を出したのはユウガランサーでしょ」
「あっ、そうだったし」
白姫もそういう『お約束』は大事にする。
「それに、白姫ちゃんが言ったんだよ」
「ぷりゅりゅ?」
「白姫ちゃんが」
言う。
「言ったんだよ。『温泉とか出してみろ』って」
「ぷりゅぅー?」
そんなこと言った? というように首をかしげる。
「言ったんだって」
苦笑しつつ、
「ぼくはね、それに『無理』って答えちゃった」
「そーなの?」
「そうなの」
またも苦笑する。と、その目が真剣なものに変わり、
「無理なんて、ないよね」
「そのとーりだし!」
ぷりゅっ! 元気いっぱいにうなずく。
「に、錦様」
麓華がおそるおそる、
「その、あまり調子に乗らせるようなことは」
「でも思わない? 無理なんてないって」
「それは」
言い返せない。
「ぷりゅーわけで、決まりだしーっ!」
「ぷりゅぅ!?」
あわてて、
「ふざけるのもいいかげんにしなさい!」
「誰がふざけてんだし。そっちこそ、ふざけたこと言ってんじゃねーし」
「大体あなたに何ができるというのですか!」
「なんでもできるし。賢いから」
ぷりゅ。自慢げに胸をそらす。
「まず、シロヒメ、かわいいんだし」
「それは『できること』ではないでしょう!」
「もっとかわいくできるんだし」
「は!?」
くる~り。回転して、
「ぷりゅり~ん❤」
「………………」
「ほら、かわいいんだし」
「……い……」
絶叫する。
「意味がわかりませーーーーん!」
「ろ、麓華さん!」
蹴りかかりそうになるところを、あわててマリエッタが止める。
「なんだし、やるってんだし? いいんだし、シロヒメがなんでもできるって実力で教えてやんだし」
「望むところです!」
「やめてください、白姫さんも麓華さんも!」
懸命に抑えようとするが、
「行くしーーっ!」
「返り討ちですーーっ!」
「や、やめてくださーーーーい!」
悲痛な訴えは届かず、おろおろと周りに助けを求める。
「先生……」
――は、だがとても動けそうになかった。いまだに摩理風を乗せたまま、身動きが取れないために。
年少組はただあぜんとしているばかりだ。
産後間もない火里風にはもちろん無理をさせられない。
となれば、
「ぷりゅーっ」
パカーーーン!
「わあっ」
「錦さん!」
助けてもらおうとした寸前、白姫の流れヒヅメを受けて吹き飛ばされてしまう。
もう残っているのは、
「まかせてよ、マリエッタちゃん」
「桐風さん!」
どんなときも泰然としている彼女はこんな状況でいつも頼りになってくれる――と期待の目で見たのもつかの間、
「白姫ちゃん、麓華ちゃん!」
「ぷりゅ?」
「止めないでください。一度この駄馬に徹底的に」
「止めないよ」
「えっ?」
「止められないでしょ。この勝負に勝ったほうが次の頭領なんだから」
「ぷりゅーーーーーっ!?」
驚く麓華と対照的に、
「その通りなんだし」
「って、何を当然のようにうなずいているのですか!」
「あ、ちなみに一対一じゃなくて。一対一対一だから」
「えっ!」
「ぷりゅ?」
「ここは当然……」
パカッパカッ。ヒヅメを鳴らし、
「参加させてもらわないとねー、頭領候補として」
「ぷりゅりゅーーっ!?」
「いい度胸だし」
「って、何をあっさり受け入れているのですか! というか、桐風は頭領になるつもりはなかったのでは」
「えー、そんなこと一言も言ってないけどー」
飄々と。相変わらずのつかみどころのなさでそう言ってのけると、
「というわけでいくよー、麓華ちゃん」
「ええっ!?」
「そーだしそーだし、ぷりゅっちゃうんだし。シロヒメもヒヅメ貸すんだし」
「あっ……あなたという馬は!」
「あ、ちょっと待って、白姫ちゃん」
「ぷりゅ?」
パカーーーーン!
「ぷりゅーっ」
不意打ちの後ろ蹴りを受けて吹き飛ばされる。
「ふふっ。これで白姫ちゃん脱落だね」
「ぷりゅぅ~~……」
「き、桐風、あなたまで」
戦慄する麓華。
「ふっふっふー」
「や、やめなさい……」
「さーて、忍馬の奥義の粋を尽くしてお相手しちゃおっかなー」
「尽くさなくていいですからーーーっ!」
絶叫するも、すぐさまするどい蹴り音と悲鳴のいななきが響き渡る。
「ぷりゅりゅりゅりゅ……」
マリエッタが声をふるわせる中、次期頭領の座をめぐるバトル(?)は果てなくくり広げられるのだった。
ⅩⅤ
「あったねー」
しみじみと。朱里風がつぶやいた。
「あれって、結局、誰が勝者になったんだったけ」
「桐風のアネゴじゃねーの? なんつっても忍馬だしさ」
セスティが言う。
「いやいや、ここにも忍馬はいるんだけど」
「あのときはガキだったじゃん。おまえもアタイもさ」
「そうだね」
しみじみと。つぶやく。
「……で」
セスティが言う。
「なんでこんな話になってたんだっけ」
「それは、ほら」
目で指し示す。
「ああ」
納得の顔になる。その視線の先では、
「ぷりゅーっ」
草原を駆け抜ける。
白い影。
「……ははっ」
目を細める。
「そっくりだな」
「そっくりだね」
朱里風も。言う。
――と、
「ぷる!?」
共に目を見開く。
不意にその場で俊敏なステップを踏む。直後、その白い馬体が、二つに分かれて見えたではないか。
「おいおい!」
あわてて駆け寄る。
「白雪(しらゆき)!」
「ぷりゅ?」
こちらを見た白馬は、すぐ笑顔になり、
「セスティちゃんなのー。シュリカゼちゃんも一緒なのー」
「お、おい!」
それどころではないと、
「おまえ、いま、分身とかしなかったか!?」
「したの」
ぷりゅ。うなずく。
「マリカゼちゃんに教わったの」
「摩理風にか」
納得の息をもらすも、すぐに頭をふり、
「いやいや、あいつが教えてくれたのか? マジで?」
「マジなの」
うなずく。
「ンだよ、あいつ。アタイらにはいつも愛想ねーくせによ」
「ごめんね」
妹に代わって、苦笑まじりに頭を下げる。
「あの子、ほら、ああいう子だから」
「説明になってねーよ」
そこへ白雪が、
「とーりょーなの」
自分のことのように得意げに、
「マリカゼちゃん、忍馬のとーりょーなの。忍馬のとーりょーでシラユキの友だちなの」
「友だちか」
くしゃくしゃと。
たてがみをかきまぜるようにして鼻先をすりつける。
「あいつの友だちなんて、おまえくらいだもんな」
「そーなの?」
「……思い出すよ」
遠い目をして、
「あいつのこと、アネゴが一番かわいがってたって」
「ママが?」
「ああ」
と、ちょっぴり唇をとがらせ、
「ったく。アタイらだってかわいがってやったのによ」
「セスティちゃんが『かわいがった』って言うと、別の意味に聞こえるの」
「おい!」
たまらず怒鳴ると、白雪は舌を出しながら跳ね、
「ごめんなのー。嘘なのー」
「ったく」
こちらの口もとにも笑みが広がる。
「よかった」
「ん?」
朱里風のつぶやきにそちらを見る。
「だって」
笑顔で、
「摩理風にも友だちができたんだもん」
「いやいや」
またも苦笑する。
「そういうベタベタしてるのイヤだって感じじゃん、あいつ」
「そんなことないよ」
朱里風は言う。
「本当はそういうの、すごくほしいんだって」
「そうかー?」
「そうだよ」
言う。確かな想いをこめて。
「いろいろ押しつけられてるし……小さいころから」
「それは」
何か言いかけて、しかし口を閉じる。
そして軽く舌打ちし、
「ったく、桐風のアネゴのせいだよ。気まぐれで『次の頭領』とか言うから。まだ生まれたばっかりのときにさ」
「けど、その実力はあるって証明されてるでしょ」
「でもよー」
「正しかったんだよ」
かぶせるように。言う。
「キリ姉の目は正しかった」
静かなその口調に、セスティは「ぷぐ……」と黙りこむ。
「……それでもよ」
未練がましく口にしそうになるが、
「ん……ぁあーーっ、やめたやめたーーーっ!」
いら立ちをふり払うように大声をあげ、
「おい、白雪!」
「ぷりゅ?」
跳ね回っていた白雪が動きを止める。
「アタイは」
そばに近づくと、ぐっと顔を寄せ、
「アタイはおまえにとってなんだ?」
「セスティちゃんは」
不意の問いかけに戸惑うもすぐに、
「セスティちゃんはママの舎妹なの。妹なの」
「そうだ」
「だからっ」
うれしそうに頬をすり寄せ、
「シラユキの家族なのー」
「……おう」
ちょっぴり。屈託のない親しみに瞳をうるませつつ、うなずく。
「その通りだ」
セスティも頬をすり寄せ返す。
「家族だったら、目上の言うことはちゃんと聞くんだぞ」
「わかってるの」
「よし」
うなずき、
「だったら、摩理風のことは」
「ち、ちょっと」
思わずあわてる朱里風だったが、
「これからも……仲良しの友だちとしてつきあうんだぞ」
「もちろんなの!」
元気いっぱいにうなずく。
朱里風の肩から力が抜ける。そんな彼女を見て、
「なに変な心配してんだよ、バーカ」
「うん……ごめんね」
はにかむように微笑む。
そのまま、そっと寄り添い、
「友だちだよね、これからも」
「おう」
頼もしさをにじませつつ、寄り添い返す。
「あー、ずるいのー。セスティちゃんたちだけ仲良くしてー」
「いやいや、おまえのこともかわいがってやったろ」
「もっとかわいがるのーっ!」
ぷりゅーっ。鼻息荒くセスティたちの間に割りこむ。
「お、おい」
「そっくりだねー、やっぱりシロ姉と」
「だな。わがままなところが」
「ぷりゅ? ママ、わがままだったの?」
「あ、いや」
言葉につまり、
「まあいいだろ、そういうことは」
「よくないの。教えるの」
「いいって」
「よくないのーっ!」
蹴りかかる。というより、じゃれつく。
「セスティちゃんにおしおきなのーっ」
「なんで、アタイがおしおきされないといけないんだよ!」
「いいからおしおきなのーっ」
「わけわかんねーよ!」
笑う。
笑い合う。
白雪もセスティも、そして朱里風も。
笑い合う――
「ぷりゅりゅっ」
そこに、
「ごきげんだね、白雪」
「あっ、アリス」
ふるんふるん。しっぽがうれしそうにふられる。
「なんの話してたの」
「あのねあのね、シラユキがママにそっくりだってね」
はしゃぎながら答える。
そんな――晴れた日の午後だった。
謎のキリカゼ忍法帖!? なんだしっ✚