彼女が死ねば、俺は死ねない
1話 詰んだ人生
一日6千円。
そこから交通費を差し引き実質5000円の日当。
日雇い。
このままでは生きていけない。
そう思い必死で足掻いた結果、就職出来たのは残業、パワハラ、丸投げブラック企業。
ヤケクソになっていた自分は出会い系である女を孕ませデキ婚。
美幸はまだイビキをかいて寝ている。
夜中も一人で酒を浴びる程飲みながら起きるのは昼過ぎだろう。
妊娠は嘘。
仕事をしたくないが為、適当に都合のいい相手との結婚が目的だった。
だからといってそれを責める事もできず、毎日ブラックな会社へ行かなければならない日々。
辞めても自分のような人間がまともな職につける訳もないと、友作はただその現実を受け入れるしかなった。
家も地獄、外も地獄。
好きな事も、やりたい事もない。
強いて言うなら
「もういい、死なせてくれ」
何故こんな事になったのか。
自分は一体どこで道を間違った?
大学へ行かなかった事か?
それとも新卒切符で入社した会社を辞めた時?
転職? 結婚?
ここからどんな修正を施せば自分は幸せになれると言うのだろうか。
電車に飛び込んで異世界転生でもしてみるか。
そんなどうしょうもない幻想を抱きながら、友作は自虐的な笑みを浮かべふと上を見上げた。
いつも通る漫画喫茶だ。
どんな時間でも僅かな明かりを灯して人に居場所を提供してくれる。
流石に死に場所を提供している訳ではないのだろうが。
最早仕事へ行く必要も感じない友作は、会社への連絡も止め、入店を済ませた。
ありきたりな個室と、夏場ならべたつくだろう黒革のソファー。
誰かのストレスの捌け口となったのだろう、タバコの火を押し付けられた跡の残る安いパソコンテーブルに鞄を置き、友作はキツイ酒と小瓶一杯に集めた睡眠薬を取り出す。
「こんなんで死ねるわけねーよな、吐いて終わりか」
だからといってビルから飛び降り、電車に飛び込む勇気など無い。
部屋で練炭自殺が無難と考えたものの、家には自己中な家出少女以下の嫁。
これは友作にとって、社会への細やかな抵抗でしかないのかもしれない。
急激に襲う眠気と朦朧とする意識の中、薄汚れたテーブルに突っ伏す。
【もどりたい】
ふと視界には誰かが刻んだであろう文字が嫌に印象に残った気がした。
最早何かを考えるシナプスさえ壊れた友作は、ただその文字に俺もだよと脳内で最後に応えただけだった。
2話 死後の世界
「おい、友作! いつまで寝てんだよ、行くぞ、アイツイジメんだよ」
「んぁ」
古臭いが何処か懐かしい匂い。
茶色と、艶のない銀色で構成された机と椅子。
飲み込まれそうな程の深緑で埋め尽くされた全面には、消し損なった白いチョークの文字がムラを作っていた。
なんだ。
ただその一言だけが友作の頭を埋め尽くした。
「先行ってんぞ!」
使い古した黒いランドセルを乱暴に肩に掛けた少年が教室を出ていく。
それをぼうっとした頭で見送りながら、友作はゆっくりと立ち上がった。
あれは、誰だったか。
この教室は。
窓際から校庭を走る子供達が見える。
赤に黒のランドセルをガシャガシャと揺らし、思い思いの目的に向かって進む小学生。
教室の扉の上には5年3組と書かれた長方形の木版が掲げられ、今自分がいる住所を明確に示していた。
手を広げて見つめれば、そこにあるのはまだ苦労も知らぬ柔らかな小さい手。
窓ガラス越しに映る真ん中分けのダサい髪型。
生意気そうな子供顔はだが、何度も見て来た自分の子供時代そのものだった。
「夢、死んだのか、俺は」
今の体のシナプスは若いなりに健康なのか、友作はあの苦々しい現実を再び思い出し、これが初めて見る死後の世界だと理解した。
死後の世界はこんなにもリアルだと、死んだ人間は最後にそう思うのだろう。
だが死んだ後では伝えようもない。
死んだ者のみが享受できる体験。
人によってその場面は違うのだろうか、そんな事を考えながら友作は自分が小学5年の場面にいる事を再認識する。
どうあれあの醜く、辛い人生からはおさらばだ。
ここからどうなるにせよ、きっと最後は真っ暗な暗闇で意識もなく消えるのだろう。
もしくはこのままこの世界をぶらぶらし続けるのだろうか。
それは友作には分からない。
この世界を彷徨い続けるのも考えればなかなか辛いものがあるだろうが、自分の人生は既に詰んでいた。
だからこそあそこで死を選んだ。
下手に病院に担ぎこまれて、多大な治療費と方々からの罵詈雑言を思えば少しはマシなのかもしれない。
友作は一つ嘆息すると、目の前に自分のランドセルがある事に気付きそれを肩に担いで教室を出たのだった。
3話 キャベツ女
「キャベツ女ぁ! おらぁ」
「やめてよ!」
「うるせぇ、キャベツー! へい、パス」
20年以上たった今でも覚えている通学路を歩いて行くと、そこには二人の少年と少年よりも少し背が高くガタイもいい少女がふざけあっているのが見えた。
少女の髪はボサボサで、色さえ緑であったならばまさにキャベツと見紛う様相。
顔はお世辞にも可愛いとは言い難い上に、男子に言い返すその喋り方もどこかたどたどしい。
知的障害があるのかもしれない。
「お、友君! へい、パぁス!!」
「え、あ」
友作の登場に気付いた事で男子陣に活気が増し、中空を汚らしい靴が弧を描いて友作の元へ投げ込まれた。
元はピンクと白の可愛いスニーカーであったろうそれは、今や使い古され、土汚れに塗れその影もない。
反射的にそれをキャッチしてしまった友作は、手に嫌悪感を感じながらふとある記憶を脳裏でなぞっていた。
この少女は確か6年ではなかっただろうか。
そう、自分はこの少女をイジメていた。
というより当時はそんな自覚は無く、ここにいる
大地と宏、その他数名の男子と取っ替え引っ替え帰り道にこの少女をからかいながら過ごしていた。
少女は身なりも汚く、外見も良くない上に今思えば少しの知的障害を抱えていたのだろう。
通学路が同じと言う事もあり、例え上級生であってもそれはまだ理性の育っていない小学生には格好の遊び道具だ。
次々と友作の脳裏からは、まるでタンスをひっくり返したかのように昔の記憶が溢れだす。
「ぬーがせ! ぬーがせぇ! 友君今だぁ!!」
「いやぁだぁ!やめっ」
「んだよ、ブルマじゃん」
気付けば友作の身体は歴史に抗えないかのように、RPGの決まったストーリを見るかのように、仲間に拘束された少女のスカートを下ろしていた。
そこから出てきたのが、女子用の体操着である事に苛立ちを覚えている宏。
俺は一体何をしているのだろうか。
そんな気持ちを抱えながらも、記憶の断片に同様の景色を持っている自分。
過去の自分は確かにこんなふざけ合い、否、一方的なイジメを楽しんでいたのかもしれない。
「もう一丁脱がせ、友君!」
「あ、ちょっ、やめて」
友作はまるで意識の無い人形のようにその少女のブルマを勢い良く下ろしていた。
可愛いらしい小さい蛙のマークがついた白いパンツ。
それはだがその少女の身体に合わせて大きく伸びている。
「うっわぁ! だっせぇ、蛙!」
「やめてよぉ!! この馬鹿ぁ!」
「うぉ、逃げるぞ! キャベツが怒ったぁ!」
キャベツと呼ばれた少女は脱がされたブルマとスカートを履き直しながら、叫ぶ。
三人の男子はそんな少女の姿にケラケラと笑いながら、絶妙な距離を保ちつつ逃げる。
友作はふと少女を振り返り、その表情を伺いながら歩速を緩めていた。
少女は顔を若干赤らめ、口では怒っているものの満更でもなさそうな表情。
そうだ、俺達は傍から見たらいじめ以外の何物でもないが、この少女とは仲が悪くなかった。
つまらない登下校に一輪の華とまでは言わないが、一つの遊び道具を見出していたのだ。
そしてそれは、恐らくこの少女も同じ。
この少女はこんななりと、知的障害者扱いで同学年に友達等いなかった筈なのだ。
むしろ本物の、陰湿なイジメに合いながらもいつも一人気丈に振る舞いながら日々を寂しそうに過ごしていた。
「友作ぅーー!!」
「うぇ!?」
「うわ、やべぇ! 友作がキャベツに捕まったぁ!」
「友作も脱げぇー」
「あ、ちょっ!」
友作はキャベツ女の以外に強い力とそのガタイに捕まり、自分がそうしたようにズボンを脱がされた。
その姿を嬉しそうに見て笑う少女が、友作のパンツに手を掛けた所で仲間がキャベツ女のランドセルに突進する。
倒れるキャベツ女、逃げる男子陣。
それをまた追いかけるキャベツ少女。
そう、こんな日々が
当時の自分には大切な思い出などとは思えなかったのだ。
大人になって、いつから自分は自分を変えてしまったのか。
それが普通か、それとも変わらない事が本当の幸せか。
その答えは30年たった今の友作にも分からない。
彼女が死ねば、俺は死ねない