他人の恋

あおい はる

 空の月が、つめたい視線を降らして、街のかたすみで、ねこが鳴いてる。かなしいばかりが、波のように寄せてきて、返っていかない。ひたひたと浸る、あし。水面越しで揺らめいて、ぶよぶよと、ふくらんだやわらかいものが、漂っているみたいな感じが、きもちわるい。斜め上からの、月光。残酷な夏。あたえられるべき水分を奪われ、腐ってゆく運命の、カスタネア。
 ぼくが、わたしだった頃にあいした、セキレイの、指のうごき。いまでも、目を閉じると、よみがえってくるのが、忌々しいのだ。わたしは、もう、ぼくになったのに、わたしだったときの記憶のほとんどは、手離したはずなのに、染みついている、おそらく、悪癖などとおなじで、なかなか抜けてくれない。ぬくもり。皮膚の質感。指、という、からだのなかでは少ない面積の、しかし、確かな弾力。わたしの、恋が、ぼくになっても、恋として残っているのだと思うと、神さまはじつにいじわるだと呆れるしかない。わたしとセキレイがすごした部屋は、いまはもう、森の一部となって、朽ち果てるばかりなのに、セキレイはそこで、わたしが帰ってくるのをじっと待っているのだから、いずれ、すべてが消滅したときに、ぼくは(わたしは)、セキレイとのことを、きれいさっぱりなかったことにできるのだろうかを想像して、ひとりで、息苦しくなってる。捨てられないものに対する、救済方法が思い浮かばず、ただ自然と、昇華してくれることを願う。肉体とともに。

他人の恋

他人の恋

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2021-07-22

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