色水をつくったあの日
ATMを使おうとして、天井のほうからひょいとどでかい蜘蛛が現れたのには、もう、心臓がびゃあと驚いて、ばくばくして、なかなか、おそろしかった。今日の午後はこんな風にはじまった。文庫本の横幅くらいはあった。後ろに飛びのいて、そこにはひとがいなくてよかったけれど、近くにはいたので、すこしだけ気まずかった。蜘蛛はそのまま隙間に消えて、怯えながらATMを離れた。
夏だなあと思う。出掛けなくたって、夏の夜のしずかなせつないにおいも、あさからばんまで鳴く蝉の声も、夏にしか味わえないアイスのたのしみも(冬には冬のアイスの味わいがあってどちらもすき)、新潮文庫のプレミアムカバーも、いろいろ、いろいろなことに、夏だなあと思う。もとから出不精だからなのかしら、わからないけど。きっとすぐ秋が駆け抜けて、冬になる。暑いのはだいっきらいだけれど、夏はすき。寒いのはにがてだけれど寒いこと自体はすき。だから冬は大優勝。でもはやく冬になれとは、思わない。年々、時間の経つのがはやくなってるって、感じる。だから自分の意識のほうからわざわざ焦って、季節の変化を催促しようとは思わなくなった。むかしは夏の暑さに耐えかねて寒くなれ、冬になれと思ったものだけど、変わったなあ。
ふと、しおれかけの朝顔を摘んで、母親と色水と押し花をつくったのを思いだす。観察日記ってだいすきだったな。色水は、やわらかいピンクと、うすい紫。押し花はいまもどこかに眠ってるはず。こんど帰ったら、起こしてみようかな。
進撃の巨人がおわって、亜人がおわって、読みたかった本をまた一冊読み終えて、でもまだ読みたい本はこんなにあるなあと積み本を横目に、いまはちょっと、いや結構、なんというか、走っている。焦ってはいない。このまんまでいいよって、とにかく自分に言い聞かせるのが、大事。でもそうしながら、走ってる、日常。こう書くとわけがわからないけれど、ここではこれくらいが、いい。こころがゆったりとしたらまた、文章を書こう。
色水をつくったあの日