夏の別れ
好きということばが、空中分解して。パーツをひろいあつめているあいだに、すこしだけ、好きの密度は、うすまってしまったのだと思う。組み立てたときの、分解する前はなかった、あきらかなすきまを、ぼんやりとながめて、好き、が、たしかな質量をも失いつつあることを、てのひらで感じている。ひぐらしが、夏のおわりを待たずに、みずうみに飛びこんで、ぼくは、わたしになって、精神も、肉体も、わたし、というあたらしいひとになって、ぼくだったときの記憶は、透明な膜をはり、わたしの底に沈んだ。ねむっているのだ。
きみだけは、どうか、しあわせになって。
ひぐらしの、さいごのせりふだけが、いつまでも、わたしの脳内でくりかえし、再生されている。こわれたラジカセみたいに。
夏の別れ