下着売りの少女
むかしむかし、ではない。これはそんな昔にはなかったであろう。90年代か平成年代である。貧しい少女が東京の郊外のオンボロアパートに住んでいました。少女は九州から上京して東京の短大に入ったのです。少女の両親は老いた駄菓子屋だったので、短大の学費は工面がつきませんでした。しかし少女はどうしても都会の短大を出て、東京のOLになる事を夢見ていました。きっと東京ってすばらしい、きらびやかなところに違いないわ。原宿とか渋谷とか、日本のファッションの発祥地なのだわ。少女のあこがれは、このままこの土地のどこかの零細会社に就職して、アゼ道を通りながらモーモー泣いてる牛のモー太やジローをみて一生を過ごす勇気はやはりもてませんでした。
「モー太。ちょっとのお別れね。しっかり食べておいしい牛肉になっておくれ」
と言うと、モー太はモーと一声泣きました。この泣き声には二種類の哀しみが込められていました。さて少女が上京の日が来ました。少女はアルバイトをして学費と生活費を捻出しなくてはなりませんでした。
「京子や。すまないね。お金を出してあげられなくて。東京は寒いだろうけど気をつけておくれ。悪い男にだまされるんじゃないよ」
と言って見送りました。京子は都会の短大に通い、アパートは渋谷に借りた。何しろ学費も生活費も自分で働き出さなくてはならない。アパートは六畳一間のボロアパートで、建付けが悪く、冬は、すきま風がビュービュー入ってくるのでたまったもんじゃない。コタツにちぢかんでも、寒さのため、あまり集中して勉強できない。学費と生活費のため、一日中アルバイトをした。バーガーショップで、
「いらっしゃいませ。ポテトはいかがでしょう」
だが時給700円では、なかなか苦しい。スカートの裾を3cm詰めればその分時給900円にしてやろう、と、店長に言われた時はさすがに面食らった。言われてみれば他のクルーもスカートの裾が短く見える。東京とはこういう所なのだなと京子はおどろいた。学費は高い、が、何としても無事卒業して花のOLになりたい。で、卒業成績も良くして、出来るなら丸の内のような資本主義経済がもつコンドラチェフの波に左右されない安定したところへ入りたかった。が、こういう感じ方を荷風は嫌うだろうが、荷風とて、文学的資本主義の覇者であることを考えれば非難されるべきことではない。彼女が自分だけ良ければいいという性格でなかったことは、
「みんな一緒にガンバロー」
というのが、彼女のよく言うコトバでその気持ちに偽りはなかった。学校にもちゃんと出席したい。でもバイトもしなくてはならない。しかも書籍代も友達との付き合いの雑費もバカにならない。就職探しのため買った中古のパソコンのインターネットで、ある晩、ホームページの掲示板に、「誰か私の下着買ってくれませんか」と、切実な思いで書いてあった。「えっ」と、京子は驚いた。これはアソ山のふもとで健全に育った京子にとって驚きだった。東京では使用済みの下着を売り買いしているとは。どういう人が買うのかしら。京子はアソ山のもとで健全に育ったため、その意味がわからなかった。でも友達でアメ横で中古のジーパンを買って履いている人を知ってたため、きっとそんなニュアンスだと思った。ジーパンも新品より、履きならされているほうがアンティークな魅力があるらしい。なかには擦り切れて、膝が破けた、物乞い的な中古のジーンズを履いている人もいる。しかし、下着まで中古がいいとは。阿蘇山のもとで健全に育った京子はかなり首をかしげた。しかし京子は上京する時、郷に入れば郷に従え、と思っていた。よく分らないが東京では中古の下着が売れるらしい。季節はクリスマスの十二月で、街はきらびやかなイルミネーションで歳末大安売りで、道行くカップルはイブを楽しんでいる。しかし京子は家賃と水道代が滞りがちなくらいで、不動産屋はけっこう悪質で、取立てがキビしく、払えないんなら体で払え、というようなことをほのめかす。阿蘇山のふもとで健全に育った京子は、女の操は結ばれた夫にささげるものとだという55年体制以前の道徳観をもっていた。それで、やむなく京子は下着を手提げに入れて渋谷の通りに杜子春のようにたたずんでいた。どのようにして売るのかしら。値段のつけ方も分らないし、売り方もわからない。ので大通りで手製の飾り物を売っていた女の隣に腰掛けて、
「中古の下着です。よろしかったら買って下さい」
と札をおいといた。女が京子の顔を怪訝な顔つきで覗き込んで、
「あんた。勇気あんねー。その勇気はえらいよ。だけどサツに見つかったらどうすんの」
「えっ。おかしいですか?ではどのようにすればいいんですか?」
「その勇気はえらい。けど、サツに見つかったらヤバイよ。ティッシャーみたいにこっそり売りな」
しかし学費も生活費も尽きてきました。少女は、苦しい時、悲しい時、小説を書いていました。それがたまりにたまって行李一杯にまでなっていました。ある時、少女は書店に入ると「文芸ガイド」という月刊誌が目についたので手にとってみました。ページをめくると大きな広告が目に入ってきました。
「あなたの夢をかなえてみませんか」
「作家としてデビューさせます」
「あなたの本が全国書店に並びます」
少女にとって小説家なんて夢の夢でした。しかし少女は高校時代、文芸部で作品を発表して誉めてもらったことも多々ありました。お金が明記されていない。一体いくらくらいかかるのかしら。しかし、他に方法がありません。
もし私の小説を読んでほほ笑んでくれる人が日本に一人でもいるのなら。
ビッグセラーで売れなくても、どこかの出版社の編集者の目に止まってくれるのなら。
祈るような気持ちで少女は、書きためてきた小説を投稿し、二百万出して出版契約をかわしました。お金はクレジットカードの分割払いで払うことにしました。しかし本は一冊も売れませんでした。
少女は、本が置いてあるという書店に行ってみました。が本は見当たりません。いくら探しても見当たりません。とうとう店員さんに本があるかどうか聞いてみました。店員さんに連れられて少女は本のありかを見つけました。少女はガックリと首を落としました。誰の目にもつかないような隅っこに置かれている書棚でした。少女は店員さんに聞いてみました。
「ここの本て売れてますか」
店員さんはカラカラとカラス天狗のように笑い、
「売れるわけないじゃん。こんなんじゃ誰の目にも止まりっこないよ。しかもアマチュア作家の本なんて。これ、アウシュビッツ書棚、ホロコースト書棚って呼んでるんだぜ。1ヶ月後に全部、まとめて返本、裁断処分さ。いいかい。こんなものに決して手を出しちゃいけないよ。こんなの出版の現状を知らない人間につけこんだ悪質商法さ」
少女は哀しい思いで本屋を出ました。自信作のほとんどがもう応募資格がなくなってしまいました。クレジットカードの支払いはたまっています。親にも二百万の自費出版をしたとはとても言えません。しかし少女にはまだ一つ自信作がのこっていました。応募の枚数規定にもギリギリあいました。少女は何とか作品に手を入れ、完成させました。そしてそれを応募しました。その小説には、(いや、少女の書く小説はすべて)悪い人は出てきません。悪い人さえ、やさしさ、と、人を思いやる心を持っています。
少女の作品は当選しませんでした。クレジットの支払いはできません。水道もガスも電気も止められました。少女は街に出ました。街はクリスマスイブを楽しむカップルでいっぱいです。
少女はここ数日、何も食べていませんでした。目的もなく、街をあてどもなく行くと礼拝堂が見えてきました。道沿いの家ではクリスマスを楽しむ人々がローストチキンをかこってにぎやかに話しています。ゴーン、ゴーン。鐘の音が鳴りました。少女は力尽きて雪の中に倒れました。クゥン、クゥン。犬の泣き声がします。数日前に街頭に見捨てられて一人きりでいた、その犬に少女はパトラッシュと名前をつけ。アパートでは飼えないので公園の隅にダンボールで屋根を作ってやり、毎日御飯をわけてもっていってやったのです。犬のほうでも少女に無上になつくようになりました。少女は一人ぼっちの孤独な人間、乞食、友達がいないでさみしがってる子、などを見ると哀しくなって何かコトバをかけるか、お金をあげるかしないといられない性格でした。クゥン、クゥン。パトラッシュが少女にもたれかかり、雪の中にかがみこみました。
「ああ。パトラッシュ。ごめんね。何かあげたいけどあげるものがないの」
パトラッシュも、もともと弱い犬の上、エサもろくに食べられずに弱っていました。
「いいよ。お腹減ってないよ」
「えっ」
少女は驚きました。パトラッシュの目がそう言っているように見えました。少女は穏やかな笑顔で目をつぶりました。
「いこう。パトラッシュ。天国には、やさしい人、嘘をつかない人、人をだまさない人、心の純粋な人しかいないわ。私、天国で、やさしい人達がいっぱい出てくるお話しをうんとつくるわ。天国の人ならそういう小説を読んでくれる人もいると思うの」
少女はパトラッシュを抱いたまま雪の中に倒れ伏してしまいました。少女の意識はだんだん遠のいていきました。
雪が犬と寄り添った少女の体にしんしんと積もっていきます。ゴーン。ゴーン。教会堂の鐘の音が街の中に響きわたりました。それは天使が鳴らした天国行きの夜行列車の合図のようでもありました。
下着売りの少女