佐助と春琴
むかしむかし、あるところに春琴という女の三味線ひきがいました。春琴は琴の芸ですぐれておりましたが、4才の時、失明してしまいました。佐助というひ弱な小僧が春琴の身のまわりの世話をして、春琴が通う琴の先生のところまで、手をひいてつれていくのでした。佐助は春琴の家にデッチでやとわれていたのですが、それは春琴の家が裕福な商屋で春琴は花よ蝶よと大切に育てられたのでした。佐助は春琴の身のまわりの世話をする役と同時に春琴のいい遊び相手でもありました。春琴は佐助に何でもいいつけていましたが佐助は春琴に命令されることがうれしかったのです。というのは春琴はとてもかわいく佐助は内心、春琴に恋こがれていたからです。春琴が食べのこしたものがあると、それを食べるのがうれしかったのです。佐助に給料がでると佐助は中古の三味線を買って、家にもってかえりました。そして、夜になると一人そっと三味線の練習をするようになりました。ある日の夜、春琴が厠に行くと、闇の中からペンペンペンと三弦の音がきこえてきます。だれ、というと、その音はぴたりと止まりました。だれ、だれかいるの、と言っても返事がありません。翌日、春琴がそのことを佐助に話すと、佐助は照れくさそうに、それは私です。と言って心の内を話した。お師匠様の美しい三味線の音を聞いているうちに自分も下手の横好き程度くらいでもいいから弾けるようになれたらな、と、照れくさそうにいいました。春琴は一も二もなく、いいわ、じゃ、私が教えてあげる。と言ってそれから佐助は弟子の一人となり、持ち前の熱心さからどんどん上達していきました。
佐助が春琴の手を曳いて行くと、春琴は佐助どん、ありがと、と微笑するのでしたが佐助はもったいのうございますお師匠様というのだった。お師匠様は、三味線の稽古や好きなことをなさっていてくださればそれだけでかたじけなくありがたいのでございます。でも佐助どん。世の中がみえないってさびしいわね。私ってきれい。佐助どんってどんな顔してるのかしら、などというと、佐助は返答に窮するのであるが、お師匠様は、アイドルタレントなみに美しく、わたくしには、とてももったいなくございます、などというと、でも、おっ母さまが、お前と佐助は、おにあいだね、などといつも言うから、きっとケンソンしてるのね。私は原作のようにいじめたりしないから安心してね、というが、なぜ春琴が原作を知っているかというと佐助が原作「春琴抄」を読んであげたからである。佐助は自分はお師匠様の手となり足となり目となってお師匠様におつかえするんだ、お師匠様には楽しい人生を送ってもらうんだ、といって、春琴が知りたがってる世間のようすを精一杯説明するのだった。春琴は、でも顔がわからなくって声だけわかるっていうの、インターネットのEメールやチャットのように、わからない故のおもしろさがあるわね、などという。佐助は春琴に精一杯そとの様子をはなすと同時に、いったい目がみえない世界というものは、どんなものなのか知ろうと目をつぶってゴハンをたべてみたりトイレで用をたしてみたりすることもありましたが、ごはんも全然おいしくなく、トイレに行ってもころんでしまい、これは大変つらいことだと言って、春琴に対する同情をますます強めるのだった。が春琴は、それは佐助どんがいつも目をあけてみていて、たまにつぶるからそうなるのであって、いつも目がみえないと嗅覚や方向感覚がよくなるからちょっと違うわよ、なんて言ってクスッと笑う。しかし佐助が春琴のまわりのことは全部やってしまうので春琴の心の自立心をかえって弱めてしまった傾向なきにしもあらず。佐助がいなくなると春琴は心細くなり、佐助どん、佐助どん、という。佐助は、そこにちょっとうれしさを感じ、それが嵩じて春琴を土蔵に連れて行って、戸をしめ、息をひそめ、春琴が佐助をよび、たすけを呼んで泣きだしはじめた頃、お師匠様、といってポンと肩をたたく、と春琴は、ひしっと佐助の体にしがみついて、わーとなきだすのであった。さらに嵩じて、春琴が風呂に入ってる時、佐助が着物をとってしまって、春琴が佐助どん、おねがい、キモノを返して、といって恥ずかしそうに隅にかがみこんんでしまった、ということがあったか、どうかまではわからない。小説における必然性は全くないので、あったといっても、なかった、といっても別にどうでもいい。竹馬の友とは、まさに、こういう仲をいうのであろう、佐助は春琴にとって、よろこびもグチも、胸襟をひらける、家族以外の唯一の存在であった。視力の不自由な人は劣等感のかきねの中に住んでいて、気がねしたいい方をするのだが、春琴は佐助に対してそれがなく、あーあ、おなか減っちゃったな、なんて言うのである。すると佐助がまんじゅうと茶をもってきて、春琴一人分の時もあれば、二人分の時もあり、一人分の時は春琴がモグモグ食べるのをみるのが佐助にとって楽しかったのだが、佐助どんも食べなよ、といわれると、佐助は自分も目をつぶって食べます、といって目をつぶると、口を開けなよ、まんじゅうをちぎって入れるから、といわれて口を開けてまっていると、あついお茶をブバッと口の中に入れて、あちちち、とあつがっている佐助を、フーフーお茶をさましながら飲んで、風呂の時のおかえし、といっているのだから春琴も罪がない。こわい、こわい、目がみえないのはつらい、といって佐助をピシャピシャたたく時もあった。佐助は自分の目が潰れることでお師匠様の目がみえるのならよろこんで目をあげるのにと思って、じっと春琴の弱音を耐え聞き、いっそ自分の目もつぶれてしまえ、と、ある雨の日、どろ水で目を洗っているところを家人にみつけられ、ばかなまねは二度とおやめ、ときつく注意されたこともあった。
お師匠様が目がみえたならきっと自分は相手にしてもらえない、お師匠様が自分を相手にしてくれるのはひとえにお師匠様の目がみえないからで、それはお師匠様のせいではなく自分は弱みにつけこんでいるようなものだと佐助は思い、お師匠様とつきあうには自分を罰しなくてはと思いこむようになった。そこで村の悪童にこんなことをしてくれないかともちかけた、悪童はよろこんで二人仲間をひきつれてやってきた。それは悪童といえども春琴をからかうには良心がとがめた。どうか自分が春琴にさそいをかて、かけおちしたところを主にとらえられて二人折檻されるということで、というと悪童はよろこんで、二人をすわらせて背中合わせに縛りあげた。佐助は目かくしをされた、やい、うぬら、あるじの目をぬすんで恩も忘れ、あり金かっさらってにげるとは何てりょうけんだ、たっぷり折檻してやるからかくごしろ、とおどす、悪童仲間がたのしげにとりかこみ、見物にする。
しかしこの女は何ていい女なんだ脱がしてこの女だけ折檻しよう野郎は簀巻にして重石をつけて沼に放り込め、といって春琴のアゴをグイとあげる。春琴の着物の裾をめくり手を這わせ入れようとする春琴はびくっとキョーフにふるえ佐助どんと、たがいに後ろ手に縛られて、手と手がふれあっている佐助の手をギュッとにぎる、春琴は佐助以外のこの世のものはみなキョーフなので困ったことがおこると佐助にたすけを求めるしかない。ほらでっかいクモを入れてやる、といって胸元のあたりに、五指の先をクモの脚の動きに似せて触れる、と春琴は悲鳴をあげる、やめろ、おししょうさまをそそのかしたのはおれだ、責めるならおれを責めろゴクアク豚、という、悪童は、ほくそえんで、へっへっ。それなら手前の望み通り手前を責めてやらあ、そのかわりちょっとでも泣きをいれたらこの女だけ裸にしていたぶってやる、という、よし、きんたまをひきちぎってやれ、といって二人が佐助の褌をとりきんたまをつかんで力まかせにつねったり、ひっぱったりする、佐助は、だんだん油汗をかきながら苦痛に耐える。うっうっと耐えきれず、うめきをもらす。一人が佐助のほっぺたをつねる。このとき春琴の手が佐助の手をひしっとにぎっているのがわかる。ああ、こうしているのがいいのだ、おれはいつも何もくるしみもうけずにお師匠様をめでている。そんな自分がうけるべき当然のばつをおれはいまうけている。しかももったいなくも、お師匠様は自分をいたわってくださっている。そう思うと佐助は苦しみの中に、いつもはアイマイとしてつかめない安心を感じるのだった。悪童は二人に合図する。二人は竹でピシピシ佐助の脚や胴をたたいたり、指をさいたり、土をめいっぱいくらわしたり、ミミズをのましたりする。が、佐助はむごく責められれば責められるほど、春琴の苦しみに少し近づけるような気がするのだった。これは、すべて佐助が、あらかじめ悪童にいっておいて、自分にはどんなひどいことでもかまわない、春琴にはおどしだけにしておいてほしい、といったからである。悪童は、ひとやすみ、といって二人を連れて土蔵をでて、錠をしめてしまった。ほったらかしにされ、来てくれなければ、いつまでも闇の中に閉ざされっぱなしである。だが佐助はそれがむしろうれしかった。こうしてお師匠様と背中あわせに縛られていると久遠の恍惚の中にいるようで、お師匠様はいつもこんな闇の中に住んでいる、お師匠様の肌がふれる、影をふむことさえはばかられるお師匠様と。佐助はこれにかこつけてお師匠様の肌とのふれあいを感じて勃起していた。お師匠様はそうは思っていないだろう。男が女の体に触れたいと思うのと同様、女は男の体に触れたいとは思わない。そのことをお師匠様は気がついていない。佐助どん、困ったわね、などと春琴が自然の問いをするので、そうですね、と自然をよそおって答えるが、佐助は射精せんほどに勃起していた。お師匠様に自分の胸中がみぬかれるのではないか、というキョーフが佐助の体をふるわせて。ああ、お師匠様の髪がふれている、お師匠様とお尻をふれあわせている。佐助はこの感触を一生おぼえておこうと思った。
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こういう遊びは、やる方にしても、面白いし、また、やられる方の佐助にしても、嫌なだけのものでもない。双方の欲求が満足されるとなると、遊びは、その程度をエスカレートしていく。悪童は、女の子達を連れて来るようになった。春琴が師範として、教えている女の子達である。いつものように、春琴を後ろ手に捕縛して土蔵に入ってきた悪童がドッカと座り、縄尻をグイと引いて春琴も隣に座らせる。そこへ、褌一枚だけの佐助が女二人に捕まえられて、入ってきて手首を幾重にもはずれないようきつく縛り上げられて、その縄尻を天井の梁にまわし、ギリギリまで引き絞って、つま先立ちにまでする。さーて、こいつをどうするかな、と、悪童が言う。本当は、こいつを吊るしたほうが面白いんだがな、と言って、人質として悪童の隣に端座している春琴の縄尻をグイと引く。男を吊るしても色気がねえぜ。よし。いっそのこと、佐助は下ろして春琴を吊るしてやれ、というと、春琴はピクッと体を震わせる。やめろ。お師匠様に手を触れたらただでは済まさんぞ。と佐助が言う。いつも気の小さい佐助が強気で言う。ふふ。どうすまさん、というんだ。お前はこいつが目が見えないのをいいことに分不相応に、ちゃっかり自分の恋人にしてやがるんじゃねえか。よし。やれ。ちょっとでも泣きを入れたら春琴を吊るすからな。と言う。女二人が、にじり寄って、佐助の顔をつねったり、なでたりして弄びながら、ふふ、あんたも悪い人ね。春琴が目が見えないのをいいことにちゃっかり恋人にしちゃうんだから。たっぷり、お仕置きしなくちゃね。と言ってススキの葉やネコジャラシで体のあちこちを擽ってみたり、ピシャンと頬っぺたを叩いたりする。女は竹でピシャピシャ尻といわず、体のあちこちを叩く。ふふ。これもとっちゃお。と言って、佐助の褌をとる。と、ムクムク、佐助の摩羅が勃起してきて、天井を向いていく。素っ裸を女に見られて興奮するなんておかしいんじゃねえか。それとも、女のどっちかに気があるんじゃねえか。というと、二人の女は、わー。佐助ちゃんに好かれてたなんてうれしいわ。でも私達のどっちが好きなのかしら。白状するまでいろんなことしていじめちゃおっと、という。ふふ。佐助ちゃんて、興奮するとこんなに大きくなるのね。信じられない。でも玉はプラプラして、男の子の裸って、みっともないわね、と揶揄する。どっちが本命なのかしら、といって、勃起した竿をスッと撫でてみたりする、と、思わず射精しそうになって、佐助は、や、やめろ、といって膝を撚り合わそうとする。かまわねえ。どんどん虐めてやれ。といわれて女の一人が後ろに廻って、後ろから両腋をくすぐるのをもう一人の女は屈んでゆっくり下をしごきだす。佐助は、「お、お願いだ。そ、それだけは」と言って、しごいてる女に言う。ふふ。何をされても我慢する、といったのはどいつだ。そんなことで根を上げてどうする。ぶ、ぶつなり、蹴るなり、何なりしろ。お願いだからそれだけはやめてくれ、という。ふふ。言われずとも徹底的にしめあげてやる。よしやれ。といわれて、女は二人、それぞれ紐をもってきて、佐助の玉にはずれないようにしっかりくくりつけ、その縄尻をエーイと言って両側へ引っ張る。ああーと大きな悲鳴をあげて佐助は激しく全身をよじり、首を振り、のたうち、必死に苦痛に耐えようとする。しかし、なかなか佐助が根を上げないので、女達はもてあまし気味になって、佐助ちゃんて、けっこうガマン強いのね。しかたないわ、じゃ、こうしておきましょう、といって、今まで引っ張っていた縄尻に重石をそれぞれ結び付けてぶらんと垂らした。佐助は、あうっ。あうっ。と、アシカのような声を出す。ふふ。アシカみたい。ねえ。とってほしい。と、油汗を流している佐助の頬っぺたを撫でながら聞く。女達はだんだん面白くなってきて、図にのって小鉢をもって土蔵の外へ出て、それに小用をたす。そしてそれを持って戻ってくると佐助どんは何でも聞くんだよね。といって、さあ、これをお飲み、と言って鉢を佐助の口へおしつける。女は佐助の口を強引にこじ開け、無理矢理流し込む。さ、こんどはあたいの番だよ、といってもう一人が同じようにする。佐助が呑みおえると二人はキャッキャッと笑い、やだー。飲ませちゃったー、と言い合う。悪童は、ふっ。ションベン飲ますくらいじゃ全然手ぬるいわ。といって、竹をとると、みじめな姿の佐助の尻をピシピシと赤くなるまで叩く。佐助は、ああーと悲鳴をあげる。
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お願い。もうやめて。佐助どんを虐めるのはやめて。私が代わりになります。と春琴が耐えられなくなって言う。舌を噛みます。という。フン。じゃあ、今日はこのくらいにして勘弁してやらあ。と言って、悪童は春琴の縛めを解くと女二人を引き連れて、ゾロゾロと引き揚げていく。土蔵の中はシーンとしている。春琴がおそるおそる佐助に近づく。ああ。佐助どん。私のために酷い目にあわせて、ごめんね。わたし何て言ってあやまったらいいか。お師匠様。いいんです。あいつらのいったことは本当なんです。私はお師匠様が目が見えないのをいいことにつけこんでいるんです。このくらいの罰をうけるのは当然です。という。佐助どん。解いてあげるからね、といって、縄尻を手探りで探そうとする。がなかなか見つからない。この時春琴に複雑な気持ちが起こった。縄を解くべきだ、という心と反対に、何かもう少し佐助をこのままにしておきたいという気持ちである。佐助どん、かわいそう。といって、春琴は佐助の腰にしがみついた。鞭打たれた尻を撫でるように触った。畢竟、顔は佐助の男のところに近づいている。ある別の意図を持ちつつ、「痛かったでしょう」といって、佐助の男にそっと手をおいてみる。と、それはどんどん膨れ上がっていく。ああっ。お師匠様。や、やめて下さい。と、佐助ははげしく頭を振る。ああっ。と言って佐助はとうとう体内にたまっていた液体を迸らせた。
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ある時、春琴はあるいたづらを思いついた。それは佐助の弱々しさにつけこんで、佐助を土蔵の中に閉じ込めてしまえ、といういたずらである。佐助は悪童に、よういにつかまえられてしまう、ところをみると、案外弱いのかもしれない。ある時この土蔵での、遊びが終わった時、悪童たちが春琴の縄を解いて、次に佐助の縄を解こうとすると、春琴は、待って、といって、佐助どんの縄は、自分が解くから、と言って、彼らを返した。おそるおそる佐助の縛められた手を触ってみると、土蔵の中心の大黒柱に、がっしりと、縛りつけられていて、佐助の力では、解くことができそうもない。春琴の心にあるよろこびの感情がおこった。いつも自分に親切にしてくれる佐助ではあったが、一生盲目で生きなくてはならない、ひけめの悔しさ、それは、常日頃の春琴にはない感情だった。自分が一生、ひけめのつらさを抱いて生きるのが、自分の定められた宿命であって、それに不服をいうのは、わがままだと思っていた。誰かを拘束の不幸にあじあわせて、困らせてやればいい気味などという発想はよけい自分が惨めになるだけだった。誰かをいじめて、一時の拘束にすることは、一時のものであり、一方、春琴の盲目の拘束は一生のものである。力づくで誰かを拘束してみても、遊びが終われば、いっそう自分が惨めになるだけである。相手から、やーい。春琴はひがんでると、言葉に出されずとも思われるのがつらかった。しかし、佐助の様子をみていると、いつも自分に傅くばかりで、気も弱く、いっつも無口で、人の心を憶測したり、見抜いたりする能力が足りないようにも思われた。考えの足りない、人のいい、世話役、兼、遊び友達、だった。この人間になら、自分の心の奥に潜んでいる、欲望を、見破られることなく、マンゾクできる。と思った。春琴は佐助の体や、顔をなぞってみた。すると、少しした後、縄を解いてくれるだろうと思ったからだろう。口元が心地よく、微笑んでいるのが、手の感触でわかった。佐助、お前は気が弱いから、いじめられるのよ。私は帰るけど、お前は少し自分の弱さを反省して、こうしてなさい、と言って、立ちあがろうとすると、佐助は、弱声で、「お師匠様。お師匠様をお守りできなかったのは、確かに私の力不足です。でも、ここは暗くて、こわうございます。いつ、出していただけるのでしょうか」と聞く。ので、春琴は、それはお前がもうちょっと強くなるまでよ、と言って、目隠しして猿轡をして、ぼろ布団をかけた。そして閂をかけ、錠を閉めてしまった。佐助は自分の考えに気づいていない、と思うと、内心しめしめと思った。閂を閉めると、佐助の、猿轡の中から自分を呼ぶ声がする。夕食の時、母親に、佐助どんが見えないけど、どうしたのかしらね、と聞かれて、春琴はあわてて、今、佐助どんは琴の練習に熱中してるから、私がもっていきます、といった。佐助は土蔵の中である。誰が来たかと思って佐助はビクッとした。春琴のおぼつかない足取りと、手でまさぐることで、見えない闖入者が春琴であることがわかった佐助は、猿轡を解かれると、ああ、お師匠さま、解いてください、もう許してください、と弱々しげに言った。この時、佐助は本当に弱虫なんだなと思って、春琴はうれしくなった。春琴は今まで、いたわられてばかりいて、育ってきた。童女は人形遊びをするのが好きだが、それは女には幼いうちから、母性的な愛というものが、物心つく頃から、生まれてくるのであって、自分がお母さんとなって、弱い、頼りない、ものを守ってあげたい、という、感情を人形遊びの中で、人形に一方的に話しかけることによって、マンゾクさせるのである。春琴も、もちろん人形を与えられたが、春琴は、あまり人形遊びを、する気にはなれなかった。それは目が見えないため、人形が男なのか、女なのか、どういう顔、形をしているものなのか、わからず、かわいいのやら、どんな容姿なのか、所詮、手探りでは、わからず、目のみえない少女にとっては、かわいい人形も、人間の形をした得体の知れないものに過ぎなかった。どんなに人がかわいいといっても、わからないものに愛着を持つことはできない。一目でもその人形をみていたなら、その姿が脳裏のうちに焼きついて、盲目であっても人形をかわいがることはできる。しかし、一度もみたことのないものは、どう努力しても、得体の知れないものであって、キョーフ感が起こることはあっても、愛着を持つことはできない。また、人形遊びは、童女が自立が起こり始める頃おこり、弱いものを守ってやりたいという、母性愛の生まれ、であるが、それは、自分が弱いものを守ってあげれるという逞しさの自信に支えられている。それはちょうど、親に甘えること、親の胸中に抱かれている心地よさ、より、自分の意志で行動したいという欲求の方がうわまわるのと、時期を同じくしているが、春琴が守ってやれるほど、弱いものはなく、春琴は守られる、お人形であって、一生、自分はあまり、人に世話をかけない、お人形として生きる定めなのだという意識が、バクゼンとあって、自分は将来、お母さんとなって、子供を守り、育てるんだという普通の子が持つ感情がおこらなかったことも春琴に人形遊びに、関心をおこさせにくかった一因であった。弱いものが、弱いものを守ることはできない。できるとすれば、自分より絶対的に、より弱いものである。春琴は食事を土蔵へ持っていった。佐助の猿轡を解くと、佐助は、お師匠様。どうか、お許しください。と泣いて許しを乞うばかり。この時、春琴にむず痒い快感が起こった。それは人形遊びの快感である。人形遊びの快感とは、守り、なで、時に叱ったり、いじめたりする絶対支配者のそれである。ダメダメ。佐助。お前は気が弱いから、もっと胆力をつけなくちゃならないわ。でも食事はあげるから、口をアーンとおあけ、といって、あけさせた。口にご飯を入れてやったり、味噌汁をのませてやったり、縛められて自分では何もできない佐助に食事を食べさせる。この時、春琴の心を人形遊びの快感がくすぐっていた。ゴハンが食べ終わって、てっきり縄を解いてもらえると思っていた佐助の口のまわりを拭くと、春琴は再び佐助に猿轡をしてしまった。そして、佐助にボロ布団をすっぽりかぶせると、そのまま、また立ちあがって、土蔵の錠を閉めて、帰ってしまった。この晩、春琴はとても幸福な気持ちで、床についた。今までずっと無意識のうちにあった、自分が一番不幸せな人間だという抑圧がなくなっていた。それは土蔵の中でおびえて身動きできず、縛られてブルブル震えている佐助がいたからである。佐助は自分が食事を運び、食べさせてやらなければ自分では何もできない赤子同様である。その上、佐助は、春琴がひがみの心をマンゾクさせるために人を不幸にしてみたがったり、しているんだと、人の心を推測したがる性格でもないし、また万一、そういう心を知ったからといって、はしゃぎ、からかい返す性格でもない。だからといって、佐助をいじめ殺そう、などという気持ちは全くなく、むしろ、春琴にとって、佐助はこの世で一番かわいい、唯一の友達である。みんながもってるものを自分はもってないから、不幸なのであって、悟りを開いた人間でない限り、人間は自分より不幸な人間がいると、自分が幸福になったような気持ちになるのである。春琴はどのくらい、佐助を閉じ込めておこうかと思ったが、丸一日たって翌日の夕方、佐助のところに行くと、こらえきれず、もらした尿のため、床はぐっしゅり濡れていて、ガマンできなかったらしく、便も垂れ流し、鼻をつくような排泄物のニオイで、ムンムンしていた。佐助は、丸一日、柱に縛りつけられたままだったので、垂れ流してしまった自分の排泄物のまとわりつく不快感と合わせ、眠るに眠れず、グッタリとして、ぼんやりうつろな表情をしていた。春琴が、猿轡を解いてやり、「よしよし。よくガマンしたね。もう縄を解いてやるから安心おし」というと、うつろな表情が一変して、ワーンと泣き出した。
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さて小説である以上、一応結末をつけなくてはならない。原作では春琴が、かなりスパルタ式稽古をして、わがままな性格も加わって、上達の悪い弟子にバチを投げつけたり、体罰を加え、破門した。春琴のワガママさ、に腹を立てていたもの、恨みをもっていたもの多く、その復讐で春琴は、顔に熱湯を浴びせられ、佐助、お前にだけは見られたくない、と言って、その心を察した佐助は、針で自分の目をつく、ということになっている。盲目になった佐助は、春琴と二人、極楽の蓮台の上で身を寄せ合っている気持ち、で、むしろ幸せだ、ということになっている。原作のあらすじを読んだ時、言い知れぬ官能の刺激を感じた。作者である谷崎氏の特異な性的嗜好があるとはいえ、これは人間を超えた愛の行動であると当時の文壇で絶賛され、それゆえ、「春琴抄」は、文学的に高い評価を得ている。しかし、自分が、軽い気持ちで書いてみたこのお話しでは春琴は熱湯をかけられるスジアイも生まれないし、恨みをかう人間もつくれない。その上、春琴の身の回りの世話役である佐助が盲目になってしまったのでは、身の回りの世話をすることにも著しく支障をきたしてしまう。加えて、浮気に都合のいい条件があるのに、一人の女性に一生仕えるということだけで十分過ぎるくらいである。春琴が一人になっては、かわいそう、と思う心に自分の一生を殉じた、ということに止めておこう。人間には、超えられない枷の中で生きることに、生きることの緊張も張りもある。
「へへ。お師匠様、目が見えない。へへ。お師匠様、ひがんでる」
と言ったりして、愛しながらもからかう。春琴は佐助と結婚する。盲者と結婚できる勇者は容易には探せない。結婚する、ということは、もはや一体となる、ということであり、春琴は、佐助を通して目と自由に走りまわれる足を得た、と言ってもいい。
「あーあ。佐助どん。目が見えてうらやましいなー」
という。こんな感じでこの夫婦は、終生、子供のふざけっこのような感じなのである。佐助の介助によって春琴は傷病することなく長命した。春琴の死後、佐助は妻妾をもつことなく春琴の死後二十一年間ひっそりと暮らした。佐助が死んだ時、佐助の遺言によって、佐助の骨は春琴の墓に加えられ、春琴、佐助の墓、との墓銘が書かれた。死んだ後には、もはや盲目のひけめも苦しみもない。二人が本当に幸せになったのは、死んでから後であるといってもいい。
東京の、ある寺に手入れする者もなく、長年の風雨に晒されてボロボロになった小さな墓石がある。僅かに、春琴、佐助の墓、との文字が見える。遠い昔、一組の夫婦が生涯童心のまま、生きたことを知る者はいない。マンション建築のため、近くこの荒れ寺も取り壊される。
佐助と春琴