原子力少年

ワカメ

インダストリアル

カメレオンが檻から脱走した。

 本当はどこかに、透明になって潜んでいるのかもしれないと思って、佐藤は、檻の中に手を突っ込んでみた。が、何もいない。

 普段は緑色をした、パンサーカメレオンみたいなやつだった。体長は五十センチそこそこ、エサはいつも乾燥したコオロギ。ゴキブリがいた日には、ゴキブリを食べてくれたりしていたから、結構助かっていた。なんだかんだ、佐藤はそのゴキブリが物陰からカサカサと出てくる状況がすごく怖かった。

 今日も餌をやらずとも、自ずとゴキブリを食べてくれる、そんなことに期待したのだけれど、佐藤にとっては神の使いにも等しいカメレオンは忽然と姿を消した。突然、何の前触れもなく。

 さっき、佐藤が飼っていたのはパンサーカメレオンみたいなカメレオンと説明したけれど、正確には、カメレオンなのかどうか、それさえはっきりしない。

 不自然だった。どこかカメレオンなのに、カメレオンっぽくない。餌を食べるときも、どこかぎこちない。

 カメレオンに擬態した、何か別の生き物なんじゃないかと疑った時もあった。じゃあ、何が擬態していたのか、それこそ宇宙人とか、そういう類のものになってしまうかもしれない。それか全く新種の生き物だったか、居なくなった今となっては想像でしかない。

 昔佐藤は、気になってそのカメレオンの全体をまじまじと見つめてみた時があった。木にしがみついたそのカメレオンを、いろいろな角度から。

 カメレオンは見る角度を変える度、様々な色に変化した。例えば、黄色とか、黒と白のストライプとか、いろいろ。その色の変化を見ているのは、とても面白かった。黄色くなった時などは、目だけ赤くなったり、緑と赤のストライプを広告看板みたいに動かしてみたり。

 そうして佐藤は発見した。そのカメレオンには確かに、腹の底に、SONYの文字が、ぼんやりと書かれていた。書かれていたというより、映し出されていた、という感じだろうか。ぼやけて、はっきりと判別はできなかったけれど、それは確かに、荒い画素の中に映し出されたSONYという文字だった。

 「え、ソニー製なの」

 このカメレオン、と言いかけたところで、カメレオンは怒ったように赤とオレンジのストライプ模様に変わった。

 ほら、と佐藤は言った。

 「こいつ、絶対人の言葉を理解してる。感情を持ってる。異常だよ」

 僕はその、ソニー製という言葉を聞いてなんだかとてもうれしかった。根っからのプレイステーション信者だったから。

 佐藤はそう言って、むんずとそのカメレオンの背中を掴んで、腹の底を僕に見せた。

 確かに、そこにはぼんやりと、SONYと書かれている、気がする。

 火星の人面岩に近いような、はっきりと確証を持ってソニーと書かれていると言い切れないような文字が、ボンヤリと浮かんでいる。その横には、おそらく製造番号みたいな小さい数字の羅列みたいなものさえ見える。

 それよりも僕は、佐藤が手でむんずとカメレオンを掴んだ瞬間、カメレオンが悲しそうな深い青に体色を変化させたのにびっくりした。

 ブルーな気分とよく言うけれど、今のカメレオンの体色は、それに近いのかもしれない。そもそも、カメレオンなのかどうかさえ怪しいけれど。

 僕は恐る恐る、そのカメレオンの胸あたりに耳を近づけてみる。

 そうすると、かすかに、何かが回転する音と、時折、何か機械的なものが動くモーターみたいな音が聞こえる。

 「やっぱこれソニー製だよ」

 恐る恐る佐藤の顔を見上げると、彼はまじまじと僕を見下ろしていた。

 「絶対ソニー製」

 

 カメレオンが消えたことに、佐藤は特に驚かなかった。驚かなかったし、特に探そうともしなかった。

 探したところでおそらく見つかるはずもないし、見つけたところで餌代はかかるし、何より、結構うるさい。何かが回転する音とか、深夜なると割と気になる。それがなくなって、夜、静かな環境で寝られることは幸せなことだった。ただ、ゴキブリが這っている気配を感じながら眠るのはことのほか辛かった。ゴキブリにも意思があるのか定かではないけれど、カメレオンが消失した瞬間、見かけることが多くなった。

 目に見えるゴキブリがいるということは、その他に、何千単位のゴキブリがいるっていうのはよく聞く話で、佐藤はそれがすごく気になっていた。

 バルサン、でも、バルサンがどのくらいの効能があるのか、これまでの人生の中で、一度も使ったことがなかったから、よくわからない。一発で根絶やしにできるのか、それとも継続して何回か使うしかないのか、どちらにしても、なんとなく絶望していた。

 

 

 

 祖父の腕に、白衣を着た医者は注射を打った。

 二の腕に巻かれたゴム管を外して、医者は満足そうに微笑みながら、腕時計を見るために袖を少し捲った。

 僕は、祖父を挟んで反対側に胡坐を掻いて座っていた。医者はすっくと立ちあがり僕を見下ろした。

 「少し衰弱していますが、心配は要らないでしょう」

 医者の後ろには姿見があって、それは、医者の後ろ姿と、僕の顔の半分を映していた。

 「ありがとうございました」

 時間は昼間の十一時半くらいだった。振り子時計が心音みたいに、一秒ずつ乾いた音を鳴らしていた。

 祖父は、今朝方具合が悪そうにしていた。

 大丈夫大丈夫、何度もそう呟いていたけれど、大事をとって医者に来てもらうことにした。

 その医者が帰った後、僕はいつも祖父が座っていた肘掛け椅子をぼんやりと眺めていた。

 空が青く広がっていた。雲一つなく、遠くの電線が黒く光っていた。

 姿見の中には、外の明かりで黒くなった僕と、祖父の寝ている布団が映っている。姿見の中の僕は、面白くなさそうな顔をして僕を見ていた。

 「おい」

 祖父は、黄色い顔をしていた。

 「何?」

 「医者は帰ったんか」

 ああ、と姿見の中の僕は祖父に言った。

 そうか、とつぶやいて祖父は再び目を閉じた。

 近所で新築の工事をやっていた。荷物を積んだダンプや軽トラが行ったり来たりする。

 時計の音と、釘を打ち込む音が小さく聞こえていた。

 

 それから僕は、しばらく無音の中にいるうちに、世の中の時間が、止まってしまったような感じがした。

 それはどうやら、隣の工事現場がお昼休憩に入ったからだと思うけど、僕の周りを取り囲んでいた音はほとんど消え、音がするのは、頭の少し上の振り子時計だけだった。

 多分医者が帰ってから、二十分くらいがたっただろうか。

 ふと見上げると、天井を一匹のカメレオンが這っていた。小刻みに揺れながら、微妙なバランスを保って、ゆっくりと前進していた。

 僕は少し、不気味に思ったけれど、天井を張っているものだから、どうにもならない。カメレオンは、左右の目をせわしなく動かしながら進んでいる。

 床に寝そべって、カメレオンを見つめる。その影は長く斜めに伸びていた。

 

 

 佐藤くん家ではカメレオンを一匹飼っている。昔見せてもらったことがあった。本当にカメレオンなのか、カメレオンの形をした何かだったのか、僕にもわからない。

 いつの間にかどこかに逃げ出してしまって、発見できなかった。

 佐藤君はそもそも、そのカメレオンをどこで拾ったのか、それとも買ったのか、全く分からない。聞く気もなかったし、佐藤君もそれ以上、カメレオンのことを話そうとしなかった。

 佐藤君は何かを知っていたのかもしれないし、知らなかったのかもしれない。腹の底にSONYと書かれた不可思議なカメレオン。

 そのカメレオンなのかは定かではないが、どうやら、カメレオンは何かを目指して進んでいるようだった。

 外に出たいのか、カメレオンは、その体を七色に変化させながら、日の当たる方に、まっすぐ進んでいた。

 僕にはその七色に光り輝くカメレオンが、とても美しく見えた。

 割れたガラスの破片が、太陽の光を反射して光っているような、そんな具合に見えた。

 

 

 「おい」

 祖父が乾いた口を開けて僕を呼んだとき、カメレオンは、まるで空気に同化するみたいに、やんわりと消えてしまった。

 僕はしばらく、茫然としていたけれど、不意に祖父に呼ばれていることを思い出して、遅れて返事をした。

 「今何時だ」

 外からまた、トラックやら軽トラが走り出す音、大工さんが釘を打ち込む音が聞こえ始めた。変な夢から覚めた様に、世界がまた動き出したような気がした。

 「今、一時くらいだよ」

 うなりながら、祖父は立ち上がった。腰がいてぇと呟き、黄ばんだ襖をあけて階段を下りていく。

 あれは、何だったのか、しばらく僕はその場に寝そべって考えていたけれど、そんなこと、到底僕にはわかるはずもなく、時間だけが、一秒一秒、確実に過ぎていった。

 

 それから僕は、重くなった瞼を開いたり閉じたりして、もう一度、あのカメレオンが、日の光に向かって進んでいかないか、じっと待っていたけれど、日差しの温かさの中で、すっかり目を閉じてしまって、あとは、深い暗闇の中に落ちてしまった。

 

ゲルニカ

目の前に朽木があった。

 朽木があるということは、その昔、ここは小さな森だったか、川が流れる岸だったか、はたまた、都会の街路樹だったか、いずれにしても、何かしら生命がありふれて存在していた場所だった可能性があった。

 ここにはもう何もない。あるのは切り立ったような鋭い砂の頂と、その奥で何かを運ぶラクダと人の列、それから、頭上で眠い眼みたいに弱く光る三日月くらいだった。

 僕はさっきまで、金縛りにあったみたいに、呻きながら固く両眼を閉じていた。目を開けたら、目の前にお化けが、なんていうのも嫌だったし、目だけ空いたところで、余計怖いし、しかし、一向に何もよくならない。

 覚悟を決めて目を開けると、そこは砂漠だった。

 夜の砂漠はそんなに熱くなかった。快適な温度といってもいいくらいだった。僕はどうやらひたすらどこかから歩いてきたみたいだった。後ろを振りむくと、アリの行列みたいに、僕の足跡がひたすらかなたまで続いていた。それはどうやら、月の光で薄く白く光る三角形の砂の頂の向こう側まで続いていた。あの先に何があったのか、今の僕には全然思い出せない。

 必死に目を閉じて歯ぎしりしていた時、僕の真っ黒い視界の中に、カメレオンがいるのを僕は発見した。

 カメレオンは確かに、僕を認識しているらしかった。それはどうやら、ぐりぐりと動く両の目をせわしなく動かしながら、それでいて確かに、僕を認識しているように、一瞬僕に目をやって目を動かす、一瞬、一瞬、それを繰り返しながら、ゆっくり前に進んでいくようだった。

 僕は思わず手を差し出した。

 その両の目は限りなく無機質で、限りなく透明に近かった。それがその時の僕には、とても気持ちがいいものだった。

 カメレオンはこっちに向かって、尻尾を振った。それが僕の手と触れた時、目の前で原子爆弾が爆発したみたいに、それは起こったのだった。

 暗い視界の中で、まるで万華鏡のように緑色の波みたいなものが押し寄せてきたのだった。

 カメレオンはしっかり姿を消したようだったが、手の中に尻尾の感覚がまだ残っていた。

 そうして目を開けた時、僕は砂漠の真ん中にいたのだ。

 こういう時、いやこういう時だからこそ、この世の楽園みたいな所に行きたかったのに、砂漠なんていう、いかにもこの世の果てみたいなところに来てしまって、僕はすっかり閉口してしまった。

 早く帰りたいというのと、この先に何があるのか、行ってみたい気持ち、どっちもあって、僕は仕方なく歩を進めた。

 この先に、ワームホールみたいなものがあって、そこをくぐれば終わり、そう考えていたけれど、なんだかそういうわけでもないらしい。

 目の前に、月の光を浴びた車輪が現れた。何か、馬車のようなものの車輪かも知れない。それは五分の一くらい地面に突き刺さっていて、月の光を浴びて、人の肋骨のように、白い砂漠に縞々の影を作っていた。

 誰かのお墓何だろうか、それとも単純にそうなってしまっただけなのか、僕は固く口を閉じながらそれを眺めるほかになかった。

 これが命なのかもしれないと、なんとなく思った。

 命を大切にしようとか、命を無駄にするなとか、よく言うけれど、じゃあ命とは何なのかといわれて、なんて答えればいいのか、僕には全然わからない。

 目には見えないし、触れもしない。形がなければ音もしない。命とはなんだといわれて、カメレオンでもなければ、車輪でもない。でも、この状況そのものが命だとしたら、なんとなく合点がいくような、そんな気が少しだけする。

 誰かが死んだわけでもないし、仮に死んでいたとしても、僕には全くかかわりのない人なんだけれど、肋骨みたいな車輪はこの下に何かあるということをなんとなく示している気がする。知りたくもない。

 まだカメレオンの尻尾の感覚は残っている。というか、掴んでいる気がする。目には見えていないけれど、確実に、この近くにカメレオンがいるということなんだと思う。

 僕にはよくわからないが、カメレオンはどうやら、僕の少し先を進んでいるらしい。ゆっくりと、けれども確実に。

 この砂漠の果てを知っているのは多分カメレオンだけかもしれない。カメレオンだって砂漠で生きていけるはずはないのだから、必ず、水と生命がある場所へと進んでいるはずなのだ。今はとりあえず、その少し先を行っているカメレオンを信じる他にはない。

 限りなく無機質で、限りなく透明な目で先を行くカメレオンしか、車輪の奥、砂漠の果てを知るものはない。

 生きて帰るには、それに従うしかない。いい目覚めになるか、寝汗びっしょりになるか、いずれにしても、僕は尻尾を離さないように進むしかない。

原子力少年

原子力少年

前に書いたものに、新しく書いたものを付け足したものです。

  • 小説
  • 短編
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-07-11

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