優しい棘

 おとなになったら、なんでもできると思っていた、あの頃の記憶が、擦り切れたレコーダーみたいに、ぷつり、ぷつりと、断続的に飛び、不鮮明さをあらわにしている。ばかみたいに暑い、夏の夜の、自然界は、にんげんの身勝手な破壊に怒り狂っていることを、しみじみと感じずにはいられない、そんな夜に、ぼくらは海をみていた。海風は生温く、心地よく涼しい風など、波は運んでこない。きみは、昨夜から続く、花を吐く行為を自分でどうにもできずに、ぼくに縋り、けれども、ざんねんだが、ぼくにもなすすべはないので、ふたりで、だれもいないところを選び、彷徨い歩き、気づけば海にいたのだ。時間の経過とともに、きみが吐く花の量は、すくなくなっている。ぽと、ぽと、と、きみの、厚みのない、色もうすいくちびるから、血のような真っ赤な花が、こぼれおちてくるたびに、ぼくは、泣きたいような気持ちになって、でも、それは、きみが気の毒だからなのではなく、花を吐くきみが、世界でいちばんうつくしい生きものであり、一種の性的興奮みたいなものをおぼえるからである。苦しんでいるきみに対して、なんてひどいやつなのだと、ぼくは、ぼくを罵るのだ。
 砂浜にできる、花溜まり。
 後天的なこれは、完治することなく、一生つきあっていかなくてはいけないのだが、花を吐くにんげんなんて、じつに気持ち悪いだろうと、きみは嘆く。ぼくのことを愛してくれるひとなんていないと云うが、ぼくは、きみのことを愛しているし、それを隠しているつもりもないのだけれど。きみはやさしく、残酷で、はっきりと言葉にせず、きみにはもっと他にいいひとがいるよと、柔和な拒絶をくりかえす。
 では、何故、ぼくを頼るのか。
 いまは、きみのすべてを知っているのがぼくしかいないから、なのだろう。
 ならばこの瞬間、星はしんでいい。

優しい棘

ときどき、思い出したように書きたくなる。花を吐くひと。

優しい棘

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-07-11

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