【サンプル】与太話

しずよ

原作軸の鯉月。惚れ薬を飲んで初めてあれこするお話です。

通頒はこちらです。
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一、退役

 月島は生きた。生き残った。そんなつもりはなかったのに。
北海道で血なまぐさい大騒動があったことなんて、世間のほとんどは知らない。だからすぐに処分はされなかった。月島は表向き怪我の療養として休職、その後予備役・後備役編入もなく退役となった。物語は終幕を迎えた。
俺はまだ生きているのに。明治四十五年の春だった。


「雨だ」
 坊主頭の天辺に、ぽつりと何かが当たる。月島が足を止めて空を見上げると、頬にも一粒当たった。自宅に帰り着く直前のことだった。慌てて屋内に駆け込む。土間から居室に風呂敷包みを放った。今の仕事道具は体操着だから、多少、手荒にしても大丈夫だ。そう、月島はいま私学校の体育教諭・補佐を務めていた。退役後に斡旋された、二番目の仕事だ。
 手荷物を置いた後、庭に干していた布団と洗濯物を素早く取り込む。それらもぽいぽいと乱雑に畳に置く。今は濡れないのが最優先だ。遠くからゴロゴロと雷鳴が聞こえる。こりゃあ、ざあっと来るな。雨戸を閉めよう。足を拭いて土間から上がろうとした時、表の通りを馬車の音が聞こえてきた。
 ああ、あの人が帰ってきた。胸がどくんと鳴った。
 しかし間が悪いな。部屋がえらく散らかって見える。洗濯物くらいで目くじらを立てる人ではないが、月島自身が気になるのだ。よし、取り急ぎ布団を畳んで押し入れへ。動こうとした瞬間に、屋内に声が響き渡る。
「帰ったぞ!」
 がらりと戸の開く音と同時だった。鯉登音之進が帰ってきた。月島が出迎えると「ただいま」と向ける笑顔がまぶしい。目を細める。「お帰りなさい」
 まるで、どんよりとした雨雲の切れ間から、ようやく顔をのぞかせた太陽だ。しばらく見てないと、あの青い空も恋しくなる。そういうものだ。人は青空にも思いを募らせるから、今この胸の高鳴りも、きっとそれと似たようなもので……。
 月島は、こんな風に自分で自分に言い訳を続けていた。
 冷静であれ、大人であれ、禁欲的であれ。そう戒めていないと、カッと頭に血が上りやすいのは、鯉登よりむしろ自分の方だからだ。気持ちを抑えていないと、どれほど好きになってしまうか分からない。月島は呼吸を整えた。
 彼がこの家にやって来るのは二週間振りだ。パッと両腕を広げるから抱きしめられる、と身構える。鯉登からふわりと他所のにおいが鼻をかすめる。背後から別の声がした。
「お荷物は全部中に入れますねー」
 その声で月島は我に返る。「失礼いたしまーす」と玄関先の鯉登と月島を押し退けて、声の主は家に入る。彼は鯉登の従卒をしている上等兵だ。庁舎からの送迎を毎日こなしてくれている。そうだ、彼も一緒だった。
月島は鯉登の顔を見た瞬間に、従卒のことを忘れていた。浮かれるにも程がある。いい年なのに。
 月島はばつが悪くなり、身を縮こませる。彼は二人の横をてきぱきと往復して、屋内に鯉登の荷物を全て運び入れた。相変わらず外泊の際は荷物が多い。
 鯉登には実は借りている家が別にある。麹町にある戸建てだ。それなのにこうして月島の家に寝泊まりする鯉登に、従卒は最初こそ何か言いたげな顔をしていた。が、すぐに鉄面皮で送迎をするようになった。鯉登いわく「余計な詮索など何もしない奴なのだ。あの顔を見てみろ。懐かしいと思わんか?」
 かつての自分の無感情を指しているのだろうと思った。でも彼の鉄面皮は、俺とはきっと違う理由だろう。「はいはい、いつもいつも仲がよろしいですねー」という呆れた心の声が、視線から聞こえてきそうだ。そう思ったけれど、鯉登が喜びそうなので黙っているけれど。
 荷物を運び終えるのと「ご苦労だったな」と鯉登が声をかけ、財布から煙草銭を渡した。
「鯉登大尉殿、では私はこれで失礼いたします」
 敬礼をして帰っていく従卒を、二人で見送った。
 部下に小遣いを渡すのは慣例らしい。将校の中には送迎後に自宅で身の回りの世話――褌の洗濯までさせる者もいると聞くから、それなら別途手当が必要だろうなとは思う。ただし金額には決まりはない。羽振りのいい将校についた兵卒は、なかなかの贅沢をしているようだ。鶴見にはこのような従卒がいなかったから、月島にとっては斬新に写る。
 運ばれたトランクから月島は着替えを取り出して、洗い桶に入れた。洗濯は明朝だ。それから書類や資料、筆記用具は奥の部屋へ戻しに行く。そうして手荷物の片付けを終わらせて、お茶を運ぶ。鯉登は「ありがとう、やはり自宅は落ち着く」と言って目を細める。それに月島は心の中でこっそり苦笑いする。自宅といってもここはいちおう月島の家なのだが。
 主に寝室にしている仏間と、食事や雑事をする茶の間の二間に土間がある。独居には広すぎる。が、鯉登と二人だと意外にもおさまりがいい。この感覚は何だ。月島は不思議に感じながらも、答えは出さずにいる。こんな暮らしも半年を過ぎたところだ。



 そもそも月島が東京で暮らすようになった経緯は、約五年前にさかのぼる。金塊探しで命を落とさなかった者でも、五体満足とはいかなかった。月島も数ヶ月間療養して、その後退役となった。その際に東京砲兵工廠での集団就職を案内された。小銃等の武器を作るところだ。どうやら奥田中将の差し金のようだった。手近で監視ができるからだろうと思った。
 その当時の月島は、死ぬ動機も生きる動機も無くなったから、誰の差し金かなんてどうでもよかった。言われるままに就職して、日々を流されるまま過ごしていた。そうして東京での新生活が三年過ぎた頃、また別の仕事を斡旋された。今度はM炭鉱だ。月島はその炭鉱がどこにあるのかも知らなかったが、三菱の競合と聞いて、そこで働こうと決めた。
 ところが斡旋人に連れられて行った先は地方の炭鉱とは程遠い、東京の私学校だった。体育を教えられる人物を募集している、とのこと。どこでどう間違えば、炭坑夫が教諭補佐になるのだ。月島は眉をひそめる。何だこの話は。一杯食わされたな。あまりにも奇妙だから「私は怪我で片足があまり動かないのです」と言って断ろうとした。すると校長は「少々痛んでも動かしていると、体は元通りになる場合がありますよ」と教えられた。要するに「ここで働いてほしい」という意味だ。断る理由も他にはない。めんどくさい。引き受けることにした。
 鯉登が月島の前に現れたのは、その直後だ。心臓が止まるかと思った。金塊探しが終わったら、もう会うことはないと思っていた。鯉登は陸大を卒業して二年間は外地に赴任していたという。これは偶然だろうか、それとも――。
 いつか真相を尋ねようか、ずっと黙っていようか決めかねている。



 茶を飲み干して一息ついた鯉登がこう言った。
「なあ、月島。明日は結婚記念日だろう。だから今日帰ってこられて良かった」
「……。結婚? 記念日? 誰と誰のですか?」
 あ、ご両親の結婚記念日なんだろうか。月島がひらめく。すると鯉登は呆れた表情でこう告げる。「びっくりするくらいに無関心だな。自分の事なのに」
「は? 自分のこと?」
 仰天して目を見開く。なんだそれは。俺がいつ誰と……というか十中八九、この人と、という意味だろうけど。
 当然だが正式に婚姻関係なんて結べる間柄ではないし、第一、なぜ明日なのか。月島が鯉登と共に生活し始めたのは、半年前の十二月だ。間違えるはずがない。分からないので素直に鯉登に尋ねる。
「明日――七月七日ですよね。記念日になるような何かは無かったと記憶してますが……」
 すると目の前の男はなぜか視線を逸らした。そしてまるで生娘のように頬を赤く染めて、もじもじとする。とても三十路になった男の仕草には見えない。だが鯉登の印象は、少尉任官した約十年前とさほど変わらない。ある時は少年、そしてある時は大人の男、と日替わりの印象を与える。今だけ少壮に戻った男は、月島が忘れていた青い夏を蒸し返した。
「あんな情熱的な夜を忘れるなんて、薄情な男だ」と口をとがらせる。そしてこう続けた。「お前と私が初めて契りを交わした日ではないか」
「……」契りを交わした日。つまり肉体的にも精神的にも深く結ばれた日、だったと鯉登は言う。
「……ちぎ、……て、うわああっ!」
 たまらず月島は絶叫した。十年前の痴態がよみがえったからだ。
「ふふ、思い出したか? あの夜、私に惚れ薬を使ったのは月島だっただろう? 噂に違わずよく効いたではないか。だから、私は今でもこんなに夢中だ」
「あ、あんなの与太話ですよ! 私はそのような薬は使った覚えはありません!」
 月島が断言したところで鯉登は信じない。恥ずかし紛れの言い訳だと思っている様子だ。そしてべたべたと月島にまとわりつく。あからさまに抵抗しなかったから、背中から抱き締められた。触れられた箇所が痺れて、胸の奥底がじゅんと熱くなる。
「うふふ、今でもお前が私を求める姿ははっきりと覚えているぞ」
「やめてください」と耳をふさぐ。
「そのうえ男に慣れた振りをしていただろう。私を誑かすための作戦だったのか? かわいい奴め」
「だ、だからやめなさい!」
 大人ぶって注意したところでなしのつぶてだ。鯉登の言う通り、男性経験のある振りをした。その方が穏便に事が運ぶと判断したからだった。
「うふふ、一月振りの月島のにおいだ」と嬉しそうにつぶやく。鯉登は月島の坊主頭に鼻を寄せている。
「ちょっと、頭のにおいなんてかぐの止めてください」
「落ち着くからやめんぞ」
 なぜそうなるのだ。月島は仏頂面になる。今は通勤途中しか帽子はかぶらない。夏の間は授業後に、頭から水をかぶって砂を落とす日もある。不潔ではないと思う。それでも鯉登の嗜好はよく分からない。が、言葉とは裏腹にぜんぜん嫌な気はしない。
だから正面から抱きしめられていたなら、お返しに鯉登の耳に近寄り鼻を鳴らしてやりたかった。積極的に甘えた方が鯉登の動揺が半端ない。かわいい男への意趣返しだ。
 髪に振れていた唇が、うなじへ落とされる。ぞわりと肌が粟立つ。「……」これは俺が心を鬼にしないと、このまま雪崩れ込む気だ。こんな風に鯉登にかき乱されることばかりだ。
月島は泥濘だろうと真っ直ぐ進みたい性質なのに、鯉登がそばにいるとあっちにフラフラ、こっちにフラフラする羽目になる。でも本当は一緒に道草するのが楽しい。そういう本心を突きつけられる。俺にこの生を楽しむ資格なんてないのに。こうなる自分が嫌で、退役後は鯉登との関わりを断ちたかったのに。
 人生というのは、ままならないものだな。良くも悪くも。
 月島は観念することを覚え始めたところだ。
 ふと、鯉登がくちびるをうなじからわずかに離して尋ねる。
「月島、例の約束は守ってくれたか?」
「……ええ」
「ふふ、むぜ」
鯉登は密やかに微笑んで、月島の体のあちこちにキスを落としていく。頭、耳、首筋――。事が始まる瞬間の緊張感は、何度経験しても慣れないな。月島は自分の息が色づくのを感じた。

二、手ほどき

 明治三十九年。鯉登が少尉任官した直後の話だ。
 六月下旬から九月中旬までの第四期には、遊泳演習が毎年実施される。第七師団は旭川より西にある、R村の海岸で訓練するのが常だった。泳ぎの練習だけなら、旭川で石狩川をせき止めて行われる場合もある。が、わざわざ海へ行くのは主な目的の一つが遠泳だからだ。加えて露営訓練も行う年もある。
 七月下旬、歩兵第二七聯隊も遊泳演習を実施する日程になった。R村は歩いて約一日半の距離だ。途中、民家に一泊して翌正午に到着した。
 月島は泳ぎが得意だったから、指導にも力を入れていた。もっとも、全く泳げない兵卒はまれだったが。ただ、今回は懸念があった。鯉登のことだ。果たして少尉殿は泳げるのか──、というよりも、そもそも海に入れないのではないか。鶴見から鯉登の幼少期を聞きた限りだと、できないはずだ。陸士では一体どうしていたのだろう。幼年学校でも遊泳演習をしているから、陸士でも訓練が行われているはずだが。意外にも、泳ぎの訓練は海軍よりも陸軍が先に始めている。
 月島の懸念をよそに、演習は始まる。浜辺に到着してまず列を作り、軍歌を歌った。その後、五人で一組となり近隣の散策をする。斥候を兼ねたものだ。月島は尾形百之助、二階堂洋平と浩平、二等卒一名と一緒に行動していた。
すると双子が月島の方を見て、ぷうっと頬を膨らませる。さっきまで楽しそうに二人で話をしていたのに、何やら不満不満気だ。
「あのさ、軍曹殿」
「なんだ?」
「軍曹は声がでかい」
「それがどうかしたのか?」
「歌を歌うときは声は小さくしてください!」
「うるさかったか? それはすまん」
 月島が謝ると、尾形が含み笑いで付け加える。「軍曹殿の声に自分の声がかき消されて、自分が何を歌ってるのか分からなくなるんですよ」
 尾形にまで指摘されるときまりが悪い。が、旭川とは違った雰囲気で演習をこなすのは悪くない。この砂浜は陸軍の敷地内ではない。一般の海水浴場だ。短い夏の海を楽しむ客が多い。兵卒らもすっかり遠足気分で楽しんでいるのが伝わる。穏やかに時が過ぎていく。このまま問題なく今日は終わりそうだな。そう気が緩んだ瞬間だった。
 別の組の二等卒が慌てて駆けてきた。嫌な予感がした。
「月島軍曹殿に申し伝えたいことがあります!」
「尾形、先に行っててくれないか」
「はい」
 尾形らの背中が遠くなるのを待ってから、月島は報告に来た二等卒に向き直る。「何があった?」
「は、実は鯉登少尉殿の体調がすぐれないようで、いま防風林の付近で休憩中であります」
「具体的にどんな様子だ?」
「吐き気とめまいがあり、立ち上がることが困難です」
「分かった」
 ああ、やはり予想した通りだったか。月島はうつむき眉間に皺を寄せる。こうなるなら、なぜ参加したんだ。最初から分かっていたはずだ。鶴見ならば鯉登が訓練から逃れる手筈を整えることもできたはずだ。「……」
 しかし、翌年以降もそれが通じる環境だとは鍵らないし、第一泳げないのは鯉登自身のためにならない。北海道へ上陸するロシア兵に対応できない上官では、部下が犠牲になってしまう。
 もっとも、俺が説教しなくとも、泳げるようになりたいと本人が一番望んでいるはずだよな。月島は唇を噛む。
 呼びに来た二等卒と連れ立って、防風林である松林へ急ぐ。この辺りの松はもともと北海道には自生しない植物で、函館から移されたと聞いた。地面には尖った葉が落ちていて、踏みしめながら歩く。遠い木陰に人影が見えてきた。二人だ。膝を抱えている将校がいる。ふさぎ込んでいるが、髪で鯉登だと一目で分かった。「鯉登少尉殿」
 月島が呼びかけると鯉登はゆっくりと顔を上げる。
「月島か……」
 なぜか額を布で押さえている。冷やしているのか、と思ってよく見ると、血らしき塊が睫毛にこびりついている。
「額をどうしたのですか?」
「ああ、運悪く倒れた所に石があってな、切れてしまった」
 声にいつもの威勢がない。心なしか青ざめている。流血したせいだろうか。月島までつられてしまいそうになる。「大丈夫ですか? 立てますか?」と腕を取った。
「すまない、少し手を貸してくれ」
 月島は鯉登の腕を引き、立ち上がらせようとする。今日と明日、宿泊させてもらう近隣の住宅へ連れて行こうと考えた。運よくその家の主人は医者だった。
 その家は江戸時代から医師をしている家系で、現在医師が二人、見習いが一人いる。大先生と呼ばれている当主、先生と呼ばれている四十代の息子、そしてまだ医師免状を持っていない二十歳を過ぎた孫の三人だ。なんでも息子が召集される二十歳になった約二十年前、勉学のために徴兵を免除してもらったのだと話す。その頃は金さえあれば、免除は比較的簡単だったらしい。「代人料として二百七十円お支払いしました」と当主が言っていた。そうして息子が欧州へ留学して医学に励むことができた恩返しとして、こうして遊泳演習の際には宿泊協力を続けてくれている。彼らの専門は何か知らないが、ひとまず診てもらおうと思った。



「縫うほどではないねえ」
 その家の当主──大先生と呼ばれている老医士──は明るい口調で月島にそう告げた。看護婦に傷の手当ての指示をする。鯉登の額は消毒をした後に軟膏を塗られた。ガーゼと油紙を当てて包帯を巻いておしまいである。「額の怪我は大袈裟に出血しますからね」と看護婦が説明した。
怪我は軽かったが、鯉登の顔は晴れない。元気の出ない原因は、別にあるのだ。
 処置が終わると部屋で休ませることにした。鯉登のあてがわれた部屋は、奥にある部屋だ。
「では私は下がりますので、何かありましたらお呼びください」
「ああ」
 月島は退室して、廊下を戻る。なぜか複雑な面持ちになる。ひょっとしたら、自分になら弱音を吐くかもしれないと思ったのだ。でも鯉登は黙っていた。明日は遠泳だがやる気があるのか。果たして──。



 その夜、大広間でちょっとした余興が開かれた。この家の使用人による落語だ。若い時分に噺家に弟子入りしていた経歴の持ち主だという。
今夜の演目は『色事根問(いろごとねどい)』といって、惚れ薬を題材にした上方落語だという。女性から惚れられる秘訣が聞けるかもしれないと知って、ほとんどの兵達は興味津々で大広間に集まった。月島は一番後列に陣取る。壇上と部下達の様子を、そこから見守る。
 十五分後、上座に痩せた初老の男がやってきた。正座をする。コホン。ひとつ咳払いをして喉の調子を整える。自己紹介から始まった。
「お初にお目にかかります。落語家の松林亭砂々と申します。この砂浜には黒松という珍しい木がございまして、ええ、北海道では珍しいということです。それにちなんでおります。ふだんはこのお屋敷で馬の世話や庭仕事を任せてもらっております、ええ。こんな爺が噺なんてできるのかと心配でしょうが、どうぞご安心を。皆さまの大変ご興味のあるお話をご用意いたしました。さて今宵の私めのお話は、『男が男に惚れ薬を使ったら効くのか』という内容でございます。与太話だと思ってちょっとばかし聞いてください」
 前口上が終わると兵卒らは早速口をはさんではやし立てた。
「ああ? 今なんて言った?」
「男の話か? そんなの聞いてられるか」
「何だよ、そりゃあ」
 不満が上がる。あらかじめ伝えてあった演目とは少々違うようだ。そして別の兵卒が要求する。「野郎同士より女に確実に惚れられる薬の話をしてくれよ〜」
「ええ、ええ。そう先を急かさずとも」
砂々はにこりと応えて、なめらかに続きを話す。
「さて、兵隊さん方にお聞きしたい。女が惚れてくれる工夫とは、何があるかご存知ですかな?」
「ああ、それだったら分かる。金だ!」
「簡単だな。顔に決まってるじゃないか!」
「アッチかもしれねえぜ!」
 ガハハ、とみんなが豪快に笑う。それに砂々は笑顔を向けて「当たりですねェ」と答えると「なんだ、もう出し物は終わりか?」と客席からかけ声がかかった。
「一、見栄 二、男 三、金 四、芸 五、精 六、おぼこ 七、台詞 八、力 九、肝 十、評判という言葉があります。先程の質問の答えです。これらを持つ男は女にもてる。では、これらを持ってない男はどうしましょう?」
 砂々が問えば、客席のみんなは首をひねる。
「銀行強盗か?」
「まさか」
「それじゃあ、顔をすげ替える」
「痛そうですねェ、他には何か妙案がありますか?」
 砂々が見渡すけれど、声は聞こえない。思い浮かばなかったようだ。
「では早速答えと参りましょう。『薬』です。みなさんはこんな歌をご存じですかな?
『惚れ薬、何が良いかとイモリに聞けば、今じゃわしより佐渡が土』
何でも、佐渡島の土は金(きん)だと言われます」
 兵卒の一人が疑問を投げかける。「佐渡の土ってえと、あれかい? 鉱山のことかい?」
 砂々は得心してうん、うんと頷く。「その通り。要するに世の中は、金(かね)。惚れ薬よりもやっぱりこれが良いという話でございます」官製からは始まった佐渡金山は、三菱が操業している今となっては日本の一大産業となっている。
 それを聞き、一番前にいた兵卒が、憤慨する。
「は? じゃあ結局アレか? 男は金、無けりゃあ佐渡へ渡って掘ってこいって落ちか? それなら北海道でア」
 発言していた男の口を、隣の男が慌ててふさいだ。月島もその兵卒をにらみつける。今さっきアイヌの金塊を話題にのぼらせようとしたな。まったく、不用意にも程がある。が、月島は内心かなり動揺していた。まさか、郷里の話になるとは。しかも三菱……。心の奥深くに沈めた、あの子の髪が掠めて消えた。居ても立っても居られなくなり、大広間から出てしまった。
 長い廊下を早足で歩きながら、割り当てられた部屋に戻る。もう寝てしまおうか。突き当たりを左に曲がった先に、自分の部屋がある。月島は早足のままの勢いで、角を曲がった。
「うわあっ!」
 どしん、と誰かとぶつかる。弱々しい悲鳴があがった。月島と正面衝突した者は、転んで尻餅をついてしまった。
しまった、俺としたことが。月島は焦る。

【サンプル】与太話

【サンプル】与太話

  • 小説
  • 短編
  • 成人向け
  • 強い性的表現
更新日
登録日
2021-07-07

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

Derivative work
  1. 一、退役
  2. 二、手ほどき