花の娘たち
ヒガンバナ -1-
いつの間に振り始めた冷たい雨が、頬を撫でる。濡れた赤髪が重く、同時に足取りさえも今にも止まりそうなほど遅く鈍く、しかし決して立ち止まることはなく、左を見て、右を見て、息を吐く。兄さま、どこにいるのだろうか。もうそろそろ日は沈む。できるならば、夜の帳が落ちる前に見つけてあげたい。
生きてはいないことは知っている。私は曼珠沙華。「あきらめ」を意味する花。「再開」を望む花でもある。名前は來椛。ライカと読む。兄さまがつけてくれた名前。本名はヒガンバナとも、マンジュシャゲとも。それでは花と同じ名前ではないかと、兄さまが來椛と名付けてくれた。來には「これから」の意味があるらしい。これからの花。すごく気に入った。
靴なんか履いていない。裸足で、しゃれこうべばかりが散乱する戦場後を歩く。兄さまはここで死んだらしい。聞かされたわけではない。見たわけでもない。けれども私は知っている。彼岸の花として、兄さまをただ想い続けていたのだから。
雨音が止まることはない。転びそうになりながら、いくつも転がるしゃれこうべを見て回る。アレでもない、ソレでもない。しゃがみ込み、一つを持ち上げる。コレでもない。兄さまのものは見たらわかるはずだった。
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兄さまと出会ったのは、私がまだ子供だった頃。決して裕福ではない農家。ある日の夜に複数人の男が私の家へと押し入り、父と母が目の前であまりにも簡単に殺されて、私は当たり前のように奪われそうになって……兄さまが助けてくれた。「お前を俺だけのものにしたかっただけだ」と兄さまは言っていた。父母を殺した野盗の一味で、まだ新米らしかった。
手を引かれ、夜の道を駆ける。「なぜ殺したの?」そう尋ねても兄さまはなにも応えず、砂利道で足の裏を傷つけながら、手を引かれ、恐怖はない。諦めているだけとも言える。どうせ私は戦利品なのだ。そう思うと、涙さえ出なかった。
「やはり野盗はダメだ。性に合わん」
腰を下ろした兄さまはそう言っていた。小さなあばら家。山小屋らしく備えがあり、二人の子供が生きていくには十分なほどだった。兄さまは小柄なヒトで、まだまだ幼い顔つきをしている。年は知らない。けれども私とそう違ってはいないのだろう。
「なぜ父と母を殺したの?」
もういちど、尋ねる。
「金目のものがあると思ってな」
遠くから聞こえる獣の声。目の前の兄さまも、そのときは獣のように思えた。
「なぜ助けたの?」
尋ねる。兄さまは短い髪を掻きながら、複雑な表情を浮かべ、けれどもすぐ後には笑みを漏らす。
「言っただろう?」
兄さまの手が伸びてくる。血だらけで、ゴツゴツとした掌。その時は気味悪く思ったものだ。
「お前は俺のものだ」
そうして頭を撫でられる。今日はもう寝ろ。見張りはしてやる。そう言って兄さまは腰を上げ、完全に陽の落ちた外へと出ていった。
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その山小屋で幾日も過ごした。備えのある山小屋だったのが幸いし、そして私はほとんど食事を必要としないから、兄さまがしばらく生きるには十分なほどだった。私は花の娘。水さえ飲めば十分だった。
楽しくはない。殺しと一緒に過ごすのだ。楽しいわけがない。けれども恨んではいない。助けてくれたのは変わらない。けれども許してはいない。そんな複雑な心境で、数日が過ぎた。
「食わないのか?」
兄さまが兎を狩ってきた。弓の腕はあるようで、その日に食べるものは自分で狩ることができるみたいだった。
「マンジュシャゲだもの」
水だけで生きていける。そう言うと、兄さまは不思議そうな顔をした。
「人間だろう?」
そんな質問に、左右に首を振る。
「ううん、ヒトじゃない。ヒトのようだけれど、ヒトじゃない」
私は花の娘。だから父と母も本当の父と母じゃない。いつか花を大事にしてくれた人たちだから、ささやかな恩返しをするために花がヒトに化けた。そんな存在。そう説明する。
「花の化身なのか?」
きっとそうなのだろう。少し考えて、頷く。
「私はヒガンバナ。マンジュシャゲ。好きに呼んで」
そんな感じで兄さまと過ごすことになった。
花の娘たち