辺境の物語 第五巻 シュロスの異邦人(前)

かおるこ

  1. 登場人物 これまでのあらすじ
  2. ダメ王女
  3. 謎のレンガ
  4. シュロスの異邦人ー1
  5. ソフィーと王女様
  6. シュロスの異邦人ー2
  7. シュロスの異邦人ー3

 このたび、巻の構成を一つずつ改めました。これは旧四巻で、内容はそのままです。

 辺境の物語 第五巻 シュロスの異邦人(前)をお届けします。前作、カッセルとシュロスの続編です。研究所に勤めるフェルナンドは、金属部品の食い込んだレンガを目にします。その部品は自分の物だと言う女性が現れ、過去の世界にワープすることになります。その前に、ルーラント公国マリア王女様の秘密が明らかに・・・
 今回は大きな事件は起きず、対話の連続で話が進みます。長いのでごゆっくりどうぞ。

登場人物 これまでのあらすじ

 辺境の物語 第四巻 シュロスの異邦人(前)

  登場人物

 バロンギア帝国 シュロス月光軍団
 ユウコ 副隊長    ミキ 部隊長 ユウコの部下
 リサ  副隊長 文官 ミカ、マギー、ヒカル 隊員

 スミレ 東部州都軍務部所属  ミユウ 州都軍務部 スミレの部下
 ササラ 図書館員       アヤ  ローズ騎士団文官

 ルーラント公国 カッセル守備隊
 アリス 隊長  カエデ 副隊長
 ホノカ、アカリ、リーナ、レイチェル、マーゴット、アヤネ 隊員
 エリオット メイド長  ロッティー 城砦監督
 マリア ルーラント公国王女  アンナ 王女のお付き
 レモン メイド
 フレア 新任の司令官  
 
 フェルナンド 城砦の研究者
 ソフィー 警備員
 CZ46

 
 ここまでのあらすじ(第一巻から第三巻)

 Q・X歴1450年ごろ、大陸ではバロンギア帝国が勢力を拡大しつつあり、隣国の小国、ルーラント公国は国境を引いて守りを固めていた。
 ルーラント公国カッセル守備隊の隊員レイチェルは変身能力があり、指揮官のナナミも身体に秘密を抱えていた。
 バロンギア帝国のシュロス月光軍団とルーラント公国カッセル守備隊が一戦を交え、レイチェルの変身能力を利用した守備隊が勝利した。守備隊のナナミは月光軍団のユウコを捕虜にする。ナナミとユウコは互いに惹かれ愛し合う。一方、月光軍団は大敗して退却を余儀なくされた。そこへ帝国の王宮からローズ騎士団がやってくる。ところがローズ騎士団は山賊に襲われ、惨めな姿でシュロスにたどり着いた。騎士団のビビアン・ローラはこれに怒って月光軍団のミキやユウコを投獄してしまう。州都軍務部のスミレやミユウも騎士団を止めることはできなかった。そして騎士団はカッセル守備隊と決着を付けようとする。
 ローラは奇襲攻撃によって、いったんは降伏したものの、ユウコたちを人間爆弾に仕立てて反撃する。守備隊のナナミが助けにきたが、爆弾を抱えたレイチェルは木っ端微塵に吹き飛んでしまう。ローラはナナミを襲って殺害した。ところが、ナナミの機械仕掛けの身体から発射された稲妻に撃たれる。騎士団は皇帝旗を持ち出して守備隊を威圧する。そこへカッセル守備隊のお嬢様隊員が現れ、実はルーラント公国の王女であると明かした。これによって騎士団は王宮へ引き揚げることになった。しかし、スミレは騎士団のローラを州都へ連れて行くと見せかけて殺害する。こうしてシュロスの城砦は騎士団の手から解放されたのであった。
 月光軍団のユウコは残されたナナミの右手を抱きしめるのだった。

 第四巻 シュロスの異邦人(前)はカッセルの城砦に新司令官が赴任するところから始まります。そして物語の舞台は過去から現代に移ります。城砦の研究をしているフェルナンドは遺跡から発掘された不思議なレンガの存在を知りました。ある夜、フェルナンドの研究室に女が訪れて・・・

ダメ王女

 カッセル守備隊の隊長アリスは寝台に横になった。
 一人でいる隊長室は広々として寒気を感じるほどだ。灰色の石壁、木組みの天井、大きな窓、どれもが冷たく感じられた。

 外の広場では先ほどまでカッセル守備隊の隊員たちが訓練をおこなっていた。ホノカとアカリは槍と剣で打ち合い、リーナ、レイチェル、マーゴット、アヤネたちは、木で作った枠や縄で編んだ網をくぐり抜ける訓練に励んでいた。
 かつて軍務省の上官から、これからの戦争は大砲や小銃が主役だと聞かされたことがある。先の尖った弾丸の開発によって、数キロ先の城砦も破壊できるということだった。大砲を備え付けるために城砦の構造にも変化がでてきた。高く築いていた壁を低くして砲台を設置する台を設けるのである。そのうえ、小銃部隊が編制できれば、歩兵が突撃するような戦法は時代遅れになる。遅かれ早かれ辺境にも小銃や爆弾などの最新兵器が伝わってくるだろう。
 先のローズ騎士団との戦いでは敵の爆弾により、一度に数人がなぎ倒された。
 ナナミのことを思い出した。
 バロンギア帝国ローズ騎士団との一戦では司令官のナナミだけが命を失った。みんなで揃って帰還しようと、口癖のように話していたナナミ。それが皮肉なことに一人だけ帰ってくることができなかった。この前の戦いは勝ったのか負けたのか、いったいどちらであろうか。国境を守り抜いたのだから、かろうじて引き分けたと言えるだろう。しかし、カッセル守備隊にとって司令官のナナミを失ったのは大きな痛手だった。ナナミを殺害された恨みは月光軍団が晴らしてくれた。騎士団のローラは州都軍務部の手によって処刑されたという。これで、守備隊、月光軍団、ローズ騎士団の指導者がことごとく戦死したのだ。
 ときどきナナミの夢を見る・・・だが、夢に出てくるナナミには右手と左足がなくなっていた。
 信じられないことだが、ナナミの身体の一部は時計の歯車のようなからくり仕掛けになっていた。その足は布に包んで大切に保管してある。
 そして、とうとう最後まで心を開いて語り合うことができぬまま、ナナミは帰らぬ人となってしまった。返す返すも残念でならない。

 アリスは寝台に寝そべったまま、サイドテーブルに手を伸ばして干しリンゴを口にした。その果物は王女様が運んできてくれたものだ。こんな格好で食べているところを見られたら、それこそギロチンものだろう。
 マリアお嬢様は貴族のお嬢様と名乗っていたのだが、実はルーラント公国第七王女様だった。役立たずの見習い隊員が王女様だったのだ。王女様ともあろうお方がこの辺境においでになり、自分の部下になっていたとは、あまりにも畏れ多いことだ。ローズ騎士団との戦いで苦境に立たされた守備隊は、王女様の出現によって勝利を掴んだと言っても言い過ぎではない。
 その王女様はこのところ人が変わったとしか思えなかった。
 帰還した当座は、王女様、王女様と崇められ、町の住民はひれ伏して出迎えたのだった。商人はこぞって貢物を届けに来た。
 王女様は一段高いところに座り、
『皆の者、近こう寄れ、苦しゅうない』
 などと言っていたが、その後で、貢物は隊員に分け与えたり貧しい人々に施したのだった。しかも、自らメイドとなって働き始めたのだからアリスは驚いた。メイド長のエリオットの指示にはきちんと従うし、嫌な仕事も引き受けるようになった。もっとも、水汲みは桶が重くて持てないのであっさり諦めたようだった。
 メイドの王女様は、さきほどもアリスの部屋に紅茶と干した果物を運んできた。二度の戦場で生きるか死ぬかの恐ろしい目に遭い、国境を守っている辺境の兵士たちが、いかに厳しい環境に置かれているのか身に染みて分かったのだろう。そして、自分たち王室一族がどれほど恵まれた暮らしを送っているかを体得したのだ。
 これが城砦に良い効果をもたらした。王女様のような高貴なお方がメイド服に身を包み、率先して掃除、洗濯をしているのだ。城砦の住民たちはこれを見習って農作業、機織り、鍛冶職にと、いままで以上に精を出すようになった。
 さすがは国王の一族、さすがは王女様、人々は、これでルーラント公国の繁栄も約束されたと喜んだ。もちろん王女様には相応に給料を支払っている。タダ働きさせたということが王宮に知れたら、それこそ懲罰物だ。
 王女様の処遇について悩むことがなくなってアリスは安堵した。ここでしっかり忠誠を尽くして取り入っておけば、いずれ復職が叶うかもしれないという計算づくでのことだ。
 因みに、アリスが辺境のカッセル城砦に左遷されたのは「不倫」が原因であった。
 メイド姿の王女様を見ると、むしろ、アリスの方が地位が高いのではないかと思うくらいだった。不倫で左遷されながら、今や、メイドを雇えるまでになったのだ。
 それも、王女様という高貴なお方を・・・
 そういえば、十日ほど前だったか、ナナミの後任の司令官が赴任するという連絡が来ていた。たとえ司令官が来たとしても、このカッセルの城砦で一番偉いのはアリスであることは疑う余地はない。城砦監督のロッティーは、誰が来ても新しい司令官だとは認めないと言っていた。それはそうだ、先ずはお手並み拝見といこう。司令官の初仕事として、王女様の身の回りの世話がふさわしい。アリスにとっては司令官などより、寝台でお菓子でも食べていることの方がよほど重要だった。

     〇 〇 〇
     
 フレアは十時間以上も馬車に揺られ、ようやく赴任先の城砦に着いた。州都を立って間もなく道は石ころだらの悪路になり、しかも、馬車の座席が硬くて腰と背中が痛くなった。部下のスザンヌも同じとみえて盛んに伸びをしている。
「ああ、やっと着いたわ」
 新司令官のフレアはカッセルの城砦に到着した・・・だが、馬車が遅れたためだろうか司令官が到着したというのに歓迎行事どころか出迎えの姿もなかった。メイドに案内されて兵舎の部屋に入ったのだった。
 ところが、通されたのは狭いうえに窓が小さくて薄暗く、どことなくカビ臭い部屋だった。
「こんな部屋、狭いし暗いし、司令官の部屋には相応しくありません。きっとメイドが間違ったのですよ」
 部屋の天井は煤で真っ黒に汚れ、床板にはあちこちに穴が開いている。
「あのメイド、見るからに役に立ちそうにありませんでした。司令官の鞄さえ持てないんだから」
 メイドは二人だったが、そのうちの一人が鞄を運ぼうとして見事にひっくり返った。あちゃ~とか言うだけで、大事な鞄を倒したことは謝ろうともしなかった。もう一人が地面を引きずっていこうとしたので、スザンヌは思わず「私が運ぶ」と叫んだ。

 ドアが開いて隙間からメイドが顔を出した。鞄を倒したメイドだ。ノックもしないでいきなり入ってくるとは、なんという躾けの悪いメイドだろうか。その後ろから鞄を引きずったメイドと、さらにもう一人、新顔のメイドが入ってきた。
「ああ、やっぱりここでしたか。どこだか分からなくなって探してました」
 新顔のメイドが言った。
 自分の仕事場である城砦で迷うとは呆れた。おそらく雇われて間がないのであろう。フレアはこんなメイドを迎えに寄越した守備隊の隊長に腹が立ってきた。
「お腹空いたわ、食堂に案内してよ」
「この時間ではまだ開いてません、残念でした」
「それなら、お茶とお菓子を持ってきて」
「それも残念でした、さっき、レモンちゃんと食べちゃったから」
 食べちゃった、残念でした、なんというぞんざいな言葉遣いだ。腹が立つのを忘れるくらいバカなメイドである。フレアはこんな愚かな人間と同じ空気を吸っていることに耐えられなくなってきた。そもそもレモンとは何者だ。
「はーい、レモンが食べました」
 手を上げたのは、部屋が分からなくなったと言ったメイドだ。これがレモンとやらであった。レモンは他の二人とハイタッチをしている。どこまでもバカの度合いが深いメイドたちだ。
「いつまでここで待っていればいいの、こんな汚くて狭い部屋は辛気臭いわ。早く司令官の部屋に案内してよ」
「皆さんのお部屋はここですよ、聞いてないんですか」
 三人のうち年かさのメイドが答えた。こちらは少しはマシかと思ったが、この口の利き方では当てになりそうにない。
「こんなところで寝るわけ? 信じられない」
「司令官にはお一人様用の個室を用意するべきです」
 スザンヌも口添えする。
「私たちだって二人で一緒の部屋なんだから、いいじゃないですか、司令官殿」
 また癇に障る話だ。
「ちょっと待って、あんたメイドなのに部屋を宛がわれているわけ?」
 メイドの分際で個室を持っているとは何事か、司令官のフレアは到着早々、思考回路が爆発しそうになってきた。州都の町でもメイドなんかは食堂で雑魚寝するのが当たり前だというのに。
「これだから、田舎は嫌なのよ」
 フレアは思わず足を投げ出して上を向いた。見上げた天井の煤の汚れが否応なしに飛び込んできた。
 辺境のカッセル守備隊は軍の厄介者である。しばらく前、不倫した文官をカッセルに左遷したのだが、ここでもなにやら問題を起こしたようだった。その後始末と立て直しのために遣わされたのだが、初手からこれでは先が思いやられる。
「辺境では致し方ありません・・・王宮が恋しくなりますね」
 スザンヌが「王宮」と言ったのでメイドの目がキラリと輝いた。
「王宮ねえ・・・懐かしいわ」
「あら、あんた、王宮を知ってるの」
「実は・・・こちらは」
 年うえのメイドが言いかけたが、ハッとして口をつぐんだ。
「こんな辺境にいたら、王宮のことは知らないでしょう」
 田舎者のメイドが王宮に行ったことなどあるはずもない。考えてみれば、メイドになるような女は貧しい家に生まれ、半径3キロ以内で一生を終えるのだ。ことに辺境で暮らすのは、税を滞納して売り飛ばされたりしたとかの事情を抱えたドン底の境遇なのだ。それだから、都会から来たフレアに嫉妬しているに違いない。態度が悪いのも、実は手の届かない世界に対する憧れなのだろう。
 そう思うとメイドが憐れになってきた。
「それじゃあ、あなたたち田舎者に都会の土産話をしてあげようか」
 フレアが言うとメイドたちがうんうんと頷いた。
「こっちは貴族の話とか、王宮のことなんかも知ってるのよ。そこに座って聞きなさい」
 フレアは床を指差し、座るように命じた。メイドは素直に床に腰を下ろした。王宮を持ち出したことで、ようやくこちらの偉さが理解できたとみえる。三人のうち二人は前に座り、レモンと名乗ったメイドだけはさらに後ろに控えて座った。底辺のメイドたちにも序列があるらしい。
「何がいいかな・・・そう、王宮はね・・・」
 そう切り出すと、前列に腰を下ろしたメイドが身を乗り出してきた。さっそくこちらの話に食いついてきたようだ。その様子を見てフレアは、とっておきのスキャンダルを話そうと決めた。無教養の田舎者には、王室で誰と誰が仲が悪いとか、貴族の呆れた不行跡などのゲスなウワサ話がピッタリだ。どうせ初めからその程度の頭しか持ち合わせていないのだ。
「辺境州に追放された王女の話がいいかな」
「はあ・・・な、なんと」
「驚いたでしょう。あんたたちは知らないと思うけど、王宮では皇位継承権を巡って争いがあってね・・・」
 そう前置きしてフレアは辺境に追放された王女の話を始めた。
 ルーラント公国の国王は王位に君臨して数十年、今もって健在だが、その裏で皇位継承を巡る駆け引きはすでに始まっていた。王子は三人いて、今のところ第一王子が次の国王の最有力候補の地位を固めつつある。そうなると、下位の王子は地方の軍隊の顧問に下向したり、王女は貴族か他国の王室に嫁ぐしか道がない。王女が嫁ぐ際には皇位継承権を返上するのが慣例だった。
「国王には王女は六人いるのだけど、本当は七人目の王女がいたのよ。だけど、その第七王女というのは王様が見初めた町の女に産ませた娘だったわけ」
「ふむふむ」
 いよいよ話は佳境に入ってきた。フレアの話をメイドたちは感心して聞いている。さらに話を続けた。
 七番目の王女は小さいころから甘やかされて育ち、ギロチンごっこや家来を檻に入れて虐める「いたずらっ子」だった。そこで、第一王子は重臣と謀り王室の評判が悪くならないよう、結婚相手が決まらないうちに第七王女の皇位継承権を剥奪して辺境に追放したのだった。今では辺境の州都で、たった一人のお付きとともに暮らしているということだった。
「あんたたちも、州都に行ったら、そのダメ王女様に逢えるかもしれないわ」
「そう言えば、ここへ来る途中、州都に寄ったのに王女様の噂は聞かなかったですね。ひょっとして、あの王女のことですから、州都でも評判が悪くなり追い出されたのでしょうか」
「州都ですら面倒を見切れなくなって追放したんでしょう。こんな辺境で流浪の旅とはますます気の毒ね。もしかしたら、王女が道端で物乞いをしてたりして・・・それとも、野垂れ死にしちゃったかも・・・あら?」
 跪いて聞いていたメイドが泣いていた。追い出された王女を思いやっているのだろうか。いずれにせよ、ダメ王女の追放劇は田舎者には格好の土産話になったようだ。
「あんたたち泣いてるのね。ダメ王女に同情してくれる人がいるなんて、世の中、まだまだ見捨てたものではないわね。アハハ」

「黙って聞いていれば何事ですか、お前たち、許しません」
 若い方のメイドがすくっと立ち上がった。年上のメイドは跪いたまま見上げた。
「無礼者、このお方をどなたと心得る。このお方こそ、ルーラント公国第七王女、マリア王女様です」
「はあ・・・誰が・・・」
「この私が第七王女です」
「えっ・・・そんなことって」
「あり得ない」
「あり得るのです。その証拠に言って聞かせましょう。第一王子は・・・」
 メイド姿の第七王女、マリア王女様は第一王子から始まって王子を三人、次に六人の王女まで一気に名前を朗誦した。
「いかがですか、これが王女である証です」
 フレアと部下のスザンヌは唖然とし、汗がドッと吹き出し最後にワナワナ震えだした。
 この出来の悪いメイドが王女様だった。フレアは側室の子であるとか、いたずらっ子だったとか、皇位継承権を失ったとか、王女様本人を目の前にして言ってはならないことを話してしまったのだ。慌てて床に手を付いて頭を下げた。スザンヌも頭を床に擦り付けて土下座した。
「ははあ、申し訳、申し訳ございません、知らぬこととはいえ、どうかお許しを」
「やったー、王女様の勝ちですよ」
 レモンが手を叩いた。
「マリア王女様、この者たちをいかがいたしましょう」
「断頭台に懸けたいです」
「そうですね、皇位継承権の一件はこちらでは秘密にしておりましたから、バッサリやりますか」
「守備隊の隊員や城砦の住民に知れ渡ったらヤバいし・・・アンナ、とりあえず監獄に入れておきなさい」

    〇 〇 〇

「王女様。畏れながら、この新任の司令官の話したことは、事実と解釈して差し支えないのでしょうか」
 カッセル守備隊事務官ミカエラが言った。司令官が到着したことを聞きつけて幹部が揃って挨拶に来たのだ。それは、まさにマリア王女様がフレアとスザンヌを監獄に連れて行こうとしたところだった。
 守備隊の副隊長カエデは、なぜ赴任したばかりの司令官を投獄するのか王女様にお伺いを立てた。ところが王女様の話は要領を得ず、あきらかに何かを隠している感じが見え隠れしていた。そこでフレアに問い質してみたところ、マリア王女様は皇位継承権を失って辺境に追放されたダメ王女だという事実が明らかになったのだった。
「こっちはすごく差し支えあるんです。言わなくてもいいことをこの人たちがペラペラ喋ったんだもの」
「皇位継承権の部分も間違いありませんか。その、恐れ多くも、何と言うことか、初めてお伺いいたしましたもので」
「みんなに知られたらマズいでしょう。だから黙っていたわけ」
「私は構いませんが、ホノカさんやアカリさんが知ったら、どうなるでしょうか。つまりですよ、あの二人は命を懸けてお嬢様を、当時はお嬢様と名乗られてましたが、お助けしたのでした。ホノカさんはお嬢様を庇って弓の的になり、またあるときは、剣で肩を切り付けられたのでした。その後、王女様と分かって、ますます忠義を尽くそうと決心したのです。それがダメ王女だった、いえ、私が申し上げるのではなくて、この二人によるとですが、こともあろうに、辺境に追放されたお方だったとは」
 カエデは慎重に言葉を選び、王女様に失礼にならないよう遠回しに控えめにフレアの話を引用して語った。
「ホノカさんたちがこれを知ったら大変ですよ、王女様」
「ヤバいかな」
「王女様、大いにヤバい状況です・・・これから、もっとヤバくなります」

 間もなく、城砦の緊急事態とあってアリスやロッティーたちが集まってきた。人数が増えたので新司令官にあてがわれた部屋では入り切れなくなった。
「王女様、誠に申し訳ないのですが、ただいまから重要な会議をおこないますので、よろしければ、そこの廊下でお待ちいただけないでしょうか」
 カッセル守備隊を代表して隊長のアリスが願い出た。マリア王女様はぶつぶつ不平を言いながらもアンナ、レモンの三人で廊下に出た。王女様は廊下に立たされてしまったのである。
「それじゃあ、王女様は、ホントは王女じゃなかったの」
 宮廷での抗争に敗れて追放されたのだから、もう王女とは呼べないのではないか。隊長のアリスはマリア王女様を何と呼んだらよいのか考え込んでしまった。
「王女だとしても、ダメを付けて、ダメ王女です」
 新任の司令官フレアが得意そうに言った。
「こっちは身を挺して敵の攻撃から守ってやったというのに、あれは全部ムダだったってことじゃん。ああ、損した」
「城砦でも足手まといだし、もう、メイドの仕事なんか手伝いませんからね、これからは水汲みでも何でも一人でやってください」
 ホノカとアカリが代わる代わる文句を言った。本来ならばぶっ飛ばしてやるところだが、さすがに王女様ではそれはできない相談だ。
「ダメでもいいから、金さえ出してくれれば問題はない」
 ホノカが王女様にも聞こえるように大声を出した。
 すると、
「それがですね、王室からの月々の仕送りがストップしてしまったんです」
 廊下に立っていたアンナが仕送りが滞ってしまい、苦しい台所事情であることを打ち明けた。
「なんてことよ、ダメ王女のうえに、貧乏王女だってこと」
 城砦監督のロッティーが嘆いた。
「ロッティーさんにしては理解が早いですね」
「アンナさん、変なとこで褒めないでください、誰にでも分かることです」
「ははあ、それで、最近、メイドの仕事に精を出していたわけか。早く言えば給料を稼ごうとしたんだ。そうですよね、王女様」
「えー、何の話?」
 廊下に立たされていた王女様は疲れてきて腰を下ろしていた。自分の不始末の一件で隊員が集まってきたというのに話も碌に聞いていない様子だ。
「王女様がメイドの仕事を頑張った話です」
 お付きのアンナが横から助け舟をだした。しかし、王女様は、
「アンナに言われて仕方なくいやいや働いてたんです」
 と本音を漏らすのだった。
 
「すいません、あの、コーイケーショーケンって何ですか」
 メイドのレモンが王女様の陰から首を出した。
「また変なヤツが現れた」
 司令官のフレアが呆れたように言った。このメイドは仮にも王女の側にいながら皇位継承権も知らなかったのだ。
「皇位継承権というのは、王女なのに王室いてもすることがなくなった、つまり、王様レースから落ちこぼれたってことよ」
「なーんだ、そんなことですか、この人、女王様になるのは初めっから無理だと思いましたよ」
「さすがはレモンちゃん、私のことをよく分かってる」
 どちらも底なしのバカだ・・・アリスはため息をついた。
 アリスは王女様にすり寄っておけば、そのうち都に呼び戻される可能性もあろうかと密かに目論んでいた。それが新任の司令官によって、皇位継承権を剥奪され追放されたと暴露されてしまった。そうなると、とたんに今度は王女様がやっかいな存在に思えてきた。ここは自分の立場を良くするためにむしろ新司令官側に接近して、王女様を追及しておいた方がよさそうだ。
「王女様、皇位継承権を復活させるため、何かお考えはありませんか。この最悪の状況は全てあなたの身から出た錆なんですよ」
 アリスが廊下にいる王女様に具申した。
「お考えはありますよ。お兄さまとお姉さまを殺すの」
 廊下にしゃがんでいた王女様が立ち上がって答えた。
「そうすれば皇位継承権の順番が上がります」
「なるほど、では、どうやって殺すんですか。王宮に攻め込むとかしないことには不可能です」
「そうよ、攻め込むのが正解。ホノカさんを暗殺者に任命する」
「いやだわ、絶対」
「暗殺とかではなくて別の方法です」
「暗殺に失敗したら、次の作戦は毒を飲ませて殺しちゃうんです。こっちはマーゴットちゃんの出番」
「それも却下です。暗殺や毒殺しか思い浮かばないとは呆れてしまいます。他に何かありませんか。もっと現実的な方策です。皇位継承権は諦めるとしても、せめて、ストップした仕送りに代わる資金調達の方法を考えてください」
「簡単よ。税金を高くすればいいじゃん」
「思い切り却下します」
 アリスが言うとそこに居合わせた全員が、そうだと同調した。
「増税は庶民虐めです。暗殺や重税を課すとか、そういうことではありません。例えば、ご自分で何かをしてみたらいかがですか。新しい農地を開墾したり、機織りの機械を増やして生産量を上げるといったことです」
「王女の私には不得意なことばっかりです。そんなことより、他国を侵略して、ごっそり金を奪うっていうのは? バッチリでしょう」
「ふんふん、いいアイデアです。王女様が先頭に立って突撃してくれるんでしょうね。それなら構いませんが」
「やーめた、ちょっと言ってみただけ」
「これが公になったら城砦の住民たちは黙ってはおりません。ここに押しかけてきて王女を出せとか言い出しかねません」
 そう言ったのは城砦監督のロッティーだ。
 ロッティーはこれまでお嬢様を虐めたり、この間の戦いでは前隊長を救出するために殺そうとも考えたが、王女様だと分って膝を屈して仕えることにしたのだった。それがダメ王女であったとはガックリである。
「王女様、それでは、今の話はこのメンバーだけで収めておくことにしましょう。みなさん、他言は禁止です。住民には知られないように注意してください」
 隊長のアリスが話を締めくくった。というよりは、その程度の対応策しか思いつかなかった。
「王女様、あなたは今まで通りメイドとして働いてください。そうしたら、住民の前では王女様ということにしておいてあげます」
「はいはい、分かりました」
 マリア王女様はゼンゼン分っていない様子だ。
「メイドでも何でもすればいいんでしょ。それだったら、時給上げてよ。召使いのレモンの方が私より時給が高いんだもん」
「当然です。レモンは朝早くから起きて、寝る間も惜しんで働いています。掃除も洗濯もきちんと仕事ができるので時給が高いのです。その点、王女様はどれも半人前じゃないですか」
「あーあ、最悪」
 マリア王女様がレモンを小突いた。
 ふて腐れている王女は置いておき、アリスは新任の司令官フレアに向かって言った。
「新司令官、この騒ぎはあなたにも責任があります。迂闊にも、国家にとって重大な秘密を喋ったのが騒動の原因です。今後は自重してください」
「だって、みんな知ってると思ったから」
「この人がバラしたんだよ。悪いヤツ」
 ここぞとばかりマリア王女様がフレアに突っかかる。
「ダメ王女に言われたくありません」
 フレアも負けてはいないで王女様に言い返した。険悪な雰囲気になってきたので隊長のアリスが慌てて話を逸らした。
「先日のバロンギア帝国ローズ騎士団との戦いで、守備隊の劣勢を跳ね返してくださったのはマリア王女様でした。ダメ王女と決めつけないようにしてください」
「そうだよ、みんなが、こうしていられるのは、私がバロンギア帝国のローズ騎士団をやっつけたお陰じゃん」
「おっしゃる通りでございます」
「やったね、私の勝ち」
 マリア王女様は勢いを取り戻していい気になっている。
「フレアさん、あなたこそ何か手柄を立てていもらわないと新司令官としての地位を認めるわけにはいきません」
 アリスはフレアに釘を刺した。
「手柄ですか」
 ダメ王女がバロンギア帝国の騎士団を打倒したと聞いて、新司令官として赴任したフレアも穏やかではなかった。到着したばかりで荷物も解いていないというのに戦いに臨むことになりそうな雲行きだ。
「もしかして戦場に行くのですか」
「そうです。さきほど、王女様は他国を攻めると言いましたね。そこまでしなくてもいいのですが・・・たとえば、ロムスタン城砦を攻略するというのは、どうでしょうか」
 アリスがロムスタン城砦の話を持ち出した。これには城砦監督のロッティーも納得だ。司令官のナナミが戦死したかと思ったら、さっそく後釜が着任してきた。しかも、ナナミ以上に面倒な上官のようである。ロッティーは城砦監督という地位に就いているけれど、この調子では新しい司令官から閑職に追いやられかねない。
 ここはけしかけておいた方がよさそうだ。
「その話は月光軍団やバロンギア帝国東部州都も了承していましたね。新司令官の初仕事としても相応しいでしょう。ロムスタン城砦を手に入れれば王宮を守ることができます。王女様が皇位継承権を取り戻せるかもしれません」
 ロッティーは、司令官のフレアにはロムスタン城砦の攻略を勧め、その一方では王女様にもしっかり取り入った。
「そうだっ、私の皇位継承権を取り返せ!」
 形勢が有利になってきたので、すっかり調子に乗るマリア王女様であった。 
 

謎のレンガ

 ライドハウス研究所に勤めるフェルナンド・キースはこの数日間、レンガの調査に没頭していた。
 レンガを一つ手に取った。表面が黒ずんでいるのは炎で焼かれた痕跡だ。角はボロボロに崩れ丁寧に扱わないと割れてしまいそうである。それ自体は特に珍しくはない。というより、フェルナンドが研究している材料の多くは遺跡から発掘された古びたレンガだったからだ。
 だが、目の前のレンガには他の物とは大きな違いがあった。
 レンガには金属のネジが食い込んでいるのだ。コードの切れ端のような銅線も見えている。
 研究室のエックス線装置で調べたところ、歯車のような金属片も混入しているのが分かった。より詳しく調べるには、最新のエックス線解析装置が必要だった。そこで、レンガの破片を知り合いの教授に送り年代測定を依頼した。その結果が判明するには数日掛かるとのことだった。
 いったいどうして500年ほど前のレンガに金属のネジやコードが挟まっているのだろう。
 フェルナンドがこのレンガを知ったのは二週間ほど前のことである。
 中世城塞都市の街並みについて研究しているヨハンセンから一通のメールがきた。ヨハンセンは国境に近い町で遺跡の発掘に加わっていた。そこでは城壁に使われていたレンガの瓦礫が山積みのまま残されていた。何気なく、その一つのレンガを手にしたところ金属のようなものが埋め込まれていたのだ。そこで、以前、一緒に発掘をしたことのあるフェルに調査を依頼してきたのである。
 因みに、フェルナンドは研究仲間からフェルと呼ばれている。
 フェルはすぐに発掘調査の現場に行った。その遺跡は城壁の大部分は崩れ落ちていたが、主塔のキープや物見櫓などはかなりの部分が当時のままの姿で残っていた。問題のレンガは試掘したときに出たものだという。フェルが見ると表面は黒く焼けていたので、戦火に遭ったものだろうと思われた。遺跡の状態からすると、使われていたレンガは4、500年ほど前の物ではないかと推測できたが、かなり風化しているのでもっと時代を遡ってもいいだろう。
 研究仲間のヨハンセンが指摘したようにレンガには金属の歯車やネジと見られるものが食い込んでいた。そこで、フェルはそのレンガを研究のために持ち帰ったというわけであった。
   ・・・・・
 気が付けば昼食をとるのを忘れていた。フェルはひとまずレンガを置いて部屋を出た。そこで警備員に呼び止められ、女性の姿を見かけなかったかと訊かれた。フェルの研究室のドアの前に見慣れない女性が立っているのが警備室のモニター画面に写っていたという。
 研究所の入っている建物では、外来者は入り口で入館証を受け取ることになっている。玄関には監視カメラがあって不審者は必ず把握できる。しかし、その女性はチェックをくぐり抜けて建物に侵入し、フェルの部屋の前のカメラに捉えられていたのだ。廊下を二三度、行き来していたが、いつのまにか姿が見えなくなったという。建物から出て行ったという形跡はない。念のため、フェルの部屋に入っていないかと尋ねられたのだった。
 その警備員は、まだ若い女性で、
「どうも、初めましてですよね、ソフィーといいます・・・よろしくぅ」
 と挨拶した。警備員にしては意外に親し気な感じだ。
 フェルは警備員を部屋に招いた。レンガの調査に没頭していたので、女性がこっそり入ってきたのに気が付かなかったかもしれない。それに、警備員のソフィーはスタイルが良くて美人だったのだ。こんな不審者ならいつでも大歓迎だと思った。
「室内を見せてください」
 ソフィーはそう言ってドアに施錠した。侵入者が部屋の中に潜んでいた場合、外に逃げられないようにというのだろう。それから、研究室や資料室の中を調べ始めた。資料室には書類や文献が無造作に積み重ねてあり、いつ崩れてもおかしくない。心配だったのでフェルは一緒に資料室に入った。
 フェルは若い美人と二人きりになって、
 資料が崩れかかったらソフィーを守るために抱きかかえよう・・・
 などと、よからぬ妄想を抱いた。
 ソフィーは部屋を見回っていたのだが、もちろん女性の姿はどこにもいなかった。
「怪しい女はいませんね。入り口のセンサーに検知されずに玄関を通ることなんかできないはずなんだけど」
「研究に熱中していると何があっても気が付かなくて」
「そんなに熱心なのは」
 ソフィーが机の上のレンガを覗き込んだ。
「レンガの研究ですか」
「そうです、おもに中世の城壁に使われていた石やレンガを調べています。城砦や塔などの建築物は今でもそのままの状態で残っているのですが、僕は遺跡から発掘される古いレンガの・・・」
 得意の分野とあってついつい饒舌になる。
「おっと、それ、かなり重要なレンガでして、触らない・・・」
 問題の金属が食い込んだレンガをソフィーが手に取った。研究資料の大事なレンガだから手を触れないでもらいたいのだが、
「いえ、よろしければ、じっくりと見てください」
 と歩み寄った。これをきっかけにソフィーの関心を引けるのではないかという魂胆である。
 しかし、
「私にはあんまりカンケーないみたい、だって、汚いし」
 と、ソフィーはレンガを興味なさそうに置いた。
「女性が部屋に入ったなんてありえないですよね。でもね、部屋に引き入れたんじゃないかと警備の主任が言うんですよ・・・こっそり、裏口から。お堅い研究してて退屈だから、ついその・・・」
「僕が女性を連れ込むだなんて、そんなこと一度もしたことありません」
「あれれ、今はどうなの、あたし無理矢理、閉じ込められちゃった」
「違うでしょ、そ、それは、点検のために入ったのではありませんか」
「うふっ、本気にしてる」
 ソフィーがいたずらっぽく笑った。
「もし、怪しい人を見かけたら、いつでも警備室に連絡してください。私がブッ飛ばしちゃいます」
 ソフィーは「翌日も警備の勤務がある」と言って帰った。部屋にはほんのりいい香りが残っていた。
 その夜、頼んでおいた年代測定の中間報告が届いた。予想した通り、そのレンガはおよそ550年前の物だった。

 ところが翌日、とんでもない事態が待っていた。
 レンガの年代測定の結果が気になり急いで出勤した。それに、ソフィーは朝から勤務していると言っていたので、あさイチで顔を見られるのも楽しみだった。
 さっそく警備員室を覗く。
「おはようございますっ」
 元気な挨拶、にっこり笑ったソフィーはまさにパーフェクトスマイルだ。もし、怪しい女を見たと偽の通報したらソフィーはすっ飛んでくるだろう。レンガよりも美人の研究の方が大事だ、などと思いながら研究室のドアを開けた。
 ドシン・・・バタ
 物が落ちる音がした。積んであった資料の山がついに崩れたのだ。そう思って部屋の照明を点けたフェルは、そこに女の姿を見つけた。
「ちょっと、君、勝手に入っては困る」
「誰、アナタ」
「こっちが聞きたい・・・そうか、怪しい人とは君のことだな」
 無断で入っていた女性は二十台半ばだろうか。怪しいと言ったものの、フェルには怪しい女には見えなかった。なにしろ、鼻筋のスッと通った超絶美人だったからだ。とはいえ、侵入者には間違いない。フェルは気付かれないように机の下のボタンを押した。警備員室に直通の通報ボタンである。
「レンガはどこ、あれはワタシの物だから返して」
 女が言い終わらないうちに警備員のソフィーが飛び込んできた。
「どうしました、おっと、この人か」
 ソフィーは素早い動きでその女の腕を掴んだ。
「警備室で事情を尋ねます。同行してください」
 それからフェルに向かって、「念のため、盗まれた物がないかどうか確かめてください」と言った。
 ソフィーがその女性を抱きかかえて警備室に連れて行った。
 例のレンガは無事だったろうか、フェルは心配になった。昨夜は大事なレンガを金庫にしまって帰った。
「良かった・・・」
 金庫を開けるとレンガはそこにあった。
 侵入者の女性はレンガは自分の物だと言っていたっけ・・・彼女もレンガの研究者なのであろうか。
 遺跡から発掘した遺物類は土地の所有者に属する。しかし、所有者は特定できないことが多いので、その場合は市や町の所管となる。あの女性がレンガを研究に使いたいのなら喜んで貸してもいい。研究熱心なのは大いに結構だ。彼女は美人だったから共同研究するのも悪くはないと一人で納得した。不審な女性の侵入事件があったにも関わらず、フェルの考えはついつい横道に逸れた。ソフィーが逮捕したのもカッコよかった。さすがは警備員だけのことはあるなと感心した。ソフィーといい、あの超絶美人といい、俄かに周囲に美人が現れた。もしかしたら、この金属が埋め込まれたレンガは美しい女性を引き寄せる魔法のレンガなのかもしれない。
 美人の女性と二人同時に付き合ったのでは忙しいなあ、と呟きながらレンガを撫でた。
 ところが、事件はそれで終わらなかった。
 警察官が来て取り調べのため警察署に連れて行こうとしたところ、その女性がトイレに行きたいと言った。女性をトイレに案内し、入り口を二人の警官が見張っていたのだが忽然として逃亡したのだった。窓は数センチしか開閉できないし、出入り口は一か所だけだ。どうやって監視の目を潜ったのだろうか。まるで壁をすり抜けたかのようだった。館内をくまなく捜索したがついに女性を発見することはできなかった。
 不審者の侵入、逃亡、そんなことが続いたので、フェルはすっかり研究の続きを邪魔されてしまった。

 夕方、フェルが帰宅しようとすると警備員のソフィーが送ってくれることになった。念のため身辺警護である。もちろん断る理由などない。地下鉄を降りてマンションまで二人で歩いた。すっかりデート気分だ。
「家まで送りますよ。あの女が現れたら心配だから」
「夜中に侵入したのですかね、あの女性は」
「警備員が帰る時に玄関を施錠すると警備装置がオンになるのよ。誰かが建物内に隠れていたとしても、ちょっとでも動いたらセンサーに検知される。本社にも通報が入って警備員どころか警官が吹っ飛んでくる」
「それなら絶対に安心です」
「だからね、そこが変なの。見張りがいたトイレからも脱走するし、まるで透明人間みたいなヤツ。私だったらゼッタイ逃がさないよ、あの女」
 侵入した女性を押さえ付けて捕まえたのはソフィーだった。美人なのにどこにそんな力があったのかと思うくらいだ。
「ソフィーさん、強くてカッコ良かったですよ。逮捕する時の姿が決まってました」
「警備員にはボクシングとか格闘術の特訓があるんですよ。私は格闘技の成績は抜群でした」
 こんな美人の警備員だったら押し倒されたいくらいだ。
「警備員になる前はレースクイーンをやってたんです」
 レースクイーンとは驚きだ。
 ソフィーはスマートフォンを取り出しフェルに一枚の写真を見せた。そこにはオレンジ色の超ミニスカートの衣装を着てレースクイーンのポーズをとるソフィーがいた。
「可愛いでしょう」
「その、かなり露出が凄い・・・何と言うか、美脚、いえ、脚が長くて、眩しいと言うか」
「これはまだおとなしい方よ。股の部分がグッと切れ上がっているのもあるの。さすがに恥ずかしいけどね、脚、太いし」
「・・・いえ、脚きれいです」
 恥ずかしいという衣装の写真も見てみたい・・・それよりも目の前に本人がいるのだから、脚でも胸でもナマで拝見したいところだ。
「でもね、生活が厳しくって、仕方なく警備員やってるわけ。やっぱ、私にはレースクイーンとかモデルの方が似合ってるよね、フェルはどう思う」
 ソフィーが「フェル」と呼んで身体を寄せてきた。ソフィーの胸に腕が触れる。素晴らしいおっぱいだ。
「というか、その前はヤンキーだったけどね」
 レースクイーンで、しかも元ヤンだったとは、ますますソフィーに興味を持った。こうなったら、マンションに着いてもただでは帰さないなどと、都合のいい思いを巡らせるのだった。
 角を曲がるとマンションが見えてきた。
 今夜は初めてのデートだから紳士的にサラッと別れよう・・・
 いざとなると弱気になるフェルだった。ソフィーを誘って断られたらみっともない。そもそも今夜はデートというよりは警備の仕事の延長である。仕事場にこんな美人がいてくれるだけでも幸せと言うべきだ。それでも、下着姿はぜひ見てみたい。ソフィーの雰囲気からすると下着は可愛いピンクか、それとも挑発的な赤だったりするのだろうか。個人的にはグリーンのパンティが好きだ、などと想像を巡らせていると、
「待って」
 ソフィーがフェルの腕を取ったので、おっぱいがギュッと押し付けられた。
「あの女だわ」
 街灯の陰に、研究室に侵入し、その後、行方をくらませた女性が立っていた。
 ソフィーも美人だし、その怪しい女もこれまた超絶美人だ。
「あなた、指名手配されているのよ。警察に通報しますからね」
「ワタシは捕まらないわ。さっきだって逃げてやった。あなたにも捕まえられない」
 元ヤンキーのソフィーと正体不明の美人。フェルを間に挟んで気まずい雰囲気が漂った。バチバチと火花が散るようで、これでは口喧嘩ぐらいでは収まらず、路上で掴み合いにならないとも限らない。二人の美人を相手にするのはそう簡単なことではなかった。
「そもそも、あなた何者なの」
 怪しい侵入者は名前を問われても黙ったままだ。
「私はソフィー、警備員やってる」
 ソフィーが自己紹介した。それから、フェルを見て、
「こちらはフェル、石とかレンガの研究者。お堅い真面目な学者様。さあ、こっちが名乗ったんだから、名前くらい言いなさい」
「・・・CZ46」
「CZ、何それ、名前を言ってよ」
「ワタシはCZ46」
「それが名前なの?」
 ソフィーがグッと身を乗り出す。
「製造番号がCZ46だった。アタシ・・・ロボットですから」
「ロボット!」
 ソフィーがのけ反ったのでブルンとおっぱいが揺れた。
 ロボット・・・フェルはその女性、CZ46をしげしげと見た。髪の毛、額、目も鼻も口も、どう見ても人間としか思えない。目元は涼し気で鼻筋はスッとしてモデル級の美人だ。本当にこれがロボットなのか身体に触れてみないと分からない。
「ロボットと言われても信じられない、そうでしょう、フェル」
「触ってみる?」
 女が、CZ46が見透かすように言った。
「やだ、フェルが触ってみてよ。私はか弱い女性なの。感電したらどうするのよ」
「か弱い女性」のソフィーが、ロボットかどうか確かめる役をフェルに押し付けた。さっきから続いているCZ46との言い合いでは、どうみても「か弱い女性」とは思えないのだが。
「それでは、握手しましょう」
 フェルは右手を差し伸べて握手を求めた。CZ46も右手を差し出したが、その手には手袋をはめている。それで、慌てて左手を出した。何か違和感を感じつつフェルも左手に変えて握手をしてみた。
 普通に人の手の感触だった
「どう・・・ロボットなの」
「手の皮膚の感覚は人間と変わらないな」
「そっちは、右も見せてよ、武器なんか隠してるんじゃないでしょうね」
「見たければ、どうぞ」
 ソフィーに言われてCZ46が黒い手袋を少しだけずらした。現れたのは明らかに人体ではなかった。光沢のある金属質の義手だったのだ。
「うっ、ヤバい」
 ソフィーが驚いてフェルにしがみついた。
「ロボットじゃん」
 CZ46は確かにロボットだった。
 マンション前の路上では込み入った話ができないのでフェルは二人を伴って玄関を入った。

 マンションのリビングでソファに座った。フェルの隣はソフィー、CZ46は向かい側に腰を下ろした。
 CZ46が語ったところによると・・・
 CZ46はある研究機関によって作り上げられた。ところが、そのチームの一人が、CZ46の部品の一部を人間に移植する手術をおこなった。実験の対象になった相手は過去の世界から呼び寄せられた女性だった。その女性は、事情を知らされずに現代に連れてこられ、右手と左足にCZ46の部品の一部を埋め込まれた。そしてまた元の時代に帰された・・・
「というわけで、取り外された右手は義手になってるの。左足も膝から下の一部分がないからソックスで隠してるのよ」
「そんな実験をしたなんて・・・」
 いくら科学の発展のためとはいえ、人体実験などは到底、許されることではない。フェルはCZ46が気の毒に思えてきた。さらに、その移植対象者の女性はもっとかわいそうだ。
「なるほど・・・そんな事情があったのね」
 ソフィーも話を聞いて目を伏せた。それはCZ46に対してではなく、実験台にされた女性のことを思ったのだ。
「そうすると、あのレンガに埋まっている金属部品があなたの身体の一部なのですね」
 フェルには疑問が解けてきた。CZ46がフェルの研究室でレンガを奪おうとしたのは、そこに食い込んでいた金属片やネジが移植された部品だったからだ。
「ワタシの身体を返してもらいたいだけよ。だって、自分のものだから当然でしょう」
「なるほど。ですが、小さなネジや部品の破片だけでは、それを手に入れても、あなたの身体を元通りに修理できるとは思えません」
「ふふふ、さすがは学者様、理解が早いわ。そこの、あなたと違ってね」
 CZ46がソフィーに向かって挑発するようなことを言った。
「部品があるのは城砦の遺跡でしょう。ワタシを遺跡に連れて行ってよ。そこで残りの部品を探し出すわ」
 CZ46はそのレンガが発見された遺跡まで案内してくれと持ち掛けてきた。
「そんなことにフェルを利用しようというの? ダメよ、一人で行けばいいじゃない。フェルは行かないわよ」
 フェルに代わってソフィーがあっさり断った。
「あなたに訊いてないわ。そっちに頼んでるの・・・フェルだっけ」
「気安く呼ばないでよ、フェルだなんて」
 女性同士、どちらも一歩も譲らない。いよいよバトルになりそうな雰囲気になってきた。
 フェルはCZ46に向かって言った。
「発掘すると言っても、遺跡は市の管理になっているので、許可なく遺物を持ちだしたら罰せられます」
「ほーらね、フェルの言う通りよ。勝手に掘り出せないのが分かったでしょ。こっちまで犯罪に巻き込まないで欲しいわ」
 遺跡を無断で発掘したら盗掘になるし、まして破壊したり出土品を持ち帰ったら、研究者としては二度と調査には加われなくなってしまう。フェルが個人的な理由での発掘は不可能だと答えると、ソフィーがしてやったりというような表情を見せた。しかし、CZ46はそう簡単には引き下がらない。
「そのレンガって古いのでしょう、何百年とか前の・・・」
「ええ、推定で約550年前、いえ、もっと遡るかもしれません」
 レンガの発見された遺跡とレンガの年代は550年ほど前である。
「遺跡を掘り返せないのだったら、過去の時代に行くわ。500年でも1000年前でも構わない」
 CZ46は時代を遡って過去の世界に行きたいと言いだした。まるで映画の中のような話で、フェルにはそんなことが可能とは思えなかった。
「いったい、どうやって行くのですか、タイムマシンでも作らないと行けません」
「ワープするの」
「SFかゲームの世界みたいですね」
「ふふ、フェル、あなたに関係があることよ」
 CZ46が笑った。何か意味ありげなぎごちない笑いだった。
「フェル、あなたはレンガの研究してるんでしょう。私と一緒に、その世界にワープして実物を調査してみたいと思わない」
「僕にも行けというのですか」
 CZ46は過去の世界には自分一人で行くのではなく、研究者のフェルも行かないかと誘ってきた。
「タイムマシンとかなんとか、あんたの話は全部インチキっぽい。フェル、この女に騙されないで・・・フェル?」
 ソフィーが心配そうにフェルを見た。
「うーん、過去に行けるのか・・・」
 フェルは少しばかり心が動いてしまった。考古学者でも歴史学者でも、その時代に行けるのであればぜひ行ってみたいはずだ。
 500年ほど前の時代に行き、城砦に立った自分を想像してみる。
 フェルは跳ね橋を渡って城門を潜り城砦に入って行く・・・城砦の領主が暮らすキープ塔、物見櫓、兵舎をなどを見られる。いや、この手で触ることができる。城壁は工事中で、レンガを積み上げる工程を実際に見ることができるかもしれない。階段を上って塔に登ってみたい。きっと螺旋階段は暗くて狭くて急な石段なのだろう。塔の上の歩廊を歩き、そこから見える景色は・・・
 思い直して首を振った。ワープやタイムスリップなどはあまりにも荒唐無稽だ。単なる夢でしかない。
「当時の世界に行けるのなら、それは研究者としては誰でも一度は考えることです。しかし、せっかくのお話ですが、中世に建てられた城塞都市は、塔や城壁などは現代にもそっくりそのまま、良い状態で残っているものが多いのです。観光施設になっている城もあるし、中には今でも人が住んでいたりします。研究材料には事欠きません」
 フェルはやんわりと誘いを断った。
「それじゃあ、ワタシはどうなるの。何年も待って、ようやく手掛かりに巡り合えた。ワタシが蘇るチャンスが到来したの。レンガが掘り出されたことで、すでに歯車は回りだしているってわけ。ワープして、その女から手足を取り戻したいのよ」
「取り戻すなんて、強引に奪うようなことはやめてください。女性を探して、またここに戻ってきて手術をするのならいいけど、人の生命にかかわることですよ」
 移植手術された部品は、今でもその女性の身体に埋め込まれているのだ。取り出すためには現代に連れ戻して再び手術しなければならないのである。だが、もし、力ずくで奪い取るとしたら・・・相手を負傷させかねない。最悪の場合、その女性は命を失うことにもなるだろう。
「ワタシは科学者ではないから移植手術ができない。だから、探し出して連れ帰るだけでいい」
「怪しいわ、だって、研究室に侵入したくせに。あれは立派な泥棒よ。うまいこと言って、その人から盗もうっていうんでしょ」
 ソフィーも参戦した。
「こっちは生き返るために必死なの」 
「一人で行きなさい、泥棒猫」
 二人の言い合いはたちまちヒートアップしてきた。
「ワタシは当時の歴史に詳しくない。だから、学者様のフェルに案内してもらいたいの・・・お願い、見捨てないで、フェル」
 CZ46がうなだれて肩を落とした。ロボットだから涙を流すことはないはずだが、フェルには泣いているようにも見えた。ロボットではあっても女性を泣かせてしまったのは気が咎める。

 フェルはCZ46よりはむしろ、その移植された女性を助けたい気持ちが強くなってきた。
 だが、聞いておきたいことがある。
「一つ質問に答えてください。いいですか、私が一緒に行ったとして、いったい誰を探し出すのですか。500年くらい前の中世の世界に飛び込むのですよ。知らない土地で、逢ったこともない顔も名前も知らない、どこに住んでいるかも知らない、そんな見ず知らずの女性を探すなんて不可能です」
「それは・・・」
 CZ46が顔を上げた。
「この顔・・・その女性は・・・」
 CZ46は言いかけたが、そこで何かを思い出したのか大きなため息をついた。
「・・・知っているのは、その女性の名前ぐらいです」
「名前?」
「その人はナナミです」
「ナナミさん、ですか」
 名前を聞いたことで現実味が増して、ますますその女性が気の毒に思えた。
「フェル・・・どうする」
 ソフィーが訊いてきた。
「そうだなあ・・・この目で当時の城塞都市の城壁やレンガが見られるのなら行ってみたいな」
 ここは学者としての決断だ。
「では、こうしましょう。CZ46、あなたをレンガが発掘された遺跡にご案内します。そこで、異世界への入り口が見つかれば、過去の世界へ行くことにしましょう。それでいかがですか」
「ええ、いいわ」
「過去の世界へ繋がる道が発見できなければ、その時は・・・諦めてください」
 フェルがそう言うと、CZ46も納得したようだった。
 フェルはCZ46をレンガが発見された遺跡に連れて行くことを承諾した。城砦をこの目で見たいという研究者としての願望もあるが、ナナミという女性を探してあげたいという気持ちが強くなっていた。
    ・・・・・
「私も行く、いいでしょう。止めても行くから、ゼッタイ」
 CZ46が帰ったあとでソフィーが言った。
「あの女の言うことなんか信用できないもの。フェルを騙そうとしているに決まってる」
 ソフィーはフェルがCZ46と二人でタイムスリップすることになって、俄然、対抗心を強くしたようだ。
「一人では心配だわ。フェルを警護してあげる人が必要だと思うのよね」
「僕は研究のためです。そもそも、遺跡に案内するのが主な目的で、過去の世界にワープできるとは限りません」
「行くっていったでしょ、私が行くと言ったらどこだってワープするの。遺跡見物だけじゃつまらない」
「ワープした場合、現代の遺跡では分からない大発見に遭遇するかもしれません。なにしろその当時の人々が暮らしている場所ですから。しかしですよ、安全かどうかは保証できません」
「何で」
「戦争です。城壁の狭間から攻めて来た敵に向けて矢を放ったりして・・・大砲かな」
「戦争! ヤバい」
「到着した場所が現代のように平和とは限りません。当時は何でも武力で解決しようとしたはずです」
「マジ、ヤバいね」
「ソフィーさんのような美しい人を戦争に巻き込みたくはありません。無理にとは言いませんので」
 フェルが引き留めようとしたが、
「戦争上等、喧嘩上等」
 ソフィーは腕を捲った。
「これでも警察の御厄介になったことがあるのよ」
「そ、そうでしたね、元ヤンキーご出身とか」
「一度だけ警察に連行されたんだ」
「いろいろキャリアが豊富なんですね」

「それで、いつ頃の時代へ行くんだっけ」
「今から500年か600年くらい前です」
「知ってる、ナポレオンが皇帝になって、飛行機で世界一周して、アメリカ大陸でジパングを発見した頃でしょう」
「ソフィーさん、ナポレオンは1800年頃なので、だいたい200年ほど前です。そのまた300年くらい前の時代ということなので・・・フランスはブルボン王朝の時代だったと思います」
「知ってる、お菓子の会社でしょう」
「当時はお菓子の会社を作っていたかどうかは分かりませんが、ブルボン王朝、ハプスブルク家の全盛期でした。イギリスでエリザベス一世が女王になったころです」
「女王様に会えるなんて最高じゃん。でも、最後はギロチンで処刑されちゃうんだよね、映画で見たもの」
「それは、フランス革命の出来事じゃないかと思います。処刑台の王女様というのは、マリーアントワネットのことを指しているんではないですか」
「そうだっけ、フェル、詳しいのね、あの女が頼りにするはずだわ」
 このくらいは学校の教科書に載っているレベルなのだが、ソフィーの歴史は空想豊かというかハチャメチャである。
「きっと王子様もいるんでしょうね。ステキな王子様にプロポーズされたりしちゃって。どうしよう、ドキドキだわ。そうだ、あんな女より、白馬の王子様を探そうよ。私、ベルサイユ宮殿でも、どこでも行っちゃう。スクーターに乗って、トレビの泉でジェラート食べるんだ」
 それは「ローマの休日」のワンシーンだ。しかも、トレビの泉ではなくて美術館の階段ではなかったか。ソフィーがCZ46と二人だけにしたくないから、一緒に行こうとしくれる。それは嬉しいが、まるで外国へ遊びにいく気分のようだ。
「いっそのこと、王子様をこっちの世界へ連れてこれないかしら」
「こっちの世界・・・連れてくる・・・」
 ソフィーが言った「こっちの世界へ連れてくる」という言葉で思い当たることがあった。
 机の上の紙にはあまりうまくない字で「ナナミ」と書かれていた。CZ46がその女性の名を書いたのだった。CZ46によると、ナナミという女性は過去から連れてこられ、手術後に再び帰されたと言っていた。だが、そんな手間のかかる面倒なことをするだろうか。連れてきてまた元へ帰すというのは難しいのではないか。
 もっと簡単で確実な方法がある。
 しかし、フェルは背筋が凍る思いがしてきた。もし、その科学者がこの現代に暮らしていた女性に施術して、その後で過去の時代に送ってしまったとしたらどうだろうか。ナナミという女性は連れてこられたのではなく、この時代から過去に追いやられたのかもしれない。それを思うと、フェルはナナミを探しだして助けたい気持ちが強くなってきた。

「では、ソフィーさん、三日後、いいですね」
 CZ46は今すぐにでも行きたいと言ったのだがフェルには仕事がある。溜まっている仕事を片付けて、三日後にまた集合することになった。それまでに荷物の準備をしなくてはならない。フェルはワープした場合に備えて用意しておくべき品物をメモして渡した。
「スマートフォン、パソコン、充電器・・・電池、着替え、常備薬、非常食か。随分あるのね」
 ソフィーがメモを読み上げた。
「充電器ってことは、電気が使えるんだ」
「いえ、電気はまだ発明されてはいません。乾電池式の充電器、またはソーラー発電は使えるはずです。通話やメールはできなくても、スマホがあれば何かの役に立つでしょう」
「ゲームもできるの?」
「できると思います。ネットに接続するタイプは無理ですけど」
「そうか、昔はそんな時代だったのね。歴史のお勉強はバッチリできたけど、どこの国に行くんだっけ。フランス、イタリア・・・夏休みにハワイ行こうと思って水着買ったんだけど。ハイレグで切れ込みがすごいのよ」
 ソフィーの水着姿を想像した。大きな胸とムチムチの太もも。隠す所が少ないハイレグのビキニ・・・フェルは気を取り直して目的地を教えた。
「遺跡があるのはハワイではありません。ドイツ南部のバロムシュタットという町です。かつて、その一帯にはバロンギア帝国という国がありまして・・・」
 
   〇 〇 〇
 
 それから三日後、フェルとソフィー、CZ46の三人は、バロムシュタット市の郊外にある城砦の遺跡に立っていた。
 キープと呼ばれる一番高い塔は最上部の木造屋根こそ崩れているが、それでも威厳を誇るかのように高く聳えている。外側の側防搭、胸壁、跳ね橋のアーチ組みなども原型のまま残されているので廃墟という感じではない。ワープすればこの城砦の在りし日の姿を目の当たりにすることができるのだ。フェルには今にも当時の人々の声が聞こえてくるような気がした。
 城壁の近くには発掘現場があった。地面にはあちこちに大小の穴が開き、一部にはシートが掛けられている。掘り出された石やレンガなどが何か所にも積まれていた。この城塞都市をめぐって攻防戦があったのだろう。発掘されたレンガや柱などには焼かれた痕が残っているものもある。木材で作られた門扉、屋根、櫓などは戦争や火事で焼失したのである。
 バロムシュタット市に建っていた城砦は攻城戦に耐え切れず落城したのだった。この地域はかつてバロンギア帝国が支配していたそうだ。古い地図にはシュロスという地名が残っており、それ故、ここはシュロスの城砦とも呼ばれている。
 フェルは背中に背負ったリュックサックを担ぎ直した。中にはパソコン、折り畳み式ソーラー発電機、スマートフォン、電池式の充電器、それに最新のドローンなどが入れてある。他にも地図、非常食、薬、着替え、懐中電灯も携帯した。薬は予防のために必要だ。なにしろ、ペストが流行していた時代なのだ。もうひとつ、過去の世界の人たちに現代の病原体を感染させない目的もある。以前、アジアの奥地へ調査に行ったときにも、この薬を持って行ったことがあった。
 遺跡の調査に加えて、ワープしたことを想定した結果、リュックはかなりの重量になってしまった。
 
 遺跡を見渡した。
 フェルはCZ46と二人で、広い遺跡のどこかに異世界への入り口らしき場所がないかと探し回った。ところが、ソフィーは金属製のキャリーバッグに腰かけてスマホを操作していた。そのバッグには女性らしく着替え、下着、化粧道具をたくさん詰め込んできたという。すっかり旅行気分でいるのだ。
「ここ・・・感じるわ」
 CZ46が積み上げられた石を指差した。
「過去へワープする入り口ですか」
「・・・ああ、ダメ、弱くなってきた」
 CZ46がため息をついた。それに呼応するかのようにソフィーの笑い声が聞こえた。
「あの女、呑気なものね。こっちは必死なのに」
 ソフィーは退屈だと言い出してスマホのゲームを始めた。問題をクリアしていくと最終ステージで女王様になれるのだが、一歩間違えれば奴隷にされてしまうゲームだという。フェルは心配になった。ここであまり使い過ぎるとバッテリーがなくなってしまう。遺跡見物ですめばいいのだが、ことによったら電気のない世界に行くのである。
「ソフィーさん、バッテリー大丈夫ですか」
 近くに行って声をかける。
 ソフィーが座っているのは跳ね橋から門に続くあたりだ。侵入者を防ぐために殺人孔という仕掛けが施されていたりする場所である。前後の天井から壁が落ちてきて、そこに挟まれた敵は上から矢で射られて殺される仕掛けになっている。落とし穴もあるので、この地下には殺された人の骨が埋まっていることだろう。
「やだもう、ヤバいじゃん、奴隷になっちゃた。しかも監獄行き、地下牢だって、マジであの女のせい」
 ソフィーはゲームにのめり込んでいた。どうやらゲームの世界では女王様とはいかず、監獄に入れられたらしい。当時は監獄は塔の最上階にあることが多く、主に政治犯を収監するのに用いられた。地下牢には敵の捕虜を監禁していたと言われている。ちょうどソフィーの座っている辺りが地下牢があった場所かもしれない。そんなことはおかまいなく、ソフィーはゲームに負けたことまでCZ46に責任があるかのように言った。
「『女王様適性診断』っていうアプリで、98点取ったから、バッチリだと思ったのに、奴隷になっちゃった。今度は女王様になってCZ46を奴隷にしてこき使うんだ」
 これではワープしてもバトルは収まらないだろう。
「ねえ、記念写真、撮っておこう。フェルとツーショットがいい、あの女は抜き」
 ソフィーにせがまれて二人で写真に納まった。撮ったばかりの写真を見て、なるほどと思った。もしかしたら、ワープした時にそれぞれ別の場所に着いてしまう可能性もある。その時はこのツーショット写真が役立ちそうだ。
 フェルもスマートフォンを取り出してソフィーを写し、それから仲良く並んで写真を撮った。ソフィーはきゃあきゃあ喜んでいる。
「ついででいいですから、CZ46も撮っておいてください」
「わかった。こっそり撮っておくね」 
 ソフィーはCZ46を写してくれと頼んでも嫌な顔をしなかった。CZ46の写真もワープした先で役に立つだろう、フェルも念のためにCZ46の姿を写しておいた。
 ツーショットを見ながら、
「なんかいい感じだわ、私たち」
 とソフィーは喜んでいる。
「フェル、勝負下着、見る?」
 ソフィーがちらりと胸元を見せた。発掘現場で下着など見ている場合ではないと思いながらもフェルはチラリと胸を覗いた。
「残念でした。勝負下着はキャリーバッグに入ってるの」
 胸元に見えたのは白いブラだった。
「私、やっぱ、帰りたくなってきた、警備員の仕事もあるし。あの女だけ昔の世界へ行かせて、私たちは二人でホテル泊まっちゃおう」
「それはいい・・・いえ、いけません、困ります。それより、ソフィーさん、薬は飲みましたか」
「まだ飲んでない」
「現代と違ってペストなどの病気が蔓延しているんです。医者も病院も充実していません。もし、中世で病気になったら苦い薬草を飲んだり、祈祷師が祈ってくれるくらいですよ」
「じゃあ、飲んでおく」
 ソフィーはフェルが渡した抗生物質のカプセルを口に含みペットボトルの水で流し込んだ。
「あの女には薬はあげなくていいからね、病気になって死ねばいいのよ」
 ソフィーはそこで気が付いたのか、
「そうか、CZ46はロボちゃんだから病気は関係ないんだ」
 と言った。
「これでいつワープしても大丈夫です」
「ああ、イケメン王子様と親しくなれる薬があったらなあ」
 いつの間にか、ソフィーは腰を低く落とした体育座りになっている。これで煙草でもくわえていたら立派なヤンキーだ。
「向こうへ行ったら、フェルはあのロボちゃんと仲良くやってね。こっちはカッコいい王子様でも、強そうな騎士でも、片っ端から指名しちゃうから」
 王子様の愛人になりそうな気配だ。というよりは、ソフィーの方が王子様を愛人にする勢いである。これでは何のために500年前の世界に行くのか、本来の目的があやふやになってきた。
「空間を移動した時に離れ離れになってしまうかもしれません。そうなったら心配だな」
 念のためワープする地点を確認しておく。
「500年前のこの遺跡が目的地です。ですが、この目的の場所に到着できるとは限りません。この周辺のどこかに着いたとして、手掛かりは、バロムシュタット、バロンギア帝国、シュロスの城砦です。この地名を頭に入れておいてください」
 ところがソフィーは、
「バロムナントカ、それだけは覚えたわ。でも、私は王子様の寝室にワープしたいのよ」
 と、まるで呑気な様子だ。
「ソフィーさんなら、警備員だし、おまけに格闘技も身に着けているし、どこでも生き残れそうです」
「戦争になったら、レディース、元ヤンの私に任せてね。大砲でも何でも怖くないって。私がフェルのことを守ってあげる」
「その時は、お願いします」
 いつの時代でも女性の方が生命力が強いのである。
「あいつが来た」
 振り向くとCZ46がこちらへやってきた。
「いいところなんだから、邪魔すんなよ、ロボちゃんのくせに」
 ソフィーが足元のレンガを掴んだ。
「ぶつけちゃうぞ」
 その時だった。ソフィーがレンガを取り除いた地面の穴から黒い煙が立ち上った。
「いや、なにこれ、ヤバいっしょ」
 黒い煙は次第に広がって辺りを覆いつくした。
 フェルが目を凝らすと地面には大きな穴が開き、地下へ続く階段が見えた。
 ここが過去の世界の入り口なのだろうか。
「ソフィーさん、ここが入り口のようです、これは過去へ行くための階段ですよ」
「ヤバイ」
 そこへCZ46も駆け付けてきた。
「過去の世界と繋がっているかもしれません・・・入りますか」
「もちろん」
 穴の下へ降りる階段は十段か、それ以上続いている。だが、その先は真っ暗で何も見えない。 
「行きましょう」
 フェルが先頭に立って階段を降り始めた。
「怖い」
 ソフィーがフェルの背中をギュッと掴んだ。
「煙・・・煙だ」
 黒い煙が穴の奥から湧き上がってきた。
「ワープだっ、僕の手に掴まって」
「フェル」
 ソフィーがフェルの手を掴んだ。
「うわっ」
 二人の間にCZ46が飛び込んできた。
 
 ビカッ、ビカッ。稲光が横に走り、前後左右から猛烈な風がゴーゴーと吹きつけた。
 空中に赤い雲が渦を巻き、中ほどにぽっかりと大きな穴が開いているのが見えた。
 CZ46が回転しながら光が点滅する穴に吸い込まれていった。
 フェルはソフィーをしっかり抱きしめた・・・

シュロスの異邦人ー1

 ササラはバロンギア帝国東部州都の図書館員である。
 士官学校を卒業して配属になったのが州都の図書館の図書係だった。今回はシュロスの城砦に赴き、州都から運んできた本の整理を担当することになった。本来はもっと早く来る予定だったが、月光軍団の敗戦とローズ騎士団による混乱で今日まで延期されていたのだ。
 王宮から州都、辺境の城砦へと来るにつれ読まれる本も変わってくる。辺境の城砦では恋愛物、冒険譚が人気があり、その次が軍略書というところだ。もっとも辺境には字が読めるのは士官クラスぐらいしかいないので、本の需要もたくさんあるとは言えず、シュロスの図書室の本の半分は埃を被っていた。これから数日、かなり大規模な入れ替えをおこなうことになりそうである。軍略書、歴史書、地図、それに数学や占いなど、最新の知識を扱った本を馬車で運んできた。ササラの好きな物語や小説などもぎっしり積んできた。
 シュロスの城砦の図書室は兵舎の二階にあった。壁際には天井に届く高さまで本棚が設えてある。他の部屋に比べて窓は大きく、外光がたっぷり入るようになっていた。
 新しい本は少ないが、その代わりに、ササラが見たこともない珍しい本がたくさん所蔵されていた。一冊の背表紙の埃を払って驚いた。
「これ、『行列のできる戦場』だわ。まさか、こんなところでお目に掛かれるとは、しかも、まだ新品みたいにきれいだし。それに、こっちは『ツンデレ王女の泥沼恋愛ガイド』じゃない。発禁処分を受けて全て焼かれたと思っていたのに」
 装丁はベラムかそれともピッグスキンだろうか、しっとりと手に馴染む感覚がたまらない。こうやって一日中、本の表紙を撫でていたいくらいだ。書棚には装丁前の印刷されただけの紙の束が置かれていた。最近では辺境の町の書店にも装丁した本が並べられているが、しばらく前までは書物は紙の束で売買されていた。購入者が好みの装丁をしていたのである。
 しばらく本の整理に没頭しているとドアがノックされた。入ってきたのは州都軍務部の先輩ミユウだった。
「ササラちゃん、久しぶり」
「ミユウ先輩」
 二人は窓際の椅子に腰かけた。ミユウはササラの二年先輩になる。ミユウは士官学校を卒業後、調査を専門にする部署に配属された。半年くらい前から周辺の国々に偵察の旅に出ていたので会うのはそれ以来だ。
「教練が終わってすぐにでも来たかったんだけど、イモの皮むきやってた」
「皮むきも仕事なんですか」
「この間の戦争で人手が足りなくなったので、何でもやらないといけないのよ」
 東部州都軍務部の上官であるスミレは、二度の戦いで疲弊したシュロス月光軍団の立て直し役をミユウに命じた。その任務はシュロスの城砦に駐在して隊員を指導し、武器を整え、近隣の城砦の情勢を探ることだった。とはいえ、シュロスの城砦には副隊長のリサ、ユウコが健在だった。部隊長のミキもいる。みな階級は上だし、これまでの実績もある。月光軍団の再建はリサやユウコが中心になるのは言うまでもない。というわけで、ミユウは何でもする雑用係になってしまった。
「元気そうで何よりです。スミレさんもこれで安心でしょう。州都から送った変装用の衣装、届いてますよね、」
「それが、忙しくてまだ一度も着てないのよ」
 スミレはシュロスに留まったミユウのために、セーラー服やカボチャの衣装を送ってくれたのだが、雑用に追われて着る機会がないのだった。
「シワになるから、たまには吊るして干したいんだけど・・・一度帰りたいなあ」
「たぶん無理です。ミユウちゃんの使ってたところ、荷物片づけて私が寝てますから」
「うそ」
 上官のスミレは、ミユウはしばらく帰ってこないから荷物を倉庫に押し込み、空いたスペースをササラや新しく採用した隊員に分け与えたとのことだ。もともと州都にいた時も兵舎の一室に十人ほどで同居しており、みんなで雑魚寝だった。それでも、自分の荷物を置くスペースはしっかり確保していたのだが、それも取り上げられてしまったようだ。衣装を送ったのも部下を思いやるココロというよりは、単なる大掃除だったのである。
「州都の軍務部ではミユウちゃんがシュロスに配置転換になったと思っているわけです。私も今日それを実感できました」
「配置転換とは、そんなこと聞いてないですよ。ヤバいわ。マジでヤバイ」
「シュロスで頑張ってください。期待されているんですから」
「任務なので仕方がないか・・・」
「ひょっとして、恋人でもできたんですか、なんとなく幸せオーラが漂ってますよ」
「絶望オーラだよ。忙しくて恋人なんかできません。恋人ができたら、ますます帰れなくなっちゃう」
「それでしたら、この本なんかいかかですか」
 ササラは木箱から一冊の本を取り出した。
「『たった一時間で恋人が見つかる呪文』です。なんか効き目がありそうなタイトルでしょう。王都でベストセラーなんですよ、ミユウちゃんにおススメ」
「王都の人はこんな本を読んでるの!」
「じゃあ、こっちはどうですか。『王女様は絶体絶命』というタイトルです。王女様がお忍びで町に出かけて行ったらイケメン騎士に見初められて、そこまではよかったのですが、意地悪なライバル王女から嫉妬されて、辺境に追放になっちゃうというお話なんです」
「辺境の王女様・・・それ、どこかで聞いたことがあるかも」
 ミユウは先日の戦いでカッセル守備隊にルーラント公国の第七王女が加わっていたことを思い出した。
「好評なので、もうすぐ第二巻が出版されるんです・・・では問題です。続巻の題名は何でしょう」
「あの王女だから・・・『ギロチン好きの王女様』でしょう」
「いい線いってる。正解は『処刑台のニセ王女』でした」
 ミユウはこの時、本当にルーラント公国の第七王女が処刑台に縛り付けられることになろうとは思ってもみなかった。
「それじゃあ、仕事の続きをしましょう」
「その前に、ちょっと、その本、見てもいい」
 ミユウが見たいと言ったのは、『たった一時間で恋人が見つかる呪文』だ。
「どうぞ、どうぞ」
 ササラは適当なページを開いてミユウに渡した。そこには、呪文が載っていて、これを唱えれば恋人が天から降ってきますと書かれていた。
「天から降ってくるだなんて、いかにもインチキだ」
「外を歩くとき注意してくださいよ、ある日突然、城砦の螺旋階段からステキな恋人が降ってくるかも」
「それって、階段を転がり落ちてきたんだよ、打ちどころが悪くて死んじゃったりして」
 城砦の急な螺旋階段から滑り落ちて地面に這いつくばっている男を想像して、二人でアハハと笑った。
「図書室なんだから、静かにしないと・・・」
「そうだね、でも笑っちゃう」
 仕事も忘れて涙が出るほど笑った。ミユウはシュロスに来てからこんなに楽しい思いをしたのは初めてだった。
「これ貸し出しますよ、持って行ってください」
「見つかっちゃう、こっちだって大勢で寝てるんだし。その本は、たぶんミカちゃんに取られる」
「ミカちゃんって、あの、ミカちゃん」
「知ってるの」
「知らない、知らないけど、おかしいんだもの」

 それから、きちんと真面目に本来の仕事に戻った。仕事といっても室内を点検し、窓の施錠を確かめ、恋人が見つかる呪文の本を木箱の上に置いただけのことだったが。積み上がった本の山が崩れるといけないので、二人は忍び足で部屋の外に出た。ササラは図書室のドアに「蔵書整理中」の札を下げ、鍵を掛けた。ミユウがドアノブを引いて開かないことを確認した。
「施錠確認よし。本日の任務終了です」
「笑ったからお腹空いちゃった。州都からお菓子持ってきたんだ」
「次の任務はお菓子だ」
 二人が歩き出したその時、図書室の中でガタン、バタンと大きな音がした。
「うわっ」
「本が崩れた・・・」
 木箱から出して積み上げておいた本が崩れてしまったのだ。そのままにしておくわけにはいかないので鍵を開け部屋に入った。
「あっ・・・」 
 本は崩れていなかったが、図書室の床には一人の男が倒れていた。
「誰・・・誰なの、あなた」
 ミユウが呼び掛けたが返事はない。
「変ですね、入り口には私たちが立っていたし、窓は鍵が掛かっていた。ここは二階だから、いったいどこから入ったのでしょう」
「天から降ってきたんだ」
 その男の足元には『たった一時間で恋人が見つかる呪文』が落ちていた。

   〇 〇 〇

「何か分かりましたか、その男について」
 月光軍団副隊長のユウコが言った。
 白いシャツにポケットの付いたチョッキ、濃紺の作業ズボンを穿いた男が城砦に侵入してきた。それも城門の厳しい検問をくぐり抜け、さらには兵舎の二階にある鍵の掛かった図書室に入り込んでいたのだ。これは警備部門の大失態だ。大方、警備兵がサボっていたか、賄賂を掴まされたかのどちらかだろう。
 すぐにも城砦内を捜索し見張りを厳しくしなければならない。しかし、報告を受けた部隊長のミキは男を見て捜索命令を思いとどまった。その男は落ちた時に打ったのか、さかんに足と腰を摩っていた。ミユウが手を出して支えたのでようやく歩くことができたほどだ。その有り様は、隙だらけで、だらしなく、どう見ても兵士には見えない。まして偵察員ではなさそうだった。
「はい、名前はフェルナンド・キース、30歳と言っています」
 第一発見者のミユウが答えた。
「どこから来たのですか」
「それが・・・頭を強くぶつけたのでしょう、500年先とかナントカ、意味不明なことを繰り返しています。そもそも、ここがどこだかさえ分かってないようで」
「よろしい。当分はここに入っていてもらいましょう。フェルナンドさんでしたね、自由の身になりたければ本当のことを話すのですよ」
 月光軍団のユウコは、そう言って部下のミキの方を振り返った。
 ミキは頷き、
「よし、あとは任せるよ、ミユウちゃん」
 と、ミユウに丸投げした。
「ミキさん、任せるって、わ、私にですか」
「そうだ、第一発見者じゃないか。それにスミレから、ミユウちゃんは存分に鍛えてくれと頼まれている。士官学校時代、講義はサボるし、教練は手を抜くし・・・」
「士官学校のことは言わないでください。それでなくても、城砦中に広まっているみたいなんですから」
「その男、無理にでも喋らせるなら、ちょっと痛い目に遭わせてやろう。その時はいつでも力になりますよ」
 ミキは「念のため仲間がいないか城砦を点検してみる」と言ってユウコとともに出て行った。
 監獄の鉄格子を挟んでミユウとその男、フェルナンドの二人が残された。
 
 ここはどこだ・・・ワープして、予定した場所と時代に到着したのだろうか。
 フェルは自分を落ち着かせようと大きく深呼吸した。
 薄暗い部屋だ。高いところに明り取りの小さな窓が一つある。天井は丸いアーチ状になっていて、壁はゴツゴツした岩が剥きだした。レンガの敷かれた床はところどころ土が剥き出しになっている。そして入り口には黒光りする重そうな鉄格子ががっちりと嵌っている。部屋というよりは単なる穴倉、ありていに言えば監獄なのであった。
 予定通りにワープできたかどうか確証はないが、少なくともフェルがいた時代ではないことは確かだ。ワープ直後、フェルの目に飛び込んできたのは崩れた本の山だった。図書館らしき室内にたどり着いたのだ。そこから連れてこられる途中、石造りの建物、屋根のある塔などが目に入った。発掘調査で何度も訪れたカルカソンヌのような光景だった。
 先ほどまで三人の女性にあれこれ尋ねられていた。監獄だから尋問と言うべきだろう。先に帰った年かさの二人は、さしずめ軍隊の女兵士といったところだった。ミキと呼ばれていた女兵士は、たくし上げたスカートに革のジャケットを羽織り、コルセット風の胸当てとすね当てを身に着けていた。いつでも戦闘態勢に入れそうな格好だった。もう一人は灰色のシャツに黒の長いスカートを穿き、黒いベールをすっぽり被っていた。こちらは将校クラスとみえて、物腰が柔らかで言葉遣いは丁寧だった。
 一人残った女性はミユウという名前で、二十歳ぐらいに見えた。動きやすそうなメイド服を着ている。フェルが起き上がれないでいたところを助けてくれた女性だった。
 この女性が、ミユウが残ってくれたので安心した。
「さてと・・・名前と年齢の他は何も答えてないわね。どこから来たのか、忍び込んだのは何が目的なのか、本当のことを言ってください」
「答えたらここから出してくれますか。監獄ですよね」
「あなた次第よ、フェルナンド・キース。どこから来たのか言いなさい」
「未来の世界からです」
「未来って、それはさっきも聞いた・・・どういうことなの」
「僕が暮らしているのは、今から500年ほど先の時代です。信じてもらえないでしょうが、嘘ではありません」
「はい、信じられません」
 ミユウがきっぱりと言った。
「いいですか、私は人殺しは得意じゃないんだけど、部隊長のミキさんが聞いたらただではすまないわ。ミキさんはこの前の戦いで何人も殺したんだから」
 ミユウは大げさに言った。ローズ騎士団のローラたちを殺害したのはスミレだったが、ミキもその決断に加わっていたのだから、殺したと言ってもあながち間違いではない。スミレが殺害した副団長のビビアン・ローラの首は城砦の裏門に吊るしてあった。その首は鳥に突っつかれてすでに白骨化していた。
 
 フェルは質問にはきちんと真実を答えている。だが、未来から来たと言っても、そう簡単には信じてもらえないようだ。まずは、ここがどこで、いつの時代かを確かめることが必要だ。ナナミという女性を探しに来たことやCZ46の件はどうしようか、この場所がどこだか判明するまでは黙っていた方がいいかもしれないと思った。
 さらに心配なのは、一緒にワープしたはずのソフィーのことだった。どうやら、離れ離れになってしまったようだ。彼女はどこに到着したのだろうか、無事ならばいいのだが。
「僕は・・・古いレンガや城砦を研究する仕事をしています」
 フェルは手始めにレンガの研究をしていると述べた。
「レンガの研究ね。ということは、建物の設計か何かをしているんですね。それは認めましょう。ですが、研究を口実にして城砦の弱点を探っているのではないですか」
「探っている? 僕がそんな偵察だなんて、あくまでも研究が目的です」
「困りましたね。さっきも言ったでしょう。私は血を見るのは好きじゃないんです。むしろ、あなたを助けたいんです。フェルナンドさん、取り調べに協力してもらえませんか」
「それでは、一つこちらから聞きたいのですが、ここはどこの国で、何と言う町なのでしょうか」
「ここは、バロンギア帝国、東部州都に属するシュロスの城砦です。そして、あなたが忍び込んだのは月光軍団の兵舎です」
「バロンギア・・・シュロスの城砦!」
 ワープに成功したのだ。
 フェルは予定通りバロンギア帝国に着いたのだった。ここはシュロスの城砦であり、月光軍団という部隊の兵舎だということも明らかになった。
 さらに確認するために、バロムシュタット市かと訊いてみたのだが、
「バロムシュタット、そんな町は聞いたことがありません」
 ミユウは知らないと首を振った。
「シュロスは州都から離れた辺境の城砦です・・・ううむ、バロムシュタット、バロム、バロムね」
 ミユウは聞いたばかりの名前を繰り返した。
 バロンギア帝国・・・バロム・・・シュタット・・・
「そうだ」「それよ、フェル」
 二人同時に声を上げた。
「バロンギア帝国とシュロスを、くっ付けちゃえばバロムシュタットになるじゃない。フェルのいる未来では、このシュロスの城砦はバロムシュタットという地名になっているのね」
「僕もそう思います」
 ミユウとのやりとりで、フェルはワープする以前に立っていた城砦の遺跡、その場所にたどり着いたことが確実となった。
 
 取り調べに当たっている、ミユウという女性は、フェルの話を受け入れてくれそうな気がしてきた。先ずはこの人に信用してもらうことが必要だ。
「僕が未来からここへ来たという話は信じてもらえますか」
「そうですね、フェルは学者であって危険人物ではないことは分かりました。けれど、未来からやってきたことについては、もう少し検討する時間が必要です」
「はい、それで結構です。確かに、すぐには理解してもらえないでしょう。僕が城砦の構造を研究していることだけでも分ってくれれば嬉しいです」
「では、今日の取り調べは終わりますね。あとで食事を運ばせましょう。パンとワインだけですが」
「今夜はここから出してもらえないんですか。ここ、監獄のようですし、この場所で寝るというのは・・・」
「そうですよ、何か不満でもあるんですか」
「いえ、その、なんかジメジメしてるし、寒いし、灯りもないし、布団もないし」
「監獄ですから当然です」
 ミユウはちょっと考えてから、
「分かりました、特別に食事と一緒に布団を届けますね。それ以外の要求には答えられません。いいですね、フェル、特別ですよ」
 と言った。
「はい、ありがとうございます。あの、すみません、一ついいでしょうか」
「どうぞ、フェルのため・・・いえ、私にできることなら」
「実は一人で来たのではなくて連れがいるんです。一緒に来た人はソフィーという女性です。城砦の中にいないでしょうか」
 フェルはソフィーの服の特徴や年齢をミユウに教えた。ミユウは聞きながら、ちょっとフェルを睨むような表情を見せた。
「そんな大事なこと、なぜ黙っていたんですか、フェル。さっそく捜索中の隊員に伝えなきゃ」
「お願いします、か弱い女性なので」
 そうでもないか、ソフィーは元ヤンだから、どんな所に着いても大丈夫かもしれないと思い直した。
「それからもう一人、CZ46という名の者がここに着いているはずです」
「CZ46とは妙な名前ですね、男性ですか」
「外観は・・・女性です」
 ミユウが去っていった後は、ほの暗い監獄がいっそう暗くなってきた。ここで一晩過ごすのかと思うと心細くなってきた。
 そういえば、ミユウはいつの間にかフェルと呼んでいた。
 彼女なら誠意を尽くして頼み込めば願いを聞き届けてくれるかもしれない。ソフィーのことも探すと約束してくれた。今夜は生まれて初めて牢屋で寝るのも悪くはないかなと思った。暫くして、メイドが食事を運んできた。パンとワインということだったが、サンドイッチと温かいスープだった。ミユウが気を遣ってくれたのだろう。布団も持ってきてくれたが、こちらはとうてい布団とは言えぬ代物だった。薄汚れた袋に詰まったのはゴワゴワした藁だった。

 翌日、ミユウは取り調べにササラを同席させた。ササラは読書家だから、いろいろ知識がありそうで、未来から来たと言っていることを解明してくれるのではないか。それに、フェルが現れたのは、あのいいかげんな恋人探しの本にも原因がある。
 フェルを監獄の床に座らせた。
「昨日は眠れましたか」
「はあ、藁は初めてでしたので・・・せめて綿入りの布団があればいいんですが」
「綿! 王宮ではないんです、牢屋ですよ。私は寝る時は布を掛けるだけなんですから」
 温かいベッドは今夜もお預けになりそうだ。
 取調べが始まるとフェルは未来から来たという説明を繰り返した。それを聞いていたササラはピンときた。
「それって、『時をかける王子』という本にあるお話ですよ」
 ササラによると、100年先の世界から空飛ぶ馬車に乗って飛んできたイケメン王子が、貧しい娘と愛し合って結ばれるというストーリーだということだった。
「それじゃあ、フェルがイケメン王子だってわけ。見た目は、ゼンゼン弱そうだけど」
「王子かもよ、だって図書室にどこからかともなく飛んできたんだもの。空飛ぶ馬車で来たんだよ」
「フェルと結ばれる貧しい娘は私とササラちゃんとどっちなの」
「ミユウちゃんです。第一発見者で取調べ担当だし。それに、ミユウちゃん、この人のこと、フェルって呼んだ」
「・・・あれ、そうかな」
「恋人が見つかる呪文の本、ベストセラーだけあって本当に効き目あったんだ。二人はたった一晩過ごしただけで恋人になっちゃいました」
「過ごしてないって、フェルは監獄だったんだもん。やだもう、当分、牢屋から出してあげないから」
「そうよね・・・だって、ここは」
 二人が急に小声になる。
「大丈夫、アレは向かいの檻だったからね」
 アレとは何か、フェルは悪い予感がした。
「今夜も寝るんだから、あとで掃除しとくね。なかなか血の跡が取れなくって」
「血、血とはなんですか」
「敵の捕虜を鞭で叩いて痛め付ければ血が出るのは当然でしょう」
 どうやら、アレとは、牢獄でかなり厳しい取調べがあったのを指しているようだ。まさか、ここで死んだとか・・・フェルは恐ろしくなった。これが若い女の子たちの会話とは思えない。確かに中世に来てしまったのだ。
「フェルさん、脱獄しちゃえば。そうだ、あなた未来から来たんだから、その方法を使えば、どこでも飛んでいけるんでしょう。ミユウちゃんの部屋、教えるね」
「ああ、ダメ、言わないでっ」
 取調べはいつの間にか女の子の恋バナになっていた。さっきは牢獄の話で盛り上がっていたが、若い女の子は現代でも中世でも同じようなものだ。違うのは、目の前の二人は月光軍団という軍の兵隊だという点だ。
 フェルは、彼女たちならば、レンガに食い込んだ部品やCZ46、ナナミのことを詳しく話してみてもいいのではないかと思った。
「あの、すみません・・・取調べはどうなっているんでしょうか」
 フェルが恐る恐る言うと、ミユウとササラは顔を見合わせて笑った。
「なんだっけ」
「ですから、取調べをしてください。いろいろと話したいことがあるんです」
「話を聞いてもいいけど、フェル、シュロスに来たことを感謝しなさい。隣の国に到着してたら、とっくに死刑になってたかもよ」
「なんですって、死刑!」
 死刑だと言われてびっくりした。
「カッセルの城砦にいるルーラント公国の王女様がね、ゲキヤバな王女で、奴隷になれとか、言うことを聞かないヤツをギロチンにしたがるの。カッセルに捕虜になっていたユウコさんが言ってたけど、人形の首をハサミでチョッキンしたんだって」
 ミユウが指を二本出してハサミのように動かした。
「それは見つかったら大変だわ。でも、どうしてミユウちゃんがルーラント公国の王女様を知ってるの」
「だからさ、言わなかったっけ、カッセル守備隊に見習い隊員で混じっていたわけ」
「ありえない」
 どこまでも脱線していく取調べだった。
「その、僕の話は・・・」
「そうでした、肝心なことを忘れてました」
 ようやくフェルの話を聞いてもらえる状況になった。
「僕は中世の城郭に使われていたレンガの研究をしているのですが、先日、ちょっと変わったレンガを見つけまして・・・」
 フェルは、バロムシュタット市で発掘したレンガに金属のネジが食い込んでいたこと、それを自分の身体の一部だと言って取り返しにきたCZ46という女のことなどをかいつまんで話した。
「その女性から、過去の世界にワープ、つまり移動すれば、レンガに突き刺さる前の状態の部品が手に入ると頼まれたので、僕の生きている時代から、約500年前、中世の時代にやってきたのです」
 ミユウはフェルの言うことを書き留めていたが、
「ふむふむ、だいたい分かりました、というか、半分くらいですけど」
 と答えた。
「どうぞ、分からないことは何でも訊いてください」
「今の話にでてきた『中世』って何ですか」
「歴史の時代区分です・・・」
 フェルは、過去の世界の人にとっては現代史の時代区分は難しいと思いながらも話を続けた。
「僕の生きている時代は『現代』といい、古い順に古代、中世、近世、近代、現代となります。この世界、この時代は中世に当たります」
「そこは納得できません。お話では中世とは古い時代のようですが、私は古いなどとは思っていません」
 古いと言ったので、ミユウとササラはちょっと気を悪くしてしまったようだ。
「そうでした、ここは現代でした」
 確かにフェルから見れば、この時代を歴史上は中世と呼んでいるのだが、彼女たちにとってはまさに現代なのだった。つい迂闊なことを言ってしまった。その一方ではミユウの理解力の速さにも驚かされた。
「次に分からないのは、CZ46とかいう、その女性の身体は全身が金属のネジで出来ているんですか・・・」
「ええ、僕の時代ではロボットという名称です。ネジだけでなく身体全体が金属製です。この世界で似ている物では・・・」
 この時代の人にロボットを説明するのは難しい。フェルはからくり人形か時計に組み込まれた歯車のようなものを引き合いにしてみた。
「時計の歯車をご存知ですか」
「時計の歯車!」
「心当たりがあるんですか」
 フェルはミユウが時計の歯車について何か知っているのではないかと期待した。もしかしたら、CZ46がフェルよりも先にこの時代に到着していたのだろうか。
「フェル、その女性なんですけど・・・」
 ミユウがフェルを覗き込んだ。その目は何か戸惑っているかのように見える。
「実は、身体が歯車になっている女性に心当たりがあるんです」
「なんと」
 フェルは思わず身を乗り出した。
「フェル、もしかして、その人、歯車で出来ているという人は・・・ナナミさんという名前なのではありませんか」
 ナナミ!
 フェルは驚愕を隠せない。ナナミの名前がシュロスのミユウの口から出たのだった。
「ナナミさん。そうです、ナナミさんです。いえ、違うかな・・・いえ、ナナミさんで合っているところもあるんですけど」
 こんなにも早くナナミの手掛かりが見つけられてフェルはいささか困惑してしまった。
「どっちですか、はっきりしなさい。ことと次第によってはタダではすみません」
「僕がこの世界に来た目的は、ナナミさんという女性を探しにきたことなのです。しかし、どうして、ミユウさんがナナミさんをご存知なのですか」
 ミユウはフェルの質問には答えず、
「月光軍団のミキさんを呼びましょう・・・いえ、フェルは監獄から出てもらった方がいいかもしれません」
 と言った。

ソフィーと王女様

 そのころ、フェルと一緒にワープしたソフィーはというと・・・

 ソフィーは呆然としたまましゃがみ込んでいた。
 暗い室内、目を開けて焦点を合わせるのにしばらく時間がかかった。椅子やテーブルがいくつも並んでいるのが見えた。椅子もテーブルも、どれも何となく古びている感じがする。ソフィーがいる床、それに左右の壁はレンガで造られている。部屋の一角には木の樽が積まれ、無造作に置かれたカゴには土の付いたイモやニンジンが投げ込まれていた。
 どこだろう・・・
 城砦の発掘現場に着き、そこから過去にワープする入り口を探していた。ソフィーが足元の石を取り上げたとたん、黒い煙が立ちのぼり大きな穴ができた。穴の中へと続く階段を下っていくと、煙が湧いてきたので怖くなってフェルにしがみついた。そこへ何かがぶつかってきた・・・覚えているのはそこまでだ。
 気が付いたらここにいた。フェルはどこだろう、彼が側にいてくれないのは心細くなる。CZ46も見当たらないが、あのロボット女はいなくてもいい。足元にはキャリーバックがあり、肩にはリュックを背負っていた。ポケットからスマートフォンを取り出して電源を入れたが、「圏外」という表示がでた。ワープした場所も見渡す限り遺跡だらけの郊外だったから、電波の届かない場所にいるのかもしれない。
 ソフィーはバックを引きずって部屋を出ようとした。
「すいませんねえ、食堂はまだ開いてないんですよ」
 ドアのところでメイドと鉢合わせになった。
「あら、あんた見かけない顔ね、新しい司令官・・・」
「シレイカン!」
 司令官のことだと思った。どこかの軍隊の基地に紛れ込んでしまったようだ。
「いえ、それはですね、ええと、ここ、どこでしたっけ」
「怪しい、怪しいわ、お前さん、泥棒かい」
 何だか変な場所に入り込んでしまったらしい。泥棒と間違われている。ソフィーは素早くメイドの脇をすり抜け廊下を突っ切ると、開けっ放しの扉から外へ出た。
 そこは広場だった。
 男が数人いる。だぶだぶのコートを着て、ズボンを履いた腰のあたりをヒモで縛ってある。顔は薄汚れ、手には酒瓶を持っていた。昼間から屋台で酒を飲んでいるのだ。その向こうには馬車も停まっていた。荷台から荷物を下ろしている男は赤い上着と裾の締まったズボンを穿いている。アミューズメントパークで見た海賊船のショーに出てくるような格好だった。
「うわっ」
 ヤギだ。ヤギと目が合ってしまった。
「なに、これ、なんなの」
 今度はソフィーの足元にニワトリが寄ってきて靴を突いた。あっちへ行ってと手で追い払う。まるで冒険映画のセットの中に入ってしまったかのようではないか。あるいはゲームのドラゴンクエストの世界だ。
 どう見ても現代ではなかった。ワープしてしまったのだ。
「待て」「どっちに行ったの」「女よ、探して」
 誰かを探しているのだろうか、怒鳴り声が聞こえた。
「いたわ、そこ、動くな」
 二人の女が駆けてきた。探しているのがソフィー自身だと気づいた。
「見つけたわ、泥棒女」
 ソフィーを発見したのは司令官として着任したばかりのフレアだった。食堂に入ろうとした時、メイド長のエリオットが怪しい女が侵入したと言った。行きがかり上、部下のスザンヌと泥棒を追跡するハメになった。
「司令官の私に泥棒を追いかけさせるなんて、城砦の門番は警備が甘いんだから」
「こっちへ来なさい、警備員を呼びますよ」
 ソフィーは腕を掴まれた。
 警備員、それは私のことよ・・・
 ソフィーは掴まれた腕を振り払った。警備員として犯人を取り押さえるのがソフィーの仕事だ。それが捕まえられたのでは立場が逆である。何も悪いことをしていないのに逮捕されてはかなわない。元ヤンの血がメラメラと燃え上がった。
「何でこの私が逮捕されなきゃならないのよ。あんたたちこそ、そんなドラクエみたいな、兵隊の格好して」
「ドラクエ・・・何を言ってるの。逮捕するわ」
「やってやろうじゃん、捕まってたまるもんですか」
 二対一で向かい合った。人数的には不利だが前にいる兵隊は構えが甘い。警備員の仕事柄、格闘技の訓練をしているソフィーから見ればスキだらけだった。ソフィーは突っかかってきたスザンヌをいなすと、腕を取って後ろへ投げ飛ばした。それを見てフレアが飛びついてきたが、ソフィーは身体を沈めて素早くかわした。目標を失ったフレアはソフィーの背中の上を越えて地面に転がった。
「やったー。あんたなんかに捕まるわけないでしょ」
「よくもやってくれたわね、もう手加減しないわ」
 フレアが腰の剣に手を掛けてスッと引き抜く。ソフィーの胸元に鈍く光る剣先が向けられた。
「剣だ、ヤバい、マジになっちゃった」
 ソフィーはキャリーバックを引きずって走り出した。
「ごめんなさいでしたぁ」
 とたんにヤギが暴れ出し、数羽のニワトリが飛び上がってフレアの行く手を遮った。

 なかなかやるね、あの女。
 ホノカは屋台のオヤジに金を投げた。
 司令官のフレアが一人の女を捕まえようとしていた。追いかけられていたのは城砦では見かけたことのない女だった。どうやら無断で城砦に入り込んだとみえる。その女は白っぽいシャツに身体にピッタリした紺のズボンを穿いていた。こんな辺境の田舎にはふさわしくない都会風の洗練された服装だった。しかも、色白で美人だ。ローズ騎士団を思い起こさせる美人だった。州都か、あるいは王宮から来たのではないかと思った。司令官に捕まらなくて良かった。その女が二人を軽く投げ飛ばしたときには思わず拍手していた。
 
 どこをどうやって走ったかは分からないが、ソフィーは建物の陰に逃げ込んだ。
 兵隊を投げ飛ばしたまでは良かったものの、逆ギレした相手は剣を抜いたのだ。ここは映画やゲームの世界ではなかった。フェルが言っていた500年だか、もっと前の世界にワープしたのだ。
 見たところ田舎の寂れた町のようである。
 ここが目的地の・・・
 気が急いているのか目的地の地名が出てこない。場所の手掛かりすら失ってしまった。
 たった一人で、この状況にどう対応すればいいのかだろう。
「あなた、誰ですか」
 しまった、見つかった。
 ソフィーが顔を上げるとメイドが三人立っていた。紺の長袖のシャツに白のエプロンドレス姿だった。自分を追いかけてきた兵隊ではないのでホッとした。
「あわわ、助けてください。悪い人に追いかけられているんです」
「アンナ、見てきなさい」
 アンナと呼ばれたメイドは建物の角から広場の方を見た。
「司令官です、フレアと部下のスザンヌですね」
「フレアは悪いヤツよ。この人を助けてあげましょう、アンナ」
「かしこまりました。レモン、鞄を持ってあげなさい」
 ソフィーは二人のメイドに挟まれるようにして建物の裏手に回り、小さなドアから中へ入った。廊下の突き当りで、アンナが階段に上がれと言った。あとからメイドがキャリーバックをガタガタと引っ張ってきた。
「こちらへ、どうぞ」
 部屋に通されバタンとドアが閉まった。
「はあ、助かった。ありがとうございます」
「ここなら大丈夫よ。あんなヤツに捕まらなくてよかったわ」
 若い方のメイドは悠々とソファーに腰を下ろした。アンナというメイドは立ったままだ。ソフィーは警備員の仕事柄、両足を揃えて気を付けの姿勢をとった。
 メイドの部屋だろうか、それにしては広くて立派な造りだった。ソフィーが住んでいたワンルームマンションの二倍の広さはあるだろう。メイドというよりはお金持ちのお嬢様の部屋みたいだ。暖炉があり、飾り棚にはランプが置かれている。床には深紅の絨毯が敷いてあり、ふかふかして、いかにも高価そうな絨毯だ。突き当りの壁に扉があるところをみると奥にも部屋があるようだ。
「楽にしていいですよ・・・」
 アンナが床を示した。床に座れというのだ。メイドの前では気を遣うこともないのでソフィーは体育座り、というか、ヤンキー座りした。
「あなた、楽にし過ぎです。どなたの前だと思っているのです」
 楽にしろと言われたのでヤンキー座りをしたら注意された。仕方がないのであぐらをかいて座った。
「よろしい。ところで、あなたは誰ですか、ここでは見かけたことがないわね」
 メイドに尋ねられ、
「ソフィーです」
 自己紹介をした。
「すいません、あの、ここ、どこですか」
「どこだか知らないって、レモンよりヤバいのが現れた」
 アンナが言った。
「ねえ、アンナ、この人すごくきれいじゃない。肌も白いし、バッチリメイクしちゃって、それに、なんだかいい香りがする」
 ソファーに座ったメイドから、きれいだとか肌が白いとかやたらと褒め捲られた。
「まさか、あなた、王宮から私のことを探りに来たのではないでしょうね」
「王宮から? いえ、一言で言うのは難しいんですけど・・・つまり、さっき着いたばかりで、ここがどこだか、なーんにも分からないんです」
「なるほど。では、あなたの疑問にお答えしましょう。その前に紹介しますね」
 アンナが腰かけているメイドに軽く会釈した。
「こちらにいらっしゃるのはルーラント公国、七番目の王女、マリア王女様です」
「はーい、よろしく」
 王女様が友達のように明るく挨拶した。
「メイド喫茶のメイドさんかと思ったら王女様でしたか。でも、メイドが王女様だなんて、ゲームならともかく、普通じゃ、ありえない」
「ありえるんです」
「そうです、レモンちゃんが正解」
 これは夢なのだ、ますます現実の世界ではないと思った。発掘現場の遺跡で遊んでいたゲームの世界に入り込んでしまったのだ。とは言え、兵隊に捕まらなくて良かった。しかも、助けてくれたのが王女様だったとは、たとえ、自称王女様だとしても幸運である。
「では、王女様ということにします。よく考えたら、王女様に助けてもらったんだから喜んでいいんですね」
 ワープした時にはイケメン王子の寝室に到着するはずだった。当ては外れたが、王女様ならば似たようなものだ。王子様を紹介してくれるかもしれない。それほど悲観する状況ではない。
「ソフィーさん、あなたはいい人だわ。あの悪い司令官とは違う。しかも、美人だし、気に入りました」
「王女様がそう言ってくれると嬉しいです」
 安心したのも束の間、マリア王女様は、
「私の奴隷になりなさい」
 と言った。
「はあ、奴隷って、どういうことですか」
「奴隷に決まったのです。今からソフィーさんは私の物になりました。いいですね、何でも命令に従うのですよ。私に背いたらイジメて拷問して監獄に入れて首を斬っちゃいます」
 メイドが実は王女様だと判明し、助かったと思ったら、王女様の奴隷になれと言われ、断ったら拷問だという。なんという目まぐるしい、ジェットコースター的展開なのだろうか。やはりここは現実の世界ではない。ゲームだ、ゲームの中なのだ。
「やっぱ、ゲームで負けたからだわ」
 勝てば王女様、負ければ奴隷のゲームで遊んでいて、あと一歩のところで王女になりそこない奴隷になってしまった。この展開はまさにゲームそのものではないか。ソフィーはポケットからスマートフォンを取り出そうとした。ゲームをリセットすれば、この悪夢から逃れらえるかもしれないと思った。

 ドンドンとノックされた。
「王女様、いますか。入りますよ。不審者を見かけませんでしたか、王女様」
「ヤバい、見つかっちゃった」
 王女様にしてはぞんざいな、というか、やたらと庶民的な言葉を口走ってソファーから立ち上がった。
「そうだ、隣の部屋へ隠れなさい、レモン、一緒に」
 ソフィーはアンナに促されてレモンと隣の部屋に入った。
 逃げ込んだ部屋は寝室だった。天蓋付きの立派なベッドがあった。さすがは王女様である。
「ああ、なんかヤバくなってきた」
「大丈夫ですよ、王女様がいるから」
「あの人、本当に王女様なの」
「そうですよ、ルーラント公国の王女様です。あたしはバロンギア帝国から捕まえられて召使いにされました」
「ルーラントは初耳だけど、バロンギアっていうのは、どっかで聞いたことがあるわ」
 ソフィーは部屋に逃げ込んでだんだんと落ち着いてきた。確か、ワープする予定の地名はバロムナントカという場所だった。どうやら、そのバロンギアとかいう町の近くに到着したようである。バロムナントカによく似ている町だ。
「ここはルーラント公国です。バロンギア帝国は隣の国ですよ」
 バロムナントカではなかったが、隣国だという手掛かりは掴めた。
「それで、あなたはバロンちゃんっていうの、よろしくね」
「残念、レモンちゃんです」

 ソフィーと入れ替わるように部屋に入ってきたのは、司令官のフレアと部下のスザンヌ、副隊長のカエデ、それにホノカの四人だった。
「王女様、城砦内に不審者が侵入しましたので、捜索しているところです。あちこち探して、残るはこの部屋だけです。調べさせていただきます」
「怪しい女なんか知らないわ、ここにはいません。出ていきなさい」
「ぷっ」
 フレアが吹き出した。
「私は『女』とは言っていませんよ。不審者とだけ言ったのです。自ら白状したようなものです。ここに逃げ込んだのですね、ダメ王女様」
「ずるーい、引っ掛けたわね」
「王女様に万一のことがあってはなりませんからね、それで捜索しているんです。どこに逃げ込んだ・・・いえ、どこに匿っているんですか」
 フレアはスザンヌに捜索するように言った。スザンヌは部屋を見回したが、見つからないので奥のドアに近づいた。
「そこは、ダメ、勝手に入らないで」
 王女様が止めても無駄だった。スザンヌがドアを開けた。
「いました、あの女です」
 ソフィーとレモンは隠れていた部屋から引きずり出された。
「城砦への不法侵入で逮捕します。監獄に連れていきなさい」
 フレアが部下のスザンヌに命じた。
「待って、その人はここがどこだか分からないって言ってたわ。きっと、旅をしていてうっかり入り込んでしまったのよ、不法侵入ではありません」
「自分のいる所が分からないなんて、犯罪者の言うことを真に受けてはいけません。私はこの女に投げ飛ばされたんです」
「それは、あなたが弱いから。いい気分だわ」
 王女様が司令官のフレアに舌を出した。
「そんなことを言うのでしたら、王女様、あなたも牢獄で暮らしてもらいますよ」
 司令官に捕まり監獄に連れていかれそうになってきた。しかも、このままでは王女様までもが監獄に入れられそうな気配ではないか。マリーアントワネットみたいに、最後はギロチンが待っていることだろう。ソフィーは匿ってくれたお礼に王女様を助けようと思った。
「ちょっと、あんた、司令官だか何だか知らないけど、王女様に向かってそんな口の利き方はないんじゃない。そもそも、あんたは家来なんでしょう」
 元ヤンキー魂で司令官に突っかかる。
「何を言い出すかと思ったら、王女を庇うとはね。それならホントのことを教えてあげましょう」
 フレアはマリア王女様に指を突き出した。
「これは王女ではない、ニセ王女よ」
「えー、ニセ者だったの」
「宮廷の皇位継承権争いに負けて、この辺境に追放になった、王女失格、ダメ王女。言ってみればニセ王女というわけ」
 メイドが王女だったまでは良かったが、実はニセ王女だった。こんなストーリーはゲームの世界でも聞いたことがない。とんでもないリア充だ。
「あんた、奴隷になれとか言われなかった?」
「言われた。王女様なら、それも仕方ないかなと思った」
「王女様、この女を奴隷にして、どうしようというのですか。ダメ王女のことですから、自分は楽をしてメイドの仕事をサボろうとしたのでしょう」
「いえ、そんな・・・・この人を王宮へ連れて行けば高く売れそうだなと思っただけです」
「高く売る!」
「仕送りが止まったので、生活費の足しにするつもりでした」
 マリア王女様、いや、ダメ王女は助けてくれたのではなかった。奴隷として売るのが目的だったとは・・・ソフィーは危うく人身売買されるところだった。
「ほら、聞いたでしょう。不法侵入者は監獄か、さもなければ奴隷として売りに出されるか、二つに一つですよ」
 監獄かはたまた奴隷か、ソフィーはどちらかを選ばなくてはならなくなってしまった。留置場ならヤンキー時代に経験済みなので、どちらかというと監獄の方が親しみがある。
「じゃあ、行きますよ、留置場。ヤバいって、もう、行けばいいんでしょ」
 ソフィーキはヤンキー座りでふてくされた。

 ソフィーが連れて行かれた監獄、そこは文字通りの「ブタ箱」だった。
 階段を下った先の薄暗い部屋。床は地面が剥き出しで壁からは水が垂れている。隅の方に板が敷かれていた、もしかして、これがベッドなのだろうか。ボロい部屋だが、鉄格子だけは頑丈そうでしっかりしていた。
「ひっ」
 天井から垂れた水が首筋に当たり、白いシャツに茶色の染みが付いた。
「ソフィーさんでしたね。私の質問に正直に答えてください」
 取調べに当たったのは副隊長のカエデだった。司令官に比べれば優しい感じで言葉遣いも丁寧だ。だが、その後ろには例の悪い司令官と、もう一人、いかにも強そうな女兵士が腕組みをして立っていた。
「あなたはどこから来たのですか」
「だからさあ、言ったでしょう。ずっと遠くの未来からです。500年ばかり先の未来から来たんです」
「未来? どういうことでしょう。残念ですが、何を言っているのか分かりません」
「分かってください・・・といっても無理か。じゃあ、フェルを呼んで、彼ならきちんと説明してくれます」
「フェル・・・あなたには仲間がいるんですね」
「研究者です、石とかレンガの調査が得意な人です・・・ここ、どこかのお城ですよね、ええと、ナントカ国のカッセルでしたっけ」
「そう、ルーラント公国、カッセルの城砦です」
「私、ホントはバロムナントカっていうところへ行くはずだったんです」
「バロムとか何だとか、この女の言ってることは全部いい加減です。取り調べなんかいくらやってもムダ。ここで一晩頭を冷やして、それでもダメなら、拷問でもしてやればいいんです」
 フレアは尋問を終わらせようとした。この女には投げ飛ばされた恨みがある。今夜はこの地下牢から出さない、もちろん食事は抜きだ。
「朝は冷えるわよ、ここは地下牢だから」
「こんなところで寝るんですか。見てよ、下は地面じゃない。寝られるわけないでしょ。服が汚れるわ。布団だってないし」
「当たり前、監獄なんだから」
「お腹空いた、コンビニ行きたい」
「コンビニ、何それ」
 司令官に睨まれた。
「それじゃあ、ゆっくり休みなさい」
 フレアーは係わり合いになりたくないとばかりに帰って行こうとする。
「待って、行かないでっ・・・ちょっと、電気のスイッチはどこ、真っ暗じゃん」
 ソフィーの必死の訴えも聞き入れられることはなく、カエデも含めて全員が帰ってしまった。ソフィーは一人、暗くて汚い牢屋に閉じ込められた。
「ブタ箱だってもうちょっとはマシだよ。看守、待遇改善しろ」
 鉄格子を掴んで揺すったがビクともしない。そこで、ようやく、ことの重大さに気付いた。
「どこに行ったのよ・・・フェル」
 たった一人、生きて明日の朝を迎えられるだろうか。

 しばらくすると鉄格子が開き、取り調べに同席していた女兵士が戻ってきた。手にはロープを握っている。
 女兵士はホノカと名乗った。
「ソフィーちゃん、ここから出してあげる」
 ホノカはロープでソフィーの手を縛り、もう一方を自分の手にかけた。出してくれるとは言うのだが、これでは却って不安である。ホノカに引っ張られてソフィーは牢を出た。連れて行かれたのは建物の中庭だった。新鮮な空気を吸って生き返ったような気がした。
「ホノカさん、助けてくれてありがとう。あんなとこで寝るのかと思ってゾッとしたわ」
「言っておくけど、助けたわけじゃないからね」
「ここで取調べですか」
「あたしは取調べよりも、首を絞める方が得意なの」
 ホノカが縄に力を込めた。
「あんた、きれいだね。色が白いし、化粧してるんだ」
「いえ、まあ、それほどでも・・・」
「美人なのに強い。司令官を投げ飛ばしたのは見事だったよ。あたし強い奴が好きなんだ」
「気に入ってもらえて、ありがとう」
「強い奴を見ると戦いたくなる。そいつが美人だったら余計に闘志が高まる。あたしより美人で強い奴は生かしちゃおけない」
 ホノカが牢屋から出したのは戦うのが目的だったようだ。
「私よりホノカさんの方がダンゼン美人です」
「うれしい・・・それじゃあ、あたしには本当のことを言ってよ」
「話した後で殺されるんじゃないですか」
「ここに来るヤツはたいていヤバいことして逃げてきたんだ。ソフィーちゃん、あんたもワケアリだよね」
 ソフィーは強引に引き寄せられた。ホノカはナツキの首筋に鼻をくっつけてクンクン匂いを嗅いでいる。今にも舐められそうなくらいに接近した。
「ああ・・・いい匂い」
「あひっ、ああん、ダメ・・・」
「こんな美人を監獄に入れたら、かわいそうじゃん。今夜はどこかに隠してあげるわ」
「監獄でなければ、どこでもいいです。でも、私がいないと司令官が騒ぎだすのではないですか」
「代わりに城砦監督のロッティーでもぶち込んでおくわ」
「監督さん? 偉い人じゃないんですか」
「いいのよ、あいつは以前、土牢に閉じ込めてやったことがある」
 確かにここはワケアリが集まるところらしい。
 ホノカが間近に寄ってきて、ソフィーの二の腕や肩を撫でた
「・・・いやん、もう」
「こんなきれいな肌なんて見たことない。白くてスベスベしちゃって」
 ホノカがソフィーのブラジャーに関心をみせた。
「この、胸を覆っているヤツはなんなの」
 初めて見るかのように興味津々だ。
「これはブラジャーって言うの。おっぱいの形を良く見せるためよ」
 ホノカが両手で胸の辺りを隠した。
「おっぱいは・・・あんたの勝ちだ、悔しい」
 その仕草を見て、ソフィーはホロリとしてしまった。レースクイーンの仲間同士でも更衣室で、どっちが胸があるとかないとか、しょっちゅうふざけ合っていた。それを思い出してしまったのだ。
「ごめん、気に障った?」
「違うの、違うって、ホノカさん、私・・・助けて」
 ソフィーはホノカの胸に取りすがって泣いた。
 ここはワープするはずだったバロムナントカではなくカッセルという場所である。
 とにかくフェルを探し出そう。
 それには・・・味方をしてくれそうなホノカや王女様の力を借りるしかない。

シュロスの異邦人ー2

 バロンギア帝国シュロスの城砦では・・・フェルが「ナナミ」という名前の女性を探していると言ったここで状況が一変していた。

 フェルは取り調べに当たったミユウに連れられて牢獄の外に出された。「ナナミという名前を手掛かりに女性を探しに来た」と言ったところ、シュロスの城砦の幹部に会うことになったのだ。
 兵舎に入り、廊下で立ち止まった。ミユウが重厚そうな扉を開けて一人で部屋に入った。
 待っている間、窓の外を眺めた。兵舎はコの字の形になっており、フェルがいるのは中央の部分だった。木造二階建ての兵舎は一階の壁だけがレンガ造りになっている。建物に挟まれて広場があった。荷車が止まり、二人がかりで木箱を次々に降ろして兵舎の中に運び入れているのが見えた。人夫の格好はフリューゲルスの絵画に出てくるような服である。ゆったりとしたチュニック、ズボンは短く、膝から下はゲートルを巻いている。指示を出している親方らしい男は長めのコートも着ていた。荷運びの親方はハリウッド映画から飛び出してきたように見えた。
 とうとう来てしまった。ここは1400年代半ばのドイツ、正しく言えば神聖ローマ帝国の世界だ。決して映画のセットではない。
 遠くに目をやると高い塔が立っていた。この城砦の中心施設、キープ塔だろう。
「あれは・・・」
 どことなく見覚えがあった。あの発掘場所で見たキープ塔に似ている。遺跡となる前の建物を見ているのかと思うと不思議な気持ちになった。スマートフォンで写真を撮ろうとして思いとどまった。フェルの背後では取調べに同席したササラが見張っている。見慣れぬ機械を取り出したら、それこそスパイと疑われ監獄に逆戻りだ。もっとも、この時代の人にはスマートフォンが何だか分からないだろうが。スマホは手元にあったが、背負ってきたはずのリュックサックがなかった。パソコンやソーラー発電装置は無事だろうか。取り調べの最中、荷物が見当たらないことは話してあった。
 ほどなくミユウが現れて中に入るように言った。
 通されたのはフェルの研究室と同じくらいの部屋だった。最初に目に飛び込んできたのは壁に掛かった鹿のツノの剥製だった。その隣には盾や槍などの武器も掛かっていている。床は板敷きで、テーブルも椅子も古びて年代物だ。天井のシャンデリアはローソクを使う様式になっているようだ。
 窓際に、到着した日にフェルを取り調べた部隊長のミキがいた。
「フェル、さっきの話をもう一度してください。そう、ここに、ある人を探しに来たというところからでいいわ」
 フェルはミユウに促されて、CZ46が自分の身体を取り戻すためにナナミという女性を探したいというので、ワープして来たことを話した。
「どう思いますか、部隊長殿」
「ナナミさんか・・・不思議な巡り合わせだ」
 それからミキがカッセル守備隊との戦い、とくに司令官ナナミに関することを話した。

 三か月ほど前のことだった。
 シュロスの城砦を守る月光軍団は、隣国のルーラント公国のカッセル守備隊と一戦を交えた。戦闘は月光軍団が優勢で、カッセル守備隊を追い詰めたのだが最後には逆襲されて敗北した。守備隊を指揮していたのがナナミだった。ミキは戦闘中にナナミの左足の内部が「からくり時計」のように歯車仕掛けになっているのを目撃した。
 後日、再び戦場で相まみえることになったのだが・・・
 そこで、ナナミは命を落としたのだった。その経緯はやや複雑で、バロンギア帝国の同胞であるローズ騎士団が、ルーラント公国カッセル守備隊の司令官ナナミを殺害したのだった。これだけなら、戦争で敵国の将校を倒したことになるのだが、話はそう簡単ではなかった。
「私たちは騎士団とは対立していて、むしろカッセル守備隊と協力関係にあったのです。敵国なのに変だと思うでしょうね」
 フェルは軽く頷いた。戦争で敵と和睦したり、その反対に味方が寝返るのはよくある話だ。
「ナナミさんは戦いの最中、私の上官を庇って負傷し騎士団に殺されたのです。そして、その身体の一部がからくり時計みたいだったことが判明したのでした」
 そこで、ミユウが話を引き継いだ。
「身体の一部というのは右手と左足でした」
 右手と左足、それはCZ46の身体から失われた部分と一致している。
「左足には「蓋」が取り付けられていて、その中には歯車や細い金属質のヒモが出ていました」
 歯車や金属のヒモと聞いてフェルは間違いないと確信した。ヒモとはコードのことであろう。
「そうですか・・・ナナミさんは亡くなっていたんですね」
 ワープに成功したものの、CZ46の部品を移植されたナナミという女性はすでに死んでいたのだった。
 ここへ来るのが遅かった。
「あの時・・・私は、ナナミさんのすぐ傍にいたんです。こんなことなら、助けるべきだった、もっと必死でナナミさんを・・・」
「ミユウちゃん、自分を責めてはいけない。あの状況で、ナナミさんを助けていたなら、その場にいた多くの人が殺し合わなければならなかったと思う。それも、無益な殺し合いをしただろう」
 ミキは落ち着いた静かな口調で語った。
「あれは戦いでも何でもなかった・・・殺人だ」
 フェルにはその戦いの経緯や構図が詳しくは分からないが、敵味方が入り乱れるという、込み入った事情があったのだろう。この時代は現代と違って戦いの繰り返しだった。この人たちはその修羅場を生き抜いているのだ。
 戦火に散ったナナミさんが憐れでならない。
「副隊長のユウコに会ってください。亡くなったナナミさんと親しくしていました・・・お探しの右手を大切に持っているんです」

 ユウコは布くるんだ包みを大事そうに机の上に置いた。ユウコが布を広げると右手が現れた。手首のやや下の部分から指先までだった。
「事情はミキから聞きました。どうぞ、ご覧ください、フェルナンドさん」
 感情が抑えられずユウコの声が震えていた。
 フェルは手を合わせて軽く頭を下げた。フェルにとっては研究材料の資料に過ぎないが、ユウコにとっては大切な人の形見だ。おいそれと手を触れてはいけない神聖な物に思えた。
 身体に繋がっていた手首の付け根部分からは細いコードが出ている。おそらく動力装置があったのだろう、小さなコンデンサーも取り付けられていた。一見したところでは、フェルの時代にはもう使われなくなっている旧式の物のようである。取れかかった人差し指の中を覗くと、そこは空洞だった。指先を動かすためにはコイルやバネが必要だが、幾つかの部品は取れてしまっていた。それが、何かの拍子にレンガに食い込んだのだろうか。
「フェルが見たのもこういう物だったの?」
「ええ、僕が調べているレンガに挟まっていた物とよく似ています」
 あらかじめ、失礼がないようにと言っておいたのだが、フェルは大事そうにナナミの手首を見てくれた。もし、ひょいと摘まんだりしたら、ユウコはさぞや気を悪くしただろう。そんなことにならなくて良かったとミユウは安堵した。そうして、フェルという男性に好意を抱いた。
「もう少し早ければ・・・残念でした」
 数百年の時間を経て、この部品か、あるいは失われた部品がフェルの調べているレンガに食い込んだのだ。それには何かの理由、たとえば、激しい爆発などがあったと思われる。それはつまり、この手首や指が保管されていた建物が攻撃を受けたことを意味する。
 決めつけるのは早いかもしれないが、いずれ、シュロスの城砦は落城するのだ。
「これも、何かの巡り合わせですね。フェルナンドさん、あなたがこの時代、このシュロスの城砦に来たのは偶然ではないでしょう。それが・・・運命だったのです」
 ユウコは深くため息をついた。ナナミと巡り合ったのも、愛し合ったのも運命だった。ナナミが命を失ったのも運命としか言いようがない。
 そして、500年先の未来から来たというこの男性が、シュロスにたどり着いたのも何かの定めだったのだろう。
『助けて』と指が、ナナミが叫んだ。
     
    〇 〇 〇

 また監獄に戻るのかと思ったが、ミユウはフェルのために部屋を用意するという。偵察員ではないことは判明したが自由の身にはしてもらえなかった。念のためこの兵舎に止まっているようにと言うのである。町を見物したいという希望をは叶わなかった。
 ミキやユウコの話では、足首の部分は隣国のルーラント公国、カッセルの城砦にあるという。カッセルまでは早馬で一日半はかかるそうだ。シュロスにとっては敵国にあたるからフェルが望んでも気軽に尋ねることはできそうにない。
 フェルのリュックサックは図書室の木箱から発見された。ササラが見つけて持ってきてくれた。パソコンなどの機材も無事だった。今夜はパソコンで調べものをしようと思った。とはいえ、電気がないこの時代ではパソコンを使うことはできない。明日の昼にはソーラー電池を充電することにした。
「私、ナナミさんを助けたことがあるんです」
 兵舎の廊下でミユウが言った。
「偵察のためにカッセルの城砦に潜入したとき、ちょうど守備隊が凱旋してきたところでした」
 ミユウはメイドになって兵舎の奥深く入り込むことに成功した。牢獄に食事を運ぶと、そこに司令官のナナミがいた。ナナミは前隊長を投獄したのだ。その囚人の一人がナナミに飛び掛かった・・・
「持っていたトレイを差し出してナナミさんを庇ったんです。ナナミさんが殺されればカッセル守備隊は混乱したはずなのに、私はナナミさんを助けました。変だと思うでしょう、守備隊は敵なのですよ。そのあと、私は偵察員だということを見破られて、ナナミさんに捕まってしまったんです」
 ナナミに連れて行かれた部屋で、捕虜になっていたユウコに引き合わされた。それからナナミはミユウに対しメイドを解雇すると言った。
「おかげでカッセルを抜け出してシュロスへ来ることができたんです。今度は私が助けられました。ところが、こちらでは、王宮から来ていたローズ騎士団がシュロスの城砦を制圧していて・・・今思い出しても辛かった」
 そう言ってミユウは拳を強く握りしめた。
「再び、カッセル守備隊と戦争になって、ナナミさんは騎士団のローラに惨殺されてしまったのです。私の目の前でした。ナナミさんは、自爆攻撃させられたユウコさんを助けに来たんです、危険を承知で・・・」
 ミユウがため息をついた。
「500年先から来た僕には、ミユウさんたちの苦労は分からないところがあります。それでも、今の話はジーンとしました」
 ナナミさんが亡くなった様子を聞いてフェルは胸が痛む思いがした。
「フェルの時代は、戦争はしてないんですか」
 ミユウが尋ねた。
「僕が生まれてからは、国と国の大きな戦争は起きていません。70年ほど前が最後でした。ですが、小さな紛争や衝突などは後を絶たないのが現実です」

「そうだ、ミキさんがソフィーさんの捜索の指揮を執っています。見つかるといいのですね」
「もしかしたら、ソフィーさんはどこかの宮殿に着いたかもしれない」
「宮殿ですか、どうして? 」
「僕はレンガの研究がしたくてそれを強く意識したので、シュロスへたどり着いたのだと思うんです。その点、ソフィーさんは、女王様が活躍するゲームしていたり、王子様に会いたいとか言っていたのでね。バロンギア帝国の宮殿に着いたかもしれない」
「それなら、バロンギア帝国ではなくてカッセルの城砦ですよ。そこには、ルーラント公国の王女様がいます・・・ああ、でも、ヤバいかも」
「ヤバいとは、恐ろしい王女様なんですか」
「キャハッ、違うよ。たぶん、奴隷にされてる。うん、絶対、奴隷だな」
「それは困るじゃありませんか。早く救出に行かないと」
 フェルはソフィーを心配して言っているのだが、ミユウはケラケラと笑った。
「大丈夫ですよ、一番好きなのがギロチンと監獄ごっこでしたから。奴隷にするのは、王女様にとっては、ごっこ遊びじゃなくてマジなんだって、フェル、私、そう言わなかったっけ」
 そういえば、シュロスへ着いたその夜、カッセルにいる王女様の話が出たかもしれない。ソフィーはカッセルに到着した可能性がある。ミユウは笑っているけれど、ソフィーが奴隷にされていやしないかと心配だった。 

 東部州都軍務部のスミレがシュロスの城砦に到着したのはその日の夕方だった。ユウコやリサに挨拶をすませ、ミキの部屋を尋ねた。そこにはミユウとササラ、それに見知らぬ男がいた。ミユウは、その男性はフェルナンド・キースといい、わけあって未来の世界から来たお客様だと言った。
「そこでね、一緒に来た仲間を探すため、ミキさんがカッセルの城砦に行ってくれることになったんです」
「なにやら込み入った状況ですが、ひとっ走り行ってきます。王女様にも先日のお礼が言いたいし」
「それはご苦労様です。ところで、ミユウはお役に立っていますか。ちょっと心配なので様子を見に来たんです」
「それはもう・・・何でも引き受けてくれますよ、ミユウちゃんは」
「そうか、それなら安心した」
「いえ、そこは、押し付けてると言った方が正しいかと思うんですが」
 ミユウが訂正した。
「すまん、ミユウを押し付けたのは、こっちだった」
 スミレが笑いながら謝った。
「もしかして、スミレさん、私を迎えに来てくれたとか。やっぱり、州都に私がいないと困るでしょう」
「困らない」
「そんな、私の代わりは誰にも務まりませんって」
「いるんだよ。ミユウの代わりが」
 州都軍務部のスミレが部屋の外に声を掛けると、入ってきたのはローズ騎士団文官のアヤだった。
「アヤさんは騎士団を退職して州都の軍に志願してきた。一兵卒から出直す覚悟だというので採用したわけさ。さすがは王宮に勤務していただけあって即戦力だ。ユウコさんにも謝罪したいというので連れてきた」
「それは良かった、ミユウちゃんの代わりが見つかったんですね」
「良くないです、まさか、私は・・・ここに、ずっと、シュロスに・・・こんな展開になるとは」
「ところで・・・この男は」
 と、スミレがフェルナンド・キースを振り返った。
「大丈夫です、スパイではありません。むしろ役に立っているくらいです。この人のおかげで謎が解けてきました」
「謎ですか」
「ええ、ナナミさんの身体に関することです」
 ミキはナナミの身体に歯車が組み込まれていた一件やCZ46のことを話した。
「ううむ、初めて聞いたので、今一つよくわからない・・・」
「取り調べに当たっているのはミユウちゃんです。詳しいことは訊いてください」
「それも押し付けられたんです」
 そう言いながら、ミユウはまんざらでもない表情だ。
「ミキさんが言うのなら任せておきます。この男性に聞かれると困ると思ったのだが、その心配はなそうだ」
 それから州都のスミレは、
「実はここへ来たのは」
 と言った。
 ミキ、ミユウたちが緊張した面持ちでスミレの言葉を待った。
「数日前に情報が入ったばかりなのだが、北方のグリア共和国が南下してきた。また戦いになる」

   〇 〇 〇

「ソフィーちゃんを助けてあげよう」
 カッセル守備隊の隊員を前にホノカが声を張り上げた。
「未来からやってきたっていう説明を信じることにした。カッセルの城砦に来たからには、あたしたちの仲間だ。ソフィーちゃんが困っているんなら助けてやろう、それが仲間だろう」
 アリスやロッティー、三姉妹、マリア王女様もホノカの話にそうだとばかりに頷いている。司令官のフレアは仕方なさそうに頬杖をついた。
「どんなことでもいいから、話してよ、ソフィーちゃん。みんなで協力するから」
 ホノカに励まされソフィーはここに来た目的を話し始めた。フェルの研究しているレンガに金属の部品が挟まっていた。それを巡ってCZ46というロボット女が現れ、ある女性を探すために、遺跡の場所から500年も昔の時代に空間移動してきた。しかし、途中で一緒に来たフェルとははぐれてしまった・・・
「本当はバロムナントカという町に行くはずだったんです、でも、私が到着したここはカッセルでした。この近くにバロムと名の付く城砦はありませんか」
「そうねえ・・・バロムか・・・待って」
 副隊長のカエデが閃いた。
「バロムナントカではないけど、隣国はバロンギア帝国というのよ。ここから一番近いのはシュロスの城砦だわ」
「シュロス! そうそう、フェルが言っていたわ」
 ソフィーはフェルからシュロスという名を聞いていたのを思い出した。
「遺跡の発掘の場所にあったのはシュロスの城砦だって。今ではバロムシュタットという町になってるけど」
「バロムに・・・シュロスの城砦ねえ」
「確かにバロムシュタットに似てる」
 ホノカのおかげでフェルの居場所の手掛かりが見つかりそうになってきた。
「シュロスという町は遠いんですか、フェルはそこにいるかもしれないんです」
「馬を飛ばせば一日半で行ける。馬車なら二日かな」
「敵国だけど、安心して、今のところは友好的よ」
 副隊長のカエデが友好的だと言ったのでソフィーはホッとした。
 シュロスの城砦か・・・
 城砦監督のロッティーはソフィーが口にした「遺跡」とか「発掘」という言葉に何か引っ掛かるものを感じていた。シュロスの城砦が「遺跡」とは、どういうことだろうか。だが、その疑問がはっきりしないうちに、事態は予想もしない方向へ進んでしまうことになる。
「それから、もう一人、女性を探しているんでしょう」
 と、カエデが訊いた。
「女性ということだけでは分からないわ。どんな人なのか、せめて名前だけでも分れば、それを手掛かりに探してあげられるんだけど」
 アリスも捜索の協力を申し出た。
「顔は知らないけど名前は知ってる、探しているのは、ナナミさんです」
「「「ナナミさん」」」
 ソフィーがナナミと言ったとたん、そこにいた全員が一斉に叫んだ。あまりの反響の大きさにソフィーの方がびっくりした。何か言ってはならぬことを口にしてしまったのだ。
「あんた、ナナミさんって言ったよね」
「どうなってんの、いったい」
 ホノカが迫ってきた。殴られそうな気配だ。
「ナナミさんです。ナナミさんという名前の女性を探しに来て、他に特徴といえば、身体の一部分が時計の歯車みたいになっているらしくて・・・」
「ナナミ、身体が歯車・・・ちょっと待って。その前にこっちの話を整理しよう」
 カッセル守備隊の隊員は隊長のアリスを中心にして輪になった。小声で何やらブツブツ話し合っている。今度も司令官のフレアだけはその輪の中に加われていない。
 ソフィーはマズいことを言ったと思った。ナナミさんの名前を口に出したら、集まっていた人たちはガラリと態度が変わってしまった。ナナミさんはカッセル守備隊にとってあまり好ましくない存在だったらしい。不安になってきた。また監獄に逆戻りになるとか、それとも死刑とかいう相談をしているのではないだろうか。親切に話を聞いてくれたのに、うっかり余計なことを言って失敗だった。
 しばらくして話し合いの輪が解け、隊長のアリスがソフィーの隣に座った。
「ソフィーさん、あなたがカッセルの城砦に来たことは、おそらく何かの運命だと思うのよね」
「はい」
「いいですか、あなたが言ったナナミさんという人は」
 ソフィーは首をすくめた。
「カッセル守備隊の司令官だったのよ」
「はあ・・・」
 いっこうに状況が呑み込めないでいるソフィーにアリスが詳しく語った。
 アリスが率いているのはカッセル守備隊に新設された部隊だ。ナナミは正式な隊員ではなかったが、部隊に採用されて指揮官になった。間もなく戦闘が勃発し、守備隊は隣国のシュロス月光軍団を打ち破って大勝利をあげた。ナナミは司令官に昇格した。しかし、ナナミは再度の戦いにおいてバロンギア帝国、ローズ騎士団によって命を奪われたのだった・・・
 ソフィーにもだんだん事情が分かってきた。ナナミさんという人はカッセル守備隊の司令官を務めていたが、すでに戦争で亡くなっていたのだった。隊長の口ぶりはいかにも懐かしそうに聞こえる。他の隊員も一様にしんみりとしているところをみると、ナナミさんはこの場のみんなに好かれ、頼りにもされていたのだろう。ナナミさんの名前を出したのは失敗ではなかった。それどころか、ますます親近感を持ってくれたようだった。しかし、残念ながらフェルもソフィーも、CZ46もこの世界に来るのが遅かったのだ。
「そういえば、ナナミさんは突然現れたのだったわ、ソフィーさんみたいに地下の監獄に倒れていた」
 ロッティーが地下牢でナナミを発見したことを話した。ナナミはどこからともなく現れ、地下牢で発見されたのだった。ソフィーが現れた状況もよく似ている。ナナミを見つけたのは他ならぬロッティーであった。
 ロッティーはナナミの名前が出たことに驚いて、さきほどから抱いていた「遺跡」の疑問は遥か彼方へ飛んでいた。遺跡よりもナナミの秘密が明らかになりそうなことの方が気に掛かる。
「ソフィーさんが言ったように、ナナミさんの身体の一部はからくり時計のような仕掛けになっていたわ」
 アリスが机の引き出しから布にくるんだ物を取り出した。丸みを帯びたこんもりとした輪郭だ。アリスは机に置くときに大事そうに慎重に扱った。
「これが、ナナミさんの足首の部分よ」
 ソフィーはナナミの足首がくるんであるという包みに手を合わせた。だが、足首を見るのは少し躊躇った。レンガに突き刺さっていたのは小さな破片だったが、どうやら目の前にあるのは部品ではなく、切り取られた死体の一部らしい。ミイラのように干からびているのではないか。
「お気の毒です・・・」
 恐る恐る布の端をめくった。足首のやや上の部分のようだ。腐敗してはおらず、マネキン人形のように見えたのでホッとした。脛に当たる部分は蓋が付いていた。開いたところから金属のコードや、銀色の小さな部品が規則的に並んでいる。
「私が見た物もこういう感じです。でも、これを専門に研究しているのはフェルという人なんです。お願いです、フェルを探してください」
 相談の結果、リーナがシュロスの城砦にフェルを探しに行くと決まった。
 ところが、夜明けとともに出発したリーナは昼頃に戻ってきた。シュロスから来たミキと遭遇したのだ。

 ミキはアリスに挨拶を済ませると、さっそく本題にかかった。すでにリーナからひと通り話を聞いていたのでフェルの仲間だというソフィーと面会した。
 ソフィーは、フェルがシュロスにいるという話を聞いて飛び上がって喜んだ。やはり予定通りバロムシュタットに到着したのだった。すぐにも会いたいと言うと、翌日、出発することになった。ソフィーは馬に乗れないので馬車で行く。馬車では二日かかるので一晩は馬車の荷台か、もしくは野宿をするということだ。
 使者としての用件をすませるとミキは王女様に挨拶がしたいと申し出た。カッセルの城砦に来てマリア王女様に会わないのでは礼を失する。
 ところが・・・
「実は、あの王女様は皇位継承権を剥奪されて辺境に追放されたのでした」
「追放か・・・それでも王女様に変わりはないんでしょう」
「住民の前では一応、王女ということにしてあるけど、メイドをやってもらっている。働いて稼がないとお金がないらしい。その辺の経緯は、新しく赴任した司令官が全部バラした」
「いろいろワケアリばっかり集まってくるんだね、カッセルは」
「ダメ王女だと分って、こっちも当てが外れたわ。うまく取り入っておけば、いつかは都に帰れると思ったのだけど」
「それなら、ロムスタン城砦を攻略して、王女様をそこに住まわせるのはどうだろう。王宮にも睨みが利くし」
「それは考えていたけど・・・ミキさん、何か戦略がありそうですね」
「北方のグリア共和国が南下してきているという情報が入った。ロムスタン城砦を押さえておいてもらえないか」

シュロスの異邦人ー3

 翌日、フェルはシュロスの城砦を見て回った。
 案内役はミユウとササラだ。州都から派遣されているミユウは滞在が長びいてシュロスの城砦にも詳しくなっていた。
 怪しい人物でないことは分かってもらえたが、それでもフェルは一人で歩くことは許されなかった。ミユウ、あるいはササラやミカが同行することが条件だった。それとなく見張られているのだ。しかも、今朝は城砦に届いた荷物運びをさせられた。お客様どころか労働力を期待されているのだった。さすがに寝る場所は暗くて寒々しい監獄ではなく、図書室の隣の部屋を宛がってくれた。

 ミユウとササラの案内で城砦を見学した。
 これまでも研究や発掘で各地の城砦を見慣れているフェルだが、実際の城砦では驚くことばかりだった。
 カルカソンヌ、ドブロブニクなど現存する城砦は、外壁を含めほとんどの建物が当時のまま残されている。そこには人が生活している所もあれば、観光施設になっている城もある。しかし、このシュロスの城砦はそれらのいずれとも異なっていた。城砦としての規模は小さいし、見栄えも決して良いとは言えない。だが、確かなことは、ここには人が生きて暮らして、そして現役の城砦の役割を果たしていることだった。紛れもなく防御と攻撃のための軍事施設である。
 シュロスの城砦に入るには、堀に架けられた跳ね橋を渡り、城門を潜り抜ける。城門は馬車がギリギリ通れる程度で、人が三人並んで歩けるくらいの幅しかない。狭いのは敵の侵入を防ぐためだ。
「フェル、そんなに珍しいの、城門が」
 行ったり来たり、これで三回目だ。フェルが城門を何度も行き来するのを見てミユウが笑った。
「これまでにもいろいろな城砦で見てきましたけど、やっぱり本物は凄いですね」
 城壁は部分的に二重の壁が建てられていた。
 城門は単独で建てられているのではなく塔の中に組み込まれている。門の壁の石積みはくすんだ灰色の石で頑丈そうに組み上がっていた。ここが敵の侵入を防ぐ最初にして最も重要な場所だ。ところどころモルタルが新しくなっているのは補修された形跡だろう。これが現代に残されている城砦なら「当時の様子が分かる」ということになるのだろうが、そんな悠長なことは言っていられない。シュロスの町を守るための必死の修繕作業なのだ。
 門扉は滑車巻き上げ式で、日中は通行できるが日没とともに閉められるそうだ。重そうな板戸が鉄鋲で補強されていた。
「城門の扉、分厚い材質だ」
「ここを破られたら占領されちゃうからね。絶対に壊されないようにしないと・・・気を付けて、フェル、そこ、落とし穴」
 ミユウが足元を指差した。
 落とし穴は床板の一部が開いて侵入者を穴に落とす仕掛けだ。穴の中には槍の穂先のような尖った武器が牙をむいている。落ちたら即死は免れない。
「今は大丈夫だよね」
 とはいえ、落とし穴には落ちたくないのでフェルは上を見上げた。
「跳ね橋を渡って、次が落とし穴、そして落とし扉まで用意してあるみたいだ」
 落とし穴の上部の天井には前後を仕切る落とし扉が備えてあった。敵が落とし穴を逃れてもこの扉を落下させて侵入者を閉じ込める仕組みだ。
「さすがは研究者、よく知ってるわ」
「本や写真で見ているからね。それに現在残っている城砦には案内板が立っていて、何の施設か説明が書いてある」
「写真って・・・何のこと」
「そうか、ミユウちゃんの時代の人はまだ写真を知らないんだ。写真と言うのは目の前の風景や人物を写し取る装置です。今で言えば、精密な絵画、あるいは挿絵のようなものだと思ってください」
 500年以上も前の世界に写真などあるわけがない。思わず写真という言葉を使ってしまったので、絵画、挿絵と言い換えて説明した。もし、ポケットに入っているスマートフォンの写真を見せたら、どんなに驚くだろう。しかし、この時代の人にスマートフォンや写真そのものを見せていいものかどうか悩むところだ。
「挿絵なら知ってる」
 図書係をしているササラが言った。
「木の板に彫って印刷するもので、板を使った木版や鋼に彫った版もあるわ」
 三人が城砦の扉をずっと見ているので事情を知らない門番に睨まれた。門をあとにして城壁に上がってみることにした。その途中、塔の前では壁の修復工事がおこなわれていた。木で作った足場が組まれ、石工職人が切り出した石の角を鑿で削って調節している。傍らには崩れた壁に使われていたと思われるレンガや石が転がっていた。
「面白い?」
 ミユウが訊いてきた。
「城壁の修復の作業を見ることができて感激です。このレンガは・・・」
 フェルは足元のレンガに興味を持った。崩れた壁はかなり古いようでボロボロに腐食している部分もある。壁に使われていたレンガはおそらくこの時代の物ではないだろう。
「かなり古い物ですね、ローマ時代かもしれない」
「ローマ時代?」
「つまり、それは、この時代から遡ること数百年前で・・・」
「待って、聞いてくる」
 ササラが石切職人のところへ行き、なにやら話していたがすぐに戻ってきた。
「ここはシュロスの城砦の中で一番古い壁なんだって。もともと低い壁だけがあって、それをそのまま利用して高くしたらしいよ。フェルさんが言ったローマ時代っていうのは知らないみたいだった」
「なるほど、その昔に蛮族を防ぐために低い壁が造られたのでしょうね。ということは、ここシュロスは歴史と由緒がある城砦なんだ」
「何でも知ってるねフェルは。感心しちゃう」
 工事現場の脇を通って城壁に向かった。
「みなさんは州都に住んでいるということでしたね。そこはもっと開けた町ですか」
「州都だからね、人がいっぱい住んでいて町も賑やかよ。お店もあって肉とか野菜を売ってる。服の生地も買えるし、お店といったら、鍛冶屋とか酒場、本屋、コーヒー店、郵便屋。そんなとこかな」
 ミユウが州都の様子を楽しそうに語った。
「州都の町を取り囲んで高い壁があったんだけど、ちょっと前から低くする工事が始まった。出っ張った場所を作ったんだ・・・ええと」
「バスティアンですか」
「それよ。フェル、物知り」
 バスティアンとは城壁の一部を低くして張り出した部分で、おもに大砲を撃つために設置されたものである。これ以前は壁を高くして敵襲に備えていたが、高い壁は城砦内から大砲を撃つには不向きなので、だんだんと低くなっていった。シュロスでは敵の攻撃を防ぐには、まだ高い壁が必要なのだろう。
「それじゃあ、塔に上ろう」
 塔の入り口は狭く二人並んで入ることはできない。ミユウが先頭になって螺旋階段を上った。螺旋階段は時計回りに作られている。これは防御側が剣を振るいやすくするためだ。下から攻め上る攻撃側は右側にある支柱に剣が当たって邪魔になる。上がるに従って窓が小さくなり昼でも暗い、足元を確かめながら一段ずつゆっくり進んでいった。観光地化している城砦には螺旋階段に手すりがついているところもあるが、もちろん、ここは手すりは取り付けられていない。フェルは帰りが心配になってきた。
 三階分くらい上って塔の上に出た。
「はあ、やっと着いた」
 壁の内側の部分は歩廊といって、歩くためのスペースになっている。壁は同じ高さではなく高い所とやや低い所が交互に続いている。高い部分は凸壁、低い場所はクレノーとか狭間(さま)と呼ばれている。狭間は弓を放つために作られたものだ。城壁の外側にはフェンスはなく、しかも、歩廊の内側には壁も柵もなかった。切り立った塀の上である。フェルは落ちないように外側の壁に摑まりながらゆっくり歩いた。見かねたミユウが手を差し伸べてくれた。
「ここ眺めいいよ」
 先を歩いていたササラが遠くを指差した。そこには城砦の外の景色が広がっていた。荒涼とした大地が、そして遥か遠くの山も見える。城壁に近い所には畑が広がっていって青々とした作物が植えられていた。
「土地が荒れていたのを開墾して牛を飼っていたり、畑とか果樹園もあるんだ。ほら、あれは麦畑」
「明日も朝から仕事よ、荷物運びや畑仕事もあるからね」
「フェルさん、あまり慣れてない」
「学者さんで、いろいろ調べている仕事だからかな」
 眺めはいいし、普通だったら記念写真を撮るところだ。ミユウたちにはスマートフォンやパソコンは見せていなかった。この時代の人に現代の機器を見せてもいいのだろうかと自重していたのだが・・・
 フェルはポケットの中をさぐって、
「写真を撮ろう。君たちを写すよ」
 と言った。
「いいけど・・・どこでするの。木の板に彫るんでしょう」
「ここで撮ります」
 フェルはポケットからスマートフォンを取り出した。
「うわっ、何それ」
 二人がのけ反った。
「これ、スマートフォンというんだ」
「武器かと思った、新型の武器かと」
「驚かせてごめん、武器じゃないから安心して」 
 500年前の人にはスマートフォンが武器のように見えたのだった。無理もない、フェルの時代ですら、ほんの二十年くらい前までは、携帯電話やスマートフォンを持っている人は少なかったのだから。
「これは電話といって、遠くの人と会話をするのが本来の役目なんだ。それがメールという手紙をやり取りしたり、カメラになったり、映画を見たり、音楽も聞いたりすることができる便利な器械だ」
「遠くの人と話せるんですか、それじゃあ、兵舎にいるミキさんとも話せるの?」
 ミユウとササラはスマートフォンを上から見たり、ひっくり返して裏を覗いている。
「相手の人が同じものを持っていないと話はできません。それに、ここには電気や通信のアンテナがないから、今のところ電話は無理だね」
「なーんだ」
 便利なスマートフォンも、この世界では薄くて平たい金属の箱に過ぎない。
「でも、写真ならオッケーだよ」
「これ、フェルの時代にはみんな持っているんですか」
「普及率は99パーセントくらいかな。現代人にはなくてはならない必需品だね」
 写真を撮ろうとしてフェルは考えた。いきなりカメラを向けたら驚いて城壁から落ちてしまわないとも限らない。
「じゃあ、そこの壁の前に立ってください。立っているだけでいいですよ」
 フェルはミユウとササラに凸壁を背にして立ってくれと頼んだ。壁の前に立った二人は表情が固く緊張している様子だった。現代ならピースサインかハートマークを出すのが普通だ。
 スマートフォンのカメラを向けた。
「それじゃ、撮るからね」
 カシャ
「撮った」
「あれ、もう終わり?」
「なんだ、あっけない。何にもしてないじゃん」
 フェルは画像を確認した。青い空をバックにして城壁に立つミユウとササラが写っている。表情は固いが、それでも、ほほ笑んでいる感じが出ていた。
「それじゃあ、見せるよ・・・ところで、二人はこれまでに自分の姿を見たことある?」
 この時代、鏡は製造されていたが、おそらく王女様か貴族かでもないと持っていなかっただろう。突然、自分の姿を見てしまったら、驚きを通り越してショックを受けるかもしれない。
「あるよ、私は変装したときに、ガラスに映ったのを見た。それから、鏡も見たことある」
 それなら大丈夫だろう、フェルは画面を見せた。
「はい、これが、いま写した写真」
「ドヒャー・・・あわわわ」
「何なんですか、これは、これは」
 二人がスマートフォンの画面を見て驚いている。
「ミユウちゃんとササラさんだよ、後ろの城壁もそのまま写ってるでしょ」
 ササラが壁を振り返って見比べた。
「何なんですか、これは。まさかとは思うけど、これが私・・・って、これが、私か」
 500年前の人が、解像度の高い鮮明な写真を、それも自分の姿を見たのだから驚くのも無理はない。乾板写真もフィルムも飛び越えて、いきなりの高画質では現代人だって驚くだろう。
「この、この、写っている、この人間は」
「信じられない・・・こんな、私がこんな・・・」
 二人はスマートフォンの画面とお互いの顔を見合った。
「「こんなに、可愛いなんて」」
 驚いたのはそっちか、フェルは安心した。スマホの写真を見て自分の姿が可愛いので、びっくり、いや、むしろ、喜んでいるのだった。いつの時代も若い女の子の興味は変わらないのであった。それから、この写真は永久に保存されていること、プリントアウト、つまり印刷もできるのだが、ここでは電気がないのでそれは不可能だと説明した。フェルの話はそっちのけで、二人はスマートフォンを食い入るように見つめている。
「こんな狭い所に入ってしまうなんて、でも、本人はここにいるんじゃん」
「どっちかがニセモノなんだ」
「ああ、このままじゃ、お菓子が食べれない。ここから出してください、フェル」
「なるほど、そう思うのも無理はありません。写真を撮った後でも、みなさんは自由にどこでも行けますから安心してください」
「言われてみれば、そうだわ」
「それに閉じ込めておくというよりは、いつでも見られるように大切に保存しておくんです」
「じゃあ、私はフェルといつも一緒にいるというわけね・・・だったら、もっといい服を着るんだった」
 写真の件は一件落着した。

 再び城壁の上、歩廊を進んだ。壁の内側は町の風景が見て取れる。半円形の広場があるが商店はなさそうだ。ミユウに尋ねると商店は住居地区に多いという。ここは入り口に近いので屋台しか出せないとのことだった。フェルは広場の写真を数枚写しておいた。
 城壁の端まで歩いてきた。そこには一際、高い塔が立っている。城壁の外に対して威厳を誇っているかのようだ。侵入者を威圧する意味もあるのだろう。
「ううっ、あれは・・・」
 フェルは足を止めた。一段低い狭間に頭蓋骨が置かれていたのだ。
「もしかして、あれは、人の頭の骨ではありませんか」
「そうです。この間の戦いで討ち取った・・・敵の団長よ。首だけ切り落として置いておいたわけ」
「そ、それが白骨化したということですか」
「二か月くらい前だったかな。鳥が突っついてたから骸骨になったみたい」
 可愛い顔をして、何と恐ろしいことを言うのだろうか。フェルは寒気がしてきた。
「怖いですか、骸骨」
「いえ、その、発掘現場で人骨が掘り出されることもあるんですが、生々しいというか、出来立ての骸骨は見たことがなかったもので・・・」
「前もって言っておけばよかったかしら」
「フェルさん、裏門にも置いてあるから、気を付けてくださいね」
「これで驚かないでしょ」
「裏にある骸骨はカッセル守備隊の捕虜です」
 シュロス月光軍団は女性兵士の軍隊だから、類推するにこの首は敵軍の女性兵士のものだろう。敵を倒して処刑し、首は戦利品として晒し物にする。高い塔に首を掛けて勝利の証拠として見せ付けようとしたのだ。あるいは魔除けの意味で鬼門に置いたのであろう。
 あらためてこの時代が戦いに明け暮れていたことを思い知らされた。
 その時はと、ミユウがローズ騎士団との経緯を話した。
 カッセル守備隊にはルーラント公国の王女様が参陣していた。王女様の機転で月光軍団は思いがけず勝利を手にした。その直前の戦いではミキが敵の王女様を逃がしてあげたことがあったそうだ。
 カッセル守備隊に王女様がいたことは以前にも聞かされていた。ルーラント公国はソフィーがワープした可能性がある場所だ。
「戦場に出てくるとは、さぞや勇ましい王女様なんでしょうね」
「ぷはぁ、それが、聞いてよ、ワガママでどっちかというとバカで、ゼンゼン弱くて逃げてばっかりだったのよ。月光軍団のミカちゃんが捕虜にしたんだけど、片手で捕まえたって自慢してた。その時は、まさか王女様とは知らなかったそうよ」
 マリーアントワネットやエリザベス一世のように歴史上、名を残した王妃や女王様もいたけれど、ほとんどの国王、女王様たちは政治は側近に任せてのうのうと暮らしていたのだろう。その点、さすがは辺境だけあって、ここには戦争に加わった王女様がいたのだ。

 城壁をあとにして螺旋階段を下った。ただでさえ、外の明るさに比べて塔の中は暗いうえに、フェルは髑髏の晒し首を見た恐怖で脚がすくんでしまった。
「どうしたの、怖い」
「いえ、その、暗いし、慣れていないから・・・」
 フェルがそう言うと、前を歩いていたミユウが手を取ってくれた。
「一段ずつ行くからね」
 ミユウの手をしっかりと握った。手をつないだまま何週か回って、ようやく一階にたどり着いた。
「着いたわ」
「ゼイ、ゼイ・・・すいません、助かりました。僕の時代には電気があって、建物の中は電球の照明で明るくなっているんです」
「電気とか、電球っていうのは何のことですか」
「電気というのはエネルギーのことです。たとえば、身近な物でいうと水車を回すために必要な力のようなものです」
「ふうん・・・イマイチ分からない」
 この時代の人には電気を理解してもらうのは難しかった。
「みなさんが知っている物だと・・・電気とはカミナリみたいな物です」
「それなら分かる、カミナリが落ちると、夜でも眩しいくらい光る」
「電気を発生させた発電所から、長い電線を引っ張ってきて、それぞれの家や街角を明るくする電球を灯します。電球で夜も明るくなります」
「城砦でも夜はオイルランプやロウソクを使います。攻防戦が始まった場合には松明を取り付ける。でも、夜は暗いのが当たり前」

 それから、ササラは図書の整理があると言って一足先に兵舎に戻った。フェルはミユウと二人だけになった。
 裏口から外へ出ると、そこには石造りの頑丈そうな建物があった。ミユウは武器庫なので中は見せられないと言った。外観だけでも案内してくれるのはそれなりに信用されてきた証拠だ。
「フェルの時代はどんな武器を使っているの」
「軍隊は小銃やマシンガンで武装しています。他には戦車や大砲、長距離まで届くミサイルなどがある。けれど、ほとんどの市民は武器は所持していません」
「つまり、戦わないってこと? 」
「数十年前までは国と国が戦う大きな戦争もありました。銃で撃つだけでなく大砲や爆弾を落として、兵隊はもちろん、市民もたくさん犠牲になった歴史があります。ヒロシマに落とされた原爆では何万人も死んだことがありました」
「そういうのは許せない。つい最近も、敵というか、まあ、敵みたいな相手だったけど、爆弾で一度に五、六人倒された。私も爆風で吹っ飛ばされてひっくり返ったんだ」
「それで、ミユウちゃんは怪我はしなかったのですか」
「気絶しただけ」
 ミユウが悔しそうに言った。
「私はどっちかというと、敵を探るのが使命です」
「ミユウちゃんは、偵察して、敵の情報を調べる役目なのですね」
「実際に戦場に出ると、敵の動きは把握しにくいし、結局はドカンとぶつかり合いで勝ち負けが決まってしまう」
 この時代は槍と盾で武装した歩兵同士の肉弾戦が主流だったのだ。
「州都の軍隊は小銃が配備されているけど、ここ辺境には、まだ届いていません」
「なるほど、おそらく大量生産できないんでしょう」
「グリア共和国では配備されて・・・」
 ミユウはそこで口をつぐんだ。お客様のフェルにはこれ以上は話せないというのだろう。
「部屋に戻りましょう」
 武器の話はそこまでにして図書室に向かった。フェルは図書室に隣接した部屋を居室として宛がわれている。
「ねえ、フェル、一つ訊いてもいい」
「ええ、どうぞ」
「さっきのスマートフォンみたいな道具を見ると、500年先は今とはすごく変わっている気がするの」
 ミユウの指摘はなかなか鋭い。
「フェルの時代は、こういう城砦とかは残っているんですか」
「それは・・・」
 ミユウが知りたいこと、それは、今の状態、今の生活が永久に続いているかどうかということだろう。フェルが未来から来たのであれば、知っているに違いないと思っているのだ。
 しかし、フェルが知っているのは、バロムシュタットが「遺跡」になったことである。
「この時代の石造りの建物は将来も壊れずに残っている物がたくさんあるんです。500年後にも住宅として使われていたりする。だけど、中には廃墟になったり、戦争で破壊された物もあります」
「やっぱりそうか」
「シュロスというか、バロムシュタットの町は僕の時代でも健在です。周囲はすっかり開発されていて、畑や牧場はありません。高いビル、つまり、十階建てのマンションとか・・・マンションとは高級住宅ですが」
「ふうん、王宮のことをマンションって言うこともあるわ。それじゃあ、あんまり変わっていないところもあるんだ」
「そうです、僕たちもこの世界と同じように、パンを食べたりコーヒーを飲んだりしています。肉、魚、野菜の料理方法だってそれほど大きくは変わりません」
「何だか少し安心した・・・やっぱり、明日も明後日も、というか、ずっとこのままだと思わないと、生きていけないものね。あと、今よりはちょっとだけ良くなってもらいたいけど」
「ミユウちゃん、その考えはすごく立派で正しいと思います。過去の人が、そうやって生きてきたので、僕らの時代までこの世界が引き継がれているのです」

 図書室ではササラが本の整理をしていた。
 本棚には革で装丁された本が並んでいる。その隣には簡単に閉じられただけの本や丸められた紙の束が積まれていた。
 机の上には新聞の束も置かれていた。さりげなく日付を見ると「1456年、3月」という文字が見えた。今年の新聞かどうかは確認できないが、これは重要な情報だ。3月にしては陽の光が温かいから、少し前の新聞かもしれない。
「二か月前の新聞ですよ。州都に届いて、その後でシュロスに送られてくるから、その分遅くなってしまうの」
「フェルの時代にも新聞はありますか」
「あります。新聞にはカラー印刷で写真が大きく載っています。昨日起きた事件でも翌日の新聞に出るし、世界中の記事が読めます」
「フェルの話しはとても勉強になる。私たちが知らないことをいっぱい教えてくれるし・・・もっといろいろ聞きたいな」
 ミユウは真顔で言った。
「いま、世界中って言ったわね。ここにはバロンギア帝国があり、隣はルーラント公国があるでしょ。ここ、シュロスの城砦を出てみると森があって、山があって、川が流れて、その先はどこまでもまっすぐで、見ることができない」
 ミユウは偵察を得意としていて隣国にも潜入した。そのミユウでさえ、知っているのは森と山と川があるというくらいだ。
「世界中って、もっともっと先の遠くのことかしら」
「本でしか読んだことないけど、海というものがあるらしいんですよね」
 ササラは州都に暮らしているが海を見たことがない。それでも恵まれている方で、辺境で生まれた者は城塞都市の外へ出ることすらままならないのだった。
 おそらく二人はこの大地がどこまでも平らなものだと思っているのだ。
 フェルは、どこまで教えたらいいのかと迷った。この時代の人が知る由もない事実、持っていない知識を与えることは慎重にしなければならない。王様や貴族などの権力者が最新の知識を得たならば、それを利用して人々を支配しようとするだろう。だが、辺境の女性兵士ならば、それほど影響力はないかもしれない。せめて、この世界が地球という星であり、大地が丸いことぐらいは教えても差し支えないだろうと思った。
「いいでしょう、その質問に答えますね」
 フェルは椅子に座り直した。ミユウとササラも椅子に座った。
「この地球、私たちが暮らしている地球は・・・」
 フェルがそう言うと、いきなりミユウが手を上げた。
「地球って、何ですか」
「この星を地球と呼んでいるのです」
「星って、空に光っている星でしょう」
「星は夜空にくっついていますけど、この国が空の星なんですか」
 これはなかなかやっかいなことになってきた。自分たちが普通に知っている知識、用語は一から説明していかなければならない。
 フェルは手帳を取り出し、ペンで丸を描いた。
「この世界、地球という星は、平坦ではなく球形、つまり丸い球のような形をしているんです。たぶん、みんなが住んでいるのは、ここではないかと・・・」
 大雑把に大陸を描いてヨーロッパの辺りを指し示した。二人はその描かれた点を覗き込んでしきりに頷いている。フェルは、地球は球形をしていること、月も太陽も、全ての星は球形であること、地球上で人が住んでいる大陸は全体の三割程度で、七割近くは海であることを話した。
「ありえない・・・丸い玉なら、上にいる人はいいけど、下の人は地面から落ちちゃうじゃないんですか」
「それは、重力があって、全ての物は地球の中心に向かって引っ張られているんです。だから落ちたりはしません」
 説明しても分からないだろうと、フェルは手帳を持った。
「手を放しますよ」
 フェルが手を放すと手帳は机の上に落ちた。
「落ちるのは当たり前」
「これが重力です。私たちの身体はこれによって地面に引っ張られて、くっついているわけです」
「なるほど、凄い発明だわ」
「州都へ帰れずにシュロスに引っ張られていたのは、重力だったのか」
 ミユウが言うのは少し方向は違うが、さすがに理解は早いようだ。
 フェルは紙の中心に丸印を描き、これを太陽だと思ってもらいたいと言った。
「太陽を取り巻くように幾つかの惑星、地球と同じような星があります。地球も含めて、これらの惑星は太陽の周囲を回っています・・・その星の上に乗っている私たちも一緒に動いているわけでして」
「この町が動くなんて、ありえないですよ。太陽は山から上がって、夕方には向こうの山へ沈んでいくんだもの」
「そうだよ、ミユウちゃんが言う通り、動いているのは太陽だよ」
「確かにそう見えるんですが、実は地球の方が動いているのです」
「どうりで目が回ると思った」
「今から数十年先に地動説、すなわち地球が動いているという研究をしたコペルニクスという学者が現れます。ですが、その説が認められるには、それから百年くらいかかりました」
「ペコちゃんも大変なんだ。私がフェルの話を教えてあげよう」
「その後、ガリレオ・ガリレイという人が地動説を証明しますが、当時はなかなか理解されませんでした」
「ガリガリ君も大変なんだね」
 ペコちゃんにガリガリ君とは、この二人にかかっては世紀の科学者もかたなしだ。

 フェルは丸い円を三つ描いた。
「地球や月は動いているので、太陽と地球の真ん中に月が来ることがあります。そうなるとどうなるでしょう」
「ううん・・・分からない」
 そこでフェルは離れたところにミユウとササラに立ってもらい、自分は二人の真ん中に立った。
「ミユウちゃん、そこからササラちゃんが見えますか」
「そうね、フェルに隠れて見えない」
「ミユウちゃんが地球、僕が月、ササラちゃんが太陽だとすると・・・」
「なるほど、太陽が月の後ろに隠れるんだ」
「太陽が見えなくなったら昼間でも真っ暗だわ」
「そうです。これは日食という現象です。でも、大丈夫、太陽が隠れるのは数分だけで、すぐに明るくなります」
「日食ですね。また一つ勉強になった」
「フェルはどうやって確かめたのですか。地球が動いているとか、球形をしているとか、鳥になって空から見たとでもいうわけ」
「それはですね・・・」
「塔の上から見たのではあっちもこっちも平らだわ」
 フェルはミユウに突っ込まれて思わず腕を組んで考え込んだ。現代でも飛行機の上から眺めたくらいでは水平線が丸みを帯びていることくらいしか分からない。フェルが地球の全体像を見たのは宇宙ステーションから送られてきた映像だった。
 それを見せてみようと思った。確か、パソコンに保存してあったはずだ。
 いよいよパソコンの登場だ。フェルはリュックサックからノートパソコンを取り出した。
「新兵器だわね」
「今度は随分大きい」
 パソコンを広げた。ワープしてからこれまでにも一度、起動することは確認してある。USBケーブルにソーラーパネルを取り付け電源を入れた。ミユウたちは、いったい何が始まるのかと不思議そうな顔をして覗き込んでいる。
「これはパソコンという機械です。私たちの時代ではなくてはならない物です。ただし、ここでは電気がなく、しかも通信ができないので、あまり役には立ちません。ちょっと見てみますね」
 スタートメニューを表示させた。エクスプローラーを起動させ、ピクチャーから入ってみる。ここからダウンロードして保存した画像を見ることは可能だ。研究用のフォルダには研究用に城砦の写真がたくさん保存してある。宇宙から見た地球の画像なども趣味のフォルダに保存してあったはずだ。
「あった、ありました」
 地球の画像の含まれるフォルダはすぐに見つかった。
「これです、これが宇宙から見た地球です」

 暗い宇宙を背景にして丸くて青い地球が浮かんでいる。海はブルー、大陸は緑色に、雲に覆われた部分は白く映っている。

「きれいでしょう、これこそが、あなたたちが、そして、みんなの住んでいる地球です・・・」
「これが・・・これが」
 ミユウは目を見開いて地球の映像を見つめた。ササラも寄り添うようにじっと見ている。
 初めて見る地球の姿に驚いた・・・
 なんときれいなのだろう。
 自分たちが住んでいる城砦の外は農地や牧場が広がっている。その先は荒涼とした大地、そして山が連なっている。辺境の荒地は茶色の世界でしかない・・・
 それなのに、フェルに見せられた、暗い空に浮いているブルーの地球。自分たちが住んでいるこの地球という星は何と美しいのだろうか。
「ああ、ああん、あはあああ」
 ミユウは突然、訳もなく涙が溢れてきた。
 世界はこんなにも美しい・・・
 ササラも同じ気ちになった。
 二人は抱き合って泣いた。

 ミユウは空を見上げた。大地を、山々を見下ろした。いつもと同じ風景なのだがミユウには昨日までとはまったく違って見えた。
 フェルに見せられた地球の姿には驚かされた。生まれてこの方、この世界は平らな地面がどこまでも続いているのだと思っていた。ところが、地球というこの世界は球形をしているのだそうだ。空に煌めく星々もまた球形だとか。しかも、空の上の宇宙という暗い空間に、自分たちの暮らす地球は太陽の光を浴びて眩いほどに青白く輝いていた。
 私はこんな美しい世界に住んでいるのだ。初めて見るその映像に息を吞み、驚き、そして感動のあまり泣いてしまった。
 だがしかし、現実に見えるこの光景はどうなっているのだろう。果てしなく広がる大地は灰色がかった茶色だし、山は黒々として見える。どこもかしこも青くはないし、あんなに綺麗でもない。シュロスの城壁の壁も遠くから眺めると一様に同じ色に見えるのだが、近くに寄ると汚れていたり、穴が開いていたりしている。それと同じことなのか・・・
 それにしても、物事の進歩とはいかに凄いものかをあらためて思い知らされた。
 500年ほど後にはパソコンという機材で美しい映像が見られるのだ。人々は地球が丸くて青いことを知っている。そればかりではない、空や星であるとか、青い海とか・・・もっといろいろなこと、人間の身体の構造とか、世の中の仕組みとか、それこそたくさんのことを知ることができるようになるのだ。スマートフォン、パソコンといった不可思議な道具、どんな仕組みになっているかは分からないが、何と凄い装置なのだろう。
 そこで現実に目を転じた。
 ミユウはパソコンという道具は戦争になったら役に立つのではないかと思った。小銃や大砲のように直接、敵を倒す武器ではないけれど、ミユウが得意とする偵察とか戦闘の情勢分析に使えるだろう。フェルをシュロスに留め、味方につけておくべきだ。ミキさんにそう報告しなければならない。
 フェルがシュロス周辺の地図を見たいと言ったので、特別に見せてあげた。本当は戦略上の秘密なので、むやみに公開してはいけないのだった。ところが、フェルも自分が持ってきた地図を見せてくれて、それがあまりにも精巧に作られていたのにびっくりしてしまった。その地図は軍事用でも研究用でもなく旅行者のためのものということだった。さっそくササラが書き写すことにした。二つの図を照合して戦いに利用するためだ。 
 フェルは「日食」という現象についても教えてくれた。太陽が月に隠れて見えなくなるということだった。
 しかも、パソコンを操作していたフェルが、
「天体と暦の資料によると、この周辺で間もなく日食が見られます。皆既日食ですね」
 と言った。
「カイキ?」
「皆既日食。太陽が完全に消えて、日中でも夜のように真っ暗になります」



 『辺境の物語』第四巻 シュロスの異邦人(前)終わり
  第五巻 シュロスの異邦人(後)へ続きます。

辺境の物語 第五巻 シュロスの異邦人(前)

 辺境の物語 第五巻 シュロスの異邦人(前) あとがき

 この第五巻 シュロスの異邦人(前)ではルーラント公国のマリア王女様が皇位継承権を失ったという秘密が暴露されてしまいます。そこから一転して舞台は現代に移ります。レンガや城砦の研究をしているフェルの研究に女性が忍び込みました。これがCZ46で、レンガに食い込んだ金属部品は自分のものなので取り戻しに来たのでした。
 前作でナナミの身体が機械仕掛けであったことは書きましたが、その理由は解明されませんでした。CZ46の登場でその謎が明らかになるというストーリーです。
 フェル、ソフィー、CZ46は現代からワープします。私には知識がないのでワープの場面はあまり詳しく書けませんでした。ワープしたものの三人は離れ離れになります。お決まりのパターンですね。フェルがシュロスに到着した場面、ソフィーがカッセルに着いたところなど、映画を見ているようにしたいと思いながら書きました。うまく伝わったでしょうか。
 また、城砦やレンガについても知識不足なので想像で書いた部分があります。
 そして第六巻(後)ではCZ46に関して驚愕の事実が明らかになります。
 

辺境の物語 第五巻 シュロスの異邦人(前)

辺境の物語 シュロスの異邦人(前)、カッセルとシュロスの続編です。

  • 小説
  • 中編
  • ファンタジー
  • 時代・歴史
  • SF
  • 青年向け
更新日
登録日 2021-07-02

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted