1. Sereia

水泡とスターチス

夕焼けと二つの影

少年は8歳の誕生日に人魚にあった。

     *

8歳の誕生日に母と海沿いの道路を歩いていた。

夕焼けが海を照らす。
         僕を照らす。
            母を照らす。

浜辺に着くと、母が

「飲み物を買いに行く」

と言って僕を残して行ってしまった。


―母の後ろ姿はなんだか嬉しそうに見えた。

いや、それとも僕が嬉しいから?
よくわからなかった。


僕は暇になって釣り場まで足を運ぶと、
どこからか声を聞こえてきた。



歌…のようだ。



知らない、歌。
もともと音楽に関しては詳しくもなかったが、周りの女子、とか、男子、とかがよく歌ってるものではない。
最近の曲ではない。でもなんだか、心地が良かった。

最初は気になどしなかったが、
その、まるで海に溶けるような、綺麗な歌声についその声の主を探してしまった。


360度以上回転してやっと見つけた声の主は、


―――――人魚の少女だった。

僕よりいくつか年上のようで、少し大人びている印象だった。
この地域では人魚の伝説というか、童話が有名で海の近くにある小さな公園に銅像があるのは知っていた。
古くなっているのもあるが、実物は何倍も美しかった。

今にも暗くなろうとしている夕景で見えにくかったが、
日の光に反射した下半身の鱗で僕は確信した。

人魚の少女はこちらに気付くと驚いた顔をしてすぐにテトラポットの影に隠れてしまった。
彼女は結構な人見知りのようだ。
それとも人魚故に人に会うのが苦手とか、そういうのがあるのだろうか。

真っ赤に染めたその顔に向けて手を差し伸べてみた。
夕日のせいでそう見えただけかもしれないが、少なくとも周章しているのは確かだった。

…ちょっとした好奇心だったかもしれない。

人魚の少女は顔を赤く染めたまま笑い返し、強く手を握り返してくれた。
その手には優しい温もりが。

     *

彼女は人間に憧れているのだそうだ。

「時が過ぎていくのを海から見るのはとても寂しいの。」

揺らめく水面を見つめながら彼女は言った。
寂しげな言動の裏に何か決心がついたような力強いものを感じた。

誰かに訴えるように、説得するように。

この数秒の間でひと際大きな波が来ると、彼女ははっとしたように、僕の顔を見る。
にへらと笑って短く謝った後、海の世界の事を教えてもらった。
最初の怯えた表情とは思えないほど笑っていた。

時間はどのくらいっ経ったのか分からなかったが、大分時間が過ぎたように感じた。
知らないことを知るのは楽しい。同様に彼女の話がとても楽しかったのは事実だが、
海まで来た目的を思い出しかけた時、母親の顔が目に浮かんで、違和感を覚えた。

彼女は僕の不思議そうな顔を見て、彼女もまた不思議そうな顔をしていたが、
彼女は道路のほうを見て、すぐ遠くの海を見た。

それが合図になるように、車のブレーキ音とそれに続く鈍い音。

彼女は悟ったように顔を曇らせる。
その時は彼女のその表情が何を差しているのか分からなかった。
その簡単な音に周りの音はまるでオーケストラが演奏を始めたかのように騒がしくなる。
僕は周りを見回してまた顔を合わせる状態になると、
少女は

「もう行った方が良い。きみとはもう会えないかもしれないけど、君には待っててくれる人がいるから。」

僕にはその言葉の意味がよく分からなかったが、
深く考える前に少女は僕の手を引いて強く背中を押した。

振り返った時にはもう少女は消えていて青い海しかなく、

ただ聞こえるのは波の音と深い海から聞こえる泡の音。

静寂。

そこで僕は彼女の表情と言葉を理解する。

     *
その後はよく覚えていない。
息苦しさも、黒も、ぼんやりと、なんとなくで。

でも、彼女の事はしっかり覚えていた。

少年のイヤホン

母を亡くした少年はちょうど一年後、
つまりは少年の誕生日、ある男に会った。
男は一つイヤホンを少年に渡して、

「誕生日プレゼントだ。大切にするように。」

と言ったそうだ。
男は去り際に振り返って少年に

「また会えるといいね」

と微笑みながら去って行った。   
少年にはそれが自分の事なのか、あの人魚の事なのか分からず
男が見えなくなる数分間立ち尽くしてしまっていた。

     *

その日は少年は一人暮らしを始めてまだ一カ月経たないころの事だった。

眉間に皺を寄せて作業を続ける午前11時47分。

彼の性格は、とにかくめんどくさがりや。
だが、めんどくさがりなのは肉体労働やら、その他もろもろ…という面であって、
上京できたのは勉強…すなわち、彼には似合わない
「努力」という二文字のおかげだった。
一人暮らしをし始めるのも目的があるのだが、
今は段ボールから物を取り出す作業に追われていた。

午前11時50分19秒。

段ボールから出てきた。
六年前に貰ったイヤホンが。
さっきまで思い出していたものだっただろうか、
放っておくのもなんだか申し訳なくなり、
ミュージックプレイヤーにもつけずに何となく耳にかけてみた。

作業を再開しようと手を伸ばし始めたら耳から
突き刺さるような耳鳴りがする。
耳鳴りはすぐに止んだ、

続いて流れたのは、

砂嵐のような雑音。

その音はどんどん大きくなり視界を揺らした。

あまりに唐突の出来事に頭は混乱する。

次々に流れ出る酷いその音は喉を絞めて
昔の紅色に染まった視界に色を変えようとする。
それはまた、海に沈められた時の息苦しさとも似ていた。

彼は必死に目を閉じて。

思い出さないように、
思い出さないように。

自分に言い聞かせるように脳内で何度もその言葉を呟いた。

雑音が止むと、ぐったりと倒れこんでしまい
額には汗が伝っていた。

タイミングでも見計らったように、ふいにインターホンの音が部屋中に流れ込む。
タオル何処だったかな、なんて暢気なことを考えながら、
不安定な足取りに体は任せてドアに向かった。
ドアに向かう途中、幼い声がイヤホン越しに聞こえてきた。

「き…え……」

      
その声はどこかで聞いたことがある気がした。

だが、彼にはそんな思考回路を伸ばしている暇はなかったのか、
あるいは彼の性格でもあるめんどくさがりや、だからだろうか。
ただドアに向かう事を優先した。
ドアを開けるとそこには彼よりも背の低い少年の姿があった。
少年は笑顔で

「久シぶ㋷」

そう言った。確かに目の前で言ったのは確かだった。
正直、この少年に会うのは初めてのはずなのだが何故久しぶりかなのか気になった。
聞いたことがある声だとは思ったが、実際にこの少年に見覚えはなかったのだ。
それに、何故かその声はさっき聞こえた幼い声と同様、
イヤホン越しに聞こえた。

少年もまた、イヤホンをつけていた。

     *

整理途中の部屋に入れるのも申し訳なくなったため、歩きながら話すことにした。

横に歩いている少年の声は、変わらずイヤホン越しにも彼の口からも聞こえてきていた。
さっきの事を聞こうかどうか迷っていると、

「自分にもよく分からない。ただ、イヤホンを作った奴らが実験のために俺に押しつけた。」

と適当に言葉を並べた。
それが嘘か真か、考えるのも聞くのも面倒になった。

どうせならと、今度は言葉の意味を聞こうと思ったが、微妙な空気の流れに聞くにもきけなくなり、
そうこうしているうちに少年はさっきまでの子供らしからぬ無表情の上に深刻な顔を重ねていた。
少年はハッと我に返るとこちらに顔を向けて

「段ボール出してたってことはまだ引っ越ししたばっかなんだよね!?
 邪魔してごめんね。俺も用事が出来たからもう行くね!」

と大急ぎで真っすぐ走って行った。

電話している様子もなかったが、彼は
――用事を思い出したのだろう。
と、あまり考えることもなく家へ戻って行った。

彼のイヤホン

背の低い少年は人ゴミを上手く除けて走っていた。
自分のイヤホンから漏れる、嫌な、もとの持ち主の声。

「まさか、あの包囲網をくぐって、
 しかも、従業員のパソコンをハッキングして、さっきの子の居場所を特定するとはねぇ…
 そんなに大切なの?あの子。
 まぁ、真っ先に行動にするところも 燈 らしいよね。
 特別に3分で戻ってきてね、俺は気が短いからさっきの子を殺しかねないし。〕

―平気で恐ろしいことを言う。というか、そこまで見ていたのなら自分で止めにくれば良いのにと考えながら走っている。

ただでさえ久々に外に出れてよくわからない道を進んでいるのに、
それをこいつは知っているはずなのに、
イヤホン越しのそいつは制限時間を短めに設定した。

少年―燈は変わらない無表情に冷や汗が伝っていた。
一方的な発言にかなりのストレスが溜まっていたが、抗議する声も彼には一蹴されてしまうだろう。

無邪気な声。その声もまた、イヤホン越しに聞こえていた。

     *

「ハッ、間に合…った…ろ。」

息の切れた声に男は微笑んだ。

「えーっと。残りマイナス0,04秒でした!燈君ざーんねン!惜しかったね!」

その程度なら間に合ったのではないかと言いたかったが、
小さな肺がそれを許さない。咳き込むことしかできなくなっていた。

男は変わらない笑みで、

「もう人を送ってあるから良いとして、…君のその顔、社長に見せたいね!あ、でもあの人サディストじゃないしな~」

楽しそうに男は言う。その隣の女は呆れたように男に言う。

「あんまり挑発したら怒られるわよ、社長にも、燈にも。」
「はいはい、姉さん。
 あぁ、海ちゃん…その子とも迷ったんだけどさ、
 見つけるのめんどいし、というか見つけられたら苦労しないし、さっきまで燈君と話してた駆音君にしたよ。」

休む間もなく走ってきた燈の足は限界だった。

倒れる。

嘲笑う、この声は燈の頭に響いていく。

このときだけは、このひんやりとした床が呼吸を整えるには最適に感じた。

燈の目に映る男は冷たい目と無邪気な微笑みを見せていた。

「駆音」

薄れた意識を保ってその名前を呼び続けた。
その声は彼のもとへ―――
                                ……?

同調

「駆音」

俺を呼ぶ声が幽かに聞こえる。

それはさっき会った彼の声。
やはりイヤホンから聞こえる。

ここで確信する。

“あぁ、これはあいつと繋がってるのか”―と。

「よく聞いて。もうお前の家の前にはお前を殺しに来たやつらがいる。急いで逃げて。」

さっきよりもはっきり聞こえた声が発した内容は簡単だ。

そんな事誰が信じろと。…と思うが、
彼が言った通りちょうど家の階段の下には何人かに集まったやつらが屯っている。

俺が何をしたって言うのだ。

なんて思ったがきっとさっきの少年のほうががよく知っているから俺が考えても仕方ないんだろうと思った。

「家から逃げたらどうすればいい。」

俺は繋がっていることを信じて呟く。

「あいつらは多分放置しておくと部屋に入ってくるっていうやつらだとおもう。だから、
人ごみの多い所に逃げて―あと、君の家の近くにドラム缶があったはずだから。」

繋がっているかって言われたら偶然彼がその言葉を発したような、そんな感じだった。

とりあえずその方向に思考を回すのをやめて、
彼が言った[ドラム缶]その単語が気になった。

何処かの外国映画で見たようなアクションなんて出来たらやってみたい。…と思ったが、
流石にこんな平凡(?)な高校生に出来るのだろうか。

そんな疑問も浮かぶ。
・・・。
もう、めんどくさくなって、

やってみるだけやってみてダメだったら殺されてしまおう。

そんな適当な考えで家を飛び出した。

     *

案の定、家の下にいたやつらは全員ついてきた。

そんな単純に事が進んでいいのか、ゲームでもこんなに単純なストーリーシステムないぞ。

と、余計な警戒心が一歩進むごとに蓄積される。

彼が言っていた通りドラム缶が5つほど規則良く間を開けて、俺の左手に続いている。

一か八かだった。

ドラム缶の前方を思い切り、倒した。
これでまとめていなくなってくれるとありがたい。

坂道。

ドラム缶は見事に横になって転がる。続けて一つ一つ倒していくと
約15人ほどいたやつらが3人になっていた。
何ともきれいにいなくなったものだ。

これはこれで撒けたとしてもその後の報復が怖いし、
普段運動不足の俺がこんなにあっさり撒ける筈はない。
これで復活してこなければ撒けるのではないか、なんて余裕のできた心の幅をもう一度警戒心で埋めた。


摩天楼が俺らの鬼ごっこを囲んでいた。視界は建物しかなかった。

“あと何処に行けばいいんだ・・・?”

引っ越してきたばかりで土地勘もないこの場所で行ける場所は限られてくる。
体力も残りが少なくなってくるとまたも考えることを放り出してよくわからない建物の間に入って駆け抜ける。

人がいないことを走りながら確認すると、心の中で

「あー…もう、めんどくさいな」

とそう、心の中で呟いた。
そのとき、皮膚に亀裂が入ったようなパキパキといった小さな音がした。
それと同時に足に力が湧いてくるような感覚に襲われた。

今までにないほど足が軽くなった。
さっきまでの疲れさえもどこかへ行ったようだった。

路地裏を駆け抜けて行った。

風を感じた。
そこで昔に起きたことをふと思い出した。


きっと、あの時の…。


あの顔を思い出しそうになったころに、
もう家の前にまで来ていた。

最初に追いかけてきたやつらの車も、



そして自分の後ろにも誰もいなかった。

あの人の昔話

「ここはね、人魚がいるんだ。」

一人の男が幼い少年に向かって言った。

「うん。だって会ったことがあるもん分かるよ。」

少年は即座に返答をする。

「そうか。ではその人魚の話をしてあげるよ。
君が会った――、
              人魚は昔、人間のように普通に住んでいたんだ。
いや、人間の一種だった。
まぁ、ここに住んでいた人魚はこの地域のお偉いさんだったんだけど、
時が経つにつれて人間から差別されるようになってしまったんだ。

差別されてからは海に投げ出されて、人魚という種類が少なくなってしまったから、
だから、今は伝説扱いなのさ。

駆音、これは誕生日プレゼントだ。大切にするように。
君の名前と誕生日を知っているのは…
まぁ、その人魚の知り合いだからかな。教えてもらった。そんな感じかな。」

「君の名前はなんていうの?」

「俺の名前は燈(あかり)。」

その男――燈は微笑んで言った。

燈はすれ違いざまに少年の頭を軽く撫でると、

「また…また会えるといいね」


そう言って去って行った。



     *



次の日の同じ時間、またあの男はここに来た。

そのとき、一週間に一度、燈と会う約束をした。

本当は人魚の話を聞くのが本題のはずだったけど、
今思うと、いつの間にか自分の話ばっかりしていたような気がする。

それでも、人魚と話をした時みたいに幸せだったのは変わりがなかった。
その時はよかったのだ。



またある日。

「駆音、俺な、少し、遠くに行くことになったんだ。」

燈は、千切った紙をまた元の形につなぎ合わせるようにそう言った。
少し沈黙を加えた後、少年は頷いて、

「また、会えるといいね。」

幼かった俺はそう言った。

いつ帰ってくるの、
どこに行くの、
聞きたいこともたくさんあったけどすべて押し殺して幼かった俺はそう言った。

感覚としては、人魚にあったあの日とも少し似ていた。
どちらもまた会える保証はないのだけれど、なんとなく会える気がしたのだ。


だから、簡潔に、そう言った。

そして最初に会ったあの時のように、その場に立ち尽くしていた。

     *

あの時のように立ち尽くしている、何年も前のことなのに。

この海に来るといろんなものが頭の中で浮かんでは消えていく。

記憶。

まるで水泡のようだった。
水泡のように現れては、そして消える。



ちゃぷん。

手の先で水を弾いた。

春が来ていないこの海の水は酷く、冷たかった。


波。
歪む。
水面に浮かぶ自分の顔は少し口角が上がっていた。
波のせいか、本当に笑っているのか、分からないぐらいに潮風は冷たく、皮膚の感覚は失われていた。

人の移り変わりは早いが、自分は何も変わらない。
と、今度は確かに自分が笑ったのがわかった。
潮風に晒された手が震える。

上着のポケットに手を突っ込んで、ただじっと水面を見ていた。

あのときよりも、痩せた自分の顔を見て少し燈に似てきたような気がした。
…だいぶ忘れているからただの錯覚かもしれないが。

出来る限り、あの顔を思い出してみた。


少し、この場から離れることにしたのだ。

その先で、また君に会えたらいいな、何て思ってる。
風の噂だったから確かではないけど。



ふと、空を見上げた。

橙色の上に薄紫の水彩が塗られたような空があった。

それを眺めてから、この海を後にした。

1. Sereia

初の投稿となります、星酢です。
末長く見守って頂けるとありがたいです。

一応枠組みとしては過去編なので過去編が全て終わったら現在~~みたいに書くつもりです(願望)
今まで書いたものも何度か書き直しておりますので、思い立った時にでも見直して頂けると幸いです。

ほんと、彼とか少年とか分かりにくくてすみません。

そろそろ(?)恋愛っぽいのにも挑戦してみたいものですが、
作者はベタな恋愛を思い浮かべて顔真っ赤にしてしまうので無理ですね。
追加表記した方が良いのか分からないネタが山ほどあります…
彼のイヤホンあたりに出た男の子とか…
過去編が終わったあたりでバンバン出るんじゃないかなぁ…(適当

とりあえず、タイトルが同じものに関しては同じシリーズということでやっていきますので
よろしくお願いします。長々とすみませんでした。

1. Sereia

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-12-02

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 夕焼けと二つの影
  2. 少年のイヤホン
  3. 彼のイヤホン
  4. 同調
  5. あの人の昔話