エーデルワイスというヤカンをご存じだろうか
「エーデルワイス」というヤカンをご存じだろうか。愚察するに、ヤカンに名前があるということすら知らないのではないだろうか。
何にだって名前はある。人はドラゴンやグリフィンといった想像上の動物にも名前を付けてきたし、ダークマターやダークエネルギーという知覚も計測もできないものにも名前を付けている。ヤカンなどという身近な物に名前がないわけがない。
で、エーデルワイスって何よって話になると思うのだけれど、それはもう名前のまんま、湯が沸いた時の音に、あのサウンド・オブ・ミュージックで有名なエーデルワイスを採用した犀印特製の高級ケトルのことである。そしてわたくし申し遅れました、犀印第三営業部第二営業課第四係の鳥谷と申します。
みなさま、ヤカンが沸く時の、あのピーッって音にイライラしたことはございませんか?
ただお湯が沸いただけなのに大げさ!
特に忙しい朝なんかには、「そんな大声出さなくてもわかってるよ!」って思っちゃいますよね?
そこで、当社が開発したエーデルワイスをお試しください!
お湯が沸くとエーデルワイスの優しいメロディでお知らせいたします。
もうあなたをイライラさせることはありません。
ほら、お聞きください。お湯がまるで、アルプスの泉から湧き出る清水のようじゃありませんか?
なんと劇団冬季監修の超本格派!
これはもう、ヤカンというより楽器です!
忙しいあなたにこそ、爽やかなティータイムを。
って売り出しているのだけれど、これが全然売れない。売れない理由は明らかで、ヤカンがお湯を沸かした時には早く止めるべきで、いつまでも鳴らしていたのでは空焚きや火事の危険がある。そんなことはヤカンの素人でも分かるはずなのに超大手メーカーである犀印がそんな事にも気づかずこんな駄作を開発したのだから気が知れない。だいたいヤカンというより楽器なんだったら、最初から楽器を買う。湯沸かし機能いらない。
まあ、立場が違えば見える景色は違う。上層部はエーデルワイスに商品としてのヒットではなく、何か別のことを期待しているのかもしれない。例えばここで劇団冬季とのパイプを作っておいて、犀印製品を舞台で使ってもらおうとかね。
でも、上はそれでいいのかもしれないけど、実際に全然売れない商品の営業をする社員の気持ちを考えたことはあるのか。二十歳そこそこのスーパーの売り場担当からは鼻で笑われ、「犀印さん、どうしたんですか?」と半笑いで言われる俺の気持ちが。たまにお年寄りが買ってくれると、振り込め詐欺をしたような気持になってくる。
もうやってらんねえ、やってらんねえよって会社を辞めて、この山に住み着いたのが三年前だった。辞表を出して、そのまま自殺でもするつもりで車を走らせ、適当なところで乗り捨てて山に入ったら、数時間後、廃屋と化した山小屋を見つけた。それが新しい間違いの始まりだね、山道を歩いて疲れ果て、足が棒になった頃に小屋を見ちゃうと、つい生活というか、命への執着が起こってくる。
俺はそこに入るなりドカッと座り込んだ。そうすると腹が減る。小屋を漁ってみると、遭難者に備えるためなのだろうか、賞味期限が切れているものの、乾パンやクラッカーが見つかった。俺は食った、食ったね。あんなウマいメシは初めてだった。乾パンが口の水分を持っていくのに、目からは涙がボロボロ溢れて、「俺は生きてる、生きてるっていいなあ」なんて思ったりして、エーデルワイスの前に作った「剣の舞」の大ヒット祝いで上司に連れて行ってもらった銀座の寿司屋よりウマかった。
そうなるともう、死ぬ気なんて起こらない。そこを棲み処と定めて、周囲の木を削ってヤカンの彫刻を作って生活するようになった。最初のうちは、よかった。下らない宣伝文句も言わなくていいし、彫刻刀を振るっている時は、無心になれた。誰のために作るのでもない、ただ自分の美しいと思う理想のヤカンの姿を思い描き、それを木に投影させていく。会社も客もいない。そうしてできた木のヤカンを街で並べる。売れればそれでいいし、売れなくてもいい。男一人、家賃もない山小屋で生きていくんだからお金なんかなくてもいいくらいだ。この国じゃ、ホームレスだって餓死はしない。
二、三か月経った頃、地元のフリーペーパーの取材を受けた。「山に澄む仙人彫刻家」なんて言われて「彫刻の魅力とは何ですか?」と聞かれた時、営業マン魂に火がついちまった。
彫刻とは、木との、つまり自然との対話です。
私はヤカンを彫っているのではありません。
強いて言えば、掘っているのです。
木に埋まっていて出たがっているヤカンを、掘りだしているだけなのです。
そしてヤカンとは、命の泉です。
全ての生物の源は、水です。
その水の入れ物であるヤカンとは、母親の子宮、胎盤のようなものです。
ヤカンの湯沸かしの音って、赤ん坊の泣き声に似てると思いませんか?
また、茶道の鉄瓶に、奥深い禅の世界を見る方も多いのではないでしょうか。
いま自分で思い出しても、意味が分からない。が、世の中には意味が分からないイコール意味深長と思っている人が多く、以降ヤカン彫刻は飛ぶように売れた。だけならまだいいのだけれども、素人から美大生まで、全国から弟子になりたいという若者、中年、年寄りまでもが押しかけてくるようになった。
そうなると話が違ってくる。技術的な指導は美大生なんかにやらせ、私は教義っていうのかな、なんかさっきのハッタリみたいな御託を並べて皆を励ますようなことになってくる。だってもう私がヤカンを作っても、本格的に彫刻を学んだ美大生には勝てないんだもん。しょうがない。
朝、三時半にみんな起きて座禅をする。座禅が終わると私は一段高い、金の蓮で荘厳された座に座って、法話をする。
今日、また新しい一日が始まりました。
俗世間ではよく、一年前の今日、などといった言い方をしますが、一年前の今日などはありません。
同じ日は二度と来ないからです。
皆さんも今日だけの、今だけの時を大事にして、目の前の母体、ヤカンに命を注いでください。
受胎告知はもうなされたのです。神の国は、救いは、近づいています。皆で一緒に、そこに入りましょう。
そして合掌すると皆が私を二礼二拍し、日の出とともに技術のあるものは作業を開始、ないものは師匠の横について勉強する、という宗教団体なんだか家内制手工業なんだか分からないような事態になってしまった。アトリエバードなどというちょっと聞いたことあるような名前まで付いて、この頃から嫌な気はしていたのだけど、ますますおかしなことになってきたのは、原田という男がやって来てからだ。
取材を受けてから一年ほど経ったある日、あらかた木が切り倒されて見晴らしの良くなった山小屋、という言葉はもう似合わない。七堂伽藍を備えた寺院兼作業所に、見慣れない、太って頭の禿げあがった四十歳くらいの男が現れた。まあ、もはやフリーペーパーだけでなく全国の新聞やテレビでも取り上げられるようになっていたので、新しい弟子は珍しいことではないのだけれど、この男は違った。山門をまたぐなり、原田は言った。
「鳥谷さんって、いる?」
「尊師は今、瞑想中です」と弟子が言うと、
「じゃあ、呼んできてよ」などと不遜なことを言う。
「失礼ですが、どなた様ですか?」と弟子が聞くと、少し間をあけて「ここの、オーナーだよ」と出た。
私は弟子から聞いて、とうとうこの時が来たかと思った。今でこそ反俗の宗教家だか芸術家だか分からないことをしているが、もとは大手メーカーの営業だ。この日本に持ち主のいない土地建物などないという常識くらいは、心得ている。
とっさに私は、下手に出ようと思った。オーナーの機嫌をとって今までの不法占拠と器物損壊を許してもらい、あわよくばなるべく安く借り上げようと思ったのだった。が、そんなことをすれば私のカリスマは地に落ちてしまう。私は、弟子たちの崇拝が怖かった。もし私が、彼らの考えているような神聖な存在でないと分かったら、きっと幹部はその彫刻刀を私に向け、私を殉教させることで教義の矛盾を解消しようとするだろう。
私は座布を立ち、金で荘厳された座につくと大げさに咳ばらいをして、「通しなさい、皇帝のものは皇帝へ」と言った。
計算通りだった。不機嫌そうににじり口を屈んできた原田は、私を、っていうか私の周りの黄金を見て、急に畏れを表した。
「どのような御用ですか?」
「鳥谷様、お忙しいところ申し訳ございません。私、原田っていうここにあった小屋と土地のケチなオーナーなんですがね」と言って上目遣いで私を見る。
「賃料ですか?」
「いやいやそんな野暮なことは申しません。救世主たる鳥谷様からお金を取ろうだなんて! ひとつ、私を弟子に加えてくれませんかね?」
思った以上の狸だった。ちょっと金を払って追い返そうと思っていたのだが、こいつはこのアトリエバードに入って、オーナーである立場を利用して幹部になろうとしているのだ。
しかし、断る理由がない。今まで、「善人なおもて往生をとぐ」とか言って、誰も断ったことがない。原田の瞳がキラリと光った。こいつは、私が聖人でないことに気付いている。黄金を背景にしたことにより、私は自分が俗物であることをさらしてしまった。しかし、もし断ればこいつは、「鳥谷様は、私だけ救いにあずかれないとでもいうのでしょうか。鳥谷様の説く救いとは、人を選ぶようなものなのでしょうか」などとわめきたて、他の弟子を動揺させようとするだろう。
「もちろんです。ともに神の国に参りましょう」
と言った私は、ここに来て完全に負けた。原田に、というより自分の人生に。
原田を抱えたアトリエバードは急成長を遂げた。今まで取材などは完全に受け身だったのが、積極的に宣伝し、大学のサークルにまで食い込み若い仲間を増やしていった。そして地元の街だけでなく、東京や大阪にも土地や販売店を所有するに至った。
「尊師」
誰よりも恭しく礼をして、原田は言った。私を荘厳する黄金は、もはや山となり多宝塔とあだ名されるようになっていた。
「神聖なるヤカンに、更なる美しさを加えることをお許しください」
「どのような?」
「音楽です。ヤカンであると同時に、木製の笛に仕立てるのです。神の国は、霊妙な音楽で満ちているべきです。我々の協力者である、劇団夏季からの提案です」
原田は最近、劇団夏季を買収しオーナーとなっていた。金儲け主義と批判されるようになったアトリエバードを見限り、そちらに軸足を移そうというのだろう。
「それはいい考えだ。すぐに実行しなさい」
しかし私は承諾した。もはや末端の弟子たちも含めた私たちの生活は、木彫りのヤカン程度では賄えなくなっていた。各地に事務所兼寺院を持ち、信者でもないそこの清掃員や事務員たちにも、給料を払わなくてはいけない。劇団夏季のチケットは重要な収入源だ。いずれ破滅する道だとしても、今破滅するよりはいい。
そして破滅は税務署と共に、思ったよりも早く来た。なんとアトリエバードに二十億円の所得の未申告が発覚した。アトリエバードはその多宝塔をはじめとする資産を全て売って、代表である私の逮捕を免れた。原田はいなくなっていた。私たちはスマホなどという俗な物は持っていない。追いかける術はなかった。
あっという間に、もとの廃屋の山小屋になった。私は、たった二人残った弟子に合掌し、言った。
「キリストはユダに裏切られたことにより、汚れた肉体を離れ神になったと考えた人たちもいたそうです。原田を恨んではいけません。ここから私たちは、真の理想とする彫刻を目指しましょう」
そして何年かぶりに彫刻刀を自ら振るった。プロの彫るヤカンを見慣れてしまっていた私にとって、それは箸にも棒にも掛からぬささくれ立った木片だった。しかし、私は晴れ晴れとしていた。必要でないものは何もない。余計な黄金も、裏切り者もいない。彫刻刀と、木と、もはや弟子とは言えない、師と呼ぶべき仲間がいる。
「神の国は近づいた」
何度も口にした言葉で、私は初めて、本当の言葉を口にしたのだ。
エーデルワイスというヤカンをご存じだろうか