Blessing

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クローバー

幼い頃から気づけば、私はそれを探していた。森の木漏れ日の温もりのなかに、清流のせせらぎのなかに。それはいつも穏やかに微笑んでいた。私は人生のいかなるときも神の吐息を感じていた。それを神と呼ぶのだとは知らなくても。

私は五歳のとき、孤独というものを知った。仕事をする両親のもとで育ち、気づけば保育園で一日の多くを過ごした。それが当たり前だと思っていた。ところが、ある日、同じマンションに幼稚園に通う子もいることを知った。その子は一日の朝から昼まで幼稚園で過ごし、あとは母親と一緒にいるのだという。私は母ともっと一緒に過ごしたかった。こんな気持ちがあることにそれまで気づかなかった。離れ離れに過ごす以外のかたちがあるなんて知らなかったから。このとき、寂しいという気持ちを初めて言語化した。けれど、私の母と一緒にいたい気持ちは母に望まれていないと即座にわかってたから、けして言葉にすることはなかった。母は、母の両親や親族、友人などの意見に従い、すなわち世間体から子を産んだが、子を産むことは母の望みではなかった。<仕事をしていればお金がもらえるのよ。この子のおむつをかえたって誰もお金をはらわないのに。>母の望みは私ではなく、お金だった。そのことがただ悲しくて、でも、私にはどうしようもなかった。私には変えるのことのできない悲しみをたった一人でやり過ごさなくてならなかった。私は保育園のお昼寝の時間にだけ、ひっそりと泣いた。私はただ母の愛というものを諦めるために、いろんな理由を考えた。それでもなお母を慕う気持ちが母を弁護するあれこれの理屈をひねりだした。母がお金を大好きなのは生きていくためにお金が不可欠なのだから仕方ないのだと何度も自分に言い聞かせた。私はできるだけ早く一人で生きていくのだと思った。母の負担にならないように。母の喜ぶ顔を見るために、私は早く家を出なくてはならない。そのための力を蓄えなくてはと思った。

こうして、私の自立は五歳のときに始まった。そのため、私は少々大人びた子どもだった。親からの愛を諦め、親が子を愛せないことをただありのままの事実として受け止めて、許したのだから、子を愛しせない親を愛して、親が私を厭う気持ちを慮り、自立を決意したのだから、当然だ。

私はひとりで生きていけると思った。けれど、保育園の運動会で母と手を繋ぐ競技があった。久しぶりに母のぬくもりを感じて、私はこれをどれほどに望んでいたのか驚いた。でも最も欲しい母の心は私の手の届かない場所に遠く隔たっていて、ひりひりと滲みるようなきょうばくを感じた。

この寂しさを誰にも言えないまま、意識は半ば茫然として身体だけ生きていた。私は無邪気なクラスメイトとは一緒にいられなかった。当たり前のように親からの愛を受けていることが、私の心をざりざりと引き裂いたからだ。私はせいひつのなかに身をおくことを望んだ。汗が零れる夏の日差しを心地よく遮る大きな木の下が、私のお気に入りの場所だった。クローバーの中から四つ葉を探すのに夢中になった。四つ葉のクローバーを見つけると幸せになれるんだよと母が言ったから。クローバーの妖精のお話を聴いてお友だちになりたいと思った。私は幸せになりたかった。どうしたら幸せになれるのかわからなかった。魔法なら幸せになれると思った。また、クラスメイトたちの、あのこを仲間外れにしようとか、私がいちばん可愛いとか、そういうのが苦手だった。悪口に困惑しながら無言でいたら、私のまわりに誰もいなくなった。友達がいなかったから、優しい心の妖精とお友だちになりたいと思った。
保育園で森で遊ぶたびに私は四つ葉のクローバーを探した。いくつも四つ葉を見つけたのに、何度も何度も見つけたのに、私はちっとも幸せになれなかった。妖精は私の前には現れてくれなかった。じわじわと失望が寄せてきて、四つ葉を握っていた手はほどけて、四つ葉はどこかに落ちた。

文字を覚えるようになった私は本の世界を楽しむようになった。本の中は幸せだった。どんな怖いことも私のことじゃないから。そして、幸せなことだけ疑似体験として楽しんだ。

学習の中で、世界中の困難の中にいる人を知り、心を痛めた。私は自由に学習し、力をつけて生きていけることがとても幸せなことだと理解した。だから、学習の機会を大事にして、それらを得ることができないひとのために、幸せな世界を作りたいと思った。ひとりでも泣いていたら、私は幸せじゃない。皆を笑顔にするために学ぶのだと思った。

中学生になった私は、大人になったら、人々を幸せにしながら、たくさんのお金を稼いで、親に頼ることなく生きていきたいと願っていた。毎日多くの時間を学びに費やした。暇ができると大学で教科書に使われている本を読んで学んだ。心を休めるのはもっぱら街路樹や人の家の庭先に咲く花たちだった。疲労した朝も、花を眺めては、頑張ろうと奮い立たせた。私は花や樹を愛の眼差しで眺めては、花や樹から反射する愛を受け取り、命を繋いでいた。

成績を上げることは魅力的な麻薬のようなものだった。テストでよい点をとれば、偏差値の高い学校へ進めば、それだけのことで、評価される。なぜかすごいと言われる。
私は、本当に評価すべきなのは、人の心にどれだけ深い愛があるかどうか、どれだけ深い叡知があるかどうか、愛と叡知に基づいて生きるかだと思っていた。
ただ、どれだけ知識があるかなどで人を良い悪い言うことじたいが愚かなことで、人々のほとんどが愚かなのだと、ひたひたと失望しながら、その勘違いを体よく利用して、たくさんの給料を得て生きていくのだと思った。
そうして、大学生になり、仕事を得るために活動を始めなくてはならない時期になったが、私の心の深いところで、偽りながら生きていくことを頑なに拒んだ。私は人々の愚かな思い込みを利用して生きていくことはできない。むしろ、愚かな思い込みを解き放ちたかった。わかりあえる誰かを待ち望んでいた。

Blessing

Blessing

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-06-16

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