思い出

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 学校から帰って来て、予備校に向かうまでの一時間、その日の教科書をリュックから出し、その日の予備校で使用するテキストを仕舞う。必要があれば着替える。小腹が空いていたら何かをつまむ。テレビをつけながらダラける、というのが月曜日から金曜日までの夕方に行うルーティンワークだった。画面から流れる番組は観ないことが多く、CMを主としたラジオのように扱っていた。共働きの親が不在の時間にいつもなら叱られる靴下の脱ぎっ放しなどの不躾な振る舞いを行える自由を謳歌して開く漫画やファッション雑誌は、いつもより軽く、明るく読めた。楽しかった。だから過ぎる時間が本当に早く、ふぅ、と軽い気合いを入れてリビングのソファーから立ち上がる。沈む西日とともに引き上げていく日差しが残す室内の仄かな暗がりが少し寂しく、けれど十分後に出かけるリビングの灯りを点ける訳にもいかず(消し忘れの罪は重いので)、カーテンを最後の最後で閉めることで勉強しに出かける心構えを作っていた。リュックの奥底にその日読んでいた漫画の単行本を持って行く楽しみに託す浮遊感をもって、いつも私は予備校までの道のりを密かに飛んで歩いた。ちょっとしたお守りのようなものだった。楽しい気持ちを忘れない。朴訥として目立たない昼間の衣装を脱ぎ捨てて、輝き始めた衛星を見上げたりした。
 それは信本敬子さんの名前を知った初めての作品だ。その回のタイトルは「スピーク・ライク ア・チャイルド」であった。
 金曜日だったと思い出すのは、その日の記憶にうきうきとした気分が背景として広がっているからだ。次の日の学校は午前中で終わり、予備校も時間割の関係で夕方まで。その次の日の日曜日も勉強をしなければいけないのは変わらない。けれど、ペースは自分で作れる。そういう開放感がもたらす晴れた気持ちは、いつもの一時間に流すテレビ番組に興味を抱く気まぐれをもたらした。オープニングの出だしを飾るサックスの音とコマ割りの格好良さに、当時、あのルパン三世みたいだなと思い、初めてサウンドトラックをCDで購入したきっかけとなったあの曲に引っ張られ、見飽きたCMを跨ぎ、テーブルに座ったままの不躾な格好で最後まで観たその回は、後に衛星放送で全話放映される前のテレビ版の最終回であった。そのことを知らなかった僕は次の週の番組表に乗っていないことに落ち込んだ。そのことも含めて、この記憶の大事な部分は構成されている。前後不明の繋がりがないまま、僕は「スピーク・ライク・ア・チャイルド」を観た。オペラに揺れる馬の姿を追うギャンブルな負け方が似合う彼女、転送の果てに山のようになった着払いを取り返そうと浦島太郎よろしく、殆どの人が住まなくなった果ての地球に向かい、人為的な開発の果てに地下深くなった電気街から持ち帰った、視聴当時は現役だった記録媒体と再生機器を持ち帰った彼らの絶望と、着払いの女神がもたらした当時でも懐かしいと思ったあの記録媒体、そしてその再生機器。こう書くと記録が話の中心にあって、記憶がない(と最後のシーンで分かる)彼女との絶望とも希望とも思える出会いがそれまでのコミカルな経緯に導かれて、唐突に終わる。彼女にとってのターニングポイントになる回だった、とファンとして何度も視聴している今なら分かる。したがって、当時の僕はそんなこと分かるわけがなかった。
 だから、当時の僕がその回を好きになった理由は別にある。
 今も好きな理由の一つだから、すぐに言える。それは彼女が思い出せない記録の中の「彼女」が、恐らくその撮影をした時には想像もしなかった出来事に巻き込まれた、そこにいる、画面の前に居る未来の彼女に向けた台詞が、声に出さない今の彼女のモノローグとして繰り返される台詞と重なって響いた。切なく聞こえた。そう。切なく聞こえたんだった。
 アニメーションの台詞に覚えた初めての感情だったかもしれない。余韻なんて、多分観ていたドラマにも感じたことはなかった。ひとえに演出と、そして脚本の妙なのだろう。エンディングに降る雨とともに流れる音楽、そう音楽。アニメーションの音楽が気になったこともなかった。トータルとしての作品。そこがとても好きになった、とやはり今なら書ける。これらの理由を当時の私は知りようもなかった。だって、続きが観たくても観れなかったし、一話から観たくても再放送もレンタルもできなかったのだから。
 当時の僕は、ただの一話として最終回を観た。敵を倒す強さでも、困難を乗り越えた恋の成就でもなく、一個人であった彼女に起きた出来事を印象的に観た。過ぎた時間が余りにも果てしなくて、とても遠い励ましのエール。あの輝きと笑顔。ドラマチックは表現媒体を選ばない。幅広いんだな、と当時の僕が思えたかは自信がない。ただ、今こうして書ける理由にはなっている。
 渡辺信一郎監督の作品には、聴きたい音楽の幅を広げてもらえた。信本敬子さんが描く世界には、苦味と光を見せてもらえたと思っている。あの『スペース☆ダンディ』にすらビターテイストな味わいをもたらしたのだから。
 当時の僕には難しかった『WOLFSRAIN』を始めから観る機会は作りたい。重ねた歳月の分、違う世界が見れると思う。
『Speak Like A Child』、そして『My Funnny Valentine』。同名のタイトルがサウンドトラックにあったために、失恋に似た経験をした恥ずかしい事実を隠さず、ビバップが好きな理由を明かすのだから。

思い出

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  • 自由詩
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-06-15

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