ある極めて個人的なエッセイ

北爪 正人

魚釣り考
人は何故釣りをするの問いに
其処に魚がいるからだでは答えにならない
例えば魚の居る釣り場でやるのは魚獲りであって
魚釣りでは無い
狙う処に果たして魚が居るか居ないかを確かめる術はもたずとも唯一経験と勘に頼ってする魚との駆け引きが釣りの醍醐味だ。風の吹き荒む埠頭の極を背中を丸めて数十センチ間隔で餌を落とし込みながら黒鯛を釣り歩く人を見ていると其れは釣りのあるべき姿だと思うし、夜の暗い海面にルアーを飛ばしゆっくりと手繰りしながら牙を剥き迫る見えぬ太刀魚の姿を想像するのも又楽しである
いく日も厳寒の北海の島に留まり襲いくる背中の痛みを堪えて畳一畳を超えるハリバットを釣り上げた開高健、灼熱のカリブ海で巨大なカジキ求めて彷徨い格闘したヘミングウェイ、故郷広瀬川の岸辺に佇み「....われの生涯(らいふ)を釣らんとして過去の日川辺に糸をたれしが、ああかの幸福は遠きにすぎさり、ちいさき魚は眼にもとまらず」を詠んだ萩原朔太郎
水面という隔たりを通して己と見えない魚との必然では無い邂逅、彼等を駆り立てたのは魚釣りと言う愚かな行為の持つ果てしない浪漫では無いだろうか
かく言う自分もあの魚信を求めて期待と幻滅を繰り返す日々ではありますが

ある極めて個人的なエッセイ

ある極めて個人的なエッセイ

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-06-14

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