骸骨に寄り添う死体
死体見たい? と早坂さんが聞いてきたので、死体見たい死体見たい、と何だか韻を踏むように私は答えてしまったのだった。
あくる日、早坂さんに導かれるままバスを乗り継いで、見知らぬ土地へと向かった。紅葉の美しい山を――そこに開墾された畑やら果樹園やらを――のんびり眺めながら頂にたどりつくと、大きな古木の根方に、あろうことか死体がもたれかかっていた。一瞬、木漏れ日の中で眠っているだけかと思うほど、私の目には生き生きと映った。早坂さんはチークの施された頬をどんどん高揚させていった。そして深呼吸を二、三度行ったあと、「やっほー」と山彦を呼び起こした。
私はといえば、死体について、いろいろと想像をめぐらした。この男性死体は、かつて生身の人間だったころ、いったいどんな生活をしていたのだろう、所帯は持っていたか、仕事はできたか、どれほどの地位だったか、人望はあったか、趣味は、カラオケの十八番は、好きな食べ物は、などと考えているうちに陽が沈んで、下山しなければならない時刻となった。
翌月から有給休暇を利用し、(早坂さんには内緒で)その場所へと行った。死体は、やはり木漏れ日を受けて、おごそかに輝いていた。私はただ「死体」というジャンルに快感を覚えているだけで、悪いことはこれっぽっちもやっていない。
休暇をすべて費やしても飽きがこず、結局、勤労十年目になる会社を辞めた。辞めて、死体を観に行った。そうこうしているうちに死体から離れられなくなり、私は死体の横にテントを張った。毎日毎日、鑑賞にふけった。
ある日、テレビの取材を受けた。早坂さんが流布したのだ。なぜあなたは死体に魅了されるのか。私は、その質問にていねいに答えた。以降、死体を観賞しつづける私を観賞するべく、人々が押し寄せるようになった。ドラマ化され、関連本も出、国内外問わず観光者も増えた。私は、かまわず死体を観賞した。ときどき頬ずりをしてやると、観客から「おおー!」という歓声が起こり、カメラのシャッターが切られた。野次馬がほとんどだった。が、中には理解を示してくれる人たちもいた。
私は死体への頬ずりをつづけた。畏怖を込めて。何年も、何年も。
六十年後――いつの間にか自然死していた私は、「骸骨に寄り添う死体」というタイトルをつけられ、県内の有名な美術館におさめられ、多大なる評価を受けるのであるが、無論そんなことなどどうでもよい。
骸骨に寄り添う死体