北帝の儚1️⃣
北帝の儚 著者不詳
≪禁忌に抗い挑戦する季刊誌『地下文学』より転載(不定期)≫
1️⃣ 女医
精神科医の玲子が、高校生の草哉に言うのであった。
「この病棟の患者達はさまざまな禁忌に抗い、無謀にも挑戦し、格闘して。葛藤のあげくに敗れて。そうして、神経を病んでしまった。そんな風に思えてならないの」
「物書きだって、あなたは言ったわね?だったら、そんな狂おしい心象風景を克明に記録したり、物語を創作するのが作家でしょ?ここにも、そんな作家が何人か、いるのよ。『地下文学』などに投稿もしていて。覆面作家もいるわ。ひょっとしたら、あの『儚』の連作の作者も、潜んでいるんじゃないかしら?」
「一人は『北帝』というペンネームなんだけど。あの戦争の最中に徴兵拒否をして。ここには、ある有力者の口添えで入所したらしいんだけど」
「それが、振り返るほどのいい男。四〇前かしら?」
「やはり、院長の指示で。様子を見ながらだけど。まるで、自分の家にいるみたいに、娑婆を自由に出入りしているのよ。近は、一月ばかり、出払ったきりなんだわ。今頃は、どこで、どんなものを書いているのかしら?あの人だって、『儚』の著者の一人かも知れないんだわ」
2️⃣ 徴兵拒否
無謀にも全世界に牙をむいたが、悪は必ずや成敗される摂理に帰結するが如くに、無惨な敗戦も色濃い、一九××年の盛夏の満月。
狂おしい程に蒸す異様な夜である。
この綺談は、二二歳の三文作家と、登場人物の女達が織り成す奇想天外な性の戯れ、痴戯の物語の数々だ。
これは顕ウツツなのか、幻なのか。筆者にも判然とはし難い、まさしくの綺談なのである。
男のいう北帝キタミカドはペンネームである。本名は北川辺帝也という。
一九××年、二十の北帝は、徴兵検査で、堂々と徴兵そのものを拒否したが、担当したある老獪な医師の計らいで、精神病の診断が下されて、官憲当局の咎めは受けなかった。
「どうしたのかな?何か言いたいのか?」
「先生。徴兵は拒否します」
「おいおい、滅多なことを口走るんじゃない。あそこの兵隊が目に入らないのか?」
「その兵隊が大嫌いなんだ」
「兵隊は人殺しが商売だからな。私はある仏教宗派の信徒だが、ついに我が本山も戦争翼賛に堕落したわい」
「では、先生は?」
「当たり前だ。戦争などは人間を鬼畜に落とす所業。もっての他だ。釈迦牟尼も戦を嫌って隠遁したんだ。愚鈍蒙昧な御門の命令で死ぬなどは、無駄死にだよ」
「こんなにも末世に、蓮になどになる道理もない。今時の蓮は悟りの象徴ではない。死出の花になり下がってしまった。お前は蓮田の泥の如くに、地中深くに根を下ろして、再起の時期を待つんだ。この戦争は、必ずや、敗けて終焉するんだ」
この老齢の医師が誰なのか。その正体を、戦争の異様な情況を混沌とした精神のままに漂流する北帝は、未だに、知らないのである。
爾来、継ぐ筈だった家を離れた北帝は、放浪して様々な仕事をしながら、執筆を続けているのであった。
彼は、果たして、あの女医の患者であるのを、自覚していたのだろうか。
(続く)
北帝の儚1️⃣