原発の儚3️⃣
原発の儚 3️⃣ 著者不詳
≪禁忌に抗い挑戦する季刊誌『地下文学』より転載(不定期)≫
3️⃣ 黎子レイコ
情況は一九四四年の盛夏に遡る。
あのスーパーに勤める女、黎子がニ五歳だった頃である。二歳になる娘がいる。
一九四四年の梅雨に入る頃に、ニ年の兵役を勤めて帰還した夫の浪江は、傷痍軍人に成り果てていた。
脊髄に損傷を受けて、片足を無様に引きずるのである。浪江は、大陸の戦闘で負傷したと呟いたきり、口をつぐんだ。
浪江と黎子の生活が、再び、始まったが、浪江は働こうとはしなかった。
身体もそうだが、むしろ、神経を病んでいるのかと、黎子は疑ったりした。
黎子は瓦職人の娘だったが、父は早くに病没していて、義母も二年前に脳溢血で呆気なく死んだ。
三つ上の義姉は某所に嫁いでいるが、幼い時分から不仲だったから、行き来はない。
黎子は国民学校を卒業すると、アカギの紡績工場で働いた。
即ち、黎子は、『宗派の儚』の、あの夏達とは同僚なのであった。
彼女達が暮らした女の園、紡績寮の出来事は、『宗派の儚』に詳細に記述したから、読者諸兄はご存じであろう。黎子もまた、夏達の洗礼を受けていたのであろうか。
黎子は義母の薦めで見合いをした浪江と、三年前に結婚したのである。
浪江は町工場の工員だったが倒産して、今は跡形もない。
結婚してからも、黎子は働きづめだった。一年前からは街の商店に勤めている。
二人の新しい暮らし、とりわけて、閨房はどうだったのか。
戦場から、しかも、酷く負傷しての帰還であり、若い夫婦の再出発の場面だから、描写は必然で、すべきなのだろうが、古稀を過ぎた筆者には、書く気力も失せているのである。
こうした有り様なのだから、後は、読者諸兄の想念に任せるしかない。
そもそもが、軟弱に成り果てた今日の小説作法なのだから、その方が好都合かも知れないではないか。
さて、江戸川乱歩に、『芋虫』という綺談がある。賢明な読者諸兄なら、とうに拝読のことだろう。
やはり、ある戦争で肢体と陰茎の自由を失った男と、迎えた妻の小品だが、男女の心理の真相をえぐり出した傑作だ。
浪江と黎子が佇んだ情景も、まさに、あの乱歩の世界の如くだったのである。
(続く)
原発の儚3️⃣