戯れ事2️⃣
戯れ事 2️⃣ 著者不詳
≪禁忌に抗い挑戦する季刊誌『地下文学』より転載(不定期)≫
2️⃣ 再開
最早、二人とも鬼籍だが、ある男優と女優が一週間ばかり雲隠れをして、その同衾の模様が話題になったことがあった。大昔だ。
酷く濃密だったという噂だが、閨房の姿態や痴戯は禁忌なのだから、真相などは誰も知る訳がない。
草吾と紫子が再会した時も似たような状況があった。と、いうより、草吾が設定を企んで、紫子と創作しようとしたのである。
二人が再会したその日は、遠距離の本店所在地に住む紫子が、草吾の住む街の支店に出張していた。
数日前の電話で送る約束をしていたから、支店の近くで紫子を乗せたが、短い挨拶を交わしたばかりで、高速に乗るまでは、きっかけをつかめずに、二人とも、殆ど無言だった。
一〇年前のあの時に似た、盛夏の異様に蒸し暑い日の夕暮れだった。
助手席に座った青いスカートから、紫子のあの懐かしい膝頭が覗いて、その奥には太股があるのだ。
草吾の脳裏に、一〇年前の紫子の、豊満に熟れた裸体や、喘ぎの記憶が浮かび上がった。
高速で運転も落ち着くと、当たり障りのない幾つかのやり取りの後に、やがて、意を決した草吾が、「あの時は、俺が悪かった」と、思わず口走りながら、本当に俺の非だったのか。だが、何れにしても、彼女のあの行為の根源にあった心情を推察出来なかったのは、確かに、非に違いない。何れにしても、再び、この女の心を開かせるためには、訳があろうがなかろうが謝罪するのが先決なんだ、などと、瞬間的に反芻していた。
すると、「謝らなければならないのは、私の方なのに」と、紫子が応えた。
この儀式の刹那で、一〇年もの空白が一時に消滅したかに、思えたのである。
高速を降りる直前に、「風呂に入りたい」と、初めて同衾した時と全く同じ誘い文句を投げ掛けてみると、「降りたら、ホテルが幾つかあった筈だわ」と、やはり、応えたのであった。
その一言に、紫子はどんな決意を込めたのか。草吾は雀躍した。
そして、あるホテルに投宿したのだが、話に紛れて過ぎたウィスキーで酔ってしまった草吾は、日を改めてあることを企んだ。
一〇日後に紫子に三日の休暇を取らせて、海岸に沿う国道を南下して、防潮林に囲まれたモテルを選んだ。
その、始終、海鳴りの絶えなかった宿はと、言いかけて、あそこばかりじゃない。
紫子とは、あの海岸線に幾つかの鮮明な思い出があるんだと、嘆息しながら、何れも、あの地震と津波でひとたまりもなかったろう。
最早、あの記憶すら、津波の藻屑となってしまったのだと、草吾は長い息を吐いたものだ。
それからまる二日、二人はその宿に籠ったのである。
そして、生存に不可欠な営為以外は、ひたすら抱擁していた。
仕舞いには紫子が根をあげた。そして、それこそが草吾の企みだったのである。
二人の行為を、草吾自身の体を、あからさまに言うなら草吾の勃起を、克明に紫子の身体に刻印すること。それこそが、草吾の思惑だったのであった。
それから、二ヶ月程の間に、頻繁に会瀬が続いたある時、法悦を漂流する紫子に、「名前を覚えているか?」と、囁いた。
「ん?」と、引き戻されて、「俺の名前だよ?」と、再びの男の声は、さぞかし悪魔の囁きだったに違いない。
「名前?」
「そう」
「…確か…」
「ん?」
「難しい名前だったわね?」
草吾は冷や水を浴びせられるという修辞を、現実に初めて味わったのである。
息を呑んてしまった草吾は、『この女は、名前も忘れた俺との関係を再開して、こんなにも狂おしく交接していたのか』と、心の底で絶叫した。
この女とは必ず別れなければならないとも、その刹那は心に刻印したのであったから、それから一〇年も続いたのは、エロスなどという生半可を通り越して、文字通りの腐れ縁だったのか。
一〇年もの快楽と引き換えに、失ったものは何だったのかと、草吾は臍を噛んだのである。
ただ、筆者が弁護するなら、草吾は性愛に、ただ流されるほどには愚かではない。
草吾は引き戻る居場所を喪失していたのだ。
だが、その状況は余りに陰惨だから、未だ、明らかにする気分ではないし、古稀も越えて七二にならんとして、永劫にその機会はないのかも知れない。
草吾は紫子との関係が性愛であるのは、存分に承知していながら、昇華を願っていたが、女の心境を微塵も推し量ってはいなかった。
実に迂闊だった。
それは草吾の策謀の成果だったのか、紫子は性愛の只中に耽溺しているばかりだったのである。
(続く)
戯れ事2️⃣