Kの話

4月に先輩の先達で家人と三井寺へ行った 
その帰り道彼が車で京都まで送ってくれるという言葉に甘えて、初めての比叡山ドライブをも楽しんだ
先輩がちょっと寄りたいところがあると言うので
同行させて貰った。左京区にある金戒光明寺、地元の人達はここを黒谷さんと呼んでいるがその門前から数分の場所に訪れた
自然の草木を使う染色家S氏の工房で氏の作品を拝見し珍しいミャンマーのコーヒーを頂きながらしばしゆっくりとした時間を過ごした
氏は私と同年で何と同じ大学を卒業している事が分かった。私は大学生活を体育会系運動部で過ごしたがその中頃から大学紛争が始まり、我が大学も
赤ヘル軍団が占拠したが、どうやらその当時S氏も
この占拠に加わっていた事を話してくれた
そこでもしやとS氏にKを知っていますかと尋ねるとS氏は驚きの表情を見せた
Kは鎌倉の私立男子高校時代の学友だった
親友といっても良い程仲が良かった
彼と仲間達で文学愛好会なるモノを立ち上げ
放課後になると小町通裏に在った僕らのアジトにピッタリの狭く暗い喫茶店でタバコを吸いながら小説を読んでは語りあったりしていた
校舎と地続きの建長寺の山、近所には東慶寺の境内、鎌倉近代美術館の池の辺り、仲間と連れ立って散策しながら散文を書いたり文学に触れるのに場所は事かなかった。
Kもその中にいたが何かいつも大人ぶっていた
小さい頃からの喘息持ちで息が苦しくなると、喉がヒューヒュー鳴りだしポケットから喘息薬の噴霧器をだして吸っていた。その姿はKが好きだった太宰治風の何か退廃感みたいなものを漂わせていたが
其れがあの頃のKのスタイルだったのかも知れない
Kは家庭が複雑な様で祖母と暮らしていたが別に戸建ての空き家を持っていて其処に何時も仲間と夜な夜な集まり二級のウィスキーなぞを車座で飲んだりしてみんな大人ぶり、最後は飲み過ぎて窓からかわるがわるに嘔吐していた。
そしてKとは同じ大学に進学したが、私は暗くて蒼白い文学青年気取りから卒業してアメリカンフットボール部へ入った
Kとは其処で疎遠になった。そして最後にその姿を見たのは私のヘルメットとは違う白く太い文字の入った赤いヘルメットを被り口を白い手拭いで覆った鋭い眼光のKだった、私は学ランにスポーツ刈りだった。入学式でチャペルへ向かう坂道をお互いに登ったKと私は青春の選んだ道が違った
最期に会ったお互いの姿はまるで体制と反体制の敵同士みたいであった
彼はキャンパスの真ん中にある事務棟をバリケード封鎖して占拠していた

なんとS氏はそのKを知っていたどころか同じ戦う同士だったと言った。背がスラリと伸び細い目で暗い感じでしたがリーダー的なオーラが有り目立ってましたよと当時のKを語った
初対面のS氏との団欒でまさかこんな話が聞けるとは思いも寄らなかった。
Kとはあの時以来一度も会っていない
其処後職業活動家になったのかも知れない
現に我々体育会系内部にも左翼の活動家がいた
大学紛争のあと大きな反体制組織の一員として企業に潜伏し社内組合をつくり最終的にその会社を乗っ取っり社長になった男もいた
かと思えば同じ体育会運動部在籍中に楯の会に入り三島由紀夫と市ヶ谷の自衛隊に乱入し割腹した氏の介錯に立ち会った男もいた
何かが一途に燃えていた時代だった

そんな時代の中を私とKはお互い全く違う道を歩いてきたのだろう
しかしK達と過ごした高校時代の蒼い思い出は
50余年たって色褪せてこそすれ
S氏の工房を偶然訪れた事で其れが蘇った
誰しもが持つ自分の中にあるアルバムをめくり返す様だった
もし今電車の中とかでKと出逢ったとしても、もうお互いに分からないかもしれない、Kは未だに喘息を病んでいてポケットから噴霧器を出してゆっくりと息をしているかもしれない。
そんな想い出の糸を手繰ってみても50年を経た
その糸先は何処かで切れてはいるだろうが
工房を出て見上げた黒谷の山門が落ちる西陽に
鈍く光っていた

Kの話

Kの話

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-06-11

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