ピリカの儚1️⃣~5️⃣

草也

ピリカの儚 1️⃣~5️⃣
   
 万世一系の御門が二千五百年に渡って統治する単一民族の国だと、この列島の為政者は、久しく高らかに謳いあげてきた。
 その一方で、ある北辺の少数民族を土人と規定した法律までが、未だに存在しているのである。
 だから、北辺の人々は、西の王朝の理不尽な侵攻と支配に抵抗して、幾多の戦いを繰り広げてきた。
 
学術の一部も、御門の男子一系の正統性や単一民族論を否定していた。
 そればかりか、この列島の西半分と東半分では、民族も文化も、DNAすら明瞭に違うと主張しているのである。
 だが、その北の国の悲壮で哀切な歴史は、全ての敗者の歴程の宿命として、時間の彼方に埋もれようとしていた。
 

1️⃣ 騒乱

 北の国のある地方の県都。男が××大学に通い始めた、その年の盛夏。
 未だ、異様に蒸し暑い夕まぐれである。
 ある公園で開かれた、半世紀に渡って植民支配してきた、半島の国に対する賠償協定と、国防条約反対闘争の集会は、始めから不穏な雰囲気に包まれていた。
 
 激しい内部抗争を繰り返している、学生の二つの極左組織が激突するとか、それは見せかけで、談合した両派が騒乱状態を作って、全国に名を馳せたいのだなどと、風聞が飛び交っていたのであった。
 そして、おびただしい機動隊員が配備されていた。
 
 デモ行進がスタートしたばかりから、あちこちで小競り合いが起きていたが、解散地点の駅前で、遂に過激派の一群が暴走した。
 駐車していた車を次々に横転させ、火炎瓶を炸裂させて炎上させたのである。
制圧する機動隊にも無闇に投石したり、火炎瓶を投げつけた。
 激しく火柱が上がる。学生も機動隊員も、どちらも若い。険しい殴りあいが始まった。
 
 男も隣にいた機動隊員に幾度も殴られた。
 その背後では写真を撮っている私服がいるが、男は気付いてはいない。
 陰湿な殴り方だ。目があった。憎しみに満ちている。
 堪らずに、男が思いっきり殴り返すと、隊員が転倒した。
 直に、近くにいた数名の隊員が、罵声を発しながら駆け寄ってくる。
 男は必死に遁走した。
 
 
2️⃣ 半島の女
 
 男は繁華街に紛れ込んで、路地の迷路の奥に身を潜めた。
 やがて、汗まみれの息も鎮まると、眼前に侘しい焼肉屋がある。
 突然に空腹を覚えた。喉も乾いている。
 ポケットを探ると、裸のままの数枚の札は無事だった。男は古びた引き戸を引いた。

 客はいない。
 カウンターの奥で、青いワンピースの女が片付けをしていた。
 三〇半ばだろう。
 顔をあげた女の豊潤な笑顔が咄嗟に曇った。
 男が無言で問い返すと、眉間に怪訝な縦皺を刻んで、「血が出ているわよ」と言う。
 「目尻よ」男が、思わず拭おうとするその腕を、「駄目よ」と、勢いよく掴んだ。
 何かは知らないが、甘い果物の香りがする。
 
 男を二畳ばかりの小上がりの縁に座らせると、「消毒をしないと」と、奥に消えて、足早に薬箱を持って戻る。
 女は慣れた手付きで消毒を終えると、豊かな乳房を揺らしながらガーゼを当てた。 
 「水が欲しいんでしょ?」女がコップを差し出す。
 微かだが特徴的な訛りがある。
 敢えて確かめもしないが半島の女だ。
 二杯目を飲み終えて、男は初めて礼を言った。
 
 男がウィスキーのオンザロックを飢えた喉に一気に流して、「手際がいい」と、呟いた。
 「若い頃は看護婦だったのよ。それに、すぐにわかったでしょ?」
 「そうよ。私は半島の生まれなの」
「あの戦争中に、家族でこの街に来たのよ。父親の知り合いに誘われたの」
「今でもあるけど、町外れの化学工場で、父親は働いていたわ」
「戦時中は、魚雷などに入れる爆弾の原料などを造っていたのよ」
「そのせいだか、敗戦の間際には酷い空襲で。社宅を焼け出されて-」
「それから、もう少し北に、私たちの民族だけの部落が出来たの。バラックばかりの粗末な暮らしだったわ」
「でも、復興が進んんだら、跡形もなく取り壊されてしまったわ。だからといって、何の感慨もないのよ。何もかもが、惨めな思い出ばかりだったんだもの」
「戦後に、病院で働きながら資格を取ったの」
 
 「シャツも酷く汚れているし-。何があったの?」「-殴られたんだ」
「誰に?」
「デモだ」
 即座に納得した女が、「さっきも、お客さんが話してたわ。半島の人よ」「だから?」
「この国の学生は、愚かなほどに呑気だって。ご免なさい」
「それから?」
「-俺達は、この国に散々に酷い仕打ちを受けたが、訴える術もない。故国は独裁政権で開発ばかりだ。人民の戦争中の補償などは、微塵も考えていない。とりわけ、在外の俺達は全くの蚊帳の外なんだ、って-」「あの学生達は、半島から来た労働者の、戦争中の実態を知っているのか、って-」
「その通りだよ。あいつらは天下泰平なんだ。-俺もだな。わかっているつもりではいるが-。そう言われてしまうと-」
 
 
3️⃣ 情況
 
 その時に、騒がしい話し声を連れて、引き戸が勢いよく開いた。
 半島の言葉だ。女も同じ言語で迎える。常連らしい初老の三人組が小上がりに腰を据える。
 すっかり別人に化けた女が、慌ただしく動き始めた。

 あの戦争に敗れた後の保守政権は、戦勝国との間に、ある安全保障協定を結んだ。
 革新勢力が強固に反対したが押しきった。
 その改定が一年後に迫っていて、両陣営の対決が、再び、激しくなっていたのである。

とりわけ先鋭だったのが学生で、学費値上げ反対や、経営民主化の独自の運動とあわせて、日毎に過激化していく。
 あちこちの大学が、封鎖されたりもしていた。
 ある極左政党が作った学生組織が台頭して、武装化に拍車をかけると、学生運動も分裂して、陰湿な内部抗争が勃発していた。
 
 そんな時に、御門が倒れて病に臥したのである。
 後継の議論がにわかに沸騰した。
 御門には三人の男子があって、順当なら長子の太子が次期の御門なのだが、父に似て、酷く愚鈍なのであった。
 それに、あの陰惨で愚劣な戦争を挟んだせいで、御門制を巡る情況は輻輳し、混迷していたのである。

 御門には年の離れた異母弟がいた。母親は北の国の女だ。
 異母弟はあの戦争には、強硬に反対をし続けていた。
 この弟君を御門の第二子が心酔している。
 皇室は、長い間、二分されていたのである。
 革新勢力は御門の戦争責任の追求を再燃させて、弟帝を支持したから、国論にさらに激しい亀裂が走った。
 
 こうした最中に、野党第二党の党首が、街頭で刺殺される事件が惹起した。
 犯人は、あの戦争を指導した軍人グループの残党だったから、世論の対立に油を注いだ。
 こうした状況にあって、半島国の問題も闘われていたのである。

 男は、歴史の狭間の混沌とした政情の渦に飲み込まれて、格闘しながら我を失っているのだった。
 男は大学の現況を否定している。
 とりわけ、学生運動の内部抗争で死者が出る事態に、震撼しながら憤怒していた。
 
 そもそも、男には大学に進む明瞭な意思などはなかったのであった。
 街のごろつき等とも一戦を交えるほどに、喧嘩に明け暮れていた。
 一方では、文学部の部員でもないのに、部長から頼まれて、記念誌の巻頭の短編を書いたりもしていた。
 ある学科の成績が校内一だったりもしたが、他は振るわない。
 男は担任とは馬が合わずに、浪人も覚悟をしていたが、校長が直々に声をかけて推薦してくれたのだ。
 
 校長はシンランを信奉していた。
 男はその時に初めて、「善人なおもて往生をとぐ。いわんや、悪人おや」という思想を知った。
 「俺は悪人ですか?」と、問う男に、穏やかに笑みを浮かべながら、「そうなんだろ?だから、僕が救ってあげるんだよ」と、校長は言った。
 
 この時代、男にへばりつくこの状況の息づかいは、質の悪い亡霊のようなのだ。
 そして、男は矛盾の塊だった。
 それと同じくらいに、この世界の全ては鵺なのかも知れないと、男は思った。
 
 突然に、雷が鳴り響いた。
 近い。
 小上がりがざわめいて、帰り支度を始めている。
 
 
4️⃣ 侵略 
 
 そして、再び、男と女は二人きりなった。
 あの乱闘ですっかり困憊していた男は、女の留守に酔い始めていたのだろう。次第に饒舌になる。
 
 「トヨトミの侵略もそうだが、この国は、再び、半島を併合したんだ。口火を切ったのは、英雄と称えられているサイゴウや、自由の旗手だというイタガキなんだから、お笑い草だよ。複雑な地政学の弱味につけ入って、他人の国土を蹂躙したんだ。言語を奪い、名前を変えさせて。神社を建てて、御門教を強制したんだ」
 「私も酔いたくなったわ」と、女がグラスに手をかけて、「大丈夫よ。学生さんにはご馳走にはならないわ」と、ウィスキーを一口した女が、真っ白い歯で笑った。
 
 「あの頃はいくつだったの?」
「終戦の盛夏は一一だったわ」
「八つの時にこの国に来たから、半島の事は覚えているわ」
「あの頃は、私の名前も半島のものだったんだもの」
 男は、その名前を聞かない。
 「御門を称える歌も、随分と歌わされたのよ」
「神社にも、何かにつけて参拝したし-」
「急ごしらいの、お祭りもあったのよ」
 
 「この国と同じ国民だと思っていたのか?」
「そうじゃないわ。生まれた時から半島の言葉で育ったし。幼い頃から真実を教えられていたもの。半島の歴史も教えられたし-」
 「他の民族を占領して統治するなんて、そんなに生易しく出来るものではないのよ。だから、あの戦争の後には、世界中の植民地で独立の闘いが起こったんでしょ?」
 「だが、政権党の総統などはこの国が半島や、大陸、南方まで侵略したのは、植民地の独立の一助になったんだなどと、未だに、ほざいている。盗人猛々しいとは、ああゆう輩を言うんだ」
  
  その時に、稲光が走ったかと思うと雷鳴が弾けて、寸分をおかずに土砂降りになった。
 どういう造りなのか、話しにも障るほどの雨音だ。
 女は、「こんな陽気の夏はいつものことなの」
 「こうなったら、もう駄目なんだわ」と言って、ずぶ濡れの暖簾をしまった。
 
 
5️⃣ 従軍慰安婦  

 「あげくの果てに、従軍慰安婦や徴用工なんだ」「でも、この国の政府は、事実すら否定しているわ」
「そうだ」
「自分がそんな目にあったら、いったい、どうするのかしら?」
「子供だったから良くはわからなかったけど、あちこちに理不尽があったのよ」
 
 「近所の人が連れていかれるのを見たんだもの。綺麗な人だったわ。普段は奥の座敷に幽閉されていたのよ。狂女だと、母親が言っていたの。恋人が出兵させられて。すぐに戦死して。狂ったんだって」
「そんな人を見たことがある」
「あなたも?」
「豊潤だが、陽炎のような女だった」
「そうでしょ?あんな病気は魂が抜けてしまうから、余計に怖いんだって。母親が言ってたわ。魂はみんな清浄で、狂ってしまった肉体には棲めないから、北辺の泰山に飛んで行くんだって。だから、泰山は聖の山なんだって。この国でも隣の県に、似たような伝説があるって聞いたわ」
「怖いのはその女じゃない。そんなにしてしまった情況だよ」
「そうね。でも、真から狂った人は、やっぱり怖いわ」
 
 「見てしまったんだもの」
「どういうわけだったのか。その女がふらふらと歩いていたの。夏休みの暑い日だった。後をつけてしまったの」 
「御門の神社の鳥居を潜って。五〇段ばかりの石段を上るのよ。その中頃で、女が立ち止まって。杉の大木の根本に蛇がいたの。白と青の。二匹とも驚くほど大きくて。絡み合っていたわ。あの時は、何をしているのかわからなかったけど-」
「女も、ずうっと見続けていたわ」
「階段を上りきると社があって。その縁に腰をかけた女が何かを叫んだの。何度も何度も。その声が深い森に木霊していたわ。そしたら。スカートの中に手を入れたの」
「一人だったのか?」
「どうしてそんなことを聞くの?」
「さぞかし怖かっただろうと思ったんだ」
「そうよ。一人だったわ」
「そんな人が慰安婦にさせられたのよ」
「そんな仕打ちを受けたんだもの。怨みは根深いのよ」
「五〇年や一〇〇年で、忘れられる様なものじゃないな?」
「そうだわ」
 
 「俺はカンムノ御門とタムラマロに侵略された、一山百文の隣県の生まれなんだ。エミシの子孫だよ。その上に、最近は原発まで造られてしまったから。略奪され、蹂躙され、支配された者の怒りがわかるんだ」
「そうだったのね」
「俺自身が、世情の底辺の当事者なんだ」
「俺そのものが怒っているんだ。義憤なんだ。腹の底からわかるんだよ。公憤なんだ。怒ってばかりで生きているんだ」
 
 「あの侵略戦争がいかに誤りだったかは、世界を敵に回して完敗したことで明らかなんだ」
 女か頷く。
「保守党の総統が、普通の国になりたいとか、憲法改正なんて言い募っているが。せめて、戦争体験者の全てが死に絶えるまで。まあ、戦後百年としても、あと八十年は待つのが礼儀だよ」
 「半島の恨みはもっと続くわよ。だって、トヨトミの理不尽で不条理な侵略から四〇〇年もたつのに、恨みは未だに消えていないんだもの」
「だから、チンピラ右翼の総統に煽られて、あたふたと付和雷同するなって言ってるんだ」
 
 「この国の西半分は渡来人も多かった。というより、俺から言わしたら、御門を始め渡来人の国なんだよ」
「そうよ。半島人は真底ではそう思っているもの」「御門はミマナが故郷だと口走ったことがあるし、総統なんかもクダラがご先祖かも知れないんだ」
「それなのに、何かといえば、半島を敵呼ばわりして、どうするんだ」
「歴史には少しは謙虚でいるがいいんだ。それが最低限の礼節っていうもんだよ」
 
(続く)

ピリカの儚1️⃣~5️⃣

ピリカの儚1️⃣~5️⃣

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更新日
登録日 2021-06-11

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